昔から、そういう状態をして「隠居」という日本語があるのである。言葉知らんのか?知っててもなんか新しいことのように雰囲気醸し出して「欧米で一般的になった概念であり、単なる退職後の経済自立ではなく、早期退職と投資を前提とした資金の確保という意味でそのまま日本語で表すのは難しい」とかほざくなら一字追加して「楽隠居」でほぼ同義だろう。楽隠居では早期退職的な部分が弱いけど、不労収入なり蓄財があって働かなくて良いという状態は言い表せていると思うがどうか?それを投機、投資による利益を主眼に持ってきた”情報強者”な生き方的な、さも賢そうな雰囲気を醸し出そうとしているのは、証券会社なり金融商品を扱う側の仕掛けた広告戦略以外の何物でもないだろう。実際FIREの意味を検索掛けて調べようとすると証券会社とかのサイトが上がってくる。利子で食ってくぐらいなら老後も安泰だろうけど、株やら先物やらに手を出してコケたら惨めな老後が待っているのはアホでも分かる。そういうイヤらしい魂胆が透けて見える言葉なのでFIREという言葉には拒否感を覚えざるを得ない。そういうイヤらしい言葉を知る以前に、経済的に自立?して早期退職したワシだけど「ナマジさんは今時流行の”FIRE”なんですね」とか言われたら断固として否定する。ワシャ早期退職して楽隠居させてもらったんである。
だいたいがところ、金がすべてとでも言うような輩どもが好んで使う言葉なのでけったくそ悪いってのがある。金ってそんなに大事かよ?金が無いのは不幸せかもしれないけど、金があったら幸せかと言ったらそうじゃないよねって話で、まあ金とか地位とか名誉とかっていう一般的な欲求の対象は、それを得たときの幸福度も”一般的”程度らしく、脳の活動電位とかで幸せを感じた度合いとか計測すると、金とかたいしたことないらしい。一番幸せなのは「人を幸せにする施しを考えている宗教家」だそうで、それはそれでちょっとケッと思わなくもないけど、まあ人様のために奉仕する、人様に喜んでもらうってのがとても幸せだというのは、釣り場案内したお客さんに釣ってもらったときの心地よさとかも感じているので分からなくもない。そのへんインドの乞食どもはよく分かってるなと感心する。彼らは施しを受けても「オレが金持ちに善行を積んで優越感に浸り良い気分になる機会を与えてやったのだ」って思ってると聞いたけど、大脳生理学的にも全く正しいということらしい。そのへんインドの乞食以外でも分かってる人は分かってるようで、九井諒子先生は傑作マンガ「ダンジョン飯」の中で”人の欲”が好物の悪魔を登場させているけど、悪魔に言わせるとやっぱり金とか地位とか名誉に対する欲程度は美味しくもなんともないらしいのである。しれっとそういう本質を見抜く慧眼の持ち主だから面白い漫画が描けるのである。あれだけの作品を生み出したら印税も名誉も吹っ飛ぶぐらいの、創作者としての大きな幸せを感じただろうことは想像に難くない。金持ってたって以前にも紹介したネットの賢者の金言「金が一番大事なら金が使えなくなる」が端的に表しているように、金なんて単なる”価値があるモノと交換できると信用されている道具”でしかない。金だけあってもどうしようもなくて、使い方知らないと陳腐な使い方しかできず、旨い酒と飯、綺麗なねーちゃんと良い車に豪華な屋敷、程度では幸せにはなれんと思うのは、ワシがそういうモノに幸せを感じてないというか、金で買える程度の飯も女性も興味が無いし、使いもしないクルマも豪華な家も別にいらんだけで、普通の人はそれがあれば幸せなのだろうか?そうでもないように思う。結局金稼いでも陳腐な幸せしか買う能力が無いとつまんなくて、金なら腐るほど持ってそうな人種が違法な薬物やらに手を出してむりやり快楽物質ドバドバ脳から出させて一時の快楽を得て健康を犠牲にし、法で裁かれたりしてるのはままあることである。まあ向精神性の薬物って酒とかぐらいしかやったことないのでアレだけど、たしかに飲んでりゃ”幸せスパイラル(by廣井きくり)”にハマれるけど、それほどかね?って今現在釣りに行く体力を絞り出すためにはアルコール分解するのに余計な体力つかいたくないのでほぼ禁酒状態のワシなど思う。釣りの快楽はその点かなり強烈で、ワシ脳内物質の過剰な放出が原因だと思うけど、目の前真っ白になったり、記憶を一瞬飛ばしたりという経験もしてる。