2015年4月29日水曜日

一本筋のとおったヤツら


 ルアー図鑑うすしお味第3弾。 

 そろそろちょっと塩味効かせて、海用のポッパー、ペンシルです。 

 現在、GT用のルアーの多くが木製で、中心にステンレス線なりステンレスの棒で組んだリグなりが貫通していて、フロントフックは下から穴を開けて貫通しているステンレス線などにスイベルを通す形で接続しリアフックも含めフックにかかる引っ張り強度に対して、かなり丈夫なつくりになっています。 





 こういう作り方のルアーの源流を遡っていくと、どうも米国東海岸あたりにたどり着けそうです。 

 その東海岸のルアーメーカーの代表格が「ギブス」でございます。 

 まあ、古いGT野郎の皆さんにはお馴染みかと思いますが、今時の人はあんまり知らないでしょう。 
 ということで、あんまり書いてる人いないだろなと思いつつギブス関係検索かけてみたら、結構詳しく書いている人がいたので「どんな人だろ」と思ったら、知り合いでしたというオチ。釣りの世界は世間が狭い。 
 昔、Sスイにいて今は実家の方で釣具屋の店長さんをしているYさんで、私がGT釣り始めるときに道具やらいろいろ教えてもらった人なので、当然同じルアーに思い入れあるわけだ。 

 でも正直私がGT戦線に突撃していった20年ほど前にはギブスは既に一線をひいた感じがしていて、フィッシャーマンのポッパーとかが高いのでボックスの増量剤として買っていたように記憶している。 
 まあそういう2軍ルアーなので魚はあんまり釣っていないけど、投げてないので切られず残っていたりして、わりと笑える数が残っている。 

 代表選手はカップが斜めに切られているポッパーの「ポラリス」。 



















 3-1/2OZとかの重量ですが、ステンレス線とオモリを用意すれば重量アップとか改造も簡単。

 消耗が激しい(と期待していくが一発も出ないので結局消耗しない)ショアからとかサメ狙いとかの時には高いルアーもったいないので今でも用意していきます。



 シイラ釣りとかしていてサメが出たときにアタフタとワイヤー用意していると間にあわんので、あらかじめワイヤー装備したのを用意したりしてます。 







 GTルアーにメッセージやら落書きやらはお約束。 









 次に早引き系ペンシルの「ギブスペンシル」。 

 どっかで書いたけど、こいつと、またそのうち書くであろうヨーズリサーフェスクルーザーが、ロングペンが登場するまではペンシル2大巨頭だったはず。確か3-1/2OZと2OZがあって大きい方で20センチぐらい。 
 息とめて短距離走ぐらいのつもりで左手高速回転させて早引きで使ってました。早ければ早いほど釣れると信じられていました。
 スイマータイプのポッパーやメタルジグでもとにかく「早引き」というのが我々世代の塩水系釣り師の記憶にすり込まれていて、今でも釣れないと「スピード足りんのとちゃうか?」と不安になって早引きして、今時のスロージャークな釣り人に鼻で笑われたりしております。 
 でも、たまに早引き効いたりするのでなかなか止められない習性。 

 とまあ、ここまでは古くからのGT野郎の家の道具箱の隅あたりをつつくと転がっているだろうと思いますが、「ギブススイマー」はわりとマイナーかなと。 

 何でこんなもんを持っているのかというと、けっこう真面目にロシアとかの2m級のイトウの仲間(タイメンと限定しない意味が分かる人には分かるかな?)を釣るときどうするか?というのを考えて、とにかくサーモンロッドとかでは苦戦必至なので、最初っからキャスティングタックルで一番パワーのあるGTロッドで狙っちまえばそこまで苦戦しないだろうというアホなことを考えておりました。 
 そうするとGTタックルでPEライン使用だと、普通のエイト管とかでフックがぶら下がっているミノーはたやすくぶっ壊れるというのを聞いていて、当時ワイヤー貫通構造のGTロッドでキャスト可能なミノーなんてタックルハウスのソルティアミノーぐらいしか無かったので、他にないかなと調べたらギブスからミノーとは言い難いけど、こういうのがあると聞いて試しに買った物です。 
 結局、2mオーバーのイトウの仲間を狙いに行く機会もなく、最近では丈夫なミノーも各種あったりして「蔵」の肥やしと化していますが、久しぶりに蔵から出してみました。 




