2016年10月30日日曜日

電子書籍経過報告

 電子書籍のkindle(キンドル)を導入したのが、2012年のクリスマス頃でかれこれ使い始めて4年近くになる。
 本体はカバーをかけて使っていたのでそれほどボロっちくはないけど、人工皮革のカバーが裏面はげたり、ページを送るために使う左手の親指があたる場所がすり切れたりとだいぶボロボロ感が出てきたので、新しいカバーを購入したところ。

 カバーのすり切れ具合からも「だいぶ読んだな」という気がするが、買った書籍の件数がはっきりデータに残っていて、それによると2800件ほど読んだようである。小説、エッセイのたぐいは200冊ぐらいでマンガが残りの2600冊ぐらいと、かなりの冊数になっている。
 電子版で買った他にも「自炊」した本が文庫本中心にマンガや雑誌含め1000冊弱あり、合計すると3500冊ぐらいがほとんど物理的スペースを食わずに、PCと外付けハードディスク、クラウドサーバに入っていることのありがたさをしみじみと感じる。多くの蔵書を自炊したので部屋の押し入れがスッキリしたうえに、検索一発で欲しい本が引っ張り出せるようになった。
 マンガも読んだあとに置いておく場所を取って仕方ないので、読んだら古本屋に売ってというのを繰り返していたが、スペースの問題がなくなって取っておけるようになって、気兼ねなく買いまくれる状態を楽しんでいる。マンガ買いまくり。
 年間の書籍代が数十万円にのぼっているが、その分の楽しい時間が得られているので満足である。

 電子書籍導入時、①欲しい本が買えるか、②あらっぽい雑な扱いに耐えるか、③ネットやPCへの接続のしやすさ、の3点を気にしていた。

 当初①については欲しい本が全然買えなかったので不満があったけど、だいぶ改善してきてマンガについては数ヶ月遅れの時もあるものの新作もほとんど網羅的に買うことができるようになってきた。小説エッセイに関しては、まだまだ網羅的とはいかないけれども、かなり読みたい本が買えるようにはなってきた。マンガに比べると遅れているように感じるが、何か理由があるのだろうか?

 ②に関連して、電池の持ちについては、電車の行き帰りと寝る前の1日2時間程度の使用だと、何の問題も無く使える。「書籍」購入時一旦PCを経由してUSBケーブルをつかってキンドルに落としているのだが、USBケーブルつなぐとキンドルに充電されるので購入時の接続だけで必要な充電が終了してしまう。
 10日を超えるような遠征釣行、とくに本読む時間の長い一人旅では1回の充電では間に合わず、予備の外付けバッテリーで対応している。
 紙の本のように気軽に扱えるか、については紙の本でも乱暴に扱えば破れるし濡れれば読めないので、同じようなものだと感じている。鞄に放り込んで気楽に読んでいる。
 紙の手触りがないとか読み心地が違うとか、こだわる人はこだわる部分かもしれないが、私は全く気にしていない。読めりゃええやんケぐらいに感じている。
 紙の本で買っても自炊してから読んでいる。ページめくりが片手で確実にできるので電車の中で読むのには電子書籍のほうが読みやすいのである。

 ③のPCやらネットやらからの「落とす」手順のやりやすさについては、PC経由で落としているのだが、ワイファイを使うと直接落とすこともできるらしいので、そのあたりは課題だが、今のPCとUSBケーブルで繋ぐやり方でもそれ程不自由は感じていない。

 総じて電子書籍については大変満足しており、もう紙の本は紙でしか出さない作家の本を買って自炊するぐらいになってきた。

 電子書籍はもう手放せなくなっている。

 電子書籍で恐ろしいのは端末の故障とサービスの停止で、端末の故障に関しては一度ソフトをアップデートしたら不具合連発して、初期化してグダグダとかめんどくさかったことがあるが、ぶっこわれたとしても端末を買い直して再出発という手があるのでなんとかなる。
 最悪なのがサービスの停止で、こればかりはそうなったら対策の方法がなかなか無いのが実際だと思う。
 さすがにキンドルが倒れたら暴動モノの話だと思うが、電子書籍の世界では客が取り込めずに撤退した異業種からの参入組とか屍累々なので人ごとながら恐ろしく感じる。
 大アマゾン様にはがんばっていただいて、これからもキンドルのサービスの滞りない提供をお願いしたいものである。

2016年10月23日日曜日

あるいは秋の味覚でいっぱいの海


 ここ3週連続で同居人のお母さんから食糧が宅急便で送られてきている。
 カキ、リンゴ等の果物に加えて毎回、サンマ煮とイチジクの甘露煮が入っている。

 おそらく同居人の実家でサンマとイチジクのもらいものが大量にあって、生で食べきれない分を煮て、さらに「お裾分け」で各地に宅配便で送っているのだろう。

 正直、お裾分け分だけでも3週連続ともなると食べきれないぐらいで、前回分のイチジク甘露煮がアルコール発酵し始めて、カブトムシ捕まえるときの餌のような状態になって捨てるというお百姓さんはじめ皆さんごめんなさいな状況になっており、正直飽きてきた気もするのだが、こういうコントロールできない、採れるときにはドサッととれてしまうのが農作物なり漁獲物の醍醐味だと思う。

