健康面問題抱えて電車で長時間立ってるのもしんどかったりするので近所の釣りが多かったけど、仕事もしてなく暇でもあるので週2日ぐらいは体力づくりかねて釣りに行っており、意外に釣りについては好釣といっていいぐらいの1年だったように思う。近所の釣りものをじっくり腰据えて追いかけられたのは釣り人として得難い経験だった。新しく始めたヘラ釣りもやっぱり面白くて楽しめている。
○釣り:1位管理池の一匹目のヘラ、2位春の2匹目のスズキ、3位「過ちポイント」雪辱の1匹
わざわざ放流してるフナぐらいどうとでもなるやろと「ゆるふわ」にそれでも相当に準備して始めたヘラブナ釣り。自転車で行ける管理池で屈辱のデコデビュー。魚のいっぱいいる「箱」で練習して満を持しての再挑戦の管理池。半日ぜんぜん釣れずに返り討ちの気配濃厚のなか、隣のおっちゃんのまねしてダメもとで初めてやってみた段差の底釣りで、浮子がユラユラっとし始めて一発スレた後、絶対来るという予感の中、待望の管理池初物がキタ。どんなアタリだったのかもどうやって掛けたのかも憶えていない。掛けたときの記憶が飛ぶほど興奮したのってフロリダのターポン以来である。全く馴染みのない、技術が求められる苦手な種類の釣りゆえに難しくも楽しく釣っている。まあ、すぐには上手くならんだろうから地道に長く楽しもう。
2位の早春のバチパターンのスズキについては「一発目でかいの釣ってなかったっけ?」と思われるかもしれない。確かに90UPは対外的には自慢できる迫力のある数字だし、もちろん釣れてうれしかったけど、ぶっちゃけ想定外の幸運で実力以上の結果だと思っている。70,80は想定してたけど同じパターンでは80まだ釣ってないのにいきなり90越えはたまたまだとしか思えない。その点、2匹目のスズキ様は早春のバチパターンはある程度型の良いのが狙えると計算してたことが間違ってなかったという証明だと思う。まぐれじゃないと自分でも納得できる魚だった。年明けたらすぐに良い季節がやってくるかと思うと楽しみである。毎年状況は違って苦戦するとは薄々知っていても期待せずにはいられない。
3位の「過ちポイント」のフッコは、クルクルバチ攻略とかシーズン終盤の67とか他にも印象に残るしてやったりの釣りが結構あった中でももっとも気持ちいい1匹だったと思う。秋の近所ポイント攻略、ボイル狙いで攻めてみたもののそっちはまだ上手く釣れていないけど、杭とかの障害物がらみとか地形変化とかの狭い範囲を狙っていく近接戦で何とか魚を拾えるようになってきた。障害物周りを狙うのもあって結果として根に潜られるような失態も増えて、悔しく恥ずかしい「過ち」を犯した翌日にしっかり対策通りに釣って雪辱を果たしていい気持ちで眠れた。秋には内房に行くことが多かったけど車の運転が不安な体力で断念せざるを得なかったけど、ハゼ釣りも含め近所ポイントしつこく通うことでいい感じに見えてきたものがあるように思う。やっぱり釣りは足繁く通ってナンボである。
○残念だった釣り:1位シーバスラインブレイク2回、2位ヘラ釣りデコ、3位落ちハゼ
1位のラインブレイクは本当に恥ずかしい。魚にはルアー口につけた状態で逃げられて、はずれたとしても釣り場にゴミを出してしまったし、お気に入りのルアーも失うし、何一つ良いことがない。シーバス釣ってて、ある程度距離がある状態で下に突っ込まれて牡蠣殻にスレてリーダーが切れるとか、どうしても避けようがないこともあるけど、今年の2度は、障害物周りを狙っているのだからあらかじめドラグ強めでバレて元々で強引に寄せていれば避けられていた可能性が高い。チャンス少な目な気がしていたので竿をバラシ防止に重点を置いて、グラスソリッドティップでグニャグニャとしのいでくれるアグリースティックライトに変えたことで、魚に突っ込まれやすくなったのかもしれないというのは言いわけか。竿が悪いわけじゃなく使いこなせてなかった私が悪いと反省するしだいである。竿に限らず道具変えるとこういうことも起きるのでなるべく癖の分かった同じ道具を使い続けたいと思っている。
2位のヘラ釣りにおける「オデコ」は毎回クッソ悔しかったし残念だったのは間違いないけど、どちらかというと当たり前で必要ですらあるはずの残念な釣りだと思う。今時、初心者用の映像とかも各種あって、新しい釣り始めるにも恵まれた環境ですんなりと各種技術を習得できるんじゃないかと始める前は思ってた。そんなわきゃないよね。見たからって映像の中の名手のようにすぐにできるようになるわきゃないし、そもそも釣り場と魚の状況がやっぱり同じなわきゃーない。結局デコ食いながら試行錯誤していく中で釣り場にあわせて自分の釣り方やらなにやらをちょっとづつ工夫して積み上げてくしかないよねってところ。初心者のうちが先入観無く一番いろいろ試せる時期だと思うのでデコにめげずに立ち向かいたい。
3位の落ちハゼだけど、だんだん落ちていく感じの季節的変化は追えたんだけど、下流域の深場に群がまとまってちょい投げで爆釣的な想像していた状況にはならなくて、長い磯竿で遠投してさびいてる玄人がちょろっと釣れてるぐらいの感じだったので手が出せなかった。今年がはずれ年だったのかもしれないし、爆釣するのが滅多にない当たり年なのか何とも判断しかねるところだけど、来年は遠投にも挑戦するぐらいの心構えで引き続き探っていきたい。
○ルアー:1位ニョロニョロ、2位フラットラップ、3位ハードコアリップレスミノーF90
1位のニョロニョロはもう、オレは春先のバチ抜けは一生これ投げてるんじゃないかなという感じになってきた。あまり動かない系のバチ対応シンキングペンシルの元祖にして一つの完成形。
2位のフラットラップは、生産中止のニュースの衝撃が世界中の愛用者に駆け巡った(かもしれない)。ラパラさん頼むから我が家の在庫が無くなる前に再生産お願いします。何で売れなかったのか理解に苦しむ。何度でも書くけど史上最高のミノーだと私は思います。
3位、さすがのヨーヅリブランドという感じで、良く飛んで良く泳ぐ。今時の日本製ミノーにしてはバタバタとした強めの動きで気に入っている。たぶん海外の釣り人の嗜好にあわせて動きをはっきりさせているのだとおもう。そのバタ臭さ世界標準。しかもお値段控えめで安売りだと新型のタングステン重心移動搭載型が千円切りまっセ。
○釣り具:1位アグリースティックライト7f、2位陽舟10尺、3位プロックスの長靴
1位の、アグリースティックは最近出番もないし使ってみるかと使い始めたら、改めてこの安竿の良さを実感した。とにかく丈夫なうえに、ダルくてアタリをはじかないしネチョっと粘ってバラシも少ない。近所ポイントはそれなりに釣り人多い割にめぼしい変化に乏しい都市河川で、釣り人が狙ってない「竿抜け」になってるようなところって、欄干がじゃまとか木の枝がじゃまとか投げにくいところが多く、結構竿先ぶつけながら投げ込んでいる。でもグラスソリッドのティップは全く大丈夫で宣伝どおりに恐ろしい丈夫さをほこる。当然グラスソリッドでダルネバな調子は私好みの感度は悪いがはじかない粘り調子。一世代前のライトじゃない奴に比べれば随分トップヘビーなバランスの悪さも解消されて使い心地も軽快になっている。柔らかさに最初慣れてなくてシーバスに潜られたりしたけど、フルロックに近いようなドラグ設定でも折れない竿なのできつめにドラグ締めて対応することにしている。1シーズン使ってだいぶ癖が分かって使いこなせるようになってきた。欠点はブランクスの丈夫さにガイドが全く追いついてないことで、ガイドのフットが、先代もそうだったけどいくつか折れて交換している。費用対効果まで考えると滅茶苦茶優秀な竿だけど、ガイドだけはアキレス腱なので買う人はガイドとっかえることになるのを想定しておいて欲しい。今売ってる最新版はエリートとかいうシリーズだと思うけど、使ってる人の貴重な意見を読むとやっぱりガイドがショボいらしい。まあその辺も含めて愛すべき竿だと思う。
2位の陽舟はさすがはダイワというべきか。初心者用の最も安いシリーズの一本だけど、今のところなに不自由なく楽しくヘラ釣りにのぞめている。軽いし良く曲がって楽しいし文句なしである。ヘラ釣り始めようとして道具が高くて二の足踏んでる人は陽舟買って始めればいいと思うよ。
3位の長靴だけど、良い買い物だった。キツめの外反母趾なので靴の選択肢が限られてて機能や見た目が良いのに履けない靴が多い悲しさに打ちひしがれることも多いけど、この靴は安いし痛くならないし、膝下までのちょうどいい具合の長さで手軽に履けてそれなりにジャブジャバ水際に下りていける軽快さがあって満足している。後は長持ちしてくれれば完璧か。
○PENN:1位430ssg、2位4400ss、3位無し
430ssgは9年目にしてやっと消耗品パーツのベールスプリングが壊れた。その間手入れは水洗いと注油のみで、グリス交換さえしていないが、耐久性が高いらしいウォームギアは特に磨耗した様子もなく、ちょっと耐久性に不安があった逆転防止の一方通行のベアリングもたまに動作が悪くなると単なる油切れで注油で復活している。消耗品的パーツはストックしているし、本体も新品で予備2台確保してあるので、このサイズのリールは一生こいつにお世話になるのだろう。これからも末永くよろしく。
4400ssも10年以上使ってるけど快調そのもの。4400ssは糸ヨレがきついと言われていているんだけど、私は全くそういう感じがしなくて何でだろうなと思っていたんだけど、ひょっとしてラインローラーにベアリング入れてssj化するとアカンのとちゃうかと思いはじめている。TAKE先生のサイトでラインヨレがひどいリールのラインローラーのベアリングにグリスを入れて回転を抑えたら改善したという事例が紹介されていてそう思わされた。私の4400ssのラインローラーはスリーブ噛ましただけの初期状態で部屋でライン滑らしてみても回ってないぐらいの感じだけど糸ヨレを特段気にしたことはない。4400ssの糸ヨレにお困りの皆様におかれましては一度、ラインローラのベアリングを無しにして試してみることをお薦めします。
今年を振り返ってみると、健康面問題解決せず仕事も休みっぱなしで申し訳ないやら先行き不安やらで一社会人として最悪な1年だったけど、それでも釣り人としては健康面を言い訳にしてサボったりせず、やれることは精一杯やれたと思う。気力体力限られる中で、経験でも知識でもなんでも切れる札は切って、今やれる全力に近いことをやった気がする。結果も悪くない。
どのみちこれから老いていくにあたって、健康、体力、その他諸々、無くなっていくものを数えて嘆いていたらキリがないんだと思う。そうなったときに経験とか知識とかさえ持ってなくて切る札がなくなるとしたら、おまえは今までなにをやってきたんだボケって話で、少なくとも今年はそうはならなかったぐらいにちゃんとこれまで釣ってきたし、そういう矜持を胸にこれからもやれるようにやるだけだと、格好つけて虚勢張って書き残しておきたい。
「魚を釣りたい」という欲望が枯れない限り私は死ぬまで釣り人であり続ける。
みなさま今年はどうでしたか?それでは良いお年をお迎えください。
2017年12月31日日曜日
2017年12月30日土曜日
2017のベスト3(エンタメ篇)
まあ、1年働きもせず、リハビリで街に出てるにしても家でグダッてるにしても時間はいっぱいあるわけで、小説もノンフィクションもマンガもけっこう読んだしアニメも毎期10作品以上視聴していた。
よく過去の名作を比較に出して「最近の○○は面白くない」と識者ぶる輩がいるが、そういうことをいう奴は老人だろうが年が若かろうが総じて過去にとらわれた「老害」といっていい人種だと思う。
過去の名作の影響も受けて、積み重なってきた文化のさらに先に行こうと今まさに闘っている表現者達の作品の熱さに胸を焼かれずして、今を生きているといえるのかと問いたい。
今年も素晴らしい作品、考えさせられる作品、感動、笑い、気持ち悪さ、しょうもなさ、怖さ、怒り、絶望、希望、様々な作品を楽しむことができた。これらは実体験、実生活と両輪をなし私の日々を形作ってくれている。表現者の飽くなき挑戦に最大限の敬意と感謝を記しておきたい。
でもって、恒例となった今年のベスト3など紹介していきたい。
○活字本:1位「バッタを倒しにアフリカに」、2位「飼い喰い」、3位「ハーモニー」
1位「バッタを倒しにアフリカに」は面白いし感動するしの文句無し。ファーブルにあこがれた昆虫少年はその情熱を抱いたまま長じて昆虫博士となり、アフリカの地ですべてを食い尽くす災厄として怖れられるサバクトビバッタの被害をなくすための研究に身を投じていく。滅茶苦茶熱い人間の情熱、研究者の探求心、崇高な志、にもかかわらず吹き出しちゃうような笑いを誘う楽しい筆致。人間は人間の上に爆弾を降らしたり、水を土を空気を子々孫々の代まで災いとなるぐらいに汚染したり、いっそ滅びてしまえばいいのにと思わせられるぐらいの愚かでクソなことを過去もやってきたし今もやっているしこれからもしていくだろう。それでも、人間の中には人々のためだったり自身の矜持や飽くなき好奇心や情熱のためだったり、理由はいろいろあるんだろうけど素晴らしいことをしてきた人がいるし、今もいるし、これからも現れるのだろうと思うと心に希望が残っているように感じることができる。人間は愚かで賢い。
2位「飼い喰い」は、「スーパーに行けばパックに入った肉が売っていて、それが生き物の命を奪った結果であることは想像しにくく、食といった日々の生活と食べ物となる生き物の命の現場とが離れてしまっている」と嘆くだけの私のような賢しらな発言者の代わりに、体を張って自ら豚を飼ってみて屠畜場に連れていって肉にしてみんなで食べるということをやってくれた。四の五のいわずに「いただきます」という言葉に、それを言っておけばすべてが許されるわけじゃないだろうと違和感を覚える筆者の感性を信じて是非読んでみて欲しい。スーパーに行って買ってくればおいしい肉が食べられることの贅沢さとその素晴らしさについて、思わずにいられない力作。
3位の「ハーモニー」は最終戦争的な戦乱により極端に人口が減ってしまった世界で、人々が健康を人工知能に管理され事故など起こらないよう安全に守られた中で、人は何のために生きるのかというような哲学的な問いにせまるディストピアもののSF。ニコチンやアルコールはおろかカフェインまで禁じようとする「優しい人たち」の押し付けてくる感じが、現実世界のやれタバコはやめろだの健康に良いことをしましょうだの、キケンなことは止めましょうだのと、全くの善意でそれが疑いもない正義だと信じて押し付けてくる様と全く相似していて、こういうディストピアものを読んだ時の「そんな極端なことは起こらないだろう」という予想があっさりと現実で覆される怖さに戦慄を覚える。現実世界ではそろそろタバコの次にアルコールの規制が始まりそうでっせ、嫌煙家で飲兵衛の皆さんは、今度は自分たちが魔女狩りの対象になる心づもりをしておいた方がよさそうでっセ。
オレは自分の健康を害するための自由も尊いものだと思って、本作の主人公と同様流されながらも闘うつもりである。
○マンガ:1位「衛府の七忍」、2位「ディザインズ」、3位「絢爛たるグランドセーヌ」
今年読んで面白かったマンガを単純に3つ並べると「それでも町は廻っている」「ベルセルク」「ゲノム」の3作品になる。この布陣をみて正直どうなのよ?と考え込んでしまった。こういっちゃ何だが我がブログは読者が少ない。特にエンタメ系の記事なんて基本釣りブログなのによっぽどマニアックな読者しかいないはずである。その読者様に向かって「それ町」とか「ベルセルク」なんてマンガ読みなら誰でも知ってるって名作今更紹介してみてどうなのよと思う。かといって「ゲノム」はばかばかしい下ネタばっかりで恥ずかしいし(でも大好きです古賀先生の下ネタ連発!)。
ということで、選考やり直してこれからの展開も期待なちょっと知る人ぞ知る的な作品を並べて悦に入ってみたところである。どうですちょっとヤル感じになってませんかね?せっかく読んでくれてる人にはここにしかないぐらいの価値のある情報をお届けしないとね。
ということで、1位「衛府の七忍」は鬼才山口先生の独特の感性がいたるところで小気味よく炸裂する、天下泰平徳川の世に仇なす「まつろわぬ民」として虐げられ殺された、豊臣がたの落ち武者やらアイヌやらやくざ者やらが、あの世のどっかにあるらしい衛府からの使者の力で怨身忍者として蘇り戦うという異能力歴史合戦モノ。山田風太郎先生の忍法帖と諸星大二郎先生の伝奇ロマンと昭和の変形ロボあたりを混ぜ合わせて、少年マンガのノリと今時の萌を添加して、美しいマンガ描写と暑苦しく時に面白おかしい山口貴由節で煮詰めて止揚(アウフヘーベンなんて古くっさい哲学用語つかって悦に入ってるアホはちゃんと漢字の置き換えがあること知らねえだろうナ)したような作品。といえばそのゴッタ煮感を想像してもらえるだろうか。まあ、カラ-ページの主人公の格好いいことだけでもカラーで読めるタブレット買った元がとれた。癖が強い作品なので読む人選ぶけど滅茶苦茶面白いです。
2位の「ディザインズ」は、動物の遺伝子を人間に組み込むという禁断の生物工学的技術で開発された殺戮の得意なフレンズ達が跋扈するハードSF。動物の能力を取り入れた強化人間が闘う作品って、テラフォーマーズが典型例だけど「動物すごい」豆知識的なびっくり能力で闘うのが多くて、それはそれで面白いんだけど、本作は兵器として動物の能力を取り入れて強化人間を開発するならどうなるかというあたりが、生物と兵器とどちらも好きじゃないととうてい書けないレベルで描かれていてちょっと子供だましじゃない本格SF臭がたまらないんである。例えばイルカが音を使って餌を探したり仲間に情報伝えたりなんてのは、誰でも知っている動物に関する知識としてはありふれたものだけど、その能力を使ってイルカ人間が索敵、情報同期しながら闘うという描写を読むと、近代歩兵戦における情報端末を生体機能で強力に代替しているのとかが見てとれて五十嵐先生やりおるわい。と敬服するのである。面白すぎてゾクゾクくる。
今たぶん、SFに慣れ親しんできた若い世代のマンガ家が実力を発揮していて、日本のマンガ界においてハードSFは密かに黄金期を迎えているのではないかと感じる。今年読んだマンガでは「堕天作戦」「アヴァルト」も実にいい塩梅のSFマンガだった。SFファンはマンガ読むべし、っていわれんでも既に読んでるか。
3位「絢爛たるグランドセーヌ」はバレエマンガ。バレーマンガでもバレエマンガでも、こういうスポ根系の主人公が個性豊かなライバル達と切磋琢磨し友情努力勝利っていうマンガは佃煮にするほど描かれてきたはずである、それでも今現在連載されているこのマンガの少女達のバレエに賭けるひたむきな情熱がオッサンの心の中の乙女にグイグイと迫ってくる。アタイもトゥシューズ履いてみたいッ!今時のスポ根モノの流れの一つとして指導者とか親とかの主人公達を支援する者達の心理描写や実態やらを描き出して物語に深みや真実味を与えるというのがあると感じていて。本作でも才能があっても経済的な理由もあって辞めざるを得なかった少女について自責の念を感じる先生や、娘のために何とか家計をやりくりする親の愛とかも丁寧に描かれていてコクのある描写となっている。主人公が時につまずきながらも夢に突き進む中、夢をあきらめた少女もまた新たな自分の道を見つけ力強く歩み始める様も描かれている。そういう丁寧に積み上げた物語の熱はたとえオッサンであっても魅了してやまず、チャンピオンレッドという青年誌で本格バレエマンガという冒険も思い切ったことやるなと感心する。早く続きが読みたい。
○アニメ:1位「小林さんちのメイドラゴン」、2位「リトルウィッチアカデミア」、3位「宝石の国」
アニメも面白いのいっぱいあって選ぶの苦労する。今年一番の話題作は「けものフレンズ」で間違いないと思うんだけど放送後の内輪もめでけちが付いたのが残念。2期が楽しみじゃなくなってしまった。「サクラクエスト」と「リクリエイターズ」はすんごく丁寧に練られた脚本で個人的には大絶賛なんだけど世間の評判は芳しくなかった。まあオレだけでも良い作品だって知ってればいい。「プリンセスプリンシパル」は放送中あんまり話題になってなかったけど、ふたを開けてみれば円盤の売り上げよかったみたいで世間の評判も獲得したようで、別に私が何かしたってわけじゃないけどうれしい。でもベスト3に入れてあげられないほど今年は良い作品多かった。「楽園追放」も良かったけど深夜アニメじゃない劇場版アニメはまた別ものだと思うので選からはずしてる。
というわけで1位「小林さんちのメイドラゴン」は、異世界からやってきたメイドに変身したドラゴンが主人公のうちに居候して騒動を巻き起こすって感じの、ドラえもん型の物語なんだけど、日常系のギャグと萌の面白楽しさと、落差で心に突き刺さってくる哲学的な要素がどうにもオレ好みの原作マンガを、老舗製作会社京都アニメーションが実に丁寧な仕事で期待以上の良いアニメに仕上げてくれた。もう言うことなしで脱帽。
2位の日本の魔法少女版ハリポタ的な「リトルウィッチアカデミア」も、よくできた作品で作中主人公が集める魔法の言の葉の一つが示す「夢見たものが手にはいるんじゃない、一歩ずつ、積み重ねたことが手に入る」を体現するかのように、動きの良いアニメーション、魅力的なキャラクター、主人公の成長と仲間達との友情、パロディーとか過去の作品へのオマージュとか細かいギャグの切れとか、伏線回収とかの凝った脚本とか、一つ一つまじめに積み上げて素晴らしい作品に仕上げている。テレビでタダで見せてもらってるだけでは申し訳なくて劇場版の方のDVDとスーシィTシャツ買って一票入れさせてもらった。
3位の「宝石の国」は原作マンガが話題になったときにちょっと読んだけど、SFファンタジーな感じの設定とかがちょっと取っつきにくくて正直おもしろさに気づけなかった。それが、アニメ化で3DCG作画を生かした美しい映像にグイグイと引き込まれて視聴していくと、素晴らしい物語の世界に虜になってしまうぐらい良かった。宝石が、意志を持つ人型の存在となった遠い未来の世界で、強くてもろくて美しい登場人物達が、時に戦い、時に笑い、時に苦悩し、時に存在理由を問い、そして謎めいたまま続きを期待させ終幕を迎えた。円盤も売れ行き好調のようなので2期制作は堅い気がするが、はよ2期作ってくれ。アニメの良さって動く映像ってところがマンガや小説とは違う特徴の一つで、そのアニメ表現の時流として3DCGをつかった描写というのがあって、劇場公開版とかじゃない比較的低予算の日本の深夜アニメもとうとうここまでの表現にたどり着いたかと感嘆せずにいられない。アニメ表現の美しさにおける現時点での最高到達点の一つがこの作品だと断言する。
てなぐらいで、今年も面白い作品目白押しでマンガだと既読の作品の新刊出たのを追っかけてるだけで手一杯な感じで、いつも私が知らないところで面白い作品が書かれ描かれ制作されているんじゃないかと心配である。なるべくいろんな作品に手を出してみんなが絶賛するような名作も、オレにしか分からないような個人的にツボなマニアックな作品も、逃さず楽しんでおきたいと思うのである。
来年も今年以上に面白い作品に出会えると確信している。
よく過去の名作を比較に出して「最近の○○は面白くない」と識者ぶる輩がいるが、そういうことをいう奴は老人だろうが年が若かろうが総じて過去にとらわれた「老害」といっていい人種だと思う。
過去の名作の影響も受けて、積み重なってきた文化のさらに先に行こうと今まさに闘っている表現者達の作品の熱さに胸を焼かれずして、今を生きているといえるのかと問いたい。
今年も素晴らしい作品、考えさせられる作品、感動、笑い、気持ち悪さ、しょうもなさ、怖さ、怒り、絶望、希望、様々な作品を楽しむことができた。これらは実体験、実生活と両輪をなし私の日々を形作ってくれている。表現者の飽くなき挑戦に最大限の敬意と感謝を記しておきたい。
でもって、恒例となった今年のベスト3など紹介していきたい。
○活字本:1位「バッタを倒しにアフリカに」、2位「飼い喰い」、3位「ハーモニー」
1位「バッタを倒しにアフリカに」は面白いし感動するしの文句無し。ファーブルにあこがれた昆虫少年はその情熱を抱いたまま長じて昆虫博士となり、アフリカの地ですべてを食い尽くす災厄として怖れられるサバクトビバッタの被害をなくすための研究に身を投じていく。滅茶苦茶熱い人間の情熱、研究者の探求心、崇高な志、にもかかわらず吹き出しちゃうような笑いを誘う楽しい筆致。人間は人間の上に爆弾を降らしたり、水を土を空気を子々孫々の代まで災いとなるぐらいに汚染したり、いっそ滅びてしまえばいいのにと思わせられるぐらいの愚かでクソなことを過去もやってきたし今もやっているしこれからもしていくだろう。それでも、人間の中には人々のためだったり自身の矜持や飽くなき好奇心や情熱のためだったり、理由はいろいろあるんだろうけど素晴らしいことをしてきた人がいるし、今もいるし、これからも現れるのだろうと思うと心に希望が残っているように感じることができる。人間は愚かで賢い。
2位「飼い喰い」は、「スーパーに行けばパックに入った肉が売っていて、それが生き物の命を奪った結果であることは想像しにくく、食といった日々の生活と食べ物となる生き物の命の現場とが離れてしまっている」と嘆くだけの私のような賢しらな発言者の代わりに、体を張って自ら豚を飼ってみて屠畜場に連れていって肉にしてみんなで食べるということをやってくれた。四の五のいわずに「いただきます」という言葉に、それを言っておけばすべてが許されるわけじゃないだろうと違和感を覚える筆者の感性を信じて是非読んでみて欲しい。スーパーに行って買ってくればおいしい肉が食べられることの贅沢さとその素晴らしさについて、思わずにいられない力作。
3位の「ハーモニー」は最終戦争的な戦乱により極端に人口が減ってしまった世界で、人々が健康を人工知能に管理され事故など起こらないよう安全に守られた中で、人は何のために生きるのかというような哲学的な問いにせまるディストピアもののSF。ニコチンやアルコールはおろかカフェインまで禁じようとする「優しい人たち」の押し付けてくる感じが、現実世界のやれタバコはやめろだの健康に良いことをしましょうだの、キケンなことは止めましょうだのと、全くの善意でそれが疑いもない正義だと信じて押し付けてくる様と全く相似していて、こういうディストピアものを読んだ時の「そんな極端なことは起こらないだろう」という予想があっさりと現実で覆される怖さに戦慄を覚える。現実世界ではそろそろタバコの次にアルコールの規制が始まりそうでっせ、嫌煙家で飲兵衛の皆さんは、今度は自分たちが魔女狩りの対象になる心づもりをしておいた方がよさそうでっセ。
オレは自分の健康を害するための自由も尊いものだと思って、本作の主人公と同様流されながらも闘うつもりである。
○マンガ:1位「衛府の七忍」、2位「ディザインズ」、3位「絢爛たるグランドセーヌ」
今年読んで面白かったマンガを単純に3つ並べると「それでも町は廻っている」「ベルセルク」「ゲノム」の3作品になる。この布陣をみて正直どうなのよ?と考え込んでしまった。こういっちゃ何だが我がブログは読者が少ない。特にエンタメ系の記事なんて基本釣りブログなのによっぽどマニアックな読者しかいないはずである。その読者様に向かって「それ町」とか「ベルセルク」なんてマンガ読みなら誰でも知ってるって名作今更紹介してみてどうなのよと思う。かといって「ゲノム」はばかばかしい下ネタばっかりで恥ずかしいし(でも大好きです古賀先生の下ネタ連発!)。
ということで、選考やり直してこれからの展開も期待なちょっと知る人ぞ知る的な作品を並べて悦に入ってみたところである。どうですちょっとヤル感じになってませんかね?せっかく読んでくれてる人にはここにしかないぐらいの価値のある情報をお届けしないとね。
ということで、1位「衛府の七忍」は鬼才山口先生の独特の感性がいたるところで小気味よく炸裂する、天下泰平徳川の世に仇なす「まつろわぬ民」として虐げられ殺された、豊臣がたの落ち武者やらアイヌやらやくざ者やらが、あの世のどっかにあるらしい衛府からの使者の力で怨身忍者として蘇り戦うという異能力歴史合戦モノ。山田風太郎先生の忍法帖と諸星大二郎先生の伝奇ロマンと昭和の変形ロボあたりを混ぜ合わせて、少年マンガのノリと今時の萌を添加して、美しいマンガ描写と暑苦しく時に面白おかしい山口貴由節で煮詰めて止揚(アウフヘーベンなんて古くっさい哲学用語つかって悦に入ってるアホはちゃんと漢字の置き換えがあること知らねえだろうナ)したような作品。といえばそのゴッタ煮感を想像してもらえるだろうか。まあ、カラ-ページの主人公の格好いいことだけでもカラーで読めるタブレット買った元がとれた。癖が強い作品なので読む人選ぶけど滅茶苦茶面白いです。