 こういう、日本ではGTルアーとして使われていた異常なぐらい丈夫なデカいルアーがなぜ米国東海岸で作られたのか、日本にいるとあまり想像できないかもしれません。 
 GTで使うようなサイズのトップのプラグって何に向かって投げていたのか、東海岸は大西洋に面しているので太平洋とインド洋の魚であるロウニンアジいません。ジャッククレバルという似たようなヒラアジ系の魚がいますが南の方にしかいないし、「ジャックと名前につくのはいい加減な扱いを受けている魚の法則」からいっても、あっちの釣りの本とか見ても、それほど狙われていないように思います。 

 実は、こういう東海岸メイドのデカルアーはストライパーに向かって投げることを目的につくられたのです。と断言。あとブルーフィッシュも狙ってたかも。 
 ストライパー(ストライプドバス)は、それ用のルアーであるボーマーロングAのおっきいのとかがシーバスミノーとして日本では認識されているし、写真見てもシーバスっぽいしシマズズキなんて呼ばれたりもするので日本人だとスズキの親戚のイメージで見ているかと思いますが、割とスズキとは遠目の関係で、川でも海でもやっていける生態が似ているので姿形が似ているだけで他人の空似的な別物です。スズキは海で産卵しますがストライパーは河川に遡上して産卵して、陸封型とかもいるというのを知ると、別の系統の魚だなと思えてきます。スズキ目ではありますが、その下の科が既に違うので、タイとスズキぐらいに違います。モロネ科の魚。 
 で、日本のスズキのイメージでみているとびっくりするのがそのサイズ。ストライパーは30キロ超えるような大型が知られており、昔トライリーンの公告にガタイの良い白人のオッちゃんがエラに両手突っ込んで顔まで持ち上げてやっとシッポが地面を切ってるような写真があって、長さもすごいけど顔がオッちゃんの顔以上にデカいド迫力でたまげた記憶があります。 
 開高先生がニューヨーク郊外だかコッド岬だかでストライパー狙う話を書いてたけど、その時にルアーというより「ボーリングのピン」みたいなものをサーフで延々投げてスカ食ったとかなんとか。まさに、ギブスポラリスとか木製でくびれもあってボーリングピンぽいので、このあたりを投げてたんだろうなと想像しています。 
 30キロとかが首振ったら、ヤワなリグはぶっ飛びます。メーターぐらいまでならロングAやらレッドフィンやらの20センチとかでもいけるかもですが、それ以上はワイヤー貫通構造の出番なのでしょう。 
  
    
 大型ストライパー用のポッパーとして、ワイヤー貫通構造の物はいろいろつくられていたようで、いくつか小さめのはシイラ用とかで買ったのが蔵に残っていたりするので紹介してみる。


 老舗クリークチャブのその名も「ストライパーストライク」は、元々は木製だった臭いけど、私が買ったころには既にプラスチック化していてスローシンキング。でもリグはエイト管ではなく丈夫な貫通式を踏襲。クリークチャブと言えばラージマウスバスの世界記録がこの社のウイグルフィッシュ(別のルアーだった説もあるようだが)で出ているが、たしかこのルアーでもストライパーのラインクラス別世界記録が出てたと記憶している。


 もいっちょ、貫通式のポッパー、アーボガストもつくってるんですよこれが、と知ってる人なら当たり前に知っているけど、意外にバスマンは知らんかも、な「スカッダー」。 2OZ。
 名前忘れました、こいつもアーボガストで貫通式です。JOSさんに、もうGTルアー使わんから、ということでギブスやらと一緒にもらったような記憶があって、「釣れるんですかコレ?」と失礼なこと聞いたら、「それ以前に波がある海上ではイマイチペラが回らん」とか言ってたように記憶してます。ボディーを貫通するワイヤーの前後にペラ付けてねじって処理している強引さがアメリカン。



 これもひょっとしたらそうかも。
 コットンコーデルのペンシルポッパー。お尻がステンレス線グルグル巻き付けた処理になっていないけど、フロントフックはスイベルなのでおそらくワイヤー貫通だと思う。ラトル入りのプラスチック製。2OZぐらい。 



 このあたりの先例があって、日本のGTルアーはワイヤー貫通構造という木製プラグを超丈夫につくるのに適したやりかたを踏襲して発展していくのである。 
 そのあたりの、ジャパニーズGTルアーの元祖的なアレについて次回のルアー図鑑うすしお味では取り上げてみたい。 

 しばらく塩味が続きます。海の塩辛さに何十年も泣かされ続けてきたオッサン達は楽ししみにしておいてください。 

2015年4月26日日曜日

フランス人全てがオシャレでもなければイタリア人全てにデザインセンスがあるわけでもない

 「薄塩味のルアーの楽しみ方図鑑列伝攻略法カタログ」第2弾ってシリーズ名なげーヨ!
 ということで、今後略して「ルアー図鑑うすしお味」でよろしくです。第2弾は軟質ボディーモノでいきます。

