2025年4月12日土曜日
コチの頭はワシに食わせろ
2025年3月22日土曜日
旨いモノは旨い
アカカマスとかマアジもそうだけどオカズ魚の旨さって、刺身だろうが酢締めだろうが、干物だろうが煮ても揚げても何にしても旨いし、毎日のように食っても全く飽きないぐらい旨い。魚のなかでナニが一番旨いかという議論になって、旨いことは旨いだろうけど、滅多に食えないようなクロマグロだのアカムツ(ノドグロ)だのは、けっきょく”ご馳走魚”であって、ありがたい魚ではあるし高価でもあり不味いわけはないだろうけど、いくら食べても食べ飽きないとかの希少価値市場価値ぬきの単純明快な旨さの話でいえば、やっぱりアジだのサバだのが一番の候補に上がってきて、ワシもマアジは1票入れる候補にはなる。あと悩む魚は個人的な思い入れの強い魚たちであり一般的な感覚とはずれるかもしれない。ちなみにイサキとブダイである。わし子供の頃、誕生日のご馳走ナニが良い?と聞かれたら「イガミ(ブダイ)の煮付け」という要求をあげていた渋い魚食い少年だった。イサキの刺身の脂ののりすぎてない白身のわりに味の濃いあじわいは、夏休みに入って父方の親戚のところに遊びに行ったときに食べていたという思い出補正もかかって、ワシには特別な魚である。
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ご飯、内臓ポン酢、スリ身汁 |
あと、この地に来て「あれっ、この魚こんなに旨かったっけ?」と思ったのが、セイゴフッコも含めたスズキで、東京湾産のも臭くない個体はそれなりに美味しくて、アッサリした淡泊な白身でいろんな料理で楽しめる魚という印象だったけど、ぶっちゃけ淡泊というより薄味の印象だった。ところが紀伊半島のこの地では、飲まれて大出血とかして持って帰って食べると、ちゃんと味が濃くて美味しい白身なんである。よく、ヒラスズキの方が普通のスズキより旨いと言われるけど、この地ではヒラスズキ(ヒラフッコ、ヒラセイゴ)とスズキの味にあんまり差がない。東京湾のスズキとこっちのヒラスズキを比べたら明らかにヒラスズキが旨いとおもう。味濃いもん。でもこっちのスズキとヒラスズキにはあんまり味に差がないとワシは思ってるけど、ワシの舌たいしたことないのでちょっと自信がないところもある。でもそう感じてる。釣れてくる状況や場所に差がなく、同じような餌を食ってるので、味も一緒になるのだろうか?釣りものがなくてセイゴ持ち帰って食ったりしてたときも、塩焼きとか妙に旨くて悪くなかったし、フッコあたりの刺身もアッサリした白身というより、磯魚の味のある白身っぽい味があると感じている。場所が変われば味も変わる、不思議なもんである。
という感じで、日々魚を料理して、時にお客さんというか釣り仲間に振る舞っていると、一緒に飯食うことも楽しいけど、料理して振る舞うことの幸せ、うれしさというものがどうもあるように感じている。元同居人の母方の祖母である”カアちゃん”はいつも掘りごたつに座っていて、どこからともなくお菓子や漬け物が出てきて「おぢゃっこ飲んでいきんさい」とお茶入れてくれて、あれもこれもと我々にたらふくおやつを食べさせてくれようとしてくれたものだし、その娘である元同居人のお母さんにも、その振る舞いDNAというか文化というかは引き継がれていて、食事の席になどとても食い切れないほどのご馳走が並び、ごちそうさまの台詞は許されず「アレこもれも食べなさ~い」という感じで、山海の美味を腹が苦しくなるまで食べさせてもらい。この人達はなぜこんなにも優しく、人に良くしてくれるのだろう?と不思議に思うぐらいだった。鬼ぐるみの殻を砕いて殻のかけらを丹念に除いて実を集めて作るクルミ餡で食べる正月の餅のコク深い甘み!母上が「私天ぷら揚げるの上手!」と自画自賛しつつ揚げてくれる、東北独特のド太く味濃くブリブリのデカマアナゴの天ぷら、ウソッッポやらコゴミの山菜天ぷらも、ばっけと呼ばれるふきのとうで作るバッケミソも書いてるとよだれが出てくるようなご馳走だった。もちろんワシがそういうご馳走にありつけたのはもちろんお二人の優しい人柄によるところは大きかったんだろうと思う。でも、歳食って人様にご馳走する側に回ると、自分の作った料理を美味しいと食べてもらえる、喜んでもらえることのうれしさって、結構大きなモノなんだなと気がつかされる。人は人と仲良くして人に喜んでもらうことをすることに、どうも大きな喜びを感じるようにできているようだと感じる。カアちゃん達は、来る客に美味しいモノを食べさせて、”美味しいね”って共に喜ぶことをご自身も楽しんでいたんだろうなと、今になって思うところである。なるべく食べなきゃ失礼にあたると食べまくってたので、食わせがいのある良いお客だったのは、今にして思うとちょっとは孝行できていたのかなとインドの乞食じゃないけど思ったりもする。美味しいねって、他者と共感する。っていうことの根源的な幸せを思うと、マスゴミどもの流す、しょうもない周回遅れになってるようなグルメ情報も案外大事なのかもと思ったりもする。流通量が少なく値段が高くなってるだけのモノをありがたがったり、軽薄な流行を扇動したり、しょうもない情報であるとは思うけど、そうやって”他者が美味しいとしている食べ物”を並んでみんなと一緒のモノを食べてっていうのは、情報化の時代の、他者との食体験の共有の一つの形になってるのかもしれない。そう考えると、あいかわらずバカにはしてるんだけど、まあそれもアリなんだろうなと思えてくるところではある。
同じ釜の飯を食った、っていうのは苦楽を共にした近しい間柄を表す常套句だけど、それが常套句になるぐらいには、食事を共にするというのは意味のある重要なことで、まあいろんな形で、みんなで一緒の飯を食うっていうのが、多様性の時代である現代では存在し得るんだろうなと、書いてて気づいたのでありました。
ワシは一人で飯食っても美味しく食べられるけど、みんなで食べる飯の旨さも、またそれは格別に美味しく楽しく食べられて良いモノだなと思うところである。
2025年2月22日土曜日
バカと刃物
オルファのカッター、あえて限定するなら大きい方は、もう世界最強の刃物の候補の1つと言って良いだろうってぐらいで、世界中で愛されている傑作である。今更書くまでもなく、世界に先駆けて刃を折ることにより常に鋭い切れ味を確保できるという機能を備え、日常用途からプロの作業用途まで幅広く使われているのも、社名のオルファが「折る刃」から来てるのも皆様ご存じのとおり。意外に便利なのが「のこぎり刃」で本格的なのこぎりにご登場いただかなくてもオルファのカッターでだいたいカタが付く。オルファのカッターとの付き合いっていつに始まったのか記憶が定かじゃないぐらいで、小学校の工作の時間には既に使ってたように思う。
で、切れ味鋭いオルファのカッターといえば自分の手を切るのはお約束で、小っちゃいのから大ごとまでワシの左手には何カ所かオルファのカッターが刻んだ傷跡が残っている。その中でも派手にやらかしたのが小指の付け根あたりの手のひらの傷で、手相的には結婚線のところに1本線が増えている。それは高校の文化祭の準備の時にやっつけたもので、ハッポースチロールの箱を切って貼って削って丸い玉を作ろうとしていて、丸くて持ちにくいのを手で持って作業していたんだけど、文化祭の”お祭りノリ”で密かに持ち込まれて”赤まむしドリンク”の瓶に入れて配給されていたウイスキーで多少酔っ払って手元が狂ったのか、持ってる左手ごと綺麗にスパンと刃を振り抜いてしまった。切り傷の深さからやばいなと思ったけど、刃物で手を切るぐらいは慣れてもいたので「ちょっと保健室行ってくる」って保健室に行ったんだけど、出血量が酔ってて血の巡りが良いのも手伝ってかドバドバで、手傷を負った抜け忍みたいに血が廊下に落ちて追っ手をまくことができず、保健室に怖いもの見たさでやってきた見物客がワラワラと湧いて保健の先生に怒られました。青春の想い出だね。酔っ払ったら刃物を触らないというのは刃物のプロである美容師さん界隈とかでは鉄則のようである。皆様お気を付けて。まあ酔ったら自分の手先から器用さが失われるってのを学べたのは良き教訓で、ワシャ飲んべえだった若い頃も、釣りに行く前の晩とかから酒断ちしてた。というぐらいで、刃物って日常生活やらに欠かせない代物だけど、痴情のもつれで刃傷沙汰っていうぐらいに、人を傷つける道具ともなり得る。それは人類が黒曜石から削り出した打製石器を使い始めた昔から、刃物が持つ二面性であり本質でもあると思う。今の危ないから何でも規制っていうなかで、刃物を遠ざけてしまうのは、この人類の生み出した偉大な文明の利器の有用性をも遠ざけてしまうことになりそうで、ワシャちょっと心配なのじゃ。刃物の手前に手を持ってきてはいけないということを学ぶのに一番確実なのは、刃物の手前に手を持ってきて、結果手を切って痛みで学ぶことだと思う。痛みも危険もなにもなしにナニかを得ることなどできないと、そう思うのじゃ。
