右や左の旦那様、みなさまのお恵みで今日も暮らしておりますナマジでございます。ありがたやありがたや。
ちゅうわけで、地域最強の釣り師の座は港に集う猛者どもに譲るとしても、地域最強のスカベンジャー(掃除屋)の座はワシのもんじゃ。時にボラを釣ったチヌ師のそばににじり寄り「今の時期ボラ美味いっすよね~」とか、エソ系釣ったジギンガーに忍び寄り「良いエソですね~すり身汁とか最高ですよね」とか、アイゴ釣った家族連れに善人を装い接近「刺されると危ないからオッチャンがハリ外したろ」とか言いつつ言葉巧みに言外の圧をかけていって「食べるんならあげますよ」の一言を引き出す話術。
そして、時化で頭どっかぶつけたのか波打ち際にヨタッているボラとかみつけたら、釣りそっちのけで駆けつけて陸に蹴り上げて確保する。時には最強のスカベンジャーの座を争う同業者であるカラス達の獲物を強奪さえする。それが”スカベンジャーナマジ”。
そんなナマジの今回の獲物は、刺し網の漁師さんが売り物にならんからと網掃除しながら海に帰したハモ。まあ売れる魚を市場に卸してからの網掃除だろうから、水から上げられて時間の経ったハモはそれでも生きてるのは流石の生命力だけど、虫の息でプカプカ流れてきたので落としダモに竿先で誘導して確保。
ハモ拾うのは2度目でもあり、「やったぜ、今日はハモちりだ!」と喜んでたら、嬉しいことに漁師のオッチャンからなんともう1匹プレゼント。深夜の通販番組のような大盤振る舞いで感謝感激。
こんな良い獲物もらって良いの?2匹も?と戸惑うほどだが、もらったもんはワシのもんじゃ、後で返せって言われても鵜飼いの鵜とちがうんやから獲物は吐き出さんぞ!
ということで、ウキウキと調理に入るんだけど「これひょっとしてハモのそっくりさんのスズハモで市場価値が低いから捨ててたとかあるかもな」という気も若干して、漁師のオッチャンの好意を疑う自分のゲスな勘ぐりにややいやになりつつも、検索図鑑だしてきて同定のポイントを調べると、肛門より前の測線数が39以下ならスズハモ、40以上ならハモ。と数えるの面倒だけど確実な同定方法があるようなので測線大きくて数えやすいし数えてみたら。42と44でどちらも”THEハモ”でした。漁師のオッチャン優しい。ワシはゲスい。まあ、ハモなんて骨だらけの魚は、長物独特の生命力の強さで京都まで活魚輸送車がなかった時代にも桶かなんかで活けで届けられるから、京都人がありがたがって”骨切り”なんて面倒な技術確立してまで食うようになって美味しく食べる文化も発達したって話で、産地じゃ数まとまらず売り物にならんかったら捨てるような魚だわな。こんな面倒くせぇ魚食わんでも他に食う魚あるわな。ッテ思ってると当地ではハモ以上に骨だらけで食うのに技術がいるウツボはわりと珍重するようで、干物とか蒲焼きとか、あの分厚い皮が美味いんだとか。確かに皮分厚くて九州で食べたけど旨かった記憶がある。ただ、小骨をペッペと吐きながら食った記憶もある。さてさて、それでは調理して行くとしよう。なにせデカいの2匹なので、三枚下ろしにした次点で1.5キロぐらいの身が取れたのでちり鍋以外にも色々試してみよう。
三枚おろしの方法だけど、以前にも書いたように「まな板からはみ出すようなら適宜ぶった切って回数わけて」「樹脂性のまな板では”目打ち”の代わりに持ち手に結びつけた釣り針に引っかけて固定」っていうのさえ知ってれば、三枚おろしまでは普通の魚と大差は無い。今回は1m弱ぐらいはあるデカブツなのでまず頭落としてハラワタ取ってから前半後半に分けて三枚に下ろした。捌いてて改めておもうけど、尋常じゃなく歯がヤバくて今回初めて気がついたけど上顎の歯は真ん中に1列で、餌食うのに全然便利そうに見えないけど、切り裂くことに特化したようなヤバさがどうにも凶暴な代物である。持ち帰るときに、死にかけで虫の息だったので噛まれることはないと思ってたけど、魚ばさみで挟んでもヌルつくので口に魚ばさみ突っ込んで持ち上げようとしたら、ガキンッっと音を立てて口が締まって、噛まれたらエラいことになるなと肝を冷やしたが。この歯を見ると尚更剣呑さに肝が冷える思いがする。あと普通死んだ魚って一旦沈むんだけど、ハモは浮いてくるのは浮き袋が大きいことも関係しているのかも。当然プルクニャの珍味なので胃袋、肝臓と共にちり鍋に入れる。
そして、問題の”骨切り”なんだけど1ミリ間隔とかの包丁の冴えは必要ないんだけど、皮までキッチリ包丁を入れて、その時にちょっと間を空けるように身を分けてみて、骨が切れてないとその時に白い筋のような感じで残ってるのが見えるので、そうなってたらさらに包丁を入れて引いてやってザリッと骨を断ってやる必要がある。1回目急いで切ったのを白焼きにしたら、骨まで切れてなくて下の写真の様に骨吐き出しながらの食事となった。なぜか骨が3本ぐらい皮膚に近いところの筋肉中に背骨と並行に近い方向に入ってる。3ミリ間隔ぐらいでもちゃんと”骨切り”できていれば食べてて全然気にならないんだけど、残ってると邪魔くさい。切るの慣れてくると最後に皮付近でザリッと包丁が骨を断つ感触が分かるようになってくるので、そうなるとそれ程時間の掛かる工程ではなくなる。刃を入れる回数を競うような精密さよりも、多少間隔広めでも骨を切り残さない丁寧な仕事ってのが肝だと思う。皮の近くに骨があるのなら皮と骨一緒に切り取って捨てたら?っていうのは長物の皮を食わないという選択肢はあり得ないので却下。 でもって、骨切りまで済ましてしまえば、あとはどうとでも料理できる。とりあえずの”白焼き”から始まって、ハモの身に白菜、ネギ、厚揚げを具にプルクニャの浮き袋やコリコリした胃袋も楽しめる”ちり鍋”に行って、次の日、鍋の汁がハモの骨を焼いたので濃く出汁取ってあったら煮凝ってるのをみて、これは汁ごと完食せねばと、メンツユと砂糖少々で薄めのすき焼き風の味付けにして、大根、タマネギ、ネギとハモをぶち込んだ”じふ煮”にしたら、これは大正解で煮返して汁を冷や飯に掛けて食うのも最高だった。そして白焼きにしておいた骨切り済みの身を、骨の焼いたので出汁を取ってメンツユと砂糖で濃いめに味を付けた”タレ”でザッと煮て、ご飯の上にタレとともに乗っける「ハモ丼」。ウナギも絶滅危惧種だなんだで高いし食う気にならず何年も食べてなかったけど、鰻丼とはちょっと方向性違うけどこれはこれで丼飯余裕のご馳走になるのであった。あと骨を焼いたモノは出汁が良く出ることが判明したので味噌汁の出汁にも使って使い切りました。
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