2018年4月29日日曜日

錨野葡萄

 なんちゅうか、自分の価値観に相容れないからといって憤ってエラそうにさも自分が正しいかのような意見を書いてる人間って、今も昔もいて、昔なら新聞の投書欄で「いかがなものか」とか世を憂いていたのが、今ならネットで匿名で好き放題書けるのでさらに増長している。かく言う私も、少年の日に新聞読みながら「こんな口だけのクソみたいな大人にはなりたないナ。世の中に不満があるなら自分で変えろ、それが嫌なら耳を目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。」とか思っていたのに、おやじみたいな酒飲みなどにゃならぬつもりがなっていた感じで、怒りにまかせて当ブログでコンクリやら原発やら高い道具買わそうとしてくる釣り具業界やらに憤ってしまっている。いかがなものか。

 でも、今なら投書氏の気持ちも分からんではない、怒りを腹にためるぐらい気分の悪いことはないと、千年前のエッセイストも書いている。
 今この瞬間(書き始めたら長くなって既に数日前だけど)私がなにに怒っているかというと、動画配信サービスのNetflixについてである。かのサービスについてはちょっと前にベタ褒めしたように、作品の品揃え料金の安さ、オリジナル作品の質の高さどれをとっても申し分なく満足している。
 ただ一点のみが歳食ってキレやすくなった私の神経を逆なでする。「せっかく視聴後の余韻にいい気持ちで浸っているのに、勝手にエンディングを省略しようとするな!」ということである。なんか設定変える方法あるのかもしれないけど、よう見つけん。「ひそねとまそたん」のエンディングをワシがスキップすることはない。断じてない。むしろエンディング楽しみで観てるってくらいなのに、いきなり画面小さくなって一定時間以内にその画面をクリックしないと、次のお勧めアニメに飛んでしまう。映画好きはエンドロール中に席を立つ客を苦々しく思うらしいけど、映画好きのようにカメラマンが誰かとか、特殊効果は誰かとかオタクな感じに楽しみながら余韻に浸ってるわけじゃないけど、アニメのエンディングってなにげに趣味の良さが現れるもので、オープニングはそれで視聴者の心をつかまなければならない部分もあって、割と気合いは入りつつも王道路線で手堅く作られることが多いけど、エンディングは比較すると力が抜けてるというかぶっちゃけ予算掛かってない感じで同じ動きの繰り返しを使ったりが定番だったりするんだけど、それ故に遊べる余地があるようで作り手の感性だの上手さだのが出ちゃうんである。例を出すなら古くてごめんだけど「キャッツアイ」のエンディングなんて絵的には三姉妹がシルエットでワンツーワンツーって踊ってるシーンの繰り返しでたいして作画苦労してないはずだけど、なんちゅうかある程度以上の歳の人間ならこの例えでばっちり私の言いたいことが伝わるはずのエロ格好良くて良い塩梅の印象的なエンディングになってるんである。

 怒りついでに、最近腹にためていたものをみなぶちまけてしまおう。ワシは結構怒りっぽいうえに根に持つ暗い性格である。ずいぶん前にも書いたけど、スーパー行く途中の押しボタン信号に待たされるのに、いまだに地味にムカついている。大きな通りの信号なので、歩行者が押したからといって、車の流れをぶった斬らないように前後の信号とタイミングを合わせているのは理解している。だったら、前後の信号赤になった段階でポチッとしたら、信号変えて速やかに車止めて渡らせてくれよ。次の赤信号の時まで何で待たせるんじゃ?年寄りとか渡るのが遅い歩行者にあわせてあまり短い時間だけ青信号にするというのはないのはアホでも分かるが、十分時間ある段階で押してるのに車行かせてどうすんねん、次の信号赤やぞ。いかがなものか。

 ハクボイルのシーバスにも正直ムカつく。ちんまい餌ちまちま食いやがって、そんなんじゃデカくなれんぞ、もっと豪快に何でも食っとけや、こっちも妥協してちんまいルアー投げてるのになに無視してくれてんねん、ワシの投げるルアーは食っとけや。いかがなものかと思う。

 しょうもないニュースの多さにもうんざりしている。さすがにここ数日はヤフーニュースの見出しにも南北会談関連が多く並んでいるけど、正直芸能人の不祥事とか全く興味ないので、普段見出しがそんなんばっかりということは、それだけ読まれているんだと思うと、いかがなものかと思う。芸能人って、そういう商売だから不始末起こせば法的な裁きを受けたり責任とったりの他に記者会見して謝罪せねばならんだろうしってのは理解してるけど、正直言って他人の不倫とか、自分が迷惑かけられたわけでもない酒の席でのお痛だとかに興味が持てて、責め立てられる人々のものの考え方が理解できない。関係ないやんケ。それを大したことないことで延々とつるし上げて、そら悪いことは悪いんだろうけど、おまえらみんな清廉潔白、罪人に石を投げて良い身分なのかよと気分悪くなる。この点はキリスト様に同意したい。汝の隣人を許さないと、自分も許してもらえないんだゼ。社会全体、がっちがちに監視されて断罪されるSFじみた気色の悪い状況になってて気持ち悪い。
 ヤフーニュースの良いところは、そういう「みんな」が読みたがってる記事の他に「あなたへのおすすめ」記事が表示されてきて、そういう記事しか開いて読まないので「深海タコがあり得ない場所で産卵」とか「<ツチノコ>捕獲賞金129万円に 岐阜で今年もフェスタ」とか私の好きそうな記事が毎日読めるので楽しい。ヤフーに洗脳されないように気をつけなきゃかもだけど、知りたくもないようなニュースに付き合わなくていいのはありがたい。