2024年8月10日土曜日
夜漬けてもアサ漬けーナマジのビンボ飯大根大量消費編ー
まあ米の値段が高いのはこのご時世仕方ない。とはいえ値段上がったうえでマズいってのはどういうこっちゃ?品薄なので品質が悪いってのなら我慢するけど、明らかにそうじゃなくて精米度合いが下がってて、以前なら無洗米じゃないけど研がずに炊いてぬか臭とか全くないぐらいだったのが、買って封を切った時点でぬか臭い。当然炊いてもぬか臭い。微妙なぬか分の体積を稼ぎたいというよりは電気代と時間(≓人件費)を節約してるのかなと思うけど、セコい、みみっちい。まあ米研いでから炊きゃ良いんだけど、もう10年単位で研がずに炊いてきたのでいまさら面倒くせぇことしたくない。人は便利に慣れるともとの面倒臭さには戻れない。じゃあ無洗米買うかっていうと近所の薬局というていの安売りスーパーには手頃な無洗米が売ってない。米は地元産のを食べることにしてるのもあって通販で探すのも煩わしいし、遠くまで買いに行くのは米5キロは地味に重くてやってられん。どうせ研がなきゃならんなら、以前試してみたらやや糠臭かったちょっと安い別品種の米にしようか検討している。円安はちょっと戻しつつあるけど、輸出産業やら観光業やらは儲かってたんだろうから、良い面もあったはずで結局良いんだか悪いんだかワシャ分からん。なるようになりやがれだけど米がまずいってのは地味に効いた。
物価高はワシだけ喰らってるわけじゃなくて皆平等に喰らってるわけで、ウダウダ言ってても仕方ないので、こういうときこそ”ビンボ飯”の腕の見せ所である。
ワシ、大根は好物と言ってよいぐらいに好んで食している。定番商品でなくてはならないので、スーパーでは季節関係なく年中売ってて、お天気次第で多少値段上げ下げはあるけど安い食材である。かつしなびてくると半額札貼られて叩き売られてるケースも多いし、直売所では元からクソ安く売ってたりするので、日持ちもするし安いときに買って主に味噌汁の具として活躍してもらってる。しかし夏場は味噌汁そのものが日持ちせず、あら熱とれたら冷蔵庫というのを心がけていても、たまに変な匂いがして明らかに悪くなってるときがあって捨てざるを得なくなると慚愧に堪えず、夏場はあんまり味噌汁作らない。ジイサン一人暮らしだと味噌汁なぞ一回作って煮返しつつ2日3日食うのが手間も掛からず便利。ミソの風味など知ったことかだけど具がグダグダに煮崩れた味噌汁もまたオツというもの。
なので、夏場はソバとか冷や麦をオロシダレでたぐる時ぐらいにしか出番がなく、せっかく安く売ってても冷蔵庫にまだ在庫があると買う必要が無い。なんか大根を大量消費する方法はないかと考えた。サッと頭に思い浮かんだのは名作マンガ「ばらかもん」の”このもん”である。大根を軽く干してから甘辛いタレに漬け込んだ漬け物で、作中登場人物達がむさぼり食っていた。検索すると再現レシピもあったけど、どうも五島列島の本場モノの再現レシピは、紀伊半島でもそうだけど、田舎では砂糖ドカドカ使うのが上等とされている傾向にあり、甘すぎるということをレシピ紹介者は書いていて、ややマイルドにしたレシピを紹介していた。甘いのは飯の友としてはイマイチだなとは思ったけど、漬け物という線は悪くない。ただ本格的に大根干してタクワン漬け込むかっていうと面倒だし、そんなにタクワンばっか食ってられん。なら浅漬けならどうよ?とレシピを検索したらいくらでもある。作り方も簡単で基本は切って塩ふってしばらく置いて、塩気を洗い流してから味付けという作業工程で面倒ってほどでもない。味もいくらでも変化の付けようがあるようで、とりあえず塩昆布使うのと鰹削り節使うのが、普段使ってる材料で間に合いそうなので作ってみた。どちらも簡単で美味しく、これだけで飯のオカズになるぐらい。これはイケるという感じなのでご紹介したい。
いうても簡単!
1.まず、大根を食べるだけイチョウ切りにする。タッパに入れて塩を適当に振ってガシャがシャッと塩がまんべんなく回るように混ぜる。保存性を良くしたければここで時間を掛けて塩辛くしてしまう。 2.15分ほど寝かして、大根がちょっとシナッとなって水分が出て来たら、ここでザルに空けて余分な塩分をざっと水道で洗い流す。一回流すので掛ける塩の量は適当で良い。 3.タッパに戻して味付けする。塩昆布味のほうは、ご飯にかけるならこのぐらいかなという感じで塩昆布をぶち込み、タラーッとゴマ油を掛け回してガシャガシャと混ぜておく。鰹節のほうは、削り節を全体に絡むぐらいに振りかけて、メンツユを適宜掛け回して、これもガシャガシャ。どちらも混ぜたら5分も馴染ませたら食べられる。美味しい。味は薄けりゃ食べるときに追加で醤油掛けても良いので、調味料の量はご飯の友ならこんなモンかな?ぐらいの目分量でよい。逆に味濃くなってしまったら沢山のご飯で食べましょう。
ー以上ー
という感じで、塩で締め?てる間含めても30分もあれば完成でなんら面倒臭い工程もなく。大根がパリポリと食感も良く沢山食べられる。お薦めです。一つ注意してもらいたいのは、浅漬けは塩分ガッチリとか乳酸発酵とかを効かせて保存食として作られているわけではないので、消費期限はわりとすぐ来ちゃう。作ったらその日に食うか、残ったのを翌日ぐらいは良いけど、何日も保存はしない方が安全。ワシ、まあ漬けモンやしいけるやろと大量生産して3日目ぐらいで、ちょっとお腹痛くなって、他に下手人も居なかったので原因は浅漬けかなと思っちょりマス。最初の塩で締めるときにもっと塩辛く締めれば、3日ぐらいはいけるように思うけど、どちらかというと保存食的な漬け物というよりはサラダの一種としてササッと作ってササッと食べきってしまうのが無難かと。大根の浅漬けだけでは食卓が寂しいとかタンパク質が足りんという贅沢を言う人は、納豆でも豆腐でも追加して豪華に食べてください。
味のバリエーションは、レシピサイトとか見てると無限にありそうなので、安い大根が手に入ったらお好みの味で是非お試しあれ。
安くて旨くて簡単はビンボ飯的正義なり。
2024年4月20日土曜日
フンギーッ!ーナマジのビンボ飯エリンギ編ー
ナニ言ってんだこいつ?だろうけど、分かる人には分かると思う、昔っから野菜カテゴリーにキノコが入るということには違和感を感じていて、光合成もしない従属栄養の生物を植物扱いで野菜にいれたらあかんやろと思ってた。生物の分類においてワシの学生時代はまだ五界説なんてのが主流だったけど、それでもキノコの所属する菌界は植物界とは別になっていて、それ見たことかと思ったモノである。当時でさえリンネ先生が動物以外は植物ってやった名残のキノコ植物説は古くさかったのが見て取れるけど、その後、分子生物学的手法の発達とかに伴って五界説も廃れていく。”今日知ったことは明日覆る”で知識を更新していくのが科学の健全な姿とはいえ、”モネラ界”のモネラッとっした語感が好きだったのでちと寂しくはある。現在生物を分ける大くくりでは古細菌(アーキア)、細菌、真核生物の三つに分けるのが主流のようだ。このうち真核生物のくくりに動物・植物・菌類・原生生物などが含まれ、さらに真核生物の中で動物と菌類は「後方鞭毛生物」という系統に分類され、植物を含む系統とは違った系統となっているとのこと。つまり昔ワシがキノコ食って直感的に、歯ごたえといい味の濃さといいコリャ野菜じゃなくて肉に分類すべきだなと思った感覚は、非常に鋭かったと自画自賛しておきたい。動物と菌類の近さに比べると、菌類と植物は遠いようだ。まあ肉であるというのも乱暴だけどな。
