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2025年2月1日土曜日

朝青龍は豊昇龍のおじさん

 初場所、綱取りに挑んだ2人の大関の15日間の闘いの結果は残酷にも明暗分かれた。先場所大関どうしの相星決戦を制して優勝した琴櫻関はなんと負け越して来場所は角番大関で、綱取りが一転して大関陥落の危機に。逆に、豊昇龍関は苦手の熱海富士に負けたりと三敗するも、今場所優勝争いを先頭で引っ張ったカザフスタン出身の金峰山関に一敗差で迎えた千秋楽、本割りで金峰山関に、これも一敗差で追いかけていた王鵬関が土を付けると、優勝決定戦は豊昇龍、王鵬、金峰山の巴戦にもつれ込む大盛り上がりの展開。これなにげに本割り組んだ審判部のファインプレーで、最後2日は金峰山関との対戦残ってる相手で上位の力士は霧島関と王鵬関で、千秋楽盛り上げるなら金峰山に千秋楽土が付いて優勝決定戦というのが最高で、そうするとここ二場所ぐらい覚醒したかのような強さを見せている王鵬関のほうが、綱取り失敗からガタガタになって王関陥落してやっと復調してきた感のある霧島関より期待がデキたと思う。実際決してたやすい相手ではない霧島関を倒して金峰山関千秋楽を単独トップで迎える。

 金峰山関はワシの推し力士である。なにしろカザフスタンというワシ釣りに行ったこともあるけど日本ではあまり馴染みがない遠い国(冒頭写真のような草原と山脈の国です)からはるばるやってきて、裸一貫、締め込みいっちょで、厳しい勝負の世界で闘ってるんである。ワシが応援しなくてどうする。先場所まで古傷の首に加えて膝まで故障をかかえて幕下に落ちていたのが、今場所幕内に復帰すると、怪我の調子も良いのか、新たな武器となった恵まれた体格の長いリーチを活かした諸手突きが威力抜群で、首の故障に響かないように工夫を重ねた結果なんだろうけど怪我の功名とはこのことって感じで、足も良く動いててピンチになってもなんか投げも打ったりして気持ちの良い勝ちっぷりで、正直このまま優勝してくれと祈ってた。 

 ただ、本割りで負けて優勝決定戦となると、体力勝負になるので大型力士は有利な面もあるけど、経験の浅さはやっぱり補えなかった感じで、そこはここ一番に強く、優勝経験もある豊昇龍関に目の前まで来ていた幕内最高優勝をかっさらわれてしまった。でも金峰山関の成長と大活躍は誰の目にも明らかで、胸を張ってこれからも相撲を取っていって欲しい。っていうか本人も大いに自信をつけただろう。今回悔しくたって良いんだぜ、次のチャンスは絶対巡ってくると確信させるに十分でこれからも応援させてもらう。

 で、豊昇龍関、本人嫌がってるぐらいに叔父さんの朝青龍関とは比較されて話題にされがちである。まあ、顔も似てるし投げが強いのも似てるので仕方ないところはある。でも大横綱の朝青龍関と比べると、投げは上手いけど、気迫と立ち会いは劣るかなと思ってたけど、今場所はこれまた覚醒して化けた感があった。小兵力士ではないものの決して大柄ではないんだけど、運動する物体の持つエネルギーは重さだけでなく、早さの2乗にも比例するわけで、出足鋭くしかも低く土俵をしっかり蹴って突っ込む押しの強さが今場所際立っていた。投げは相変わらず上手いんだけど、立ち会いで押し込んで一気に相手を土俵の外へというのが印象に残って、いよいよ相撲取りとしては完成形に近づいてきたとみな思ったはず。先場所同じ大関との相星対決に負けて相当悔しかったのだろう。研鑽と向上への渇望が見て取れた取り口だった。まあ、投げに特化して肩関節の脱臼が癖になっても投げにこだわった昭和の大横綱千代の富士関みたいな力士になってくれても良かったけど、なんにせよ強くなっていくのは見てて気持ちいいので大歓迎。で、2度目の優勝。まあ先場所準優勝で今場所優勝ならとうぜん横綱審議委員会が開かれたわけで、まあめでたく横綱誕生となったわけだけど、横綱になる一定の目安として「大関として二場所連続優勝かそれに準ずる成績」というのが言われていて”準ずる”ってところが難しい。過去に優勝したことない大関を横綱にしたら、大して活躍しないし、部屋で女将さんに暴力振るって廃業になるし、格闘家転向もパッとしなくて相撲が舐められる原因になるし、あげくスポーツ冒険家とか角幡先生に説教されるような怪しげな肩書きでナニやってるか分からんまま消えていった双羽黒みたいなのがいるので、横審もそのへん慎重になる。勝ち星の数が前回も今回も全勝優勝的なものではないのでネットニュースとかでは、すぐに「横綱確定」とかの記事も散見される状態だったけど、微妙っちゃ微妙だった。とはいえ、今場所の最後まで諦めずに優勝争いに食いついていった精神力の強さと、最後決定戦で2勝してるのは追加星でカウントして評価して、ここは横綱で問題ないんじゃないでしょうか?とワシも思ってたのも事実。綱取りってものすごい重圧らしく、あの強かった霧島関が綱取り失敗後ガッタガタになったぐらいだし、琴櫻関だって先場所の優勝見てたら今場所の崩れっぷりは想像できないぐらいにメンタルも強いと思う。でも今場所はあからさまに普通に取ってりゃ10勝やそこらは楽に勝てるはずの大関がたった5勝でっせ。まあ、その綱取りのプレッシャーに負けずに優勝したという事実だけでも心技体の充実ぶりは明白でしょ。

 っていう真面目な話の他に、今年は大相撲はコロナ禍もあって久しく行われてなかった海外巡業を控えていて、横綱照ノ富士関が今場所途中で引退して、海外巡業で横綱土俵入りが披露できないってどうするよ?って協会関係者は頭抱えてたと思う。照ノ富士関満身創痍だったのは明らかで、巡業終わるまで頑張ってくれというのは酷ってモノで拍手で引退を送られてしかるべき立派な横綱だったと思う。まあそのへんの巡業でオゼゼも稼がないかんという大人の事情もあるんでしょ。それもあって、ここは二場所連続優勝またはそれに準ずる成績ってのにはバッチリ当てはまってるんだし、いっときましょうよという横綱審議委員のみなさんの思惑もあったんだったりして、と邪推している。豊昇龍関、足もよく上がるし横綱土俵入りも格好良く決めてくれまっせヨイショー、って気の早いことを考えてるワシ。

 で、横審でよく審議の対象になるのが綱を張る「品格」を備えているかとかいう、実にくっだらねぇネタで、相撲が神に捧げる神事であるということを鑑みても、そもそも相撲の起源とされる野見宿禰と当麻蹶速の対戦は、野見宿禰がストンピングで当麻蹶速の腰をブチ折って殺しての完全決着であり、もう相撲の神様は”荒ぶる神”であるとしか思えないのである。お行儀良く優等生なのが力士の”品格”か?と改めて疑義を呈しておきたい。まあ、豊昇龍関はおじさんと違ってやんちゃなところの少ない好青年であり、そこは横審的には問題視しなかっただろう。でもワシ的に豊昇龍関には横綱になるにあたっては品格に注文を付けておきたい。もっと荒ぶってくれ、もっとやんちゃしてくれという要望である。それこそ叔父さんのようにである。それが力士に求められる品格だろとワシャ思う。豊昇龍関、アベマの取材で他の力士がインタビュー受けてるときに、後ろからつっついてじゃましたりという、年相応のお茶目な一面も見せる若者だけど、それこそ朝青龍の轍を踏ませるなと部屋の親方やらも厳しく指導したんだろうけど、土俵でも私生活でも一般的な品格を疑われるようなことの全くない好青年ぶりである。そこがワシには物足りない。

 顔を張られて怒りに顔面紅潮させて、張り返したり相手をねじ伏せにいく怒りのこもった気迫、相手の痛めている膝に蹴手繰りを入れる非情さ、相手力士共々客席まで吹っ飛ぶような押し。時に土俵の上で垣間見られる、そういう荒々しさこそ相撲の神が求めるものであると信じる。お客さんもワシら中継視聴者も盛り上がるしな。

 土俵の外の話としては、以前も書いたけど格闘技が盛り上がるには”良いヒール(悪役)”が必要だって話で、米国最大のプロレス団体WWEの中継を見るようになって、改めてその思いを強くしているところだけど、なぜ協会はそのことが分かってないのかって常々おもっている。分かりやすい強い悪役が居れば盛り上がるのである。白鵬関が横綱のころは当時の貴乃花親方と確執とかもあって盛り上がったし、それこそ朝青龍関なんてワイドショーネタ連発で大いに話題を集めてくれた。ワシこれまでで一番好きな力士は300キロに近い規格外の巨漢で「角界の黒船」と呼ばれた小錦関である。後年はあの体重ではむべなるかなだけど膝の怪我もあって痛々しかったけど、全盛期はもう止められないぐらいの強さがあった。でも品格が無いとか横審に嫌われて二場所連続優勝に準ずる成績でも綱は張らせてもらえなかった。あの巨漢力士のプッシュプッシュな突き押し相撲の迫力は見てて痛快だったし、「俺が日本人ならもう横綱になってたはず」とか言っちゃう、ずけずけとした物言いも気持ちよかった。

 今の幕内幕下あたりの力士で悪役を務められそうな弾が見当たらない。モンゴル勢は総じて優等生になってしまって、ヒールと言うよりはむしろベビーフェイス(良いモノ)側である。千代翔真関は引き技多用で多少嫌われてるかもだけど、いかんせんヒールになるには迫力が不足している。ヒールとして大成することを期待していた、2m超の規格外の体でもろ差し食らってから相手の後ろマワシを肩越しにつかんでつり出すという、取り口も非常識だった北青鵬は、部屋で後輩に暴力振るったり金巻き上げたりといういじめで廃業となっており、実にヒールとして将来有望な力士だったので惜しい。まあ荒ぶってもらいたいけどそりゃあかんやろ。親方が白鵬だったので協会ももみ消さずに部屋ごと潰された感があるけど、まあ名選手かならずしも名監督たりえずってところか。私生活というか土俵外で面白いのは酒パワーで闘う錦木関とか酒豪の多い角界でも名をはせるとは、いったいどのぐらい飲むのか?と思うし、良くしゃべる一山本関はアベマのインタビューで「若隆景が推し力士」と公言するわけ分からん感性の持ち主で面白いってぐらいで、いずれにせよホノボノとした話題提供にとどまり「あんのクソやろう負ければ良いのに」というような強い感情を引き出すにはほど遠い。どっかの部屋が分かりやすい超ドレッドノート級のヒールになり得る新弟子引っ張ってきてくれることを期待するけど、いまの相互監視で足引っ張り合う社会情勢からして、そんな危ない弾を仕込みたがる部屋もないだろうから、豊昇龍関には横綱になったからには、是非これまでの品行方正な行いを悔い改めて、叔父さんを凌駕するような公私におけるハジケっぷりを披露して、大化けして欲しいと願っている。そうなれば、偉大な悪者横綱として、豊昇龍は朝青龍の甥っ子と言われることはなくなり、逆に「朝青龍関っていう豊昇龍関の叔父さんも横綱だったんだよ」と言われるようになるだろう。是非その方面でも頑張ってもらいたい。優勝明け会見に遅刻してたみたいだけど、イイゾその調子で行け!豊昇龍。なんだったら相撲協会上げて豊昇龍関を”悪の横綱”として売り出すアングル(対立を煽るようなシナリオ)を書いたって良いだろう。取り組みで八百長は勘弁して欲しいけど、取り組み外の売り出し方ならなんぼでも工夫してもらいたい。相撲協会の広報担当におかれましては是非そのへんご検討願います。

 なにはともあれ、初場所豊昇龍関優勝、横綱昇進おめでとうございます。

2024年5月6日月曜日

あ~気持ちいい~!

 今日はアマゾンプライムビデオで、東京ドームでやるボクシング世界戦4連発。

 ワシ的には”足立区から来た”元k-1王者武居由樹選手のボクシング転向後8勝全KOだけど早すぎると言う声もあった世界挑戦がメインで、リングアナが紹介するのに息がよく続くなというぐらいのベルトと称号をもつモンスター井上選手が、言っちゃなんだけど日本人ボクシングファンは見たくもないメキシカンボクサーのルイス・ネリが闘うメインカードは”公開処刑したってくれ井上!”って感じでまあクイッとひねってくれるのをゆったり鑑賞させてもらえばいいと思ってた。

 武居選手は、序盤から独特の間合いでチャンピオンにペースを作らせず最後ちょっとピンチだったけど、逃げ切って戴冠。メッチャ気持ちいい。

 そしてワシ的には消化試合の井上VSネリ、日本の格闘技ファンがやってるの初めて見たけど、4万の観衆がネリにブーイング。アマプラボクシングの解説は軽量級だとワシの好きな長谷川、山中コンビなんだけど、ネリの何が嫌われてるかっていえば山中選手の最後2試合の相手だったけど、一回目はドーピング疑惑、二回目は計量オーバーというクソな野郎で昔もムカつくと書いたぐらいである。

 解説の山中さん、ブーイング起こって実況の人に話振られて、直接謝罪もあったようで、なんとも言えない感情が無いわけじゃないけど、今日は井上対ネリということに集中して解説する的な回答だったけど、ちょっと声が詰まってた。そりゃ4万の観衆が自分のボクシング人生にケチ付けた野郎に怒ってくれているんである。意気に感じるよね。

 で、武居戦までは観戦に集中したかったので、じゃましないように下で遊ばせてた愛猫も部屋に戻して、ゆっくりネコの毛並みでも楽しみながら見るかと、井上VSネリ戦観始めたら、1ラウンドいきなりプロ無敗日本人初パウンドフォーパウンド選出元バンタム級4団体統一世界王者現スーパーバンタム級4団体統一世界王者のモンスター井上尚弥選手、おそらくアマから通じてでも人生初らしいダウンくらって多分世界配信してるから世界中のPCの前で観てたボクシングファンひっくり返ったと思う。まだ1分以上あってよくしのいだという感じだったけど、ひょっとしてこれはまたも日本人にトラウマをネリの野郎が植えつけるのか?!と泡食って、変な声でて膝で丸くなってた愛猫もビビってるけど許せコバンそれどころじゃない!

 しかし、これがモンスターのモンスターたるところで、2ラウンドにキッチリダウン取り返してからは、ほぼ一方的にジャブ当てまくってボディーもフックも入り始めて公開処刑モード突入で一安心。6ラウンドコーナーに詰めてえげつないの2発入れてカウントいらずで試合終了。千両役者やのぅ。何回も最後のトドメ観てるけど気持ち良いったらアリャしない。コバンようるさくしてスマン。

 スポーツライターの山際淳司氏だったかが、軽量級の多い日本人ボクサーがメキシコから呼んだチャンピオンに返り討ちにされまくったので、国歌吹奏でメキシコ国歌のチャンカチャンチャンチャーンって感じのほがらかな旋律を聴くと嫌な気分になるって書いてたように記憶してるけど、もうちょっとでワシもメキシコ国歌嫌いになるところだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

 まあ、終わりよければ全て良し!メキシコ国歌も嫌いじゃないゼ!!

