2017年9月16日土曜日

表現の自由を規制するこの素晴らしい世界に

 ネットのスポーツ中継配信サービス「DAZN」を契約したら、もうすぐ総合格闘技のメジャーリーグ「UFC」の日本興行があるようで、なぜか「DAZN」とネット番組配信サービスの「アベマTV」が連携してるっぽくて、アベマTVで過去のUFCの放送とか特集番組とか流しまくっていて、連日格闘技観まくっている。
 UFCそれほど詳しくない私のような軽めの格闘技ファンにとても優しい感じの予習番組になっていて、いろんなスター選手とかの名前も結構覚えてきて、面白さが加速してきた。アベマTVの総合格闘技の解説は大沢ケンジさんという人なんだけど、元格闘家の解説って大物だと偉そうで鼻についたり、そもそも話下手だったりしていまいちなことが多いけど、この人はすんごく気さくで楽しい格闘技好きのニイチャンという感じで、かつ世界でも戦っていた経験をふまえて選手の心理とか玄人好みのする技術的な解説も分かりやすく紹介してくれる。
 格闘技でも野球みたいな球技でも何でもそうだけど、単に素晴らしい試合そのものが面白いというだけでなく、その選手などの戦歴やら得意技、豆知識的なものやら普段の言動から見えるキャラクターなど、背景もわかってくると、お気に入りの選手とかできてくるし、遺恨やライバル関係なんかも見えてきて、それは試合を盛り上げる楽しむための重要な要素になってくる。
 だから、格闘技番組では「煽り」と呼ばれる選手紹介の映像に結構力を入れているし、事前の記者会見とかではお約束的に一触即発の険悪な雰囲気を醸し出していたりする。
 いろいろとお勉強して、だいぶ楽しめる素養ができてきたように思う。
 
 最近というか、前々から薄々思っていたのだが、格闘技というのは、特に流血とか当たり前で関節が逆に曲がるような関節技も極まっちゃう総合格闘技は、観たい奴だけが金払って観る有料配信方式があってるんじゃないかと思うところ。
 総合格闘技も、黎明期の噛みつき及び目玉と金的攻撃以外何でもアリという無茶苦茶なルールじゃなくて、ヒジうちは頭に打ちおろしちゃだめとか、膝蹴りは立ってる相手にしかダメとか、安全性を確保するために改良されてきた細かいルールによって選手は守られている。
 とはいえ、逆にいうと固い膝やヒジを使った攻撃も許されているわけで、割と簡単に流血して、血みどろの相手をボコスカに殴りつけるような凄惨な場面も結構多い。それが迫力あって面白いと思う感性は残酷かも知れないけど割と普通なことだとも思っている。
 アメリカで試合ごとにお金を払うペイパービュー方式で配信されているのは、人気のある試合になると1試合1万円以上でも、ものすごい視聴者数稼げてバカみたいに儲かるからというのもあるだろうけど、向こうは暴力表現には厳しいので地上波では流せないという事情もあるのだろう。
 ネットでありとあらゆるエログロが閲覧できるこの時代に、地上波放送でだけ規制しても仕方ないと思うけど、家族団らんで観るような時間帯に相撲とかボクシングの中継見るつもりでテレビつけてて衝撃を受けるというのはありそうで、深夜アニメの乳首の規制なんて何の意味があるのかよくわからんけど、地上波で総合格闘技とか放送するときには配慮があってもしかるべきかもしれないと、表現の自由を尊ぶ私も思ってしまう。放送するなとはいわないけど事前に覚悟持って観られるように、見たくない人間は見なくていいように、とか考えるとアメリカ方式でテレビにも映画の「R-18」指定みたいな表示をつけるというのは、さすがエンタメ大国アメリカさんは先進的合理的だと思わされる。まあアメリカの、物語の中でさえ犯罪行為を規制するような規制内容については大いにFUCKだと思うけど。
 