でもって、そんなワシ的にはほぼ肉なキノコ。川崎では大きな公園でのキノコ狩りにハマってたぐらいで、食材として大好きである。チョイお値段高めなこともありたまに半額札とか貼られてるときぐらいしか買えなかったけど、紀伊半島に来て異様に安いキノコが売られているのに気がついて、食いまくっている。ナニかというとエリンギの大きく成長しなかった規格外品を、産直とかで冒頭写真の様にビニール袋にミチッと詰めて150円とかで売ってるのである。紀伊半島は杉檜の産地であり当然製材所も多い。するとおが屑が出る。ホクトさんとかが代表だけど日本のキノコ業者の技術力はたいしたもので、本来針葉樹のおが屑はエリンギの菌床栽培には向かないようなんだけど、何か処理して杉檜のおが屑でエリンギが生産できるようになっているらしい。紀伊半島は水産物や柑橘、木材が名産物だけど裏名産として菌床栽培のキノコもなかなかにやりよるようなのである。これまで産直でたまに見かける程度だったんだけど、今年に入ってからスーパーでも定番商品として扱うようになって、ひょっとしてこれ促成栽培で傘が開く前にわざと収穫して薄利多売で売る販売形態を開拓したのか?っていうぐらいいつも売っている。好きなので毎回買って、主に味噌汁の具にこれでもかとぶち込んで、大根も好きなので「大根とエリンギの味噌汁」が今マイブームである。
すると、不思議なことが起こった。花粉症が軽くてすんでるのである。今年花粉症の症状がそれほど酷くなく、例年一回ぐらい目が痒くなって結膜炎が酷く保冷剤で冷やしながら寝なければならない日があるんだけど、今期はそこまで悪化することがない。かつ症状があんまり気にならない程度なので目薬が減っていかない。花粉の飛散が今年は少ないのかなと思ったらそうでもなさそう。繊維質の食べ物をたくさんとって、腸内環境を整えると花粉症が抑えられるというのは聞いてたんだけど、繊維質の食べ物としては大根は以前から常食しているので、それだけではなさそうで「これはエリンギにアレルギーを抑えるような働きがあるに違いない」とネット検索してみたら正解。キノコのホクト社さんのサイトに「花粉をブロックするIgA抗体を増やすにはエリンギが効果的!」という記事が載っていて、他にマイタケも良いらしい。チョイ脇にそれるけどマイタケの菌床栽培方法を開発した研究者には最大限の賛辞を送りたい。初めて鍋にぶち込んだとき、見つけたら舞を踊って喜ぶほどの美味という語源に違わぬ味の良さに感激したのを憶えている。マイタケ天麩羅も神がかってる。鍋の汁が黒くなるのがアレだけど味はスーパーで手に入るキノコでは最強だと思う。もちろんエリンギも素晴らしい食菌で、濃い出汁の味こそマイタケには譲るものの、歯ごたえのある食感と旨味、味噌汁の具でも旨いけど、炒め物でも天麩羅でも主役を張れる。
というわけで、今回のビンボ飯メニューは”エリンギと大根の味噌汁”で行きます。つっても、特に変わったことをやるわけじゃない。とにかく、エリンギと大根をドカドカかと入れて具だくさんな味噌汁にしてしまうだけである。ミソをケチるために塩で水増しっていうのは言葉的にへんだけど、まあ塩味で高級調味料のミソを節約しているのと、出汁がマアジ出汁というと贅沢な響きだけど、何のことはない刺身だ酢締めだででた骨を焼いて干した、”アジの骨の焼き干し”がわが家の出汁じゃこ兼愛猫コバンのおやつであるあたりが貧乏臭いとはいえるかもけど、おあげさんとネギも入れてオカズそれだけでも成立する一品に仕上がっている。 にもかかわらず、今回船持ってるお宅から「釣ってきたから食べて」といただいた初鰹の刺身なんてのまで食卓に上がるもんだから、ビンボ飯どころの騒ぎじゃなくなってしまっているかもしれない。でも、エリンギは一袋150円だし、大根もネギも直売所で安く買ってくる、ミソはケチってるし、初鰹はいただきものである。金なんかたいしてかかっとらんのである。貧乏だって旨いもん食って良いんである。貧乏だって旨いモノぐらい食えるんである。
でも、「エリンギの規格外品なんて紀伊半島に住んでないし手に入らない、こんなのビンボ飯でも何でもない」って思うかもしれない。それはある意味正しいけど、ワシがが言いたいことはそういうことじゃない。単純にエリンギ沢山買ってこいって話では全くない。紀伊半島ではたまたま安い規格外品のエリンギが手に入る。他の土地では土地土地で手に入る、市場ルートに出せないようなものや、小規模で作ってて安く直売場に並べている食材とかがあるハズである。それは土地土地によって違うだろうし、季節によっても違うし、流行廃りで変わっても行くだろう。でも探せばあんまりまだ値がついてない掘り出し物があるハズである。そういうの探して貧乏でも美味しい飯食おうぜってのがワシの主張である。
都会に住んでて、わが家の近所には直売場もなければそもそも農水産物作ってない。って人も居るだろう、でも都会には都会の掘り出し物がやっぱりあるハズで、ワシ、川崎に住んでたころ、獲れなくなってきて値段高騰しはじめてたサンマとか買わずに、増え始めてて値が安かったマイワシ食いまくってたし、値段のつかないビンチョウの赤身?やら太平洋産のワラサ(ブリの若魚)とか狙い撃ちしてた。
水産の世界では値段が高いことは必ずしもその分味が良いことを意味しない。むしろ高級食材においては、味ももちろん良いンだろうけど市場の評価や”ブランド力”というようなもので、値が高くなっていることが実態である。長年高品質の食材を提供し続けて育てたブランド、例えば昨今偽装問題で話題の”間人ガニ”なんてのは、一定の基準に基づいてブランド認定していたんだろうけど、ぶっちゃけそれでも個体差とかあるだろうし、他の産地の上等なズワイガニとブラインドテストしたら明確な差が出るかといえば出るわきゃないと思っている。実際騙されて食べた客から”味が違う”という文句は一件も出なかったはず。だって、食べるときにそういう高級ブランドガニだと聞かされて食べるとき、脳の美味しさを感じる部分は活性化されて美味しさを感じやすくなっているはずで、グルメどもはそういう”情報を食ってる(©ラーメンハゲ)”部分も大きいからである。まあそれはそれで悪くない。長年高品質を維持してきた信頼や伝統、美味しく食べさせる技法、接客技術、評判やらの事前情報もろもろ含めて、美味しいと感じるんだろうし、それが食の本来の姿でもあるだろうから、何でもかんでもブラインドテストで事前情報無しで味わって”本当の味”を求めたところで意味がない。
となると、逆に、ブランド力が強くて値段が高いものもあるけど、ブランド力やもっと極端に認知度がが低くて値段が低いものもあるわけで、そういう一般には知られていない”お値打ち”食材を目利きで見つけてきて「これは関東じゃあまり知られてないけど、どこそこでは珍重されるぐらいの美味」とか、そういう情報も含めて食ってしまえば、これまた脳の美味しさを感じる部分は活性化しているだろうし、安いのに旨いが成立し得るのである。ここにビンボ飯のテクニックが隠されているのである。
ぶっちゃけ魚とかだと、地域によって好みが違いすぎて、珍重する地域以外では値段がつかないなんてことがままあるので狙い目である。何度か書いたと思うけど、海水温上昇に伴って、南方系のブダイやアイゴが北上してきて藻場を食い荒らすとか聞いたときに、紀伊半島出身のワシは「食えば良いじゃん?」と不思議に感じた。当地でイガミと呼ぶブダイは幼少のころのワシの好物で、誕生日にナニ食べたいと聞かれて「イガミの煮付け」と答えていた渋いナマジ君であった。今はここらでは高級魚なのでちょっと買えないぐらいである。アイゴも普通に美味しく食べてました。アイゴはちょくちょく釣れるので今でも食べている。知り合いの漁師さんが、ここらではクエは別格で倍の値段がつくけど、スジアラやらヤイトハタでは悪くないけど半分ぐらいの値にしかならんとボヤいてた。スジアラは沖縄始め南方では超高級魚である。ヤイトハタは台湾で種苗生産技術が開発されたっていうぐらい彼の地では人気があるようだ。味はそれぞれ好みとか個体差とかあるけど、同じハタの仲間、どれが一番美味しいとかの絶対的な優劣はないと思ってる。ブラインドで味比べしたら好みとか個体差とかで評価はばらつくはず。クエの半額ならヤイトハタのほうがお得と思う。