2024年2月3日土曜日

大一番

 先週末28日は大相撲の千秋楽と、ワンチャンピオンシップの日本興行と格闘技好きにはたまらん1日であった。感情移入しまくりで観るので疲れまくってしまい、急遽翌日は休漁にしたぐらいで、正直日程分けてくれと思ったぐらいだけど滅茶苦茶面白かったし、嬉しかったし悔しかったので良しとしておこう(これ書いてるのは1月29日です。)

 まずは大相撲、今場所の注目はなんと言っても先場所優勝の大関霧島の綱取りと関脇で爺ちゃん父ちゃん名力士の角界のプリンス琴ノ若の大関取りで、我らが膝痛仲間の星、横綱照ノ富士の怪我から復帰も注目されていて、その他にも若手の台頭もあり大いに盛り上がった。

 我らが横綱照ノ富士、今回の長期休場は腰の骨の故障ということで、膝に加えて腰まで壊して、横綱にはもうしわけないけどこりゃ引退も近いなとワシャ思ってしまった。場所前本人もいつ終わってもおかしくないつもりでという覚悟を語ってたので、前半戦早々に土が付き、取り口も危なっかしく必死で勝ち星を拾ってる姿に感動したけど本当に連敗したら終わってしまいそうでハラハラしていた。ところがそうやって必死で星を拾っている間になんか調子を上げてくるんである。千秋楽アベマTVの解説花田虎上氏(元横綱若乃花)は「本割りで稽古積んでる」とうまいこと言ってた。そして小兵の翔猿の張り手が目に入ったとかで珍しく土俵上で怒りをあらわにダメ押しかましたあたりで気迫も乗ってきて取り口も横綱相撲で「こりゃひょっとして優勝するんじゃないか?」って雰囲気が漂い始める。ちなみに翔猿前回対戦時も今場所でも横綱の弱点の膝を非情にも蹴手繰りで攻めてきて、前回のは多分総合格闘技とかをヒントにしたのか、ふくらはぎに近いような脛の後方側面を蹴る”カーフキック”っぽくて、相手の嫌がることをヤるという格闘技の生々しい怖さが見えて土俵に殺気が生じててゾクゾクさせてもらった。相撲ってなにげに足なら蹴っても良いし、頭突きまでOKという恐ろしいルールでやっている。

 で終盤、横綱2敗で単独トップ1敗の琴ノ若を直接対決で引きずり下ろして迎えた千秋楽、同じく2敗の霧島を本割りで一蹴して綱取り絶望に追いこんで、2敗同士で迎えた琴ノ若との優勝決定戦も横綱相撲で勝ちきって9度目の優勝おめでとうございます!優勝インタビューで腰の怪我について聞かれて「病気じゃないから、けがは痛いだけなので。」って答えてるのを聞いて、さすがにくぐってきた修羅場の数が違うなと感服した。二桁優勝が当面の目標だそうだけどそこまでは問題無くいけるんじゃないかと思わされる復活優勝だった。それでも文字通り満身創痍であり長く横綱を努めるのは望めないのかもしれない。でもいつ終わっても良いぐらいの覚悟を持って気迫こもった横綱相撲をとる照ノ富士関の相撲を最後まで応援して観戦していきたい。

 ちなみに、最近のワシの推し力士は金峰山関で、なんとカザフスタン出身。外国人力士に共通するけど遠いところから裸一貫でやってきて、文化も何もかも違う中での共同生活から始まって厳しい世界でやっていく根性に素直に尊敬の念を抱かざるを得ない。カザフスタンなんて行ったことある人間も日本じゃ少ないだろうからワシが応援したるけん頑張って相撲取りんさい。と思ってたら、首の怪我に加えて今場所で膝も痛めたようで調子崩して負けこしてしまった。膝痛仲間としても応援するけん諦めずに怪我直してまた勝てば良いきに。遠いところから来て怪我に悩まされてどん底に落ちても、それでもまた這い上がれるって、同時代にお手本となる横綱が居るんだからカザフ初の横綱めざして頑張れ金峰山。負けても良いからまた勝て金峰山。


 で大相撲が終わったら、こんどはアジア最大の格闘技団体である「ワンチャンピオンシップ」の日本興行が久しぶりに開催され、メインカードはキックボクシングルールで元K-1三階級王者の武尊選手が、なんとワンデビュー戦にしてタイトルマッチで対戦相手の王者は”キッキングマシーン”の異名をとるムエタイの猛者スーパーレック選手。5000円のペイパービュー視聴料も高くないぜアベマTVさん。

 ただ今回の興行はちょっとモヤモヤッとした流れを終始拭えなかった感じで、もともとメインカードは当初、超人気選手であるロッタン選手とやる予定だったのが怪我で対戦相手変更、加えてなんと総合格闘技ルール久しぶりでワン引退を表明している青木選手の相手は当日になって急遽変更という不可解な状況。

 というなかで、最初2試合は軽量級の総合格闘技の日本のエース格と新鋭が海外の強豪と闘ったけどどちらも判定負けとしょっぱい導入で、若松選手が久しぶりに良い勝ち方したのと、青木選手が勝ちパターンにキッチリはめて勝ったのは良かったけど、メインの武尊選手は3ラウンド目に追いこんで良い場面作ったけど判定は0-3で完敗してしまった。

 青木選手は、癖の強いキャラクターで、無礼で正直ムカつくところもあるけど、なかなか良いこと言ってたりするし、なにより世界相手に今回も見せてくれたように、勝つときは相手の打撃かいくぐって後ろとるか上とるかして関節技か絞め技でスッキリ決着させる気持ち良い勝ち方で、ずいぶん楽しませてもらった。最近打撃をかいくぐれずにボコられての負けが増えてて、去年など総合の試合が組まれなかったぐらいなので、最後良い勝ち方で終われて、お疲れ様でしたと言ってあげたい。

 武尊選手もワシ正直あんま好きな選手じゃない。ザ・マッチで那須川天心と戦ったのは2年前か?那須川選手の天才ぶりと好青年ぶりは好感持てて応援せざるを得ないけど、武尊選手の、試合中にラッシュかける時に笑うあざとさとかちょっと鼻につくとか、細かい所でワシ好みじゃない。ただ、ファンの期待とか彼が背負うモノがあまりに大きいので、今回の解説で和田選手が「ファンのためとかじゃなく武尊選手自身のためだけに闘ってもらいたいけど、難しいんでしょうね」というような感想を述べていて、全く同意する。ザ・マッチの時も武尊選手と那須川選手のどっちが好きかと聞かれれば、迷わず那須川選手なんだけど、なかなか対外試合が許されなくてやっと対戦が決まって、っていう経緯があってK-1の看板背負って重荷に潰されそうになってるのを知ってると、今回は武尊選手を応援するってなったのを憶えている。まあこの時も負けた。重圧があって追いこむから限界まで力を引き出せるってのはあるだろうし、絶大な注目を浴びて期待され応援されるから頑張れるってのはあるだろうけど、武尊選手はもうちょっと負けて注目と期待の重しを振り落としてから、肩の力抜いて闘っても良いんじゃないのって思う。素人の戯れ言だけどな。

 実は、ワンチャンピオンシップで日本人チャンピオンは何人か出てて、前述の青木選手を始め総合格闘技ではワシが知ってるだけでも朴選手やのび太選手、猿田選手もいた。残念ながら現役の日本人チャンピオンは居ない。でかつキックボクシングルールとムエタイルール、その以前のスーパーシリーズルールの”立ち技”での日本人チャンピオンは1人しかこれまで出ていない。今回の武尊選手敗戦でもイヤッちゅうほど思い知らされているけど、立ち技格闘技の世界でムエタイ選手の強さ層の厚さは尋常じゃなく、解説大沢さんをしてワンの立ち技は”鬼ヶ島”と言わしめるほどなんだけど、その鬼どもを成敗して”ワンスーパーシリーズ”バンタム級王者に輝いているのが秋元皓貴選手で、空手出身のタフさと手数で鬼ども切って落とすのは観ていて感動的だった。けど日本じゃあんま知られてないでしょ?世界3大格闘技団体の一つで、立ち技の軽量級の層の厚さではまず間違いなく世界一の団体のチャンピオンになってもYahoo!ニュースのトピックにはあがらんかった。武尊選手が負けても何本も記事が上がるってのが異常な注目度だとワシャ思うんじゃ。一部のスター選手の一挙手一投足にばかり目がいくのはどうなのよって天邪鬼は感じるのさ。

 なんにしろ、照ノ富士関優勝で上がりまくった気持ちは、武尊選手敗北でシュンとなってしまった。需要少ない格闘技ネタでスマンという感じだけど、ワシの心がジェットコースターのように上がって下がって書かずにおれんかったんじゃ。

 来週は久しぶりのPENNネタで封印していたお年玉企画もあるよ!の予定なのでスピニング熱患者の皆様お楽しみに。

 ※冒頭写真は、残念だったけど霧島関の綱取りにちなんで、「綱取あられ」なんていうしょうもないものを見つけてしまってたので、そのうち使おうと思ってた小ネタ放出です。普通この手のギザギザで捻ったあられは真ん中の「横綱あられ」って名前が一般的だと思うけど、商標権押さえられているとも思えんけど、他社に遠慮してか「綱取り」はともかく「小結」はちょっと遠慮しすぎじゃなかろうかと思ったり思わなかったりしております。

2020年12月27日日曜日

敗者にはなにもやるな?

  今回格闘技ネタです。年末のベストスリーネタの格闘技版をちょいはやいけど書いてみよう。

 格闘技は年内”年末興行”ってのが残ってるけど、まああれだああいうのはお祭り騒ぎで見世物でどうせ無料ネット配信は年開けてからとかなのでとりあえず無視しておこう。

 我が家にゃアンテナ立ててないので地上波放送が見られないけど、「RIZIN」はGYO!で後日配信があるし、アベマTVはそこそこ充実していて、国内老舗団体の「Kー1」「RISE」が立ち技系、「パンクラス」、「修斗」が総合格闘技、そして「大相撲」が視聴可能に加え、アジア中心に興行をうつ世界的な団体である「ONEチャンピオンシップ」が配信されていて実に良い感じに楽しめている。米国の総合格闘技の2大団体「UFC」「ベラトール」の放送権手放したのと「ミャンマーラウェイ」の配信が無くなったのは残念だけどアベマTVは良くやってくれている。引き続きプレミアム契約を更新することにしたい。

 でもって、本年のワシが見た格闘技の試合ベスト3の発表いってみよう。ジャカジャン。

 1位「那須川天心挑戦者決定トーナメント決勝:志朗vs鈴木真彦(RISE)」、2位「夏場所照ノ富士関優勝(大相撲)」、3位「K-1スーパーライト級タイトルマッチ:安保瑠輝也vs山崎秀晃(K-1)」

 となりました。1位は来年キックボクシングからボクシングに転向する那須川天心選手に最後にキックボクシングで挑戦する権利を得るために、那須川選手に負けた強豪でトーナメントを組んだ(一人欠場で代打は未対戦)という、なんというかすざまじいトーナメントの決勝戦で、いかに那須川選手が非凡な天才かというのを改めて思い知らされる興行だった。ワシのような素人目に見ても那須川選手はちょっと尋常じゃないようにおもう。なんぼ極真空手出身だといっても、試合で胴回し回転蹴り(浴びせ蹴り)を決めるかね?それも相手本場タイのムエタイチャンプだぜ?大山先生も草葉の陰でお喜びだろうて、とか片手をマットについてのハイキックとか”カポエラ”かよ?!って話でもう極真がどうこうではないわけが分からん強さがある。それでもその華麗な足技を捨てて、コレまで唯一土を付けられた経験がある”ボクシング”に挑戦するっていうところがまたマンガの主人公じみている。安パイで勝てる相手に泡銭稼いでるメイウェザーには爪の垢でも煎じて飲めと説教したい。あんなゲスを客寄せパンダで日本に呼ばんといて欲しいと強く思っている。でもってその挑戦権を賭けた決勝戦、どちらも那須川選手には負けているけど実力者で、特に鈴木真彦選手はアベマTVでRISEが配信されるようになってからは負けてないはずっていうか、那須川選手に負けて次からは無敗で準決勝で30連勝だったそうである。何度も勝利後のマイクパフォーマンスで那須川選手とやらせてくれと訴えていて、さすがにこれは最後にやらせてやれよと感情移入しながら、志朗選手に恨みはないけど応援しながら視聴した。結果素晴らしいカウンターもらってダウン一回、反撃実らず敗戦。なんというかいたたまれないというか、30勝しても努力して積み上げて全てを賭けても、それでも敗北は容赦なくやってくるという事実にあらためて、心の底から怖くなった。負けて得られるモノが無いとは思わない。そういう美しい物語が今回選んだ2位、3位に繋がっている。でも勝って得られる経験、賞賛、金銭、地位、名誉、悲しいことに比較にならない。那須川選手に負けてもONEチャンピオンシップで欧州の強豪サバスマイケルからダウンとって勝利した内藤大輝選手のように強くなって活躍している選手もいる、リベンジできなくても鈴木選手も強くなれるかもしれない、でもそうであったとしてもあまりにも厳しい現実だと、これが自分が生きている世界だと身を引き締めさせられる気がした。鈴木選手再度立ち上がって奮起できるのか?できなくても不思議じゃない打ちのめされかただとおもう。でも私は今年一番この試合にその敗者に心動かされた。「この世では不平等が平等に与えられる」とネットの賢者が書いてたけど全くもってその通りだと思う。だからこそ勝利には価値があり、賞賛するに値して、全てを賭けてもぎ取りに行かなければならない、そういう得ることが難しい勝利にこそ求めてやむにやまれぬほどの価値があると肝に銘じておきたい。

 2位は話題になったと思うのでご存じの方も多いだろう。大関経験者の照ノ富士関が膝の手術や糖尿病で”序2段”まで落ちて、一時は本人も辞めさせてくれと親方に泣きついたけど、親方の説得もあって奮起して再入幕。幕尻からの優勝という素晴らしい物語。序二段って物事のとっかかりを意味する”序の口”の次の駆け出しの地位でっせ。勝手に”膝痛仲間”として応援しながら見ていたけど、優勝決定したときには本当に良かったと胸をなで下ろした。アベマTVの中継見てたら、新大関朝乃山関戦前に解説の元力士とすれ違って「やってやりますよ!」と自信を覗かせていたとか。自分の力が発揮できるところに戻ってきて存分に相撲を取っている喜びに満ちあふれているようで見ていて元気づけられた。千秋楽前日、部屋の後輩力士である小兵の照強関が切れ味鋭い”足取り”の奇襲で朝乃山を破って援護射撃していたのも印象深い。その後の場所も好調で優勝争いに加わっていて、3場所33勝の大関当確の基準を満たすのも現実味を帯びてきた。欠場多くてそろそろ限界であろう横綱2人が引退した後に、強い悪役外国出身力士として場所を盛り上げて欲しいものだ。格闘技には良い”ヒール(悪役)”が必要だっていうのは何度も書いてるけど我が持論。日本人は判官贔屓なところがあって照ノ富士関は悪役になるには条件が悪いけど、なーにムカつくぐらい勝ちまくれば右効きの爺さんどもは手のひら返して罵声を浴びせ始めるだろうて。勝って勝って勝ちまくって欲しい。来年も応援する。

 3位は、格闘技好きには、これも照ノ富士関に劣らぬ”復活劇”だったよなと納得いただけるだろう。寝技無しのキックボクシング系の立ち技格闘技としては一世を風靡した「K-1」が経営状態悪化して、欧州のキックボクシング団体「イッツショータイム」に身売りして欧州で興行がうたれるようになり地上波放送もなくなって、それも消滅しただかなんだかで再度日本で軽中量級中心に興行をうつ「新生K-1」が立ち上がった。そのときに、山崎選手は最初の方から参戦していて、当時目玉選手としてタイから連れてきていた絶対王者と呼ばれるようになるゲーオ・ウィラサクレック(タイ人選手はリングネームの後ろは所属ジム名のことが多い、当初はフェアテックスジム所属)選手にハイキックで頭蓋骨陥没骨折させられ敗北、リベンジを期してのぞんだ試合ではゲーオ選手負傷欠場で代打でやってきたゴンナパ-選手に膝を壊されこれも敗北(というわけで”膝痛仲間”認定)、怪我もあって長く不調に沈んでいて、怪我から復帰しても、K-1の若手育成的な場所でもある「クラッシュ」という興行で実績的には格下と闘わされたりしていて、この人は怪我に泣いて栄光を見ることなく去って行く選手なんだろうなと失礼ながら思っていた。ところが膝の状態も良くなって本領を発揮し始めると若手とかとはさすがにモノが違って、怪我の多さからも分かるように”打ち合い上等”な感じで”黄金の拳”をぶん回したり空手仕込みのカケ蹴りとかの変則的な蹴り技も派手に繰り出して実に見ていて面白い試合でKOを量産し始め、すぐにK-1の舞台に呼び戻される。そして迎えたタイトルマッチ。宿敵ゲーオからベルトを奪った安保選手は乗りに乗ってる勢いのある王者で複数階級制覇も視野に老兵なんか眼中に無いというような舐めた態度。しかし試合は始まってみると3分かからなかった。山崎選手怒濤の猛攻で”黄金の拳”炸裂。ド派手にKOして戴冠。怪我で消えてく選手だなんて思っててスイマセン。良いもん見させてもらいました。脱帽。やっぱり膝が痛いぐらいは言い訳にはならんね。

 とまあ、なんちゅうか勝負の世界は厳しくてコロナ禍の中での興行で青木真也選手が「負けたくないヤツは闘うな、家に居ろ」ってなことを言ってたのがわりと的を射ているなと、闘わなければ負けることはないけど何も得られんぞと、思ったり思わなかったりした今年であります。そういう厳しい世界で膝痛仲間が活躍していると励まされたり、やっぱり厳しい現実を見せつけられたりすると覚悟を飲まされるような気がしたりもしております。来年はどんな闘いが見られるのか、金払って配信見ているパトロンの一人として期待してたのしく視聴していきたい。きっと名勝負がこれからも産まれ続けるだろう。今年闘った全ての格闘家に惜しみない拍手を送りたい。パチパチパチ

2020年4月25日土曜日

日本人の精神性は「欲しがりません勝つまでは」から変わっちゃいねぇんじゃねぇのか?

