2014年8月31日日曜日

魚釣りでゴミしか釣れないという描写で釣れるゴミの定番は長靴と手袋だが私は手袋しか釣ったことがない

15年以上前、ロウニンアジを釣りに行こう!ということになって、ロッドとリールを手に入れた。今も使っているGIANT86Tと7500SSである。PEラインも巻いて早速海岸にキャスティング練習に出向いた。
 小1時間も投げただろうか、手の平の皮が豆がつぶれてベロベロに剥げた。

 釣り用のグローブについては雑誌の釣行記やビデオなんかでは、フィッシャーマン社製のとかを使っているようだったが、ファッションで格好いいからしているだけで意味はないのかと思っていた。手の皮剥けまくって、GTタックルクラスを扱うにはグローブが必須だと理解してフィシャーマンのグローブをとりあえず買った。

 結構丈夫で、甲の部分がメッシュになっていて汗かいても蒸れずに良い塩梅だったが、いかんせん高かった。他の釣り具メーカーのものもそうだが、まともなメーカーの釣り用のグローブは3000円以上とか割と高価であった。たまにしか行かない遠征用なので多少の出費は良いかとも思うのだが、「割と軍手でもいけるし、ホームセンターで売ってる革手袋はもっと良いよ」という話も聞いて、フィッシャーマンのグローブは同居人用にして、革手袋を買ってみた。これが思いのほか使い心地が良かった。通気性、通水性がイマイチだったけど「しっとり」とちょうど良い塩梅の滑りにくさでロッドやリールを握れて、耐久性もかなり良く丈夫。何年も遠征を友にした。だんだんくたびれて穴が繕っても追いつかなくなって、新しいのに買い換えた。
 ところが、買い換えたのが失敗で、つかみやすさとかの性能は問題なかったけど、オレンジ色のを買ったのだが、その皮を染める染料が人の皮もよく染めてくれて、濡れると特にひどく、使って2,3日手がオレンジ色に染まった。
 
 再度、染色していない革手袋を買いに行くと、ちょうど良い製品が棚に無く、隣に合成皮革の日曜大工用グローブコーナーというのがあって、はめたままでもボルト拾ったりできるフィット感とか書かれている商品があって、耐久性はともかく使い心地は悪くなさそうなので、ものは試しと買ってみた。
 写真で確認すると2007年から使っている。遠征とカヤックの釣りに使っているが、6年以上使ってやっとラインを引っかける右手人差し指に穴が空いた。
 耐久性も充分である。
 空いた穴は繕ってしばらく使うが、そろそろ崩壊するのも見越して、次のを買っておくべきと思って、似たようなのを買って来て、遠征前に試したのだが、これが意外に同じような感触ではなく、グリップが良すぎて滑らず逆に回転するスプールに巻き込まれそうで怖い。

 意外に微妙なものなんだなと認識し、まあ1000円しない程度の安い製品だし、もう売ってないかもとは思いつつも、検索かけてみたらヒット。やっぱりいい製品は売れ続けるということか。
 MITANI社の「Mテック」というシリーズである。
 実用品なので黒しか色がラインナップされていないけど、ちょっとコジャレたカラーで釣具屋で売り出したら席巻しちゃいそうな品質。値段と性能のバランスが良い塩梅。

 見た目にこだわらないのなら「Mテック」お勧めします。
 こういう実用品っぽいオシャレっぽくないのが逆に男臭くて一周回って格好いいような気も若干してます。

2014年8月24日日曜日

足もとをかためる

  渋谷のハチ公前のスクランブル交差点は、初めて来たときも衝撃だったが、その後もいつまでたっても田舎者には慣れることがないというか理解できないぐらいに人が多い。
 普段利用している渋谷の釣り具屋群はハチ公前と逆側なので、そこまで人が多くない。人混み苦手な私としてはハチ公側には行きたくないのが正直なところ。