京都じゃ懐石で食べたら何万円のハモもこちらじゃ網に掛かっても捨ててるぐらいの雑魚扱いで、でも”骨切り”できるならその美味を堪能できる。秋のゴンズイの旨さも知らねば食えない。都会のスーパーでも、冒険して買い付けたけど売れずにたたき売られているような魚やら、その地での知名度がない魚とかが間違いなくある。おそらく野菜でも他の食材でも同様だろう。都会ならいろんな店があるので産地から遠いのは不利な点でも、選択肢の多さ店同士の競争の激しさとかは利点である。特売品とか田舎じゃ都会ほどはないよ。
ようは、その地域地域でとりうる作戦でもって、人の見逃してるような美味を安価で楽しんだら、それが”ビンボ飯”の楽しみ方というモノなんだと思っている。
くっだらねぇマスゴミに踊らされて、需要が高まって値上がりしたようなものを食わされてたら、貧乏人はやっていけないって話なので、同志貧乏人諸君には”目利き”はしっかりして、安くて旨いモノを食って「馬鹿が高いモノ食わされてやがる、ざまぁねぇな!」と高笑いして欲しいと思っちょります。
2024年3月30日土曜日
たまには魚と豆以外のタンパク質を-ナマジのビンボ飯モツ鍋編-
まあ贅沢言わなければそれで済む。済むんだけどたまには贅沢してみたいのよワシも。ということで贅沢な飯と言えば”お肉”な昭和脳なジ様であるワシ、たまには肉でも食うかと考えるんだけど、まあ肉ってお安くはない。都会じゃ魚の方が高いけど、港町だと圧倒的に魚の方が安い。アジなんか一パック200円とかで買える。贅沢して鶏肉買っても良いんだけど、貧乏人なら安い鶏胸肉よりさらに安い内臓肉のほうが贅沢するときの謎の罪悪感にさいなまれずに済む。昔は牛内臓肉とかも安くて、それこそ大阪弁で捨てるモノという意味で”ホルモン”って呼ばれたぐらいだったけど、今じゃ牛や豚のホルモンはB級グルメの主役級の人気でおいそれとは手が出ない価格になっている。関東では関西ほどは人気が無いのか、ハチノス(牛の第二胃)とかガツ(豚の胃)とかなら、たまに行く武蔵小山の中古釣具屋の近くに安く売ってる肉屋があったので、買いだめして煮込んで楽しんでたりしてたけど、港町のこの地じゃ馴染みが薄いのか売ってるのもあまりみかけない。
しかし、そんな貧乏人の強い味方が以前にも書いたけど鶏内臓肉鳥皮である。100g100円以下とクソ安い上に旨い。今回はこのクソ安い鶏モツのモツ鍋を紹介しつつ。クソ安いということについてまつわるアレコレについて書いてみたい。
なんのことかというと、ワシの嫌いな”動物愛護団体の人達”が「アニマルウェルフェア(動物の福祉)」とか動物の権利とか小うるせえことを言い始めて、やれ豚を狭いところに閉じ込めて飼うなとか、雌鳥を卵を産む機械のように扱うなとか、うるせぇ黙っとけって感じでワシも黙っちゃいられない。
先日も「 【ニューヨーク時事(通信)】ストレスの少ない環境で家畜を育てる「アニマルウェルフェア(動物福祉)」を巡り、米西部カリフォルニア州の法規制が畜産業界に波紋を広げている。」とかネットニュースになってて、ただでさえ物価高騰と格差社会で貧乏人がしんどそうな米国で、畜生の幸せのためにさらに食糧の値段上げてどうするって話で、守る順番を間違えるなって説教してやりたくなる老害なワシ。別に金持ちがそう思って、そういう動物福祉に配慮した畜産物を買う分には別にどうでも良い。好きにしろって話である。それを”勝手な正義”を他人に強要して、貧乏人の安い食糧を買う選択肢を奪うなって話である。オマエがそう思うんならそうなんだろうけど、オマエの中だけの話であって他人を巻き込むな。その結果人が飢えて、産業動物である豚が死ぬまでに多少快適に暮らせることを確保することに意味があるのか?著しくバランスと優先順位がおかしいだろ?
基本犬畜生は犬畜生であって、線引きとしては”人間の方が大事”っていうところでキッチリ引いておかないとマズいって。ワシも愛猫家だから猫の幸せを願ってやまないけど、そこの線引きはしておくべきだと思う。核戦争が起こって「シェルターに猫を入れる余裕はありません」って言われたら、それはそうだろうなと納得する。納得した上でワシはコバンとシェルターの外で生き残る方法を考える。ネコの命より人間の命の方が大事っていうのはその通りだと思う。そのこととワシの感情が「コバンを見殺しにするぐらいなら共に死ぬ」ってぐらいに溺愛してしまっているっていうことは併存している。そういうワシの精神の自由は、個人の責任の範囲の中での自由だからほっておいてほしい。ワシは他の愛猫家の方に同じように考えることを強いたりしない。猫にとって何が幸せかっていうのは、自分の幸せが何か、50年からかかってやっとこさ分かってきたワシには難問ではあるにしてもだ。
犬畜生であり産業動物である家畜家禽の健康や快適な生活は、もちろん配慮はされるべきである。あるけどそれは健康や快適さが肉の歩留まりや質を確保するためとかに必要であるからというのを第一にして配慮すべきで、採算性や効率化を達成するために削れるモノなら削るのが畜産家の企業努力の1つの方向性であり、安い畜産物を享受する貧乏人としては、多少家畜家禽に狭苦しい思いをさせたとしても、365日休みなく糞尿やら羽毛やらにまみれて働き、安く食糧を提供してくれる畜産農家を支持する。いつも書くけど鶏卵が風邪引いた時に精を付けるときぐらいしか食べられなくなったら嫌じゃん。日常的に気軽に安くて美味しい卵かけご飯とかが食べられる幸せって、雌鳥をケージに押し込めて不幸にしてもワシ譲りたくない。見ず知らずのニワトリの幸せなんて知っちゃこっちゃないぜワシが幸せになりたい。ぶっちゃけ死ぬほど酷い環境で飼育されたら死んでしまうので売り物にならず、家畜家禽はどうやったってある程度は大切にされるのでほっときゃいい話だと思っている。むしろ人間の方が今の社会では、ぶっ壊れたら新しい人を雇えば良い程度の家畜以下の”部品”扱いされていて”社畜”とか揶揄されるよりまだ酷い実態もあるように感じる。部品扱いされる人間の幸せをさらに削ってまで、家畜扱い程度は確保されている家畜たちの福祉を求めることのなんと歪なことか。
ほんと、動物の福祉とか言い出す輩の気持ち悪さは鼻につく。「上げ馬神事」が動物虐待だとかで中止に追いこまれている。しらんがな。ヤツらは競馬とかももちろん槍玉にあげていて、競馬で鞭を入れる回数とかにまで口出ししてきてるらしいと聞いてウンザリする。競馬がなくなったらそもそもサラブレッドの存在価値がなくなってサラブレッド生きていけなくなっちゃうじゃん。動物を娯楽の対象として消費するのはどうかというのは、放流した魚釣ってる釣り人としても複雑な感情はあるっちゃある。サラブレッドっていう品種が無くなっても馬としてはいなくなりはしないだろうし、人間が無理くりねじ曲げたような歪な品種を維持する意味はと問われると、正直答えに窮する。ぶっちゃけダックスフントとかもうウサギの穴にもぐらなくても良いンだから脚伸ばしてやれよと思わなくもない。そういう品種の血統を保つために、おそらく品種の基準から外れたような子供は間引かれてるんだろうとか、近親交配で病弱になってるのは避けられないだろうとか思うと、奇形みたいな品種をありがたがるなよ、ってワシの股ぐらでまどろむ雑種の愛猫を撫でながら思う。でも、その品種の形作られた背景、例えば牧羊犬のボーダーコリーの賢さや、水鳥を回収(リトリーブ)する狩猟犬であるレトリバー系とかの水遊びではしゃぐ姿とかを見ると、いろんな特徴をもつ品種があって保たれていることの価値もまた認めざるを得ない。このへんはもう、個人個人の趣味やセンスの問題で、どこまで許容するかなんて変わってくるんだろう。ワシも線引きは単なる好みでしかない。イエネコの巨大品種メインクーンとか飼ってみたい憧れがあるし、犬でも狩猟犬系は格好いいと思わずにいられないけど、正直奇形みたいなミニチュアダックスフントやスコティッシュフォールドとか見ていてやや不快ですらある。でも、そんなこと言い始めたら金魚の世界なんてデメキンとかランチュウとか”THE奇形”でっせ、って話でペットの場合はそれもありって思う人があながち間違ってるとも思えない。まあそういうこと含めて個人のセンスの問題で特に酷いとかの場合を除いて、他人の趣味にはとやかく言わないのが正しいのかなと思う。