 我が家の”生け簀”こと近所の漁港に「釣り自粛」を求める看板が立ったことは、すでに”顛末記”でご報告のとおりで、まあ文句言ってもシャアないので渋々従うわけだけど、こういう人の楽しみを制限する側の人間の思考って、緊急事態だからって今回は言うだろうし、そうじゃなくても普段から安全面を配慮してとか、なんとなく正しそうな理由を錦の御旗に、正直制限かけたところで対した意味ねぇだろって状況でも、不要不急の”遊び”のことだから生け贄にして不満持ってる人達のガス抜きにでもなればいいやぐらいの認識で”いともたやすく行われ”ためらいもない感じがする。
 釣りごときに、人生のほとんどの情熱と、釣りしない人間からは想像できない時間を費やしてきた人間にとって、釣り場を奪われることがどれほどの苦痛で損失かということが全く想像できていないだろうと思う。当たり前だ、そっちが”普通”の感覚だもんナ。
 そのことは仕方ないと思っている。ワシが異端であり、迫害されてもなお求め続けて何とか釣りを楽しみ続けることが自分の聖戦だと思っているぐらいで、この程度のことどうにかできずにナニが”釣り師”だと思う。
 だから個別の案件として今回の近所漁港の釣り自粛については、いまさらガタガタ書くつもりもない。
 ただ、日本全体として「この緊急時に楽しいことをするなんて不謹慎である」っていう雰囲気が根強くあって、ホントに第2次世界大戦時の我が国の「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」とかと相似の精神性で、あいもかわらずまったくもって気色悪いったらありゃしない。
 今戦時下にも比べうるぐらいの非常事態だということは言っていいんだと思うけど、そういう非常時にこそ、我が国国民独特のいやらしい島国根性が露見してきて、「1984年」とかのSFに描かれた、気色の悪い監視社会型のディストピアが”ネットで晒す”って行為に代表されるような体制側でも何でもない一般市民の行いで顕現しつつあっておぞましいったらありゃしない。
 感染者の住所氏名特定して家に石投げるとか”島国根性の因習”と認定するに相応しい陰惨な行いだと思うし、営業停止を求められてた店が営業中なのを通報するってのはまあ”正義”様の行いなんだろうけど、それが行政機関に何百件ってくるってのは、あきらかにキチガイ沙汰だと感じるんだけど、そういう市民同士の監視・対立構造はもろに戦中の”隣組”だっけ、相互監視と連帯責任で自由を奪った気色の悪い仕組みが連想されて仕方ない。これ、体制側が煽ってるって部分はなきにしもあらずかもだけど、むしろ自然発生的だよねっていうのが尚更怖い。
 まあ、海外でも新型コロナウイルスが流行し始めた時に”欧米先進国”様でもアジア人差別があったみたいだし、我が国だけの話ってわけじゃないらしいのが救いようのないすくいだろうか。

 新型コロナウイルス感染症対策について、ワシごときが素人考えでどうこういう知識もないし、基本専門家やら政治家やらにお任せで、個別に腹立つようなことはあるけど全体としては、諸外国の状況やら対策やら見つつ、感染防止と経済活動を天秤にかけてというか利害ぶつかる人達の間で勝手にどっかで綱引きやって、この程度の対策になるべくしてなってるんだろうから、ほぼ人ごととして「頑張ってくれ」としか思わん。まあこんなもんでしょ。
 あと、医療現場の人とか生活必需品売ってる人やら運送業の人とかには当たり前だけど心底感謝する。もひとつ当たり前だけど、感染した人にはお気の毒にと思ってお見舞い申し上げるし、亡くなった方にはご冥福をお祈りする。

 そういう状況の中で、遊びで外に出るのは不謹慎だ、直接生活に関係ない娯楽に関しては経済活動もナニもかも自粛するべきだ、っていうイヤーな同調圧力を掛けてくる勢力があって、ワシャ真っ向からソレについては異議申し立てする。噛みつくから覚悟しやがれ!
 国中が非常事態になる事態の代表といえば戦争なんだろうけど、戦時中に花を作っていた農家が「非国民」となじられて、芋だの腹に溜まるモノを作るように指導されたけど、花を作ってた農家は「心にも栄養が必要なのに」って悲しんだっていうのが実話だか創作だか忘れたけど心に残っている。全くその通りだよなと思う。
 開高先生のエッセイでも市街戦とか泥沼の状況にあったベトナム戦争の時にも、攻撃が止むとどこからともなく市場には花が入荷して芳しいその花を市民達は楽しんでいた、って書きとめていたと思うけど、メシ食ってクソして死ぬだけが人生じゃなくて、美しいモノや楽しいことを享受してこその人生で、それは非常時だろうがなんだろうが、むしろそういう時こそ必要なんじゃないかと思う。
 感染爆発してどうにも奈良漬けの正念場の短期決戦ならともかく、現時点の日本での新型コロナウイルス感染症についてはイタリアで起こったような極端な医療崩壊も起こしておらず、アメリカのような感染爆発もまだ起きていない。運が良いだけで今後そうなるかもしれないけど、ワクチンとか治療方法が確立するまでながけりゃ数年の間、感染数0に抑えるなんてのは経済活動0にするわけにいかないし、北センチネル諸島でもなきゃ現実的じゃないから、それまでいかに爆発的感染拡大を起こさずに医療崩壊を回避して死者や感染者数を抑えて、かつ経済的な打撃もなるべく少なく済ますっていう長期戦なんだろうと素人でも分かる。そういう長期戦では息抜きもないと人間もつわきゃない。

 なにも、この疫病流行時に観客集めてお祭り騒ぎしろって言ってるんじゃない。スポーツが無観客試合になったり、コンサートツアーとかが中止になったり、夜の濃厚接待のあるお店が営業自粛を求められたりは申し訳ないけど仕方ないと思う。でも、人混みに行くわけでもなく、たいして感染の危険度もない、例えば気晴らしに出かけて人と接しないで帰ってくるようなサイクリングだの散歩だのまで自粛せにゃならんのかね?
 今の状況でも楽しいことを諦めないっていうのは絶対大事。
 今どきならスポーツとか音楽とか観客入れずにネット配信で有料にして儲けるってのは良いジャンって素直に思う。自宅待機で娯楽に飢えている人々の需要はあるだろうしダレも困んねえジャン。
 だから、まさに私めもお金払わせてもらっているアベマTVで先日「ロードトゥワン2」という格闘技の興行がネット配信のみで無観客で行われたので、やっぱめざとい人はいるんだなと諸手を挙げて歓迎して視聴させてもらった。
 ところが、実況の人もずいぶん説明に時間を掛けていたけど、無観客でさえ格闘技の興行を行うことにずいぶんと「賛否両論」あったようなのである。
 そら格闘技だから、濃厚接触は発生するけど、そんなもん事前に医師の検査とかである程度の安全性は確保するんだろうし、選手審判以外の人間は防護服に身を固めた物々しい出で立ちで、別の場所でモニターしてる解説の大沢さんと実況担当の人も長机2つ使って距離を離して中継していた。
 現時点で取れるべき対策を全て行った上で実施しています、という説明だったけどそこまで物々しく大仰にしなければ許されない状況なのかと強烈な違和感を感じた。
 テレビドラマとかも撮影中止しているとかネットニュースの見だしで目にしてたけど、その時はドラマなんて見もしないので関心がなかったけど、よく考えたらドラマ撮影ってそんなに不特定多数が濃厚接触する現場なんか?多分違うだろ?なんかあったときに叩かれるし、何もなくても視聴者様に「ドラマなんて必要不可欠でもないだろうけしからん」って叱られるからやりたくねぇって話だろうという気がしてきた。根性ねぇな地上波TV局は。
 そう思うとネットTVならではの自由さと挑戦性を遺憾なく発揮したアベマTVは立派だと褒めてつかわす。アベマTVは番組表の時間割り通りの放送は基本無料で視聴できるけど、ワシャ後からでも視聴できるプレミアム会員様であり会費払ってるけど、こういう挑戦にワシの払ろたお金が使われるっていうなら誇らしいぜ。今後も金なら払うんで頑張ってくれたまえ。
 試合自体は、コロナ禍で興行がなくなって試合中止になった選手とかを引っ張ってきたりしてて、急ごしらえ感があってショボい試合もあったけど、格闘技の試合なんて過去の試合以外しばらく見られないと思ってたので”時価”的に価値のある放送だったと思うし全体的にはとても面白くて楽しめた。
 最後、メインイベントを戦った、今回の仕掛け人らしい青木選手が試合後マイクを取って「オレは死んだって良いんだ、死にたくないヤツは家にいろ、負けたくないヤツは戦うな、でも生きるってことは目の前にあることと戦うってことだろ」って覚悟を語ってて、この人正直ちょっと嫌いな選手で、独善的なモノの言い方とか考え方とか、そういう”悪役”っぷりが売りなんだけど、今回の言葉には正直感動させられた。
 彼にとって格闘技がそうであるように、ワシにとっての戦いは”楽しく釣ること”だよなと凄く共感できた。
 たぶん、ネットとかで「今格闘技の試合”なんか”やってるときか?感染の確率0にはできないなら不要不急のことをやるべきじゃない」とか”社会正義の戦士”様にさんざん攻撃されただろうことは想像にたやすい。
 格闘技”なんか”、釣り”なんか”って口にする輩は、じゃあオマエらナニが大事でなんだったら必要だって思うんだ?経済か安全か健康か?そんなもんワシャ経済”なんか”感心ねえし、安全も健康も、最悪売れるなら売っぱらってでも「釣り」で手に入れたいモノがあるぞ。自分の大事に思うモノが一般的で共通認識を得やすいからって、少数者のやむにやまれぬ情念を一顧だにせず踏みにじって良いってもんじゃねえゾ。っていつも怒りを覚える。
 今回の興行は、そういう少数者である格闘技好きのためにやってくれて本当に良かったと賞賛する。もちろん感染のリスクはある、選手一人が死ぬ覚悟があるからといって、感染した選手が死ぬまでに他の人にうつす可能性を考えれば社会的には危険を含んではいたと思う。それでもなお、可能な範囲で感染の危険を避ける対策を取って、私のような格闘技ファンに楽しく興奮する時間を提供してくれた功績は大きく、危険の小ささと楽しさや利益の大きさを比較すれば、現在の状況であればこのぐらいは認められて良いと思う。この程度のことが許されないほどまだ切羽詰まっちゃいないって思ってる。
 正直、数日後どうなってるのかさえ分からん今の状況で、危険度が大きい”お楽しみ”は我慢するとして、まだそれ程危なくない遊びは楽しんでおかないと、ナニもしないうちにナニもできなくなっちゃうよって思ってる。
 要するに程度問題で、アホみたいに自粛すりゃ良いってもんじゃねえでしょ。様子見ながら行けそうな所までは行ってみようよ。その時の”程度”の見極め方にアンタの品格が問われるってところだろ?
 巣籠もり中に室内でできる暇つぶしを考えて、写真や動画撮ってSNSに上げてみんなで楽しむとかいう、とても正しく非の打ち所なく推奨されるようなことができる限られた”エリート陽キャ”様もいるんだろうけど、ワシらみたいな”底辺陰キャ”にゃそういうのはちょっと難しいンですわ。ワシ”釣り”取り上げられたらその場で干上がるような粘着質に執着してる依存症的な人種なんでね。やれるようにヤるしか仕方ないよね。あんまり人様に迷惑掛けすぎないようにはするけどお下品に好きなようにやらしてもらいまっさ。

 安全・健康とかを至上の命題のように掲げて怪我しないように長生きするように、危険を冒さず旨いモノも食わず、ストレスも避けて生きてる人間の人生って、ナニがおもしれぇんだろう?って常々疑問に思っている。いつもそういう人間の主張を聞いたり目にしたりする度に「コイツら、安全に健康に管理されて出荷される家畜と同等だな」と心底バカにしている。家畜なら黙って与えられた飼料だけ食っとけ。人様にエラそうに同調圧力かけてくんな。

 人間が本気になれるのは遊びと危険だけだそうである。絶望の中にもヒリつくような快楽が潜んでいるそうである。
 危険をさけて、なにも対価を支払わず、そのくせ何かを得ようだなんて虫が良すぎるって話。

 チョットぐらい不謹慎なことも楽しもうぜみんな。なにかちょっと犠牲にしてでもさ、っていうのが今回の私の言いたかったこと。異論はあるだろうけど、反論しにくい”正さ”ッポイ何かを掲げてモノを言ってくる声のデカい馬鹿にネットの隅っこででも抵抗しておく人間が居た方が良いと思って書いちょります。

2018年8月12日日曜日

夏なのでパンツいっちょの漢のはなし

 猛暑日の炎天下は危険が危ないので図書館でお勉強しているか、エアコン効いた部屋でグダグダとしている。朝夕夜に活動しないと身が持たぬ。

 部屋でグダる時は、ネット配信の「アベマVT」が暇つぶしとして超有能なのはコレまでも紹介してきたとおりで、格闘技の放送とかマニアックなところから日本の老舗団体の興行から、見るモノ沢山あって嬉しい。逆に「DAZN」はUFCの中継以外のボクシングとか日本語解説なしなので、見ていて今一盛りあがらず、実質月に1度か2度ののUFC見るためだけに契約していて割高になっている。

 「アベマTV」もどんな番組が視聴者にウケるのか試行錯誤中なようで、放映権料高い割に視聴数少なかったりすると容赦なく整理されてしまう。米国2番目の総合格闘技団体「ベラトール」の放送はもうしてくれないのだろうか? ヒョードル選手とか出てたりして往年の名選手の活躍の場になってたりもする団体なので観られないのはちょっと残念。

 でも、逆に面白い企画が始まったりしてなかなかに面白い。「QUINTET」「格闘代理戦争」とかすんごく面白かった。
 「QUINTET」は柔術系の大会なんだけど、柔術の国際大会とかも配信されているときあるけど、正直つまらなくて決勝とかだけ観るかんじである。負けないように守りに入っているのか技が決まらなくて判定決着が多いし、打撃なしなので技自体がわかりにくくて攻防が地味だしで、よっぽどの玄人じゃないと楽しめないと思ってたので、桜庭和志選手の発案らしいけどどうなのかなと、あまり期待せずに視聴した。
 めっさ面白いんでやがんの!
 ルール設定が「その手があったか」と感心するぐらいに上手くて、関節技や絞め技がバンバン飛び出すし、勝負の行方も最後までハラハラだし、戦略性のある作戦も見所だし、さすがMMA世界殿堂入りの桜庭選手、全盛期IQレスラーの異名を取った頭脳派である。ナニをやっているのかというと、5人チームで「抜き試合」をやって引き分けると両者退場で、勝ったときだけ残って次の対戦相手と闘い、どちらかのチームの最後の一人が負けるまで闘うという団体戦。選手は引き分けると敗退だから勝つために積極的に技を仕掛けるし、体重差があってもハンデ付けて闘うしで、どう敵のエースを止めるかとか、見所充分でかつ桜庭選手始め有名どころや柔術界の猛者も呼んできていて、柔術家とかここで勝たずになんとすると気合い入ってるし、呼んでもらえた若手とか光栄に感じているようでチームの勝利に貢献できなくて涙してるシーンもあったりして、とにかく暑苦しいぐらいに盛り上がってて素晴らしい。好評のようで第3回まで行われたところだけど、1回目の所英男選手の腕十字が決まったときは心底嬉しかった。それで負けることはあるにしてもあの思い切りの良さが所選手の魅力である。決めるべきところで決めてくれた。第4回以降も待ち遠しい。

 「格闘代理戦争」はUFCにも「タフ」とかいう若手育成のイベントがあって人気番組になってるらしいけど、その日本版で1回目は優勝したら賞金とK-1契約、2回目は賞金とワンチャンピオンシップとの契約。で「代理戦争」ってぐらいで、過去の名選手や現役選手が若手を推薦して金の卵を探すというトーナメント戦。
 これが、仲の悪い有名選手間の舌戦やらもお約束的に盛り上げつつ、それぞれ若い選手が夢を目指してここ一番の機会を手に入れようともがくさまが、そのひたむきさ純粋さが胸を打つ。2回目の決勝で負けた選手が、完全に魂抜けて控え室戻るまで顔をあげられなかったのをカメラが追ってたりして「コレですべてが終わったわけじゃないんだヨ」と声をかけてあげたかったけど「コレにすべてをかける」と挑んだ結果の敗退を彼はどう受け止めていくのか、難しいヤね。仕事も辞めてきたそうだけど「地下格闘技」にも出てたとか紹介されていて今アニメやってる「バキ」みたいなのを一瞬想像したけど、アマチュアバンドのライブみたいに、会場借りてお客集めて一杯飲みながら格闘技が見られるという素人興行があるらしい。恥ずかしながら初めて知った。
 あと、山本KID選手が首の怪我の関係なのか激痩せしてて心配だ。指導者としては選手時代のやんちゃな姿とは対照的になかなかに理論派であり後身も育ってきているので、しっかり治療して名伯楽になって欲しい。