 おフランスって「ふらんすに行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し」なんて昔の詩人が憧憬したぐらいの、オシャレな国で、釣り具関係でもミッチェルだのメップスだの、おフランス感あふれるオシャレな製品を産出しまくっている。

 ルブレックスもスピナーは普通にオシャレな感じなんである。でもプラグを作らせるとなぜか、この写真のフロピー。

 ぜんっぜんオシャレじゃない。軟質ボディーに、リップの角度が変えられるギミック付きと、むしろ変態っぽい。名前もノリピーみたいな軽いノリで軽薄な響き。

 こういう退廃的な変態的美学もフランスっぽいといえばそうなのだろうか。 
ノリピーも清純派アイドルだったのに覚醒剤使用で捕まって、元アイドルがシャブを「あぶり」で嗜むとかの絵面を想像すると退廃的で背徳的でなかなか衝撃的だったので、芸能ニュースなんてほぼ興味ない人間だけど記憶に残っている。

 ここまで3つのルアーを紹介してきたが、どれもネットでは語る人も多く、「B級ルアー列伝」だとフロピーなんか後期型のボディーがハードプラスチックになったバージョンなんかも出てきたり、さすがと唸らされるところで、ここまで読んで「何だ、ナマジもたいしたことないな、パクリ企画が本家以下とか読む価値無いジャン」と思われたかも知れない。
 
 お待たせしました。そろそろ本気出します。


 イタリアから来ましたバラクーダルアーです。

 まあ、こんなルアー紹介したところでほとんどの人が素通りだろうし、「そんな海外旅行の土産物なら確かにマイナーだろうけど、日本じゃ誰も知りもしないってだけジャン」と思われるだろう。

 違うんです。

もう、このブツを知ってる人には「アレをナマジ氏は買ってたか!!」とあきれられることが確信できるのですが、80年代とかに普通に日本の釣具屋のルアーコーナーの隅にホコリかぶって売ってたしろものなんですこれが。ちなみにワームみたいな軟らかさではなくもう少し堅め。
 同じメーカーのゴリっぽいやつとかもあって、安くて安心のブレットンスピナーの後ろにつけてメップスミノーもどきのブレットンミノーを作ったりもしてました。なので輸入代理店とかがあって日本の釣具屋にある程度流通させていたモノなんです。たぶん。

 でも、今ネットで検索かけたらまったく引っ掛かってこない。オレが書かなければたぶん歴史に埋もれてしまうんじゃないかというぐらいのマイナーさ。もう書いてる本人も「イタリア製なんて珍しいな1個買っとこ」と買ったけど、何をどう釣ればいいのか分からずパッケージに入ったまま残っているぐらいのしろもの。ゴリっぽいやつはスピナーとのコンビでチビバス良く釣れましたが、こっちはもう投げる気がそもそもしなかったというレベル。
 
 今時でもあるんだけど、単に魚の形に似せて軟質ボディーで作りましたリアルでしょ?っていう、デザインセンスの欠片も感じられないクソダサさ。そりゃ当時からホコリかぶるわなと納得の逸品。

 イタリアってったら、車でもランボルギーニとか死ぬほど格好いいデザインの製品産出しまくりだが、このルアーのデザイナーさんのセンスはどうなのよと責任を追及したい。

 まあ、日本でも水産業界紙(「水産週報」とか「水産経済新聞」とかあるんですッ!)の端っこの宣伝見てると、漁具にまんまカツオとかサバとかの形した軟質ボディーの「まるっぽシリーズ」とか売ってるのを見たことあるので、どこの国でもこういうこと考えつく「戦犯」はおるんだなと思うとります。
 よく考えたらフランスにも「戦犯」いて、さっきも書いたメップスミノーのミノーの部分なんてまさに魚の形で軟質ボディーなんだけど、そこにスピナーとコンビ組ませちゃうとオシャレで格好良くなっちゃうという不思議。

 ついでに、業界紙の宣伝コーナーで見た漁具としてのルアーで最高だったのが、「イカが抱きついたら放さない!」とかの宣伝文句もネーミングセンスも秀逸な「おっぱい針」。
 いか釣り漁船ってイカ角いっぱい付けた縄をドラムに巻き付けながら自動でしゃくる「自動いか釣り機」を20台以上舷側にぐるっと並べて操業するんだけど、イカ角はコストや扱いやすさの制限から胴とハリで構成されるシンプルな形のルアーになっている。その胴の色についてはイヤというほど試行錯誤されてきたんだけど、その歴史に胴の素材の柔らかさという新機軸をひっさげて参入してきた「おっぱい針」、イカが本当に柔らかいと抱きついて放さないのか、エギだと表面の布が無くてプラスチック剥き出しだとすぐ放すとかも聞くのでそういうこともあるのかもしれないが、それにもまして「おっぱい」という、柔らかさを表現するのに、これ以上海の男が納得する単語は無いんじゃないかというド直球なネーミングの吸引力があってこそ、大ヒット業務用イカ角になったのだと思う。