おもっきりとやかく書いてしまってるけどな。気を悪くした人がいたらゴメン。ただ米国の事例を始め、うかうかしてると食うもんなくなりそうな主張をしている愛護の輩どもの意見が力を持つ程度に、人が他の生き物の命を奪っている、その”命の軽さ”から遠ざかってしまっている現代なので、ジジイは心配で書かずにおれんのである。ドイツの現政権は支持母体の一つが動物愛護団体らしく、オオカミが保護の成果もあって増えつつあるのは良いことなんだろうけど、そうなると当然放牧している家畜が被害に会うなんていう問題が生じる。でもドイツじゃ今オオカミの捕獲とかの許可は出ないらしい。オオカミは生態系の秩序を左右する高位捕食者だからその保護は意義が大きく重要なんだろう。だろうけど、増えて被害が生じるなら数の調整やらなんらかの対策も必要だろうけど、それを許さない盲信。さすがナチスを産んだお国柄、振り子がどっちかに振れるときはおもいっきり振れて猪突盲信、というとドイツだけを侮辱しているようで申し訳ないので、我が国も今だ”大本営発表”で情報操作されて”隣組”で相互監視して異分子をつるし上げていやな”空気”を醸成していた国民性からまったく変わってないということを恥ずかしながら指摘しておこう。マスゴミの情報誘導に引っ張られて流行に流され、しょうもない個人の失敗をSNSでつるし上げる。第二次世界大戦時の国民性と何が違ってる。っていうワシも昨年のクマ騒動のおり、適当に数減らすしかないじゃんって思ったけど、carankeさんに「マスコミの煽りを受けてクマ駆除の方向に行きすぎないか心配」と言われて、ワシも”空気”に流されつつあったことを認識し恥じたしだいである。野生動物とは適切な距離感が重要であって、化け物扱い敵認定して闇雲に恐れて排除しようとするべきではないだろう。冷静に論理的にと思っていても、情報やら空気感やらに影響されないなんてなかなかあり得ないということを含みおいて、物事は考えなければならないと肝に銘じた。自分なりの真理、絶対的な正義、そんなもんはない。そうあなたやワシが思うモノは自分に都合の良い誰かの意見なり多数者の意識、それらの借り物に毛が生えた程度と思っておくべきだろう。そういう、人の意見に流されがちなのが枢軸国だけじゃないのは連合国側の米国でも同じなのを見れば明らかなので、西も東もグローバルスタンダードもイスラム社会も”共感性”を武器の一つとして生き残ってきたというホモサピならそこから逃れられないのだろう。”みんな違ってみんなダメ”。だからこそ天邪鬼は必要であると、ワシのようなひねくれ者の意見も必要なんだとワシャ思うんじゃ。空気感に流されかかってるところで、冷や水浴びて冷静になって一旦立ち止まって考える。その冷や水になれるよう天邪鬼としての務めを果たしていきたい。
っていう永い枕を一区切りつけて、本題のビンボ飯的モツ鍋の紹介に移っていきたい。いうても簡単である。材料は鶏モツ(今回はレバーとハツ)、鳥皮、ニラ、キャベツ、めんつゆ、ラー油というところ。モツ鍋の旨さの要素として牛モツの脂の甘さがあるので、脂っこさのある鳥皮は安いけどその代役を果たしてくれる。内臓料理といえば、ミソとか濃いめの味付けで癖を殺して臭みを誤魔化しというのが一般的で”ドテ煮”とかまさにそういう料理だけど、モツ鍋では味付けはアッサリとした醤油出汁っていうのに、博多の食い道楽どもの非凡なセンスを感じる。匂い消しにニラはぶち込むにしても、今時の処理のしっかりした鮮度良く流通する内臓肉であれば、そこまで癖も臭みもないので、内臓肉本来の野趣溢れる風味として楽しめる味付けになっている。2年と少し暮らしたけど、博多はメシが旨い。食の名物も博多ラーメンから鶏の水炊き、アラ(クエ)鍋、明太子といったメジャーどころから、ややマイナーな柔らかい博多うどんにはゴボ天乗せるのがワシ好きだったし、意外に目の前で揚げてくれる安い天麩羅屋というのも博多流でお気に入りだった、寿司屋も回ってるのも回ってないのも魚自体が美味しい土地柄なのでレベルが高かった。魚と言えば刺身食べるときに醤油が甘くて最初慣れなかったけど、慣れてくると名物料理のマサバの刺身に胡麻がかかってる”胡麻サバ”には甘い九州の醤油じゃないと物足りなくなってくる。飲んべえの多い九州を代表する繁華街でもあるので名物の屋台も楽しいし、焼き鳥やら居酒屋やら街中華やらも総じてレベルが高い。ああ「ハルピン」の中華飯が懐かしい。
調理は材料切って、お好みの濃さに水で薄めためんつゆを沸騰させたらぶち込んで、モツに良く火が通ったらラー油を垂らして完成。とアホぐらい簡単である。料理というほどのものでもないけど、鶏モツはあらかじめハツの中の血の固まりとかは洗い流しておくのが良いかな。ニラだけだとクドすぎるところをキャベツがバランスを取り、キャベツ自体も出汁を吸って美味しく、鶏モツは血の臭いを感じさる良い感じの肉肉しさで、鳥皮の脂のコクも箸を進める。ワシ飯のオカズにしてバクバク食ってるけど、飲みながら食べても悪くないだろうと思う。安っすい材料だけど腹一杯に肉料理を楽しめる。こんなに安くて美味しいのは、養鶏屋さんの企業努力と鶏の犠牲があるからにほかならない。ワシはワシの幸せのために安い畜産物を支持する。豚も鶏も皆ゴメン。
2024年1月27日土曜日
わが家では酒ではなく米が盗まれていく-ナマジのビンボ飯酒盗編-
「フッ、まだそんな手が・・・ 残っていたとはな・・・」
カマス料理は様々試してきたけど、その発想はなかった。考えてみれば、カマス1匹1匹の内臓は少なくても、まとめて干物作るときとかにはそれなりの量が出る。右の写真で15匹分ぐらいである。ワシ、浮き袋のプルプルした食感とか好きなので、出汁が出ることもあって味噌汁にぶち込んだりしてきたが、その他の多くの内臓はコマセ用として利用していて、食用には回していなかった。塩辛というのはさっきもちょっと触れたように、麹を利用して魚介の身を分解してアミノ酸とか美味しい成分を引き出して作る、イカの”白作り”のようなものもあるけど、基本的には魚介の内臓の消化酵素(+場合によっては微生物)を利用して、魚介の内臓や身を分解熟成させて作る食品である。なので作り方は簡単で、後者の場合内臓ごとぶった切った切り身などに、腐敗細菌が増殖しにくいように10%以上とかの塩をぶち込んでその名の通り塩辛く仕上げた保存食である。保存食なんだけど、タンパク質が分解されてできた濃厚な旨味が感じられ、調味料として使えるぐらいの濃い味なのでしょっぱさと相まって、飯が進む代物であり、カツオの内臓で作ったそれは酒が進むアテであり「酒盗」と名付けられている。塩辛といえば「イカの塩辛」が各種地方色もあり代表的だけど、沖縄では藻を食い始める前の腹が綺麗なアイゴの仲間の稚魚”スク”を飽和食塩水で丸ごと漬け込んだ「スクガラズ」なんてのもあるし、三陸他で食べられる日本版アンチョビー、カタクチイワシに塩ぶち込んで置いただけの「塩イワシ」なんてのもあり、洋の東西問わず保存しようとして塩ぶち込んだら、なんかしょっぱいけど良い味に熟れたモノになったという食べ方が存在するっていうのも当然の成り行きだとおもうけど面白い。マニアックなところではアユの内臓を使った「ウルカ」そのなかでも精巣だけをつかった「白ウルカ」、塩鮭作る時にハラワタを出したあと、背骨にこびり付いている背ワタ(腎臓)をスプーンでこそげ落として集めて作った塩辛「メフン」もヒンナだし、ナマコの内臓の塩辛「このわた」、シオマネキの塩辛「ガン漬け」などなど色々ある。東北在住時、スーパーとかでホヤの塩辛とかイサダアミ(ツノナシオキアミ)の塩辛とかいかにも三陸っぽい塩辛も売っていたのも思い出される。てなかんじで各地で様々な材料で作られてきたのが分かる。要するに沢山取れて塩漬けにしてみた、とか内臓が余ったので塩漬けにしてみた、とかが各地でいろんな素材でやられてきたっていうことなんだろう。懐かしのホヤの塩辛はあまり熟成をすすめさせたものではなく、浅い熟れぐあいで、プレーンのに加えシソ味、キムチ味とかあって、ホヤ自体大好物だったけど、シソ味塩辛はあれば必ず買うぐらいに良い味だったのも懐かしく思い出される。で、塩辛自体調味料としても使えるんだけど、ちょっと発展すると東南アジア圏のナンプラーやニョクマムのような魚醤に繫がる。震災で能登で作られるイカ内臓の魚醤である”いしる”の熟成タンクが倒壊して仕込みができないとか聞くと心が痛む。魚醤文化は遠くローマ時代にも見られたそうで「ガルム」とか呼ばれていたそうな。ということで、沢山獲れた魚が余ったら、内臓とかが加工で沢山出てきたら、内臓ならそのまま切り刻んで塩ぶち込んで熟成させてしまえばいい、切り身を使うなら内臓も混ぜるか麹の力とかを借りるかして熟成させてやればいいって話で、何を使っても悪いってことはなく、アカカマスの内臓でも作りたければ作って良いのである。