 「格闘代理戦争」とも連携していることからも明らかなように、アベマTVはアジア最大の格闘技団体「ワンチャンピオンシップ」を推していくようで、過去の日本人選手名試合特集とかもやっている。日本人選手も結構出場しているのでアベマTVでも以前から放送していたので観ていたけど、最近日本人選手なかなか勝てないのよね、頑張って欲しいところ。アジア各地を回って大会開催していて、ルールも独特で総合では四つん這いの選手への膝蹴りOKとか、ケージの中で薄いオープンフィンガーグローブで闘うムエタイルールの試合とか過激で迫力ある。ムエタイの有名どころとか良く上がってくるけど強すぎる。
 というような過激さももちながらも、選手の健康管理も真面目に考えていて、計量時に「尿比重検査」というのを2016年から導入しているそうで、あんまりカラカラに水抜いて計量に上がると失格してしまうようである。水抜いて落とすつもりが軽量失敗とか散見されるなかで、なかなか先進的な取り組みで感心した。これからも楽しみに視聴したい。世界一のUFCがなんぼのもんじゃ、アジアにも面白い地域団体有って盛り上がってまッセ。 

 最後に、格闘技ネタに付き合ってくれた読者の皆様に、面白い格闘技マンガと書籍ベスト3を独断と偏見で選んで紹介しちゃいます。ジャカジャン。 

○ナマジ的格闘技マンガベスト3
1位「拳奴死闘伝セスタス」、2位「帯をギュッとね」、3位「ホーリーランド」
 「セスタス」はローマのネロ皇帝の時代の拳奴の闘いを歴史ネタもちりばめつつ描く隠れた名作。師匠ザファルの勝負哲学に痺れる。
 「帯ギュ」は往年の少年サンデー人気柔道マンガ。柔道という汗臭そうな題材なのにちょっと小洒落た青春群像劇で恋あり笑いあり、でも熱いゼ。
 「ホーリーランド」はいきなり作者が自身の経験から解説を始めるというのが妙なホント臭さを醸し出していた路上格闘モノ。 

○ナマジ的格闘技本ベスト3
1位「世界喧嘩旅」、2位「人間処刑台」、3位「空手道ビジネスマンクラス練馬支部」
 「世界喧嘩旅」は抱腹絶倒驚天動地の破天荒な漢、大山倍達総帥の強いヤツに会いに行く旅路。
 大石圭「人間処刑台」は多額の掛け金が動き、時にリング上で死者も出る何でもありの「地下格闘技」の世界で闘うモノ達の群像劇。描写がグロいけど闘うモノの純粋な有り様が落差で美しい。
 「空手道」は漠先生の異色の格闘技モノでサラリーマンモノ。世界一とか目指さない人間にもある「強くありたい」というそれぞれの闘いに共感。

 そういえばお薦めされてたボクシング小説「BOX」まだ読んでないな。他にも面白い格闘技モノとかあったら教えてネ。

2018年4月29日日曜日

錨野葡萄

 なんちゅうか、自分の価値観に相容れないからといって憤ってエラそうにさも自分が正しいかのような意見を書いてる人間って、今も昔もいて、昔なら新聞の投書欄で「いかがなものか」とか世を憂いていたのが、今ならネットで匿名で好き放題書けるのでさらに増長している。かく言う私も、少年の日に新聞読みながら「こんな口だけのクソみたいな大人にはなりたないナ。世の中に不満があるなら自分で変えろ、それが嫌なら耳を目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。」とか思っていたのに、おやじみたいな酒飲みなどにゃならぬつもりがなっていた感じで、怒りにまかせて当ブログでコンクリやら原発やら高い道具買わそうとしてくる釣り具業界やらに憤ってしまっている。いかがなものか。

 でも、今なら投書氏の気持ちも分からんではない、怒りを腹にためるぐらい気分の悪いことはないと、千年前のエッセイストも書いている。
 今この瞬間(書き始めたら長くなって既に数日前だけど)私がなにに怒っているかというと、動画配信サービスのNetflixについてである。かのサービスについてはちょっと前にベタ褒めしたように、作品の品揃え料金の安さ、オリジナル作品の質の高さどれをとっても申し分なく満足している。
 ただ一点のみが歳食ってキレやすくなった私の神経を逆なでする。「せっかく視聴後の余韻にいい気持ちで浸っているのに、勝手にエンディングを省略しようとするな!」ということである。なんか設定変える方法あるのかもしれないけど、よう見つけん。「ひそねとまそたん」のエンディングをワシがスキップすることはない。断じてない。むしろエンディング楽しみで観てるってくらいなのに、いきなり画面小さくなって一定時間以内にその画面をクリックしないと、次のお勧めアニメに飛んでしまう。映画好きはエンドロール中に席を立つ客を苦々しく思うらしいけど、映画好きのようにカメラマンが誰かとか、特殊効果は誰かとかオタクな感じに楽しみながら余韻に浸ってるわけじゃないけど、アニメのエンディングってなにげに趣味の良さが現れるもので、オープニングはそれで視聴者の心をつかまなければならない部分もあって、割と気合いは入りつつも王道路線で手堅く作られることが多いけど、エンディングは比較すると力が抜けてるというかぶっちゃけ予算掛かってない感じで同じ動きの繰り返しを使ったりが定番だったりするんだけど、それ故に遊べる余地があるようで作り手の感性だの上手さだのが出ちゃうんである。例を出すなら古くてごめんだけど「キャッツアイ」のエンディングなんて絵的には三姉妹がシルエットでワンツーワンツーって踊ってるシーンの繰り返しでたいして作画苦労してないはずだけど、なんちゅうかある程度以上の歳の人間ならこの例えでばっちり私の言いたいことが伝わるはずのエロ格好良くて良い塩梅の印象的なエンディングになってるんである。

 怒りついでに、最近腹にためていたものをみなぶちまけてしまおう。ワシは結構怒りっぽいうえに根に持つ暗い性格である。ずいぶん前にも書いたけど、スーパー行く途中の押しボタン信号に待たされるのに、いまだに地味にムカついている。大きな通りの信号なので、歩行者が押したからといって、車の流れをぶった斬らないように前後の信号とタイミングを合わせているのは理解している。だったら、前後の信号赤になった段階でポチッとしたら、信号変えて速やかに車止めて渡らせてくれよ。次の赤信号の時まで何で待たせるんじゃ?年寄りとか渡るのが遅い歩行者にあわせてあまり短い時間だけ青信号にするというのはないのはアホでも分かるが、十分時間ある段階で押してるのに車行かせてどうすんねん、次の信号赤やぞ。いかがなものか。

 ハクボイルのシーバスにも正直ムカつく。ちんまい餌ちまちま食いやがって、そんなんじゃデカくなれんぞ、もっと豪快に何でも食っとけや、こっちも妥協してちんまいルアー投げてるのになに無視してくれてんねん、ワシの投げるルアーは食っとけや。いかがなものかと思う。

 しょうもないニュースの多さにもうんざりしている。さすがにここ数日はヤフーニュースの見出しにも南北会談関連が多く並んでいるけど、正直芸能人の不祥事とか全く興味ないので、普段見出しがそんなんばっかりということは、それだけ読まれているんだと思うと、いかがなものかと思う。芸能人って、そういう商売だから不始末起こせば法的な裁きを受けたり責任とったりの他に記者会見して謝罪せねばならんだろうしってのは理解してるけど、正直言って他人の不倫とか、自分が迷惑かけられたわけでもない酒の席でのお痛だとかに興味が持てて、責め立てられる人々のものの考え方が理解できない。関係ないやんケ。それを大したことないことで延々とつるし上げて、そら悪いことは悪いんだろうけど、おまえらみんな清廉潔白、罪人に石を投げて良い身分なのかよと気分悪くなる。この点はキリスト様に同意したい。汝の隣人を許さないと、自分も許してもらえないんだゼ。社会全体、がっちがちに監視されて断罪されるSFじみた気色の悪い状況になってて気持ち悪い。
 ヤフーニュースの良いところは、そういう「みんな」が読みたがってる記事の他に「あなたへのおすすめ」記事が表示されてきて、そういう記事しか開いて読まないので「深海タコがあり得ない場所で産卵」とか「<ツチノコ>捕獲賞金129万円に 岐阜で今年もフェスタ」とか私の好きそうな記事が毎日読めるので楽しい。ヤフーに洗脳されないように気をつけなきゃかもだけど、知りたくもないようなニュースに付き合わなくていいのはありがたい。

 生き物関係のほかには格闘技関係の記事もおすすめされてくるけど、最近怒りを覚えるのが減量失敗の多さ。これはボクシングでも総合格闘技でもキックでも世界的にみられる傾向で、明らかに何かおかしなことになっている。先日のカンムリワシ二世の件は心底がっかりしたし、山中選手のダイレクトリマッチはそれ以上に腹立たしくて仕方なかった。
 往年の名選手が最後衰えて負けてリングを去っていくのを目にするのは辛い。それでも全力で勝ちにいってあがく姿には負けてもなお美しい敗者の美学があると思う。どんな名王者でも衰える時はくる、見ている方としてはもうやめてくれ晩節汚してくれるなと正直思うけどそれでもリングにあがる場合が多い。3階級王者長谷川穂積選手の最後の試合とか、本人も勝っても負けても引退と表明してたぐらいで限界を感じてたんだと思う。正直勝てるわきゃないよなと思いつつそれでも彼が死にものぐるいで立ち向かいそして負けて引退するところまで見なきゃならんなと見ていたぐらいだけど、相手血塗れでコーナーから立ち上がらずTKO。最後に帯冠して終わるという、見たことないような勝利もこの世にはあると思い知らされた。あんな奇跡のような勝利もそれをたぐり寄せる素晴らしい漢もいると知れば「最後まで勝ちをあきらめるな」というありきたりな言葉にさえ輝くような価値が湧いてくるというものである。
 でも普通は最後負けてリングを去る。それでも最後まであきらめずに全力を尽くす背中に人は感動もするしその背中に拍手を送り、寂しさを感じながら、彼が成し遂げてきたすばらしい闘いに感謝する。
 山中選手は最後負けてリングを降りるにしても、そういう敬意と拍手を持って送られるべきボクサーであった。それが最後の2試合を汚されて正々堂々と全力で闘う場を奪われたといっていい。1回目のドーピング疑惑もたいがいだったけど、2回目の減量失敗とかもう最低としか言いようがない。ボクシングって体重別だからちゃんとした試合としては成立してないじゃん。それで負けて引退、って後味の悪さがどうにもならない。いかがなものかどころじゃなくてふざけんなといいたい。
 減量失敗の多さにはアベマTVの総合格闘技解説者の大沢さんもおかんむりで、普段は気の良いあんちゃん的な楽しい語り口なんだけど、けっこう厳しく批判していた。と同時になぜ選手が減量に失敗するのか、その背景的なところも自身が選手として闘い引退した現在は指導者でもある立場から説明してくれていて、なるほどそういう事情もあるのかとこれまたためになる解説ぶりなのであった。
 大沢さんの指摘するところでは、計量が当日の朝から前日計量に変わったことが構造的な要因の一つになってるんじゃないかとのことだった。前日計量にしたのは、試合の直前までギリギリの減量をして消耗した状態でリングに上がって力石のように力尽きた選手が実際にもいて、それはまずいということで一晩回復する時間を設けようということだったのだろうと思う。一晩で鍛え抜いた選手の状態は劇的に回復するそうで、過酷な減量で落とした体重など数キロも戻るらしい。そう、体重が数キロも違ってくるのである。
 格闘技で体が大きく重い方が有利なのは、階級別じゃない相撲取りがちゃんこ食いまくって体を大きくするのに腐心するのをみれば分かるように明白で、だからこそ昔の柔道の無差別級に中量級の選手が出てたのとか、今は危ないからやらせないのかもだけど盛り上がりまくったと記憶している。古賀選手とか吉田秀彦選手とかの時代ね。
 当然前日計量後に体重が増やせる余地があるなら、増やして有利な体の大きさを手に入れたい。とはいえ腹に食い物詰め込んで重量あげても腹打たれたらゲロあげるだけで意味がない。じゃあどうするか、水分とか限界まで絞って減量しておいてリバウンドで体重増やすということがやられているようなのである。そんなことやったら計量時にはとても試合できるような体調じゃないだろうけど、一晩回復の時間があるのでとりあえず前日計量パスすればいいということで無理な減量をする傾向にあって、相手がするなら自分もしなきゃ階級上の相手と戦うような不利になる。かくして不毛な減量合戦の様相に突入し、減量失敗という対戦相手にしたら馬鹿にするナっていう話だし、失敗した本人にも出場停止処分やら違約金やら王者ならその剥奪やらとデカい制裁が下されて、興行側は商売あがったりだろうし、観客視聴者も興ざめこのうえない、誰も得しない事態が構造的に発生しているようなのである。
 構造的な問題を放置しておいて、減量失敗した個人や所属団体に厳罰を与えるだけでは今後も同様の問題はなくならない。なんらかの対策を講じない連盟だのなんだのの競技団体の怠慢はいかがなものか。原発問題でもそうだけど、実際に問題何回も起こってるのに抜本的に間違ってると気付かないで小手先の場当たり対応しかしない無責任な人間のモノの考え方ってどうなってるのか心底疑問である。日本人ってそこそこ生真面目で几帳面な性格してると思うけど臨界事故2回もやってるジャン。東海村なんて臨界事故の後も不祥事結構あったジャン。統計学で低い確率の事象も充分に長い期間においては必ず起こるという基礎中の基礎があるけど、日本の原発のちっちゃいお漏らしまで含めた事故の確率って全く低くもなんともなくて、今後も稼働したら絶対あるって自明だと思うけど、テメエの生きてる間は自分ちが汚染されて住めなくなるようなデカいのはないだろうと、何の根拠もなく楽観視してるというぐらいの感覚なんだろうか?全く理解不能でいかがなものか。
 話それたけど、じゃあどうすりゃ良いかというと難しくて、当日計量に戻すのは人死に出るぐらいなら今の方がマシだろうから論外でと考えると、手間も掛かるし科学的な知見も技術も必要なんだろうけど、全試合じゃなくてもランキング上位者の試合とかだけでも、契約時の健康診断と同時に体の骨の重量をなんか今時の高性能な調べる機械を使って調べて、この階級で出られるのは骨の重さ何キロまでですとか事前チェックする基準を設けるとかどうだろう。無理な減量しなけりゃその階級に体重落とせそうにない体格の人間はその時点で弾いて契約させずに上の階級に転向させる。歯ぐらいは抜けるかも知れないけど骨はさすがに短期間で増減させることはできないはずで固定的な体の大きさを比較する基準として割と良いんじゃないだろうか。マークハントの頭蓋骨にみられるように人より骨太な人は若干不利かもしれないけど骨太なやつは強いだろうからそんな不利にはならんでしょと思う。いかがかな?

 でも、なんといっても私が腹に据えかねてるのはやっぱり水辺をコンクリで固めまくるヤツらに対してであり、先日の正治さんとの釣りの道中でも「仕事辞めることになったら、環境テロリストになって無駄なダムとか防潮堤とか墓石てまわりたい。ノーベルさん謹製の黒い粉の詰まった筒とか仕掛けてファイヤー!って叫びながら牙苦装置ポチッと押して、チュドーンってなったら心の底から気持ち良いだろうな。動画撮ってUPしてユーチューバーにもなりたい(官憲どもの監視を逃れるために検索しにくいように一部ワザと変換ミスや婉曲な表現を使用しています、読みぐるしくてスイマセン)。」とかアホなことを言って苦笑された。まあ、今のいたる所に監視の目がある中で証拠残さず完全犯罪は無理っぽいので逮捕されて職場から親類縁者にまでとんでもないご迷惑をかけることを想像すれば、そんなアホなことはできるわけもないけど、なーに官憲から今のところ逃げ切ってる強者もいることだし、やってできんこともないだろうという気もする。欧米の先進国では操業中の捕鯨船沈めるような環境テロリストに支援者が金を出すぐらいだ、日本でもそういう過激な環境テロリストの先駆者にワシがなれば良い。
 作りっぱなしで次々と埋まっていくので延々と追加して作らなければならないという、構造的にコンクリ屋が儲かるためにあるような砂防堤などチュドーン!海が見えなくなるような醜悪な高さの防潮堤なんてチュドーン!N川河口堰をチュドーン、I干拓ギロチン堤防をチュドーン!チュドーン!チュドーン!!ついでに原発も止めざるをえなくなるように原発前の防波堤とかもチュドーン!と全国津々浦々謎の環境テロリスト”ナマジ”が恐怖と戦慄をまき散らすのである。もしニュースでそういうチュドーンな事件が流れたら「やったのか!!ナマジ!!」と思って欲しい。
 でも、この夢が実現したとき最大の支援者はコンクリ屋になるだろう。なぜなら壊れたら直す仕事が降ってくるからである。かくして崇高な理想に燃えてテロルに手を染めたナマジは体制側の巨大な欲望の歯車に組み込まれ、牙を抜かれて犬になりさがるのであった。いかがなものか。

(こういう腹が立つことを、妄想の中で、非合法な手段使ってでもブッ飛ばしてスッキリしたいというような話を、現実と混同して目くじら立てるのはいかがなものか。)

2017年12月7日木曜日

物理で殴ればいい!って時代じゃないのかねェ?