 実力があっても時代の要求やら歴史の綾やらで日の目を見ずに消えていくルアーも多い。
 ネーミングセンスやら宣伝やら伝説やら、ルアーの持つ実力とは別に、ルアーに魅力を与える要素があって、そういう部分も含めてルアーって面白い「嗜好品」だと思うのである。

2015年4月25日土曜日

薄塩味のルアーの楽しみ方列伝攻略法カタログ 序章


  「井上博司のブラックバス攻略法」とか「ブラックバス釣りの楽しみ方」の昔から地球丸の「バスルアーカタログ」、Dab氏のサイトの書籍版「B級ルアー列伝」あたりまで、ルアーの紹介が沢山載っている本って大好きである。
 少年の日にワクワクして読んだし、オッサンになってもやっぱり胸ときめく。

 先週、ニールズマスターネタを書いて、書いてて楽しかった。いろんな思いが胸に去来したしインビンシブルにあらたな愛も芽生えたように思う。

 そして、いろいろと「蔵」を探っていたときに気付いたのだが、我が家の蔵には結構レアなお宝が眠っている。それはまあ、あんまり人気とか価値のあるルアーではないのかもだが、「B級ルアー列伝」あたりから、そういうちょっと本流から外れたルアーについても結構好きで注目している人がいて、それなりにB級ルアー紹介にも需要があるんじゃないかと感じている。

 ということで、まあ人様の企画のパクリっちゃパクリなんだが、そこはそれナマジならではの、ちょっとあんまり語られることのない塩水系のマイナールアーなんぞを多めにして独自色出していきたい。
 単なる模倣は「パクリ」だが、本家にリスペクトを持って自分の表現に取り入れる場合それは「オマージュ」というらしいということを免罪符に、しばらく「蔵からひとつまみ」という感じで他に書くことあったら休み休みの不定期でぐらいでと、ゆるい感じでやってみたい。


 レアもので気に入ったルアーとか、デカイの釣ったときの記念のルアーとかは、写真の両開きのプラノのボックスに入れている。この中のルアー中心にやっていこうと考えている。
 B級ルアーやマイナールアーもちょっと注目浴びつつあるといっても、それはバスルアー、トラウトルアー中心で、おそらくソルトウォーターの古いルアーの情報とかあんまり需要はないのかもしれないが、それでも書く。なぜなら書きたいからである。

 一発目は、「序章」ということで、ジャブっぽくB級ルアーでは割とメジャーなエスコ社「ボナー」を取り上げたい。このあたりならまだ知ってる人も多いだろうし、読んでくれる人はいるだろう。
 科学的に解明した魚が水を動かす動きがどうちゃらとかいう「ごたく」だったようだが、まあ、およそ釣れそうにないルアーで釣具屋でもいつまでも売れ残っていたのだが、なにをトチ狂ったのか貧乏学生のナマジ君は買ってしまった。パッケージの値札シールには1200円とある。1200円もあればもっと別のルアー買えただろうと思わなくもない。結果パッケージも開けずに残ってるわけだが、これで魚釣ったことある人ってどれぐらいいるのだろうか。
 でもまあ、人のルアーに掛ける飽くなき探求心と、消えていったものの持つ哀切とか味わい深いルアーである。
 結局、実験室や会議室の科学的な理論なんてのは、経験則や天才の思いつきとかにはなかなか勝てないのではないかと思うところだ。
 なにげにフィンランド製で、ラパラ、ニールズマスターと出身地は同じ。フィンランド人はいろんなルアー作りおる。



 もいっちょ、科学的に解明した的な「ごたく」で大ゴケしたルアーとしてフレンジーミノーをついでに紹介しておく
 既に日本では「リアルミノー」が登場した90年代くらいの登場で、登場時点でもうそのナチュラルプリントが古くさかった。ので全然売れなかったと思う。
 今見ると、不気味なプリント模様がオリジナリティーあって悪くないように思うのは気のせいだろうか。
  メーカーは分解性素材のワームのガルプシリーズで大当たりをかましたバークレイである。
 オッサン世代にはラインのトライリーンが懐かしい。