というわけで、カマスの干物を作って出てくる内臓を使った塩辛「カマスの酒盗」を作ってみた。カマスの干物作るときにワシの場合背中から開いて、鰓ワタ取って、残ってる⑥生殖腺、⑤浮き袋、④腸管をとって、最後に埋まってる心臓をつまみ出してって感じなんだけど、①の鰓は硬い骨があるのでコマセ用に回して、④の細い腸管は内容物をしごきだそうとすると切れてしまうのでこれもコマセ用にまわし、他の内臓を使う。
特に重要なのは②の幽門垂と③の胃だとおもっていて、ここに消化酵素とかが含まれていて、その分解能力で塩辛として熟成させる。特に幽門垂は硬骨魚に特有な腸と膵臓の消化液分泌能力を合わせたような器官であり肝臓じゃないけどキモだと思ってる。
⑦の肝臓の右下に胆嚢(苦胆)が写っているけど、肝臓ごと気にせず使っている。魚種によってはこれ潰すと苦くてどうにもならんものもあるけど、アカカマスの場合ちょっと苦みが入ってむしろ味わいが深くなるぐらいだと思っている。
胃袋は消化液を含んでいるのに加えて、食感も良い部位なので大事だけど、中に餌が入ってる場合があるので丁寧にしごきだして洗っておく。越冬群であり多くの場合空胃だけど、餌釣りの人が使ってる去シーズンから冷凍庫に入ってたキビナゴだのが入ってることはあって、それは食いたくないので手間だけど外せない工程。
そうやって、チマチマと原料を集めると、15匹分で3枚目写真ぐらいの量が集まる。塩辛って塩分量考えるとそんなに大量に食っていい食べ物じゃないので、このぐらいの少量生産でチョイチョイと箸でつつきながら飯を食うぐらいで良いんだと思う。適宜ぶった切って、柚子の皮なんかも刻んで香りづけに入れて、塩を15%ぐらいになるようにサバッと振りかけて混ぜる。容器は雑菌が付かないように煮沸消毒したモノが望ましいけど、プラの容器を再利用したので煮沸はダメだろってことで焼酎をちょっと入れて蓋して振って消毒して使った。塩分濃度は、ちょっと舐めてみてややしょっぱすぎるかな?ぐらいで材料から水分とかが染み出すと薄まってちょうど良くなる。塩辛い分には大根おろしに乗っけたり、大量の飯や酒で相手するなど何とでも対処できるが、塩分濃度が足りなくて腐敗した場合は目もあてられないので、塩辛は塩辛く作るべきである。干物は今時風に保存食というより食味重視で味がギュッと濃くなれば上出来程度の甘塩で一夜干し風に作って早めに食べているけど、塩辛は昔ながらにしょっぱく作ってます。そういう食い物だと思ってます。3日ぐらいたまに清潔なスプーンでかき混ぜつつ熟成させたら食べ始めて大丈夫。
できあがりの見た目は冒頭写真の様に魚屋のゴミ桶が腐ったような感じだけど、匂いに腐敗臭は無く、良い感じに塩辛っぽい香りになってきて食欲をそそる。ほかほかご飯に乗っけても、見た目は汚物っぽくてまったく”バエない”けど、味はまさに酒盗という感じで、浮き袋や胃袋のプニュコリ感といい、肝臓や幽門垂のドロッと溶けて濃厚でしょっぱい旨味も実にイイ味で飯が進むのである。
貧乏でも珍味を食って良いンです。むしろ無駄なく食材を利用するという点で、実に真っ当なビンボ飯だなと、自画自賛しております。塩辛作りは難しくはないので興味があればいろんな素材を使って楽しんでみてはいかがかとお薦めしておきます。
2023年9月30日土曜日
えっ貧乏人がカニを!?-ナマジのビンボ飯ノコギリガザミ編-
貧乏人にはカニを買うということは贅沢だろう。しかし、その貧乏人が川のそばに住んでいるなら、ハゼやらセイゴやらを釣りに出かけるような釣り人なら、川の下流や河口域で出会うわりと美味しい獲物であるモクズガニやらノコギリガザミ類やらに遭遇する機会はそこそこあるのではないだろうか?ノコギリガザミはややレアキャラだけど、モクズガニに関しては秋に川から産卵のため河口部に降りてくるので、釣り場で遭遇する機会も多いだろう。ワシも年に何回かは夜シーバス釣ってて”今日はモクズガニよく歩いているな”と思う日があるぐらいで、拾って食ってしまえば贅沢でもなんでもなく、タダで手に入ったご馳走である。モクズガニって美食家の中国人が目の色変える”上海ガニ(チュウゴクモクズガニ)”の親戚でっせ。
ただ、カニというとズワイガニやらタラバガニといった、脚を食うタイプのカニの、脚だけで冷凍で出回っているのしか食べたことがない人から見ると、ノコギリガザミをはじめとしたワタリガニ系やモズクガニのような脚が細いカニについては「爪ぐらいしか食うところがない」と舐められている気配がある。
カニ好きの人からしたら、脚の冷凍流通が主でミソも楽しめんカニのなにが楽しいんじゃ!って話で、カニの食べるところは脚だけじゃないっていうのは常々思うところであり、そのへんの脚の細いカニを食う際のお作法について、今回はひとくさり書いてみたいと思うのである。
今回手に入れたブツは、メッキ釣ってて見つけたのでルアーをガシッと抱かせて、外からの攻めにはめっぽう強いその攻殻も、体の内側?から攻めれば関節の裏の殻の薄い部分とかハリが掛かる攻めどころはあり、そこに掛けてしまうという、カニのルアー釣りとでもいうような方法で運良く手に入れたものである。日本で見られるノコギリガザミには3種類いて、コイツは目の間のトゲが正三角形ぐらいの尖り具合で、ハサミの下の節のトゲが1本長く目立つことからトゲノコギリガザミと同定した。ノコギリガザミ類は南の島や東南アジアではお馴染みで、マングローブクラブとか呼ばれて、強力なハサミを無力化するために麻縄とかで縛って売られていたりする。国内でも沖縄のような南の島はもとより、大平洋の黒潮がブチ当たってる地域では産するようで、高知や静岡の浜名湖あたりでは珍重されているようだ。
デカくて食いでがあると同時に、ハサミがでかくて強力で、このハサミ対策がノコギリガザミ類を食う上では重要になってくる。なにしろ二枚貝を割って食うというそのハサミはデカくてゴツゴツしていて、指でも挟まれたら大ごとで骨砕かれかねない。
釣り場から持ち帰るのに、とにかく袋なりバケツなりに入れてしまうにしても、ハサミ振り上げて「いつでも挟んだるデ!」と威嚇してくるのでやっかい。今回なんか挟ませておいて、そのすきにウリャウリャとカタをつけてしまおうとしたけど、そこら辺に落ちていた木の枝では、カシュッと挟み切られてしまって全く用をなさなかった、挟ませるなら金属やら石やら堅いモノを挟ませないと意味がなさそう。今回はなんとかひっくり返してハサミ脚を踏んづけたりしつつ、どうにか手ぬぐいで包んで結んで運べる体制とした。ゴミバサミみたいなのを用意して、蓋付きのバケツ系の入れ物にぶち込むとかが一番手軽で楽かも。ただ、釣りしているときにそんな装備は持ってないけどな。 持ち帰ったら、同定作業で写真撮りつつ、縛ってある間に目方を測ったところ725gと、この種にしては大きいというほどの個体でもないようで、デカいと1キロ越えるそうだけど、それにしたって充分デカい。とりあえず調理に使うナベに薄い塩水入れて活かしておいて、しばしネットで調理方法などを検索して調べる。まあ、塩茹でするなら他のカニと一緒だし調べるまでもないんだけど、大きいのでゆで時間どのぐらいかなという目安は調べておきたかった。
調べてみると、塩茹でより”蒸しガニ”を薦めている方がいて、蒸した方が塩茹でのようにゆで汁に美味しい汁が溶け出すのが少なくてすみ、ミソの周りとかに白く固まるタンパク質のエキス分とかの歩留まりが多くてそれがまた美味しく楽しめる、とのことでちょっと旨そうだなと思ったので、今回蒸しガニに挑戦してみた。まあ、蒸すだけなんだけど、蒸し時間はさすがに大きいカニなので30分程度蒸しておくのが無難なようで、30分でいく。と同時に、ノコギリガザミに特有なのかガザミやイシガニついでにイセエビではあまり気にしたことがなかったんだけど、生きてるのを直接蒸したり茹でたりすると、脚を自分でトカゲの尻尾切りみたいに落としてしまう”自切”が多いので、氷水やらで締めてから調理した方がイイとのこと。半信半疑で氷と保冷剤で攻めてみたが、これがなかなか弱らないのよね。