 相撲が盛り上がるためには良いヒール(悪役)が必要だ、というのが持論である。

 なので、実質一人で悪役を引き受けている形だった白鵬関が取り組みでは荒々しいところも見せているけど、土俵外では巡業中後輩の披露宴に出ようとして非難を受けるとか、言いがかりとしかいえないようないちゃもんつけられるぐらいガチガチに監視管理されてて今一大人しいので、公傷休業中にサッカーやってたりしたやんちゃな朝青龍関ほどは悪役として迫力が足りんなと嘆いていたところ、今回の日馬富士関の騒動が起こって、土俵の上では小兵ながらも誰よりも低く突っ込む立ち会いの抜群の速さと技の切れでお手本となるような横綱が、土俵下では酒癖悪くて生意気な後輩ビール瓶でドついたとか聞いて、正直拍手喝采を送ったところだ。
 しかも、白鵬関と仲が悪いことは相撲ファンには周知の貴乃花親方が、出るとこ出る的な、なにやら画策している気配もしてきて、もう、そういう土俵外のドロドロの遺恨とか騒動って他の格闘技じゃむしろ歓迎されてるぐらいで、プロレスじゃワザとそういう構図を作り出してみせるのを示す「アングル」という用語があるぐらいで正直メチャクチャ期待した。
 今年格闘技界最大のビックイベントはコナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーだったけど、なぜあれだけ盛り上がったかといえば、両選手が悪役として超一流の人気選手だった上に、試合前からこれでもかっていうぐらいにSNSから各地を回っての共同記者会見からで「アングル」的に煽ったからというのがあったと思う。試合前の記者会見で優等生どうしが「お互いベストを尽くしましょう」とか握手したって盛り上がるかよと、「ザ・ノートリアス(悪名高き)」マクレガーが「お前なんか3ラウンド以内に倒してやる」と罵れば「マネー(銭)」の異名をとるメイウェザーが札束鞄からまき散らしながら「オレはお前と戦うために練習なんかしないし負けるわけがない」とか悪態つきまくるからこそ、互いのファンは頭に血管切れるぐらい血がのぼって応援にも気合いが入ったというモノである。大方の予想通りマクレガー負けてオレは悔しかったけどメチャクチャ盛り上がったし楽しめた。
 なのにどうなのよ、日馬富士引退って幕切れは。一番つまんねェ落としどころだろと。

 まあ、被害届出されて書類送検されてしまえば、傷害事件には間違いないだろうから引退は当たり前っちゃ当たり前だけど、そうならないようにグニャグニャッと貴乃花親方を丸め込んで被害届引っ込めさせてうやむやにして、うやむやにしたことに対する批判も注目が上がる好機と喜んでほくそ笑むぐらいの清濁あわせ飲む黒幕的な仕掛け人が相撲協会にはいないのかね?
 すっかり悪役軍団と化した主流モンゴル軍団とドロドロの対立関係となる貴乃花部屋、そしてどちらに付くべきか基本的に気が小さいので判断しかねる他の日本人力士の力関係やいかに、的な構図の中で本割りで日馬富士関と高ノ岩関の直接対決とか来たら、クソ盛り上がるのにと下世話に思う。
 日馬富士いなくなって、残るモンゴル出身横綱鶴竜関は見た目が悪役向きじゃないホンワカした癒やし系でそもそも休場多くてってなると、白鵬関一人じゃ多少荒ぶったところで今まで通りで正直飽きてくる。白鵬関いうてもそれ程悪役じゃないし横綱としては大横綱だけど悪役としては文春砲も食らってるけどありきたりで小粒感が否めず、貴乃花親方との確執がもっと取り組みにも反映されてくるぐらい泥沼化するとかに期待か。相撲を面白くするにはもっと憎々しい悪役の登場が望まれる。どっかの部屋がアフリカとかから相撲の伝統をぶち壊すぐらいの超弩級の新弟子みつけてこんもんかいナ。

 日馬富士問題は連日うるさいぐらい報道されているようでネット上でも「日馬富士問題ばかりでウザい」とかの見出しが散見されるが、当方TVニュース見ないし新聞読まないし、どうせ報道とか当たり障りのない毒にも薬にもならんおためごかしなことしか書いてないだろうとネットニュースの見出しだけみて済ましているが(それでも大まかな流れが追えてしまうという報道ぶり)、実際にはTVで相撲観てる人間なんて下世話に面白がってる人間ばっかりで、報道とかで論者が言ってるであろうご高説なんて、相撲の盛り上がりにはハッキリ言ってあんまり関係ないので下世話な視聴者の一人としては見出しだけ見とけば充分だと思っている。
 下世話な視聴者なんて、ちょっと右寄りにモンゴル力士なんかやっつけろと声援を送ってるのが声が大きくて、あとは日本出身力士がふがいないとぼやくか、地元出身の力士応援するかぐらいで、たぶん、報道では大方の論者は土俵外の暴力は許せないとか、横綱には品格が求められるとか、角界の悪しき伝統や事なかれ主義を改める必要があるとか優等生なことを主張しているのだろうけど、ようは右寄りの相撲ファンが喜ぶモンゴル力士の不祥事が出たので尻馬に乗ってはやし立ててるにすぎず鼻くそほじってポイって感じである。
 で、たまに「相撲取りの飲み会で手が出たくらい大目にみたれよ」と、実は多くの人が心の中で思っているだろうことを有名人がSNSとかで発言したりすると、つるし上げを食らったりしている。まあ社会正義の戦士(SJW)様の格好の餌食だわな。あーあ言っちゃった、有名人は大変だなァと匿名で何を書いても自由なお気楽ブロガーは正直思う。思いつつ多分有名人が、批判されるのは承知の上であえて言わずにいられなかった、みんながみんな暴力を全否定することの気持ち悪さや不気味さについて、私も感じるところがあるので、天邪鬼なお気楽ブロガーのつとめとしてちょっと書いておきたい。

 簡単に言えば、暴力っていっても程度問題だろってことである。

 って書くと社会正義の戦士様から「いかなる暴力にも反対である、暴力を肯定するあなたは間違っている」と、言葉の暴力を受けてしまいそうである。
 まず、暴力とはなんぞやという根本の定義からして例によって例のごとくキッチリ線の引けるモノではなくて難しいンである、上記のような台詞を吐く社会正義の戦士様は多分、漠然と「物理的に人の体を傷つける行為」が暴力だぐらいにいい加減な認識で人様を攻撃しているんだと思うけど、まったく「暴力」の定義として妥当からほど遠い。
 「暴力」っていうときに広い範囲で考えれば当然言葉の暴力も入ってくる。暴力を振るった場合に適応される代表的な罪である「傷害罪」でも、裁判所が嫌がらせの電話をもって傷害罪と認めている例もあってたぶん現時点の定義として暴力は物理的な方法だけでないし、傷を負うのも身体のみならず精神的なものも含まれる大きな概念になっているはずである。すべての暴力を振るっても振るわれてもいない人間なんてこの日本の社会に存在しないと私は思っている。
 
 今回の事件は日馬富士関も「ドついた」ことについては認めていて、明らかな「暴力」があってまず間違いなく傷害罪としては成立していて、警察から検察に書類送検されたからには、あとは起訴されて裁判か略式命令で罰則がどのくらいになるか、あるいはこれだけ騒ぎになると無いとはおもうけど検察が起訴を見送る起訴猶予とかになるかとかが決まっていくんだと思う。罪にあたらないと検察が判断する「不起訴」にはならんと思う。
 じゃあやっぱり暴力振るった日馬富士が悪いじゃないか、横綱としての品格を損なうとんでもねえ輩だという話になるかというと、そうとも限らねえだろうよと思うのである。もともともめ事収めるのに野見宿禰と当麻蹶速が殺し合ったのが起源とかいわれる紛れもない「暴力」を競い合う格闘技である相撲に品格求めるってどうなのよ?てのは私の好みの問題なので捨て置いても、生意気言った後輩をビール瓶かリモコンか何か知らんけどモノでドついたぐらいでいちいち刑事事件にして罰しなくてはいけないのかと考えれば、なんぼ平和な街の県警でも他に仕事あるだろうと思うし、酔いが覚めたら謝って済む程度だと正直思う。
 100キロオーバーの巨漢がまさにガチンコで頭からぶつかり合う競技の格闘家が1キロも無いようなモノでドつかれたぐらい四股踏んどきゃ治るだろと思う。衝撃のエネルギー量は質量と速度の2乗に比例するはずだから、速度あんまりかわらんかったら2桁も違うショボさですよ。頭突きが危険な技としてルール上禁止されてない格闘技って日本で興行しているなかでは相撲とラウェイぐらいってぐらい頭突きって強烈で、それに耐えてみせる猛者どもが少々「暴力」に関する許容範囲が一般とズレてても当たり前だろと。実際はどの程度の暴力だったのかまだ明らかじゃないとしても、いずれにせよ今回の事件の「暴力」の程度はショボいだろと思う。
 程度問題としてこれが、日馬富士関が手は出さなくて換わりにこっぴどく説教した場合どうだろうか?普通「暴力」としては認識されなくて、常識的な指導ということになるだろう。ただその場合でも高ノ岩が精神的苦痛をうけ心理的外傷を負ったとか診断書が出てきて日馬富士を訴えたら、警察としては捜査するだろうし各種証拠を基に場合によっては書類送検、起訴、裁判、有罪判決というのもないことはない。まあ、飲んで気が大きくなったとはいえ「オマエらの時代は終わった」とか先輩にたてつく気の強い力士の精神を傷害と認められるまで傷つけることなど現実的ではないにしてもだ。

 法律で決まっているとおり、裁判所の出した判例どおり罪は罪だと罰していくべきだというのは正論かも知れないけど、いちいち面倒くさいしで現実的じゃない。前にも書いたけど法律だのルールだのってのは道具であって万能じゃない。そのへん適当に運用されてて、別に親告罪といって被害者から届け出があって初めて成立する罪じゃ無いので、傷害罪って警察が独自捜査で立件してもいい。現実に盛り場パトロールとかしててケンカとかみつけたら警察は職務として傷害罪での立件を視野に捜査に入るはず。
 でも、警察が見ていないところでカッとなって手が出たとか相手に精神的苦痛を与えるぐらい罵倒したとか、あとで謝って和解したとか本人同士が問題にする気がなければ、被害届出さなきゃ警察知るよしもなしでうやむやだってのが現実である。本人同士が良いって言ってて程度がショボければ、誰も文句は無いんだし警察無駄に働く必要は無い。逆に相撲界の常識だと言ったって過去にあったように過度の「かわいがり」で新弟子が大怪我したとかなら全くショボくないので被害届が有ろうが無かろうが捜査すべき程度だろうと極端な例なら誰でも思うだろう。

 っていうぐらいに、「暴力」なんて程度問題で現実には許容されていたりするのに、程度云々は関係なしに一切の「暴力」を悪という大前提で当たり前のように話を進めようとする人間が多いことにまずは気持ちの悪さを感じる。さっき書いたような言葉の暴力まで含めた大きな概念の「暴力」を一切振るわずに生きてる人間なんてまずいないはずである。っていうか物理的に傷つける行為のみが「暴力」だと思っているなら、それ以外の「暴力」を自分が振るうとき「暴力」であると認識さえしないで罪悪感なく振るうだろう。事実、暴力をある程度容認する人間を「暴力反対」とつるし上げる人間は相手の言葉を全く聞かずに言葉の暴力を振るっているようにしか見えない(書いてて分かりやすい例を思いついたなと思ったけど、誰かがコレ書いてたな。誰か忘れたけど借ります)。

 もう一つ気持ち悪いのが、そういう「暴力反対」みたいな一見正義っぽくて分かりやすい短い言葉に突き動かされて、ちょっとでも誤りを犯した人間を監視し密告し断罪する社会が、政府とか体制が作り上げたんじゃなくて、マスコミが流したりネットで飛び交う情報を介して大衆が作り上げつつあって、ディストピアもののSFまがいの現実が今ここにあるということである。
 飛び交う情報の量が増えたのもあるのだろうけど、情報に「短く簡潔に分かりやすく」というのが求められがちで、仕事でもよく「ナマジ君文章が長い、コレじゃ誰も読まない」と指摘を受けたけど、全くその通りで長いと読んでもらえないんだけど、でもどうしても短くわかりやすくすると書き切れなくて大事なことまで漏れる。漏れるけど読んでもらえなきゃ始まらないので短くせざるを得ないという矛盾に仕事では苦労してたので、私生活では短文のツイッターとか実名性のSNSじゃなくて、匿名でクドクド好きに書きまくれるブログを書いているわけである。読んでくれてる人ありがとね。
 本当は日馬富士関の振るった暴力がどの程度だったのかなんていうのは、当事者以外が客観的に知ろうと思えば、裁判によって開示された証拠なりを見なきゃわからんわけで、それを単に「暴力」があったという事実をもって、世界的に蔓延する気持ちの悪い国粋主義に乗っかって「ほらみろモンゴルの野郎は」てな感じでお気楽に断罪するというのは見てて不愉快きわまりなく、ネットでは擁護する少数意見もみかけるんだけど「暴力」=「悪」という単純な図式を短く分かりやすく否定するのは難しいので、表だっては旗色が悪い。ので私はどちらかというと日馬富士関擁護に今回まわっている。

 あと個人的に、なんでも裁判とかに訴える訴訟社会が嫌なので、貴乃花親方には言い分はあるんだろうけどとりあえず、同じ業界の中で謝罪すらうけないというのはどうかとやっぱり思う。まあ、命懸けで競い合ってる中でドロドロの確執とかあって、なあなあで済まされては我慢ならんとかあったんだろうと容易に想像できるけど、このへんは世間様も「空気読んで許せよ」と「相撲協会の腐敗を改革せよ」とかの立場分かれるようで、今の段階ではなんともいいがたい。裁判とかになったらいろいろ明らかになるんだろうからその頃に見だしだけじゃなくて記事も読んでみるか。
 日本のいやーな村社会的な狭い社会の中で陰湿ないじめとかあった場合に、多数派が「いじめなんてありませんよ」とか言ってたら、外部からは一見いじめられている人間が嘘つきに見えてしまう。そんな中でもちゃんと証拠取って出るところに出れば勝てる手段があるというのはとても大事なんだろうけど、その方法はメチャクチャ手間暇がかかる。訴える方も訴えられた方ももちろん、裁判となれば警察、検察、裁判所と巻き込む。それが最終手段じゃなくて最初の選択な社会になると手間暇かかる上に、いつ訴えられるか心配で議論もろくにできない好きなことも言えないような社会になる。というかなりつつある。かつ裁判のその結果が最終的な正しい答えだという風潮も気に入らない。裁判の結果は裁判所の判断であって、正しさを判断する道具ではあるけど絶対的に間違いのない正解というわけでもないと思う。立場が違えば自ずと「正義」も違うはずで、間に入って裁定者として法の下に客観的に平等に振る舞うのが裁判所の仕事だとしても完全な客観性などあり得ない。
 何でもかんでも訴訟とか、そういう面倒くせえ社会にならないように、日本の古き良き村社会的な話し合いでなあなあに双方合意できる落としどころに持っていくとか、組織の長が早めに問題潰したり目をかけるとかのほうがめんどうなくていいって。と思うのである。


 なんでか知らないけど、「暴力」って絶対悪として認識されているように感じていて、物語の中では正義の味方も思いっきり暴力ふるってるし、アメリカとかロシアとか大国は暴力の権化みたいな「空爆」とかしてて暴力が絶対悪なら悪の大国なんだけど(そうかもしれんけど)、別に悪が滅びる気配もないしで、大前提として「暴力必要なときもあるよ」もしくは「暴力現実には使いまくってるし幅効かせてるよ」ってのは薄々感じてて、以前にも学校での体罰問題についても文章書いてみたりしてたんだけど、どうにもつるし上げ食らいそうでお蔵入りにしてた。
 でも、最近のしょうもない(と私が感じる)ことで実に粘着質に断罪して謝罪を要求したりする社会正義の戦士達の跋扈にはイラッイラとくるものがあったので、ゲリラ戦を挑むべく日馬富士問題について書いてみた。
 読む人も限られる個人のブログの戦力など微々たるものかも知れないが、その攻撃を止めることが実質的に難しいというのは現実の戦争におけるゲリラ戦同様。およそなんの規制も受けずに好き放題書けて、反論なりがきてこちらに不都合があれば管理者権限で削除したって良いので、この小さなブログでチクチク攻撃することに社会正義の戦士様達は反撃する手段がほぼない。
 というわけで、お蔵入りにしていた学校での体罰問題についての文章も今回ついでに復活させて、もうちょっと「暴力」について書いてみたい。


 「学校教育法」には「体罰を加えることはできない」と明記されているとのことで、現行法制度上教育現場における「体罰」は明確な違法行為である。でも「それがルールだからダメ」という説明は、「じゃあルール変えろよ」という話になるだけで根本的な良い悪いの議論の際の答えにはなり得ないと思っている。繰り返し書くけど法律なんて道具に過ぎない。目的のために適切じゃないなら道具は変えたり直したりするべきだろう。という前提で「体罰」という暴力の是非について考えてみたい。