 まあ、このあたりが後から思えば充分メジャーだったと振り返られるぐらいにマイナーなところを狙っていきたい。

 ご用とお急ぎでない方はごゆるりと楽しんで行ってください。

2015年4月19日日曜日

無敵艦隊



 今自分の中で北欧フィンランドのニールズマスターというルアーメーカーがブームである。

 JOSさんに連れられて行った、とある「古釣り具カフェ」でニールズマスター社のビッジーを初めて実物見て、さらに店内の水槽でスイムテストもして、何というかゲンゴロウのようなと言うかコチのようなというか、平べったいボディーの魅力にやられて思わず買ってしまった。
 コレクション用として使わないものを買うのは止めておこうと心に誓っているのだが、禁を破ってしまった。良くあることだが。
 写真一番上がそいつである。この愛嬌あるルアーの魅力がとても私の写真では伝えられないことが残念である。
 一番下のは高校生のころ買った同社スペアヘッド。適度に重量があって、槍(スピアー)の頭の名のもとだと思われる鰓の部分の張り出しが飛行姿勢安定に貢献しているのか、小粒な割に良く飛んでくれた記憶があるが、ニールズマスターのルアーって田舎じゃあんまり売って無くて正直思い切ってキャストできないお宝ルアーだった。
 真ん中のは謎の太いミノー、数年前に中古屋でこんなんあったんだ、と購入してしまったモノだが名前が出てこない。どなたか知ってたら教えて下さい。


 でもまあ、ニールズマスターとくればインビンシブルである。ラパラの影に隠れがちだが、厚めで綺麗な塗装とナマズっぽいまるい頭部などラパラとはまた違う北欧ルアーの名作である。
 塗装のパターンとかアメリカモノともまた違って味わい深い。北欧のカラーパターンセンスはオーストラリアのバラムンディ用ミノーにチョットばかしポップになって引き継がれているように感じるのは私だけだろうか。
 ニールズマスターブームが自分の中に来て、なんぼか買い足して12センチぐらいをシーバスに導入しようかと思って、メガネを作りに横浜行ったついでにSスイに寄ったが、今正規代理店が日本にないようで、12センチ売って無かった。20センチとかがあったが流石に使い道がない。Sスイでは一時期インビンシブルを「北欧のルドラ」とかキャッチーなポップを付けて推していたが、あんまり流行ったようには見受けられない。
 インビンシブル自体は、ラパラの向こうをはるぐらいのミノーなので普通に優秀で、釣る能力は高いはずである。メーカーも「無敵」という意味のインビンシブルをその名に付けた気合いの入り方。でも今時のジャパニーズミノーを見慣れた釣り人には、この美麗な塗装も、しっかりした動きの機能も、お好みではなかったのかもしれない。
 店員さんとしては「使って魚釣ってもらえば実力は納得いただけるだろう」との思いがあったのだろうが、今時の釣り人の魚釣る能力ってたいしたことなくて、インビンで魚釣るところまでいける使い手って案外いなかったのかもしれない。
 と言う自分も、実はこいつでも魚釣ってなくて、これまた引っかけたら困る系ルアーだった。上が学生時代の生き残りで8センチ、下が最近中古屋で買った5センチ。
 中古市場とかで12センチで良い色あったら買ってシーバス釣ってみたいところ。

 そしてこれがまた、謎なミノーで、フィンランディアだと思うのだが、一番下の顎にキールがあるのが一番最近のモデル。一番上のラパラフローティングみたいなのも実は20年以上前にフィンランディアの名前で売られていたモノ。
 これら2種の間ぐらいに売られていたと思われる2番目のモノもフィンランディアだと思っていたのだが、なんか違う名前があるような不確定情報がある。
 これまた、分かる人がいれば教えて欲しいところだ。

 北欧ものって、ABUとラパラがメジャーでかつアメリカのバスルアーのような人気はないのが実情だけど、イケアとかの家具やらボルボやらの車でみても北欧デザインの優秀さってやっぱりあるように思っていて、ひそかにタラ釣り用とかで作られてた、メタルジグなんかのソルブローケンとかスティングシルダーとか、海のルアー長い人間は、渋くて格好いいルアーだったよなと想い出すのである。