興奮で膝が笑う経験程度なら50過ぎてすれっからしのジジイになった今でもたまにある。開高先生がコスタリカのターポンの船宿がなかなか押さえられずニューヨークで停滞してるときにコカイン嗜んでたけど、宿が取れたら残ってたコカインはゴミ箱にたたき込んで出発してた。まあ違法薬物も、酒が飲む状況やらなにやらで極上の甘露にもなれば苦くもなるように、品質から強さから環境から色々影響してくるわけで、ヘロインやらのとにかく強烈なのをやっつければ幸せキメられるってほど単純でもないんだろう。逆に違法でも何でもない酒やタバコでも、心底旨そうにやってるなと、見てて思うときもある。酒もタバコも単純な長生きより幸せに貢献することもあるようだと、身の回りののんべや愛煙家を見てて感じている。我が家のお客さん達も魚釣れてご機嫌なときはおビールちゃんやら実に旨そうに飲んでござる。冒頭写真はその空き缶。
酒も飲まずタバコも吸わず、健康で長生きしてそれがどうした?っていうのは折に触れて書いてきた。タバコは(最近は酒も)百害あって一利無しっていう宗派の人がいるけど、そんなもん吸って、あるいは飲んで旨い時点で一利は確実にあるのは自明で、健康やら損なうとしても、それ以上に旨くて楽しめるというのなら、個人の嗜好にケチを付ける必要などさらさらないハズである。かててくわえて、適量の酒には特に精神面で健康増進効果があるとしか思えない実例が山と転がっていて、偏った主張に基づいた”科学的な最新の報告”がいくら適量などなく少量でも害しかないということを事実のように主張していようが、そんなもん限られた方面・データで出された1つの報告例でしかなく、賭けてもいいが、適量の酒には心身を健全に保つ効果があると確信している。最近、飲酒はコレステロール値を改善するとか、高齢者の健康に運動より飲酒が良い方に関係するとかも報告されているけど、話題になった少量のアルコールでも脳を萎縮させる的なある一面からの報告だけを根拠に「飲酒すべて悪!」と決めつけるのは、まあしょせん人間は自分の信じたいことだけ信じるってことかと思っている。そこに理性も論理もクソもない。タバコが身体の健康には悪い面が多いのは事実だろうけど、吸ってる人間の精神に対しストレス緩和とか良い影響を与えているのは見てるだけで分かるって話で、百害あって一利なしとして他人が吸うことにさえケチを付ける輩どもの魔女狩りッぷりには日頃から辟易として抵抗しているところ。吸いたいヤツには吸わせてやれ、嫌煙家な輩どもはあげく「タバコで病気になってその医療費を我々非喫煙者の払った血税からも負担するとか腹立たしい」ぐらいは言ってくるけど、そんなもんアンタらが言うようにタバコが害悪で肺がんとかで喫煙者が死ぬなら、早死にしてくれるので医療費も年金も節減できるぐらいで、健康のためなら死んでもイイような輩こそ、グジグジとしょうもない死んでないだけの生を長々と生きて、歳食えばそりゃ医療費も年金もかかるだろって話で、お互い様だって思う。だいたい長寿者って酒とタバコをちょっと嗜むぐらいの印象だけど、酒タバコに害しかないなら焼酎ちょっと飲んでタバコもキセルで嗜んでた泉重千代翁の120歳の超ご長寿とかどう説明するんや?何でキセルなんですか?って聞かれて「医者にタバコは遠ざけるようにした方が良いって言われた」って返すユーモアもストレスのない健康な心身には効いてそうに思って感心したものである。
長生きすることそのモノにワシャ価値を感じていない。健康で釣りができるなら、長くその人生を楽しみたいけど、釣りもできんくなったら安楽死で結構(愛猫だけ最後まで面倒見させては欲しい)。逆に人生が短くなったとしても、釣りの神髄に到達しえたならば、その場でコブシを天高く突き上げて「我が生涯に、一片の悔いなし!」と叫んで死んでかまわない。釣りの神髄など、追えば消える逃げ水のように、例えば究極と思えるような大きな目標を達成したとしても、その感動がちょっと冷める頃には、さらなる高みを欲し始めるわけで、到達できるはずもないのだが、モノのたとえとしてである。