2位の「ディザインズ」は、動物の遺伝子を人間に組み込むという禁断の生物工学的技術で開発された殺戮の得意なフレンズ達が跋扈するハードSF。動物の能力を取り入れた強化人間が闘う作品って、テラフォーマーズが典型例だけど「動物すごい」豆知識的なびっくり能力で闘うのが多くて、それはそれで面白いんだけど、本作は兵器として動物の能力を取り入れて強化人間を開発するならどうなるかというあたりが、生物と兵器とどちらも好きじゃないととうてい書けないレベルで描かれていてちょっと子供だましじゃない本格SF臭がたまらないんである。例えばイルカが音を使って餌を探したり仲間に情報伝えたりなんてのは、誰でも知っている動物に関する知識としてはありふれたものだけど、その能力を使ってイルカ人間が索敵、情報同期しながら闘うという描写を読むと、近代歩兵戦における情報端末を生体機能で強力に代替しているのとかが見てとれて五十嵐先生やりおるわい。と敬服するのである。面白すぎてゾクゾクくる。
今たぶん、SFに慣れ親しんできた若い世代のマンガ家が実力を発揮していて、日本のマンガ界においてハードSFは密かに黄金期を迎えているのではないかと感じる。今年読んだマンガでは「堕天作戦」「アヴァルト」も実にいい塩梅のSFマンガだった。SFファンはマンガ読むべし、っていわれんでも既に読んでるか。
3位「絢爛たるグランドセーヌ」はバレエマンガ。バレーマンガでもバレエマンガでも、こういうスポ根系の主人公が個性豊かなライバル達と切磋琢磨し友情努力勝利っていうマンガは佃煮にするほど描かれてきたはずである、それでも今現在連載されているこのマンガの少女達のバレエに賭けるひたむきな情熱がオッサンの心の中の乙女にグイグイと迫ってくる。アタイもトゥシューズ履いてみたいッ!今時のスポ根モノの流れの一つとして指導者とか親とかの主人公達を支援する者達の心理描写や実態やらを描き出して物語に深みや真実味を与えるというのがあると感じていて。本作でも才能があっても経済的な理由もあって辞めざるを得なかった少女について自責の念を感じる先生や、娘のために何とか家計をやりくりする親の愛とかも丁寧に描かれていてコクのある描写となっている。主人公が時につまずきながらも夢に突き進む中、夢をあきらめた少女もまた新たな自分の道を見つけ力強く歩み始める様も描かれている。そういう丁寧に積み上げた物語の熱はたとえオッサンであっても魅了してやまず、チャンピオンレッドという青年誌で本格バレエマンガという冒険も思い切ったことやるなと感心する。早く続きが読みたい。
○アニメ:1位「小林さんちのメイドラゴン」、2位「リトルウィッチアカデミア」、3位「宝石の国」
アニメも面白いのいっぱいあって選ぶの苦労する。今年一番の話題作は「けものフレンズ」で間違いないと思うんだけど放送後の内輪もめでけちが付いたのが残念。2期が楽しみじゃなくなってしまった。「サクラクエスト」と「リクリエイターズ」はすんごく丁寧に練られた脚本で個人的には大絶賛なんだけど世間の評判は芳しくなかった。まあオレだけでも良い作品だって知ってればいい。「プリンセスプリンシパル」は放送中あんまり話題になってなかったけど、ふたを開けてみれば円盤の売り上げよかったみたいで世間の評判も獲得したようで、別に私が何かしたってわけじゃないけどうれしい。でもベスト3に入れてあげられないほど今年は良い作品多かった。「楽園追放」も良かったけど深夜アニメじゃない劇場版アニメはまた別ものだと思うので選からはずしてる。
というわけで1位「小林さんちのメイドラゴン」は、異世界からやってきたメイドに変身したドラゴンが主人公のうちに居候して騒動を巻き起こすって感じの、ドラえもん型の物語なんだけど、日常系のギャグと萌の面白楽しさと、落差で心に突き刺さってくる哲学的な要素がどうにもオレ好みの原作マンガを、老舗製作会社京都アニメーションが実に丁寧な仕事で期待以上の良いアニメに仕上げてくれた。もう言うことなしで脱帽。
2位の日本の魔法少女版ハリポタ的な「リトルウィッチアカデミア」も、よくできた作品で作中主人公が集める魔法の言の葉の一つが示す「夢見たものが手にはいるんじゃない、一歩ずつ、積み重ねたことが手に入る」を体現するかのように、動きの良いアニメーション、魅力的なキャラクター、主人公の成長と仲間達との友情、パロディーとか過去の作品へのオマージュとか細かいギャグの切れとか、伏線回収とかの凝った脚本とか、一つ一つまじめに積み上げて素晴らしい作品に仕上げている。テレビでタダで見せてもらってるだけでは申し訳なくて劇場版の方のDVDとスーシィTシャツ買って一票入れさせてもらった。
3位の「宝石の国」は原作マンガが話題になったときにちょっと読んだけど、SFファンタジーな感じの設定とかがちょっと取っつきにくくて正直おもしろさに気づけなかった。それが、アニメ化で3DCG作画を生かした美しい映像にグイグイと引き込まれて視聴していくと、素晴らしい物語の世界に虜になってしまうぐらい良かった。宝石が、意志を持つ人型の存在となった遠い未来の世界で、強くてもろくて美しい登場人物達が、時に戦い、時に笑い、時に苦悩し、時に存在理由を問い、そして謎めいたまま続きを期待させ終幕を迎えた。円盤も売れ行き好調のようなので2期制作は堅い気がするが、はよ2期作ってくれ。アニメの良さって動く映像ってところがマンガや小説とは違う特徴の一つで、そのアニメ表現の時流として3DCGをつかった描写というのがあって、劇場公開版とかじゃない比較的低予算の日本の深夜アニメもとうとうここまでの表現にたどり着いたかと感嘆せずにいられない。アニメ表現の美しさにおける現時点での最高到達点の一つがこの作品だと断言する。
てなぐらいで、今年も面白い作品目白押しでマンガだと既読の作品の新刊出たのを追っかけてるだけで手一杯な感じで、いつも私が知らないところで面白い作品が書かれ描かれ制作されているんじゃないかと心配である。なるべくいろんな作品に手を出してみんなが絶賛するような名作も、オレにしか分からないような個人的にツボなマニアックな作品も、逃さず楽しんでおきたいと思うのである。
来年も今年以上に面白い作品に出会えると確信している。
2017年12月24日日曜日
ポメラよ永くありがとう
文字情報だけのテキスト文書を打って保存するだけの単純な機能を持つ「電子メモ」であるポメラを愛用してきた。
本格導入は2回目のクリスマス島に行った2014年からだったので4年ぐらい使っただろうか。単4電池2本で8時間駆動という電源の確保のしやすさに、折り畳みのキーボードという旅仕様な感じの性能はどこに持っていくにも邪魔にならず、もともと想定していた遠征釣行のお供はもちろん、病気リハビリ中街に出て時間を潰す時にも持っていって、図書館で喫茶店で公園のベンチで駅の待合室で、このブログのネタを推敲したり、心にうかぶよしなしごとをパチパチと打ちとめたりしてきた。
書き物は嫌いじゃないのでたくさん使ったせいか、さすがにだいぶガタがき始めた。表面のコーティングが溶けてベタベタし始めたのは、まあもっと酷くなればアルコールとかで拭き取ってきれいにしてやるにしても、そろそろ構造的な部分にも不具合が出始め、折り畳んだときにパチンとはまる爪のところが折れ、折り畳みの上下の蝶番のうち上の方が折れて下だけで支えている状態になっている。
そろそろ次のに買い換える時期かなということで慣れ親しんだ同じ型のを中古ででも探そうかと考えてふと思う。そういえば導入時に軽量小型なタブレット型パソコンと外付けキーボードを買ってブックリーダーと物書き用とを兼用させればどうだろうと検討したことを思い出す。結局遠征先の海外で電源の確保が難しいのと、タブレットPCに馴染みがないのとで断念した。
でも、今我が家にはアマゾンのFire7様という立派なタブレットPCがおられて、主に読書の友として街にも連れ出しているし、Wi-Fiの使えるようにした自宅の部屋ではネットぶらぶらしたり映像観たりと2台目のパソコンとしても活躍してもらっている。
電源の問題はしばらく海外遠征は行けそうにもなく、かつ次の遠征の獲物は国内のサメになりそうでもあるので、とりあえず気にしなくて良さそう。国内にいれば毎日充電すればいいだけである。
となると、タブレットで使えるキーボードさえ手に入れればいいわけで、荷物としてもブックリーダーと電子メモの2台モニターつきの機器を運んでいたのが、モニター共通でタブレットとキーボードの「2枚」といって良いほどの薄い2台になるのでだいぶ軽量小型化できる。
たしか、Fire7様も周辺機器接続の統一規格であるBluetoothに対応となってたはずであるので探せば使えるキーボードぐらいあるだろう。BluetoothはUSBの無線版のようなものと理解している。
ネットで調べてみればあるだろうどころじゃなくて選びたい放題にある。値段も2千円ぐらいからあるので、ものは試しとレビューしているブログでお薦めされていた薄くて安くてという感じのを買ってみた。折り畳みのやクルクル巻き取れるものもあるけど、結局出先で使うことを考えるとあまり大きくなるキーボードは邪魔になりがちで、8インチぐらいの1枚もののが使いやすいそうである。
今実際に買ったキーボードで打ち込んでいるのだが、大きさ的には確かにこのぐらいがちょうど良さそうでとても使いやすい。タブレットは7インチのを使っているのでそれより大きいけど薄いので持ち運ぶのにも邪魔ではなく、これ以上小さくなると打ちにくくなるということなのでおそらくちょうどいい感じだろう。
ただ入っている日本語変換ソフトが初期状態だとワードとかのIMEのようで違和感がある。有料だけど高くもないのでいつも使っているATOKを入れてしまおうかとも思ったけど、慣れればなんとかなるだろうとしばらくそのままいくことにした。この際両方使えるようになっておけば便利だろうというもくろみ。最初、長文の変換で途中タイプミスを直す必要があるときの処理が分からないぐらいでググらなきゃな感じだけど後はとりあえず大丈夫かなと思っていたら、どうにもこうにもその長文の途中の変換問題とそもそも長文の文節を区切るときのカーソル位置が表示されないというのが使いにくい。さんざんネットの情報の海をさまよって調べて解決方法試してみてもどうにもならない。仕方なく、やっぱりATOKさんじゃないとアタイ駄目なの、って感じで千五百円がとこ払ってATOK入れたのに、やっっぱり同じ問題が生じる。コレは日本語変換ソフトの問題じゃなくてタブレットそのものか、キーボードか元々入っていた文書作成アプリケーションソフトの問題なんじゃなかろうか?と、2日ほど悩んだ末に疑い始め、またネットの情報の海に潜っていくとどうもタブレットそのものやキーボードには問題がなさそうなので、アプリはテキストエディターと呼ばれる文字入力用のものは各種無料のもあるので、色々ある中から多機能なのは面倒くせえうえに重いだろうから、ほぼ文字打って保存するだけの機能のシンプルな「Jota Text Editor(イオタ)」というのを入れてみた。
コレが正解で、やっとタブレットでサクサクと文章が打てるようになった。
でもって、電子メモの時は書いた文書はUSB接続でパソコンに取り込んでたんだけど、アマゾンの端末なのでアマゾンクラウドというネット上のデータ保管サービスにファイルをぶちこんで保存して共有してやれば部屋のPCでもタブレットでも利用可能のはずなのでこれまた簡単。のはずだったんだけど、写真だとFire7にはじめから入っているソフトで自動的にアマゾンクラウド内のデータと共有できていたし、パソコンでやってるようにファイル管理ソフトでいけるだろうと思ったらなぜかアマゾンクラウドには承認段階ではじかれていけなくて、あれこれ半日がとこ苦戦して、アマゾンクラウド用のアプリを入れてあっさり解決した。タブレットでなんかしようとしたらとりあえずアプリが必要なのね。
という感じで、当面出先での読み書きはこの陣容で行ける気がする。海外遠征とかするときは外付けバッテリーかコンセントのアダプター買うのかな。まあその時はその時で考えよう。
ガラケー使いなので、外でネットか使えるとかのスマートフォンの利便性とか全然想像できてなかったけど、パソコンが携帯できているのと同じようなものだと、なにを今更な感じだろうけど、おぼろげながら実感としてわかってきた。
私の場合人様との通信は極たまにしかないのでガラケーで十分、ネット接続も部屋にいるときだけで十分、読むのと書くのは外でもいつでも欲しい、となると今のガラケーとタブレット+キーボードの布陣は割と私用に最適化されてきていて磐石ではないかと頼もしく思う。便利になったもんだ。
しかし、タブレット端末で文書作成しようと思い立ってから、実際にその環境が整うまで、3日ぐらいは四苦八苦させられた。この手の情報はネットで何でも調べられると思っていたけど、メーカー側の提灯持ちみたいな記事も多くて、私のような情報弱者は何を信じて良いのかさっぱり分からなかった。こんなの実際に使いこなしている人つかまえて聞ければ小一時間で済むのに。
針穴通すような痒いところに手が届くような本当に欲しい情報はネットでは探しにくいというのは、情報機器においても全く一緒ということか。
先代のポメラの書いて保存するだけの単純さは面倒くさくなくて良かったなと、今更ながら思うのである。
本格導入は2回目のクリスマス島に行った2014年からだったので4年ぐらい使っただろうか。単4電池2本で8時間駆動という電源の確保のしやすさに、折り畳みのキーボードという旅仕様な感じの性能はどこに持っていくにも邪魔にならず、もともと想定していた遠征釣行のお供はもちろん、病気リハビリ中街に出て時間を潰す時にも持っていって、図書館で喫茶店で公園のベンチで駅の待合室で、このブログのネタを推敲したり、心にうかぶよしなしごとをパチパチと打ちとめたりしてきた。
書き物は嫌いじゃないのでたくさん使ったせいか、さすがにだいぶガタがき始めた。表面のコーティングが溶けてベタベタし始めたのは、まあもっと酷くなればアルコールとかで拭き取ってきれいにしてやるにしても、そろそろ構造的な部分にも不具合が出始め、折り畳んだときにパチンとはまる爪のところが折れ、折り畳みの上下の蝶番のうち上の方が折れて下だけで支えている状態になっている。
そろそろ次のに買い換える時期かなということで慣れ親しんだ同じ型のを中古ででも探そうかと考えてふと思う。そういえば導入時に軽量小型なタブレット型パソコンと外付けキーボードを買ってブックリーダーと物書き用とを兼用させればどうだろうと検討したことを思い出す。結局遠征先の海外で電源の確保が難しいのと、タブレットPCに馴染みがないのとで断念した。
でも、今我が家にはアマゾンのFire7様という立派なタブレットPCがおられて、主に読書の友として街にも連れ出しているし、Wi-Fiの使えるようにした自宅の部屋ではネットぶらぶらしたり映像観たりと2台目のパソコンとしても活躍してもらっている。
電源の問題はしばらく海外遠征は行けそうにもなく、かつ次の遠征の獲物は国内のサメになりそうでもあるので、とりあえず気にしなくて良さそう。国内にいれば毎日充電すればいいだけである。
となると、タブレットで使えるキーボードさえ手に入れればいいわけで、荷物としてもブックリーダーと電子メモの2台モニターつきの機器を運んでいたのが、モニター共通でタブレットとキーボードの「2枚」といって良いほどの薄い2台になるのでだいぶ軽量小型化できる。
たしか、Fire7様も周辺機器接続の統一規格であるBluetoothに対応となってたはずであるので探せば使えるキーボードぐらいあるだろう。BluetoothはUSBの無線版のようなものと理解している。
ネットで調べてみればあるだろうどころじゃなくて選びたい放題にある。値段も2千円ぐらいからあるので、ものは試しとレビューしているブログでお薦めされていた薄くて安くてという感じのを買ってみた。折り畳みのやクルクル巻き取れるものもあるけど、結局出先で使うことを考えるとあまり大きくなるキーボードは邪魔になりがちで、8インチぐらいの1枚もののが使いやすいそうである。
今実際に買ったキーボードで打ち込んでいるのだが、大きさ的には確かにこのぐらいがちょうど良さそうでとても使いやすい。タブレットは7インチのを使っているのでそれより大きいけど薄いので持ち運ぶのにも邪魔ではなく、これ以上小さくなると打ちにくくなるということなのでおそらくちょうどいい感じだろう。
ただ入っている日本語変換ソフトが初期状態だとワードとかのIMEのようで違和感がある。有料だけど高くもないのでいつも使っているATOKを入れてしまおうかとも思ったけど、慣れればなんとかなるだろうとしばらくそのままいくことにした。この際両方使えるようになっておけば便利だろうというもくろみ。最初、長文の変換で途中タイプミスを直す必要があるときの処理が分からないぐらいでググらなきゃな感じだけど後はとりあえず大丈夫かなと思っていたら、どうにもこうにもその長文の途中の変換問題とそもそも長文の文節を区切るときのカーソル位置が表示されないというのが使いにくい。さんざんネットの情報の海をさまよって調べて解決方法試してみてもどうにもならない。仕方なく、やっぱりATOKさんじゃないとアタイ駄目なの、って感じで千五百円がとこ払ってATOK入れたのに、やっっぱり同じ問題が生じる。コレは日本語変換ソフトの問題じゃなくてタブレットそのものか、キーボードか元々入っていた文書作成アプリケーションソフトの問題なんじゃなかろうか?と、2日ほど悩んだ末に疑い始め、またネットの情報の海に潜っていくとどうもタブレットそのものやキーボードには問題がなさそうなので、アプリはテキストエディターと呼ばれる文字入力用のものは各種無料のもあるので、色々ある中から多機能なのは面倒くせえうえに重いだろうから、ほぼ文字打って保存するだけの機能のシンプルな「Jota Text Editor(イオタ)」というのを入れてみた。
コレが正解で、やっとタブレットでサクサクと文章が打てるようになった。
でもって、電子メモの時は書いた文書はUSB接続でパソコンに取り込んでたんだけど、アマゾンの端末なのでアマゾンクラウドというネット上のデータ保管サービスにファイルをぶちこんで保存して共有してやれば部屋のPCでもタブレットでも利用可能のはずなのでこれまた簡単。のはずだったんだけど、写真だとFire7にはじめから入っているソフトで自動的にアマゾンクラウド内のデータと共有できていたし、パソコンでやってるようにファイル管理ソフトでいけるだろうと思ったらなぜかアマゾンクラウドには承認段階ではじかれていけなくて、あれこれ半日がとこ苦戦して、アマゾンクラウド用のアプリを入れてあっさり解決した。タブレットでなんかしようとしたらとりあえずアプリが必要なのね。
という感じで、当面出先での読み書きはこの陣容で行ける気がする。海外遠征とかするときは外付けバッテリーかコンセントのアダプター買うのかな。まあその時はその時で考えよう。
ガラケー使いなので、外でネットか使えるとかのスマートフォンの利便性とか全然想像できてなかったけど、パソコンが携帯できているのと同じようなものだと、なにを今更な感じだろうけど、おぼろげながら実感としてわかってきた。
私の場合人様との通信は極たまにしかないのでガラケーで十分、ネット接続も部屋にいるときだけで十分、読むのと書くのは外でもいつでも欲しい、となると今のガラケーとタブレット+キーボードの布陣は割と私用に最適化されてきていて磐石ではないかと頼もしく思う。便利になったもんだ。
しかし、タブレット端末で文書作成しようと思い立ってから、実際にその環境が整うまで、3日ぐらいは四苦八苦させられた。この手の情報はネットで何でも調べられると思っていたけど、メーカー側の提灯持ちみたいな記事も多くて、私のような情報弱者は何を信じて良いのかさっぱり分からなかった。こんなの実際に使いこなしている人つかまえて聞ければ小一時間で済むのに。
針穴通すような痒いところに手が届くような本当に欲しい情報はネットでは探しにくいというのは、情報機器においても全く一緒ということか。
先代のポメラの書いて保存するだけの単純さは面倒くさくなくて良かったなと、今更ながら思うのである。
2017年12月16日土曜日
ヴィヴァ!コーモラン
何でコーモランネタのはずなのに、いきなり写真がメタルジグなんだろう?と疑問に思っていただければ書き手冥利に尽きるというもの。
このジグは名前をプライアルジグといって、一時期出回って消えていったんだけど、ちょうど出回っていた時期がNZにミナミヒラマサをジギングでやっつけにいった時にあたっていて、どうも彼の地にはバラクー「タ」(ミナミクロタチ、一時期オキサワラで出回ってたけどカマスサワラの別名と紛らわしいので不適切とされた模様)というバラクーダ(オニカマスの類)に見た目がちょっと似ていてやっぱり歯の鋭い魚がいてリーダーが良く切られるらしいと聞き、今のように中古屋で安く弾を補充できるほど重いジグの出モノはなかった時代だったので、釣り具屋さんで安くて重いジグがないかと聞いたところ、お薦めされていくつか買ったモノである。たしか新品で500円前後だったと思う。
さすがに安い。ヨーヅリ「ブランカ」も200グラムとかになるとそれなりの値段がしていたので、深場で使うメタルジグなんてスコンと沈んでくれて、しゃくったらあまり重くない程度にヒラヒラしてくれさえすればエエねん。となげやりなジギンガーだったので、まったく不満もあるはずもなくスイムテストもなしに、いきなりNZで実践投入。これがなかなかに良く釣れるジグで予想通りリーダー噛みきられたりしても懐のダメージも軽く小難しい理屈こいてたかが金属片にご大層な値段付けてる高級ジグよりよっぽどたよりになると満足した。
で、その後10数年蔵に眠るわけなのだが、最近シーバスルアーを探して蔵をゴソゴソやったりネットオークションでポチッたりしている最中に、ネットオークションでこのプライアルジグが出品されているのが目に付いた。今更買うつもりも必要もないけど懐かしさにちょっと説明とか読んでみて驚愕。「オマエ、コーモランやったんか!」
80年代をバス釣り少年として過ごした釣り人なら、コーモランという会社には愛憎渦巻くってほどご大層なもんじゃなくとも微苦笑を誘われずにはいられないだろう。
まあ、どこの日本メーカーも最初は猿真似から入ったわけではあるんだけど、ダイワとかバスハンターとか自前で優秀なルアー作り始めてる時代に、ほぼ一筋にパクリルアーを作ってて、そのダイワバスハンターまでパクってくる差別のない芸風にはいっそすがすがしさを感じるほどであった。当時の田舎のルアー少年はヘドンの「カズンⅡ」などみたことなくてもコーモランの「どじょっこ」ならみたことあったはずである。どうすればカズンⅡなんてマイナールアーをパクってこようという判断になるのか今考えても不思議でしかたない。
まあ、少年にとってはパクリルアーでも釣れればいいやというようなものだが、当時のコーモランルアーはある意味博打でパクリ元のルアーの釣る能力までパクってくれてればいいのだが、そうじゃないのが結構混ざってて、買ったはいいけどどう考えてもオモリの入れ忘れで引いても水面くるくる回るだけのクランクとか釣り場で途方に暮れながら「安物買いの銭失い」という言葉の意味を実感するのであった。でもまあ、安い値段でデキの良すぎるコピールアーとかが出回る昨今のように、安物買いが高くつくことに気づくことがなく、最終的に大事なモノを失いがちな状況に比べればましだったのかもしれない。と、ルアーに限らずまともなモノも安く買いたたかれがちで、逆にクソみたいな宣伝だけの代物が高価でもありがたがられるのを見ていると思う。
なにがメタルバイブじゃ、それを使った釣り方の工夫とかも普及させたメーカーには価値を認めざるを得ないけど、今時の2番煎じ3番煎じの高級メタルバイブ様とコーモソナーの間にパクリ度においてどれほどの差があるというのか。目くそと鼻くそである。
というわけで、今となっては懐かしいコーモランルアーだけど、そう思うのは私だけじゃないようで、珍しくコーモランの独自性が光る野球ヘルメットかぶったクランク「まるちゃんルアー」は各球団そろったセットとかネットオークションでは結構な値段ついてたりする。
たしかまだルアー作ってたよな、とネットで調べてみると、ちゃんと生き残っててヴィヴァというブランドとかでルアーを展開している。今時っぽいルアーに混じって、なんとコーモソナーも現役のようだ。
オリンピックやリョービでさえ釣り具業界から撤退した厳しい生き残り競争をしたたかに生き残った同社に敬意を表してなんか買ってみようとホームページで製品あれこれみていて、「I am a kaeru(愛アマカエル)」というのをポチッてみた。
こういう凝ったネーミングセンスとかは社風だなと思う。クレイジークロウラーのパクリルアーに酒飲みの神様から「バッカス」とか名付けてたりして、溺れとるやんケ!とかつっこみどころ満載である。
まあ、ものは見てのとおりのガルシアフロッグから連綿と勝手に引き継いだ伝統の後方上向きシングルフックの小ぶりなフロッグで「かへるくん」の現代版のような感じである。以前書いたけど「かへるくん」にはお世話になったのでその後継版となれば1票入れても罰はあたるまいて。
今時の丈夫な素材でできているとかいうことなので、試しにビヨーンと足引っ張ってみたら水掻きの部分があっさりちぎれてしまい焦ってライターで接着した。足がすぐちぎれる伝統も正しく引き継がれているようである。
まあ、いつ出番がくるか分からないけど、中空フロッグ使うほどではない状況で、カエル偏食しいてる魚とか見つけたときに日の目を見ることになるだろう。何じゃその状況、モリアオガエルの産卵場所近くの渓流のイワナとかか?まあいいや、とりあえず蔵にぶち込んでおこう。
というわけでルアー図鑑うす塩味第37弾は、少年の日の郷愁を誘う憎めないルアーメーカーであるコーモランのルアーでいってみました。
性能やら革新性やらルアーを評価する指標はいろいろあるだろうけど「思い出」っていう指標で測るならコーモランのルアーに勝てるものを作ってきたメーカーなんて極わずかしかないと思うのは私がオッサンだからだろうか。
2017年12月7日木曜日
物理で殴ればいい!って時代じゃないのかねェ?
相撲が盛り上がるためには良いヒール(悪役)が必要だ、というのが持論である。
なので、実質一人で悪役を引き受けている形だった白鵬関が取り組みでは荒々しいところも見せているけど、土俵外では巡業中後輩の披露宴に出ようとして非難を受けるとか、言いがかりとしかいえないようないちゃもんつけられるぐらいガチガチに監視管理されてて今一大人しいので、公傷休業中にサッカーやってたりしたやんちゃな朝青龍関ほどは悪役として迫力が足りんなと嘆いていたところ、今回の日馬富士関の騒動が起こって、土俵の上では小兵ながらも誰よりも低く突っ込む立ち会いの抜群の速さと技の切れでお手本となるような横綱が、土俵下では酒癖悪くて生意気な後輩ビール瓶でドついたとか聞いて、正直拍手喝采を送ったところだ。
しかも、白鵬関と仲が悪いことは相撲ファンには周知の貴乃花親方が、出るとこ出る的な、なにやら画策している気配もしてきて、もう、そういう土俵外のドロドロの遺恨とか騒動って他の格闘技じゃむしろ歓迎されてるぐらいで、プロレスじゃワザとそういう構図を作り出してみせるのを示す「アングル」という用語があるぐらいで正直メチャクチャ期待した。
今年格闘技界最大のビックイベントはコナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーだったけど、なぜあれだけ盛り上がったかといえば、両選手が悪役として超一流の人気選手だった上に、試合前からこれでもかっていうぐらいにSNSから各地を回っての共同記者会見からで「アングル」的に煽ったからというのがあったと思う。試合前の記者会見で優等生どうしが「お互いベストを尽くしましょう」とか握手したって盛り上がるかよと、「ザ・ノートリアス(悪名高き)」マクレガーが「お前なんか3ラウンド以内に倒してやる」と罵れば「マネー(銭)」の異名をとるメイウェザーが札束鞄からまき散らしながら「オレはお前と戦うために練習なんかしないし負けるわけがない」とか悪態つきまくるからこそ、互いのファンは頭に血管切れるぐらい血がのぼって応援にも気合いが入ったというモノである。大方の予想通りマクレガー負けてオレは悔しかったけどメチャクチャ盛り上がったし楽しめた。
なのにどうなのよ、日馬富士引退って幕切れは。一番つまんねェ落としどころだろと。
まあ、被害届出されて書類送検されてしまえば、傷害事件には間違いないだろうから引退は当たり前っちゃ当たり前だけど、そうならないようにグニャグニャッと貴乃花親方を丸め込んで被害届引っ込めさせてうやむやにして、うやむやにしたことに対する批判も注目が上がる好機と喜んでほくそ笑むぐらいの清濁あわせ飲む黒幕的な仕掛け人が相撲協会にはいないのかね?