 北欧、白夜の中でタラ釣りとか、フィヨルドの川に遡上するタイセイヨウサケとか、湖沼のパイクとか、いっぺん行ってみたいものだ。

2015年4月11日土曜日

脳内スクリーンの仕様について

 クリント・イーストウッド扮するアメリカ側のスパイがソ連の軍事基地に潜り込み、最高機密の戦闘機「ファイヤーフォックス」を盗み出すためにコックピットに乗り込む。
 バチバチと各種スイッチを入れていき発進シークエンスを進めるがどうしても機動しない、この戦闘機最大の革新的技術である「思考入力」が上手く作動しない。
 ハラハラさせられまくるが、「ロシア語で考えろ!」と思い出し、間一髪で基地から脱出、追撃する二号機とのドッグファイトを制して、めでたしめでたしという映画を「金ロー」で観て、「ソ連の人はロシア語でモノ考えるンやな、ということは当然アメリカ人は英語で考てるんやな」と当たり前のことを初めて意識したナマジ少年であった。
 「アメリカ人はスゲーよな、ちっちゃな子供でも英語しゃべっている」という感心と同程度の間抜けな話であるが、自分がモノを考えるときに日本語で頭の中でしゃべるようにして考えているというのを初めて認識した瞬間でもあった。

 「思考入力」は手で操縦桿を操作しているより速く機械に指示ができるという設定だったと思うが、80年代にSFの技術として描かれていたこの技術は、かなり実現が近づいているように思う。脳の活動電位やそれにより発生する血流変化の情報を読み取って、脳内に浮かんだ言葉など思考情報やら図や文字といったイメージ情報も読み取ることに成功したというという実験報告を目にした記憶があり、いよいよファイヤーフォックス(当然ウェブブラウザじゃなくて作中の戦闘機の方)が実現するのかもしれない。

 入力速度を速くしたいと思う場面は、我々サラリーマンだとワープロ打ったり資料作成したりという作業で、これが今もこの文章打つためにキーボード打っているが「思考入力」で考えるスピードで行えたらかなり仕事が捗る。
 でも、ワープロ打ちぐらいなら実はかなり考えるスピードに近い速度で入力する方法が既に存在するらしい。
 音声入力である。今時のスマホについている音声入力機能とか、かなり優秀らしく、読み上げてチョイチョイと漢字変換の間違いをなおせばほぼ使えるレベルまで来ているようだ。いまのところ入力しづらいスマホのタッチパネルを補うための音声入力だが、もう少し進化すればキーボード入力より速い手段としてパソコンでも使われることになるかもしれないし、通訳ソフトの改良と併せて同時通訳可能のドラえもんの「翻訳こんにゃく」が実現するのも遠くないようにも思う。

 音声入力はなかなかに優れものになっているようだが、それでも漢字の間違い直しやら改行やらはキーボードで指示する必要はあり、また概要図やイメージ画を描くような場合は音声言語ではどうにもならないので、直接「思考入力」というのにはやっぱり魅力を感じる。もちろん仕事中に感じる「腹減った」とか「何で俺がこんな仕事せないかんのや」とかの愚痴が作った文章に散りばめられるおそれがあるし、イメージなんてのは案外グチャッとしていて出力したら、端の方にエッチな画像とかがあって、その内容が特殊な性癖を反映していたりしたらちょっといたたまれない状況が生じそうで恐ろしくもある。もちろん人の頭の中を覗ける技術と直結するので、そのあたりの思考のプライバシー的なものの危機というSF的な恐怖も存在する。まあ、でもイヤでもそういう技術と向きあわなければならなくなるんだろうなという気がしてきている。

 という技術の前提として、思考が音声言語でなされている。つまりモノを考えるときには頭の中で話をするように言葉をつかっている。というのがあるのだが、どうもこれが全ての人に共通かというとそうでもなさそうなのである。

 私は基本的に、音声言語で話すようにして考えている。今もこの文章を打つために頭の中では言葉が響いている。加えて若干のイメージ映像が脳内スクリーンに投影されるところもあり、そのイメージは正確な形を持ったものではなくややフワフワとした大まかなイメージとなっていることが多い。
 ということで言語をもとに思考し、おそらく記憶も言語を元に憶えているのでだと思うが、単純な数字、年号だとか数量だとかについては極めて記憶力が悪い。言語として意味のある塊として物事を憶えることは得意で、加えて、最近衰えを隠せないが若い頃は生物関係など興味のある事項は言語情報でなくても一度目にしたら忘れなかったが、そうではない数字、固有名詞についてもの凄く物覚えが悪い。端的な例を示すと私は2桁の足し算が紙に書かないとできない。記憶の話に計算の話を持ってきて、こいつはアホかと思うかもしれないが気にせず読み進めて欲しい。
 例えば26+48という計算を暗算でしようとすると、まず1桁の6と8を足して14で1繰り上がってと計算したところで、2桁目と足そうとするが既に2も4も忘れている。そろばんを習っていたときに、暗算でも頭の中にそろばんの珠をイメージして計算せよと教えられたが、そろばんのイメージを脳内スクリーンに正確に表示させ続ける記憶力がなかった。4桁とか計算していて終わるころに1桁目の珠がどうなってるかなんて端の方で既にほぼ消えていて憶えていられるわけがないと感じていた。短期の記憶力が悪すぎる。でも興味ある生物関係の知識とかについては良く憶えていると自分でも思うし、視覚的情報に限らずボヤッとしたイメージの状態でかき混ぜて、だいたいのイメージが固まると、わりとすんなり言語化できたりするので単純に記憶力とかが悪いということではなく得手不得手があるという感じである。