 生き物関係のほかには格闘技関係の記事もおすすめされてくるけど、最近怒りを覚えるのが減量失敗の多さ。これはボクシングでも総合格闘技でもキックでも世界的にみられる傾向で、明らかに何かおかしなことになっている。先日のカンムリワシ二世の件は心底がっかりしたし、山中選手のダイレクトリマッチはそれ以上に腹立たしくて仕方なかった。
 往年の名選手が最後衰えて負けてリングを去っていくのを目にするのは辛い。それでも全力で勝ちにいってあがく姿には負けてもなお美しい敗者の美学があると思う。どんな名王者でも衰える時はくる、見ている方としてはもうやめてくれ晩節汚してくれるなと正直思うけどそれでもリングにあがる場合が多い。3階級王者長谷川穂積選手の最後の試合とか、本人も勝っても負けても引退と表明してたぐらいで限界を感じてたんだと思う。正直勝てるわきゃないよなと思いつつそれでも彼が死にものぐるいで立ち向かいそして負けて引退するところまで見なきゃならんなと見ていたぐらいだけど、相手血塗れでコーナーから立ち上がらずTKO。最後に帯冠して終わるという、見たことないような勝利もこの世にはあると思い知らされた。あんな奇跡のような勝利もそれをたぐり寄せる素晴らしい漢もいると知れば「最後まで勝ちをあきらめるな」というありきたりな言葉にさえ輝くような価値が湧いてくるというものである。
 でも普通は最後負けてリングを去る。それでも最後まであきらめずに全力を尽くす背中に人は感動もするしその背中に拍手を送り、寂しさを感じながら、彼が成し遂げてきたすばらしい闘いに感謝する。
 山中選手は最後負けてリングを降りるにしても、そういう敬意と拍手を持って送られるべきボクサーであった。それが最後の2試合を汚されて正々堂々と全力で闘う場を奪われたといっていい。1回目のドーピング疑惑もたいがいだったけど、2回目の減量失敗とかもう最低としか言いようがない。ボクシングって体重別だからちゃんとした試合としては成立してないじゃん。それで負けて引退、って後味の悪さがどうにもならない。いかがなものかどころじゃなくてふざけんなといいたい。
 減量失敗の多さにはアベマTVの総合格闘技解説者の大沢さんもおかんむりで、普段は気の良いあんちゃん的な楽しい語り口なんだけど、けっこう厳しく批判していた。と同時になぜ選手が減量に失敗するのか、その背景的なところも自身が選手として闘い引退した現在は指導者でもある立場から説明してくれていて、なるほどそういう事情もあるのかとこれまたためになる解説ぶりなのであった。
 大沢さんの指摘するところでは、計量が当日の朝から前日計量に変わったことが構造的な要因の一つになってるんじゃないかとのことだった。前日計量にしたのは、試合の直前までギリギリの減量をして消耗した状態でリングに上がって力石のように力尽きた選手が実際にもいて、それはまずいということで一晩回復する時間を設けようということだったのだろうと思う。一晩で鍛え抜いた選手の状態は劇的に回復するそうで、過酷な減量で落とした体重など数キロも戻るらしい。そう、体重が数キロも違ってくるのである。
 格闘技で体が大きく重い方が有利なのは、階級別じゃない相撲取りがちゃんこ食いまくって体を大きくするのに腐心するのをみれば分かるように明白で、だからこそ昔の柔道の無差別級に中量級の選手が出てたのとか、今は危ないからやらせないのかもだけど盛り上がりまくったと記憶している。古賀選手とか吉田秀彦選手とかの時代ね。
 当然前日計量後に体重が増やせる余地があるなら、増やして有利な体の大きさを手に入れたい。とはいえ腹に食い物詰め込んで重量あげても腹打たれたらゲロあげるだけで意味がない。じゃあどうするか、水分とか限界まで絞って減量しておいてリバウンドで体重増やすということがやられているようなのである。そんなことやったら計量時にはとても試合できるような体調じゃないだろうけど、一晩回復の時間があるのでとりあえず前日計量パスすればいいということで無理な減量をする傾向にあって、相手がするなら自分もしなきゃ階級上の相手と戦うような不利になる。かくして不毛な減量合戦の様相に突入し、減量失敗という対戦相手にしたら馬鹿にするナっていう話だし、失敗した本人にも出場停止処分やら違約金やら王者ならその剥奪やらとデカい制裁が下されて、興行側は商売あがったりだろうし、観客視聴者も興ざめこのうえない、誰も得しない事態が構造的に発生しているようなのである。
 構造的な問題を放置しておいて、減量失敗した個人や所属団体に厳罰を与えるだけでは今後も同様の問題はなくならない。なんらかの対策を講じない連盟だのなんだのの競技団体の怠慢はいかがなものか。原発問題でもそうだけど、実際に問題何回も起こってるのに抜本的に間違ってると気付かないで小手先の場当たり対応しかしない無責任な人間のモノの考え方ってどうなってるのか心底疑問である。日本人ってそこそこ生真面目で几帳面な性格してると思うけど臨界事故2回もやってるジャン。東海村なんて臨界事故の後も不祥事結構あったジャン。統計学で低い確率の事象も充分に長い期間においては必ず起こるという基礎中の基礎があるけど、日本の原発のちっちゃいお漏らしまで含めた事故の確率って全く低くもなんともなくて、今後も稼働したら絶対あるって自明だと思うけど、テメエの生きてる間は自分ちが汚染されて住めなくなるようなデカいのはないだろうと、何の根拠もなく楽観視してるというぐらいの感覚なんだろうか?全く理解不能でいかがなものか。
 話それたけど、じゃあどうすりゃ良いかというと難しくて、当日計量に戻すのは人死に出るぐらいなら今の方がマシだろうから論外でと考えると、手間も掛かるし科学的な知見も技術も必要なんだろうけど、全試合じゃなくてもランキング上位者の試合とかだけでも、契約時の健康診断と同時に体の骨の重量をなんか今時の高性能な調べる機械を使って調べて、この階級で出られるのは骨の重さ何キロまでですとか事前チェックする基準を設けるとかどうだろう。無理な減量しなけりゃその階級に体重落とせそうにない体格の人間はその時点で弾いて契約させずに上の階級に転向させる。歯ぐらいは抜けるかも知れないけど骨はさすがに短期間で増減させることはできないはずで固定的な体の大きさを比較する基準として割と良いんじゃないだろうか。マークハントの頭蓋骨にみられるように人より骨太な人は若干不利かもしれないけど骨太なやつは強いだろうからそんな不利にはならんでしょと思う。いかがかな?

