![]() |
上からテナガエビ、ヒラテテナガエビ、ミナミテナガエビ |
そんな細かい違いに何の意味があるのかと、釣ったら自慢できるような魚種ならともかく、”外道の雑魚”の名前が分かったぐらいでナニが面白いのか?と感じる人もいるだろう。まあワシそもそも外道も雑魚も魚を指し示す概念として持ち合わせていないからな。
ただ、言わせてもらえれば、自分の釣っている、釣った魚がなんなのか、その最も基本的な情報である魚種名さえ知らないとなると、ナニを足がかりにその魚の情報を探っていけば良いのか?その魚が釣りの直接の対象魚でなくても自分の狙う魚とどういう関係があるのかは知っておくべき情報のはずである。もちろん同じ魚種においても地域差とか個体差も生じ得て、釣り人は時に、「種」以上に細かく自身が釣りの対象とする魚について知っていかなければならないとしても、まずその魚の種名ぐらい分かってないと話にならない。昔の磯の底モノ師がハタの類いの大型種を全部”クエ”のひとくくりで済ましていて、そんなんじゃ戦略立てようがないだろうと呆れたものである。少なくとも種が違えば生態や行動に差があっておかしくなく、最終的に包括的に複数種を狙うことになることは珍しくないにしても、種ごとにどう違うのか、どう同じなのかが分かっているのと分かっていないのでは大違いで、戦略の立てようが違ってくるだろう。
過去何度も書いた繰り返しだけど、生物の世界はきっちり切れ目がある世界ではなく、むしろ今現在でも変化して進化して種の分化や統合が起こりつつある状況にあって、「種」という整理は、人間側が名前付けて整理しておかないとややこしいので、一定の基準で、本来なだらかにグラデーション状に変化していく生物の集団に人間の都合で分かりやすいように区切りを設けたモノだと思っておけば間違っていないと思う。というここで、おさらいがてら「種」という概念とその定義を確認しておくと。生物学的には「種」は形態や生態により、他の生物集団から区別できる生物集団であり、同一の種内では交配して子孫を残すことができ、他種とは遺伝的に隔離されている。というのが一般的な種の概念で、最後の「遺伝的に隔離されている」ことは「生殖隔離」とよばれたりして種の定義とされている。ただ、さっきも書いたようにキッチリ線引きができるモノではないので、アマゴとヤマメみたいに普段は生息地のちがいとかで生色隔離が成り立ってるけど、一緒にしておけば交雑してしまうような、種よりゆるやかな分かれ方「亜種」とされたり、DNAとか調べると結構ちがう傾向が出てくるけど、普通に天然でも交雑してることも多く、なだらかにいろんな変化を含んでるような場合では、線引きが難しいけど、なんとなくいくつかの個体群に分ければ分けられそうで「○○タイプ」とか整理されることもある。そのへん、種を分けるべきか、同じで良いか、むしろ統合かとかはDNA調べるような分子生物学的な手法が盛んになってきてから色々と分かったり、逆に混乱に拍車がかかったりしてもいる。生き物ってのはそれぐらい変わり続けて多様性に富むのがあたりまえで線引きが難しいということは、前提として念頭に置いて考えるべきではある。
ということで、種なり亜種なりが一緒なら、あるていど形態や生態が同じ生物集団だと考えることぐらいはできそうであり、よって釣りの対象とするなら、その魚の種なり亜種なりの特徴を知り、それを対象とした釣り方を学び、そういった一般的な知識に自分の釣り場、釣り方の特性を加味して、知識を上積みして、戦略を練り試行錯誤していく必要がある。
で、今回のネタの、本州で普通に狙えるテナガエビの仲間3種については、江戸前小もの釣り修行でもっとも得意として修練を積んだのがテナガエビだったので、思い入れもあり、首都圏在住時にテナガエビとヒラテテナガエビは釣っているので、南方系で関西以西に多いとされているミナミテナガエビは是非釣りたいと移住時考えていた。紀伊半島以南ぐらいだと普通にテナガエビ釣ってるとミナミテナガエビも混ざってくると聞いてたので、釣れると思ってたらテナガエビ自体が近所の川では釣れるほど居るところ見つけられなくて半ば諦めていた。