30分がとこ冷やして、ちょっと触ったらカニ自体も冷たくなってて、大丈夫かなと魚バサミで移動させて蒸し器セットして載っけようと思ったんだけど、氷除けたら普通に暴れ出して、なんとかペットボトルの首根っこを挟ませて、ひっくり返して腹側に保冷剤乗せてさらに氷攻めすること数十分。それでも締まらんがな。とはいえ動きは明らかに鈍くなり、ひっくり返して鍋の蒸し器の上に載せるぐらいはできそうになってきたたので、腹も減ってて待たされるのもいいかげんつらいので、このぐらいでもういいやと手を打って蒸し始めた。 蒸し器はあらかじめ湯気がシュンシュン出てる状態に温めておいて、カニの両のハサミを持ってバンザイさせつつ、ひっくり返して入れる。当然暴れてハサミとか振り回すけど、蓋で押さえる。どっかの国ではエビカニを料理するとき生きたまま鍋に入れるのは残酷な行為であり違法だとか。まあ残酷だけどさ、生き物食っちまうっていうのはそういうことでしょ。氷締めで殺そうが、釜ゆでで殺そうが食われる側からしたらどっちもイヤだろう。どうせ食っちゃうんだからあんま気にすんなって話だと思う。バカくせぇ。そして事前情報どおりハサミ脚を除いて脚を自切しまくる。見事に全部落ちた。
この時にカニをひっくり返しておくと、美味しいエキス分が、落ちた脚の穴から流れ出る量が少なくて済み、甲羅の中に溜まって熱で凝固するということらしい。
茹で上がると甲殻類の常で、シャア専用な感じに赤くなるんだけど、ところどころ泥かぶってて事前に洗いたかったところだけど、蒸す前に無力化することができなかったので仕方ない。開高先生が、アマゾン釣行のおり泥だらけのカニ「カランゲージョ」を前にたじろぐ一行に「この泥を見て唾が湧かないようではダメだ」ってなことを言ってたようにおもう。おそらくベトナム取材時とかに”マッドクラブ(泥ガニ)”とも呼ばれるノコギリガザミ類での経験に基づく経験則だったんだろう。曰く”旨い牛を育てる牧草に相当するのが、このカニの場合泥である”とかなんとか。開高先生明らかにカニ好きで、アラスカのダンジネス(イチョウガニ)やニューヨークのブルークラブの脱皮したてのソフトシェルクラブ、冬の日本海の旅館でひたすらズワイガニとか色々ネタに書いておられたのを想い出す。ということで、多少泥かぶってるのを見て唾が湧かないようでは”カニ喰らい失格”だ、ぐらいに思っておこう。
さーてではいただきますねっ♡(←「ナマジのブログ」史上初のハートマーク)喰うんだけど、丸かじりするわけにもいかんので蒸してる間に色々と用意いたしました。段取り大事。
三杯酢をちゃっと用意して、ハサミが必要なのは当然ながら、蟹の方のハサミが道具の方のハサミで切れそうな代物では全くないので、ペンチでへし割る方針で道具箱からスプリットリングプライヤーを選択、あとはガラ入れのボウルと手を拭く濡れタオルぐらい、蟹の身をほじくるのにそれ用のスプーンとかあるけど、我が家にはないのでほじくるのは普通のスプーンがミソ用で他は箸と指と唇と舌でほじくる。
まあこのハサミのなんと立派なことよ。閉じた状態で隙間ができるのは、間に貝とか挟んだときに割りやすい形状なんだろうか?ペンチ型の”クルミ割り”なんかも隙間があってクルミを挟んで割る方式なので、ある程度挟みつける部分が閉じて力がかかりやすい状態で、貝なりクルミなりを保持して割るための収斂した形状で同じような原理だろう。右と左でハサミの形状が微妙に違ってて、たぶん上の写真で左側になってるハサミがゴツくて”貝割り”担当で、右側が摘まんで口まで運ぶ担当とか役割分担というか利き腕?があるんだろう。まあどっちも挟まれたらただでは済みそうにないけどな。締まった状態で隙間があるので指がちぎれることはなさそうだけど、骨ぐらい割られそう。
まあ貝殻ブチ割るハサミが貝殻よりヤワなわけなくて、ハサミでは切れん。ペンチ用意しておいて正解。バキバキ割っていくと、ぎっしり筋肉という名の”身”が詰まっていて、とりあえず左右の爪が序盤戦の山場なのは間違いない。味はまあカニなので普通にとても旨い。もちろん爪に続く関節も割ってほじって美味しくいただいていく。脚も細いとはいえ全体的に大きいのでそれなりに身は入っててこれも割ってほじって食べる。
そしてここからが、今回”蒸しガニ”にしたので一番お楽しみのカニミソとなんかエキスが熱で凝固してベロベロした部分に突入する。表向けていたカニの甲羅を下にして、甲羅と脚やら褌の根元やらの継ぎ目を外す感じでベシベシと押してやって、脚の側をベリベリッと甲羅から外すと甲羅にミソの一部とタンパク質なエキス分が熱凝固した白いべろべろが残り、脚の側にもミソの大部分と白いべろべろの一部が付いてくる。ミソは巨体のわりには多くなくてちょっぴり残念だったけど、白いベロベロは狙いどおり沢山できていて、これが塩茹でだとしょっぱすぎたり、苦みが出てたりするんだけど、蒸しで塩分添加無しだと良い塩梅の塩加減で、プルプルとカニ臭いゼラチン質のなんだが下品な旨い物質を結構な量堪能できた。スプーンの出番はここだけで、甲羅の端の方に入ってるのとかもこそげ落として食べたい。スプーンでこそげ落としきれなかった部分は、ミソもプルプルも舐められるところは舐めまくってしゃぶりつくして下品に楽しんでしまうと良いと思っちょります。
で、ここまで食べると、後残っている可食部は冷凍の脚だけ食ってる民草は知らんだろう、胸(カニの胸がここで良いのか、脚の付け根だからむしろ尻なのか)の肉で、これが結構な量ある。10本の脚を支える胸だか尻だかに相当する部分だからあたりまえっちゅえば、当たり前。鰓が乗ってるんだけど、鰓はガサガサした繊維状のしろもので食べられないので取っ払うと、その下に筋肉がつまった薄い殻で覆われた部屋的な部分がドカッと鎮座している。
南の島では、脚付きで脚一本ずつにあわせてこの部分を切り分けて、中華風にチリソースで炒めて饗されることが多い。
ここは肉量多い反面、筋肉の間に仕切りが入って”部屋”状態になってるので、その部屋から筋肉を引っ張り出すなりなんなりして食べる必要がある。ただこの仕切りは体の中にあって外側の甲羅みたいに堅くなく、ハサミで切れるし、手でむしれる場所もあるので下の写真のように上手にむしってやると、身がボロッと取れてくる。ただ、全部はなかなか上手にむしりきれるモノではないので、適当にハサミで分解してしゃぶりついて舌も使って身をほじくり出すか、歯で齧り付いてやっぱり舌でベロベロほじくり出すかして殻だけペッペと吐き出すことになる。
というお作法でぺろりと完食。大変美味しゅうございました。あれだな塩茹でじゃないせいもあるのか、味はけっこう淡泊。泥臭さとかは皆無。肉量はタップリで食いではガッツリで食糧としては極上の部類ではないだろうか。ご馳走様でした。で、今回の課題の一つが、脚の細いカニも食うところいっぱいあるよというのをお示しすることであり、それなりに写真も使ってご説明したつもりだけど、今日日なんでも”エビデンスを示せ”とうるさい世の中で、エビやなくてカニじゃ!と言いたくなるところではありますが、数値データで示すのが客観的で根拠としては分かりやすかろうと言うことで、食べきった後のガラの重さを測って、725gのうちどれだけワシの胃の腑に落ちたか、まあ蒸してる段階でチョロッと外に漏れたエキス分もあるかもだけど、そこはたいしたことないだろうから無視して(蒸しガニだけに)ガラ入りのボールが414g引くことのボールが122gでガラは292g。725g引くことの292gで、都合433gの肉とミソと白いベロベロを食べたことになります。普通バーベキューとかするときに、日本人だと肉は一人350g計算で大丈夫と聞いちょります。400g超の動物性タンパク質の摂取は腹一杯満足の数値だと客観的に言えるのではないでしょうか。歩留まり的にもおよそ6割で、魚でもだいたい6割と言われてるので悪くはない。これで食いでがないとは言わせんぞ、どやっ!