 私が中高生だったころは既に30年から昔の話で今とはだいぶ違うのはあたりまえといえばあたりまえだが、我々昭和の男はガキの頃に多かれ少なかれ先生から「愛のムチ」という名の体罰を受けていた。生徒指導の体育教師とか体罰用の竹刀を学内で持ち歩いていたりして、今思うとさすがにバイオレンスにすぎたような気もする。
 私自身、身に覚えのあることないことでよく殴られたりしていたけれど、当時はそういうモノだと思っていたので別に体罰教師をことさら恨んだり問題視したりすることはなかった。まあ、冤罪含め悪いことをしていた自分の身から出たサビぐらいに思っていた。父兄にしても似たような感覚でいたと思う。
 体罰としてはオーソドックスに頭に拳骨というのが多かったが、愛のムチ派の体育教師に言わせると殴る手も痛いんだそうで(気持ちの問題ではなく物理的に)、竹刀やら木の板やらでオケツを叩かれたこともある。一番痛かったのは正座させられているところを耳を引っ張って立ち上がらされて耳がチョット切れたときである。今なら訴訟でも起こせば慰謝料とれる内容かも知れないが、当時は自分が悪かったと思っていたし、今でもそうだったと思っている。
 そういう荒っぽい教育を受けてきたオッサンとしては、最近の「体罰厳禁」な教育現場では、生徒にいうこと聞かすことができないのではないかと心配になる。学級崩壊とかもそういうのが原因になってない?と心配である。
 なんだかんだいっても、子供も大人も人間で、話せば分かる人間もいればドついてもわからんやつもいるわけで、大人の世界で悪事を働けば懲役刑や死刑といった「暴力」といっていい身体罰がある中でなぜ子供にだけ「体罰」という身体罰を加えてはいけないのかいまいち腑に落ちていなかったが、つらつら考えるとまあそれも仕方ないのかなと思えてきた。

 先ほど大人の世界には「暴力」である身体罰があると書いたけど、その罰が与えられるには警察や検察が証拠を集めたうえで裁判という手続きを経て、どの程度の罰が適当か決められる。身体罰はそれだけ慎重を期さなければならない重罰だということだろう。
 先生個人の裁量でほいほいと身体罰をあたえてはいけないというのは、まあそうなのかもしれない。先生もピンからキリまでだろうから、体罰を容認していたらひどい体罰で怪我したりといった問題も起こってくるだろう。というか、そういう問題が繰り返し生じた結果、ガチガチに「体罰禁止」という流れになったのだろうと思うと、まあこれも時代の流れかと思わざるを得ない。問題が生じないように予防的にあつものに懲りてなますを吹く対応を取らざるをえなくなりがちな、いちいちめんどくせえ世の中であるとは思うけど仕方ない。
 そういう中で、先生はどういう対応をしているのかと軽く調べてみると、まずは話せば分かる世界で「指導」があって、それでも駄目なら課題を与えたり当番をさせたりといった「懲戒」という罰を与えることで対応しているそうである。そんなんで大丈夫なのかと思うが、もちろん問題もあるんだろうけど、昔と比べて極端に悪くなってもいないようで、少年犯罪の発生率とかもそれほどあがってなくて、むしろ減っているらしい。昔も学校が荒れた時代とかあるから、体罰があればどうにかなるというようなモノでもないようだ。「懲戒」は少なくとも直接的な暴力ではなくて、まあそれを苦痛に感じる者がいたら間接的な暴力の一種と言えなくもないけど、直接的な暴力無くても結構いけるということになって、「暴力反対」とお気楽に主張する社会正義の戦士様にはとりあえず抵抗しておきたいけど、直接暴力使わず大丈夫ならそれに越したことはないなとも正直思うところである。実際には問題起こすとデータ管理されてて推薦受けられないとかの監視社会的重圧の増加とかいろんな要素が少年犯罪の増減には関係してそうで、それだけをみて体罰を全否定する必要があるのかとかにはやっぱり疑問は残るけど、体罰積極的に認めるべきだという理屈もいまのところ思いつかない。

 そうであったとしても、ガキが悪いことをして先生にドつかれたら、親が訴訟沙汰で怒鳴り込んでくるというのは、どうにもめんどくせえ時代になったモノだと昭和の男は思うのである。
 明らかに罰がふさわしい行いがあって、そのことについてゴチャゴチャ指導だの何だのしている暇があったら「バカモン!」と拳骨一発で済ませられれた時代は話が早かったのにとオッサン思ってしまうのである。
 今現在、学校での体罰についての私の考えは、過去自分が受けた体罰を不適切だとは思っていないしドついてくれた先生に恩義も感じているけど、今時の価値観が多様化する中で反対する声も大きい中、適切に行使する基準等が難しく、かつ不適切な行使により怪我などを負わることの危険を許容する積極的な理由もないなか、今後はやっぱり体罰は使わないことがのぞましいとは理解するけど、感情的には完全に腑に落ちたわけでもない、ぐらいの社会正義戦士軍に対する反乱軍のゲリラ攻撃としては迫力不足というか一時休戦的なものに落ち着いてしまった。ガツンと攻勢かましたかったのに無念。


 最近戦いを挑んでいる「社会正義の戦士(SJW)」が跋扈するのって、インターネットの時代になって爆発的に増えた飛び交う情報量を、人間が個人としても社会集団としてもまだ上手に処理して判断できていないのも原因かなとか漠然と感じてたんだけど、よくよく考えると、まったく不確実で根拠もあやふやな情報に踊らされて、犯人捜しをして勝手につるしあげたりする私刑って、中世の魔女狩りの頃には少なくともあって、そういう群集心理で罪も無い人間を罪人に仕立て上げたりするのは、人間が複雑な言語を使って情報をやりとりし始めたあたりから存在するたちの悪い持病なんじゃないかという気もしてきた。「フェイクニュース」とか今時っぽい呼び方をされると、なんだか新しい現象のように感じるけど、「デマ」とか「流言飛語」と何が違うネンって考えたら、いつの時代もあいも変わらず学習もせず我ら人類は愚かなことよとうんざりする。現実ってあまりにも玉虫色で不確定で人類ごときがおいそれと正しくその有り様を情報化して把握できるものではない、ぐらいに思っていた方が気が楽かも知れない。
 
 いずれにせよ、政治経済芸能グルメにファッションなんていうのにとんと興味がなくて、自ら情報閉ざして「情報の山奥」に隠遁してるような人間が、たまに下界に下りてきて自分のことは棚に上げておいて王様は裸だと指摘した阿呆のように「オマエらアホとちゃうか」と素直に指摘するのも無意味じゃないかなと思うので、SJWに対する反乱軍としての活動は気が向いたら続けていきたい。

2017年9月22日金曜日

緊急企画!岡見勇信選手を応援しよう!!

 最近毎日アベマTVで、過去の名試合やら今回のUFC日本大会に出場する選手とかの特集とか観て「予習」に余念がないところだけど、解説の大沢さんが「総合格闘技の最高峰であるUFCの日本大会をぜひ生で観戦して楽しんでください。日本の格闘技を盛り上げていきましょう。」という感じの営業トークを忘れず突っ込んでくるので、コレは明日23日格闘技の聖地、埼玉スーパーアリーナで行われる「UFCファイトナイト・ジャパン2017」のチケットあんまり売れ行き良くないのかなと、透けて見える大人の事情的な状況も興味深く見ていた。

 過去の試合とかもDVDとかの円盤売るにはタダで放映しちゃうのは不利益かも知れないけど、今回UFCとしてはなりふり構わず、過去の試合はおろか前座試合まで無料でネット配信しているアベマTVで配信させて、本興行を成功させようとしているのがうかがえる。アベマTVは有料契約結ばなくても配信スケジュールに従った映像なら無料で見られる。

 明日の大会の対戦カードも、日本人ファイターを数多くそろえ、メインイベントにはジュニアヘビー級という迫力ある階級のランカー対決、しかも片方の選手はリングネームからも想像つくように日本の格闘技団体で闘ったこともあって日本の格闘技ファンにもお馴染みで人気のあるマウリシオ・ショーグンをもってきていて、UFCの本気の営業戦略が見て取れる感じだった。

 実は格闘技の生の試合って、東北で観戦した「みちのくプロレス」ぐらいしか経験無くて、あの体育館に座布団敷いてお年寄りや子供と一緒に楽しめるほのぼのした地方巡業感も良いものだったけど、総合格闘技のビリビリくるようなビッグイベントであるUFCの大会も機会があれば生で観てみたいとは思っていた。VIP席とか売り切れてるみたいだけど、3万円の割と前の席とかいっそ遠くから双眼鏡で観戦するような安いB席とかまだ売れ残ってるようなので、小金ならあるし今回生で観に行こうかとも思ったけど、埼玉まで電車で行って総合格闘技生観戦して興奮して疲れて帰ってというのが、体力的に無事にこなせる自信がなくて、コナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーの時に契約した有料配信のDAZNを引き続き契約更新してあげて、パソコンの前で観戦することにしている。


 まあ、粛々とネットで観戦しよう、日本人選手は応援してファンになってしまおう、と思っていたんだけど、昨夜タブレットで観戦しながら寝落ちしてしまった「岡見勇信 一挙放送!」が今日の午後にも流れているのを観て、ちょうど良いやン、続き観たろ。と観ていたら、噂には聞いてた岡見選手がこんなに強い選手だったのかと驚くとともに、なんで連日特集してるんだろうと思ってちょっと調べたら、なんとメインカード出場予定のマウリシオ・ショーグン選手が怪我で出場できなくなり急遽白羽の矢が立って、メインカードに抜擢されたようだ。


 正直いって岡見選手、既にUFCから契約解除された選手で過去の選手だと思っていた。失礼にも。
 日本の地上波で流していた格闘技団体がポシャって、ネット配信も今ほど一般的ではなく、総合格闘技の選手は日本で地道にチケット売って興行している老舗の団体で闘うか、世界に打って出てUFCに行くかという日本の格闘技ファンにとって不遇の時代があった。それでも「アメリカのUFCで岡見って選手が侍魂を見せつけてるぜ、UFCを観ろ!」という噂は聞こえてきてたのに、当時日本で映像配信していたWOWWOWが、映画とか他のスポーツ無くて良いからもうちょっと安くならんかな、接続も面倒くせえし、と見逃してしまっていた。反省すべきである。
 
 ここしばらく、アベマTVはUFCチャンネル設けて深夜除いて一日中総合格闘技流しているので、さすがに日程的に大沢さんがすべての番組で解説できやしないようで(大沢さんお疲れさまっス)、岡見選手特集も英語解説のまんまなんだけど、まあ強いのは見りゃ分かるし、英語実況の「ビューティフルニー(美しい膝蹴り)!」とか「パーフェクトコンビネイションッ(完璧な連携打)!」ぐらいは聞き取れるし、全く同感だ。
 軽量級で活躍することが多い日本人選手のなかでは例外的といって良いミドル級という重い階級を主戦場として、いかにもパワー有りそうな外国人選手相手に立ち技でも打ち負けてないし、倒して上からコツコツ殴るという得意の戦略はハメれば脱出しにくく実に渋い強さのある迫力有る格闘家である。
 なんでこんな素晴らしい選手が、日本ではコアな格闘技ファンぐらいにしか知られていない存在なのかと、時代に恵まれなかった不遇の天才なのかと思ったけど、ちょっと調べてみてこのまま「不遇」で済まして良いような選手じゃないと認識した。
 この人UFCで王者挑戦するところまで行って、ランキング上位のまま負けが込んでいるわけでもないのに、なぜか契約解除されている。
 玄人好みの渋い闘い方が地味っちゃ地味なのでUFCの営業方針的には日本の格闘技市場が冷えまくってたこともあり契約更新して抱えておく利点が少ないという判断だったのかも知れない。

 でも、契約解除当時より日本の格闘技は盛り返してきている。ここで、UFCをリリースされてもマイナーな団体で闘いながら機会を狙っていた岡見選手にビックチャンスが巡ってきたのは、単なる偶然じゃないモノを感じる。世に出るべき人間はどんなに逆風が吹いても切り裂いて世に出て認められるものだと、そういう美しい夢のある代打逆転の物語を期待せざるを得ないし是非見せてもらいたい。

 明日のUFC日本大会のメインカードは、日本の格闘技の歴史を語る上で大きな転換点となる大一番かも知れない。
 さいたまスーパーアリーナに行ける人は女房を質に入れてでもチケット買って行くべきだ。遠いし行けねえし、な人はDAZN契約して私と一緒にお茶の間で岡見選手を応援しましょう。

 DAZNは格闘技以外にも、テニスやメジャーリーグベースボールとか最近地上波放送減ったJリーグサッカーとかも充実していて月2千円弱という安さを考えるとお得でっセ。とDAZNの宣伝も頼まれてもいないのにしておく。
 
 楽しむ準備はバッチリ怠りなく、明日への期待でワクワクドキドキだ。胸のすくような活躍も天を仰ぎたくなるような苦杯をも、すべてを力一杯堪能させてもらおう。

2017年9月16日土曜日

表現の自由を規制するこの素晴らしい世界に

 ネットのスポーツ中継配信サービス「DAZN」を契約したら、もうすぐ総合格闘技のメジャーリーグ「UFC」の日本興行があるようで、なぜか「DAZN」とネット番組配信サービスの「アベマTV」が連携してるっぽくて、アベマTVで過去のUFCの放送とか特集番組とか流しまくっていて、連日格闘技観まくっている。
 UFCそれほど詳しくない私のような軽めの格闘技ファンにとても優しい感じの予習番組になっていて、いろんなスター選手とかの名前も結構覚えてきて、面白さが加速してきた。アベマTVの総合格闘技の解説は大沢ケンジさんという人なんだけど、元格闘家の解説って大物だと偉そうで鼻についたり、そもそも話下手だったりしていまいちなことが多いけど、この人はすんごく気さくで楽しい格闘技好きのニイチャンという感じで、かつ世界でも戦っていた経験をふまえて選手の心理とか玄人好みのする技術的な解説も分かりやすく紹介してくれる。
 格闘技でも野球みたいな球技でも何でもそうだけど、単に素晴らしい試合そのものが面白いというだけでなく、その選手などの戦歴やら得意技、豆知識的なものやら普段の言動から見えるキャラクターなど、背景もわかってくると、お気に入りの選手とかできてくるし、遺恨やライバル関係なんかも見えてきて、それは試合を盛り上げる楽しむための重要な要素になってくる。
 だから、格闘技番組では「煽り」と呼ばれる選手紹介の映像に結構力を入れているし、事前の記者会見とかではお約束的に一触即発の険悪な雰囲気を醸し出していたりする。
 いろいろとお勉強して、だいぶ楽しめる素養ができてきたように思う。
 
 最近というか、前々から薄々思っていたのだが、格闘技というのは、特に流血とか当たり前で関節が逆に曲がるような関節技も極まっちゃう総合格闘技は、観たい奴だけが金払って観る有料配信方式があってるんじゃないかと思うところ。
 総合格闘技も、黎明期の噛みつき及び目玉と金的攻撃以外何でもアリという無茶苦茶なルールじゃなくて、ヒジうちは頭に打ちおろしちゃだめとか、膝蹴りは立ってる相手にしかダメとか、安全性を確保するために改良されてきた細かいルールによって選手は守られている。
 とはいえ、逆にいうと固い膝やヒジを使った攻撃も許されているわけで、割と簡単に流血して、血みどろの相手をボコスカに殴りつけるような凄惨な場面も結構多い。それが迫力あって面白いと思う感性は残酷かも知れないけど割と普通なことだとも思っている。
 アメリカで試合ごとにお金を払うペイパービュー方式で配信されているのは、人気のある試合になると1試合1万円以上でも、ものすごい視聴者数稼げてバカみたいに儲かるからというのもあるだろうけど、向こうは暴力表現には厳しいので地上波では流せないという事情もあるのだろう。
 ネットでありとあらゆるエログロが閲覧できるこの時代に、地上波放送でだけ規制しても仕方ないと思うけど、家族団らんで観るような時間帯に相撲とかボクシングの中継見るつもりでテレビつけてて衝撃を受けるというのはありそうで、深夜アニメの乳首の規制なんて何の意味があるのかよくわからんけど、地上波で総合格闘技とか放送するときには配慮があってもしかるべきかもしれないと、表現の自由を尊ぶ私も思ってしまう。放送するなとはいわないけど事前に覚悟持って観られるように、見たくない人間は見なくていいように、とか考えるとアメリカ方式でテレビにも映画の「R-18」指定みたいな表示をつけるというのは、さすがエンタメ大国アメリカさんは先進的合理的だと思わされる。まあアメリカの、物語の中でさえ犯罪行為を規制するような規制内容については大いにFUCKだと思うけど。
 