すっかり悪役軍団と化した主流モンゴル軍団とドロドロの対立関係となる貴乃花部屋、そしてどちらに付くべきか基本的に気が小さいので判断しかねる他の日本人力士の力関係やいかに、的な構図の中で本割りで日馬富士関と高ノ岩関の直接対決とか来たら、クソ盛り上がるのにと下世話に思う。
日馬富士いなくなって、残るモンゴル出身横綱鶴竜関は見た目が悪役向きじゃないホンワカした癒やし系でそもそも休場多くてってなると、白鵬関一人じゃ多少荒ぶったところで今まで通りで正直飽きてくる。白鵬関いうてもそれ程悪役じゃないし横綱としては大横綱だけど悪役としては文春砲も食らってるけどありきたりで小粒感が否めず、貴乃花親方との確執がもっと取り組みにも反映されてくるぐらい泥沼化するとかに期待か。相撲を面白くするにはもっと憎々しい悪役の登場が望まれる。どっかの部屋がアフリカとかから相撲の伝統をぶち壊すぐらいの超弩級の新弟子みつけてこんもんかいナ。
日馬富士問題は連日うるさいぐらい報道されているようでネット上でも「日馬富士問題ばかりでウザい」とかの見出しが散見されるが、当方TVニュース見ないし新聞読まないし、どうせ報道とか当たり障りのない毒にも薬にもならんおためごかしなことしか書いてないだろうとネットニュースの見出しだけみて済ましているが(それでも大まかな流れが追えてしまうという報道ぶり)、実際にはTVで相撲観てる人間なんて下世話に面白がってる人間ばっかりで、報道とかで論者が言ってるであろうご高説なんて、相撲の盛り上がりにはハッキリ言ってあんまり関係ないので下世話な視聴者の一人としては見出しだけ見とけば充分だと思っている。
下世話な視聴者なんて、ちょっと右寄りにモンゴル力士なんかやっつけろと声援を送ってるのが声が大きくて、あとは日本出身力士がふがいないとぼやくか、地元出身の力士応援するかぐらいで、たぶん、報道では大方の論者は土俵外の暴力は許せないとか、横綱には品格が求められるとか、角界の悪しき伝統や事なかれ主義を改める必要があるとか優等生なことを主張しているのだろうけど、ようは右寄りの相撲ファンが喜ぶモンゴル力士の不祥事が出たので尻馬に乗ってはやし立ててるにすぎず鼻くそほじってポイって感じである。
で、たまに「相撲取りの飲み会で手が出たくらい大目にみたれよ」と、実は多くの人が心の中で思っているだろうことを有名人がSNSとかで発言したりすると、つるし上げを食らったりしている。まあ社会正義の戦士(SJW)様の格好の餌食だわな。あーあ言っちゃった、有名人は大変だなァと匿名で何を書いても自由なお気楽ブロガーは正直思う。思いつつ多分有名人が、批判されるのは承知の上であえて言わずにいられなかった、みんながみんな暴力を全否定することの気持ち悪さや不気味さについて、私も感じるところがあるので、天邪鬼なお気楽ブロガーのつとめとしてちょっと書いておきたい。
簡単に言えば、暴力っていっても程度問題だろってことである。
って書くと社会正義の戦士様から「いかなる暴力にも反対である、暴力を肯定するあなたは間違っている」と、言葉の暴力を受けてしまいそうである。
まず、暴力とはなんぞやという根本の定義からして例によって例のごとくキッチリ線の引けるモノではなくて難しいンである、上記のような台詞を吐く社会正義の戦士様は多分、漠然と「物理的に人の体を傷つける行為」が暴力だぐらいにいい加減な認識で人様を攻撃しているんだと思うけど、まったく「暴力」の定義として妥当からほど遠い。
「暴力」っていうときに広い範囲で考えれば当然言葉の暴力も入ってくる。暴力を振るった場合に適応される代表的な罪である「傷害罪」でも、裁判所が嫌がらせの電話をもって傷害罪と認めている例もあってたぶん現時点の定義として暴力は物理的な方法だけでないし、傷を負うのも身体のみならず精神的なものも含まれる大きな概念になっているはずである。すべての暴力を振るっても振るわれてもいない人間なんてこの日本の社会に存在しないと私は思っている。
今回の事件は日馬富士関も「ドついた」ことについては認めていて、明らかな「暴力」があってまず間違いなく傷害罪としては成立していて、警察から検察に書類送検されたからには、あとは起訴されて裁判か略式命令で罰則がどのくらいになるか、あるいはこれだけ騒ぎになると無いとはおもうけど検察が起訴を見送る起訴猶予とかになるかとかが決まっていくんだと思う。罪にあたらないと検察が判断する「不起訴」にはならんと思う。
じゃあやっぱり暴力振るった日馬富士が悪いじゃないか、横綱としての品格を損なうとんでもねえ輩だという話になるかというと、そうとも限らねえだろうよと思うのである。もともともめ事収めるのに野見宿禰と当麻蹶速が殺し合ったのが起源とかいわれる紛れもない「暴力」を競い合う格闘技である相撲に品格求めるってどうなのよ?てのは私の好みの問題なので捨て置いても、生意気言った後輩をビール瓶かリモコンか何か知らんけどモノでドついたぐらいでいちいち刑事事件にして罰しなくてはいけないのかと考えれば、なんぼ平和な街の県警でも他に仕事あるだろうと思うし、酔いが覚めたら謝って済む程度だと正直思う。
100キロオーバーの巨漢がまさにガチンコで頭からぶつかり合う競技の格闘家が1キロも無いようなモノでドつかれたぐらい四股踏んどきゃ治るだろと思う。衝撃のエネルギー量は質量と速度の2乗に比例するはずだから、速度あんまりかわらんかったら2桁も違うショボさですよ。頭突きが危険な技としてルール上禁止されてない格闘技って日本で興行しているなかでは相撲とラウェイぐらいってぐらい頭突きって強烈で、それに耐えてみせる猛者どもが少々「暴力」に関する許容範囲が一般とズレてても当たり前だろと。実際はどの程度の暴力だったのかまだ明らかじゃないとしても、いずれにせよ今回の事件の「暴力」の程度はショボいだろと思う。
程度問題としてこれが、日馬富士関が手は出さなくて換わりにこっぴどく説教した場合どうだろうか?普通「暴力」としては認識されなくて、常識的な指導ということになるだろう。ただその場合でも高ノ岩が精神的苦痛をうけ心理的外傷を負ったとか診断書が出てきて日馬富士を訴えたら、警察としては捜査するだろうし各種証拠を基に場合によっては書類送検、起訴、裁判、有罪判決というのもないことはない。まあ、飲んで気が大きくなったとはいえ「オマエらの時代は終わった」とか先輩にたてつく気の強い力士の精神を傷害と認められるまで傷つけることなど現実的ではないにしてもだ。
法律で決まっているとおり、裁判所の出した判例どおり罪は罪だと罰していくべきだというのは正論かも知れないけど、いちいち面倒くさいしで現実的じゃない。前にも書いたけど法律だのルールだのってのは道具であって万能じゃない。そのへん適当に運用されてて、別に親告罪といって被害者から届け出があって初めて成立する罪じゃ無いので、傷害罪って警察が独自捜査で立件してもいい。現実に盛り場パトロールとかしててケンカとかみつけたら警察は職務として傷害罪での立件を視野に捜査に入るはず。
でも、警察が見ていないところでカッとなって手が出たとか相手に精神的苦痛を与えるぐらい罵倒したとか、あとで謝って和解したとか本人同士が問題にする気がなければ、被害届出さなきゃ警察知るよしもなしでうやむやだってのが現実である。本人同士が良いって言ってて程度がショボければ、誰も文句は無いんだし警察無駄に働く必要は無い。逆に相撲界の常識だと言ったって過去にあったように過度の「かわいがり」で新弟子が大怪我したとかなら全くショボくないので被害届が有ろうが無かろうが捜査すべき程度だろうと極端な例なら誰でも思うだろう。
っていうぐらいに、「暴力」なんて程度問題で現実には許容されていたりするのに、程度云々は関係なしに一切の「暴力」を悪という大前提で当たり前のように話を進めようとする人間が多いことにまずは気持ちの悪さを感じる。さっき書いたような言葉の暴力まで含めた大きな概念の「暴力」を一切振るわずに生きてる人間なんてまずいないはずである。っていうか物理的に傷つける行為のみが「暴力」だと思っているなら、それ以外の「暴力」を自分が振るうとき「暴力」であると認識さえしないで罪悪感なく振るうだろう。事実、暴力をある程度容認する人間を「暴力反対」とつるし上げる人間は相手の言葉を全く聞かずに言葉の暴力を振るっているようにしか見えない(書いてて分かりやすい例を思いついたなと思ったけど、誰かがコレ書いてたな。誰か忘れたけど借ります)。
もう一つ気持ち悪いのが、そういう「暴力反対」みたいな一見正義っぽくて分かりやすい短い言葉に突き動かされて、ちょっとでも誤りを犯した人間を監視し密告し断罪する社会が、政府とか体制が作り上げたんじゃなくて、マスコミが流したりネットで飛び交う情報を介して大衆が作り上げつつあって、ディストピアもののSFまがいの現実が今ここにあるということである。
飛び交う情報の量が増えたのもあるのだろうけど、情報に「短く簡潔に分かりやすく」というのが求められがちで、仕事でもよく「ナマジ君文章が長い、コレじゃ誰も読まない」と指摘を受けたけど、全くその通りで長いと読んでもらえないんだけど、でもどうしても短くわかりやすくすると書き切れなくて大事なことまで漏れる。漏れるけど読んでもらえなきゃ始まらないので短くせざるを得ないという矛盾に仕事では苦労してたので、私生活では短文のツイッターとか実名性のSNSじゃなくて、匿名でクドクド好きに書きまくれるブログを書いているわけである。読んでくれてる人ありがとね。
本当は日馬富士関の振るった暴力がどの程度だったのかなんていうのは、当事者以外が客観的に知ろうと思えば、裁判によって開示された証拠なりを見なきゃわからんわけで、それを単に「暴力」があったという事実をもって、世界的に蔓延する気持ちの悪い国粋主義に乗っかって「ほらみろモンゴルの野郎は」てな感じでお気楽に断罪するというのは見てて不愉快きわまりなく、ネットでは擁護する少数意見もみかけるんだけど「暴力」=「悪」という単純な図式を短く分かりやすく否定するのは難しいので、表だっては旗色が悪い。ので私はどちらかというと日馬富士関擁護に今回まわっている。
あと個人的に、なんでも裁判とかに訴える訴訟社会が嫌なので、貴乃花親方には言い分はあるんだろうけどとりあえず、同じ業界の中で謝罪すらうけないというのはどうかとやっぱり思う。まあ、命懸けで競い合ってる中でドロドロの確執とかあって、なあなあで済まされては我慢ならんとかあったんだろうと容易に想像できるけど、このへんは世間様も「空気読んで許せよ」と「相撲協会の腐敗を改革せよ」とかの立場分かれるようで、今の段階ではなんともいいがたい。裁判とかになったらいろいろ明らかになるんだろうからその頃に見だしだけじゃなくて記事も読んでみるか。
日本のいやーな村社会的な狭い社会の中で陰湿ないじめとかあった場合に、多数派が「いじめなんてありませんよ」とか言ってたら、外部からは一見いじめられている人間が嘘つきに見えてしまう。そんな中でもちゃんと証拠取って出るところに出れば勝てる手段があるというのはとても大事なんだろうけど、その方法はメチャクチャ手間暇がかかる。訴える方も訴えられた方ももちろん、裁判となれば警察、検察、裁判所と巻き込む。それが最終手段じゃなくて最初の選択な社会になると手間暇かかる上に、いつ訴えられるか心配で議論もろくにできない好きなことも言えないような社会になる。というかなりつつある。かつ裁判のその結果が最終的な正しい答えだという風潮も気に入らない。裁判の結果は裁判所の判断であって、正しさを判断する道具ではあるけど絶対的に間違いのない正解というわけでもないと思う。立場が違えば自ずと「正義」も違うはずで、間に入って裁定者として法の下に客観的に平等に振る舞うのが裁判所の仕事だとしても完全な客観性などあり得ない。
何でもかんでも訴訟とか、そういう面倒くせえ社会にならないように、日本の古き良き村社会的な話し合いでなあなあに双方合意できる落としどころに持っていくとか、組織の長が早めに問題潰したり目をかけるとかのほうがめんどうなくていいって。と思うのである。
なんでか知らないけど、「暴力」って絶対悪として認識されているように感じていて、物語の中では正義の味方も思いっきり暴力ふるってるし、アメリカとかロシアとか大国は暴力の権化みたいな「空爆」とかしてて暴力が絶対悪なら悪の大国なんだけど(そうかもしれんけど)、別に悪が滅びる気配もないしで、大前提として「暴力必要なときもあるよ」もしくは「暴力現実には使いまくってるし幅効かせてるよ」ってのは薄々感じてて、以前にも学校での体罰問題についても文章書いてみたりしてたんだけど、どうにもつるし上げ食らいそうでお蔵入りにしてた。
でも、最近のしょうもない(と私が感じる)ことで実に粘着質に断罪して謝罪を要求したりする社会正義の戦士達の跋扈にはイラッイラとくるものがあったので、ゲリラ戦を挑むべく日馬富士問題について書いてみた。
読む人も限られる個人のブログの戦力など微々たるものかも知れないが、その攻撃を止めることが実質的に難しいというのは現実の戦争におけるゲリラ戦同様。およそなんの規制も受けずに好き放題書けて、反論なりがきてこちらに不都合があれば管理者権限で削除したって良いので、この小さなブログでチクチク攻撃することに社会正義の戦士様達は反撃する手段がほぼない。
というわけで、お蔵入りにしていた学校での体罰問題についての文章も今回ついでに復活させて、もうちょっと「暴力」について書いてみたい。
「学校教育法」には「体罰を加えることはできない」と明記されているとのことで、現行法制度上教育現場における「体罰」は明確な違法行為である。でも「それがルールだからダメ」という説明は、「じゃあルール変えろよ」という話になるだけで根本的な良い悪いの議論の際の答えにはなり得ないと思っている。繰り返し書くけど法律なんて道具に過ぎない。目的のために適切じゃないなら道具は変えたり直したりするべきだろう。という前提で「体罰」という暴力の是非について考えてみたい。
私が中高生だったころは既に30年から昔の話で今とはだいぶ違うのはあたりまえといえばあたりまえだが、我々昭和の男はガキの頃に多かれ少なかれ先生から「愛のムチ」という名の体罰を受けていた。生徒指導の体育教師とか体罰用の竹刀を学内で持ち歩いていたりして、今思うとさすがにバイオレンスにすぎたような気もする。
なので、実質一人で悪役を引き受けている形だった白鵬関が取り組みでは荒々しいところも見せているけど、土俵外では巡業中後輩の披露宴に出ようとして非難を受けるとか、言いがかりとしかいえないようないちゃもんつけられるぐらいガチガチに監視管理されてて今一大人しいので、公傷休業中にサッカーやってたりしたやんちゃな朝青龍関ほどは悪役として迫力が足りんなと嘆いていたところ、今回の日馬富士関の騒動が起こって、土俵の上では小兵ながらも誰よりも低く突っ込む立ち会いの抜群の速さと技の切れでお手本となるような横綱が、土俵下では酒癖悪くて生意気な後輩ビール瓶でドついたとか聞いて、正直拍手喝采を送ったところだ。
しかも、白鵬関と仲が悪いことは相撲ファンには周知の貴乃花親方が、出るとこ出る的な、なにやら画策している気配もしてきて、もう、そういう土俵外のドロドロの遺恨とか騒動って他の格闘技じゃむしろ歓迎されてるぐらいで、プロレスじゃワザとそういう構図を作り出してみせるのを示す「アングル」という用語があるぐらいで正直メチャクチャ期待した。
今年格闘技界最大のビックイベントはコナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーだったけど、なぜあれだけ盛り上がったかといえば、両選手が悪役として超一流の人気選手だった上に、試合前からこれでもかっていうぐらいにSNSから各地を回っての共同記者会見からで「アングル」的に煽ったからというのがあったと思う。試合前の記者会見で優等生どうしが「お互いベストを尽くしましょう」とか握手したって盛り上がるかよと、「ザ・ノートリアス(悪名高き)」マクレガーが「お前なんか3ラウンド以内に倒してやる」と罵れば「マネー(銭)」の異名をとるメイウェザーが札束鞄からまき散らしながら「オレはお前と戦うために練習なんかしないし負けるわけがない」とか悪態つきまくるからこそ、互いのファンは頭に血管切れるぐらい血がのぼって応援にも気合いが入ったというモノである。大方の予想通りマクレガー負けてオレは悔しかったけどメチャクチャ盛り上がったし楽しめた。
なのにどうなのよ、日馬富士引退って幕切れは。一番つまんねェ落としどころだろと。
まあ、被害届出されて書類送検されてしまえば、傷害事件には間違いないだろうから引退は当たり前っちゃ当たり前だけど、そうならないようにグニャグニャッと貴乃花親方を丸め込んで被害届引っ込めさせてうやむやにして、うやむやにしたことに対する批判も注目が上がる好機と喜んでほくそ笑むぐらいの清濁あわせ飲む黒幕的な仕掛け人が相撲協会にはいないのかね?
すっかり悪役軍団と化した主流モンゴル軍団とドロドロの対立関係となる貴乃花部屋、そしてどちらに付くべきか基本的に気が小さいので判断しかねる他の日本人力士の力関係やいかに、的な構図の中で本割りで日馬富士関と高ノ岩関の直接対決とか来たら、クソ盛り上がるのにと下世話に思う。
日馬富士いなくなって、残るモンゴル出身横綱鶴竜関は見た目が悪役向きじゃないホンワカした癒やし系でそもそも休場多くてってなると、白鵬関一人じゃ多少荒ぶったところで今まで通りで正直飽きてくる。白鵬関いうてもそれ程悪役じゃないし横綱としては大横綱だけど悪役としては文春砲も食らってるけどありきたりで小粒感が否めず、貴乃花親方との確執がもっと取り組みにも反映されてくるぐらい泥沼化するとかに期待か。相撲を面白くするにはもっと憎々しい悪役の登場が望まれる。どっかの部屋がアフリカとかから相撲の伝統をぶち壊すぐらいの超弩級の新弟子みつけてこんもんかいナ。
日馬富士問題は連日うるさいぐらい報道されているようでネット上でも「日馬富士問題ばかりでウザい」とかの見出しが散見されるが、当方TVニュース見ないし新聞読まないし、どうせ報道とか当たり障りのない毒にも薬にもならんおためごかしなことしか書いてないだろうとネットニュースの見出しだけみて済ましているが(それでも大まかな流れが追えてしまうという報道ぶり)、実際にはTVで相撲観てる人間なんて下世話に面白がってる人間ばっかりで、報道とかで論者が言ってるであろうご高説なんて、相撲の盛り上がりにはハッキリ言ってあんまり関係ないので下世話な視聴者の一人としては見出しだけ見とけば充分だと思っている。
下世話な視聴者なんて、ちょっと右寄りにモンゴル力士なんかやっつけろと声援を送ってるのが声が大きくて、あとは日本出身力士がふがいないとぼやくか、地元出身の力士応援するかぐらいで、たぶん、報道では大方の論者は土俵外の暴力は許せないとか、横綱には品格が求められるとか、角界の悪しき伝統や事なかれ主義を改める必要があるとか優等生なことを主張しているのだろうけど、ようは右寄りの相撲ファンが喜ぶモンゴル力士の不祥事が出たので尻馬に乗ってはやし立ててるにすぎず鼻くそほじってポイって感じである。
で、たまに「相撲取りの飲み会で手が出たくらい大目にみたれよ」と、実は多くの人が心の中で思っているだろうことを有名人がSNSとかで発言したりすると、つるし上げを食らったりしている。まあ社会正義の戦士(SJW)様の格好の餌食だわな。あーあ言っちゃった、有名人は大変だなァと匿名で何を書いても自由なお気楽ブロガーは正直思う。思いつつ多分有名人が、批判されるのは承知の上であえて言わずにいられなかった、みんながみんな暴力を全否定することの気持ち悪さや不気味さについて、私も感じるところがあるので、天邪鬼なお気楽ブロガーのつとめとしてちょっと書いておきたい。
簡単に言えば、暴力っていっても程度問題だろってことである。
って書くと社会正義の戦士様から「いかなる暴力にも反対である、暴力を肯定するあなたは間違っている」と、言葉の暴力を受けてしまいそうである。
まず、暴力とはなんぞやという根本の定義からして例によって例のごとくキッチリ線の引けるモノではなくて難しいンである、上記のような台詞を吐く社会正義の戦士様は多分、漠然と「物理的に人の体を傷つける行為」が暴力だぐらいにいい加減な認識で人様を攻撃しているんだと思うけど、まったく「暴力」の定義として妥当からほど遠い。
「暴力」っていうときに広い範囲で考えれば当然言葉の暴力も入ってくる。暴力を振るった場合に適応される代表的な罪である「傷害罪」でも、裁判所が嫌がらせの電話をもって傷害罪と認めている例もあってたぶん現時点の定義として暴力は物理的な方法だけでないし、傷を負うのも身体のみならず精神的なものも含まれる大きな概念になっているはずである。すべての暴力を振るっても振るわれてもいない人間なんてこの日本の社会に存在しないと私は思っている。
今回の事件は日馬富士関も「ドついた」ことについては認めていて、明らかな「暴力」があってまず間違いなく傷害罪としては成立していて、警察から検察に書類送検されたからには、あとは起訴されて裁判か略式命令で罰則がどのくらいになるか、あるいはこれだけ騒ぎになると無いとはおもうけど検察が起訴を見送る起訴猶予とかになるかとかが決まっていくんだと思う。罪にあたらないと検察が判断する「不起訴」にはならんと思う。
じゃあやっぱり暴力振るった日馬富士が悪いじゃないか、横綱としての品格を損なうとんでもねえ輩だという話になるかというと、そうとも限らねえだろうよと思うのである。もともともめ事収めるのに野見宿禰と当麻蹶速が殺し合ったのが起源とかいわれる紛れもない「暴力」を競い合う格闘技である相撲に品格求めるってどうなのよ?てのは私の好みの問題なので捨て置いても、生意気言った後輩をビール瓶かリモコンか何か知らんけどモノでドついたぐらいでいちいち刑事事件にして罰しなくてはいけないのかと考えれば、なんぼ平和な街の県警でも他に仕事あるだろうと思うし、酔いが覚めたら謝って済む程度だと正直思う。
100キロオーバーの巨漢がまさにガチンコで頭からぶつかり合う競技の格闘家が1キロも無いようなモノでドつかれたぐらい四股踏んどきゃ治るだろと思う。衝撃のエネルギー量は質量と速度の2乗に比例するはずだから、速度あんまりかわらんかったら2桁も違うショボさですよ。頭突きが危険な技としてルール上禁止されてない格闘技って日本で興行しているなかでは相撲とラウェイぐらいってぐらい頭突きって強烈で、それに耐えてみせる猛者どもが少々「暴力」に関する許容範囲が一般とズレてても当たり前だろと。実際はどの程度の暴力だったのかまだ明らかじゃないとしても、いずれにせよ今回の事件の「暴力」の程度はショボいだろと思う。
程度問題としてこれが、日馬富士関が手は出さなくて換わりにこっぴどく説教した場合どうだろうか?普通「暴力」としては認識されなくて、常識的な指導ということになるだろう。ただその場合でも高ノ岩が精神的苦痛をうけ心理的外傷を負ったとか診断書が出てきて日馬富士を訴えたら、警察としては捜査するだろうし各種証拠を基に場合によっては書類送検、起訴、裁判、有罪判決というのもないことはない。まあ、飲んで気が大きくなったとはいえ「オマエらの時代は終わった」とか先輩にたてつく気の強い力士の精神を傷害と認められるまで傷つけることなど現実的ではないにしてもだ。
法律で決まっているとおり、裁判所の出した判例どおり罪は罪だと罰していくべきだというのは正論かも知れないけど、いちいち面倒くさいしで現実的じゃない。前にも書いたけど法律だのルールだのってのは道具であって万能じゃない。そのへん適当に運用されてて、別に親告罪といって被害者から届け出があって初めて成立する罪じゃ無いので、傷害罪って警察が独自捜査で立件してもいい。現実に盛り場パトロールとかしててケンカとかみつけたら警察は職務として傷害罪での立件を視野に捜査に入るはず。
でも、警察が見ていないところでカッとなって手が出たとか相手に精神的苦痛を与えるぐらい罵倒したとか、あとで謝って和解したとか本人同士が問題にする気がなければ、被害届出さなきゃ警察知るよしもなしでうやむやだってのが現実である。本人同士が良いって言ってて程度がショボければ、誰も文句は無いんだし警察無駄に働く必要は無い。逆に相撲界の常識だと言ったって過去にあったように過度の「かわいがり」で新弟子が大怪我したとかなら全くショボくないので被害届が有ろうが無かろうが捜査すべき程度だろうと極端な例なら誰でも思うだろう。
っていうぐらいに、「暴力」なんて程度問題で現実には許容されていたりするのに、程度云々は関係なしに一切の「暴力」を悪という大前提で当たり前のように話を進めようとする人間が多いことにまずは気持ちの悪さを感じる。さっき書いたような言葉の暴力まで含めた大きな概念の「暴力」を一切振るわずに生きてる人間なんてまずいないはずである。っていうか物理的に傷つける行為のみが「暴力」だと思っているなら、それ以外の「暴力」を自分が振るうとき「暴力」であると認識さえしないで罪悪感なく振るうだろう。事実、暴力をある程度容認する人間を「暴力反対」とつるし上げる人間は相手の言葉を全く聞かずに言葉の暴力を振るっているようにしか見えない(書いてて分かりやすい例を思いついたなと思ったけど、誰かがコレ書いてたな。誰か忘れたけど借ります)。
もう一つ気持ち悪いのが、そういう「暴力反対」みたいな一見正義っぽくて分かりやすい短い言葉に突き動かされて、ちょっとでも誤りを犯した人間を監視し密告し断罪する社会が、政府とか体制が作り上げたんじゃなくて、マスコミが流したりネットで飛び交う情報を介して大衆が作り上げつつあって、ディストピアもののSFまがいの現実が今ここにあるということである。
飛び交う情報の量が増えたのもあるのだろうけど、情報に「短く簡潔に分かりやすく」というのが求められがちで、仕事でもよく「ナマジ君文章が長い、コレじゃ誰も読まない」と指摘を受けたけど、全くその通りで長いと読んでもらえないんだけど、でもどうしても短くわかりやすくすると書き切れなくて大事なことまで漏れる。漏れるけど読んでもらえなきゃ始まらないので短くせざるを得ないという矛盾に仕事では苦労してたので、私生活では短文のツイッターとか実名性のSNSじゃなくて、匿名でクドクド好きに書きまくれるブログを書いているわけである。読んでくれてる人ありがとね。
本当は日馬富士関の振るった暴力がどの程度だったのかなんていうのは、当事者以外が客観的に知ろうと思えば、裁判によって開示された証拠なりを見なきゃわからんわけで、それを単に「暴力」があったという事実をもって、世界的に蔓延する気持ちの悪い国粋主義に乗っかって「ほらみろモンゴルの野郎は」てな感じでお気楽に断罪するというのは見てて不愉快きわまりなく、ネットでは擁護する少数意見もみかけるんだけど「暴力」=「悪」という単純な図式を短く分かりやすく否定するのは難しいので、表だっては旗色が悪い。ので私はどちらかというと日馬富士関擁護に今回まわっている。
あと個人的に、なんでも裁判とかに訴える訴訟社会が嫌なので、貴乃花親方には言い分はあるんだろうけどとりあえず、同じ業界の中で謝罪すらうけないというのはどうかとやっぱり思う。まあ、命懸けで競い合ってる中でドロドロの確執とかあって、なあなあで済まされては我慢ならんとかあったんだろうと容易に想像できるけど、このへんは世間様も「空気読んで許せよ」と「相撲協会の腐敗を改革せよ」とかの立場分かれるようで、今の段階ではなんともいいがたい。裁判とかになったらいろいろ明らかになるんだろうからその頃に見だしだけじゃなくて記事も読んでみるか。
日本のいやーな村社会的な狭い社会の中で陰湿ないじめとかあった場合に、多数派が「いじめなんてありませんよ」とか言ってたら、外部からは一見いじめられている人間が嘘つきに見えてしまう。そんな中でもちゃんと証拠取って出るところに出れば勝てる手段があるというのはとても大事なんだろうけど、その方法はメチャクチャ手間暇がかかる。訴える方も訴えられた方ももちろん、裁判となれば警察、検察、裁判所と巻き込む。それが最終手段じゃなくて最初の選択な社会になると手間暇かかる上に、いつ訴えられるか心配で議論もろくにできない好きなことも言えないような社会になる。というかなりつつある。かつ裁判のその結果が最終的な正しい答えだという風潮も気に入らない。裁判の結果は裁判所の判断であって、正しさを判断する道具ではあるけど絶対的に間違いのない正解というわけでもないと思う。立場が違えば自ずと「正義」も違うはずで、間に入って裁定者として法の下に客観的に平等に振る舞うのが裁判所の仕事だとしても完全な客観性などあり得ない。
何でもかんでも訴訟とか、そういう面倒くせえ社会にならないように、日本の古き良き村社会的な話し合いでなあなあに双方合意できる落としどころに持っていくとか、組織の長が早めに問題潰したり目をかけるとかのほうがめんどうなくていいって。と思うのである。
なんでか知らないけど、「暴力」って絶対悪として認識されているように感じていて、物語の中では正義の味方も思いっきり暴力ふるってるし、アメリカとかロシアとか大国は暴力の権化みたいな「空爆」とかしてて暴力が絶対悪なら悪の大国なんだけど(そうかもしれんけど)、別に悪が滅びる気配もないしで、大前提として「暴力必要なときもあるよ」もしくは「暴力現実には使いまくってるし幅効かせてるよ」ってのは薄々感じてて、以前にも学校での体罰問題についても文章書いてみたりしてたんだけど、どうにもつるし上げ食らいそうでお蔵入りにしてた。
でも、最近のしょうもない(と私が感じる)ことで実に粘着質に断罪して謝罪を要求したりする社会正義の戦士達の跋扈にはイラッイラとくるものがあったので、ゲリラ戦を挑むべく日馬富士問題について書いてみた。
読む人も限られる個人のブログの戦力など微々たるものかも知れないが、その攻撃を止めることが実質的に難しいというのは現実の戦争におけるゲリラ戦同様。およそなんの規制も受けずに好き放題書けて、反論なりがきてこちらに不都合があれば管理者権限で削除したって良いので、この小さなブログでチクチク攻撃することに社会正義の戦士様達は反撃する手段がほぼない。
というわけで、お蔵入りにしていた学校での体罰問題についての文章も今回ついでに復活させて、もうちょっと「暴力」について書いてみたい。
「学校教育法」には「体罰を加えることはできない」と明記されているとのことで、現行法制度上教育現場における「体罰」は明確な違法行為である。でも「それがルールだからダメ」という説明は、「じゃあルール変えろよ」という話になるだけで根本的な良い悪いの議論の際の答えにはなり得ないと思っている。繰り返し書くけど法律なんて道具に過ぎない。目的のために適切じゃないなら道具は変えたり直したりするべきだろう。という前提で「体罰」という暴力の是非について考えてみたい。
私が中高生だったころは既に30年から昔の話で今とはだいぶ違うのはあたりまえといえばあたりまえだが、我々昭和の男はガキの頃に多かれ少なかれ先生から「愛のムチ」という名の体罰を受けていた。生徒指導の体育教師とか体罰用の竹刀を学内で持ち歩いていたりして、今思うとさすがにバイオレンスにすぎたような気もする。
私自身、身に覚えのあることないことでよく殴られたりしていたけれど、当時はそういうモノだと思っていたので別に体罰教師をことさら恨んだり問題視したりすることはなかった。まあ、冤罪含め悪いことをしていた自分の身から出たサビぐらいに思っていた。父兄にしても似たような感覚でいたと思う。
体罰としてはオーソドックスに頭に拳骨というのが多かったが、愛のムチ派の体育教師に言わせると殴る手も痛いんだそうで(気持ちの問題ではなく物理的に)、竹刀やら木の板やらでオケツを叩かれたこともある。一番痛かったのは正座させられているところを耳を引っ張って立ち上がらされて耳がチョット切れたときである。今なら訴訟でも起こせば慰謝料とれる内容かも知れないが、当時は自分が悪かったと思っていたし、今でもそうだったと思っている。
そういう荒っぽい教育を受けてきたオッサンとしては、最近の「体罰厳禁」な教育現場では、生徒にいうこと聞かすことができないのではないかと心配になる。学級崩壊とかもそういうのが原因になってない?と心配である。
なんだかんだいっても、子供も大人も人間で、話せば分かる人間もいればドついてもわからんやつもいるわけで、大人の世界で悪事を働けば懲役刑や死刑といった「暴力」といっていい身体罰がある中でなぜ子供にだけ「体罰」という身体罰を加えてはいけないのかいまいち腑に落ちていなかったが、つらつら考えるとまあそれも仕方ないのかなと思えてきた。
先ほど大人の世界には「暴力」である身体罰があると書いたけど、その罰が与えられるには警察や検察が証拠を集めたうえで裁判という手続きを経て、どの程度の罰が適当か決められる。身体罰はそれだけ慎重を期さなければならない重罰だということだろう。
先生個人の裁量でほいほいと身体罰をあたえてはいけないというのは、まあそうなのかもしれない。先生もピンからキリまでだろうから、体罰を容認していたらひどい体罰で怪我したりといった問題も起こってくるだろう。というか、そういう問題が繰り返し生じた結果、ガチガチに「体罰禁止」という流れになったのだろうと思うと、まあこれも時代の流れかと思わざるを得ない。問題が生じないように予防的にあつものに懲りてなますを吹く対応を取らざるをえなくなりがちな、いちいちめんどくせえ世の中であるとは思うけど仕方ない。
そういう中で、先生はどういう対応をしているのかと軽く調べてみると、まずは話せば分かる世界で「指導」があって、それでも駄目なら課題を与えたり当番をさせたりといった「懲戒」という罰を与えることで対応しているそうである。そんなんで大丈夫なのかと思うが、もちろん問題もあるんだろうけど、昔と比べて極端に悪くなってもいないようで、少年犯罪の発生率とかもそれほどあがってなくて、むしろ減っているらしい。昔も学校が荒れた時代とかあるから、体罰があればどうにかなるというようなモノでもないようだ。「懲戒」は少なくとも直接的な暴力ではなくて、まあそれを苦痛に感じる者がいたら間接的な暴力の一種と言えなくもないけど、直接的な暴力無くても結構いけるということになって、「暴力反対」とお気楽に主張する社会正義の戦士様にはとりあえず抵抗しておきたいけど、直接暴力使わず大丈夫ならそれに越したことはないなとも正直思うところである。実際には問題起こすとデータ管理されてて推薦受けられないとかの監視社会的重圧の増加とかいろんな要素が少年犯罪の増減には関係してそうで、それだけをみて体罰を全否定する必要があるのかとかにはやっぱり疑問は残るけど、体罰積極的に認めるべきだという理屈もいまのところ思いつかない。
そうであったとしても、ガキが悪いことをして先生にドつかれたら、親が訴訟沙汰で怒鳴り込んでくるというのは、どうにもめんどくせえ時代になったモノだと昭和の男は思うのである。
明らかに罰がふさわしい行いがあって、そのことについてゴチャゴチャ指導だの何だのしている暇があったら「バカモン!」と拳骨一発で済ませられれた時代は話が早かったのにとオッサン思ってしまうのである。