 だがしかし、土曜は意を決して渋谷センター街に突入して来た。
 靴屋が何件もあって靴を探すならここか神田のスポーツ店街だと思う。

 最近は何でもネットで売ってて通販利用が多くなっているが、先日、懸案の船の上で履く用にボート用っぽいアディダスの靴を通販で買ったら、ちょっと履き心地に不安を感じるところがあった。最近は履いてみてサイズが合わなかったら返品や交換可能なネットショップも多いが、履き比べていいのを探すにはやっぱり実店舗が話が早いだろうということで行ってきた。

 写真のニューバランスのは、足の幅が広い私にもちょうどいい形で、裏面のパターンも滑りにくそうだし、濡れてもメッシュで乾きやすそうなのでいくつか試し履きしたなかから一番良さげだろうと買ってみた。これと、先日買ったのと両方試してみたい。
 靴底にゴム系の素材が使われていた昔は、黒の靴底は甲板上に黒い跡がつくので船の上では履かないのがマナーだったけど、最近の素材はあまりそういうことは気にしなくていいのか靴底の色がどうこうという話は聞かなくなった。

 これまで船の上で履く靴はずっとキャンパス地のデッキシューズを愛用していた。安いし、ぺったんこにしたら持ち運び楽だし、木の板やFRPの甲板上で滑りにくいし結構乾くのも早いしで、デッキって甲板のことじゃないかと思ってるんだけど、だったらデッキシューズでイイじゃんと思っていた。

 ところが、ここしばらく遠征時デッキシューズを履いた後に靴ズレがひどい。親指の付け根のあたりと親指の爪が痛くなる。昔同じ靴を履いていても平気だったので足の形が変わったのかもしれない。
 ということで代わりの靴を探していたが、なかなかにこれが悩ましい。
 滑りにくいことだけを考えれば、テニスシューズとか底のパターンがあまりデコボコしていないスニーカーが良いと思うけど、濡れることを想定すると乾きにくそうでいまいち。
 いっそサンダルというのも有りかとも思う。沖縄で漁師サンダルとか呼んでるタイプのゴム草履でもクロックスでも涼しいし、滑らないし、濡れても大丈夫。
 ただ、漁師サンダルは指が外にでているのでぶつけたり、魚が船上で暴れたときとかに怪我する可能性はちょっとある。まあ気にするほどでもないけど。あと、玄人っぽいアイテムなので私ごときが履くとちょっとあざといというか生意気な気がする。
 クロックスは性能的には問題ないと思うんだけど、なぜか生理的にだめだ。玩具っぽい見た目がイヤなのかなんなのか、人様が履いている分にはなにも感じないが、自分が履いているところを想像すると嫌悪感が走る。ややこしいオッサンである。

 で、今回買ったような水遊び用の靴を選んだのだが、水遊び用のでもちょっとした磯遊びを想定した物だと、靴底のデコボコが大きくて甲板上で滑りやすいのがある。カヤック乗るときに使っている物は、試しにシイラ釣りで使ったときに波で揺れる船上で滑って踏ん張れずに転んでいる。

 足の形さえ幅広の変な形でなければデッキシューズ履き続けて悩まずにすむのだが、靴は足にフィットしていないと結構地味に靴ズレでダメージを食らうので悩むのである。いっそ裸足でやるか?とも思ってしまう。

 でもって無事靴をゲットした後は、Tベリー、J屋、Sスイと釣具屋巡りをし105LBのショックリーダーをゲット。ついでにJ屋の隣のドラッグストアでフェイタスを買っておいた。

 遠征の旅では毎日ひたすら釣って、帰ってきたら飯食ってストレッチして湿布貼って寝て、という日程を繰り返す体育会系の合宿みたいな日々が続く。最近湿布はフェイタスがお気に入りである。腰が痛い手首が痛いとぼやきながら、毎日漁に出てしんどい漁労作業に従事する日々。
 仕事であれば結構な給料もらえるようなハードワークだが、釣り人は金払ってやっているのである。

 いい加減疲れて船上で転がって寝てるのに、「いいジアイだからサボらず投げんかい!」とたたき起こされたりすると、南の島にバカンスに来ているのに「ここは蟹工船か?」とか頭によぎるのであった。