 という、地上波で流すのはちょっとねぇ、という見方とともに、逆に格闘技団体はそろそろテレビという斜陽産業を見限って、チケット収入と有料配信でもうける方式に転換していった方がいいんじゃないかとも思う。
 最近、日本の格闘技団体の試合を見ていて、選手が体の一部に肌色のドーランっていうのかお化粧をしているのを散見する。最初はやけどの跡とか残っててそれを隠しているのかなと気にせず見ていたけど、複数の選手がそういうお化粧をしているのを見るにつけ「ああこれ入れ墨を隠してるんだ」と思い至った。
 なんじゃそれ?という感じである。主催する格闘技団体の自主規制なのか放映権もってる会社の指導なのかわからないけどアホかと。まあ、ふつうの机仕事のサラリーマンが入れ墨とか「公序良俗」に反するものを体に入れているのを不可とするのは、家畜のように従順に働く奴隷を選別する基準として機能してるんだろうなと理解できる。私もサラリーマンだけど、過去に乳首にピアスを入れていたということ(実話)を咎めたてられ、公序良俗に反すると首飛ばされてもサラリーマンだししかたないよねと納得する。イヤならそういう職業に就くなという話で裁判しても勝てないだろう。公序良俗ってなんぞって根本的なところはさっぱりわからんにしてもだ。
 でも、こういっちゃなんだけど総合格闘家なんて、腕っぷし一つで飯食ってく戦闘民族でっせ、公序良俗なんて求めてやるなよ。ルールに基づいて競うアスリートとしての一面もあるっちゃあるけど、闘争本能全開で相手ぶっ殺すぐらいの気迫で戦う、ローマ時代の拳奴から連綿と連なる系譜に属する由緒正しい荒くれの職業じゃないのか?入れ墨ぐらい好きに入れさせたれよ。それがパンツいっちょにグローブだけつけて闘う彼らの晴れの装束だろうし、相手ビビらすためという職業的に必然な理由もあるだろうよ。
 背中に翼の入れ墨とか外国の選手にみられる定番だけど、須藤元気氏とか同じ翼でもナスカの地上絵の鳥の図になってて、いかにも知性あふれる彼らしい入れ墨で、入れ墨込みで彼の総合格闘家としての個性や魅力は構築されていたように思う。解説の大沢さんは女性格闘家の入れ墨が好きっぽいフェティッシュな性癖が言動からうかがい知れたりする。自分の国の先住民族っぽい柄だったり、漢字間違えてたり、入れ墨見るのもまた楽しみの一つだと思う。
 ちょっと前の年末の格闘技のテレビ放送でも、山本KID選手がなんと上半身長袖のピチッとした服着たままで闘わされていた。彼の入れ墨まで含めたちょっと凶暴な個性に敬意を払う気があるのなら、そんなクソみたいな扱いはしないだろう。
 視聴者から「入れ墨の選手など公序良俗に反している、いかがなものか?」とかクレームが来たら「うるせえ、KIDに敬意を払って見とけや、いやなら見るな」と突っぱねろといいたい。タダで見てるくせに文句ばっかいう声のでかいバカのご機嫌をうかがうばかりのメディアなどに未来はない。