今現在、学校での体罰についての私の考えは、過去自分が受けた体罰を不適切だとは思っていないしドついてくれた先生に恩義も感じているけど、今時の価値観が多様化する中で反対する声も大きい中、適切に行使する基準等が難しく、かつ不適切な行使により怪我などを負わることの危険を許容する積極的な理由もないなか、今後はやっぱり体罰は使わないことがのぞましいとは理解するけど、感情的には完全に腑に落ちたわけでもない、ぐらいの社会正義戦士軍に対する反乱軍のゲリラ攻撃としては迫力不足というか一時休戦的なものに落ち着いてしまった。ガツンと攻勢かましたかったのに無念。
最近戦いを挑んでいる「社会正義の戦士(SJW)」が跋扈するのって、インターネットの時代になって爆発的に増えた飛び交う情報量を、人間が個人としても社会集団としてもまだ上手に処理して判断できていないのも原因かなとか漠然と感じてたんだけど、よくよく考えると、まったく不確実で根拠もあやふやな情報に踊らされて、犯人捜しをして勝手につるしあげたりする私刑って、中世の魔女狩りの頃には少なくともあって、そういう群集心理で罪も無い人間を罪人に仕立て上げたりするのは、人間が複雑な言語を使って情報をやりとりし始めたあたりから存在するたちの悪い持病なんじゃないかという気もしてきた。「フェイクニュース」とか今時っぽい呼び方をされると、なんだか新しい現象のように感じるけど、「デマ」とか「流言飛語」と何が違うネンって考えたら、いつの時代もあいも変わらず学習もせず我ら人類は愚かなことよとうんざりする。現実ってあまりにも玉虫色で不確定で人類ごときがおいそれと正しくその有り様を情報化して把握できるものではない、ぐらいに思っていた方が気が楽かも知れない。
いずれにせよ、政治経済芸能グルメにファッションなんていうのにとんと興味がなくて、自ら情報閉ざして「情報の山奥」に隠遁してるような人間が、たまに下界に下りてきて自分のことは棚に上げておいて王様は裸だと指摘した阿呆のように「オマエらアホとちゃうか」と素直に指摘するのも無意味じゃないかなと思うので、SJWに対する反乱軍としての活動は気が向いたら続けていきたい。
今現在、学校での体罰についての私の考えは、過去自分が受けた体罰を不適切だとは思っていないしドついてくれた先生に恩義も感じているけど、今時の価値観が多様化する中で反対する声も大きい中、適切に行使する基準等が難しく、かつ不適切な行使により怪我などを負わることの危険を許容する積極的な理由もないなか、今後はやっぱり体罰は使わないことがのぞましいとは理解するけど、感情的には完全に腑に落ちたわけでもない、ぐらいの社会正義戦士軍に対する反乱軍のゲリラ攻撃としては迫力不足というか一時休戦的なものに落ち着いてしまった。ガツンと攻勢かましたかったのに無念。
最近戦いを挑んでいる「社会正義の戦士(SJW)」が跋扈するのって、インターネットの時代になって爆発的に増えた飛び交う情報量を、人間が個人としても社会集団としてもまだ上手に処理して判断できていないのも原因かなとか漠然と感じてたんだけど、よくよく考えると、まったく不確実で根拠もあやふやな情報に踊らされて、犯人捜しをして勝手につるしあげたりする私刑って、中世の魔女狩りの頃には少なくともあって、そういう群集心理で罪も無い人間を罪人に仕立て上げたりするのは、人間が複雑な言語を使って情報をやりとりし始めたあたりから存在するたちの悪い持病なんじゃないかという気もしてきた。「フェイクニュース」とか今時っぽい呼び方をされると、なんだか新しい現象のように感じるけど、「デマ」とか「流言飛語」と何が違うネンって考えたら、いつの時代もあいも変わらず学習もせず我ら人類は愚かなことよとうんざりする。現実ってあまりにも玉虫色で不確定で人類ごときがおいそれと正しくその有り様を情報化して把握できるものではない、ぐらいに思っていた方が気が楽かも知れない。
いずれにせよ、政治経済芸能グルメにファッションなんていうのにとんと興味がなくて、自ら情報閉ざして「情報の山奥」に隠遁してるような人間が、たまに下界に下りてきて自分のことは棚に上げておいて王様は裸だと指摘した阿呆のように「オマエらアホとちゃうか」と素直に指摘するのも無意味じゃないかなと思うので、SJWに対する反乱軍としての活動は気が向いたら続けていきたい。
2017年12月3日日曜日
狼は生きろ豚も生きろ
今回ブログのお題を「ノルウェーの森の羊をめぐる暴論」とでもしようかと思ったんだけど、オレ正直村上春樹苦手っていうかケッって思ってるんだよネ。ということで不採用とした。非常に評価の高い作家なので何度か読んでみようと手に取るものの、ものの数ページで「こりゃオレにはむかん」と毎回断念している作家なので、一作品も読了してないので内容面で貶すことさえできないのに世間様が絶賛しているのを小耳に挟んだりすると、自分の感性が否定されたようなつまはじきにされたような気がして不安になってひねくれてしまうのである。村上春樹なんて読まんでも他におもろい作家いくらでもおるんじゃ。とか書くと「そうかも知れないね、だけどハルキを読んでないなんて大きな損失だとおもうよ(フフン)」とか上から目線でハルキストが鼻で笑っていそうでムカつく。
ほっといてくれヤ、どうせ一生おれは夏目漱石とワンピースと村上春樹の良さを理解できずに死んでいくんヤ。
などと、やさぐれつつ枕から脱線しているが、ぼちぼち本線にもどるとノルウェーの狼についての話である。
ノルウェーには現在野生の狼が55頭前後いるらしい。お隣スウェーデンと行き来するような個体もいるのでもう少し実態としては多いのかも知れないが、いずれにせよノルウェーにおいては細々と生き残っている状態のようである。
ところが、ノルウェー政府は今年そのうちの50匹近くを射殺して駆除する許可を出していて、環境保護団体が許可の差し止め求めて裁判起こしたりと世論を二分する大議論になっているようだ。
駆除が必要とする根拠は、放牧する羊を襲われる農家の被害を軽減するためとのことで、どこの国でもそうだろうと想像に難くないけど、実際に被害を受けている農家にとっては死活問題で農業団体とかを支持基盤にしている政権与党は農家の意向をうけた政策に舵を切りがちで、一方理想論を掲げる環境保護団体としては看過できるわけもなく真っ向から反対。立場違えば見方も違うわけで世論も割れるという状態なんだろう。
そういう議論の中で現実的な落としどころを模索していくというのが、とり得る唯一の方法だと思うし実際そうなっているんだろうと思うけど、環境意識とか高そうな北欧の国でも、やっぱり産業振興と環境保護の対立とかがあって、金のある産業側の声がデカくて狼が根絶やしにされそうな現実があることに正直驚いた。なんでもかんでも欧米は優れてて進んでるなんてことは幻想で、やっぱりどこの国でも同じような問題を抱えて同じように悩んでるんだなと実感した。
ノルウェーの狼問題について自然環境破壊の先進国である日本に住む人間から助言をさせてもらえるなら、やっぱり狼もいた方が良いよと、ニホンオオカミ駆除して絶滅させた結果、鹿やら猪やらが増えて農林業被害がシャレにならない状況になっているよと教えてあげたい。
どうせノルウェーで駆除しても餌のトナカイなり羊なりがいるのなら、狼に国境線なんて関係ないからスウェーデンから入ってくるだろうし、一時的にでもノルウェーの狼の個体数が極端に減って、トナカイとかが増えたらより多くの狼がやってきて、トナカイ減るまで狼が個体数増えて食った後、羊を襲い始めるかも知れない。生物の教科書に載ってるウサギの天敵の狐を駆除したら、ウサギ爆発的に増えたけど餌不足や病気の流行でその後激減したという典型例と似たようなことが起こるのは想像に難くない。
畜舎や柵で囲った牧場でなら、狼を排除して羊の生産を閉鎖的に完結させて制御することも可能だろう。でも自然環境に放牧する限り天敵の狼なんていうのはいやでも共存せざるを得ない隣人で、食われる羊は税金みたいなモノでその分は織り込み済みで経営を成り立つようにしなければいけないように思う。
その中で、どれくらい税として羊持っていかれて我慢するか、狼の個体数を減らしすぎたり絶滅させると、日本が被ってるような狼の餌となっている野生動物による産業などへの被害が生じることも考慮して、狼の駆除数を、難しいけど適切に決めていくというのが必要なんだろう。共生していくってのは野生生物に限らず今時の重要課題かと。
今回目にした記事では、ノルウェーの狼の個体数の90%を射殺する許可が出たという書きぶりで、これだけ読むととても酷いことをしようとしているように読める。でも記事を読んでいくと農民がスウェーデンにも狼は沢山居るのでノルウェーにいる個体はすべて射殺すべきだ的なことを主張しているとも書かれていて、スウェーデンとあわせた個体群の中から間引く数として50匹は案外適正なのかもしれない。スウェーデンでは羊の放牧少ないので全く狼の個体数を減らそうとか考えないのでノルウェー側としては自国の権限で駆除できる分は最大限駆除したいとか、お国事情の違う隣国間での温度差とかいろいろあるのかも知れない、そのあたりは記事の限られた情報では読み切れないので、何が正しいのか私に判断できるものではないだろう。彼の国の人たちが自分たちのこととして様々な判断材料のもと、懸命に賢明に知恵を絞って、産業重視で自然からのしっぺ返しを食らわないように、逆に理想論に走って農家が首くくらなくて良いように落としどころを見つけることを願う。
彼の国のことは彼の国の人に任せて、我が国のことを考えてみよう。
昨今の「狩りガール」とか「ジビエ」とかのちょっと流行ってる感は軽薄な気もするけど、方向としては大いに賛成したい。
自分たちでニホンオオカミ絶滅させちまっておいて、いざ鹿だのが増えたら「害獣駆除」で、殺してもゴミとして処分とか、罰当たりにもほどがある。
ニホンオオカミの役割を若い世代の猟師が、命の尊厳とかそれを奪うことの葛藤とか興奮とかを感じながら果たしていこうというのは、覚悟があって良いことだと思う。たとえ流行で軽く始めたとしても、我々と同じように赤い血が流れ触れれば暖かい獣に向かって引き金を絞るとき、あるいは罠にかかった獲物に刃物でとどめをくれるとき、何かを感じ考えずにはいられないだろう。
そういう若い猟師の心の内面や猟の楽しさを伝えて、流れを作った一要素となった作品として「ぼくは猟師になった」と「山賊ダイアリー」をあげてお薦めしておきたい。
「ジビエ」に関しては、椎名誠先生がずいぶん昔に駆除した鹿が捨てられているのを知ってヨーロッパでは野生の獣肉などはジビエといって珍重されるし実際鹿もとても美味しいのにバカなことをしていると憤っていたが、やっと世間も追いついてきたように思う。
でも実際には、野生動物を利用するって漁業見てれば分かるけど、大量に獲れるかよっぽど高価かとかじゃないと採算取れないのでいろいろと難しい。
タダで増えてるモノを獲ってくるのになんで採算が取れないのか?と思うかも知れないが、獲ってくるのにも銃だの罠だの経費はかかるし、それ以上に食品として消費者に届けるためには加工と流通の経費がかかる。加工流通のための設備投資をすると、それを回収して利益を出すには相応に沢山処理するか売る単価をあげる必要が出てくる。食品衛生的な観点から獲ってきたのをそのまま売るというのは畜肉の場合あり得ず、食肉加工にはそれなりの知識や設備が必要となる。なので、公的な支援制度もできて持続的に「ジビエ」として利用していこうという取り組みが始まっているのだけど、畜肉として今時の高度に効率化された畜産業で生産される安い価格帯の鳥豚牛と同じ土俵で戦うのにはかなりの苦戦が予想される。国産の豚肉100グラム100円代とかいうスーパーの値段がいかに安いかというのは消費者の側からはなかなか想像しにくい。内澤旬子先生が「飼い喰い」で自ら豚を3頭飼育して食肉加工してもらって買い戻して売ったり食べたりということを試みているのだけど、その中で豚一頭の売値が2、3万円にしかならなかったことに愕然としていたのが印象に残っている。豚小屋も餌も手間もかかって半年仕事が10万円にもならないのである。生産業者も加工業者も流通業者も、豚が大量に生産され消費されるから量をこなすことで利益が出る構造を作り上げて、我々が200円を切るような値段で豚肉を食べられるのである。H28年の畜産統計をみると我が国で飼育されている豚は931万3千頭、1経営体あたりの飼育頭数は1928.2頭。千とか万とかの単位を相手にするから加工施設を作っても安い値段で豚が生産できるのである。畜産農家さんありがとうという気持ちだ。
比較して「ジビエ」代表のシカの捕獲頭数。環境省の資料にあたると2000年に10万頭ぐらいだったのが、2014年には60万頭近くに増えている。さらに細かく見ると、有害鳥獣駆除だと思うけど狩猟以外による捕獲頭数というのがこの15年で激増していて、2000年には数万頭だったのが2014時点では40万頭になっている。この間狩猟による捕獲頭数も倍ぐらいには増えているけど、駆除による捕獲数が断然多い。
農水省の「鳥獣被害の現状と対策(H29)」のなかで、駆除したうちの1割ぐらいが利用されているほかは廃棄処分となっている、という聞き取り調査の結果は、カワウとか他の鳥獣含めてなので、何十万頭もの鹿が廃棄処分されているとは思いたくない、思いたくないけど数字を見てると自家消費も限界あるだろうから、それでもかなりの頭数が捨てられているように思えてきて背筋が寒くなる。
正直、資料にあたる前に、漠然としたイメージで狩猟で獲ってる鹿とか猪の数なんて大したことないから、廃棄処分している分を集めても量がないからコスト面でとても畜肉として消費者が受け入れられる値段まで下げられないだろうと思っていた。でも統計見てシカ60万頭とか国産豚と桁一つ下がる程度の差しかなく量があるので、これなら個々の猟師が獲っている数は少なくても、どっか自治体レベルでとりまとめて扱えば千やそこらの数にはできるはずで、それならちゃんと食肉加工して流通させて利用していかなければバカというか愚かというか、有り体にいって罪でさえあるように思う。
日本人もアホばっかりではないようで、その辺ちゃんと安全安心に流通させるためのルールだとか仕組みは作られていることを今回ネットでお勉強して知ってちょっと安心した。
猟師は狩りガールも奮闘していて増えてきている、加工流通させるための設備投資とか衛生管理者の育成はこれからかも知れないけど制度はできて「ジビエ」の資源量は当面農林業被害を心配する方が重要なぐらいには豊富。
後は消費者が受け入れるかどうかである。狩猟で獲られている分、シカでいうならおよそ60万頭の内20万頭ぐらいは、もともとあった加工流通経路を使ったり自家消費なりで消費されていくだろうことは想像できる。大雑把に残りの40万頭をどう売りさばくのかという話になっているのだと思う。要するにいままで食べたこともない肉を一般のご家庭なり、外食先でなり食べてもらおうというのである。
まずは値段がどうなるのかというのが気になる。数が少なければ逆に値段高くても高級品として珍重されて消費される分でいけるだろうけど40万頭である。「いつも鳥と豚食べてるけどたまにはシカでも食べてみるか?」となるには、値段面でまずそれほど差をつけられたくない。今の状況でどのくらいの値段かとネットで通販している鹿肉を見ると、安いとキロあたり2千円ぐらいのがある。現時点でも鹿肉それなりに値段は安い。たまたま昨日値引き札が貼ってあったラム肉を買って今夜はジンギスカンなのだが、このラム肉が値引き前で100グラム198円でやっぱり普段買う畜肉において、今の消費者が買うか買わないかのイムジン河が100グラム200円に流れていて、値札が1から始まるグラム百円台かどうかが勝負所のように思う。今夜のジンギスカンは、畜肉といったら普段グラム128円の豚コマかグラム98円の鶏モモぐらいしか買わない渋い主夫の財布の紐も、グラム200円でさらに値引き札が貼ってあれば「たまには別の肉も買ってみるか」と思うという好例である。ちなみに豚と鳥は国産を買うことにしている。
加工流通の仕組みが整っていけば値段は何とかなりそうな雰囲気である。もっと安くできるかというと、そこは昔から効率化を進めまくってきた養豚業の限界を超えては安くはできないだろうと思うので、あとは、消費者が鹿肉について価値を受け入れてその値段で買ってくれるかというところだろう。
「価値」として「味」としなかったのは、別に味以外にも「珍しい」とか「インスタ映えしそう」とかで買ってくれても良いからで、かつ、味以外のそういう話題性的な部分は「売り」になるだろうという目算。
鹿肉って味はどうなの?っていうと、美味しいと書くのは簡単で正直な感想なんだけど、かなり説明が必要な「味」である。ぶっちゃけ今時の日本でもてはやされる「脂」っけのない肉なんである。またここでも私は脂脂とうるさいグルメどもやマスコミをバカにして罵らなければならないのである。
何でもかんでも特上の和牛みたいに霜ふってりゃ良いってもんじゃないぞと、赤身には赤身の旨さがあるってもんだろと。
鹿肉はあのシカのすらりと引き締まった体型から想像できるように、綺麗な赤身で脂がほとんど付かない。でもショウガ醤油で刺身でも美味しいし、煮込んでもいい出汁が出て美味しい。同居人の叔父さんが撃った鹿肉を何度ももらって堪能したものだが、獣肉なのに脂のくどさとは無縁の上質のタンパク質をかっ食らっている味わい。刺身が最高だけど肝炎ウイルスを持っている場合があるそうで、冷凍してても生食は肝炎の恐れの無い産地のを自己責任でということになってしまい残念。山賊ダイアリーではニンニク効かせてステーキで食ってたけどステーキは脂のくどくない赤身をガツンと食うにはたしかに良いかもしれない。お薦めは煮込みで、アラスカでエスキモーの人たちがカリブーを食べるのにタマネギとかジャガイモと一緒に塩茹でにしてたのが美味しそうで、同じように鹿肉で塩味ベースでハーブ効かせて煮込んでみたら実に美味しかったのでお薦め。
ちなみに猪肉については今の日本人好みの脂の乗った肉なので何の問題もなく消費されると思うので私は鹿肉のことばかり心配しているのである。猪は雄で臭いのがいるらしいけど、ぼたん鍋食べたときに全然臭くもなんともなくて正直豚と違いが分からなくて「もっと獣臭いのが食いたい」と思ってしまったぐらいである。
「味」なんて、よっぽど悪くない限りどうとでもなると思っている。それは料理の技術的に美味しく食べる方法が色々あるだろうという意味と、「味」なんてのは習慣と偏見の産物で確固たる絶対的なものなんてないんだから、上手く宣伝して「鹿肉は美味しい」と多くの人に思わせてしまえば良いぐらいに思っている。
そういうのマスコミは得意なんだからこういうときにもしっかり働いてくれと思う。多くの人が流行のモノやら人が美味しいと言っているものを美味しいと感じるのだから、「鹿肉は美味しい」って宣伝してくれ。
人の評価によって美味しいかそうでないかが違ってくるような「普通の人」をバカにしているように思うかもな書きぶりだけど、まあバカにもしてるけど、高級なワインを飲んだときに、美味しさを感じる脳の部位の興奮の仕方が値段を聞いたときの方が聞かなかった場合より大きかったとかいう実験報告とか読むと、美味しいと感じるのは「味」からだけじゃなくて、もちろん臭いや見た目もあるだろうけど、その食材や料理にいかに価値があるかとかの情報も含めて味わっているんだというのが本質で、評判とか人の評価も含めて美味しいと思うのもあながち間違ってないんだろうと思う。
ということでグルメライターやらマスコミの皆さん、「鹿肉は赤身でヘルシーでオイシー」だの「本格ジビエ料理がオシャレで素敵でエコでロハス」だの「賢い消費者は日本の農林業を守るためにもジビエの利用を」だの適当にそれっぽいこと書いて消費者に「鹿肉は美味しい」って思わせてくれたまえ。お得意でしょ?
この情報化社会で「無知は罪」であり、知らなかったではすまされないというのは肝に銘じていたつもりだったけど、有害鳥獣の駆除数がこんなにも多いとは正直調べるまで思ってもいなくて桁が一つぐらい違っていて驚いた。
野生動物に関してなんて興味のある分野でこの体たらくで、自分がいかに知らないことだらけなのかと思うと暗澹たる気持ちになる。人のことバカにしてるくせに自分だって無知蒙昧じゃないかとね。
まあ、知らなかったことを知ることは楽しいことでもあるので、せめて興味のあることについては情報に敏感に反応して、気になることはネットでも図書館でも専門家に聞くのでもいいので調べてみるよう心がけたい。
ほっといてくれヤ、どうせ一生おれは夏目漱石とワンピースと村上春樹の良さを理解できずに死んでいくんヤ。
などと、やさぐれつつ枕から脱線しているが、ぼちぼち本線にもどるとノルウェーの狼についての話である。
ノルウェーには現在野生の狼が55頭前後いるらしい。お隣スウェーデンと行き来するような個体もいるのでもう少し実態としては多いのかも知れないが、いずれにせよノルウェーにおいては細々と生き残っている状態のようである。
ところが、ノルウェー政府は今年そのうちの50匹近くを射殺して駆除する許可を出していて、環境保護団体が許可の差し止め求めて裁判起こしたりと世論を二分する大議論になっているようだ。
駆除が必要とする根拠は、放牧する羊を襲われる農家の被害を軽減するためとのことで、どこの国でもそうだろうと想像に難くないけど、実際に被害を受けている農家にとっては死活問題で農業団体とかを支持基盤にしている政権与党は農家の意向をうけた政策に舵を切りがちで、一方理想論を掲げる環境保護団体としては看過できるわけもなく真っ向から反対。立場違えば見方も違うわけで世論も割れるという状態なんだろう。
そういう議論の中で現実的な落としどころを模索していくというのが、とり得る唯一の方法だと思うし実際そうなっているんだろうと思うけど、環境意識とか高そうな北欧の国でも、やっぱり産業振興と環境保護の対立とかがあって、金のある産業側の声がデカくて狼が根絶やしにされそうな現実があることに正直驚いた。なんでもかんでも欧米は優れてて進んでるなんてことは幻想で、やっぱりどこの国でも同じような問題を抱えて同じように悩んでるんだなと実感した。
ノルウェーの狼問題について自然環境破壊の先進国である日本に住む人間から助言をさせてもらえるなら、やっぱり狼もいた方が良いよと、ニホンオオカミ駆除して絶滅させた結果、鹿やら猪やらが増えて農林業被害がシャレにならない状況になっているよと教えてあげたい。
どうせノルウェーで駆除しても餌のトナカイなり羊なりがいるのなら、狼に国境線なんて関係ないからスウェーデンから入ってくるだろうし、一時的にでもノルウェーの狼の個体数が極端に減って、トナカイとかが増えたらより多くの狼がやってきて、トナカイ減るまで狼が個体数増えて食った後、羊を襲い始めるかも知れない。生物の教科書に載ってるウサギの天敵の狐を駆除したら、ウサギ爆発的に増えたけど餌不足や病気の流行でその後激減したという典型例と似たようなことが起こるのは想像に難くない。
畜舎や柵で囲った牧場でなら、狼を排除して羊の生産を閉鎖的に完結させて制御することも可能だろう。でも自然環境に放牧する限り天敵の狼なんていうのはいやでも共存せざるを得ない隣人で、食われる羊は税金みたいなモノでその分は織り込み済みで経営を成り立つようにしなければいけないように思う。
その中で、どれくらい税として羊持っていかれて我慢するか、狼の個体数を減らしすぎたり絶滅させると、日本が被ってるような狼の餌となっている野生動物による産業などへの被害が生じることも考慮して、狼の駆除数を、難しいけど適切に決めていくというのが必要なんだろう。共生していくってのは野生生物に限らず今時の重要課題かと。
今回目にした記事では、ノルウェーの狼の個体数の90%を射殺する許可が出たという書きぶりで、これだけ読むととても酷いことをしようとしているように読める。でも記事を読んでいくと農民がスウェーデンにも狼は沢山居るのでノルウェーにいる個体はすべて射殺すべきだ的なことを主張しているとも書かれていて、スウェーデンとあわせた個体群の中から間引く数として50匹は案外適正なのかもしれない。スウェーデンでは羊の放牧少ないので全く狼の個体数を減らそうとか考えないのでノルウェー側としては自国の権限で駆除できる分は最大限駆除したいとか、お国事情の違う隣国間での温度差とかいろいろあるのかも知れない、そのあたりは記事の限られた情報では読み切れないので、何が正しいのか私に判断できるものではないだろう。彼の国の人たちが自分たちのこととして様々な判断材料のもと、懸命に賢明に知恵を絞って、産業重視で自然からのしっぺ返しを食らわないように、逆に理想論に走って農家が首くくらなくて良いように落としどころを見つけることを願う。
彼の国のことは彼の国の人に任せて、我が国のことを考えてみよう。
昨今の「狩りガール」とか「ジビエ」とかのちょっと流行ってる感は軽薄な気もするけど、方向としては大いに賛成したい。
自分たちでニホンオオカミ絶滅させちまっておいて、いざ鹿だのが増えたら「害獣駆除」で、殺してもゴミとして処分とか、罰当たりにもほどがある。
ニホンオオカミの役割を若い世代の猟師が、命の尊厳とかそれを奪うことの葛藤とか興奮とかを感じながら果たしていこうというのは、覚悟があって良いことだと思う。たとえ流行で軽く始めたとしても、我々と同じように赤い血が流れ触れれば暖かい獣に向かって引き金を絞るとき、あるいは罠にかかった獲物に刃物でとどめをくれるとき、何かを感じ考えずにはいられないだろう。
そういう若い猟師の心の内面や猟の楽しさを伝えて、流れを作った一要素となった作品として「ぼくは猟師になった」と「山賊ダイアリー」をあげてお薦めしておきたい。
「ジビエ」に関しては、椎名誠先生がずいぶん昔に駆除した鹿が捨てられているのを知ってヨーロッパでは野生の獣肉などはジビエといって珍重されるし実際鹿もとても美味しいのにバカなことをしていると憤っていたが、やっと世間も追いついてきたように思う。
でも実際には、野生動物を利用するって漁業見てれば分かるけど、大量に獲れるかよっぽど高価かとかじゃないと採算取れないのでいろいろと難しい。
タダで増えてるモノを獲ってくるのになんで採算が取れないのか?と思うかも知れないが、獲ってくるのにも銃だの罠だの経費はかかるし、それ以上に食品として消費者に届けるためには加工と流通の経費がかかる。加工流通のための設備投資をすると、それを回収して利益を出すには相応に沢山処理するか売る単価をあげる必要が出てくる。食品衛生的な観点から獲ってきたのをそのまま売るというのは畜肉の場合あり得ず、食肉加工にはそれなりの知識や設備が必要となる。なので、公的な支援制度もできて持続的に「ジビエ」として利用していこうという取り組みが始まっているのだけど、畜肉として今時の高度に効率化された畜産業で生産される安い価格帯の鳥豚牛と同じ土俵で戦うのにはかなりの苦戦が予想される。国産の豚肉100グラム100円代とかいうスーパーの値段がいかに安いかというのは消費者の側からはなかなか想像しにくい。内澤旬子先生が「飼い喰い」で自ら豚を3頭飼育して食肉加工してもらって買い戻して売ったり食べたりということを試みているのだけど、その中で豚一頭の売値が2、3万円にしかならなかったことに愕然としていたのが印象に残っている。豚小屋も餌も手間もかかって半年仕事が10万円にもならないのである。生産業者も加工業者も流通業者も、豚が大量に生産され消費されるから量をこなすことで利益が出る構造を作り上げて、我々が200円を切るような値段で豚肉を食べられるのである。H28年の畜産統計をみると我が国で飼育されている豚は931万3千頭、1経営体あたりの飼育頭数は1928.2頭。千とか万とかの単位を相手にするから加工施設を作っても安い値段で豚が生産できるのである。畜産農家さんありがとうという気持ちだ。
比較して「ジビエ」代表のシカの捕獲頭数。環境省の資料にあたると2000年に10万頭ぐらいだったのが、2014年には60万頭近くに増えている。さらに細かく見ると、有害鳥獣駆除だと思うけど狩猟以外による捕獲頭数というのがこの15年で激増していて、2000年には数万頭だったのが2014時点では40万頭になっている。この間狩猟による捕獲頭数も倍ぐらいには増えているけど、駆除による捕獲数が断然多い。
農水省の「鳥獣被害の現状と対策(H29)」のなかで、駆除したうちの1割ぐらいが利用されているほかは廃棄処分となっている、という聞き取り調査の結果は、カワウとか他の鳥獣含めてなので、何十万頭もの鹿が廃棄処分されているとは思いたくない、思いたくないけど数字を見てると自家消費も限界あるだろうから、それでもかなりの頭数が捨てられているように思えてきて背筋が寒くなる。
正直、資料にあたる前に、漠然としたイメージで狩猟で獲ってる鹿とか猪の数なんて大したことないから、廃棄処分している分を集めても量がないからコスト面でとても畜肉として消費者が受け入れられる値段まで下げられないだろうと思っていた。でも統計見てシカ60万頭とか国産豚と桁一つ下がる程度の差しかなく量があるので、これなら個々の猟師が獲っている数は少なくても、どっか自治体レベルでとりまとめて扱えば千やそこらの数にはできるはずで、それならちゃんと食肉加工して流通させて利用していかなければバカというか愚かというか、有り体にいって罪でさえあるように思う。
日本人もアホばっかりではないようで、その辺ちゃんと安全安心に流通させるためのルールだとか仕組みは作られていることを今回ネットでお勉強して知ってちょっと安心した。
猟師は狩りガールも奮闘していて増えてきている、加工流通させるための設備投資とか衛生管理者の育成はこれからかも知れないけど制度はできて「ジビエ」の資源量は当面農林業被害を心配する方が重要なぐらいには豊富。
後は消費者が受け入れるかどうかである。狩猟で獲られている分、シカでいうならおよそ60万頭の内20万頭ぐらいは、もともとあった加工流通経路を使ったり自家消費なりで消費されていくだろうことは想像できる。大雑把に残りの40万頭をどう売りさばくのかという話になっているのだと思う。要するにいままで食べたこともない肉を一般のご家庭なり、外食先でなり食べてもらおうというのである。
まずは値段がどうなるのかというのが気になる。数が少なければ逆に値段高くても高級品として珍重されて消費される分でいけるだろうけど40万頭である。「いつも鳥と豚食べてるけどたまにはシカでも食べてみるか?」となるには、値段面でまずそれほど差をつけられたくない。今の状況でどのくらいの値段かとネットで通販している鹿肉を見ると、安いとキロあたり2千円ぐらいのがある。現時点でも鹿肉それなりに値段は安い。たまたま昨日値引き札が貼ってあったラム肉を買って今夜はジンギスカンなのだが、このラム肉が値引き前で100グラム198円でやっぱり普段買う畜肉において、今の消費者が買うか買わないかのイムジン河が100グラム200円に流れていて、値札が1から始まるグラム百円台かどうかが勝負所のように思う。今夜のジンギスカンは、畜肉といったら普段グラム128円の豚コマかグラム98円の鶏モモぐらいしか買わない渋い主夫の財布の紐も、グラム200円でさらに値引き札が貼ってあれば「たまには別の肉も買ってみるか」と思うという好例である。ちなみに豚と鳥は国産を買うことにしている。
加工流通の仕組みが整っていけば値段は何とかなりそうな雰囲気である。もっと安くできるかというと、そこは昔から効率化を進めまくってきた養豚業の限界を超えては安くはできないだろうと思うので、あとは、消費者が鹿肉について価値を受け入れてその値段で買ってくれるかというところだろう。
「価値」として「味」としなかったのは、別に味以外にも「珍しい」とか「インスタ映えしそう」とかで買ってくれても良いからで、かつ、味以外のそういう話題性的な部分は「売り」になるだろうという目算。
鹿肉って味はどうなの?っていうと、美味しいと書くのは簡単で正直な感想なんだけど、かなり説明が必要な「味」である。ぶっちゃけ今時の日本でもてはやされる「脂」っけのない肉なんである。またここでも私は脂脂とうるさいグルメどもやマスコミをバカにして罵らなければならないのである。
何でもかんでも特上の和牛みたいに霜ふってりゃ良いってもんじゃないぞと、赤身には赤身の旨さがあるってもんだろと。
鹿肉はあのシカのすらりと引き締まった体型から想像できるように、綺麗な赤身で脂がほとんど付かない。でもショウガ醤油で刺身でも美味しいし、煮込んでもいい出汁が出て美味しい。同居人の叔父さんが撃った鹿肉を何度ももらって堪能したものだが、獣肉なのに脂のくどさとは無縁の上質のタンパク質をかっ食らっている味わい。刺身が最高だけど肝炎ウイルスを持っている場合があるそうで、冷凍してても生食は肝炎の恐れの無い産地のを自己責任でということになってしまい残念。山賊ダイアリーではニンニク効かせてステーキで食ってたけどステーキは脂のくどくない赤身をガツンと食うにはたしかに良いかもしれない。お薦めは煮込みで、アラスカでエスキモーの人たちがカリブーを食べるのにタマネギとかジャガイモと一緒に塩茹でにしてたのが美味しそうで、同じように鹿肉で塩味ベースでハーブ効かせて煮込んでみたら実に美味しかったのでお薦め。
ちなみに猪肉については今の日本人好みの脂の乗った肉なので何の問題もなく消費されると思うので私は鹿肉のことばかり心配しているのである。猪は雄で臭いのがいるらしいけど、ぼたん鍋食べたときに全然臭くもなんともなくて正直豚と違いが分からなくて「もっと獣臭いのが食いたい」と思ってしまったぐらいである。
「味」なんて、よっぽど悪くない限りどうとでもなると思っている。それは料理の技術的に美味しく食べる方法が色々あるだろうという意味と、「味」なんてのは習慣と偏見の産物で確固たる絶対的なものなんてないんだから、上手く宣伝して「鹿肉は美味しい」と多くの人に思わせてしまえば良いぐらいに思っている。
そういうのマスコミは得意なんだからこういうときにもしっかり働いてくれと思う。多くの人が流行のモノやら人が美味しいと言っているものを美味しいと感じるのだから、「鹿肉は美味しい」って宣伝してくれ。
人の評価によって美味しいかそうでないかが違ってくるような「普通の人」をバカにしているように思うかもな書きぶりだけど、まあバカにもしてるけど、高級なワインを飲んだときに、美味しさを感じる脳の部位の興奮の仕方が値段を聞いたときの方が聞かなかった場合より大きかったとかいう実験報告とか読むと、美味しいと感じるのは「味」からだけじゃなくて、もちろん臭いや見た目もあるだろうけど、その食材や料理にいかに価値があるかとかの情報も含めて味わっているんだというのが本質で、評判とか人の評価も含めて美味しいと思うのもあながち間違ってないんだろうと思う。
ということでグルメライターやらマスコミの皆さん、「鹿肉は赤身でヘルシーでオイシー」だの「本格ジビエ料理がオシャレで素敵でエコでロハス」だの「賢い消費者は日本の農林業を守るためにもジビエの利用を」だの適当にそれっぽいこと書いて消費者に「鹿肉は美味しい」って思わせてくれたまえ。お得意でしょ?