 という、地上波で流すのはちょっとねぇ、という見方とともに、逆に格闘技団体はそろそろテレビという斜陽産業を見限って、チケット収入と有料配信でもうける方式に転換していった方がいいんじゃないかとも思う。
 最近、日本の格闘技団体の試合を見ていて、選手が体の一部に肌色のドーランっていうのかお化粧をしているのを散見する。最初はやけどの跡とか残っててそれを隠しているのかなと気にせず見ていたけど、複数の選手がそういうお化粧をしているのを見るにつけ「ああこれ入れ墨を隠してるんだ」と思い至った。
 なんじゃそれ?という感じである。主催する格闘技団体の自主規制なのか放映権もってる会社の指導なのかわからないけどアホかと。まあ、ふつうの机仕事のサラリーマンが入れ墨とか「公序良俗」に反するものを体に入れているのを不可とするのは、家畜のように従順に働く奴隷を選別する基準として機能してるんだろうなと理解できる。私もサラリーマンだけど、過去に乳首にピアスを入れていたということ(実話)を咎めたてられ、公序良俗に反すると首飛ばされてもサラリーマンだししかたないよねと納得する。イヤならそういう職業に就くなという話で裁判しても勝てないだろう。公序良俗ってなんぞって根本的なところはさっぱりわからんにしてもだ。
 でも、こういっちゃなんだけど総合格闘家なんて、腕っぷし一つで飯食ってく戦闘民族でっせ、公序良俗なんて求めてやるなよ。ルールに基づいて競うアスリートとしての一面もあるっちゃあるけど、闘争本能全開で相手ぶっ殺すぐらいの気迫で戦う、ローマ時代の拳奴から連綿と連なる系譜に属する由緒正しい荒くれの職業じゃないのか?入れ墨ぐらい好きに入れさせたれよ。それがパンツいっちょにグローブだけつけて闘う彼らの晴れの装束だろうし、相手ビビらすためという職業的に必然な理由もあるだろうよ。
 背中に翼の入れ墨とか外国の選手にみられる定番だけど、須藤元気氏とか同じ翼でもナスカの地上絵の鳥の図になってて、いかにも知性あふれる彼らしい入れ墨で、入れ墨込みで彼の総合格闘家としての個性や魅力は構築されていたように思う。解説の大沢さんは女性格闘家の入れ墨が好きっぽいフェティッシュな性癖が言動からうかがい知れたりする。自分の国の先住民族っぽい柄だったり、漢字間違えてたり、入れ墨見るのもまた楽しみの一つだと思う。
 ちょっと前の年末の格闘技のテレビ放送でも、山本KID選手がなんと上半身長袖のピチッとした服着たままで闘わされていた。彼の入れ墨まで含めたちょっと凶暴な個性に敬意を払う気があるのなら、そんなクソみたいな扱いはしないだろう。
 視聴者から「入れ墨の選手など公序良俗に反している、いかがなものか?」とかクレームが来たら「うるせえ、KIDに敬意を払って見とけや、いやなら見るな」と突っぱねろといいたい。タダで見てるくせに文句ばっかいう声のでかいバカのご機嫌をうかがうばかりのメディアなどに未来はない。

 地上波での限界を感じるのはもう一点あって、結局タダでだらっと見てる層に分かりやすいものを提供しなければならなくなるので、どうしても興行自体が見せ物的になりがちであるということ。格闘技が見せ物とは切っても切れない関係だとしても今のテレビの見せ物度合いはちょっとばかり気に入らない。
 有り体にいって試合が硬直すると素人目には面白くないので「かませ犬」を持ってきてスター選手にあてがって派手に勝たせたり、一線を退いたような日本の格闘技界が盛り上がっていた頃の有名選手を引っ張ってきたり。日本に泡々した金があったときには世界から現役バリバリの一流選手を引っ張ってきてたので、トーナメントが準決ぐらいから外国人選手だらけになってもさすがに面白かったけど、今ではUFCの上位の選手とか引っ張ってくるのは難易度が高く、あのころをもう一度というの夢のまた夢だろう。
 とはいえ最近の地上波の総合格闘技「RIZIN」は、素人が偉そうに書くのもなんだけどすごくがんばって盛り上げていると思う。新たな日本のスター選手も育てようとして那須川選手とか華々しく活躍し始めたし、UFCの軽量級のランキング3位につけてた堀口選手を呼び戻したりもしている。元大相撲のバルト関とかも見せ物的には迫力あって分かりやすく面白かった。でもそのバルト選手がUFCでも勝てなくなって引退した往年の名選手ミルコ・クロコップに負けるのを見たりすると、やっぱり金払ってでもUFC観たいなと思ってしまうのである。引退してるのにたぶんお金とかじゃなくて義理で日本の格闘技ファンのために闘ってくれたミルコ選手には感謝しかないし、久しぶりに伝家の宝刀のハイキックみられて嬉しかったけど、何というかナツメロみたいに感じてしまったのが正直なところ。
 選手はみんな、かませ犬だろうがなんだろが必死でやってて格好いいんだけど、作ってるテレビ側の視聴者におもねった姿勢にはどうにも苛つくのもある。地味な判定決着の日本人同士の試合、途中カットして放送してやがんの。たしかに総合格闘技で上にのっかって密着して地味にコツコツ殴って削って判定勝ちとかあんまり面白くない。でも、そういう試合でもアベマTVの大沢さん解説なら、派手な立ち技も関節技もない選手が、地味にしつこくタックルで金網に押しつけて倒す戦略を愚直に続け最後まであきらめずあがく様を応援しながら面白く視聴できた。アベマTVの総合格闘技放送は金払っても観る価値が充分ある。テレビ局はろくにコメントもはさめないタレントをゲスト解説に呼ぶぐらいなら、分かりやすくて面白い解説者を引っ張ってこいといいたい。まったく番組としての価値が違ってくるはずだ。
 地上波のテレビ放送に出ることによって選手が見せ物として消費されるだけだとしたら、あまりにも尊敬がなさすぎる。格闘技団体は自分たちで見せ方まで演出するぐらいの勢いで、テレビのいいなりにならず、選手とファンを育てていくべきだと思う。
 まあ世界一の大会であるUFC観たいっちゃ観たいんだけど、ホントはきっと世界一の水準じゃなくても、例えるなら日本のプロ野球だってメジャーリーグベースボールとはまた違う、高校野球時代から知ってるお気に入りの選手がいたり、ご当地チームを応援したりという楽しみがあるように、日本の格闘技団体は「日本独自の格闘技大会」として発展していくってのがむしろ健全じゃないかと感じる。UFCじゃなくったって世界最高水準じゃなくたって、割とご近所にジムを構えていたりする所英男選手とか出てる試合なら応援しながら観たいと思うもん。所選手、「闘うフリーター」のキャッチフレーズで、優勝候補の一角として呼んできた外国選手にあてるかませ犬的に出場した大会で、いきなり相手の代名詞的必殺技ギロチンチョークにとらえられ絶体絶命のピンチを、なんか知らんけどヌルッと抜け出して、やるやんけと思ってたらクルッと回転裏拳でブッ倒してタコ殴りTKOという衝撃的な最高の大番狂わせをやってのけて一躍人気選手になった。ジムも構えつつ今でもベテラン選手として日本で活躍している。アルバイトしながらひたむきに夢を追ってた若者が腕っ節一つで飯が食えるようになったとかいう物語を知っていると絶対応援したくなるというものである。

てなことも考えつつ、自主規制だらけでわけわからなくなってるテレビとか見てて、言論や表現の自由を制限しようとしやがるバカどもには、全方位的に噛みつかねばなるまいと思っていた。

 特にムカついているのが、表現・創作物の中であっても犯罪行為は許されないとかいい始める気狂いどもで、何を言ってるんだこいつらは?と思うんだけどどうなのよ。おもいっきり言論統制・思想統制の世界にテメエの浅はかな正義感で無邪気に他人を引っ張り込もうとしているような自分らの言葉の意味分かって言ってるのかと。やくざ映画とか悪漢小説とかエンタメではなくてはならないジャンルだと思うし罪と罰的な芸術作品まで、あらゆる表現媒体の物語で登場人物が犯罪ぐらい犯しますよそら。だって現実の世界にだってたくさんの犯罪があるのに創作物には犯罪がないとかあり得ないでしょ。創作物は全部真面目なお付き合いを描いた恋愛ものと日常ものだけとか、そんなクソつまんねえ世界になったらアタイ舌噛んで死んでやるッ!
 さすがにこんな底抜けの低脳の意見など黙殺されるだろうと思ってたら、あにはからんや結構影響出始めてて、ムカつくやら空恐ろしくなるやらでホントに声のでかいバカの主張が通る世の中って放置しておくととんでもないことになりかねないので、お気楽ブロガーとしても読者のみなさまにご注進せねばと書き留めている。

 具体的にはテレビっていってもアニメとスポーツ、動物番組ぐらいしか見ないのでまたアニメの話で恐縮だけど、地上波で深夜にやってるアニメでも、未成年の犯罪を助長する表現は不適切とされてしまったようで、タバコ吸うシーンとか黒く処理されている。こんな異様な表現の規制が現代日本でまかり通っているって信じられますか?
 そりゃアニメの中でも不良少年ならタバコぐらいくゆらしますよ。このあたりも行きすぎた嫌煙が現代の魔女狩りだなと感じて、自分ではタバコも吸わんのに、声高には抗議しにくいであろう喫煙者を代弁して擁護したくなる理由の一つである。ほっとくと阿呆がカロリーメイトみたいな健康に必要十分な食品以外禁止するところまで嗜好品=悪として突っ走るぞと。
 また具体的に目にしたアニメが、学生の頃から楽しんできたジョジョシリーズで承太郎がタバコ吸う例のシーンときた日にゃ、オレがポルナレフの台詞奪って「嘘だろ承太郎!」って言いたくなった。
 表現に対する制限ってホント不粋だと思う。

 それでも未成年に対する犯罪行為の結果生まれる児童ポルノの禁止というのは、さすがに私でも賛成する。今現在の「児ポ法」にも反対するつもりもない。表現の自由は守るべきだけど、表現の自由のためにという理由で犯罪を犯して良いとはならないのは自明だと思う。まあ、ロリータコンプレックスの人からすれば、大人の女性が合意のもとで出演したポルノが良くて、女児は合意があってもダメというのは不当だと主張するかも知れないかもだけど、今の社会制度は未成年は判断能力がまだ不十分なので、責任を免除するとともに保護されなければならないとされているので、私もそれはある程度妥当だと思いつつたまに疑問も感じたりするけど、不服な場合はそういう主張を訴えるなりすればいいと思う。実力行使は捕まるにしても、主張したい人を止める理由は私にはないのでご自由にだ。
 でもこれが、児童ポルノの禁止の議論の中で実写のポルノじゃなくて2次元の「絵」で表現するマンガやアニメについても児童に対する性的な表現は禁止するべきだというのを目にすると、それは違うだろと思う。
 なんでワシがちっちゃい女の子の裸に興奮するロリコン共の擁護せにゃならんのや?という気はする。タバコに関しては釣り仲間に愛煙家が結構いるので、彼らを想い描いて彼らの嗜好を尊重して闘っているつもりなんだけど、別に私はロリコンじゃないし周りにロリコンであることを公言している人もみあたらない。でもまあ、前回も書いたように深夜アニメの円盤を買って買い支えているパトロンである濃いオタク様は傾向として2次元美少女好きであり、エロい2次元美少女を必要とするロリコンの人とも重なる場合は多いと考えると、普段タダで深夜アニメ楽しませてもらってる分ぐらいの義理はあるのかなと思わなくもない。
 人の性癖なんて「変態」という言葉が陳腐に思えるぐらい多様性に富むことは、ネットの匿名の世界でいろんな人の欲望が露わに晒される状況下で明らかになっており、ロリコンぐらい別に実際に女の子にいたずらしたりしなければ、アニメやマンガぐらい自由に楽しませてやってくれよと思う。ロリータコンプレックスという言葉自体がナバコフの作品以降に生まれたのは確かなんだろうけど、ちっちゃい女の子が好きという性癖自体は源氏物語からイスラム教のムハマンドから古今東西普遍的な珍しくもない性癖であり、その持ち主をつかまえて、そのこと自体が犯罪的であるなんて虐めてくれるなよ、あんただって心の底には人にはいえないような独特の性癖の一つや二つ持ってるでしょ?
 そういう表現が犯罪を助長するとかいい始めると、じゃあ他の犯罪表現全部、同じように狩るのかって話でそれがいかにバカバカしいかを想像してもらいたい。
 禁止したっておおっぴらに売れなくなるだけで、需要があれば作る奴も裏で売る奴もいなくなりはしないので、ロリコンの人が本当に困るかといったら別にどうということはないのかもしれないけど、不合理な規制で犯罪者を作るなんてバカバカしい。
 児童ポルノの禁止とかは、とにかくアメリカ様並びでグローバルスタンダードなんだから、というならグローバルスタンダードが間違ってるんだから日本独自基準で行けば良いと思うのである。ガラパゴス化大いに結構。ガラパゴスコバネウの羽が小さいのにはガラパゴス島に適応した理由があってそうなっている。理由もなく感覚的にも受け入れがたい基準を押しつけられるのはまっぴら御免。

 という、規制なんてケッとばせフリーダム最高!!おかわり自由は基本的人権!!と表現の自由を含め自由を賛美してきた我が人生だけど、ちょっとその認識に亀裂が入る出来事があった。
 深夜アニメの円盤買った人のための特典映像なんだと思うけど「これって著作権とか無視して違法に上げてる映像か?」と思いつつもネットでチラッと見てしまったら、地上波放映時には自主規制がかかってて絶対描かれない乳首様が写ってらっしゃってこれが思いのほかエロかった。
 なんというか、ネットで世界中のエロ映像にアクセス可能で大事な部分おっぴろげた無修正画像だろうとそんなには興奮しなくなった寂しい40代が、たかが2次元の絵のオッパイにドキッとさせられた。
 普段隠されているからこそ、それが現れたときのありがたさが増すというのを明確に意識させられた。世阿弥の「秘すれば花なり」というのはこういうことかと勝手に変な解釈で納得してしまうぐらいに。
 深夜アニメの円盤買う人って収集欲か買い支えるための「お布施」と意識して買ってるんだと思ってたけど、円盤では地上波では「不自然な光」や「黒塗り」とかで処理されていた規制のかかった部分が無修正になるのが、意外とホントに特典として魅力で買っているのかもしれないと思わされた。乳首出るぐらいでそんなに違うかよと嘗めてました正直。
 規制もエロ方面に関しては、楽しみを増やすのに役立つこともあるんだとちょっと認識を改めるとともに、マンガ「地獄先生ぬ~べ~」の作画担当岡野剛先生が、世界各国で翻訳された際に、国ごとに規制基準が違ってて日本版では乳首とあそこにジャンプの海賊マークで修正入っているのに追加しての修正とかがあったのに対し「その国の規制ギリギリのところが一番おいしいんです。各国基準で規制おおいに結構」的なことを書いていたのを思い出した。プロはわかってらっしゃる。

 自由っていっても、不自由からの脱却とかがないと実感することは難しく、結局抵抗になる何かがあってはじめて感じることができるものであり、アホウ共のくっだらねええ主張と闘うことができなければ、言論の自由も表現の自由も自分の胸に感じることなんてできないんだなと、つらつらと書いてて再認識したしだいである。
 こうやって好き放題書ける世界というのは、きっとまだ祝福されているのだろう。



※ 文章中報道各社の自主規制において不適切とされる単語いわゆる放送禁止用語を使用していますが、今回言論と表現の自由を守るためあえて使用しているものであり、ご指摘等いただいても訂正も謝罪もいたしませんのであらかじめご了承ください。報道各社様にお付き合いせにゃならんよな義理もねぇしテメエの基準で好きに書きます。オメコ!!

2017年8月26日土曜日

ムカつくヤツをブッ飛ばす!!