 そういうのも含めて、遠征の釣りは楽しいんである。

2014年8月17日日曜日

GTチャーマス90H

 チャーマスこと北村秀行氏が愛用していた、その名を冠する今は無きザウルス社製のジギングロッド。
 ジギングロッドはショートロッド派が多いと思うけど、チャーマスはジャークスピードを稼ぐためにロングロッド。今もCB-ONEから出しているロッドはセンター2ピースの長めのものだったと思う。自分の確固たるスタイルがあるっちゅうのは渋い。

 で、この竿で何を釣るかというと、実は釣り場に持っていく予定がない竿なのである。
 でも、すごく重要な竿だと思い初めている。筋トレ用に使ってます。

 最初買ったときは、遠征用メインロッドのGIANT86が穂先も折れたし、後継のロッドというか当面のサブロッドが欲しいと、いくつか候補を物色していたときに中古で見つけて安かったので確保したものである。センター2ピースで携行が楽でジギング用とされているけど持って行ける竿の本数が限られる遠征先でキャスティングの釣りもこなせちゃうような汎用性もある。
 結局後継のロッドは3ピースで良い塩梅のゼナックのルーフ83に落ち着きそうなので、必要なくなって中古屋に売りはらうかと思っていたが、そういえばダンベルつるして筋トレする用のバッタモンの中華ジギングロッドがしばらく前に永年の酷使に寿命が切れたのかポッキリいったので、その代役にちょうど良いと使い始めた。

 魚かけてリフトアップする筋力を鍛えるために、まあ普段はダンベル10キロ両手に持ってスクワットしてたりするのだが、実際にタックルセットしてジンバルも付けて筋トレするのが実戦を想定したトレーニングとしては望ましいように思っている。
 ので、9月のクリスマス島行きのチケットもおさえた6月頃から、月曜V字腹筋、火曜日ダンベルスクワット、木曜膝曲げ腹筋の通常メニューに加えて、水曜グリップにリール付けてキャスティング素振り、金曜にこのロッド使ってのリフトアップ練習を追加している。

 実際に使う竿でトレーニングすればいいんじゃネ?と思うかもしれないけど、6キロドラグとかでぎっちり曲げて毎週リフトアップ練習すると、遅かれ早かれカーボンの繊維が切れていって折れる。さすがに遠征用のメインロッドを折れるまで練習に付き合わせるわけにはいかない。
 ということで、先代は折れてもかまわない安竿を使っていたし、今回もだいぶバットの塗装にクラックはいっているようなくたびれて値段の安い中古竿にトレーニングに付き合ってもらっている。

 しかしながら、多少くたびれているとはいえ良い竿は良いと感じる。
 6キロドラグでティップがまっすぐ入って、バットが曲がって負荷を受け止める感じとかに痺れる。ちょっとダンベルトレーニングでは無いような興奮を覚える。デカイ魚がかかってこうやって、ぎっちり竿が曲がるのを腰を入れて腕を伸ばして耐えて、魚がこっち向き始めたらバットに重量を乗せて運ぶ感じで寄せてくる、なんてイメージが勝手に湧いてくる。ロングロッドの気持ちよさがこのロッドにはあると感じる。トレーニングも楽しくて捗る。

 私なら、塗装にクラック入るような激闘を友に闘ったロッドを中古屋に売り払ったりしないと思うが、まあ縁あって我が家に来たからには、折れるまでトレーニングに付き合ってもらおうと思う。

 機会があれば実際に魚も釣ってみたいと思いはじめるぐらいに気に入りはじめてもいる。

 ここ数日寝込んでいたので筋トレサボってしまっていたが、だいぶ復調したのでとりあえずこのロッドを使ったトレーニングから再開した。竿握ると、ちょっとアドレナリンも出る感じで良い塩梅である。

2014年8月10日日曜日

無人島の課題図書

先日、無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?という話題を書いたすぐ後ぐらいに、「無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?というよくある質問はくだらない」という意見を目にした。
 まあ、あんたがそう思うんならそうなんだろうな、あんたの中ではな。という感じだが、こういう他愛もない問いに、切り返しで面白い答えが聞けたりする妙味というのが分からない人間を私は哀れむ。
 実用性のない遊びを楽しむ素養が欠けているか、まわりに面白い答えを返してくれる人がいないのだろう。
 読んでる本がビジネス書とか実用書ばかりで、気の利いた答えを読んだことがないのかもしれない。