ということで、専門的に狙うんでもなければ、たまに機会が巡ってきたらボーナスチャンス、的なご馳走ではありますが、次回も機会があったら挟まれないように気をつけてモノにしたいと思う所存であります。
2023年8月19日土曜日
失われたアジを求めて-ナマジのビンボメシ豆アジミキサー編-
豆アジ料理において”必勝パターン”だった、揚げ物からの南蛮漬けの流れは、健康診断でお医者さんにコレステロール値が高いので揚げ物控えるように指導を受けて、お客さん来るときとかを除いて封印、新必勝パターンとしてはちょっと”背ゴシ”で食って残りは酢締めというものになった。とはいえ5月後半から2ヶ月以上食い続けてると飽きてきたことは否めない。飽きて「また今日も豆アジ酢締めかよ」と思ったとしても、食い始めると旨い旨い!と食ってしまうにしてもだ。
ということで、新たな豆アジ料理のレパートリーを増やさねばと知恵を絞ってみた。煮付けとか塩焼きは豆アジだとイマイチで骨が中途半端に気になって外すのは面倒臭いけどそのまま食うにはジャマ。そう考えると揚げるのも酢に漬けるのも、骨ごといくには理にかなってる。高温や酸で骨を気にならない程度に柔らかくしてしまってるわけだけど、その他になにか骨対策はないのだろうか?ちなみに豆アジ釣ってくると100匹とか料理することになるので3枚おろしするような料理法は無理。揚げるときは胸ビレのあたりに爪立ててムシッとむしると鰓と腸が取れるのでその後調理、酢締めの時は後頭部にハサミ入れておいて頭をむしると腸ごと取れるので、100匹下処理しても30分かかるかどうかである。
頭取って骨ごとザクザク切って酢をかけて”背ゴシ”は旨いんだけど、2,3日持たせるような保存性がまるでないので、沢山釣ってきてまとめて料理するには向いていない。背ゴシから包丁2本でチタタプして”ナメロウ”状態にしてしまえば、ハンバーグ風とかに火を通して保存食化も可能だけど、100匹からの量を毎回一人でチタタプするのも手間食いすぎだよなと思ってたけど、現時点のワシにとってそれは全然手間じゃないということにハタッと気がついた。
ワシ、そういえばアジの頭粉砕してコマセ原料にするためにミキサー(フードプロセッサー)買ったやんけ!アレ使えば酢締めの時みたいに頭と腹だけ取ってチョッパーモードのミキサーにぶち込んでギュィーンと回してやればいいだけやン。と気がついた。デカいエソを釣ってすり身汁というのは密かに狙ってたけど、豆アジでやっても絶対旨いはず。
ということで早速やってみた。最初の写真なにやってるのかというと、水を入れて凍らせたペットボトルで流しを冷やしているのである。豆アジの時期は夏なのでというのもあるけど、小さい魚って温まってしまいやすく、それはほぼ痛みやすいことと同義である。なので、釣ってこれまたペットボトルの氷で冷やした海水の入ったバケツにぶち込んで”水冷式”でさっさと魚の温度を下げてしまったら、保存から料理までなるべく温度を上げないことに留意する。どこか途中で一回温度が上がるとその後再度下げたとしても、上がるときと下がるときの往復の時間高い温度にさらされることになり、鮮度低下の早い青魚とかでは、せっかくの産直トレトレのはずの魚がグズグズになってしまいかねない。なので神経質にも、流しに魚をぶちまける前に流し自体を冷やしているのである。
で、下処理としては頭とハラワタを取っていくんだけど、今のところハサミが一番手早く作業できる。このときもなるべく触らないように、冷えた流しの上を滑らせつつハサミを入れたら魚を保冷剤のある方に移動させていく。ハサミ入れるのは切れ目が入ったら背骨まで突っ込んでパチンと切る感じで、あんまり大きく切りすぎると今度は腸が頭と一緒に取れてこなくなるので、良い塩梅、最小限のハサミの入れ方を手におぼえさせる必要がある。
最後、後頭部の切れ込みに親指突っ込むようにしてむしると頭に胸ビレと腸がくっついて取れる。取れたら保冷剤やらペット氷の上に積んでいく。このとき手で握らざるを得ないんだけど、なるべく握ってる時間が少なくて済むようにと試行錯誤した結果、今のところ2匹掴んで連続でむしるのが早い。ってな感じでとにかく原材料があったまらないように時短を意識して、今回80匹だったけどそのぐらいは30分掛からないぐらいで終えたいところ。
でもって、下処理が終わったら間髪入れずにミキサーにかける。今回80匹一気にはできそうになかったので、半分づつギュイーンとやってみた。スリ身に添加が必須なものはなにかお分かりだろうか?今回できるだけ素の豆アジスリ身の実力を知りたかったので、それ以外は入れていない。
まあこのブログ読んでくれてるような玄人衆にはいまさら説明するまでもないかもだけど、塩である。
すり身と言って想像する製品「カマボコ」だの「竹輪」だのの弾力は、塩が魚肉のタンパク質(アクトミオシン等)を溶かしだして熱でゲル状に固めることで生じるので、塩の添加は必須。
ただ、魚の種類によって弾力が出やすい魚、エソ系やらスリ身の大正義スケトウダラやらもあれば、弾力でず元々まとまりにくい魚種もあったり、そういう魚種ならいざ知らず、鮮度が良くなくてアクトミオシン等が少なくなってるのをつなぎの澱粉添加やらでごまかした”粉っぽい”製品もあったりする。マアジはそれほど弾力性出ない印象だけどどんなもんだろう。一回目はジップロックに入れて冷凍保存。冷凍後の品質の変化も見ておきたい。”冷凍スリ身保存”は、それこそ鮮度落ちが早すぎてまともな売り物にならなかったスケトウダラが、一躍重要魚種に躍り出た北海道水試開発の”船上凍結すり身”が水産加工流通に革命を起こしたぐらいに有用な技術なので、豆アジスリ身が冷凍で品質落ちなければ非常に使えるので大いに期待。
で二回目は一回目回したときに、頭と腸をミキサーにかけるのと違って身と皮と骨をミキサーに掛けるのはエラい粘りが強くて、ミキサーちょっとうなり始めるぐらいだったので、塩に加えて酒(焼酎甲類)をちょっと加えてゆるめてみた。で2回目はすぐにすり身汁にぶち込むつもりでいたんだけど、そういえば塩加減テキトーで全体に回りゃいいやぐらいでまったく味見してなかったので、塩気足らなかったら足そうかなとスリ身の状態で味見してみた。当然刺身にできる鮮度の魚なのでスリ身食っても食品衛生的には全く問題無い。
塩味はちょうど良かった。どころの騒ぎではない。この状態で滅茶苦茶旨いんでやがる。
ワシ高校出るまで実家暮らしで、とーちゃんカーチャン2艘曳き状態で共働きだったんだけど、食事はバーちゃんが作ってくれていた。そんなバーちゃんに生きている間に作り方教えてもらっとけば良かったと悔やんでる魚料理がいくつかあって、そのうちの一つに、なんか叩いたアジとかイワシとかに生姜すり下ろして酢をかけて食べているのがあって、当時育ち盛り肉食系男子だったナマジ君には旨そうに見えなかったので食べなかったけど、後年あれは旨かったんだろうなと思って、再現してみようと背ゴシの延長かなとアジを細かくチタタプして生姜と酢で食べたけど、塩が足りなかった気もするし、頭も入れた雑味がキツすぎたようにも思うけど今一ピンとこなかった。でも、たぶん正解はこれだ!頭とハラワタ抜きで骨ごとスリ身状態の魚に塩が入ってる”塩味ナメロウ”的なモノに生姜と酢で劇的に味が決まった。塩は魚のスリ身から弾力の元になるようなタンパク質を抽出し溶かしだす、と同時に当然旨味の元になるアミノ酸やらも抽出し溶かしだしているのだろう。マアジは味の良い魚で通ってるけど、その味が身の中に隠れてるんじゃなく染み出してきてしまって口の中に広がっていく感じといえば、多少は伝わるだろうか?料理の味と女性について書ければ物書きとして一人前だそうだけど、ワシの筆致では書き切れそうに思えない。でもあえて、一言で分かりやすく書こうとするならコレは”人間用のチャオチュール”である。これで少なくとも猫ッ飼いの人には伝わっていると嬉しい。
思わぬ大収穫という感じだが、すり身汁も当然のように旨かった。サンマスリ身のようにボロボロと崩れるならつなぎに卵白とか入れた方がイイかなと思ってたけど、思いのほかしっかりとまとまって弾力もあり、つなぎは不要な気がする。スリ身の味付けに味噌入れたり、ネギ入れたりで変化つけてもまったく問題無さそうな感じ。ワシ、ちょっと骨が残ってるくらいの粗挽きが好きだけど、たぶんミキサーしつこく回してやれば気にならなくなる程度に骨も粉砕できるはず。すり身汁でこれだけイケるのなら、豆アジハンバーグ的な焼き物とかも充分イケそう。 これで冷凍スリ身がイケるようなら完璧である。冷凍したスリ身を調理するときは、包丁が入る程度にちょっとだけ解凍してやって、ザクザクとサイコロ切りにしてグツグツ煮えてる鍋に投入でOK。へたに完全に解凍してしまうと自己消化とか始まって鮮度が落ちる方向に行くので凍ったままぶち込むぐらいの感じで良い。そうすると期待したとおり、弾力もしっかり出てまとまりも良く味も良く、合格という感じに仕上がった。
ミキサーって以前も書いたかもだけど結婚式の引き出物とかにもらって、最初珍しくて使うけどすぐ飽きて、物置に放置されがちだと思うけど、料理に使うと意外に捗ります。って調理器具だから当たり前か?
基本我が家ではコマセ用のマアジの頭と腸をミンチにする仕事を任せていて、もう包丁2本でチタタプには戻れないぐらい重宝しているんだけど、料理につかうとまたこれが良い仕事してくれました。
ご自宅の物置に放置されたミキサー、フードプロセッサーの類いがございましたら、刺身にできる鮮度のアジとかで塩入れてスリ身作って”人間用チャオチュール”の美味を是非味わってみてください。アジはなにやっても旨いって話ではありますが、これはなかなか衝撃的に美味しいと思います。お薦めします。