 でも、なんといっても私が腹に据えかねてるのはやっぱり水辺をコンクリで固めまくるヤツらに対してであり、先日の正治さんとの釣りの道中でも「仕事辞めることになったら、環境テロリストになって無駄なダムとか防潮堤とか墓石てまわりたい。ノーベルさん謹製の黒い粉の詰まった筒とか仕掛けてファイヤー!って叫びながら牙苦装置ポチッと押して、チュドーンってなったら心の底から気持ち良いだろうな。動画撮ってUPしてユーチューバーにもなりたい(官憲どもの監視を逃れるために検索しにくいように一部ワザと変換ミスや婉曲な表現を使用しています、読みぐるしくてスイマセン)。」とかアホなことを言って苦笑された。まあ、今のいたる所に監視の目がある中で証拠残さず完全犯罪は無理っぽいので逮捕されて職場から親類縁者にまでとんでもないご迷惑をかけることを想像すれば、そんなアホなことはできるわけもないけど、なーに官憲から今のところ逃げ切ってる強者もいることだし、やってできんこともないだろうという気もする。欧米の先進国では操業中の捕鯨船沈めるような環境テロリストに支援者が金を出すぐらいだ、日本でもそういう過激な環境テロリストの先駆者にワシがなれば良い。
 作りっぱなしで次々と埋まっていくので延々と追加して作らなければならないという、構造的にコンクリ屋が儲かるためにあるような砂防堤などチュドーン!海が見えなくなるような醜悪な高さの防潮堤なんてチュドーン!N川河口堰をチュドーン、I干拓ギロチン堤防をチュドーン!チュドーン!チュドーン!!ついでに原発も止めざるをえなくなるように原発前の防波堤とかもチュドーン!と全国津々浦々謎の環境テロリスト”ナマジ”が恐怖と戦慄をまき散らすのである。もしニュースでそういうチュドーンな事件が流れたら「やったのか!!ナマジ!!」と思って欲しい。
 でも、この夢が実現したとき最大の支援者はコンクリ屋になるだろう。なぜなら壊れたら直す仕事が降ってくるからである。かくして崇高な理想に燃えてテロルに手を染めたナマジは体制側の巨大な欲望の歯車に組み込まれ、牙を抜かれて犬になりさがるのであった。いかがなものか。

(こういう腹が立つことを、妄想の中で、非合法な手段使ってでもブッ飛ばしてスッキリしたいというような話を、現実と混同して目くじら立てるのはいかがなものか。)

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