っていう中で、最近与党が高額医療費補助の見直しを画策していて、大ブーイングを食らってるけど、ワシまあ不景気で国に金が無くなっていくっていうのはこういうことなんだな、って腑に落ちるところもある。インフラも”道路穴”みたいなのがこれからいくらでも出てくるだろうし、金がないので諦めなければならなくなることはなんぼでもあるだろう。落ち目の斜陽国家の予算なんてそんなもんだろう。もちろん当事者である高額医療費補助を受けている患者さんとか、文字通り死活問題であり「殺す気か!」っていう怒りの言葉ももっともでよく分かる(なんか救済措置もあるような話かもだけど)。分かるけど、もう日本はそのぐらい貧乏になってきたって話で、いろいろ回らなくなっていくんだろう。そのときの予算を切る順番が違うだろう、もっと別に削るべき予算があるだろうって話は、人が違えば立場も違うので、どこを削るべきかなんてのは人の数だけ答えがあってみんな違ってて、そうなると全体的に削れるところは削るしかなくなってくるんだろう。無駄な公共事業やらほんと無駄だと思うけど、それで飯食ってる人たちにとっては今更切られたら、これまた首くくるしかないだろうと想像ぐらいできる。でも、あるていど首くくってもらうことに将来的にはなりそうにも思う。インフラの整備なんてもう既存の設備が維持管理しきれなくなりつつあるのに、新規に金突っ込むなよと思うけど、そういうことで利益を受ける側が支持する与党を選挙で選んだんでしょ?って話で、選挙みたいなクソな制度を支持してるからこんなことになるんだと書いておこう。選挙制度の改善案は昔書いたので繰り返さない。オレも左利きだけど、本格的な左巻の人たちが主張するように防衛費削れっていうのは、さすがにワシこのきな臭い世界情勢では無しだと思うよ。ってなると高額な医療費が必要な高度な医療は個人的に費用負担できなければ諦めてもらって、っていうのはありっちゃありだろうなと思う。医療も限界があってすべての病気を今現在の最先端の医療技術を持ってしても治せるわけがない。そのあたりになると寿命の類いだと考えるしかないだろう。金の限界で治療が受けられなかったら、それも寿命と納得するしかないだろうとワシャ思ってる。国民全員に最先端の高度な医療を安価で提供できる国などないだろうし、金の有りなしで寿命が違ってくるなんてのも現実に今でもあるだろう。日本などマシな方で途上国とかろくな医療体制なくて、呪術師に祈ってもらってダメならその死を納得するしかないところもあるだろう。ようは「金があったら生きられるのに」っていう”なんとかできそう感”が見えてるので、補助とかでなんとかして欲しいって思うんだろうけど、貧乏になってきた我が国ではそろそろ手厚くやるのは限界が生じてきたってことだろう。イヤなら個人的に必死で金確保しろっていう状況になってきてるんだと思う。イヤな話だけど「金がないのは首がないのと同じ」とも言われるぐらいだしそんなもんだろう。ワシ、高度医療が受けられますっていう特約の保険を売りたい保険屋さんから営業電話かかってきたけど、掛け金の支出額とか考えると「金が残ってるうちならその蓄えを使うけど、蓄えが減った段階でそういう高度医療が必要なややこしい病気になったら寿命と考えておとなしく死んでおきます」とお断りしたら「高度な医療を受けたいと思わないのですか?」と心底意外そうな感じで聞かれて、高度な医療があるとしても、それを受けられる金がなきゃ死ぬしかないっていう当たり前のことがこの人分かってないんだなと感じた。結局どのへんで手を打つかって話で、江戸時代とか虫垂炎ぐらいで死んでたし、原因もよく分からんかっただろうから、そういうもんだと思って周りも納得してたんだろう。本人は死にたくなかっただろうけど、虫垂炎は外科手術で助かるって知識などないだろうから、今の時代のような「お金さえあれば助かる命なのに」っていう不公平感はそこまでなかっただろう。まあでも金持ちは良い薬買えたり、健康的な食事や衛生的な住環境で暮らせたりッテのはあっただろうから、昔からある不公平感だろうけど、金持ちをひがんでも自分の口座の数字が増えるわけでもないのでしかたない。