この情報化社会で「無知は罪」であり、知らなかったではすまされないというのは肝に銘じていたつもりだったけど、有害鳥獣の駆除数がこんなにも多いとは正直調べるまで思ってもいなくて桁が一つぐらい違っていて驚いた。
野生動物に関してなんて興味のある分野でこの体たらくで、自分がいかに知らないことだらけなのかと思うと暗澹たる気持ちになる。人のことバカにしてるくせに自分だって無知蒙昧じゃないかとね。
まあ、知らなかったことを知ることは楽しいことでもあるので、せめて興味のあることについては情報に敏感に反応して、気になることはネットでも図書館でも専門家に聞くのでもいいので調べてみるよう心がけたい。
2017年12月1日金曜日
この文章はWindows10の更新プログラム構成中の待ち時間に電子メモ使って打ちました
パソコンの画面右の方にウインドウズ10の更新プログラムの用意ができましたとかいうメッセージが現れた。
前回まで、立ち上げたまま放置していると知らない間に更新が始まっていてしばらくパソコンが使えなくなるというクソ仕様な初期設定だったので、さすがにやめさせる方法があるだろうとネットで調べて、こちらの承認があってから更新を始めるように設定しなおした。これなら寝る前に更新とか出かける前に更新とか、こちらの都合で時間のかかる更新作業を済ませることができる。
なので、メッセージが出たことだし外出する前に更新をポチッてから出かけるかと思ったのだが、すでにその時点からイラつかされる。例によって日本語の不自由な人がメッセージ作っているとしか思えない脈絡のない文で、更新の準備ができたんなら、その辺ポチッとクリックしたら更新が始まるんだろうとポチポチやってみるが始まりそうにない。
代わりになんかちょっと下に、再度メッセージを表示する時期を指定してください的なメッセージも出ているけど、今回今から更新しようとしているので延期関係は関係ない。
しばらく悩んで「まあいいや放置」とシャットダウンしようとしたら、シャットダウンとか選ぶ段階で「更新してシャットダウン」「更新して再起動」という選択肢が現れた。
要するに、メッセージには「更新の用意ができました」という情報の後に「更新をスタートするにはシャットダウンするか再起動してください」とかの当然必要な一文が抜けているんである。
まあ、ウインドウズ更新の時にはシャットダウンか再起動っていうのはこれまでどおりのお作法なので、お作法忘れてた私が悪いのかもしれない。でも、記憶じゃ古いウインドウズならちゃんと日本語でシャットダウンか再起動しろと指示があった気がするけどどうなのよ?
まあいいや、とりあえず更新スタートしたし帰ってくる頃には終わってるだろうと出かけて帰宅。
画面も暗くなっててシャットダウンされているので、更新も無事終わったようだなと電源入れたら、更新作業再開しくさって「更新プログラムを構成しています。○○% PCの電源を切らないでください。処理にしばらくかかります。PCは数回再起動します。」とか表示されてやがる。
わざと嫌がらせでやってるんじゃないかというぐらい酷い仕打ち。
どう考えても、パソコン使ってない間に更新をすませたいと使用者は思うと思うが、マ○クロソフトの人にはそのことを丁寧に教えてあげないと分からないのだろうか?
出かけてる間に終わらせといてくれよ。
他人のことをバカ扱いしたり頭が悪いと罵ったりすると、いかにも自分が頭が良いつもりでいるように他人からは見えてしまうだろうし下品だしバカっぽいので、避けられるモノなら避けていきたいが、それでもこれは書かんわけにはいかん。赦せん。
こういう仕様にした技術者って日本語が不自由云々っていうより頭悪すぎだろう。
素人の声高な指摘って、専門家からみたら的外れで幼稚なモノのことが多いのかもしれないけど、コレはそんな難しい話じゃなくて、ただ単にアホとしかいえない程度の低さだと思うけどどう思います?
「プログラムを構成しています」ってのもいまいち意味分かんねえんだけど日本語的にあってるのか?この文だけで見ると主語抜けてるけど、とかマ○クロソフト様の悪口ならいくらでも書けるけど、1時間がとこかかって更新も終了したので、今日はこのぐらいにしといたるワ!
前回まで、立ち上げたまま放置していると知らない間に更新が始まっていてしばらくパソコンが使えなくなるというクソ仕様な初期設定だったので、さすがにやめさせる方法があるだろうとネットで調べて、こちらの承認があってから更新を始めるように設定しなおした。これなら寝る前に更新とか出かける前に更新とか、こちらの都合で時間のかかる更新作業を済ませることができる。
なので、メッセージが出たことだし外出する前に更新をポチッてから出かけるかと思ったのだが、すでにその時点からイラつかされる。例によって日本語の不自由な人がメッセージ作っているとしか思えない脈絡のない文で、更新の準備ができたんなら、その辺ポチッとクリックしたら更新が始まるんだろうとポチポチやってみるが始まりそうにない。
代わりになんかちょっと下に、再度メッセージを表示する時期を指定してください的なメッセージも出ているけど、今回今から更新しようとしているので延期関係は関係ない。
しばらく悩んで「まあいいや放置」とシャットダウンしようとしたら、シャットダウンとか選ぶ段階で「更新してシャットダウン」「更新して再起動」という選択肢が現れた。
要するに、メッセージには「更新の用意ができました」という情報の後に「更新をスタートするにはシャットダウンするか再起動してください」とかの当然必要な一文が抜けているんである。
まあ、ウインドウズ更新の時にはシャットダウンか再起動っていうのはこれまでどおりのお作法なので、お作法忘れてた私が悪いのかもしれない。でも、記憶じゃ古いウインドウズならちゃんと日本語でシャットダウンか再起動しろと指示があった気がするけどどうなのよ?
まあいいや、とりあえず更新スタートしたし帰ってくる頃には終わってるだろうと出かけて帰宅。
画面も暗くなっててシャットダウンされているので、更新も無事終わったようだなと電源入れたら、更新作業再開しくさって「更新プログラムを構成しています。○○% PCの電源を切らないでください。処理にしばらくかかります。PCは数回再起動します。」とか表示されてやがる。
わざと嫌がらせでやってるんじゃないかというぐらい酷い仕打ち。
どう考えても、パソコン使ってない間に更新をすませたいと使用者は思うと思うが、マ○クロソフトの人にはそのことを丁寧に教えてあげないと分からないのだろうか?
出かけてる間に終わらせといてくれよ。
他人のことをバカ扱いしたり頭が悪いと罵ったりすると、いかにも自分が頭が良いつもりでいるように他人からは見えてしまうだろうし下品だしバカっぽいので、避けられるモノなら避けていきたいが、それでもこれは書かんわけにはいかん。赦せん。
こういう仕様にした技術者って日本語が不自由云々っていうより頭悪すぎだろう。
素人の声高な指摘って、専門家からみたら的外れで幼稚なモノのことが多いのかもしれないけど、コレはそんな難しい話じゃなくて、ただ単にアホとしかいえない程度の低さだと思うけどどう思います?
「プログラムを構成しています」ってのもいまいち意味分かんねえんだけど日本語的にあってるのか?この文だけで見ると主語抜けてるけど、とかマ○クロソフト様の悪口ならいくらでも書けるけど、1時間がとこかかって更新も終了したので、今日はこのぐらいにしといたるワ!
2017年11月25日土曜日
眠れる獅子はここぞというとき牙を立てる
いきなりのホホジロ様画像は、ウィキペディアから引っ張ってきております。商業利用とか除いて自由に使って良い画像とかも沢山あってウィキペディアって、いい加減な情報載ってるとか貶したりもしてるけど、ちょっとした調べ物のとっかかりやら暇つぶしには便利この上ないことも認めざるを得ず、ネット上では寄付を募るメールとかがうざいとか書かれてしまってるけど、催促のメールが来るとやっぱりうざいと思いつつも少額ながら寄付させていただいております。
寄付と無償で情報書き込む名も無き筆者たちで作り上げて、タダで提供している情報源として、限界もあるけど良くやっていると素直に評価したい。
で、なんでホホジロザメかっていうと、アベマTVのナショジオアワーでホホジロザメを捕獲して通信機能付きのタグ付けて放流調査するという「シャークマン」シリーズの第2弾を観たので、今頭の中にホホジロザメ様が泳いでいるのである。
今回は繁殖地でのトン超えの大型個体を狙った第1弾と異なり、100キロあるかないかの若魚がやってくる浅い海でホホジロザメの若い個体の成長などの謎を探るということで、米国加州はマリブビーチのサーフィンやらスタンドアップパドルを楽しむ人々の下を泳いでいるホホジロザメを飛行機と連携して空からも探して狙っていた。
大型個体が海産哺乳類食でアザラシだのと間違えて人を襲うことはあっても、小型個体は魚食性なのでほとんど人を襲う事故はなく、調査が成立するぐらいに個体数は多いのにマリブビーチでの過去の事故例はたったの3件だそうである。加えて初めて知ったのだが、ホホジロザメの小型個体はあのホホジロザメ特有の3角形の歯じゃなくて、アオザメやヨシキリザメのような他の魚食性のサメと同じように尖った形の歯を持っているそうだ。歯の形が餌に合うようになっているっていうのは知ってしまえば当たり前といえば当たり前だけど、実に上手くできているモノだと感心する。
でもって、前回トンオーバーの怪物には竿とリールをあきらめていた釣り人チームだけど、今回は昇降装置付きの本船の台座に乗せる手前までは竿とリールでやったとったしてた。やっぱり釣り師としては竿とリールでやりたいよね。リールはアキュレートかな?チョロッと投げたりもしてた。
でもってそのやりとりを観た感想としては、このぐらいの型なら竿とリールで余裕でやれるという感じ。2匹釣ってて2メーターぐらいのと2.5メーターぐらいのだけど、どちらも結局用意していたジンバルとハーネス使わず。まあ向こうの釣り人は力持ちなんだろうけど、それでも同じ人間だしやってやれやンことはないだろうという気になった。
ご近所で3時間かそこらの釣りでヘロヘロしている状態で何をゆうとるんじゃという気もするけど、健康回復したら釣ったるねン、という思いは胸に抱き続けていくのである。
毎年、八重山やらの方面からはサメ駆除で400キロのイタチザメとか報道されてて心引かれるけど、餌ずらずらと沢山ぶら下げる延縄では釣れても竿いっちょではなかなか厳しいらしい。
しかしながら、割と確度の高い情報もいただいていて、風雲児さんが秋に渡船で渡る磯にはドタブカとかそのあたりのメジロザメ系だろうとのことだけど、2メートルオーバーのサメが、目視できる位置に居着いて、ハリがかりした釣り師の獲物をかっさらって行くそうである。風雲児さんの見立てでは食わせるところまでは難しくなさそうとのことで、かけてからどうしようか、磯だし根ズレとかもあるけど、そもそも船で追っかけてもらえないなかでそのサイズのサメを止めて寄せてこれるのか?竿とリールじゃなくてロープで綱引きか?とか悩んでいたが、映像見る限り竿とリールでいけそうに思う。
我が家にある道具ならスピンフィッシャー9500SSにPE6号ぐらいたらふく巻いたロウニンアジキャスティングタックルか、餌を浮子つけて流す必要があるけどセネターに80LBナイロンこれまたたらふく巻いたスタンダップトローリングタックルで何とかなるんじゃなかろうか。磯の上を根ズレかわすのに移動しながらとか考えるとジンバルだけでハーネス無しが機動的で良いだろう。
とりあえず腹は決まった気がする。あとは健康と筋トレだな。
もう一つ観てて思ったのは、昇降機が故障して台座を海中に下ろせなくなり2メートルくらいの個体を4,5人で引っ張っていってドボンと海に帰したんだけど、思ったより水から上げるとおとなしい。前回トン超えのデカブツはシッポ振ったりしたら吹っ飛ばされて大怪我しそうな迫力があったけど、2メートルない個体なら歯のある顔だけ気をつければシッポ持って引っ張り上げることは不可能ではないように思う。まあ、ワイヤーリーダを切断してリリースが安全だけど、種同定するために各部位とか撮影するのに、リリースまで水中で処理するにしてもシッポ固定して拘束というのは気をつけてやればやれるかも知れない。
でもって、前回のデカブツ仕留めた映像で、ハリ先が内側に向いたネムリ針が口の端の良いところに掛かるという効用を感じて以降、「ネムリ針って実際どうなんだろう?」からはじまって、そもそも針先は内側向いているべきかそうじゃないのかあたりについて、色々考えてだんだん煮詰まってきたので、今回その辺をちょっとまとめて書いておきたい。
サメだのマグロだのデカブツを狙うときに限らず、ハリはどういう形であるべきかという問題について、釣り人はハリ先の鋭さやハリの曲がらない強さぐらいしか気にしていないようにも思うので、もっと魚との接点となる重要な道具であるハリについてよく考えておいて罰は当たらないと思うので、そのきっかけにでもしていただければ幸い。あなたの使ってるハリが適切かどうか、今一度考えてみて損はないとお薦めするところ。
ネムリ針ってそもそもなんぞや?というと、一般的には極端にハリ先がキュッと内側に曲げてあって、ハリ先につながる部位も軸に向かって傾斜している形のハリ。
右の写真は左から、海のフライ用のストレートなハリ先を持った「800S」、真ん中がいろんなハリの原型というかある種標準的な形ともいえそうな「伊勢尼(カン付)」でハリ先はやや内側に曲がる程度。
そして右がネムリ針の代表格である「ムツバリ」である。ムツバリはかなり内側にハリ先が向いていることが見て取れるだろう。
シャークマン達がホホジロザメを狙うのに、ネムリ針を使ったのは、ネムリ針だとハリが口の横の端にかかって、放流するときにハリが外しやすく、かつハリのちもとが口の外に出るために金属とはいえハリスが鋭い歯にさらされず切られないという利点があって実に理にかなったハリの形状の選択だと感心した。
ネムリ針の典型例であるムツバリもハリがムツに飲み込まれてかかって、ハリスがムツの鋭い歯に擦れて切れることを避けるためというのが第一の目的で、口の端以外にはかかりにくいネムリバリとなっているのだと思う。
さらに、ネムリバリは形状的にかかったら外れにくいということがあり、もっと言うと外れにくいところにかかる、という利点もあって深い海からムツを釣り上げてくるときにはハリ先がしっかりネムったムツバリを使うようになったのだろう。
最近は、マグロ釣りの世界でも、はたまたマグロ漁の世界でも、英語圏でサークルフックと呼ぶネムリバリの使用が増えている。
この頃流行のキハダ釣りにおいて、ハリスが歯で切られるのを、口の端にハリ掛かりしてちもとが口から出ることで防ぐことが出来るという利点に注目して、オーナーの「ムツサークルフック」なんてのが使われることもあるようだ。
遠洋まぐろはえ縄漁業の世界では、亀、サメ、鳥の混獲っていうのは、色々うるさい環境保護団体に漁業が攻撃され国際的に批判を浴びる原因となる。その中で海亀の混獲について劇的に改善効果をもたらすのが「サークルフック」であるらしい。
なにしろ亀の口のような堅いつるつる平面の多い口腔内にはハリ先が内向きのサークルフックはかかりにくい。かかったとしても口の端の方で、飲み込まれてかかったときに比べれば海亀の生残率も格段に良いし、外す手間も少なくて済む。
「でも、マグロもかかりにくいんでしょ?」と当然ながら疑うけど、メバチの漁場でのデータでは釣獲率は統計上有意に減りはしなかったという報告だった気がする。マグロ釣れる数が減らなくて、海亀を海に帰す手間が楽になるのなら漁師の側から見ても不利益はなく推進するべきだということで、遠洋マグロはえ縄漁業では様々な海域、国においてサークルフックの使用は推奨されルール化されつつある。
サークルフックのようなハリ先が内側向いた、いかにもスッポ抜けそうなハリではマグロがかかる数が減るだろうと思うのだが、マグロ釣る延縄のハリスはサメも狙うならワイヤーかも知れないけど基本目の良いマグロにはフロロカーボンのはずで、かかったマグロにハリを飲まれてハリスが切れて逃げられるということとの差し引きと、サークルフックでは「口の横の良い位置」にかかることが多くかかれば外れにくいということもあって、総体的にはいかにもハリがかりが良さそうな真っ直ぐなハリ先のハリを使った場合と結局釣り上げられる魚の数に差が出ないのではないだろうかと想像している。
言葉だけでは今一想像しにくいと思うので、実際マグロ釣りのために私が用意した、ハリ先がネムッていない右の「カン付きムロアジ」と左側のよく似た形状でハリ先が内側にキュッと曲げられたネムリバリ(サークルフック)で比較してみたい。
まずは私の左手を魚の頭部と見立てて欲しい。
親指は下顎、人差し指が上顎ということで一つよろしく。
ハリ先真っ直ぐの「カン付きムロアジ」の場合、ハリのチモトまで口の中に入っている状態で既にハリ先が上顎に接しており、かつチモトが引かれると赤の矢印で示した方向に力が加わるので、ハリ先は上顎が固いかどうかとかを無視すると、その場で突き刺さる方向に力がかかっていきハリがかりする。この場合、ハリスは口の端にある歯と擦れる位置になる。また、かかった上顎が硬い骨とかでハリがかりしにくかった場合はハリ先だけ刺さっている状態ではハリのフトコロが開いてしまったりしてとても外れやすい。
次に、ハリ先が内側向いたネムリバリ(サークルフック)の場合だが、ハリのチモトまで口の中に入っている状態でも、ハリ先は矢印で示したように口の内側を向いていて、口の中に引っかかることはなくハリがかりしない。口の中が平坦であるという仮定ではあるけど概ね実際に即しているはずである。
口の中にかからなかったら困るじゃないか?とご心配の皆様、ご安心下さい。右の図に示したように、ハリが口の端にきてチモトが口から出て、内側向いたネムッたハリ先が顎とかに向いたときにハリが刺さり始めます。
要するに、チモトが口から出た時点で角度が変わってハリ先が刺さる方向を向く。
なので、ハリスが口の外に出た状態でハリがかりして、歯でハリス切られる恐れが減る。
というのが、一般的に言われているネムリバリの利点だけど、実はネムリバリだと2つの理由から、かかった後に外れにくいというのも利点なんだろうなと思っている。1つは口の中にかからず口の端の良いところにかかりやすいので、骨の厚く固いところに浅くかかってしまうことがなく、口の端の方の薄い骨とか軟骨とかを貫通してガッチリかかること。もっというなら餌食って引っ張っていった状態からアワせて口の端にハリがかかるとすれば、右の写真で×印のあたりの魚の上下の顎の蝶番?の軟骨やらでできた関節にガッチリかかるという理想のハリがかりになりやすい。ここにかけてしまえばバレにくいのは釣り人なら経験的に知っていると思う。
もう1つには、ハリ先が内向いている方がアワセの力が加わる方向とハリ先の刺さる方向が揃っているので、力がかかりやすくハリが深くかかりやすく外れにくくなるということも言えるのではないだろうか。今一何をいってるか分からない人は、真っ直ぐなハリ先のハリをハリスに結んで指にかけて引っ張ってみると理解できると思う。右の写真上がそのイメージ。真っ直ぐなハリ先はハリスを引っ張る方向より外側に切れ込むように力がかかって刺さっていくはずである。引っ張った方向に真っ直ぐハリ先を突き刺したかったら、ハリ先かハリ先からフトコロにかけての部分を内側に曲げてやる必要がある。
そういえば、真っ直ぐな軸とハリ先をもったワームフックを見ながらナマジ少年が「コレでは貫通力が今一や」と思って、自分なりにラインが引っ張られる方向にハリ先が向くようにデザイン書いたらマスタッドにそういう形のが既にあって、後に同じような形状の「スゴイフック」が出てきてから、セルフウィードレス用のワームフックといえば写真下のこの形というようにスタンダードになっていったのを思い起こす。
ということで、ハリが良い位置にかかって抜けにくくなるしハリスは歯で切られない。良いとこばかりじゃないか、さあすべてのハリをハリ先ネムらせてしまおう。とはならないのが難しいところ。この世にいいとこ取りばかりの欠点の無いモノなど存在しないわけで、ネムリバリにも程度によっては致命的ともなりかねない欠点がある。
まあ想像に難くないと思うけどスッポ抜けるのである。右のイメージ見てもらえば分かるけど、ハリ先が内側向いていれば口の中だろうが外だろうが魚体にハリ先が触れる可能性は小さくなってどこにもハリ先がたたないうちに口から引っこ抜かれてしまうなんてことが生じ得る。
ちょっと乱暴に一般化すれば、ネムリがきつければかかりにくくかかってからは外れにくい。ハリ先が真っ直ぐ(実際には外向き)でネムリが浅い場合その逆でかかりやすいけど外れやすい。といえるのではないだろうか。
なので、いろんな釣りバリが対象魚や釣り方に合わせて、良い塩梅のネムリ方というのを模索してきたんだと思う。最初のハリの例示で出した伊勢尼型なんてのは、ネムリすぎず真っ直ぐ過ぎず実に良い塩梅をとらえた機能美あふれたネムリ方になっているように感じる。ムツバリの思い切ったネムリッぷりも目的が明確で潔い感じだ。
ひるがえって、ルアーのフックを見てみるとどうだろうか。昔はトリプルフックでもマスタッドのとか伊勢尼的なゆるいネムリが入っているのが多かったと思うけど、最近はほとんど真っ直ぐなものばかりである。ハリ先はネムっていないけどフトコロからハリ先にかけてが若干中心向けてあるのは見かける。
ルアーの場合、餌釣りのようにネムリバリ使ってしっかり食い込ませてから口の横にかけるなんて悠長なことしてる暇はない「とにかくカケ重視!」なのかも知れない。
でもホントにそうだろうか?個々の魚種やら釣り方やら細かく見ていくと、必ずしもかけることに重きをおくより、外れにくさを重視した方が良いように思うことがある。
まあ具体的にいうと今やってるシーバス釣りでそう思うわけなんだが、春のチョロッと吸い込むぐらいしか口を使ってくれない時期とかなら、とにかくカケ重視のハリでどこでも良いからかけちまえ!なんだろうけど、それ以外においてシーバス食うの下手とかもいわれててしっかり食ってくれないことも多いけど、結局そういうときにどこにでもかかるハリで刺さりにくい場所とかに引っかけてしまうとジャンプ一発バレました、とかであがってこないことが多い。多少かかる確率低くても、しっかり反転させて口の中をハリ滑らせて口の横の蝶番にかけてしまうのが、バタバタ暴れてバレがちなシーバスにおいて、最終的な水揚げ量的に正解なんじゃなかろうか。っていうか途中でバレるとアタイ悲しくなっちゃうノ。
いまプラグ用のシングルフックは右のガマカツ「シングルフック53」と左のデコイ「プラッキングシングル27」を使ってるんだけど、ハリ先真っ直ぐのデコイよりほんのちょっとだけネムッているガマカツの方が良いところにかかってバレにくいような気がしてきていて、本格的にシーバス釣るのにネムリはあった方が良いのかない方が良いのか、セイゴでも沢山釣って比較しようと、フッコスペシャル改をネムリ有り無し双方作ってみたけど、狙うとセイゴも釣れやンもんで、今のところそんな気がする程度でハッキリしたことを言えるほどではない。
とはいえ、一般的に釣り人が思っている「ハリは先が鋭く貫通性能が良くて、魚の口だろうが顔だろうが当たった瞬間刺さってしまうのが良い」というのは、たぶん極端すぎてそれを求めすぎると、かえって使えねぇハリになってしまうような気がしている。具体的には余計なところに刺さってバレやすく、貫通性能のために犠牲にした太さの不足でデカイの来たときに伸ばされてしまうとか、ありがちすぎるぐらいにありがちで、だから私は買ってきたルアーのフックを基本シングルに換えてしまうのである。シングルフックは丈夫で、ハリ数が1/3になるということから使う前に想像するほどかかりも悪くない。バラしが減ることとデカいのに伸ばされる危険性を減らせることで相殺できるんじゃなかろうかという程度だ。
自分のやろうとしている釣りにおいて、ハリに求められる要素は本当のところ何か?きちんと考えておかないと、ハリは直接魚と接して、かけるかスッポ抜けるかバラすか獲るか釣れるか釣れないかという大事なところを左右する道具なので、しつこいぐらい真面目に考えておいて損はないと思う。
いずれにせよ、かかりやすければ外れやすく、かかりにくければ外れにくい、という傾向のあるなかで良いとこ取りの都合の良い魔法のハリはやっぱりないので、どのくらいのバランスで行くべきか、ネムリ以外の軸の長さとかの設計やハリの大きさの問題とかいろんな要素も含めてなるべく刺さりやすくて抜けにくいというのは、自分の釣りの場合どういうハリがそうなのか、試行錯誤しながら自分なりの答えを見つけていくしかないだろう。
その中で、かかりやすくしたければ、ハリを研ぐ、フトコロをペンチでつまんで広げる、ハリをシングルからトリプルに、逆にハリを余計なところにかけず良いところにかけるためには、ハリを化学研磨のギンギンの新品じゃなくやすりで研いだ位の良い塩梅のに換える、フトコロをペンチでつまんで狭める、ハリをトリプルじゃなくてシングルに交換、とか手を打って口の中は滑らせて狙った蝶番にハリ先を深くしつこく刺してしまうというのとか、釣り場でも応用できると思うので、そういうことも意識してこれからもハリについて考えつづけていきたい。
まあでもまずは、ハリを考えるならハリを研ぐことからだと昭和のオッサンは思うのである。指の間でハリをいじり回しながら、ハリ先指先にチクッと刺してみたりしながら、身体感覚的に道具を理解していくというのは大事だと思うのである。
ハリ先鈍ったら化学研磨のトキントキンの新品に交換でハイおしまい、では寂しいじゃない。私たちってお金だけの関係なの?そうじゃないでしょ。
どうせならハリもネチネチいじりまくって楽しまなきゃダメよ。今回の写真説明みたいにいちいち手に目とか描いたりまではしないけど、自分の手を魚の口と見立てて実際にルアーがどう咥えられたらハリがどう位置して、アワせるとどう引っ張られてどこでハリがかかるかとかは割と普通にやってます。夜中ニタニタ笑いながら。
みんなヤってるよネ?