 自分の頭が極端に不得手なことと、得意なことがあるので、割と人によって頭の中の思考処理の方法が違うということは私には理解しやすかったが、フォックスファイヤーの次に人が自分と違う思考方法をとっていることがあると思い知ったのが、中学の国語の先生で、この先生の思考方法はショッキングなものだった。本読みの楽しさやらいろいろ教えてくれたとても素敵なオバちゃん先生で、あるとき私の漢字テストの書き取りの点数があまりに悪いのをみて、「読むのはできているから本は読めるでしょうけど、漢字知らないと頭の中でものを考えるときに困るでしょ?」と言われて、一瞬なんのことを言っているのか分からなかったが、この先生は考えるときに音声言語じゃなくて、漢字かな交じりの文章を脳内に思い浮かべているんだと理解して、「流石国語教師!」と感心したのを今でも憶えている。「ボクは考えるときは頭の中でしゃべっています。」と説明したら、先生も人それぞれ頭の中は違うんだなと面白そうに感心されていた。そういうのを面白がれるところのセンスとか、本買って読み切れずに「積ん読」になっていることの楽しみと幸せなんてのを教えてくれたこととか、とても好きな先生だった。鬼籍に入られているが今でも先生の教えは私の脳内に生きています。

 もう一事例、音声言語で思考していない人の例を出すと、職場の先輩で、この人はメチャクチャ判断が速くて、案件報告したら次の瞬間、担当部署との相談のために席を立って歩き始めているようなフットワーク軽い人なんだが、この人は聞くと、思考はほとんどイメージ先行で音声言語化するのは後付けのようである。イメージ処理なので判断スピードは速い。でも、言葉そのものを記憶するのは得意じゃないと本人言ってた。イメージと関連づけて物事は憶えていて、地図とかも得意で頭の中でそれらをグルグル回したりもできるようだ。これができないので私は現物の地図を開いて確認できない状態では道に迷う。
 さらに極端になるとイメージを映像そのものとして正確に憶える能力をもつ者もいて、「裸の大将」なんかは漢字読めなかったけど、風景丸ごと憶えていて看板の漢字も正確に作品上で再現していたとか聞く。
 直感映像記憶能力者というらしいが、実はうちの姉がこれで、例えばトランプの神経衰弱で一度めくったカードを全て憶えていた。なんで憶えていられるのかと聞いても「なんで憶えてられへんのかわからん?」というお答えで、なかなか人様の頭の中というのは理解しにくいものだとも思った。

 というように、脳内スクリーンにどういうものが映し出されて、頭の中でどう思考しているかなんてのは意外に個人差があって、思想信条とかの前段階の思考方法なんてところから人は結構違いがあるのだというのを知っておくのは大事かなと思うところである。
 方法すら違うのに、その結果の思想だのが皆同じになるわけがない。と「普通」とか「常識」とかを押しつけてくる多数派にももうチョット認識して欲しいところである。

 なんて、説教臭い話よりも、単純に人の頭の中って自分と違っていて面白いと思う。

 

 

2015年4月5日日曜日

われわれが道に迷う自由は保障されるのか

 昨年、クリスマス島遠征から帰ってきて、私は、「これからも愚者の南十字星を目指して、あさっての方向におもいっきり突っ込んでいきたい。」と、高らかに今後も道に迷う決意をうたい、車にカーナビを搭載せず、スマホなど持たず道案内アプリも利用せず、日々コンクリートジャングルで、あるいは人生において道に迷いながら進んでいる。