 前回もらったコメントにあった「有毒植物図鑑」というのも、生き延びるために実用的だと思う反面「絶望して死ぬときにも実用的だ!」と物騒な連想をして暗い笑いを楽しんだが、この問題の答えで記憶に残るぐらいの名作は、開高先生と中島らも先生のが双璧である。私の中ではな。

 開高先生は「旧約聖書」だそうである。開高先生無神論者で葬式も宗教色を廃したものだったと記憶しているので宗教的な理由ではない。あらゆる物語の原型が読み取れる、しかも2000年を越えて読み継がれるだけの「面白さ」があるというところが選定の理由だろうか。もし旧約聖書が面白くなかったら、2000年を超えてキリスト教は布教できなかっただろう。基本宗教の教え的なモノは信者獲得できるぐらいにスペクタクルやドラマに溢れた面白いモノでないとダメだと聞いたことがある。
 海を割って歩いたとか、ライオンを素手で引き裂いたとか、どこの少年漫画の主人公や?というぐらいに中二病的な活躍をしてくれる登場人物続出の冒険の書。

 開高先生は「一冊」縛りでは他に、旅の友の一冊として百人一首をあげていて、若い頃は「一首ごとに言葉ごとにいろいろと連想して楽しむことができる」という選定理由にもイマイチよく分からんと思っていたが、歳くって田辺聖子先生の百人一首の解説本など読むと、開高先生ぐらいの知識人だと、一首読めば、関連して想起される事項は物語を形成するぐらいに沢山あって、そういうふうに文字を追いながら連想を楽しんでいたんだろうなとなんとなく納得がいくようになって味わい深い。
 その開高先生の小説を「日本語の語彙が豊富だから」という理由で、持って行ける荷物に限りがあるカヌーツーリングの友に野田知佑先生が選んでいたなんていう連想も楽しい。

 らも先生は、いろいろと候補を並べて悩んだあげく結局「何も書いてない原稿用紙」という回答だったと記憶している。物書きとしての矜持が感じられる回答でこれまた味わい深い。物書きだから、本なら読むより書いた方が暇がつぶせるという意味だと思うが、オレが書くのが一番面白い、という思いもチラリと見て取れる気がする。

 私はこういう面白い回答に出会ったので、無人島本問題はたしかに「くだらない」かもしれないが「つまらない」とはまったく思わないのである。

 で、写真のブツであるが、キングジム社製「ポメラ」である。折りたたみのキーボードにディスプレイが付いた「電子メモ」とでもいうようなものである。らも先生に倣ったわけじゃないけれど、南の島でものを書こうと購入した。
 文字読む機械としては既にキンドルを愛用していて、何十冊という本を旅の友として持って行ける性能には非常に満足しているが、移動時間や待ち時間の時間を潰すのにどうせ帰ってから書くことになる「顛末記」を書く機械があると良いなとは感じていた。

 最近物忘れが激しくて、昔は釣りの記憶なんてのはその日の釣り全部後から詳細に頭の中で再生可能で、釣りから帰ってきて同居人に「まず一匹目は、最初の流れ込みのぶっつけのあたりにルアーを投げて・・・」とか語り始めて極めてウザいと嫌がられていたものだが、最近は遠征先で毎日メモしないと、写真見ても上手く記憶と繋がらない時もある。まあ忘れてしまうようなことは重要ではないということかもしれないが、寂しさを否定できない。

 ということで、遠征先でもメモを書いているのが常であるが、これを帰ってから打ち直すのがけっこうめんどくさいので、始めからデータで入力できないかと考えて、最初はキンドルに打ち込める外付けのキーボードとかがないか探したが、良さそうなのが無く、かつキンドルで書名検索とかするのに慣れないタッチパネルで文字を打っていて思うのは、馴染みのATOKが漢字変換ソフトとして入っていないと使いにくくて我慢ならんといこと。