 農作物ならまだ、作付面積だのの調整である程度は実る量をコントロールできるけど、それでも実る時期はだいたい決まっていて、採れるときにはドサッとあふれるぐらいとれる。それが漁業になると更に振り幅が大きくて、いきなり船が沈むぐらいの大漁になることもあれば、なぜか突然の不漁がやってくることもある。昨日もスカ食った。

 先日、シーバス釣りで調子よく釣れた日に「調子悪い日に分けて釣りたい」的なことを書いたが、全くそれは自然が相手である限り叶わぬ願いで、釣れるときに釣っておくしかないのである。まあ、それでもあんまり叩きすぎるとスレるので良い加減で満足して帰るというのも大事だとは思っている。

 農作物、漁獲物で、とりあえず沢山とれたときに食べきれない分を濃い味で煮て保存食にしてしまうというのは基本だろうなと思う。

 ただ、この保存食が単に日持ちのする食材という以上に美味しかったりするので、3週連続のお裾分けもうれしい悲鳴を上げつつ、毎日せっせと食べることになる。
 サンマ煮は煮返して食べているうちにボロボロと崩れつつ味がしみてきたりして実に味わい深いし、イチジク甘露煮もそれほど甘くなく仕上げてあり、発酵始まって多少酸味がするぐらいまではバクバクと食べられる。
 「飽きてきた~秋だけに」とかぼやきながら飽食するそのこと自体に贅沢を感じる。

 秋の味覚を飽くほど食らう快楽をいましばらく堪能できそうだ。

2016年10月16日日曜日

体脂肪率15%

 病気で寝倒していたころに増えた体重が、60キロを割り込み、トレーニングして絞り込んだ時の体重に近づいてきたけど、在りし日の遠征前のように体脂肪率が10%を切るような数値ではなく15%とかある。

 同じ60キロ弱でも、筋肉の量が落ちているので脂肪がまだついているということか。
 筋肉が2~3キロ脂肪に置き換わっているイメージだろうか。

 体脂肪率についてはあんまり下がると、寒さに弱くなるように感じたりするので、脂肪を減らしたいというよりは筋肉量を増やしたいところだ。徐々に筋トレとかも付加をかけているので、筋力付けてパワーアップしたい。

 体脂肪率、15%~20%が年齢からいって普通ということらしいので、脂肪自体はもう少し増えてもいいっちゃいいのだが、腹回りに肉がつくと服を買い換えなければならなくなるので煩わしい。
 何でもネットで買える時代になったが、さすがにスーツとかは店に買いに行って裾直しとかしてもらう必要があるので面倒くさい。 


 例年秋になると、食欲の秋でモリモリと飯を食っていたのだが、今年はというかだんだんと食欲も落ちてきているようで、若い頃は「三度の飯より米が好き」、「おかわり自由は基本的人権」とかいいつつ、チャーハンおかずに白飯を食ったり、昼に弁当2個買って食ったりしていたのだが、最近は店で食事するときにもご飯大盛りをたのまなくなり、学生時代朝晩で3合飯を食っていたのが、2合炊いて3食もつという小食になった。

 飯を沢山食うのはそれ自体に喜びの伴う行為であり、食が細くなったのは寂しい限りであるけど、それでも秋にはサンマやらキノコやら栗やらの秋の味覚があり、味覚の秋を楽しんでいる。

 サンマは同居人のお母さんが、骨まで軟らかく煮たのをジップロックに詰めて送ってくれたのが冷凍庫にストックされていて、ここしばらく連続しておかずにしているがなかなか飽きない美味しさがある。

 キノコは某そばチェーン店のキノコ天丼そばセットがマイブームで、カラッと揚がって甘辛い天丼ダレをかけられたマイタケとシメジを堪能している。マイタケ大好きでマイタケの人口栽培を開発した人には感謝感激で舞を舞う次第である。

 栗は同居人が買ってきて煮たのを半分に切ってスプーンでほじくって食べているが、今時甘くて美味しいむき栗が売っているけど、そこはかとなく甘い程度の素朴な味わいが逆に好ましく感じる。

 天高く馬肥える秋とはいかずに痩せてきているけど、それでも秋は秋だなと思う。

2016年10月9日日曜日

道具と玩具のはざま


 フラットラップが最近好釣で、その生い立ちとかシンプルな道具としての有り様とかを見るにつけ「ラパラは漁具」という思いを新たにしている。

 じゃあジャパニーズハイテクルアーは何かと聞かれれば「玩具」と良くも悪くも思ってしまう。

 玩具の楽しさを否定するつもりもないし、ラパラにももちろん玩具的な面白さも十分あると思っている。

 どんなに機能面に優れた道具でも、使う行為に楽しさが伴わないわけがなく、玩具的な要素はどんな道具にもあるのだと思う。

 だとしても、今時のジャパニーズハイテク釣り具の道具本来の用途を逸脱するぐらいの過剰な機能なりを思うとどうにも玩具に寄せすぎなような気がする。

 見た目にいかにも釣れそうなリアルな造形だとか玄妙な重心移動システムとか、フラットラップには全くもって無い要素だが、だからといってフラットラップがそういう要素を備えたルアーに負けるかというと、そんなことはなくて、かなり多くの場面でそれらをしのぐ働きを見せてくれる。