ところが、鮎毛針釣りで暗くなるまで粘った帰り道、トボトボジャブジャブと川の浅瀬を帰路についていたら、ヘッドランプの明かりの中にテナガが入ってくる。その川ミナミヌマエビはワサワサいる川でその夜も抱卵雌とかがホヨホヨと泳いでたんだけど、テナガは少なくてこれまでシーバス釣ってるときとか、鮎釣りの帰途に足下とかに居ないか気にはしてきたけど、下流のテトラではたまに見るけど、それも釣りになるほどは居ないのでテナガは居ない川という認識だったけど、何匹か居るのでちょっと意外な感じがして、やや大きめのオスがいたので捕まえたくなってタモ構えてそっちに足で追い込んで確保。手にとってみて戦慄が走る。ハサミに毛があんまり生えてない。ひょっとしてと思って、歩く足の爪を確認すると明らかに短い。ミナミテナガエビだった。その場でススキの枯れ穂を竿に仕掛けをでっち上げて、川虫とミナミヌマエビむき身を餌に10匹弱釣ったところ、どれもミナミテナガエビだった。その日の探索の結果、ミナミテナガがいるのは10mあるかどうかの狭い範囲の流れの強い側の浅瀬に限られていて、それまで反対側の流れの弱い砂底の方は何度も通っていたのに気がついてなかったという、ちょっと入渓地点を変えたことによりたまたま見つけた生息地だった。釣りってそんなもんだけど、ドンピシャの場所と時間の黄金郷のすぐ隣に不毛の砂漠が広がっていたりする。端から端まで場所と時間と状況を変えてすべてを調べ尽くすことのいかに難しいことか。あらためて思い知らされることとなった。
テナガエビとミナミテナガエビとヒラテテナガエビの3種においてヒラテテナガエビは形態的にかなり違うので、テナガエビ釣ったことある釣り人ならすぐに判別可能だろう。その名のとおりハサミ脚(第2歩脚)がごつくて平べったい。全体的にゴツくて殻も分厚く、どこかニホンザリガニのような渓流性のザリガニを彷彿とさせる雰囲気がある。ちなみに外来種のアメリカザリガニがニホンザリガニを減少させたというのは、ほぼ嘘っぱちである。生息環境が止水や下流域の暖かい水を好むアメザリと渓流やわき水の冷水域を好むニホンザリガニでは生息地があまり重ならない。多くの人が昔は田んぼの脇の水路とかにニホンザリガニが居たと言ってるのは、冷たい湧き水を引いてるならともかく、基本的には赤く発色するまえのアメリカザリガニの幼令個体をニホンザリガニだったと思い違いしているだけである。田んぼで捕まえてきた赤くないザリガニを長期飼育していると、脱皮して大きくなっていく課程で、あるときハサミ脚が赤くなったなと思ったら次の脱皮で全身真っ赤になる。ちゃんとアメリカザリガニの長期飼育ができていればそういう勘違いはしないはずである。アメリカザリガニとの競合が起こりそうな河川の下流域や止水域では生息域がかぶるのはテナガエビやスジエビなどであり、これらには何らかの影響はあったんだろうと思う。思うけど大河川ではテナガエビの方が優勢なように思う。アメリカザリガニが問題になるのは天敵のナマズやらウナギやらも居ないような狭い水域に持ち込まれ、希少な植物やら刈り取って動植物を食い散らかすような場合だろう。ちなみに逃げ場もない水槽でアメリカザリガニとテナガエビを一緒に飼うと、テナガエビが長いリーチを活かした攻撃でアメリカザリガニを完封してしまい、アメリカザリガニ歩脚全部切られてダルマ状態にされるらしい。ハサミの強さならアメザリ有利に思えるけど攻撃できる間合いに入らせてもらえないようだ。ロングリーチを活かしたジャブとストレートでゴリゴリのインファイターを懐に入らせないアウトボクサーみたいなものか? で、ノーマルのテナガエビとミナミテナガエビの違いは、パッと見ただけではわからんぐらい似ている。ちょっと昔はミナミヌマエビは胸の”M”字模様がくっきりとしているのに対し、テナガエビはややグチャッと乱れるとか書かれていることが多かったけど、模様だ色だは個体差やら体色の変化やらでアテにできないことがある。今回ミナミテナガエビとしたエビたちも、M字はハッキリしていない。ていうか写真だとM字がない。これは夜間に釣ったからというのが原因と思われ、光の強い状況では保護色に効く模様をハッキリとさせていることが多くても、夜とか濁りの中では色がボヤけてることが多い。あと個体差も大きい。この程度の模様の出方で種の同定ができるとは考えにくい。肉眼で細かく見ればうっすら透けて見えるような模様は確認できるかもだけど、そんな難しいことしなくても他の見分け方を使えばいけるので、そっちを使う。![]() |
上段2匹テナガエビ、下段2匹ミナミテナガエビ |
![]() |
上列テナガエビ、下列ミナミテナガエビ |
ところが、テナガエビの歩脚の爪は、上段写真の真ん中の雌の黒っぽい卵を背景に写ってるのが分かりやすいけど、鎌かっていうぐらいに細くて長い。後ほど考察するけど、なんか特殊な用途にでも使わない限りこの細長さはないと思う。
このぐらい違うと、生物の世界に100%はなく、例えば交雑個体の可能性もないではないし、ワシが念頭においてない最初から検討対象としてない南方系の種とかが気温上昇の影響で生き残ってるとかあるかもだけど、まずミナミテナガエビで間違いないだろうと思っている。国内最大種のコンジンテナガエビとかだったりしたらそれはそれで嬉しいけどね。24センチ(半分ハサミ脚だけど)とそこそこ大型のオス個体でもハサミ脚が黒くはなくコンジンっぽくなかったのでコンジンはないだろうけどな。