 いっそ軽量小型のノートパソコンを1台買えば本も読めれば文章も書けるし他にもいろいろ便利ということで、ちょっと検討したが値段が高いうえにバッテリーでの駆動時間が短くて旅に持っていくのには電源確保が悩ましい。
 ということで悩んでいろいろ調べていたら、この「ポメラ」はテキストデータの文字打ち込みだけに機能特化しているけど、ATOKが入っていて、単4電池2個で20時間駆動と電源問題もクリアー可能で、値段も安売りだと大1枚チョイで試しに買ってみようと思えるぐらいの値段。USBでパソコンに接続して打ったテキストデータのファイルを吸い出し利用。
 実際に打ち込みしてみると、ちっちゃいタッチパネルではなく折り畳みとはいえキーボートが付いているのは非常に使いやすい。

 最近、考えを整理して書くには、推敲するための編集作業が楽なパソコンが必須になっているのだが、ポメラを使えばその作業を旅先の膝のうえでできそうである。
 キンドルとポメラで合計すれば今時の薄いノートパソコンぐらいの重量にはなると思うが、それぞれ別に使えるというのは実際には悪くない選択だと思う。キンドルは片手で操作できるのでベットのうえで寝そべってでもどこででも本読むのには便利だし、ポメラは長いフライトの時間を楽しい旅を振り返りつつ思索にふけり有意義につぶせそうな機能をシンプルに持っている感触である。

 世の中には便利な機械が溢れている。便利さと引き替えにナニかを失いそうな気もするが、とりあえず試してみたい。

2014年8月2日土曜日

となりのサイコパス


 秋から2期目が始まることもあって、今深夜にアニメ「サイコパス」1期の2話分を1時間に編集しなおしたバージョンが放映されている。設定のややこしいSFものなので2期が始まる前に新規視聴者を獲得するためと、私のような忘れっぽい人間のための「おさらい」的な放送だと思うが、1期は昨年のアニメベスト3に入れてるぐらい面白かった作品なので暇があると見ていたが、例の高校生女子による同級生殺人事件を受けて4話目が放送を取りやめとなった。

 ネットでも「放送中止になるんじゃネ」という声が大きかったので、最近のTV局始めメディアの「クレームあったらめんどくせえので自主規制」という傾向からして、少なくとも4話は放送できない、下手すると5話以降も中止となるかなと思っていたが、4話だけ中止のようである。まあ、去年放映時に録画してたヤツはすでに削除しちゃってるけど、地上波中止になっても見たければ有料ネット配信とかあるし、ぶっちゃけサブカル野郎どもは困らない。

 しかし、実際の殺人事件とこのタイミングで放送されたアニメの内容の一致には「意味のある偶然の一致」を感じるぐらいでとても驚く。最初に書いておくが、こういうアニメの内容に影響されて殺人が起こるなんてことはあんまり考えても仕方ないと私は思っている。人が人を殺す話なんて今さら規制したところで、これまでもカインとアベルの昔から古今東西いくらでも書かれていてありふれている。面白い作品を削るに値するほどの効果が規制で期待できるとは思えない。
 作中では女子高生が自分の芸術作品として同級生を切り刻み、生物標本のように樹脂包埋(作中「プラスティネーション」と中二な感じに英語表現を使っているが理系の人間なら普通は「樹脂包埋」という言葉を使う)したうえで、街なかに飾り付けた。
 現実では女子高校生が同級生を「解剖してみたかった」と道具買いそろえて切り刻んだ。

 自分を慕っている友人を自分のやりたいことのために手をかけて殺して、殺したことにまったく反省も罪悪感も後悔も感じていない様子が、まさに「サイコパス」という感じで共通している。
 報道されたことが正しいとは限らないので現実の方の女子高校生が本当にサイコパスなのかどうかはわからないが、報道どおりなら、人を殺してもまったく罪悪感やら感じない精神構造を持つ冷酷な殺人者というサイコパスの一般的なイメージにぴったりはまる。