 我が家のペット、小型のライギョの一種コウタイは喧嘩っ早い。
 飼い始めて6年くらいは経っていて最近はヒレの再生速度が遅くヒレ先がぼろっちくなってきて年老いた感じになってきているけど、若い頃と同様に血気盛ん。
 水替えの時のホースに食いつくし、手を入れると高確率で噛まれる。飼い魚に手を噛まれるのはひそかな喜び。

 夏になると水温上昇を抑えるために、水槽の蓋を半分金網のものにしているのだが、ライギョの仲間は飛び出す事故が多いので、蓋を押さえるために、ロッドエンドにぶち込んでバランス調整する用にマスキーロッドに付いてきた真鍮のオモリを端に乗せていたのだが、何が気に入らないのか、乗せたすぐに頭突きを食らわせて落としてしまう。

 真鍮のピカピカ光る反射がルアーのスプーンみたいで攻撃衝動を起こさせるのかと思って、黒のビニールテープでグルグル巻きにしたら、多少はマシになったけど、それでもなにがムカつくのか気持ちは分からないけど、相変わらず頭突きを食らわして落としてしまうので、あきらめて落ちたら拾って乗せている。

 そもそも小型のライギョを飼い始めたのは、九州時代にライギョ釣ってて、ライギョの行動パターンっていきなりバフバフ食い始めることもあれば、全然反応せずに水底で寝てる?こともあったりして全然読めないので、飼ったら何か分かるかと思って先代のレインボースネークヘッドを飼い始めたのが始まり。飼ったら餌ほしがって水槽前面に出てきてグネグネと「餌くれダンス」をするところとかなかなか愛嬌のある魚なので、先代が死んだ後も同じライギョ系のコウタイを買ってきてずっと飼っている。
 飼ってて、行動パターンなんてまったく良く分からんかったけどまあそういう魚だと思う。

 オモリへの攻撃のパターンも、ムカつく理由も、6年経ってもいまだに分からない。しばらく反応しない日があったと思ったら、夜とか朝方にいきなり「ガコッ!」とか音がして起きてからオモリが飛ばされているのを発見したりする。
 法則とかはなく気まぐれで、なんかムカついたらブッ飛ばしているような気がする。スレたライギョの攻略法にひたすら同じ場所にフロッグを浮かせて、たまに動かす程度でとにかく待つという、短気な人間なら絶対やりたくない方法があるらしいのだけど、確かにそのうち気まぐれで食うことがあるのかもしれないと思わされる。

 どうせ落とされるのならオモリなんか意味ないようなきもするけど、ムカつくヤツをブッ飛ばすのって、脊椎動物である魚はもちろん、およそ生物なら持っていて然るべき、競争相手を打ち負かすという行為の端的に表れた行動のようにも思えて、適度にそういう攻撃衝動をぶつける捌け口があるのも、餌食う以外に楽しみのなさそうな水槽暮らしに押し込めているコウタイにはいい刺激かもと思って落とされるたびにまたのっけている。


 そういう生き物に備わった原始的な衝動である「ムカつくヤツをブッ飛ばす!!」という欲求は当然人間にも強く備わっていて、明日はそういう衝動を全解放で激突する夢のビックマッチが行われる。
 玄人のボクシングファンなら本場アメリカで世界挑戦の亀海選手に注目するのかもしれないが、ミーハーな私は、総合格闘技団体「UFC」の現2階級王者コナー・マクレガーとボクシング元5階級制覇のフロイド・メイウェザーとの対決に、もう待ちきれないぐらいに心が高鳴っている。思わず日本で独占配信のネット配信スポーツチャンネル「DAZN」契約しちゃって事前特集とか見て予習しつつ早くも気分は盛り上がっている。3日待てば録画放送でアベマTVでも見られるにもかかわらず、3日待ちきれないし、結果知ってから見るとちょっと興ざめなのでライブ映像を観戦することに決めた。

 興味ある人はネットの記事でも読んでもらえば分かるけど、現地アメリカでもメチャクチャ盛り上がっているらしく、勝敗の賭けでメイウェザーに1億2千万円からを張った人間がでたとかもネットのニュースで報じられている。
 メイウェザーの勝ちはオッズ1.2倍だそうで、対するマクレガーの勝ちのオッズは5倍。断然メイウェザー有利の下馬評なんである。

 まあそうなんだろうなと思う。今回総合格闘家とボクサーが戦うので猪木対アリ以来の「異種格闘技戦」のビックマッチと日本では言われているけど、両者歩み寄って?特別ルールを設けその隙を突いて猪木が寝っ転がって蹴った猪木アリ戦とはちょっと性格が違う。実際にはボクシングルールで戦う純然としたボクシングの試合なのである。
 そう考えると引退したとはいえ、方やボクシングで5階級制覇を成し遂げ49戦無敗の負けない手堅いボクシングをするらしいメイウェザーに、別種目の総合格闘技(MMA)のチャンピオンだからといって、ボクシングのプロデビュー戦のマクレガーが勝つというのは現実的ではないようにも思えてくる。
 総合格闘技でも当然パンチを打つので、パンチで闘うボクシングについて全くの素人ではないという見方もあるのかも知れないが、そんなもん、じゃあキック力があるからサッカーのメッシがキックボクシングできるかっていったら関係ないだろと思うぐらいに、総合格闘技のパンチとボクシングのパンチの技術って違うように素人目にも思う。パンチ自体は一緒でもそれを当てるまでの技術が全然違う、とちょっと玄人っぽいことを書いてみたりして。

 ボクサーの拳はそれしか使っちゃいけないがゆえに、高度に研ぎ澄まされた洗練された技術が宿る、てな説を読んだことがあったのだけど、へーそんなもんかいなと思っていたんだけど、立ち技系の格闘技団体「K-1」が一回無くなる前ぐらいにヘビー級で出てた元ボクシング世界王者のフランソワ・ポタという選手の闘いぶりをみて、確かにそうかも知れないなと思わされた。

 「K-1」はキックボクシングに近いルールで闘うので、キックボクシング出身の選手が多く、次に空手家ぐらいで、ボクシング出身の選手はたまに鳴り物入りで入ってきても、キックに対応できず、ローキックで削られると得意のパンチを出す機会もなく良いところなく消えていくのが常だった。ポタ選手も最初負けが込んで、「やっぱりケリが有るのと無いのでは全く別の競技なんだな」と思わせられた。ところが、この選手はさすが元世界王者、負けが込んだ後に吹っ切ったのか、ローキックの防御とかあんまり気にせず、前傾姿勢でとにかくパンチを先に当てまくるという戦法をとりはじめ、「これがボクサーの拳ってヤツか!」という感じで、当然相手もパンチの距離ならパンチ打ってくるんだけどK-1のトップ選手と比べても歴然としたパンチを当てる技術の差があるし、当たるとメチャクチャ効いているのが見て取れた。その年のトーナメントをベスト4まで勝ち上がり、準決で惜しくも逆転負けしたけど、ボクサーの拳の凄さを印象づけられた。

 っていうぐらい、ボクサーのパンチは当たり前だけどボクシングのルールで闘うために磨き上げられていて凄いんである。
 マクレガーはボクシング出身の、寝技もある総合格闘技の中で、パンチでKOしまくる打撃が強い選手である。だとしてもボクシングのキャリアはアマチュアのみで、5階級制覇の生きる伝説な元王者と比較したら誰でも不利なのは分かるはずである。
 予想としては、早いラウンドであっさりメイウェザーがKOすると私も思う。

 でも、どっちを応援するか、どちらの勝ちが見たいかといえば、断然私はマクレガーである。
 ミーハーと言われても、実はUFCの試合今までライブじゃなくて録画の過去の名試合とかしかみたことない「ニワカファン」であり、そのことで蔑まれようとも、絶対その方が面白いから期待する。
 だってさ、メイウェザー大人げないじゃん。テメエの土俵で勝って当たり前の試合で自分の経歴を飾って濡れ手に粟の大儲けとかこすっからいジャンよ。

 賭けのオッズも専門家の予想も、勝負は結果を見るまで分からないという事実の前には、あんまり意味を持たない。
 だって、専門家様の予想を覆す大番狂わせなんて、いくらでもあったわけで、だからこそ賭けの対象にもなり得るというわけで、勝負が終わった後に「ほら予想どおりだったでしょ」と言うのは簡単だけど、たまたま予想が当たる人もいるというだけのこと。
 大晦日にK-1やってた頃に、エースのマサト選手と総合格闘技の山本KID選手がやったときも、大方の専門家の予想はマサト圧勝とか言ってたきがする。
 蓋を開けてみたら早々にマサトダウン取られて、ダウン取り返して判定で勝ったけど、あれは総合格闘家にエースが負けたとあっては示しがつかんので勝たせたけど、山本KID勝ちでもおかしくなかったと思うのは贔屓の引き倒しか。

 今回も、これまた総合格闘技の選手でありながらK-1でも活躍した須藤元気氏がマクレガーに勝機アリ的な見解を述べていて、さすが変幻自在のトリックスターは大穴狙いでトリッキーなコメント出してくれると楽しく記事を読んだ。
 須藤氏曰く、例えばボクシングでは普通使わない体を使った崩し方とかが総合格闘技にはあって、それで相手を翻弄してパンチを当てるチャンスを作れれば勝機があるのではとのこと。
 なるほどなァ。確かにマクレガーの公開練習についてメイウェザーが「あいつの動きはボクシングでは反則ばかりだ」とか噛みついていて、ボクシングに普通ない動きというのはそう言われると、メイウェザーも警戒しているようにも見える。メイウェザーひょっとして結構ビビってる?
 反則っていっても、故意にやった悪質な反則、例えばマクレガーが蹴るとか以外なら、たぶん口頭注意とか減点とかぐらいだろうし、それでパンチ当てて倒すチャンスができるなら全然アリなんじゃねえの?とスポーツに正々堂々とかの幻想をあんまり持ってない人間としては思ってしまう。特にこの二人はスポーツマンとしてはどうなのよ?な悪童っぷりも魅力だとおもうので、試合前の心理戦、舌戦も含めてあらゆる手段を使った総力戦で戦って欲しいと思う。


 明日朝10時から、まあ前座も豪華なカードらしいので楽しみつつ。世紀の一戦を楽しみたい。

2017年5月20日土曜日

苦杯

 炎天下10時間釣ってヘラ2匹という大苦戦のあと、ゴールデンボーイの村田諒太選手がスカッと世界チャンピオンになってくれることを期待してテレビ観戦。

 ミドル級って180ぐらいの大男がボコスカ打ち合う激戦区で、もう村田選手で獲れやんかったらオレの生きてるうちに日本にはベルトは来ないってぐらいの価値あるベルトで今夜はそれが拝めるかと不安と期待の入り交じった気持ちで観戦していた。
 出だし、手数が少ないので不安になったけど、作戦だったようで2ラウンド目以降得意の右がボコボコ当たりだしてダウンも奪って、相手はやたら打たれ強いようで最後まで手は出してきてたけど、明らかにヨレヨレでクリンチ多かったし最後は村田も安全運転で仕留めには行かなかったように見えた。

 まあ、「ホームタウンディシジョン」って言葉があるぐらいで、開催地国側に有利な判定にはなっても逆はあんまりないので、これは日本で2人目のミドル級王者誕生をリアルタイムで観戦できたなと思ったら、判定1-2で負けとは正直何が起こったのかと呆然とした。ダウン獲ったし効かせたパンチの数も明らかだったろう。今日日出してただけのガードの上からのパンチなんてとらないでしょ。

 こういうことを書いてしまうと良識を疑われるかと思うが正直「ちゃんとジャッジ買収しとけよ!」ぐらい思ってしまった。
 まあ、買収しとけはやったらいかんことなんだろうけど「買収対策」を陣営がキッチリやっとかなければいけなかったんじゃなかろうかってぐらい酷い判定。
 日本人は買収とかの不正はやらない国民性というかなんというかだけど、相手側は常にやってくるぐらいの意識をもって打てる手うっておかないといかんのではないかと思ったぐらい。

 まず日本人が敵地に乗り込んでいって微妙な判定で勝ったのを見たことがない。逆の日本で負けたっぽいのに勝ったのは極たまにある程度(まあボクシング好きなら誰のことか分かるよね)。
 腹が立つことに日本でやって、コレは客観的に見ても勝ったやろ、ダウン獲ったしというので負けたのは今回が初めてじゃなくて、過去にもあってテレビの前で悔しい思いをした記憶がある。誰の時だったか思い出せん記憶力の減退も悔しい。

 スポーツの世界も、ドーピングやらなにやら見ても分かるようにきれい事だけでは済まない世界で、今日の村田選手をチャンピオンにできないのなら、そういう部分が足りてなかったということぐらいしか思いつかないんだけどどうなんだろう。

 まあ、今度はベガスでもNYでも敵地に乗り込んでいってブッ飛ばして文句の付けようのないKO勝利でベルト獲ってきてくれ。チャンピオンベルト巻いたヤツより今夜明らかに強かったんだからきっと難しくてもできるだろう。そうなったら日本のボクシングファンみんな超スッキリする。

 きれい事じゃない手も使ってKOでという意味では、村田選手の前にやった比嘉選手はお見事だった。倒れた相手への追い打ち(当たり前ですが反則です)とか、13度タイトル防衛の元名チャンプ、指導者の具志堅氏を彷彿とさせる闘争心溢れる闘い方。我が家に具志堅用高世界戦15試合というDVDがあるけど、倒れる相手へのとどめ打ちはお約束。そのぐらいエグいことやらんと王座には君臨できんということか。カンムリワシ2世の戴冠おめでとう。

 でもまあ、今日は苦杯で苦汁を舐めさせられたような腹立たしい気持ちが強い。

 オオッ、今外で「特許許可局」って鳴いてる鳥がいる。ホトトギスやんけ!ウグイスいるのは知ってたけどホトトギスまでやってくるようになったか。
 今日の良いニュースはカンムリワシとホトトギスか。

2016年8月10日水曜日

輝くものすべてが金ではない

 スポーツは最近結果だけネットニュースで見ればいいやと思う日々で、オリンピックもその日のダイジェスト番組程度でいいやと思うのだが、格闘技が好きなので柔道だけは注目選手の出る階級ぐらいは朝早くにやってるのを起きて決勝見ておこうかなと見たり見なかったりしている。
 日本発祥のお家芸のはずだが、なかなかに苦戦していて、朝の放送では準決勝ぐらいから始まるのだが、すでに目当ての選手負けてたりして切なくなったりもする。

 オリンピックが開幕する直前、柔道五輪三連覇の天才野村忠宏がレポーターで、五輪連覇し損なった努力家井上康生現監督に直撃インタビューしている番組を見たが、なかなかに味わい深かった。
 男子全階級で金メダルというのが目標だという井上監督に「ほんとにそれ信じてるの?」とか、ぶっちゃけた冷めたコメントをぶちかます天才野村に井上監督が「選手たちがそれを信じてがんばっているのに監督がまず信じてやらなくてどうしますか!」と返すあたりに、井上監督の優しくも熱血な人柄がみてとれる。
 逆にそれが絵空事だと割り切れる冷徹さが、勝負の世界で前人未踏の世界に足を踏み入れた天才野村の天才たるゆえんだろうか。
 なにしろ現役時代、週に3日だかしか練習しないとか、およそ日本人が大好きな努力と根性の正反対にあるようなお方である。
 井上監督が「野村先輩と違って、私なんかはさんざん練習してこれだけ練習したから負けるはずがないとか思うタイプ」とか言っていたが、普通そんなもんだろう。普通といっても井上監督のようにオリンピックで金とれるのは「普通の天才」というところだろうが、連覇するような異常な天才は我々にはよくわからん世界の住人のようである。
 とはいえ、男子ではロンドンでは金メダル0だったのが、まだ重い階級いくつか残る今日時点で既に大野選手が金メダル、普通の天才井上監督にしてよかったなと思うところである。大天才野村は天才過ぎて普通の天才を指導するのはチョット難しいような気がする。

 番組ではこれまた五輪連覇してる女子柔道の谷亮子元選手と天才野村の取った8個!!のメダルを並べるというシーンがあったけど、正直それまで私は三連覇の野村を差し置いて二連覇の谷に国民栄誉賞が与えられているのは不当だと感じていたが、谷元選手の金2銀2銅1の物量を目のあたりにして、これは日本人なら谷の方に国民栄誉賞を与えるしかなかったんだなとちょっと納得した。4年かける5回の20年にわたって五輪でメダルが取れるレベルにあって、かつ天才野村よりはわかりやすい努力家の彼女は日本国民の好みに合っているのだろう。

 野村、谷の両大天才に現役の柔道家で比ぶべき選手は、「野獣」松本薫選手ぐらいかなと思っていたが、残念ながら今回は銅メダルに終わっている。連覇って本当に偉業だな。
 松本選手前回金メダルを取ったロンドン五輪では、場外に逃れようとする相手選手の足を引っ張って場内に引きずり戻して仕留めようとするというショッキングなシーンが繰り返し流れていてすっかり有名になったが、その他にも「待て」がかかるまでは、うずくまっている相手の襟を絞めようとしているように見受けられたり、なかなかに「野獣」のニックネームに恥じない戦闘狂じみた戦いっぷりが小気味よかった。
 今回も、気迫あふれる試合への入り方とか、ちょっと天然入ったインタビューとか、らしい活躍ぶりだったようには思う。

 オリンピックに出るような選手は、はっきりいって皆程度の差はあれ天才といって良いのだろうが、輝ける才能が金メダルを必ずしも保証するものでもなく、金に値するのは各種目階級ごと4年に1人のみで、それ故に取った人間は手放しの賞賛に値するのだと思う。
 まあ、金じゃなくても、あるいはそもそも参加できなくったって、輝かないってわけでもないようには思うけど、人は金ピカの威光にひれ伏すようにできているということか。
 柔道もJUDOという世界的なスポーツになって久しく、もう日本のお家芸というわけでもなくなっているのかもしれない。金でなくてもがっかりせずに選手の健闘に喝采を送るべきなのかなとチョット反省している。

 あと、メダル授与の後で選手が何か謎の物体を記念品としてもらっているのが、なんなんだろうなあれ?歯ブラシ立てという噂は本当だろうか?とへんなところも気になるリオ五輪なのであった。