そのへんはもう、個人ではどうにもならない運の世界で、ややこしい病気になったら運が悪いと思う諦念って必要だと思う。いつ病気になるかなんて分からんうえに金があればどんな病気も治せるってわけでもないのだから、いま病気で苦しんでる人にはお見舞い申し上げるしかないけど、そうじゃないならいつ死ぬような病気になっても「楽しむだけ楽しんだからまあいいや」と思えるぐらいに、今を満喫しておくしかないと思っている。
そのために、仕事も早期退職して楽隠居で楽しく釣りして過ごしている。これで運悪くややこしい病気で金も足らずに死ぬとしても、イヤだとは当然思うだろうけど納得はする。人はどうせ死ぬ。その時に後悔のない状態なんてのは、よっぽどやりきって満足した人を除けば、欲望の薄いヌルい生き方をした証拠だと思ってるので、死ぬときワシはあれこれ後悔するんだろう。でも後悔も腹に飲み込んで納得はしながら死ねると思っている。ちまたでは労働者不足で、景気の悪い日本には研修生とかいう名の出稼ぎ労働者も移民も、労働者不足を補いきれるほどは来てくれんだろうから、定年延長してジジババにも働いてもらおうという、鬼畜なことを経済界は考えているようで、まっぴらゴメンのクソ食らえだと思っている。働いたら負けである。
”FIRE”の解説記事とか読んでると、早期リタイヤしてもやることがなくて退屈してしまい、再就職やらちょっとした起業やらでまた働くっていうのが意外に多いと紹介されてたりするけど、まったく理解できない世界である。楽隠居しての釣り生活、退屈してるような暇はない。まあ移住先の選定も上手くいったってのもあるけど、年中魚釣れてて釣りの準備して、魚釣って、魚料理して、また次の準備してって、年間釣行日数200日越えでやってると、釣り行ってない日にまとめて用事済ませたり、そもそも釣りの準備はしてたりで、ユックリ本読んでる時間もなかなかないありさまで、退屈とかありえないんですけど。中島らも先生が”教養とは一人で時間を潰すことができるだけの知識”とかって書いてたけど、ワシ釣りに関しての教養は豊かだと言えるかもしれない。早期退職して田舎で釣りして暮らそうって思っても、多くの日曜釣り師レベルの教養では、年間通じて釣るネタがなくて退屈してしまうだろう。魚釣れなくて、釣れる魚はいつも同じような代わり映えのない釣りで釣ってて進歩もなく、ハッキリ言って飽きるだろうことは想像に難くない。魚釣り舐めんなよという話で、田舎の魚いっぱい居るところに行けば釣り放題だとか、そう思って近所漁港とかにやってくる釣り人の撃沈屍累々具合といったらまあ相当なモノである。ワシャその点教養豊かだからね、変わりゆく釣り場の環境にも適応しつつ、釣りものを開拓し、釣技を磨き、日々発見に満ちた研鑽の日々に邁進していくことができている。極めて充実している。若い頃から頭おかしいレベルで死にものぐるいで釣りまくってきて心底良かったと思う。その積み上げた経験、知識、技量、そして道具が今のワシの釣りを底支えしてくれている。
っていうぐらい、釣りまくってると当然あちこちから「漁師になったら?」と言われる。甘い甘い甘いッ!そろそろ出始めるキヨミオレンジより甘い!!趣味の釣りと、業としての漁はやってることに共通する部分はもちろん多いけど、最終的な出口が「楽しく魚を釣りたい」と「魚を売ってお金を沢山得たい」では根本的に違ってくる。もちろん職漁師さんが、我々遊びの釣り人が感じるような魚を釣る楽しさを感じていないかといえば、そんなことはなく、釣れると楽しそうなのは見てて間違いないところではある。ただ、その先に魚を換金するとなると、釣れる魚を釣ってれば良いってだけではなく、需要があって、かつ他の漁師が釣れない値の良い魚や、逆に数が稼げて儲けが出る魚を他者より沢山釣る、とかは基本のキで、売るタイミング、船の燃油代、道具代、餌代、諸々の経費、自身の心身の健康、様々な要素を総合判断して儲けていくという、個人事業主そのものの難しさをはらんでいるのである。ワシ魚は釣ることはできても、業としての経営感覚なんて全くない。サラリーマンだったから経験ないし、さっぱりその辺ダメである。サラリーマンの経営感覚の欠如については何度か例に出して馬鹿にしてるけど、脱サラしてソバ屋を始めるってのが典型で、趣味で美味しいソバを作るのはそこまで難しくないはずである。「ソバは奥が深い」とか言いながら、浅場でピチャピチャやってても、良い材料を揃えて手間暇かけたら、美味しいソバぐらい打てるようにはなるだろう。