 報道見てかわいそうだなと感じたのが、まあ被害者が一番かわいそうといったらそうだが、「この十年の「命の教育」は届かなかったのか」と嘆く教育関係者。カッターナイフで同級生を斬り殺すというこれまたショッキングな事件を受けて教育の現場で命の大切さについて教えてきたのにこの事件である。無力感と後悔と自己批判にかられたことだろう。
 決して無駄になっていなくて、そういう教育をしていなかったらもっと「痴情のもつれ」的な情動的な普通の人にも理解できるような殺人事件、人を傷つける事件が生じていたかもしれない。きっとそれは防いでいたと思いたい。
 でも今回のような、「普通の人」といわれるような大多数の人間から見ればある種異様な精神構造を持つサイコパスが起こす事件を「教育」で防ぐのには限度がある。無理と理解してことに当たらないと「話せば分かるはず」という認識ではまったく防ぎようがない。

 「普通の人」の話せば分かるだろう、みんな同じように考えるだろうと無邪気に信じている感覚は、多少人と違う考え方をすることもある私もうんざりさせられることが多い。
 いわゆるサイコパスだとされるような人間だって決して珍しくはなく、人殺すほどに特殊な人間はまれだとしても、平気で嘘ついて何の罪悪感も感じない程度の人間ならきっとみんなまわりに思い当たる人がいる程度には存在するだろう。
 なんで嘘付いて平気でいられるのか理解に苦しむところだが、そういう人間がいるのである。ゲーム理論なんかでも嘘つきはある程度の数であれば、まわりを食い物にして生き残っていくという説明がされていて、まあ嘘つきばかりの集団じゃ社会的な生物である人間の集団として非効率で他の集団に駆逐されるので、嘘つきばかりが増えることはないけれど、集団が内包を許容できる程度の嘘つきは常にいるということらしい。

 人はなぜ人を殺してはいけないのかという問いに、「人の命は尊いものだから」という答えがてんで答えになっていない、と書くと「普通の人」は面食らうだろうか?
 人の命を無条件に「尊いもの」としてそれが殺人が罪である根拠とするならば、戦時の殺人が英雄視されることや、海の向こうで餓死する人を知っていながら美食に飽く行為なんかはその根拠と矛盾しており、許し難い大罪であり、実際そう感じる人も多いだろうし、私自身そう感じることもある。
 でも、戦争の時は人を殺しても良い、海の向こうで餓死する人がいても食べ物を粗末にしても罰せられない、ということなどから考えて、極めて現実的に人が人を殺すことが罪になる理由を突き詰めると「それがルールだから」でしかないと、いろんなところで書かれているし私もそう思う。

 人は人を殺して良いというルールだとすると、自分が他人を殺すことができると同時に、他人も自分を殺すことができる。そうなると自分という個人も困るし、自分が属する社会集団も機能しなくなる。だから、少なくとも同じ社会集団の中では「人を殺してはダメですよ」というルールが作られ、皆がそれに従っている、それは社会の「常識」としてもそうだとされているし制度的にもそれを裏打ちしている。従わないものには社会として「死刑」なんていう人が人を殺してはいけないというルールに例外を設けてまで従うように仕向けている。
 社会集団が生き延びるためのその集団内のルールだから、極論すると戦時に他の社会集団の人を殺すことは罪にならないという整理が成り立つし、海の向こうの社会集団の人が餓死していても関係無いという整理が成り立つ。

 なんてことを書くと「普通の人」から私もサイコパスだと思われてしまうのだろうか。しかしもうちょっと極論を書いていくと、日本の警察は優秀だし罰則は厳しいしでヒトゴロシなんて割に合わないとは考えているが、私は人を殺すこと自体を特別視する感情があまりないと自己分析している。魚をしめるのや焼き肉食うのと他者の命を奪うことに本質的な違いがあると思えない。自分が殺されそうだとかそういう自分を納得させるだけの理由があり、かつ正当防衛とかで罰から逃れられるなら、人殺しても、後悔しないだろうし罪の意識に苛まれないんじゃないだろうかと思う。むしろ何の罪もない魚をしめて食うことの方が罪悪感がある。弱肉強食は生態系のならいだとはいえそう感じる。