2017年11月18日土曜日
若き日の自分に勝てるか?まあ別に勝てんでもエエやンけ
敵は自分自身!昨日の己に勝つ!とかいうのは他人と勝負して勝てない人間の逃げ口上のように感じるときもあったりするひねくれた私。
その道の超一流が口にすれば、自分の最高が出せれば自ずと結果がついてくるという自信にあふれた台詞になるけど、二流どころが使うと他人には勝てないかもだけど自分なりの精一杯ができればいいじゃないのヨという言い訳を、やる前から吐いて予防線張ってるようにみえてやや白ける。
とか書きつつも、私も昨日できなかったことが今日できるようになることは他人には分からなくても自分にとって重要な勝利だ、というような意味のことをこれまでも書いてきた。それが本心であることも確かだが、言い訳であることもこれまた否めない。なかなか凡人には他人を打ち負かすような有無をいわさぬ華々しい勝利なんて得られないからね。仕方ないよネ。
というわけで、昨日の自分に打ち勝って昨日ツレなくて釣れなかった魚を釣り上げるために、あれこれ楽しく悩むのが常なのだが、最近蔵をゴソゴソしていて懐かしいルアーを発掘して、なかなか昨日の自分に勝つのも楽じゃない、と思い知らされたところである。
写真のルアーは以前サイトの方のラパラのコーナーでも紹介した「ラパラF改」と呼んでいるラパラフローティングに錘埋め込んでゆっくり沈むぐらいに調整してリップ取っ払ったシンキングペンシルである。まだ本格的なバチ抜け対応シンキングペンシル「ニョロニョロ」が発売される前に私がバチ対応ルアーとして使っていたものだが、現物を蔵から久しぶりに発掘してしげしげと眺め、実に当時の若い自分が細かいところまで詰めていて思い切りもよく完成度が高いことに感心した。
ニョロニョロ10周年記念が数年前だったから、それ以前、このルアーを使っていたのはかれこれ15年以上前になるだろう。
今でこそ春のバチ祭りは東京湾のルアーマンにとってはお楽しみの年中行事だが、いち早くバチの釣りに注目して流行らせたのはフライマンで、その中核適役割を任っていたのが、雑誌でもバチフライの解説とか書いていたドクター小林氏だった。まだ彼が試行錯誤しているような段階から、私の先輩連中のフライマンは彼といろんなパターンの開発とかに精力的に取り組んでいた。
ルアーでも釣れるという情報は散見されたけど、密かに狙ってる特殊な釣り方の印象で、リップ折ったルアーで釣るとかペラをへし曲げたスイッシャーで釣るとかの断片的な情報しかなくフライより遅れている印象で、もう20年近くも昔だろうか当初若い日のナマジ青年はFさんに安く譲ってもらったお下がりの8番フライタックルでバチ抜けに挑んでいった。
何年か楽しんで、フライパターンも諸先輩のも参考にドクター小林氏の中期のバルサヘッドのパターンを自分なりに改良して、強度を上げて浮力を殺した割り箸製の「お手元フライ」を作って70UPのスズキ様も釣って、そこそこの上達を感じていた。
しかしながらこれが、上手い緒先輩方と並んで釣っていると、とことん釣り負けるんである。ドクター小林のフライパターンもイロイロ進化して最終的にはビーチサンダルの素材にチヌバリ束ねたトリプルフックをぶら下げたグライダー(後にティムコから商品化)とかシンプルに一定の行き着くところに行き着きながらも、諸先輩はなお水中パターンとかの独自路線とかも追求していて、追いついたと思ったら置いていかれる状況で、なによりキャスティングとかの技術が違いすぎた。桟橋の支柱の際にきっちり投げ続ける正確性とか、もっと単純に飛距離とか、我流でフライフィッシング教書を読んで覚えた程度の技術ではどうにも対抗できなかった。
ここで悔しくて釣り具屋さんの主催するキャスティングスクールとかに通って技術を磨くのが正道だったのかもしれない。
だけど、邪道、わき道、回り道の大好きな天の邪鬼な性格が邪魔をしてそうはしなかったのである。
「ワシ、毛針投げる技術はあんまりないけど、ルアーならバス釣り出身だし、飛距離も自分のインチキなフライキャスティングよりは出せるし正確性はそこそこイケてるはず。」ということで、バチ抜け戦線にルアーで参戦とあいなったのである。
活性の高い初期とかにはザラパピーとかのペンシルでわりに釣れるのは知っていた。でもバチ抜け盛期になってあまり魚が強く吸い込まなくなると、出るけどかからなくなったり、そもそも出にくくなかったりするようになる。
フライでも傾向は同じで、軽く吸い込むのの対策で一つの方向性としてはフライの下にちょっと間を置いてハリをぶら下げてハリが口の中に入りやすくするというのと、もう一つにはハリを一番後ろに持ってきて吸い込まれたときにフライがライン側に引かれても最後までハリが口に残りやすくしたりというのがあった。浮力が強いと吸い込まれにくくちょっと沈めるぐらいの方がいいときも多いというのも感覚的に学んだ。
フライの動きや色はそれほど重要ではないというか、むしろ「ルアー的な動き」がないのが重要だと感じていた。細長い棒が真っ直ぐ進むときの水面の引き波や水中でも水を動かす「水押し」が重要で、いかにもな多毛類っぽい見た目やら色やら素材のウネウネした柔らかさはあんまり関係ないようだった。
そういう見た目釣れそうなバチっぽい見た目に作った凝った労作は、ビーチサンダル流線形に切り取ってハリぶら下げただけのグライーダーパターンに完封されるのが常だった。バチ対応ルアーでも初期のものにはウネウネした見た目や動きのものが種々発売されたと記憶しているが早々に淘汰されていったのもむべなるかな。
最初にだれでも思いつく、バチっぽいワームをジグヘッドリグで引く、というのは当然試してみたけどアタリがあってもほとんどフッキングせずバチルアーとしては不合格だった。
ワームでも写真のようにハリをぶら下げる形か尻に持ってくるリグを工夫すると、かなり改善したけど正直めんどくせえリグの割にはワームなので耐久性がなく、もう一方のミノーの改造が上手くいったのであまり使わなくなる。今でも、手を焼くクルクルバチ対応にメバルワームを使う攻略方があるけど、メバルワームは小さいので吸い込まれやすくてある程度成立するんだと思う。でも重量もたせてシーバスロッドで扱えるようにと考えると吸い込まれにくくなりハリ周りを工夫しなければいけなくなる。そのあたりハリを一番後ろに持っていって解決図ったのが今年のバチシーズン使ったクルクルスペシャルである。
ミノーの改造は、単純にはフローティングミノーのリップ折ってしまえばそれなりに使えるものができるのだけど、どうしても出てもかからないというフッキングの悪さは生じる。まずはフライでやってたようにハリを本体から離してぶら下げてみる。これでかなりフッキングよくなるのだが、ケブラー等強度のある編糸系ラインでハリをぶら下げるとハリが背中側にまわって引っかかる不具合が生じる。これを防止するために写真のF改では熱収縮チューブでラインがグニャグニャしないようにしている。
ニョロニョロが出てきたときに中小型のには軸が長めのシングルフックが装着されていて、バチの釣りでは比較的小さいルアーに良型が食ってくることの対策も含め長軸のシングルフックとはよく理解して作ってるなと感心した。しながらもそのニョロニョロでもまだハリが華奢だと思うのでやっぱりぶら下げスタイルにして今はウレタン系接着剤で背中に回らないようにパリッと張りを持たせている。細かいところだけどハリとラインが釣りで一番気を使うところなので念を入れて丁寧にやってる。写真は中ニョロで上が買った状態、下が使用時。
という今の私の主力バチ対策ルアーであるニョロニョロと違って当時のF9改には後ろのハリが付いていない。当時通っていた湾奥河口護岸のポイントではライズを狙って沖目に投げることが多くて理由は解らないけど前のハリにかかることが多く後ろのハリはハリ同士で絡むだけなので思い切って省略した。ニョロニョロにしてから後ろのハリにかかることが多いので後ろのハリもつけている。
さらにルアー本体に浮力があるとフッキングが悪いので浮力を殺すためとついでに飛距離アップのために、オモリを埋めてゆっくり沈むぐらいに調整していた。ラパラフローティングはバルサ製なので穴掘って錘埋めたりするのは容易で、釣り具屋さんに教わって冬の本栖湖ブラウン狙いで投げたスローフローティングに改造したラパラF13ではついぞ獲物を得ることはなかったけど、シーバス狙いにその改造の知識が生きてくるのである。
サイズ違いのF7改も干潟用にF13改も作ったけど、湾奥のバチ抜けにはF9改の飛距離やら存在感があっていたのかF9改の出番が多かった。フライマンと並んでも釣り負けないようになって溜飲が下がったものである。ハリが前一本でもよくかかったのは今考えるとゆっくり沈む程度の浮力がもたらす「水中での軽さ」で吸い込まれやすかったためかもしれない。まあホントのことはわからんけどね。
ちなみにF改シリーズはウォブリングとかローリングとかのいわゆるルアーらしい動きは全くないただの真っ直ぐ進む棒のようなルアーである。私の中ではこの「全く動かないルアー」というのは、核心的な考え方の一つであるといっていい。
これまでも書いてきたように「全く動かないルアー」はアピール度今一で魚を探す能力は小さいけど、魚に嫌われずに食わせる能力は大きいと思っている。でも動かないルアーは、ワームではそういう発想で売り出したスライダーワームとかにみれらるように珍しくないけど、プラグ系ではほとんど見かけない。動かない系のシンキングペンシルの代表であるニョロニョロでも多少は左右に揺れる動きがある。「ほっとけメソッド」とか「ドリフト」とか「動かさない動かし方」も各種知られているにもかかわらずである。
これはそうしないと「売れない」からというのが理由ではないかと思っている。たぶんルアーを設計する人間なら動かないルアーの方が釣れる場面があるというのを知らないわけじゃないと思う。でもプラグは動かないと売れないから、と多少動かしているんじゃないだろうか。
実際に水中での小魚の動きとか見ると、ほとんど動いたともわからないような微妙な鰭の動きで進んでいたり、全く鰭など動かさずに慣性でススッと動いていることも多いのは、スライダーワームの考案者であるチャーリー・ブリューワー氏のご指摘の通りだと思う。でも多くのルアーマンは大げさにバタバタ動かないと餌っぽくないと思ってしまうのである。バタバタ動くのはラウリ・ラパラ御大の観察通り死にかけた異常な魚なんである。死にかけた小魚の異常な動きは魚食魚にとって強烈な刺激なんだろうけど、刺激の強さ故にスレやすいので諸刃の剣だと感じている。だからすぐにネットで釣り場情報が飛び交い釣り場に人山ができがちな昨今では、スレに強い「おとなしめの動き」のミノーやシンキングペンシルが我が国ルアーマンの間に流行しているんである。なのに全く動かないプラグは買おうとしないんである。
世の釣り人ってその程度にしか見る目がないということで、おかげで昔から動かないルアーで動くルアーでは釣れない魚を釣っていい目を見てきたし、これからも良い思いをさせてもらうつもりである。
「動かないルアー」について、実は過去にはプラグでも例が結構あるんである。かつ自分で作って使ってみても良く釣れる。さっき書いたようにワームでは珍しくないし、ルアーじゃないけどフライならルアー的な動きがないのが当たり前である。にもかかわらず、なぜかルアーマンには動きのないプラグは受け入れられなかった。だからこうやって公開してもこれからも誰もまねしないだろうからと安心して書いている。
過去の例として具体例をあげると、元々動きの悪いダイワのロビンのリップを切ってスローシンキングに調整したら冬のバス釣りに有効で、最初からそういう動かないプラグとして作られたミスタープロンソン、海の向こうでも輸入された日本ではウンともスンとも動かしようがないうえにそもそも沈むのでトップウォータープラッガー達を途方に暮れさせたブーンの怪作ニードルフィッシュ、なんかがある。あるんだけど大ヒットはせずに分かってる人間だけが使いこなす秘密のルアーとして歴史に埋もれていった。ニードルフッシュはその名の通り「サヨリパターン」の攻略用だと近年解釈されていて、そういう使い方もあったんだろうけど、私などはアメリカにもバチパターンのストライパーとか、こいつの「動かなさ」でしか食わせられない状況があったんだろうなと想像している。ニードルフィッシュとニョロニョロ大の収斂現象はそう考えないと納得できない。
というわけで「良く動くルアー」「おとなしい動きのルアー」については、良いのがごまんと釣り具屋の棚にあるので買ってくることにして、動かないルアーは今でも自作しているのである。
そんな私が自信を持って作って実戦導入している最新作が、写真のまだ名前のない自作シンキングペンシルである。
近所ポイントのシーバスのボイル、ラパラCDLが相性良いのか食ってくる場面が結構あったのだけど、杭とかの障害物の上を通す必要があって割と早引きする必要がある。そうするとラインの張りが強いせいかハリがかりが悪くすっぽ抜ける気がする。ので、浮力小さめに割り箸とスズハンダで調整してこれまでの「お手元ルアー」のように作って、ちょっと割り箸一本のままだとCDLと比べて「太ましさ」が足りないなと、フライ巻くときの要領でフェルトを巻き付けてからコーティングして仕上げた。良い出来だと満足していたら、蔵から出てきた「F改」とほとんど機能変わらないことに気づかされて、ぜんぜん進歩がないなと落胆した次第である。
昨日の自分は確かに狂的な強敵なのであった。
まあでも、技術の進歩なんてのはそんなもんだという気もする。日産のフェアレディZが最新型と何十年前の古いモデルをチューンナップしたものとでゼロヨン勝負したら僅差で最新型が逃げきったという映像をみたことがある。エンジンぶん回して真っ直ぐ走るという基本性能においては、車という最新技術の固まりのような道具でさえ何十年と経ってもわずかな差しか生み出せていない。それでも基本性能以外の乗り心地やら安全性も含めたら格段に進歩してきたはずである。それに意味がなかったとは思わなくても良いのではないだろうか。
私の新作シンペンもヤッスい材料費でちょちょいと作れて、釣る能力自体は進歩していないかもしれないけど、重さも大きさも思いのままに作れる自由度とか、これまで積み重ねてきた経験も生きてちょっとだけ進化している気がする。
ちなみに私の中では既に定番で一軍起用のフッコスペシャルも「動かないルアー」である。公開してない秘密のルアー扱いは、ちょっとセコすぎる格好悪さがあるのと、釣る能力自体は動かないワームのジグヘッドリグと同等だと思ってるけど、釣る能力以外の部分であまり語られていないシーバスマンには意外なほどの利点になる要素があって、そこは秘密にして独占させてもらおうと思ってるところ、あしからずご容赦を。こちらも、鉛不使用化のついでにといろんなサイズを作ってみて、ネムリバリの効用とかちょっと試したりと日々進化させるべく努めております。
という感じで、ルアー図鑑うす塩味第36弾はありし日を思い出しつつ「動かないルアー」についてひとくさり書いてみました。
「動かないのもまた良い動きである」ってのはなんか禅問答っぽくってかつ小生意気で良い響きだと思う。
その道の超一流が口にすれば、自分の最高が出せれば自ずと結果がついてくるという自信にあふれた台詞になるけど、二流どころが使うと他人には勝てないかもだけど自分なりの精一杯ができればいいじゃないのヨという言い訳を、やる前から吐いて予防線張ってるようにみえてやや白ける。
とか書きつつも、私も昨日できなかったことが今日できるようになることは他人には分からなくても自分にとって重要な勝利だ、というような意味のことをこれまでも書いてきた。それが本心であることも確かだが、言い訳であることもこれまた否めない。なかなか凡人には他人を打ち負かすような有無をいわさぬ華々しい勝利なんて得られないからね。仕方ないよネ。
というわけで、昨日の自分に打ち勝って昨日ツレなくて釣れなかった魚を釣り上げるために、あれこれ楽しく悩むのが常なのだが、最近蔵をゴソゴソしていて懐かしいルアーを発掘して、なかなか昨日の自分に勝つのも楽じゃない、と思い知らされたところである。
写真のルアーは以前サイトの方のラパラのコーナーでも紹介した「ラパラF改」と呼んでいるラパラフローティングに錘埋め込んでゆっくり沈むぐらいに調整してリップ取っ払ったシンキングペンシルである。まだ本格的なバチ抜け対応シンキングペンシル「ニョロニョロ」が発売される前に私がバチ対応ルアーとして使っていたものだが、現物を蔵から久しぶりに発掘してしげしげと眺め、実に当時の若い自分が細かいところまで詰めていて思い切りもよく完成度が高いことに感心した。
ニョロニョロ10周年記念が数年前だったから、それ以前、このルアーを使っていたのはかれこれ15年以上前になるだろう。
今でこそ春のバチ祭りは東京湾のルアーマンにとってはお楽しみの年中行事だが、いち早くバチの釣りに注目して流行らせたのはフライマンで、その中核適役割を任っていたのが、雑誌でもバチフライの解説とか書いていたドクター小林氏だった。まだ彼が試行錯誤しているような段階から、私の先輩連中のフライマンは彼といろんなパターンの開発とかに精力的に取り組んでいた。
ルアーでも釣れるという情報は散見されたけど、密かに狙ってる特殊な釣り方の印象で、リップ折ったルアーで釣るとかペラをへし曲げたスイッシャーで釣るとかの断片的な情報しかなくフライより遅れている印象で、もう20年近くも昔だろうか当初若い日のナマジ青年はFさんに安く譲ってもらったお下がりの8番フライタックルでバチ抜けに挑んでいった。
何年か楽しんで、フライパターンも諸先輩のも参考にドクター小林氏の中期のバルサヘッドのパターンを自分なりに改良して、強度を上げて浮力を殺した割り箸製の「お手元フライ」を作って70UPのスズキ様も釣って、そこそこの上達を感じていた。
しかしながらこれが、上手い緒先輩方と並んで釣っていると、とことん釣り負けるんである。ドクター小林のフライパターンもイロイロ進化して最終的にはビーチサンダルの素材にチヌバリ束ねたトリプルフックをぶら下げたグライダー(後にティムコから商品化)とかシンプルに一定の行き着くところに行き着きながらも、諸先輩はなお水中パターンとかの独自路線とかも追求していて、追いついたと思ったら置いていかれる状況で、なによりキャスティングとかの技術が違いすぎた。桟橋の支柱の際にきっちり投げ続ける正確性とか、もっと単純に飛距離とか、我流でフライフィッシング教書を読んで覚えた程度の技術ではどうにも対抗できなかった。
ここで悔しくて釣り具屋さんの主催するキャスティングスクールとかに通って技術を磨くのが正道だったのかもしれない。
だけど、邪道、わき道、回り道の大好きな天の邪鬼な性格が邪魔をしてそうはしなかったのである。
「ワシ、毛針投げる技術はあんまりないけど、ルアーならバス釣り出身だし、飛距離も自分のインチキなフライキャスティングよりは出せるし正確性はそこそこイケてるはず。」ということで、バチ抜け戦線にルアーで参戦とあいなったのである。
活性の高い初期とかにはザラパピーとかのペンシルでわりに釣れるのは知っていた。でもバチ抜け盛期になってあまり魚が強く吸い込まなくなると、出るけどかからなくなったり、そもそも出にくくなかったりするようになる。
フライでも傾向は同じで、軽く吸い込むのの対策で一つの方向性としてはフライの下にちょっと間を置いてハリをぶら下げてハリが口の中に入りやすくするというのと、もう一つにはハリを一番後ろに持ってきて吸い込まれたときにフライがライン側に引かれても最後までハリが口に残りやすくしたりというのがあった。浮力が強いと吸い込まれにくくちょっと沈めるぐらいの方がいいときも多いというのも感覚的に学んだ。
フライの動きや色はそれほど重要ではないというか、むしろ「ルアー的な動き」がないのが重要だと感じていた。細長い棒が真っ直ぐ進むときの水面の引き波や水中でも水を動かす「水押し」が重要で、いかにもな多毛類っぽい見た目やら色やら素材のウネウネした柔らかさはあんまり関係ないようだった。
そういう見た目釣れそうなバチっぽい見た目に作った凝った労作は、ビーチサンダル流線形に切り取ってハリぶら下げただけのグライーダーパターンに完封されるのが常だった。バチ対応ルアーでも初期のものにはウネウネした見た目や動きのものが種々発売されたと記憶しているが早々に淘汰されていったのもむべなるかな。
最初にだれでも思いつく、バチっぽいワームをジグヘッドリグで引く、というのは当然試してみたけどアタリがあってもほとんどフッキングせずバチルアーとしては不合格だった。
ワームでも写真のようにハリをぶら下げる形か尻に持ってくるリグを工夫すると、かなり改善したけど正直めんどくせえリグの割にはワームなので耐久性がなく、もう一方のミノーの改造が上手くいったのであまり使わなくなる。今でも、手を焼くクルクルバチ対応にメバルワームを使う攻略方があるけど、メバルワームは小さいので吸い込まれやすくてある程度成立するんだと思う。でも重量もたせてシーバスロッドで扱えるようにと考えると吸い込まれにくくなりハリ周りを工夫しなければいけなくなる。そのあたりハリを一番後ろに持っていって解決図ったのが今年のバチシーズン使ったクルクルスペシャルである。
ミノーの改造は、単純にはフローティングミノーのリップ折ってしまえばそれなりに使えるものができるのだけど、どうしても出てもかからないというフッキングの悪さは生じる。まずはフライでやってたようにハリを本体から離してぶら下げてみる。これでかなりフッキングよくなるのだが、ケブラー等強度のある編糸系ラインでハリをぶら下げるとハリが背中側にまわって引っかかる不具合が生じる。これを防止するために写真のF改では熱収縮チューブでラインがグニャグニャしないようにしている。
ニョロニョロが出てきたときに中小型のには軸が長めのシングルフックが装着されていて、バチの釣りでは比較的小さいルアーに良型が食ってくることの対策も含め長軸のシングルフックとはよく理解して作ってるなと感心した。しながらもそのニョロニョロでもまだハリが華奢だと思うのでやっぱりぶら下げスタイルにして今はウレタン系接着剤で背中に回らないようにパリッと張りを持たせている。細かいところだけどハリとラインが釣りで一番気を使うところなので念を入れて丁寧にやってる。写真は中ニョロで上が買った状態、下が使用時。
という今の私の主力バチ対策ルアーであるニョロニョロと違って当時のF9改には後ろのハリが付いていない。当時通っていた湾奥河口護岸のポイントではライズを狙って沖目に投げることが多くて理由は解らないけど前のハリにかかることが多く後ろのハリはハリ同士で絡むだけなので思い切って省略した。ニョロニョロにしてから後ろのハリにかかることが多いので後ろのハリもつけている。
さらにルアー本体に浮力があるとフッキングが悪いので浮力を殺すためとついでに飛距離アップのために、オモリを埋めてゆっくり沈むぐらいに調整していた。ラパラフローティングはバルサ製なので穴掘って錘埋めたりするのは容易で、釣り具屋さんに教わって冬の本栖湖ブラウン狙いで投げたスローフローティングに改造したラパラF13ではついぞ獲物を得ることはなかったけど、シーバス狙いにその改造の知識が生きてくるのである。
サイズ違いのF7改も干潟用にF13改も作ったけど、湾奥のバチ抜けにはF9改の飛距離やら存在感があっていたのかF9改の出番が多かった。フライマンと並んでも釣り負けないようになって溜飲が下がったものである。ハリが前一本でもよくかかったのは今考えるとゆっくり沈む程度の浮力がもたらす「水中での軽さ」で吸い込まれやすかったためかもしれない。まあホントのことはわからんけどね。
ちなみにF改シリーズはウォブリングとかローリングとかのいわゆるルアーらしい動きは全くないただの真っ直ぐ進む棒のようなルアーである。私の中ではこの「全く動かないルアー」というのは、核心的な考え方の一つであるといっていい。
これまでも書いてきたように「全く動かないルアー」はアピール度今一で魚を探す能力は小さいけど、魚に嫌われずに食わせる能力は大きいと思っている。でも動かないルアーは、ワームではそういう発想で売り出したスライダーワームとかにみれらるように珍しくないけど、プラグ系ではほとんど見かけない。動かない系のシンキングペンシルの代表であるニョロニョロでも多少は左右に揺れる動きがある。「ほっとけメソッド」とか「ドリフト」とか「動かさない動かし方」も各種知られているにもかかわらずである。
これはそうしないと「売れない」からというのが理由ではないかと思っている。たぶんルアーを設計する人間なら動かないルアーの方が釣れる場面があるというのを知らないわけじゃないと思う。でもプラグは動かないと売れないから、と多少動かしているんじゃないだろうか。
実際に水中での小魚の動きとか見ると、ほとんど動いたともわからないような微妙な鰭の動きで進んでいたり、全く鰭など動かさずに慣性でススッと動いていることも多いのは、スライダーワームの考案者であるチャーリー・ブリューワー氏のご指摘の通りだと思う。でも多くのルアーマンは大げさにバタバタ動かないと餌っぽくないと思ってしまうのである。バタバタ動くのはラウリ・ラパラ御大の観察通り死にかけた異常な魚なんである。死にかけた小魚の異常な動きは魚食魚にとって強烈な刺激なんだろうけど、刺激の強さ故にスレやすいので諸刃の剣だと感じている。だからすぐにネットで釣り場情報が飛び交い釣り場に人山ができがちな昨今では、スレに強い「おとなしめの動き」のミノーやシンキングペンシルが我が国ルアーマンの間に流行しているんである。なのに全く動かないプラグは買おうとしないんである。
世の釣り人ってその程度にしか見る目がないということで、おかげで昔から動かないルアーで動くルアーでは釣れない魚を釣っていい目を見てきたし、これからも良い思いをさせてもらうつもりである。
「動かないルアー」について、実は過去にはプラグでも例が結構あるんである。かつ自分で作って使ってみても良く釣れる。さっき書いたようにワームでは珍しくないし、ルアーじゃないけどフライならルアー的な動きがないのが当たり前である。にもかかわらず、なぜかルアーマンには動きのないプラグは受け入れられなかった。だからこうやって公開してもこれからも誰もまねしないだろうからと安心して書いている。
過去の例として具体例をあげると、元々動きの悪いダイワのロビンのリップを切ってスローシンキングに調整したら冬のバス釣りに有効で、最初からそういう動かないプラグとして作られたミスタープロンソン、海の向こうでも輸入された日本ではウンともスンとも動かしようがないうえにそもそも沈むのでトップウォータープラッガー達を途方に暮れさせたブーンの怪作ニードルフィッシュ、なんかがある。あるんだけど大ヒットはせずに分かってる人間だけが使いこなす秘密のルアーとして歴史に埋もれていった。ニードルフッシュはその名の通り「サヨリパターン」の攻略用だと近年解釈されていて、そういう使い方もあったんだろうけど、私などはアメリカにもバチパターンのストライパーとか、こいつの「動かなさ」でしか食わせられない状況があったんだろうなと想像している。ニードルフィッシュとニョロニョロ大の収斂現象はそう考えないと納得できない。
というわけで「良く動くルアー」「おとなしい動きのルアー」については、良いのがごまんと釣り具屋の棚にあるので買ってくることにして、動かないルアーは今でも自作しているのである。
そんな私が自信を持って作って実戦導入している最新作が、写真のまだ名前のない自作シンキングペンシルである。
近所ポイントのシーバスのボイル、ラパラCDLが相性良いのか食ってくる場面が結構あったのだけど、杭とかの障害物の上を通す必要があって割と早引きする必要がある。そうするとラインの張りが強いせいかハリがかりが悪くすっぽ抜ける気がする。ので、浮力小さめに割り箸とスズハンダで調整してこれまでの「お手元ルアー」のように作って、ちょっと割り箸一本のままだとCDLと比べて「太ましさ」が足りないなと、フライ巻くときの要領でフェルトを巻き付けてからコーティングして仕上げた。良い出来だと満足していたら、蔵から出てきた「F改」とほとんど機能変わらないことに気づかされて、ぜんぜん進歩がないなと落胆した次第である。
昨日の自分は確かに狂的な強敵なのであった。
まあでも、技術の進歩なんてのはそんなもんだという気もする。日産のフェアレディZが最新型と何十年前の古いモデルをチューンナップしたものとでゼロヨン勝負したら僅差で最新型が逃げきったという映像をみたことがある。エンジンぶん回して真っ直ぐ走るという基本性能においては、車という最新技術の固まりのような道具でさえ何十年と経ってもわずかな差しか生み出せていない。それでも基本性能以外の乗り心地やら安全性も含めたら格段に進歩してきたはずである。それに意味がなかったとは思わなくても良いのではないだろうか。
私の新作シンペンもヤッスい材料費でちょちょいと作れて、釣る能力自体は進歩していないかもしれないけど、重さも大きさも思いのままに作れる自由度とか、これまで積み重ねてきた経験も生きてちょっとだけ進化している気がする。
ちなみに私の中では既に定番で一軍起用のフッコスペシャルも「動かないルアー」である。公開してない秘密のルアー扱いは、ちょっとセコすぎる格好悪さがあるのと、釣る能力自体は動かないワームのジグヘッドリグと同等だと思ってるけど、釣る能力以外の部分であまり語られていないシーバスマンには意外なほどの利点になる要素があって、そこは秘密にして独占させてもらおうと思ってるところ、あしからずご容赦を。こちらも、鉛不使用化のついでにといろんなサイズを作ってみて、ネムリバリの効用とかちょっと試したりと日々進化させるべく努めております。
という感じで、ルアー図鑑うす塩味第36弾はありし日を思い出しつつ「動かないルアー」についてひとくさり書いてみました。
「動かないのもまた良い動きである」ってのはなんか禅問答っぽくってかつ小生意気で良い響きだと思う。
2017年11月11日土曜日
イワシ買わんの馬鹿
スルメイカがサンマがサケがカツオが不漁でどうも本格的にこいつらはダメな時代に突入した臭い。数年前は大漁で安くて大いに食ってたのに困ったことである。
獲れなくなった理由には海水温上昇だの乱獲だのいろいろいわれてるし実際にそういった要素も関係してるんだろうけど、そもそも海のモノというか自然のモノには豊作、大漁があれば逆にハズレ年とかもあって、いつも同じようには獲れなくて当たり前っちゃ当たり前なのである。
じゃあどうするかって?獲れない魚がいる反面、豊漁の魚もいるんである。それ食っておくのが定石というものであろう。
ここ数年ブリは若魚のイナダなんかも含めて特に太平洋側では豊漁で、昨年は本場富山湾で寒ブリ不漁の声も聞いたけど例外的で、なんでかってぐらいに獲れてるようで、サケ定置なんかでもサケ入らないなか、ブリでなんとか食いつないでるとか聞く。
これが、脂の乗りだとかトロだとかうるさいマスコミに踊らされるグルメ様達のおかげで、氷見ブランドとかが有名な日本海側の脂の乗った大型魚は例外的で、それほど脂の乗り的には大したことがないイナダとかくそ安い値段で売っている。イナダ刺身用一柵380円とかもう買うしかない値段が恒常的で養殖ハマチより断然安い。
養殖ハマチが駄目とは全く思ってなくて、最近の養殖ハマチはそれこそ脂が乗ってて美味しいと思う。脂の乗った刺身が食いたいときにクソ高いクロマグロ様のトロとどっちを選ぶかといったら断然養殖ハマチである。値段の違いは養殖の難しさとかに起因していて味の差じゃない。だったら安い方を選ぶ。
でも、脂の乗りが悪いからって、養殖ハマチの半分ぐらいの値段にしかならないってどうかと思う。イナダの刺身はぜんぜんトロじゃないけど正しく青物の刺身の味がして、こんな旨い魚の味が分からないグルメ様達は可哀想な人たちだなと思う。たしかにトロのような魚を食べなれてない人間でも分かる、健康食品の宣伝にもあった「糖とアブラと」みたいな飢餓との闘いが長かった人類の本能を直撃する単純明快な旨さではないかもしれない。
でも脂のコクなんてぇのは、足そうと思えば油を加える調理でもいくらでも可能で、揚げ物やらムニエルやら、刺身でもマヨネーズ追加とかで簡単に補える。マヨ醤油で刺身は下品だけど割と美味しいので結構好き。
油加える料理、刺身系でよくやるのはハワイイ風の刺身のポキで、ちょっと塩を強めに振った賽の目切りの刺身にゴマ油をたっぷり目に後はお好みでネギだの唐辛子だの和えてちょっと冷蔵庫で置いてから食べると、酒飲めないのが恨めしくなる小味の利いた一品でございます。是非お試しあれ。
正直せっかく獲れてるブリ一家がもうちょっと値段つかないと漁師さん困っちゃうだろうと心配で、天然モノのイナダワラサなんかをもっと食べましょうという魚食普及の文章など書いてるのである。あんまり値上がりしてしまっても困るけど、まあアホなマスコミが脂の乗ってないイナダの良さを分かって普及し始めるには優曇華の花が咲くまで待たなければならんだろうから、このブログを読んでる皆さんにこっそり特別に教えてしまいます。ってこんなマニアックなブログ読んでくれてる人たちには「そのぐらい知ってまっセ」な情報かもしれない。それはそれでウンウンと頷いてくれれば喜ばしい限り。
でもってもういっちょ、今年これでもかっていうぐらいに食いまくってるのがマイワシ。私が魚を買ってる魚屋兼八百屋みたいなちっちゃいスーパーはいろんな産地の魚を仕入れてきていて、入梅イワシのころは近場の神奈川産、千葉産に混じって石川県産とかが健闘していて日本海側も獲れてるなと思ってたら、秋に入って北海道、青森産の大羽のぶっといのが入荷しだして、今ちょうど宮城産が並んでいる。どうもサンマ、スルメイカが大不漁でサバまで今一ななかマイワシが特に東北北海道の太平洋側は良いようで、資源状況の評価とか研究機関の発表見ても2010年以降親魚量増加し続けている状態。