 リールにしても今使っている中華なPENN430ssgなど、極シンプルなウォームギア採用の機構で壊れるところが少なく、ラインローラーと逆転防止のベアリングへの注油だけで8年使っているが、何ら不都合無く使えている。よくできた道具だと思う。

 有り体にいって、魚を釣る道具としてはルアーのリアルな造形も、リールにたくさん入っているベアリングもあまり必須でないように感じている。

 それらが釣っているのは魚というよりも釣り人ではないかと感じているし、多くの人が指摘するところだがいかがなものだろうか?

 「釣り」を遊びで行う限り、道具は単なる道具ではなく道具そのものに楽しみが付加されて「玩具」じみてくるのは避けられないとは思うが、個人的な好みとしてはシンプルな機能に徹した「道具」がもつ渋い魅力にメロメロにやられてしまうのである。

 とかいいながらも、タックルボックスがひっくり返したおもちゃ箱みたいになってるのも、それはそれで楽しいと思うのだが。

2016年10月2日日曜日

簡単に手に入ったモノはつまらない。苦労して手にしたモノだけが私をいたく満足させる。

 シーバス釣りが好きだ。今更だけど。

 テナガの時期には「テナガ至高!」とかハゼ釣りの時期には「ハゼ釣り燃えるッ」とかやってるわけで、今更なうえにナニゆうとるんやコイツな感じは否めないが、それでも私がシーバス釣りを好きな気持ちを否定するには至らない。

 シーバス釣りのナニが面白いかとつらつら考えると、釣れるときは釣れるけど、釣れないときは釣れない難しさ加減がちょうど良いんだと思っている。全く釣れないとしんどい修行のような釣りになってしまうが、そこそこ釣れる。でもハズすと何十年とやってきているのにスカ食ってしまう。そのあたりの加減がちょうど良い。

 シーバスはどこにでもいる。それこそ自転車で数十分の近所の川にも上がってくるし、港湾部や河口はもちろん、ちょっと沖に青物と一緒にいることもあれば、アユのいるような清流にもいる。スズキの生き方は多様性に富んでいる。
 でもいつもいるかというとそうでもなくて、爆釣したポイントがちょっと日が違えばまるで反応しないなんてこともある。
 だから、いつも釣れるか釣れないか不安な中でドキドキワクワクと釣り場に向かうし、釣れれば心底ホッとする。
 釣れれば心底ホッとするのは、シーバスが狙い通りポイントにいても、食わせるのは難しくないコトが多くても、かけるのと、かけてからあげるのが難しく、バラしも多いからというのもある。かけてからも首振るたびにひやひやして、やっとネットに収まってくれたときの安堵といったらもう、シーバスやる釣り人なら分かっていただけるだろう。

 シーバスの生き方は多様性に富んでいる。
 その日その場所そのその時々で付いてるポイントも食ってる餌も、当然ルアーへの反応も違ってくる。
 釣りの教科書やらを読むと、そういったパターンに対応して柔軟な戦略を練れ的なコトが書いてある。あるんだけど、それをやろうと思うと膨大な種類のルアーと竿とリールも必要で、かつ半端な腕では下手な鉄砲休むに似たりでどの戦略も中途半端に終わりかねない。

 20年以上シーバス狙ってきて、平均的なヘボ釣り師の域をでないでいる私は、その日のパターンに合わせて戦略を練るなんていうことはハナから放棄しているところがある。今日の釣りはこのパターンでハメてやるんだと決め打ちで、反応無ければ戦略変えずに場所変えてぐらいの勢いで行く。道具もシンプル。竿いっちょにタックルボックスもウエストポーチに入る小型のが1つである。

 20年以上シーバス狙ってきて、正直交通事故的な釣果ではないそこそこ釣果の出せる自分のものになった勝ちパターンの釣り方って、ありとあらゆる釣り方が存在する多様性のなか3つしか持ってない。「バチパターン」と「運河の橋と灯りの下」と「カヤックでの杭打ち」である。
 逆に言うと、長い時間かけて経験積んでモノにした技術以外は、あんまり釣り場で確実性が無い。釣具屋の宣伝に乗せられて付け焼き刃の戦術で臨んだところでそんな簡単にシーバス釣れないというのは、いやというぐらい理解している。
 それでも新しい技術をモノにしたくて、いろんな釣り方にも挑戦する。それもまた楽しいというのも正直あるが、すぐに釣果に結びつくモノだとは思っておらず長期的に育てていくべき性格のモノだと思っている。

 私のデキないシーバス釣りの技術がたくさん存在して、私の釣れないシーバスが沢山泳いでいる。これを釣りたいと思わずして何の釣り人か。これが楽しいと思わずして何の釣り人か。

 これからもシーバス釣りに関しては楽しく苦労させられるだろう。