 しかし、今時の位置情報関連の技術ってなにげにすざまじい。
 仕事関係でちょっとGPS(グローバル・ポジショニング・システム)とか海図とかについて調べることがあったんだけど、まあGPSっていまどき、みんなそれこそ手に持って道案内アプリ利用するときに携帯端末で自分の位置が分かるのがまさにGPSのおかげだけど、もともとが軍事用の衛星からの信号を利用した位置特定のためのツールで、衛星は数が多くてほぼ地球上をカバー、衛星からはその衛星の位置情報が時間情報と共に送られてきて、地上で使う端末のほうで3つの衛星の信号を拾えば位置が4つ拾えば高度も算出できるという理屈。
 驚くのが、GPS衛星に積まれている時計が毎秒100億分の4.45秒ほど少し遅く進む時計だということ。
 なんで、遅く進む時計にする必要が生じるのか?
 人は相対性理論を勉強すると、おそらく多くの人が「そんな難しいこと日常生活には関係無いやんけ、生きてくにはニュートン力学ぐらい知ってたらええねン」と自分の理解が至らぬことを棚に上げて自己を正当化するものだと思いたいが、まさにその相対性理論ででてくる「速く進む物体の中では時間が遅く進む」いわゆるウラシマ効果とか「重力が時間の進みを遅らせる」とかオレには理解不能な物理現象を理解して補正してやらないと、今時のGPSの誤差数mの精度は得られないようなのである。もう、相対性理論を身近なところで実際に役立てている未来の世界が今この時なのである。

 海図の方も、今では世界共通の「世界測地系」の電子海図なんてのが標準になりつつあるけど、世界測地系は人工衛星レーザーとかGPSとかでのセンチメートル単位の観測で得た情報で地球を回転する楕円として仮想しているらしいんだけど、明治のころ三角測量とかで基準を測定して構築した日本測地系が世界測地系に比べて誤差が多い理由が、技術的な誤差ではなくて(日本の技術者は今も昔も精確で良い仕事する)、地上の重力は一定ではなく標高や含まれている鉱物により変化するから、測量自体の精度は高かったけど分銅が富士山のある方に引っ張られたとかなんとかいう話もでてきて、重力ってそういうモンだっけとググってみたが、重力が緯度や標高、地形や内部構造によって地球上でも違うというのはそのとおりのようだが、そもそも重力ってなんぞ?という理屈が、最終的には「なんで重力があるのかわかんないけど、すべてのモノには質力に応じた重力があって地球ぐらいデカイとそれを感じることができるぐらいの大きな力になる。」ということらしいのだが、結局最後のところはわからんのかよ?という感じである。
 万有引力の存在自体はニュートン力学でもでてくるけど、じゃあその元になった重力ってなんなのよという話にになってくると、相対性理論でもHOWは分かってもWHYはわからんということのようである。人間もまだまだやな、とおもわされるところ。

 でもまあ、技術はドンドン進歩していて、GPSなんてのはぶっちゃけアメリカの軍事衛星の利用を前提にしているから、中国なんかは危機感を持って独自の中華GPS構想をぶち上げたというニュースも聞いた。日本でもJAXAが「準天頂衛星システム」とかいうのに着手していて、これにより地図上の位置はもちろん高さも含めた3次元の位置情報がセンチメートル単位の精度で利用できるようになるそうである。インフラとして整備して後、これから何ができるか興味深いところだが、理屈からいって最近よく見る無人の小型ヘリに自動操縦で荷物を運ばせて、指定したポストの口に突っ込ませるなんていうこともできるのではないだろうか。まあ、コストと確実性とかのハードルがいろいろあると思うけど、「高精度の3D地図」という基盤をもとにどんなことができるのか、「アッ」と驚かされるようなアイデアに期待したい。


 私は道に迷いたいと思っている。間違って行き着いた先でしょうがなく竿を出したら秘密のポイントの発見だったというような経験があるから、方向音痴な道に迷いやすい人間にもかかわらず、カーナビは自分の車に乗せる気がしない。わざと道に迷うのではなく、迷わないようにしていたにもかかわらず迷ってしまったというのが重要な気がしている。わざと迷うことを狙うとそこに自分の意志が介在して全くの不作為ではなくなってしまうような気がしている。偶然という要素が重要なのだと思っている。

 でも私のささやかな抵抗もいつまで続けられるだろうか、カーナビの便利さには正直心惹かれるモノがあるし、今時はイスラエル軍が携帯電話の所有者が位置情報発信するモードにしていようがなかろうが、場所を特定する方法を開発したとか聞くと、人の身体に位置情報を発信する端末が埋め込まれて管理される嫌な未来に後一歩というような気配もしてきている。

 道を歩いていてそういうインプラント型の端末から脳に直接「あなたは道を間違えています、正しいルートに戻って下さい」とかグチャグチャ言われたら、ぶち切れて自分の皮膚に刃物を突き立ててて端末ほじくり出すか、スタンガンとかぶちかまして故障させるかしてしまいそうだ。
 自分の行きたい道を行きたいし、ときには道に迷いたい。

 春のシーバス釣り、思いっきり迷っている状態なのも、悪くないことだと思いたい。この迷い道を抜けると素晴らしい場所にたどり着けると信じて、っていうかそうでも思わんとやっとれンのですワ。

 悔しいッ!