同居人の実家の気仙沼でもサンマ、カツオの不漁のあおりを受けまくっているようだけどマイワシだけは豊漁のようでよく食べているようだ。この辺、サンマは目黒に限るとか言っちゃうような陸の人間じゃない港町の人間はたくさんとれて旨い魚がいたら当たり前に利用できているようで安心する。
(小ネタ:南三陸では記録的なタコの豊漁らしい。アワビ食ってるという噂の志津川湾産のマダコとか食べたいところだ。サケ定置だのがダメだった中で海の街に明るい話題。)
今年の太平洋マイワシの豊漁は直接的には産卵場所の四国沖とかの水温が低くて(海水温上昇ばかりが取りだたされるけど場所によっては逆もある、西の産卵水域の低海水温がマイワシを増やしスルメイカを激減させているとの説有り)稚魚の生き残りがよかったからじゃないかとか分析されているけど、いわゆる魚種交代が起こりつつあるのかどうかまではよく分からないということだ。
マイワシやサンマ、アジサバなどの浮魚資源は気候の変動周期とかに伴って増減を繰り返して、その時々に多く獲れる魚種がころっと変わる現象が知られている。
中でもマイワシは増加するとなったら爆発的で、前回爆発時最高は昭和63年で国内漁獲量が450万トンとマイワシだけで平成27年現在の日本の海面での総漁獲量355万トンを軽く凌駕する量が獲れていた。
大昔からそういう爆発的な増え方を何度もしてきたらしいことが海底だった地層に眠る鱗の化石とかから知られている。
増えるとなったらとても消費しきれないぐらいに増えるマイワシの大爆発に期待してしまうのは私だけじゃないだろうと思う。昔から大量に漁獲されたことのある魚なので消費方法も食料として生鮮加工各種当たり前として、昔は肥料として大量に使われたようだし、今なら魚粉として飼料としても有用な資源になり得るだろう。どのみちまた減少する資源なので爆発的に増えたとしても、それを見越して加工施設など設備投資をするのは博打的要素もはらみ、理想としてはなるべく長く中くらいの資源量を継続させたいと考えられているようだが、まあ増えるときは獲りきれないぐらい、使い切れないぐらいには増えるんだろう。そこをどう獲ってくるか、どう売りさばくか加工するか、そのあたりで儲けるのが水産関係者の腕の見せどころ博打のはりどころということだと思う。
いずれにせよ今後のまだ分からんことを捕らぬタヌキの皮算用してみても仕方ないし、飼料にするほど獲れるようになるかなんてまだ分からないにしても、現時点の今年の豊漁でも生鮮で出回る分が庶民的な値段になるぐらいには十分で、3匹280円とかこれまた買わずにいられない値段だった。比べて今年割高だったサンマとスルメイカは加工した総菜で何度か食べたぐらいで買わずにずっとイナダとマイワシばっかり買っていた。
マイワシは清少納言も好物にあげてるぐらい昔っから愛されてきた魚なので、ありとあらゆる食べ方があり、脂の乗ってない奴でも干物にしたり、酢締めにしたり天ぷらにしたりと旨い料理法には困らない。もちろん脂の乗った太ったのなら焼いても煮てもサンマがなくてもまあいいかと許せる旨さ。焼くのは遠火の強火とかやったことない人にはちょっと難しいのでお勧めは煮魚。普通に醤油味で煮てしまってももちろん美味しいけど、最近ハマっているのが「梅煮」で、醤油味をごく薄くしてちょっとびっくりするぐらいに梅干しと梅と一緒に漬けた紫蘇をぶち込んで梅味でスッパ過ぎるぐらい酸っぱくして食べるとめちゃくちゃに旨くてご飯がいくらでも進んで太る。煮汁をご飯にかけるというお行儀の悪い食い方もまた旨くて旨くてという感じ。2パック6匹ぐらい買ってきて作って、タッパに入れて冷蔵庫保存しておくと常備菜として最高の一品。ネットでレシピ調べると酢水で下煮して骨まで柔らかくとか難しいこと書いてるけど、そんなもん鰯の骨ぐらい食いながらはずせばいいし多少堅くてもバリバリ食うならなおよし。手軽に麺ツユ薄めて好みで砂糖も入れて、味付けのメインはドカッと梅干し。これでバッチリです。これまた是非お試しあれ。
漁業なんてのは獲れるときに獲れるものを獲って売って食うのが当たり前で、しょうもない周回遅れみたいになってるマスコミ情報なんかに踊らされてると、高くてたいしたことないのを食わされる羽目になって「魚なんて割高で美味しくない」と思ってしまうかもしれない。けど、断じて違うんである。沢山とれれば旨くても安いときはあるのが魚っ食いの醍醐味なんである。そういう目利きも含めて楽しむ贅沢が食文化ってもんだろ?と旨い魚を海から離れた街で堪能しながら書いてみたところである。
獲れなくなった理由には海水温上昇だの乱獲だのいろいろいわれてるし実際にそういった要素も関係してるんだろうけど、そもそも海のモノというか自然のモノには豊作、大漁があれば逆にハズレ年とかもあって、いつも同じようには獲れなくて当たり前っちゃ当たり前なのである。
じゃあどうするかって?獲れない魚がいる反面、豊漁の魚もいるんである。それ食っておくのが定石というものであろう。
ここ数年ブリは若魚のイナダなんかも含めて特に太平洋側では豊漁で、昨年は本場富山湾で寒ブリ不漁の声も聞いたけど例外的で、なんでかってぐらいに獲れてるようで、サケ定置なんかでもサケ入らないなか、ブリでなんとか食いつないでるとか聞く。
これが、脂の乗りだとかトロだとかうるさいマスコミに踊らされるグルメ様達のおかげで、氷見ブランドとかが有名な日本海側の脂の乗った大型魚は例外的で、それほど脂の乗り的には大したことがないイナダとかくそ安い値段で売っている。イナダ刺身用一柵380円とかもう買うしかない値段が恒常的で養殖ハマチより断然安い。
養殖ハマチが駄目とは全く思ってなくて、最近の養殖ハマチはそれこそ脂が乗ってて美味しいと思う。脂の乗った刺身が食いたいときにクソ高いクロマグロ様のトロとどっちを選ぶかといったら断然養殖ハマチである。値段の違いは養殖の難しさとかに起因していて味の差じゃない。だったら安い方を選ぶ。
でも、脂の乗りが悪いからって、養殖ハマチの半分ぐらいの値段にしかならないってどうかと思う。イナダの刺身はぜんぜんトロじゃないけど正しく青物の刺身の味がして、こんな旨い魚の味が分からないグルメ様達は可哀想な人たちだなと思う。たしかにトロのような魚を食べなれてない人間でも分かる、健康食品の宣伝にもあった「糖とアブラと」みたいな飢餓との闘いが長かった人類の本能を直撃する単純明快な旨さではないかもしれない。
でも脂のコクなんてぇのは、足そうと思えば油を加える調理でもいくらでも可能で、揚げ物やらムニエルやら、刺身でもマヨネーズ追加とかで簡単に補える。マヨ醤油で刺身は下品だけど割と美味しいので結構好き。
油加える料理、刺身系でよくやるのはハワイイ風の刺身のポキで、ちょっと塩を強めに振った賽の目切りの刺身にゴマ油をたっぷり目に後はお好みでネギだの唐辛子だの和えてちょっと冷蔵庫で置いてから食べると、酒飲めないのが恨めしくなる小味の利いた一品でございます。是非お試しあれ。
正直せっかく獲れてるブリ一家がもうちょっと値段つかないと漁師さん困っちゃうだろうと心配で、天然モノのイナダワラサなんかをもっと食べましょうという魚食普及の文章など書いてるのである。あんまり値上がりしてしまっても困るけど、まあアホなマスコミが脂の乗ってないイナダの良さを分かって普及し始めるには優曇華の花が咲くまで待たなければならんだろうから、このブログを読んでる皆さんにこっそり特別に教えてしまいます。ってこんなマニアックなブログ読んでくれてる人たちには「そのぐらい知ってまっセ」な情報かもしれない。それはそれでウンウンと頷いてくれれば喜ばしい限り。
でもってもういっちょ、今年これでもかっていうぐらいに食いまくってるのがマイワシ。私が魚を買ってる魚屋兼八百屋みたいなちっちゃいスーパーはいろんな産地の魚を仕入れてきていて、入梅イワシのころは近場の神奈川産、千葉産に混じって石川県産とかが健闘していて日本海側も獲れてるなと思ってたら、秋に入って北海道、青森産の大羽のぶっといのが入荷しだして、今ちょうど宮城産が並んでいる。どうもサンマ、スルメイカが大不漁でサバまで今一ななかマイワシが特に東北北海道の太平洋側は良いようで、資源状況の評価とか研究機関の発表見ても2010年以降親魚量増加し続けている状態。
同居人の実家の気仙沼でもサンマ、カツオの不漁のあおりを受けまくっているようだけどマイワシだけは豊漁のようでよく食べているようだ。この辺、サンマは目黒に限るとか言っちゃうような陸の人間じゃない港町の人間はたくさんとれて旨い魚がいたら当たり前に利用できているようで安心する。
(小ネタ:南三陸では記録的なタコの豊漁らしい。アワビ食ってるという噂の志津川湾産のマダコとか食べたいところだ。サケ定置だのがダメだった中で海の街に明るい話題。)
今年の太平洋マイワシの豊漁は直接的には産卵場所の四国沖とかの水温が低くて(海水温上昇ばかりが取りだたされるけど場所によっては逆もある、西の産卵水域の低海水温がマイワシを増やしスルメイカを激減させているとの説有り)稚魚の生き残りがよかったからじゃないかとか分析されているけど、いわゆる魚種交代が起こりつつあるのかどうかまではよく分からないということだ。
マイワシやサンマ、アジサバなどの浮魚資源は気候の変動周期とかに伴って増減を繰り返して、その時々に多く獲れる魚種がころっと変わる現象が知られている。
中でもマイワシは増加するとなったら爆発的で、前回爆発時最高は昭和63年で国内漁獲量が450万トンとマイワシだけで平成27年現在の日本の海面での総漁獲量355万トンを軽く凌駕する量が獲れていた。
大昔からそういう爆発的な増え方を何度もしてきたらしいことが海底だった地層に眠る鱗の化石とかから知られている。
増えるとなったらとても消費しきれないぐらいに増えるマイワシの大爆発に期待してしまうのは私だけじゃないだろうと思う。昔から大量に漁獲されたことのある魚なので消費方法も食料として生鮮加工各種当たり前として、昔は肥料として大量に使われたようだし、今なら魚粉として飼料としても有用な資源になり得るだろう。どのみちまた減少する資源なので爆発的に増えたとしても、それを見越して加工施設など設備投資をするのは博打的要素もはらみ、理想としてはなるべく長く中くらいの資源量を継続させたいと考えられているようだが、まあ増えるときは獲りきれないぐらい、使い切れないぐらいには増えるんだろう。そこをどう獲ってくるか、どう売りさばくか加工するか、そのあたりで儲けるのが水産関係者の腕の見せどころ博打のはりどころということだと思う。
いずれにせよ今後のまだ分からんことを捕らぬタヌキの皮算用してみても仕方ないし、飼料にするほど獲れるようになるかなんてまだ分からないにしても、現時点の今年の豊漁でも生鮮で出回る分が庶民的な値段になるぐらいには十分で、3匹280円とかこれまた買わずにいられない値段だった。比べて今年割高だったサンマとスルメイカは加工した総菜で何度か食べたぐらいで買わずにずっとイナダとマイワシばっかり買っていた。
マイワシは清少納言も好物にあげてるぐらい昔っから愛されてきた魚なので、ありとあらゆる食べ方があり、脂の乗ってない奴でも干物にしたり、酢締めにしたり天ぷらにしたりと旨い料理法には困らない。もちろん脂の乗った太ったのなら焼いても煮てもサンマがなくてもまあいいかと許せる旨さ。焼くのは遠火の強火とかやったことない人にはちょっと難しいのでお勧めは煮魚。普通に醤油味で煮てしまってももちろん美味しいけど、最近ハマっているのが「梅煮」で、醤油味をごく薄くしてちょっとびっくりするぐらいに梅干しと梅と一緒に漬けた紫蘇をぶち込んで梅味でスッパ過ぎるぐらい酸っぱくして食べるとめちゃくちゃに旨くてご飯がいくらでも進んで太る。煮汁をご飯にかけるというお行儀の悪い食い方もまた旨くて旨くてという感じ。2パック6匹ぐらい買ってきて作って、タッパに入れて冷蔵庫保存しておくと常備菜として最高の一品。ネットでレシピ調べると酢水で下煮して骨まで柔らかくとか難しいこと書いてるけど、そんなもん鰯の骨ぐらい食いながらはずせばいいし多少堅くてもバリバリ食うならなおよし。手軽に麺ツユ薄めて好みで砂糖も入れて、味付けのメインはドカッと梅干し。これでバッチリです。これまた是非お試しあれ。
漁業なんてのは獲れるときに獲れるものを獲って売って食うのが当たり前で、しょうもない周回遅れみたいになってるマスコミ情報なんかに踊らされてると、高くてたいしたことないのを食わされる羽目になって「魚なんて割高で美味しくない」と思ってしまうかもしれない。けど、断じて違うんである。沢山とれれば旨くても安いときはあるのが魚っ食いの醍醐味なんである。そういう目利きも含めて楽しむ贅沢が食文化ってもんだろ?と旨い魚を海から離れた街で堪能しながら書いてみたところである。
2017年11月3日金曜日
中小企業が作ったミノー
私が勝手に「日本2大漁具系釣り具メーカー 」と呼んでいるのが、本拠地を佐賀から福岡に移した我々昭和な釣り人には変態バスルアーメーカーとしてもなじみ深いヨーヅリ改めデュエル社と我が地元神奈川県は横須賀のヤマシタ改めヤマリア社の2社である。
今回、ルアー図鑑うす塩味第35弾はこの2社の主にミノーについていつものようにグダグダと書いてみたいと思う。
ヤマリア社の前身、山下釣具は「ヤマシタ式」と呼ばれる漁法の代名詞である塩化ビニール製のいわゆるタコベイトを発明し普及したという、由緒正しい日本の釣り具メーカーである。開高先生もどっかで日本が誇る釣りの技術としてヤマシタ式を例にあげてたと記憶する。元々は漁業の世界での発明だけど今日トローリングヘッドのスカートからタコ釣りテンヤの飾りまで遊びの釣りの世界でももはやタコベイトは世界基準となっている。日本人の「遊びの釣り」における発明においてコレと比較できるぐらい世界に広まったのは、他にK-TENの二宮氏の「重心移動システム」ぐらいしかないと思う。
今ヤマリアのサイトではその辺の会社沿革も紹介されているし、創業者の山下楠太郎氏の著作「新しい釣漁業の技術」も公開されていてなかなかに面白く興味深く拝読した。
時代は巡って平成元年、日本でもずいぶんルアーの釣りが浸透してきて、当時ヤマシタだったヤマリア社もルアーブランド「マリア」を立ち上げた。その時、最初に作ったシリーズが写真のミノー「ザ・ファースト」。今書いててそういう意味の名前かと改めて気付いた。大きめの動きで特にファーストリトリーブ向けってわけじゃなさそうなのになんでファーストなんだろうと思ってたけど第1弾的な命名だったわけね。
有名な話だけど、最初に出た14センチと11センチはK-TENのタックルハウスとの共同開発で、ウッド製のミノーを作ってたタックルハウスがプラスチック版を作るにあたって樹脂製品の製造技術持ってたヤマシタに協力を求めてお互いのブランドでそれぞれ売ることで合意して作ったらしい。だから、14センチ11センチは当時のK-TENと型は一緒。でも内部の重心移動機構は先発のK-TENの鉄球と磁石を使った機構は使わずに円柱状のオモリがスライドする方式をとっている。このおもりがスライドするっていうのが実は裏技的に使えるというのを怪魚ハンターの小塚氏が紹介しているというのは以前にも書いたけど、メガバスが狙って、重心移動機構のオモリがぶつかる慣性でルアーをダートさせるという意図で作ったグレートハンティングミノー90+5に先駆けて、飛距離増加以外にルアーの動きに干渉する働きをも持った重心移動機構を搭載したミノーが意図せず生まれていたのである。
まあ当時はそんな使い方されてなかったけどK-TEN同様シーバスマンには人気が出て、私のようなCD7やCD9を使ってた湾奥系の釣り人の要望にもこたえるべく9センチと7センチも追加となった。このサイズからはタックルハウスとは分かれて開発していて、ザ・ファーストの方が丸っこくて可愛い見た目となっている。特にフローティング7センチはクランクベイトのような見た目と動きで、コイツの高浮力を生かした水面引き、今でいうウェイキングが濁った運河で良く釣れて良い思いをさせてくれた。右下の目玉の剥げた固体がその頃の生き残りでなんとも懐かしい。
ヤマリア製のミノーといえば、もう一つナマジ的に忘れられないミノーがフライングダイバー。それも赤。
カヤックシーバスで大活躍してくれて、その役目をFマグに引き継いで今は蔵に眠っているけど、今でも充分釣れるルアーだと思うのでたまに投げている。
もともとはボートシーバスの船長に岸壁下が支柱で支えられているタイプの護岸攻め、いわゆる「穴打ち」に良いよと勧められたルアーである。
穴打ちではそこそこ飛距離が必要だけどそれよりも穴の奥にぶち込んで、支柱に付いているシーバスをいかに短い距離で食わせるかというのが重要になってくる。立ち上がりがモタモタしていては食ってくる範囲を過ぎてしまう。だから固定重心で平行姿勢でユックリ沈んでいって、目的の深さで引き始めるとオフセットのリップがしっかり水を掴んですぐ動き出すという設計。障害物の際の短い距離で食わせるためにはとても適しているのだけど残念ながら廃盤となった。
ヤマリアはお世辞にも大企業ではない。工場の製造ラインにも限界はあるだろうし、売れなくなったモデルは割とすぐに廃盤になる。昔から生き残っているのはマールアミーゴ、ポップクイーン、ブルースコードぐらいだろうか。逆に中小企業ならではの小回りの良さと伝統の開発力で、市場のニーズやらも踏まえて積極的に新製品をぶち込んでくる。
写真の上はツーテンの虎ファンさんが気に入ってたエンゼルキッスで振り幅広い系、大きいサイズ残して廃盤、下の細身のプリンセスMも廃盤。っていうぐらいに廃盤製品が多いのは寂しいと言えば寂しいんだけど、新製品ぶっ込んでくる挑戦精神に免じてオレは許す。特に最近では、小難しいこと言いがちな輩がさも難しい技術のように喧伝してたダイビングペンシルの世界に簡単な動かし方の映像公開してぶっ込んできたローデッドが抜群で、プレミア付いて1万円以上するようなルアー買わんでもローデッド買ってヤマリアの人の説明通り動かせばワシでも10キロやそこらのマグロなら釣れたわい、ザマミロという感じ。
ザマミロは100g超級のダイビングペンシルの釣りという今や大流行の釣りを切り開いたルアーであるカーペンター社ガンマに対して敬意がなさ過ぎかと反省するが、我ら技術もお金も限られる週末釣り師に、安価で性能の良いルアーを提供し釣り方含め普及してくれたヤマリア社には創業者からの伝統である釣り技術の普及に対する企業精神と伝統をひしひしと感じるのである。
でもってもう一方、九州の雄デュエル社は、もともとのヨーヅリ(ヨー「ズ」リだと思ってましたスイマセン)っていえば伝説となった「アタックル」ブランドの変態バスルアーの会社というイメージの他には、餌木とか弓角とか潜行板とかスキップバニーちゃんとかとかのまさに「漁具系」のイメージかも知れないけれど、実はコレが世界的には一番知られている日本のルアーメーカーなんである。何を馬鹿なことを、ダイワやシマノの方が有名に決まってるだろ?と思うかもしれないけど、ダイワやシマノは外国ではリールメーカーという認識のハズでルアーはそれ程有名じゃない。
何しろスポーツフィッシング市場におけるメジャーリーグとでもいえるバスプロショップスのカタログにルアーが出てくるのは現在、ヨーヅリ、メガバス、ラッキークラフトで、後ろの2社は新参者でサーフェスクルーザーやクリスタルミノーの時代からバスプロショプスのレギュラーメンバーの座を守ってきたヨーヅリこそ海外では日本を代表するルアーメーカであると断言する。なにしろヨーヅリブランドの知名度が海外では高いので海外向けブランドとしてはいまだ「YOーZURI」という昔の名前で出ていますなぐらいだ。
ということで、デュエル社も中小企業ではあるんだけど、相手にしている市場が海外もあってでかいので、ヤマリア同様廃盤開発のサイクルは短いんだけど、廃盤製品復活やら名前を変えて出ていますやらな商品も多い。
上から2個がトビマル、3個目がクリスタルミノーという懐かしのルアーだけど今復活してます。今時のぎらぎらしたカラーとかも出てるし、クリスタルミノーにおいては重心移動搭載形のマグクリスタルミノーなんてのも出ている。往年のファンの皆様におかれましては箱買いのチャンスでっせ。
トビマルの一番上の個体はガン玉詰め込みまくった「超重量版トビマル改」でほとんどアクションしないのに釣れました。今思えばリップ付きのシンキングペンシルを作ってしまってたわけで「あまり動かなくても釣れる」んじゃなくて「あまり動かない方が釣れることがある」というのに気づけていれば一儲けできてたのかもしれない。
4番目のアイルマグネット105(とかなんとかいうやつのはず)は拾いもの。これの大きいのは九州男児がヒラスズキ狙うときの定番だそうだけど、たぶん今も違う名前で出てる。
で、下3つが今時モデルの「ハードコア」シリーズのミノーで下から3つめがハードコアミノーパワーSというワイヤー貫通の丈夫な対モンスター用とうたわれているミノー、別にモンスター狙いに行く予定もないのに思わず買っちゃった。下2つはハードコアTTリップレスS90でこれも思わず買っちゃったけどコイツは近所でも投げてます。
左の写真、一見すると同じルアーに見えるけど、実は上がフローティングで下がシンキング。一緒やないケ!と突っ込んだところ背中の表示の他に「目」でも見分けができて赤い目がシンキング黄色い目がフローティングだそうである。芸が細かい。
芸は細かいんだけど、正直この手のスリムなリップレスミノーの元祖であるコモモや同じメーカーが作るサスケ、リップレスミノーとしてはそれより古いタックルハウスのTKMLとかに比べると、なんというかどこにでもありがちな今時のジャパニーズルアーっぽいというかオリジナリティーに欠けるという気がしてた。でも動き的には余り潜らずキビキビ動く系で、欲しかった動きなのでまあ良いかなと思っていたけど、こうやって書いていてまさにこのルアーは「今時のジャパニーズルアー」っぽく作られているんだと思い至った。ホログラフを使った精緻なカラーリングに凝った造形、高機能をうたった磁石とタングステンを使った重心移動機構などトッピング全部乗せ状態のジャパニーズミノーになっているのは、外国のお客さんを念頭においているからなのだろう。それがすべてではないにしても、外国版の製品名に「SASHIMI」とか付けちゃうぐらいにはあざとい戦略性を持って攻めてるデュエル社である、そういうことを考えに入れてないとは考えにくい。
そう思ってみると、なかなかに味わい深さが増してくる。世界中で売りさばくのでその分コストも軽減できるのか値段が1000円ぐらいと安いのも大きな魅力である。
大手のデキの良いルアーやらベンチャー的な小規模工房からの挑戦的な製品もいいけど、こういうしたたかな中小企業の作ってるルアーもやっぱり魅力的だと思うのである。デュエルのルアーが九州で、ヤマリアのルアーが相模湾とかで人気な地元密着型な一面も好ましく思える。とにかくいろんなルアーがあって選べる楽しさって良いもんだ。
最近、近所ポイントの攻略に苦戦しつつ楽しんでいるところなんだけど、「もうちょっと動きの派手なルアーないかなー」とか「細長いのを試してみたい」とか思いついたときに、じゃあそういうルアーを買いに行こうかと思うと、ふと、待てよそんなルアー我が家の蔵にあったんとちゃうか?と思ってごそごそやってると、目当てのルアーもだいたい出てくるうえに、忘れてたような懐かしいルアーも出てきたりして、心は思わずしばし追憶の彼方に旅立ったり、なかなかに楽しかったりもしたので、そんな中で出てきたルアーを中心に今回は紹介してみました。
オッサンどもに懐かしがっていただければ幸い。若い人にはオッサンの想い出話に付き合ってもらって恐縮。でも若い人が今使ってる最新のルアー達も10年経てば想い出のルアーになって若い人もオッサンになるというものである。今日は明日には昨日になる、何事の不思議なけれど。
今回、ルアー図鑑うす塩味第35弾はこの2社の主にミノーについていつものようにグダグダと書いてみたいと思う。
ヤマリア社の前身、山下釣具は「ヤマシタ式」と呼ばれる漁法の代名詞である塩化ビニール製のいわゆるタコベイトを発明し普及したという、由緒正しい日本の釣り具メーカーである。開高先生もどっかで日本が誇る釣りの技術としてヤマシタ式を例にあげてたと記憶する。元々は漁業の世界での発明だけど今日トローリングヘッドのスカートからタコ釣りテンヤの飾りまで遊びの釣りの世界でももはやタコベイトは世界基準となっている。日本人の「遊びの釣り」における発明においてコレと比較できるぐらい世界に広まったのは、他にK-TENの二宮氏の「重心移動システム」ぐらいしかないと思う。
今ヤマリアのサイトではその辺の会社沿革も紹介されているし、創業者の山下楠太郎氏の著作「新しい釣漁業の技術」も公開されていてなかなかに面白く興味深く拝読した。
時代は巡って平成元年、日本でもずいぶんルアーの釣りが浸透してきて、当時ヤマシタだったヤマリア社もルアーブランド「マリア」を立ち上げた。その時、最初に作ったシリーズが写真のミノー「ザ・ファースト」。今書いててそういう意味の名前かと改めて気付いた。大きめの動きで特にファーストリトリーブ向けってわけじゃなさそうなのになんでファーストなんだろうと思ってたけど第1弾的な命名だったわけね。
有名な話だけど、最初に出た14センチと11センチはK-TENのタックルハウスとの共同開発で、ウッド製のミノーを作ってたタックルハウスがプラスチック版を作るにあたって樹脂製品の製造技術持ってたヤマシタに協力を求めてお互いのブランドでそれぞれ売ることで合意して作ったらしい。だから、14センチ11センチは当時のK-TENと型は一緒。でも内部の重心移動機構は先発のK-TENの鉄球と磁石を使った機構は使わずに円柱状のオモリがスライドする方式をとっている。このおもりがスライドするっていうのが実は裏技的に使えるというのを怪魚ハンターの小塚氏が紹介しているというのは以前にも書いたけど、メガバスが狙って、重心移動機構のオモリがぶつかる慣性でルアーをダートさせるという意図で作ったグレートハンティングミノー90+5に先駆けて、飛距離増加以外にルアーの動きに干渉する働きをも持った重心移動機構を搭載したミノーが意図せず生まれていたのである。
まあ当時はそんな使い方されてなかったけどK-TEN同様シーバスマンには人気が出て、私のようなCD7やCD9を使ってた湾奥系の釣り人の要望にもこたえるべく9センチと7センチも追加となった。このサイズからはタックルハウスとは分かれて開発していて、ザ・ファーストの方が丸っこくて可愛い見た目となっている。特にフローティング7センチはクランクベイトのような見た目と動きで、コイツの高浮力を生かした水面引き、今でいうウェイキングが濁った運河で良く釣れて良い思いをさせてくれた。右下の目玉の剥げた固体がその頃の生き残りでなんとも懐かしい。
ヤマリア製のミノーといえば、もう一つナマジ的に忘れられないミノーがフライングダイバー。それも赤。
カヤックシーバスで大活躍してくれて、その役目をFマグに引き継いで今は蔵に眠っているけど、今でも充分釣れるルアーだと思うのでたまに投げている。
もともとはボートシーバスの船長に岸壁下が支柱で支えられているタイプの護岸攻め、いわゆる「穴打ち」に良いよと勧められたルアーである。
穴打ちではそこそこ飛距離が必要だけどそれよりも穴の奥にぶち込んで、支柱に付いているシーバスをいかに短い距離で食わせるかというのが重要になってくる。立ち上がりがモタモタしていては食ってくる範囲を過ぎてしまう。だから固定重心で平行姿勢でユックリ沈んでいって、目的の深さで引き始めるとオフセットのリップがしっかり水を掴んですぐ動き出すという設計。障害物の際の短い距離で食わせるためにはとても適しているのだけど残念ながら廃盤となった。
ヤマリアはお世辞にも大企業ではない。工場の製造ラインにも限界はあるだろうし、売れなくなったモデルは割とすぐに廃盤になる。昔から生き残っているのはマールアミーゴ、ポップクイーン、ブルースコードぐらいだろうか。逆に中小企業ならではの小回りの良さと伝統の開発力で、市場のニーズやらも踏まえて積極的に新製品をぶち込んでくる。
写真の上はツーテンの虎ファンさんが気に入ってたエンゼルキッスで振り幅広い系、大きいサイズ残して廃盤、下の細身のプリンセスMも廃盤。っていうぐらいに廃盤製品が多いのは寂しいと言えば寂しいんだけど、新製品ぶっ込んでくる挑戦精神に免じてオレは許す。特に最近では、小難しいこと言いがちな輩がさも難しい技術のように喧伝してたダイビングペンシルの世界に簡単な動かし方の映像公開してぶっ込んできたローデッドが抜群で、プレミア付いて1万円以上するようなルアー買わんでもローデッド買ってヤマリアの人の説明通り動かせばワシでも10キロやそこらのマグロなら釣れたわい、ザマミロという感じ。
ザマミロは100g超級のダイビングペンシルの釣りという今や大流行の釣りを切り開いたルアーであるカーペンター社ガンマに対して敬意がなさ過ぎかと反省するが、我ら技術もお金も限られる週末釣り師に、安価で性能の良いルアーを提供し釣り方含め普及してくれたヤマリア社には創業者からの伝統である釣り技術の普及に対する企業精神と伝統をひしひしと感じるのである。
でもってもう一方、九州の雄デュエル社は、もともとのヨーヅリ(ヨー「ズ」リだと思ってましたスイマセン)っていえば伝説となった「アタックル」ブランドの変態バスルアーの会社というイメージの他には、餌木とか弓角とか潜行板とかスキップバニーちゃんとかとかのまさに「漁具系」のイメージかも知れないけれど、実はコレが世界的には一番知られている日本のルアーメーカーなんである。何を馬鹿なことを、ダイワやシマノの方が有名に決まってるだろ?と思うかもしれないけど、ダイワやシマノは外国ではリールメーカーという認識のハズでルアーはそれ程有名じゃない。
何しろスポーツフィッシング市場におけるメジャーリーグとでもいえるバスプロショップスのカタログにルアーが出てくるのは現在、ヨーヅリ、メガバス、ラッキークラフトで、後ろの2社は新参者でサーフェスクルーザーやクリスタルミノーの時代からバスプロショプスのレギュラーメンバーの座を守ってきたヨーヅリこそ海外では日本を代表するルアーメーカであると断言する。なにしろヨーヅリブランドの知名度が海外では高いので海外向けブランドとしてはいまだ「YOーZURI」という昔の名前で出ていますなぐらいだ。
ということで、デュエル社も中小企業ではあるんだけど、相手にしている市場が海外もあってでかいので、ヤマリア同様廃盤開発のサイクルは短いんだけど、廃盤製品復活やら名前を変えて出ていますやらな商品も多い。
上から2個がトビマル、3個目がクリスタルミノーという懐かしのルアーだけど今復活してます。今時のぎらぎらしたカラーとかも出てるし、クリスタルミノーにおいては重心移動搭載形のマグクリスタルミノーなんてのも出ている。往年のファンの皆様におかれましては箱買いのチャンスでっせ。
トビマルの一番上の個体はガン玉詰め込みまくった「超重量版トビマル改」でほとんどアクションしないのに釣れました。今思えばリップ付きのシンキングペンシルを作ってしまってたわけで「あまり動かなくても釣れる」んじゃなくて「あまり動かない方が釣れることがある」というのに気づけていれば一儲けできてたのかもしれない。
4番目のアイルマグネット105(とかなんとかいうやつのはず)は拾いもの。これの大きいのは九州男児がヒラスズキ狙うときの定番だそうだけど、たぶん今も違う名前で出てる。
で、下3つが今時モデルの「ハードコア」シリーズのミノーで下から3つめがハードコアミノーパワーSというワイヤー貫通の丈夫な対モンスター用とうたわれているミノー、別にモンスター狙いに行く予定もないのに思わず買っちゃった。下2つはハードコアTTリップレスS90でこれも思わず買っちゃったけどコイツは近所でも投げてます。
左の写真、一見すると同じルアーに見えるけど、実は上がフローティングで下がシンキング。一緒やないケ!と突っ込んだところ背中の表示の他に「目」でも見分けができて赤い目がシンキング黄色い目がフローティングだそうである。芸が細かい。
芸は細かいんだけど、正直この手のスリムなリップレスミノーの元祖であるコモモや同じメーカーが作るサスケ、リップレスミノーとしてはそれより古いタックルハウスのTKMLとかに比べると、なんというかどこにでもありがちな今時のジャパニーズルアーっぽいというかオリジナリティーに欠けるという気がしてた。でも動き的には余り潜らずキビキビ動く系で、欲しかった動きなのでまあ良いかなと思っていたけど、こうやって書いていてまさにこのルアーは「今時のジャパニーズルアー」っぽく作られているんだと思い至った。ホログラフを使った精緻なカラーリングに凝った造形、高機能をうたった磁石とタングステンを使った重心移動機構などトッピング全部乗せ状態のジャパニーズミノーになっているのは、外国のお客さんを念頭においているからなのだろう。それがすべてではないにしても、外国版の製品名に「SASHIMI」とか付けちゃうぐらいにはあざとい戦略性を持って攻めてるデュエル社である、そういうことを考えに入れてないとは考えにくい。
そう思ってみると、なかなかに味わい深さが増してくる。世界中で売りさばくのでその分コストも軽減できるのか値段が1000円ぐらいと安いのも大きな魅力である。