でも、それを客に提供して採算取れるようにとなったら、まずテナント代から器具その他諸々経費がかかってきて、材料も採算ベースに乗せるには最高級のモノを使えるかどうか難しいところで、抜群に旨いソバなら素材にもこだわって強気の値段設定もありうるけど、その場合でもよほど上手な市場戦略が必要で、って言う前に浅場でピチャピチャレベルだと他の店と差別化できるほどの味になるとも思えず、材料もソレナリのものしか使えないだろう。で、結局凡百の街の駄ソバ屋程度にしか仕上がらず、舐めた店主の接客では客も付かず、開店資金を退職金でって場合はまだマシだけど、お金借りてたりしたら借金抱えて、店たたんで仕事選ばず働いてまた稼がねばならない。趣味で経費採算度外視で楽しむ世界と、シビアにオゼゼ稼ぐ世界では全く違うのは勘違いすると詰むので気をつけないといけないだろう。
FIREとか訳の分からん言葉に騙されて資金確保して早期リタイヤしても、良い酒、旨いメシ、キレ-な姉ちゃん(もしくは渋いおっさんとかでも良い多様性)、良い車、豪奢なお屋敷ぐらいの薄っすい欲望しか持ち合わせてないなら、やることすぐに尽きて飽きてしまい、また働きたいとかならマシだけど、違法なお遊びに手を出して破滅の道に墜ちたりしてもくだらんので、金融商品売ってる側とかの甘言に騙されないように。
あと、趣味や遊びの世界は、突っ込んでいけば底なしの沼にどっぷり沈んで退屈なく楽しめるけど、浅いところでピチャピチャやってるだけでは、そこまで退屈しのぎにならないし、ましてやそれをたよりに隠居後の生活の長い時間を潰そうと考えたり、脱サラ後のなりわいにしようとしたりはゆめゆめ考えないように。
と、沼の深めの所からジジイの繰り言をいつものようにブクブクと吐くのであった。
今回ワシが言いたかったことは結局、ローマ字略称やら横文字やらを使いたがるのは、わけ分からんそれらしい言葉で人をだまくらかそうとしている詐欺師ペテン師の類いだから相手にするなってことだと思う。
その逆に、昔の漢文の知識が教養として当然のようにあっただろう時代の知識人の、漢字のあて方の素晴らしさには惚れ惚れとすることがある。チョイ前に話題にしたドレッドノート級戦艦から来た言葉である”ド級”のドの字にあてた漢字が””弩”っていうのもいかにも強そうな漢字でいいよねって話をケン一に振ったら、「あの弩って、中国とかで昔使われてた石とか矢を飛ばす武器のことで、開高先生の「流亡記」に出てきたはずって読み直して、ついでに超弩級戦艦がらみで吉村昭先生の「戦艦武蔵」も読み始めてしまった。」と言ってて、流亡記は自炊したデータで持ってるはずだし、「熊嵐」の吉村先生の超弩級戦艦モノとか面白くないわけなさそうで、これまた弩の西洋版みたいな武器であるクロスボウとかアーバレストとかいう名前の主人公機が出てくる賀東招二先生のライトノベル「フルメタルパニック」の完結大団円後の物語「フルメタルパニック!ファミリー」読んだら、「あれ?ヤン君ってテッサ逃がして死んでなかったっけ?」とかうろ覚えのところが出てきて気になってしまい、いま本編全12巻、短編集9巻を読み直していて手が出ないのがもどかしい。やっと読んでて辛いナムサク偏の峠を越したのでなんとか読み切る目処がたったところ。本来なら外伝の「アナザー」も全巻読み直したいけどそこまではさすがに無理。まあ、”ド”一つで小説2作品読んで暇つぶしてしまえるのって、さっき書いたらも先生の定義に従えば相当な教養なわけで、口開いて面白いことが降ってくるのを待ってるだけの無教養な人間は、このありとあらゆる娯楽にあふれたご時世でも、暇も自力じゃつぶせないって話で、瞬時に消費されていくような娯楽もそれはそれで良いけど、たまにはじっくり小説でも映画でも楽しんでおきたまえってジイサン思います。もちろんナマジ的にはマンガ・アニメも推奨です。まあ教養なんてのは楽しんで知的好奇心を満たしてるウチに後付けでついてくるもので、教養を得ようとそれを目的にしてもどうにもならんッテのはあるにしてもである。真面目に必死に楽しめ、生きてるウチにってことだろうな。
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