で、そんな毛だの爪の長さだのが違う種が釣れたぐらいで、なにを”戦慄”せにゃならんのだ?どうでもいいだろ、たいした違いかよ?って思うかもしれない。そう思うのは”センスオブワンダー”の欠如であり、生き物や自然の不思議や仕組みに対する興味や感動する心を欠いているといわざるを得ず。せっかく魚釣りして自然や生き物に触れる機会が多いのに、その楽しさの根源にあるものを理解できておらず、木を見て森を見ていないと指摘せざるを得ない。センスオブワンダーって言葉は今では”SFを楽しむ素養”的な意味合いで使われることが多いけど、もともとは「沈黙の春」で有名なレイチェル・カーソン先生の著書から来ていて、自然や生命の不思議を楽しむ素養というような意味があった。カーソン先生引用されまくってるから知ってるけど著書はパラパラと摘まみ読みぐらいで通して読んだことないっていうのがちょっと恥ずかしいけどね。
種が違うと、似ている種同士でもちょっと違う。そのちょっとの違いがなぜ生じているか?っていうあたりにまで突っ込んでいけると、その違いはメチャクチャ楽しめる味わい深い違いとなる。
今回のテナガエビ(以下「ノーマルテナガ」と書く)とミナミテナガエビの違いでいえば、前々からノーマルテナガのほうがハサミに毛が多く、脚の爪が長いってことは、河口域の葦ッパラとかにノーマルテナガは適応していて、ドロドロッちい環境で底の有機物を毛で濃し取るようにして食べてたり、葦に長い爪を引っかけて行動してたりしてるんじゃないかと思っていた。葦のある釣り場では葦の上の方に餌垂らしておくと登ってきて釣れる。っていうか底の方に餌落とすと絡んで上がらないことがある。で、今回釣ったついでにネットでまたお勉強してみたら、やっぱりノーマルテナガのほうが河口域に適応しているというのはあってるようで、逆にミナミテナガは中流域とかにも居るとのこと。ノーマルテナガの脚の爪の長さについては不自然なぐらい長くて、内股に折り曲げて爪の背で歩いているのは何の意味があるのか?と水槽観察から書いている人もいて、歩くときの爪の向きまで見られていなかったので、見る人は見てるもんだなと感心した。葦とか壁面とかに引っかけて登るほかに、ドロドロの底に沈まないように長い爪で重量分散させて歩いているのかも?とか考えるとまた楽しめる。
で、重要なのはミナミテナガとノーマルテナガでは生息域が川の河口ではかぶるけど、ミナミテナガはノーマルテナガでは産卵期でもなければ居ないような中流域でも生息しているってことで、これまで紀伊半島に来てからテナガを探したのは河口域ばかりで、ミナミテナガが中流域より上にもいる可能性は考えてなかった。ノーマルテナガがグチャッと居た東京湾に流れ込む川とかでの成功体験に意識せず引っ張られてしまってたっていうお粗末。なので近所の河川でももうちょっと中上流域を探らないといけなくなってきて、イマイチ釣れていない絶不調もあり自転車積んで電車でGOとかで新規開拓するか?とか思ってたけど、そんなことやってる場合じゃなくなってきた。改めて探って居なければ居ないでそういうもんだけど、N川の上流では数は少ないけど、やっぱりミナミテナガが居て釣れたし、釣れないまでも初めて探りを入れたN川の支流で意外に大型のカワムツが多いとか、テナガに限らず発見はあって、不調で停滞気味だったのを打破して新しい展開に突っ込み始めている。ノーマルテナガとミナミテナガとの違いの、違いが生まれた背景、生態や進化に思いをはせるだけでも、お好きな人間なら丼飯余裕の楽しさがあるうえに、さらにその違いから釣りの戦略を立て、実際に獲物を手中に収めることができるとなれば”センスオブワンダー”は釣りをより楽しくする香辛料の役割だけでなく、”釣るための武器”の一つにさえなり得るのである。
釣り人ならくっだらない新製品をありがたがってる暇があったら、センスオブワンダーを磨いておけって、ちょっと魚釣れないと道具ばっかり買ってることへの自戒も込めて今回テナガネタを書いてみた。
以前、釣り人なら「新しい釣り場」の発見については、新しい天体の発見以上の価値を認めるべきと書いた。もちろん新しい釣りモノや釣り方についても同様である。今回ミナミテナガエビという新しい釣りものを見いだし、新たな釣り場を開拓できたことは、ワシ的にとても大きい意味を持つ。たとえ釣れるのがそれほど大きくもないエビで”小物”であったとしても、その楽しみは決して小さくなく、ワシにとっては天体の発見にもひけを取らない大発見であると満足している。