大手のデキの良いルアーやらベンチャー的な小規模工房からの挑戦的な製品もいいけど、こういうしたたかな中小企業の作ってるルアーもやっぱり魅力的だと思うのである。デュエルのルアーが九州で、ヤマリアのルアーが相模湾とかで人気な地元密着型な一面も好ましく思える。とにかくいろんなルアーがあって選べる楽しさって良いもんだ。
最近、近所ポイントの攻略に苦戦しつつ楽しんでいるところなんだけど、「もうちょっと動きの派手なルアーないかなー」とか「細長いのを試してみたい」とか思いついたときに、じゃあそういうルアーを買いに行こうかと思うと、ふと、待てよそんなルアー我が家の蔵にあったんとちゃうか?と思ってごそごそやってると、目当てのルアーもだいたい出てくるうえに、忘れてたような懐かしいルアーも出てきたりして、心は思わずしばし追憶の彼方に旅立ったり、なかなかに楽しかったりもしたので、そんな中で出てきたルアーを中心に今回は紹介してみました。
オッサンどもに懐かしがっていただければ幸い。若い人にはオッサンの想い出話に付き合ってもらって恐縮。でも若い人が今使ってる最新のルアー達も10年経てば想い出のルアーになって若い人もオッサンになるというものである。今日は明日には昨日になる、何事の不思議なけれど。
2017年10月28日土曜日
雨の日が好きな釣り人へ
私は雨の釣りが好きだというのは以前書いた。調べてみると5年近くも昔のことのようだ。
そのときに新調した合羽が最近染みてくるようになって、洗濯して防水スプレー振っても回復しなくなってきた。そろそろ限界かなと思っていたらポケットのチャックがぶっ壊れた。
最近の雨具のチャックはチャック自体が防水になっているこのタイプばかりだが、正直あんまり好きになれない。昔の上から雨蓋をかぶせる方式より使う布地が少なくできて軽量化できるし縫製も単純化できるというのは理解できるが、雨蓋式ならチャックを締め切れてなくても大丈夫だけど、新方式のチャックだと雨が容赦なく入ってきてポケットの中ビチャビチャに濡れてしまったりする。物忘れの酷くなったオッサンには優しくない。
5年やそこらで壊れる耐久性のなさも気にくわない。ポケットならまだ良いけど、前を閉じるチャックが壊れたら場合によっては生死を分けるような不具合を生じる。チャックの上を覆う布をボタンで留める方式なら最悪ボタンでは留められるので全開は避けられる。
チャックなんて滅多に壊れないので想定しなくて良いとなれば良いけど、実際にチャックが壊れたので心配になってしまう。私は生死をかけるような場所に行かないとしてもだ。とはいえ今時このタイプのしか売ってないのでどうしようもないのか。
とりあえず、モンベルショップに持っていって浸水も含めて直すといくらぐらいかかるか見積もってもらったら、1万円以上かかる感じで、かつ浸水は見える穴は塞ぐことができるけど針穴のような小さい穴を見つけて塞ぐことがむずかしく防水性の完全回復とまではいかないようだ。河原で藪漕ぎまくっているので茨とかで針穴沢山開いてそうなのは想像に難くない。
仕方ないので買い換え。同じ「レインダンサー」の後継版を購入。だいぶ値上がりした感じで大3枚が飛んでいったが快適な雨の釣りのためにはいたしかたあるまいて。
今回のは漁師さんが履いてるサロペットみたいな明るめの青。フードを畳んで仕舞うのがゴムで一カ所止めるだけになっててちょっとバラケそうで不満だがまあ洗濯ばさみで留めておくか。性能的には信頼しているので問題ないだろう。また5年ぐらいはよろしく。
物入りってだいたい重なるもので、10年来愛用してきた左のゴムの長靴が穴開いて浸水するようになってきた。水遊び用の靴でジャブジャブと行くには寒い季節に、ウェーダー出すほどでもないチョットした河岸のぬかるみを歩く場面とか、厚手の靴下履いて防寒対策するときとかに重宝していたのだが寿命をむかえたようだ。
目立つ穴をゴムのパッチあてて塞いだけど、その後もつま先あたりジワッと濡れるので、もう接着剤とか劣化しててつなぎ目とかから浸水し始めているようだ。
この手のゴム長靴って、チェストハイのウェーダーのように透湿性とかが求められるほどでもなく、水が漏れずに丈夫なら何でも良いと思っている。思っているんだけど釣り具量販店に並んでいる安いゴム長はどうにも趣味の悪い配色で履く気が失せる。それなりの値段出すと格好いいのもあって、昔はアングラーズハウスの緑の乗馬長靴みたいなのを愛用していたけど、正直もっと安くて十分だよなと思っている。貧乏だった学生時代は皿洗いのバイト先で支給された白いゴム長履いて釣りしてたけど何ら問題なかった。ここ10年はホームセンターで買った鉄板入りの安全長靴がちょっと渋くて漢らしくて気に入って愛用していたのである。ちなみに昨年ぐらい乗馬長靴が街行く女性にちょっと流行ってたみたいだけど通気性ないから水虫になりまっセ、と老婆心ながら忠告しておく。
さて次はどうしようかと思っていたら、釣り具屋で割と良さそうなのを見つけた。
写真右のプロックスの長靴で、上部は防水布製で膝ぐらいまであって軽くウェーディングもできそう。ワシどうせ深くは立ち込まんし案外ちょうどよくハマってくれるかも。値段も3千円ちょいでお値打ち。
プロックスの製品は安くて値段相応という感じで、ロッドケースは肩掛けベルトがすぐはずれた。でも致命的な本体ぶっ壊れたりはなく、プロックスの折りたたみ胡座イスと背負子タイプのカート付きリュックは今のところ問題なく使えている。あまり期待しすぎないで使ってみる分には良いメーカーだと思っている。
とりあえずこれでこの秋冬、雨振っても快適な釣りができる準備ができただろう。
装備も新調したし、雨の釣りがますます好きになるような良い釣りができることを期待したい。
今夜も降るようだし、さてどうするか。
2017年10月21日土曜日
CD転じてCDLとなす 秋に旨いはサバとなす
ラパラマニアはあまりCDL(カウントダウンリップレス)を買わない傾向にあると思う。
CDLの有用性を認めていないわけではないのだけど 、まあなんというかCD(カウントダウン)使ってれば、自然とぶつけたりしてリップ折れたのがたまっていくので、わざわざ買うまでもないかなと思っていたりする。折れたリップを綺麗にニッパーで切り取ってやればCDのCDL化の完了である。実に簡単。
左の写真で、上がCD9、真ん中がリップ折れてCDL9化した個体。一番下がもともとリップレスで売られているCDL9。
動きは、あまり動かずユラッとする程度の動かない系のシンキングペンシルでやや太めのボリューム感。しかも軽いバルサ製で沈むのがユックリで浅い層を狙える。バルサ製で軽いんだけど、CDのように「軽くて飛距離がイマイチ」な感じはあまりなくて良く飛ぶ。ボディーからつきだしたCDのリップが、いかにしっかり水を掴んでルアーを動かしているかということと、いかに突起物となって空気抵抗を増やして飛距離を落とす要素になっているかというのが実感できる。
正直「リップないとこんなに飛ぶンや!」と驚くぐらいで、飛距離とリップの空気抵抗の関係で今時のミノーがみんな小さいリップをつけて本体と併せた全体のバランスで動いていたり、むしろリップ付きは割合が減っていて、リップレスミノーやシンキングペンシルが隆盛を誇っているのも、CDとCDLを投げて比べてみると得心がいくところだ。
CD7は最近出番がないけど、その昔コレを投げたりテクトロしたりして、東京湾とかのシーバスポイントを開拓していったので、今でも在庫がそれなりに残っている。
青銀が好きだったので青銀は6個箱入りで注文したりしていて、右上の箱がその頃のラパラの「箱売り」の箱である。
箱で買ったのは博多の釣具屋で、10数年前当時、ラパラって今人気盛り返しているけど、ちょっと重心移動搭載のジャパニーズルアーとかに押されて「過去のルアー」扱いされていた時期で「うちでは仕入れてないので問屋から箱単位で取り寄せになるけど良いですか?」と聞かれてもちろん問題ないですと買ったものである。当時1個800円。東京では安売りしていると600円ぐらいの時もあった。今回蛍光黄色を補充しに行ったら1250円もしていて、CD7も高価になったなと、時の流れを感じずにいられない。
リップの折れたCD7は3個あったんだけど、一番釣れそうだった蛍光黄色を過ちによってなくしてしまい、2個になってしまった。橋の明暗とかパール系の見やすい色はもろ良い感じだし、青銀も悪くはなさそうだけど、2個では心許ない。
近所ポイントのボイル、色々ルアー投げてみてセイゴの反応とか見ている感じではCDLの7センチと9センチが合っているように思う。まだ他のも試さねばならない段階だけど、とりあえずCDLはアテにしてよさそうだ。水面直下をユックリ引けるのとシンキングペンシルとしてもおとなしい動きが効いてるのかなと想像している。魚の居る目の前にルアーを通せる状況なら、おとなしめの動きのルアーの方が「嫌われる」可能性は小さいのではないかと感じている。
なので、在庫不足を補うべく最初からリップの付いていないCDL7を買い足そうと思ったけど、今現在廃盤のようでCDLは素材を軽いバルサより比重のあるアバシ材に変更して飛距離アップを図ったカウントダウン”アバシ”(CDA)のリップレス(CDAL)が売られているようだ。当然普通のCDLより良く飛び良く沈むはずである。
近所ポイントでは飛距離より沈んだ杭とかの上の水面直下を引けることのほうが重要なので、重い”アバシ”版では塩梅が悪いように思う。そもそも私は飛距離を重視しない近距離特化型のシーバスマンである。
まあ、CDは廃盤じゃないしうちの蔵の在庫もそれなりにあるので話は簡単で、CD7のリップをニッパで切り取れば良いだけである。いくつかCD7をCDL7に改造した。CD9はまだ投げるけど、CD7はもうあまり実戦では使ってないので、リップレス化して使っていくこととしたい。
リップを削ったり取っ払ったりする改造は、ロングAやラパラFでも良くやっていたけど、CDに関してはなぜかCDとしてまだ使える個体からリップを外すのは心理的に抵抗があった。まあ気にしないでいこう。
切り取ったリップが、適度に柔らかくてニッパーで成形しやすく、かつ適度な丸みもあって、リップがもげたフラットラップの補修にもってこいなので有効活用させてもらった。
ちょっと脱線するけど、今回リップレス買おうとしてラパラジャパンのウェブ上のカタログ見て、フラットラップがカタログから落ちていることに大ショックを受けた。一時生産中止になっていたフローティングマグナムが復活してたりして、また市場に弾がなくなったころに生産再開するのかも知れないけど、もしこのまま廃盤とかになると、さすがにまだ一生使う分は買い貯めしてないので困ってしまう。
フラットラップはコレまで作られたミノーの中で最高のものだと信じている。ラパラ社もその意気込みで「永久定番」と謳って世に出したはずだ。もし売れなくて廃盤だとすれば釣り人の見る目がなかったとしか思えない。飛距離とキビキビした動きが両立してどちらも高得点。
是非ラパラさん、我が家の在庫がなくなる前に再度生産をよろしくお願いします。その時によくもげるリップを改善していただければなお良し。空気抵抗との関係で小さいリップを前の方に付けることから必然的に弱くなるのは仕方ないとして、接着方法を下からくっつけるだけじゃない、シャローシャドラップやチームエスコに近いような前からグッと差し込んでちょっと突き出たオフセット気味にするというのはどうでしょう?
というわけで2週連続の「ルアー図鑑うす塩味」第34弾は永遠の定番ラパラカウントダウンと見た目パッとしないけど実力派の弟分カウントダウンリップレスあたりでお送りいたしました。
1250円で高くなったとボヤいてしまったけど、1500~2000円があたりまえになった今のルアー市場で、天然素材を使ってその値段で「釣れる」品質で提供し続けているのは凄いことだと思う。世界中に売っていて大量に作ることによる経費削減効果とかあるとしても、安いっちゅうのは釣り人にとってはありがたいことである。
2017年10月14日土曜日
急速潜航 ダイブ!ダイブ!ダイブ!!
これまでシーバス釣りにおいて投げるペンシルベイトはサーフとかで飛距離がほしかったりカヤックで大型ねらいのときにサミーがでてくるときもあったけど、ほぼザラパピーでかたをつけてきた。
ザラパピーはあんまり潜らないけど首振りは簡単で、暗い中でも一定のリズムで竿先チョイチョイしながら引いてやれば問題なく首振りながら魚を誘ってくれる。逆にただ引きでヌーッと引いてきてもなかなかにいい仕事をしたりもする。
ザラパピーしばらく売ってなかったけど、今ちょうど生産再開している時期のようで釣り具屋に新品も売っていて根強い人気のほどがうかがえる。
でも、最近試行錯誤している近所ポイントのイナッコボイルに対してはザラパピー全然バイトとれず、とりあえず飛距離アップにサミーかなと用意していたけど、いまいち届いても首振らせてるだけじゃ食ってくる気がせず、いっちょ潜らせてみるか?ということになり、今いろいろ候補を投げてみて試しているところである。
というわけで久しぶりに帰ってきた「ルアー図鑑うす塩味」第33弾は、潜るというか「ダイビング」が得意だったりそうでもなかったりなペンシルたちでいきます。
今日、海のルアーの世界ではダイビングするペンシルベイトは、青物にマグロにロウニンアジにと大人気で、マグロ釣ったヤマリヤのローデッドとか動かしやすいわお値打ち価格だわの優れものだと思うし、クラフトベイト社ダートベイトでは自己記録のロウニンアジ釣ったので自分の中で特別なルアーである。各社から縦浮きで竿先あおるとドボンと泡ひきながらダイブして、水中でギラッと不規則に揺らめいて浮き上がるというダイブジャーク用のペンシルが各種でている。
ところが、シーバス用のペンシルとなると、まあバス用の流用で間に合ってしまうからわざわざ買わないというのもあって私が知らんだけかもしれないけど、あんまりダイブするのは見かけなくて、首振りメインのいわゆるドックウォークの得意なものが多いように感じている。
今回のダイブするペンシル探しにおいてもそういうわけで、とりあえずバスルアーから探せばいいだろうと、いくつか候補を選んでみたところ。
まずは、ダイブするペンシルとして真っ先に頭に浮かんだのがレッドペッパー。確かにこいつはジュポンと頭から水中に突っ込むのも得意だ。バスもよく釣れたしシイラとかにも効いたので、釣れるのは間違いないと思う。ただこのルアーを暗い中で投げる気にはあまりならない。こいつの動きは予測不能すぎて、暗い中ルアーが見えていないとどんな動きしているのか分からない。明るい時間で見えていれば、ある程度実際の動きをみながら潜らせたかったらどう引いたらいいかとか考えながら調整しつつ動かすことができるけど、それでも完全に制御するのは私程度の腕では難しく、そういう制御不能で予測不能な動きがこのルアーの強みだとも思うけど、暗い中で引いてたらどんな動きしてるのかまったく責任とりかねる。ので、とりあえず候補からはずした。
いろいろと調べて、縦浮きダイビング系で入手が容易なあんまり特殊じゃないペンシルをと考えると、バスディのシュガペンとレーベルのジャンピンミノーに行きあたった。どちらもややマイナーだけど、いまでも生産されていて入手は可能である。シュガペンは香港でアフリカンクララ釣ったときのがあるし、ジャンピンミノーも通販で入手可能なので試しに買ってみた。
シュガペン9センチは優等生で、首振りも得意だけど立たせた状態から強めに引けばダイブするし、高速ツィッチしてもダイブの動きは混ざる。まずは合格点で、実際にボイルに投げる機会があったときにも、なぜかかからない状態ではあったけど、バイトは派手に何発もあって、食わせる能力は十分とみた。あとはシーバスに食い損ねさせないような間のとり方とか詰めていけばいいように思う。飛距離も十分だしカラーリングも含め作りはバスディだししっかりしている。
でも、その優等生なシュガペンよりなぜか惹かれてしまうのが、舶来もので新品でも1000円切るような、B級感が濃く漂うジャンピンミノーT10(あっ、ちなみに現在ジャンピンミノーはメイド・イン・チャイナです。プラドコも中南米工場から中国生産に切り替えたのだろうか?恐るべし「世界の工場」中国。中南米製なら曲がりなりにも「アメリカン」ルアーだと納得していたけど、中国製となると性能や品質に問題はないと理解しつつも、なんだかちょっとやるせない)。昔っからあるけど今でも生産してるってことは魚が釣れ続けているという証明だろうか。アメリカンなペンシルベイトとしてはオリジナルザラスプークに代表される首振り得意なものが人気でありかつ主流で、スイッシャーからペラ外しました感の漂う縦浮き系のペンシルであるツースピック、ボウィハウディーあたりはすでに生産されていない(ボディー共通のスイッシャーはまだ売ってるのでどうしてもほしい人はペラ外して改造してください。というか中古を探せばいいのか?)。
ところが、昔々レーベル社が「うちの会社からもペンシルベイト出したいな。でも新たに金型起こすのめんどくせぇ。そうだ、ミノーのリップとっぱらってオモリ尻の方に入れてでっち上げよう」という開発秘話があって作ったとか想像できてしまうような、しょぼい見た目のジャンピンミノーがなかなかに知る人ぞ知る傑作ダイビングペンシルのようで、生まれては消える有象無象のルアー達を尻目に今日まで生き残っているのである。
アマゾン(ネット通販大手じゃなくて南米の大河のほう)でもピーコックバス釣るのに有効らしく、現地のメーカーも似たようなタイプのを作っているぐらいに人気のようだ。
日本にもファンがいて、某長崎のペン使いでアグリースティック使いなカヤック乗りの御仁が、クロダイ釣りに使って絶賛している。
これは、オレも使わねばと買ってみた。投げてみて動かしてみたら「ペンシルなんてミノーからリップとって後方重心にした程度で上等じゃんヨ」という感じ。シュガペンにも通じる優等生な動かしやすさだけど、こっちの方がさらに潜らせやすくて、水面に出きらないなら潜らせろ、という状況ならこっちがより良い解答なのかもしれない。優等生シュガペンと予測不能レッドペッパーを足して2で割って懐かしさとか安っぽい現代アメルア感とかをプラスαした感じ。
とりあえずメインで投げるペンシルはこいつと決めたところ。
どのぐらい「ミノーからリップとって後方重心にしただけ」か写真でご確認願いたい。同じルアーじゃなくて下はレーベルミノーです。
残念ながら、ミノーの方がちょっと前の時代の最後のアメリカ製ぐらいのモデルで、今ちょうど端境期なのか同サイズのレーベルミノーには悲しいことに私の好きな立体に鱗の線が切ってある系のカラー(クロスハッチ模様というらしい)が見当たらないので入手する気にならず、直接同時代のモデルで比較できてないけど、ジャンピンミノーが、わざわざペンシルベイト用に新しくデザインされたものではないんだろうナ感がおわかりいただけるだろう。
ルアーの造形なんて、後発である日本のメーカーとか凝りに凝ったものにしていたりするけど、魚釣るにはこのぐらいのテキトウな造形でも充分っちゃ充分なんである。
今のところこんな感じなんだけど、ぶっちゃけ潜らせるのが正解なのかって聞かれると全く自信がなく、ザラパピーよりボリュームあげるってのも試してみたいなと、バドンカドンクとビックラッシュウォーカーもそのうち投げてみたいと思う。
バドンカは首振り得意なペンシルで、バラしたけど何度か魚はかけているので釣る能力に問題はないだろうと思っている。
ビックラッシュウォーカーはダイブも首振りも自由自在のはず(そんな腕あるのか?)なので、自在に操ってバシュッと食わせて釣ったりしたら気持ちいいだろうなと妄想しているところである。
ほかにも潜るの得意なペンシルにこんなんありますよとか、シーバス用のペンシルなら最近いいのありまっセとか、あったら是非教えていただきたいッス。
昨夜もスカ食って難しさに頭抱えたりしてるけど、それでも久しぶりにいろんなルアーを試す楽しさを味わっているところ。
ザラパピーはあんまり潜らないけど首振りは簡単で、暗い中でも一定のリズムで竿先チョイチョイしながら引いてやれば問題なく首振りながら魚を誘ってくれる。逆にただ引きでヌーッと引いてきてもなかなかにいい仕事をしたりもする。
ザラパピーしばらく売ってなかったけど、今ちょうど生産再開している時期のようで釣り具屋に新品も売っていて根強い人気のほどがうかがえる。
でも、最近試行錯誤している近所ポイントのイナッコボイルに対してはザラパピー全然バイトとれず、とりあえず飛距離アップにサミーかなと用意していたけど、いまいち届いても首振らせてるだけじゃ食ってくる気がせず、いっちょ潜らせてみるか?ということになり、今いろいろ候補を投げてみて試しているところである。
というわけで久しぶりに帰ってきた「ルアー図鑑うす塩味」第33弾は、潜るというか「ダイビング」が得意だったりそうでもなかったりなペンシルたちでいきます。
今日、海のルアーの世界ではダイビングするペンシルベイトは、青物にマグロにロウニンアジにと大人気で、マグロ釣ったヤマリヤのローデッドとか動かしやすいわお値打ち価格だわの優れものだと思うし、クラフトベイト社ダートベイトでは自己記録のロウニンアジ釣ったので自分の中で特別なルアーである。各社から縦浮きで竿先あおるとドボンと泡ひきながらダイブして、水中でギラッと不規則に揺らめいて浮き上がるというダイブジャーク用のペンシルが各種でている。
ところが、シーバス用のペンシルとなると、まあバス用の流用で間に合ってしまうからわざわざ買わないというのもあって私が知らんだけかもしれないけど、あんまりダイブするのは見かけなくて、首振りメインのいわゆるドックウォークの得意なものが多いように感じている。
今回のダイブするペンシル探しにおいてもそういうわけで、とりあえずバスルアーから探せばいいだろうと、いくつか候補を選んでみたところ。
まずは、ダイブするペンシルとして真っ先に頭に浮かんだのがレッドペッパー。確かにこいつはジュポンと頭から水中に突っ込むのも得意だ。バスもよく釣れたしシイラとかにも効いたので、釣れるのは間違いないと思う。ただこのルアーを暗い中で投げる気にはあまりならない。こいつの動きは予測不能すぎて、暗い中ルアーが見えていないとどんな動きしているのか分からない。明るい時間で見えていれば、ある程度実際の動きをみながら潜らせたかったらどう引いたらいいかとか考えながら調整しつつ動かすことができるけど、それでも完全に制御するのは私程度の腕では難しく、そういう制御不能で予測不能な動きがこのルアーの強みだとも思うけど、暗い中で引いてたらどんな動きしてるのかまったく責任とりかねる。ので、とりあえず候補からはずした。
いろいろと調べて、縦浮きダイビング系で入手が容易なあんまり特殊じゃないペンシルをと考えると、バスディのシュガペンとレーベルのジャンピンミノーに行きあたった。どちらもややマイナーだけど、いまでも生産されていて入手は可能である。シュガペンは香港でアフリカンクララ釣ったときのがあるし、ジャンピンミノーも通販で入手可能なので試しに買ってみた。
シュガペン9センチは優等生で、首振りも得意だけど立たせた状態から強めに引けばダイブするし、高速ツィッチしてもダイブの動きは混ざる。まずは合格点で、実際にボイルに投げる機会があったときにも、なぜかかからない状態ではあったけど、バイトは派手に何発もあって、食わせる能力は十分とみた。あとはシーバスに食い損ねさせないような間のとり方とか詰めていけばいいように思う。飛距離も十分だしカラーリングも含め作りはバスディだししっかりしている。
でも、その優等生なシュガペンよりなぜか惹かれてしまうのが、舶来もので新品でも1000円切るような、B級感が濃く漂うジャンピンミノーT10(あっ、ちなみに現在ジャンピンミノーはメイド・イン・チャイナです。プラドコも中南米工場から中国生産に切り替えたのだろうか?恐るべし「世界の工場」中国。中南米製なら曲がりなりにも「アメリカン」ルアーだと納得していたけど、中国製となると性能や品質に問題はないと理解しつつも、なんだかちょっとやるせない)。昔っからあるけど今でも生産してるってことは魚が釣れ続けているという証明だろうか。アメリカンなペンシルベイトとしてはオリジナルザラスプークに代表される首振り得意なものが人気でありかつ主流で、スイッシャーからペラ外しました感の漂う縦浮き系のペンシルであるツースピック、ボウィハウディーあたりはすでに生産されていない(ボディー共通のスイッシャーはまだ売ってるのでどうしてもほしい人はペラ外して改造してください。というか中古を探せばいいのか?)。
ところが、昔々レーベル社が「うちの会社からもペンシルベイト出したいな。でも新たに金型起こすのめんどくせぇ。そうだ、ミノーのリップとっぱらってオモリ尻の方に入れてでっち上げよう」という開発秘話があって作ったとか想像できてしまうような、しょぼい見た目のジャンピンミノーがなかなかに知る人ぞ知る傑作ダイビングペンシルのようで、生まれては消える有象無象のルアー達を尻目に今日まで生き残っているのである。
アマゾン(ネット通販大手じゃなくて南米の大河のほう)でもピーコックバス釣るのに有効らしく、現地のメーカーも似たようなタイプのを作っているぐらいに人気のようだ。
日本にもファンがいて、某長崎のペン使いでアグリースティック使いなカヤック乗りの御仁が、クロダイ釣りに使って絶賛している。
これは、オレも使わねばと買ってみた。投げてみて動かしてみたら「ペンシルなんてミノーからリップとって後方重心にした程度で上等じゃんヨ」という感じ。シュガペンにも通じる優等生な動かしやすさだけど、こっちの方がさらに潜らせやすくて、水面に出きらないなら潜らせろ、という状況ならこっちがより良い解答なのかもしれない。優等生シュガペンと予測不能レッドペッパーを足して2で割って懐かしさとか安っぽい現代アメルア感とかをプラスαした感じ。
とりあえずメインで投げるペンシルはこいつと決めたところ。
どのぐらい「ミノーからリップとって後方重心にしただけ」か写真でご確認願いたい。同じルアーじゃなくて下はレーベルミノーです。
残念ながら、ミノーの方がちょっと前の時代の最後のアメリカ製ぐらいのモデルで、今ちょうど端境期なのか同サイズのレーベルミノーには悲しいことに私の好きな立体に鱗の線が切ってある系のカラー(クロスハッチ模様というらしい)が見当たらないので入手する気にならず、直接同時代のモデルで比較できてないけど、ジャンピンミノーが、わざわざペンシルベイト用に新しくデザインされたものではないんだろうナ感がおわかりいただけるだろう。
ルアーの造形なんて、後発である日本のメーカーとか凝りに凝ったものにしていたりするけど、魚釣るにはこのぐらいのテキトウな造形でも充分っちゃ充分なんである。
今のところこんな感じなんだけど、ぶっちゃけ潜らせるのが正解なのかって聞かれると全く自信がなく、ザラパピーよりボリュームあげるってのも試してみたいなと、バドンカドンクとビックラッシュウォーカーもそのうち投げてみたいと思う。
バドンカは首振り得意なペンシルで、バラしたけど何度か魚はかけているので釣る能力に問題はないだろうと思っている。
ビックラッシュウォーカーはダイブも首振りも自由自在のはず(そんな腕あるのか?)なので、自在に操ってバシュッと食わせて釣ったりしたら気持ちいいだろうなと妄想しているところである。
ほかにも潜るの得意なペンシルにこんなんありますよとか、シーバス用のペンシルなら最近いいのありまっセとか、あったら是非教えていただきたいッス。
昨夜もスカ食って難しさに頭抱えたりしてるけど、それでも久しぶりにいろんなルアーを試す楽しさを味わっているところ。
2017年10月8日日曜日
足の延長線上にある道具
徒歩に比べると格段に長距離移動が楽。そんなに走行性能に長けていない折り畳み式の我がチャリでも5キロやそこらの往復なら鼻歌交じりの距離である。っていうかむしろ自転車で行くと鼻歌がでるぐらいに気分がよい。
荷物を積めるとか100キロ単位の距離を行くとなったら車の方が便利だけど、車は駐車スペースとか維持管理とかめんどくせぇ上に、簡単に人をひき殺せる馬力が私には制御不能な感じが強くて根本的なところに恐ろしさを感じてしまう。
自転車でも全力走行でぶつかったりしたら死亡事故もあり得るんだろうけど、通常走ってる分にはそういう制御不能な感じはなく、車の運転のように緊張せずにゆったりと自分の力を動力に走ることを楽しめている。風を体に感じながらというのも、バイクもそうだといえばそうだけど評価が高いところだ。
工業製品なのでぶっちゃけそれほどエコではないのかもしれないけど、それでも油炊いて走る車に比べれば多少ましだろうし、経済的な乗り物だとも思う。
釣りにおける自転車の有用性ってあんまり語られることはなくて、自転車で釣りに行くと楽しいということ以上に、自転車は釣りに有用な道具であるということは意識しておいても損はないように思う。
わざわざ折り畳み式の自転車を買って、車に乗せて釣り場に持っていったりもするのはそれなりに理由があってのことである。
徒歩にはない機動力が魅力だけど、それ以上に駐車スペースが必要ないのが大きな利点になる。車でポイント探していて良さげな水辺が見えていても駐車スペースがなくて結局入れずあきらめるなんてことはありがちで、特に新場所開拓の際には、いったん車を駐車スペースに入れてしまってから自転車で良さそうなポイントを虱潰しに当たっていくなんていうのは実に有効。
内房の運河はこのスタイルでかなりくまなくチェックしてポイント開拓がずいぶんはかどった。
歩いてもいいんだけど自転車の機動力にはかなわないし、バイクでも駐車スペースはどこでもいけるけど、いちいちヘルメットとかをはずすのも手間だし、ロッドを片手に運転なんてことはできない。ロッド片手に場合によっちゃサドルにまたがったまま2、3投してすぐ移動とかのせっかちな釣りには実に威力を発揮するのである。
都会だと駐車スペースが近くにないポイントとか、明らかに「竿抜け」になっているような穴場もあって、テナガのノッコミポイントとか自転車の地元民ぐらいしかやってこないので都会の釣り場にはあるまじき広々とした空間で釣りを楽しめている。
そういう近所の足にも遠征先の開拓の友にも活躍してきた折り畳み自転車2代目も、先代が盗まれてから4年ほど。結構な距離を走ったはずで、先日ツンツルテンになっていたタイヤから繊維が見えはじめて限界だったので交換した。径の小さいタイヤなので普通の自転車のタイヤより消耗激しいのかもしれないけど、良く走ったものだと感慨深い。
これからもよろしく相棒、という感じである。
今のところ一度も成果を上げてないんだけど、終了時に帰りながら自転車で川の護岸の柵越しにルアーを引っ張ってくるテクトロならぬチャリトロでシーバス釣ってみたいと密かに挑戦している。
最近近所ポイントでハゼ追っかけてて気がついたんだけど、釣り場で盗まれた自転車って、売り飛ばされたり使われたりするんじゃなくて、どうもその場で川に放り込まれていることもあるように思う。なんのためにそんなことをする必要があるのか全く理解に苦しむけど、干潮時にあまりにも多くの自転車が川底に沈んでいるのを見るとそんな気がしてくる。盗んで目的地近くまで乗って、証拠隠滅に川に捨てているということも考えられるけど、鍵かけていたのにあっさり盗まれていることとかを考えると、単にその場で戯れに捨てているという可能性に行きあたる。
そうであれば自転車を暗い釣り場で盗まれないようにするのに、柵とか電灯の支柱にチェーンキーで繋いでおくのは有効かもしれない。河原に自転車止める人は実行してみてほしい。
足周りの道具で今年活躍したのは自転車のほかにこの靴。
アディダスのボートシューズで、遠征の時に船の上で履くために買ったんだけど、以前履いていた水遊び用の靴がボロくなって捨てたのでスライド登板で使ってみたら、実に良い案配。
なにが良いって、靴の底に水が抜ける穴があいているのが良い。足の裏に水がたまらず水からあがって割とすぐにグチャグチャという感じから解放される。
即乾性のズボンとあわせて、自宅から履いていてそのまま釣り場で川にジャブジャブ入っていって、帰りもそのまま履いてスーパーで買い物したりしても靴から水がビタビタ滴ったりせずに気にせずいける。
昔フェルトソールのウェーディングシューズのままビタビタとコンビニで買い物していたら、バイトの姉ちゃんにモップ持って後ろに付かれたことがあり、ゴルゴ13じゃないけどいやな気がしたし申し訳なかったので気にはしていたのである。
ご近所に釣りに行くのごときに換えの靴持って行くのは面倒なので大変重宝している。そろそろジャブジャブは冷たくなってきたので洗って干してまた来年もよろしくかな。
釣り具って腕の延長線上にある竿やらリールやら仕掛けやらについては多く語られがちだけど、それ以上に足の延長線上にある移動手段含めた足周りの道具やら、皮膚の延長線上の合羽やら防寒着、日焼け防止策、虫よけなんかも重要で、良い道具とそうじゃない場合とでは釣りの快適さや面白さに雲泥の差がでてきたりするので、皆さんゆめゆめおろそかにしないようにしましょう。
高価でかっこいい見た目の道具が必ずしも良いってわけじゃなくて、実際に使ってみて維持の手間や経費も含めた総合で評価しないと実戦じゃ役に立たないのは腕の延長線上といっしょ。
「戦場にゃ一番手になじんだものを持ってきたいんでね」っていうガッツの台詞には私も深くうなずくところである。まあワシら釣り人がいくのは戦場じゃなくてせいぜい船上ぐらいだろうけどね。
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