 という私のような人間が、普通に、なのかどうか不明だが社会生活をおくっていることから分かると思うけど、たぶんいろんな考え方、精神構造の人間がいて、それでも廻っているのが、社会というものの現実だと思う。
 多くの素直な人間には「命は尊い」という教育が十分に功を奏するだろうし、そう思わない私のようなひねくれ者にも、たぶんサイコパスにも、ルールをきちんと作って運用して、人を殺せば高確率で捕まって、重い罰を受け、社会的にも実名顔写真さらされて抹殺され、家族も親戚一同も街を職場を追われるような制裁をうけるということを、きちんと理解させれば、相当な抑止力が期待できるだろう。

 それでも、今回の件がそうかどうかは別として、「自分の欲求」が上回ってしまい、人を殺してしまうようなサイコパスが出てくるのを完全に防ぐ手立てというのが、正直あんまり無いような気がしている。

 「そういうサイコパスはあらかじめ診断して社会から隔離しろ!」というヒステリックな意見がでてくるのは目に見えているが、それをやった近未来の社会の気持ち悪さを描いたのがアニメ「サイコパス」である。予防的に「潜在犯」という犯罪おかしそうな精神状態の人間を管理下に置くシステムを構築した世界。
 まだ罪を犯していないのに、例えば犯罪被害にあって恐怖や憎しみで精神状態が不安定になっただけで「潜在犯」認定を受けてしまう理不尽。サイコパスを取締まる診断方法に引っかからない二重のサイコパスの存在が巻き起こす犯罪の理不尽。

 犯罪をまだ犯していないものを隔離なり監視なりするシステムって、自分がその対象になったらと考えたら、納得できないでしょ?あなたが「普通の人」だっていう保証がどこにあるんだ?といいたい。それは現実にはあり得ない。刃物持って暴れまわってるような放せばすぐにでも他人や自分を傷つけるのが明白なぐらいの状態であれば現在でも「措置入院」という制度はあるけど、それ以上の予防的な措置は難しい。やれるとしたらヤバそうなヤツには関わりあいにならないという自衛策程度で、強制力を持ったルールとした場合にはあまりにもいびつだ。今回の事件でも医師から父親に対策とるよう助言があったように報道されているが、父親が監視したところで目を盗んででもやってたかもしれないし、逆に医師が警告するような人間でもナニも起こさないことも多いだろう。結果論で後からご高説を垂れるのは簡単だが、正確に未来を「診断」するのは不可能である。

 じゃあどうすれば防げるんだ?と問われると、根本的な対策が思いつかない。
 でも、まあそんなにレアなケースを全部防ごうなんて考えなくて良いんじゃないかという気がする。今までどおり、教育もすれば犯罪起こせばつかまえてしかるべき罰を与える。
 それで防ぎようのないものをどうこうできるとか、するべきと考えるのが思い上がりで、しょせん他人というのは何考えてるか分からないということを頭に置いて社会的にも個人としても気をつけて生きていくぐらいしかないと思うのだが。

 「尊い命」がそれによって失われるのを防がなければ、というのであれば、まずは交通事故死とかもっと沢山人が死ぬことの対策を先にやった方が効果が上がるんじゃないのと、人の命が特別には尊いとか思っていない私など思うのである。
 交通事故死者は何万人か知らないけど、自殺も年間3万人とかで、大人が起こす殺人事件も普通にある中で、センセーショナルだけど未成年の殺人だけが特別問題だと考えるべきじゃないように思う。

 人の命はそこそこ尊いけど、それなりに脆く儚く死ぬときはあっさり死ぬ。気をつけていても災害や交通事故に巻き込まれたら死ぬ、病気で死ぬ、隣のサイコパスに切り刻まれても死ぬ。寿命で死ぬ。だからこそ今生きているということには価値があるし、その分ぐらいは命は尊いと思う。

 「罪と罰」について、私はドストエフスキーにではなく虚淵玄に考えさせられる。