 地上波での限界を感じるのはもう一点あって、結局タダでだらっと見てる層に分かりやすいものを提供しなければならなくなるので、どうしても興行自体が見せ物的になりがちであるということ。格闘技が見せ物とは切っても切れない関係だとしても今のテレビの見せ物度合いはちょっとばかり気に入らない。
 有り体にいって試合が硬直すると素人目には面白くないので「かませ犬」を持ってきてスター選手にあてがって派手に勝たせたり、一線を退いたような日本の格闘技界が盛り上がっていた頃の有名選手を引っ張ってきたり。日本に泡々した金があったときには世界から現役バリバリの一流選手を引っ張ってきてたので、トーナメントが準決ぐらいから外国人選手だらけになってもさすがに面白かったけど、今ではUFCの上位の選手とか引っ張ってくるのは難易度が高く、あのころをもう一度というの夢のまた夢だろう。
 とはいえ最近の地上波の総合格闘技「RIZIN」は、素人が偉そうに書くのもなんだけどすごくがんばって盛り上げていると思う。新たな日本のスター選手も育てようとして那須川選手とか華々しく活躍し始めたし、UFCの軽量級のランキング3位につけてた堀口選手を呼び戻したりもしている。元大相撲のバルト関とかも見せ物的には迫力あって分かりやすく面白かった。でもそのバルト選手がUFCでも勝てなくなって引退した往年の名選手ミルコ・クロコップに負けるのを見たりすると、やっぱり金払ってでもUFC観たいなと思ってしまうのである。引退してるのにたぶんお金とかじゃなくて義理で日本の格闘技ファンのために闘ってくれたミルコ選手には感謝しかないし、久しぶりに伝家の宝刀のハイキックみられて嬉しかったけど、何というかナツメロみたいに感じてしまったのが正直なところ。
 選手はみんな、かませ犬だろうがなんだろが必死でやってて格好いいんだけど、作ってるテレビ側の視聴者におもねった姿勢にはどうにも苛つくのもある。地味な判定決着の日本人同士の試合、途中カットして放送してやがんの。たしかに総合格闘技で上にのっかって密着して地味にコツコツ殴って削って判定勝ちとかあんまり面白くない。でも、そういう試合でもアベマTVの大沢さん解説なら、派手な立ち技も関節技もない選手が、地味にしつこくタックルで金網に押しつけて倒す戦略を愚直に続け最後まであきらめずあがく様を応援しながら面白く視聴できた。アベマTVの総合格闘技放送は金払っても観る価値が充分ある。テレビ局はろくにコメントもはさめないタレントをゲスト解説に呼ぶぐらいなら、分かりやすくて面白い解説者を引っ張ってこいといいたい。まったく番組としての価値が違ってくるはずだ。
 地上波のテレビ放送に出ることによって選手が見せ物として消費されるだけだとしたら、あまりにも尊敬がなさすぎる。格闘技団体は自分たちで見せ方まで演出するぐらいの勢いで、テレビのいいなりにならず、選手とファンを育てていくべきだと思う。
 まあ世界一の大会であるUFC観たいっちゃ観たいんだけど、ホントはきっと世界一の水準じゃなくても、例えるなら日本のプロ野球だってメジャーリーグベースボールとはまた違う、高校野球時代から知ってるお気に入りの選手がいたり、ご当地チームを応援したりという楽しみがあるように、日本の格闘技団体は「日本独自の格闘技大会」として発展していくってのがむしろ健全じゃないかと感じる。UFCじゃなくったって世界最高水準じゃなくたって、割とご近所にジムを構えていたりする所英男選手とか出てる試合なら応援しながら観たいと思うもん。所選手、「闘うフリーター」のキャッチフレーズで、優勝候補の一角として呼んできた外国選手にあてるかませ犬的に出場した大会で、いきなり相手の代名詞的必殺技ギロチンチョークにとらえられ絶体絶命のピンチを、なんか知らんけどヌルッと抜け出して、やるやんけと思ってたらクルッと回転裏拳でブッ倒してタコ殴りTKOという衝撃的な最高の大番狂わせをやってのけて一躍人気選手になった。ジムも構えつつ今でもベテラン選手として日本で活躍している。アルバイトしながらひたむきに夢を追ってた若者が腕っ節一つで飯が食えるようになったとかいう物語を知っていると絶対応援したくなるというものである。

てなことも考えつつ、自主規制だらけでわけわからなくなってるテレビとか見てて、言論や表現の自由を制限しようとしやがるバカどもには、全方位的に噛みつかねばなるまいと思っていた。

 特にムカついているのが、表現・創作物の中であっても犯罪行為は許されないとかいい始める気狂いどもで、何を言ってるんだこいつらは?と思うんだけどどうなのよ。おもいっきり言論統制・思想統制の世界にテメエの浅はかな正義感で無邪気に他人を引っ張り込もうとしているような自分らの言葉の意味分かって言ってるのかと。やくざ映画とか悪漢小説とかエンタメではなくてはならないジャンルだと思うし罪と罰的な芸術作品まで、あらゆる表現媒体の物語で登場人物が犯罪ぐらい犯しますよそら。だって現実の世界にだってたくさんの犯罪があるのに創作物には犯罪がないとかあり得ないでしょ。創作物は全部真面目なお付き合いを描いた恋愛ものと日常ものだけとか、そんなクソつまんねえ世界になったらアタイ舌噛んで死んでやるッ!
 さすがにこんな底抜けの低脳の意見など黙殺されるだろうと思ってたら、あにはからんや結構影響出始めてて、ムカつくやら空恐ろしくなるやらでホントに声のでかいバカの主張が通る世の中って放置しておくととんでもないことになりかねないので、お気楽ブロガーとしても読者のみなさまにご注進せねばと書き留めている。

 具体的にはテレビっていってもアニメとスポーツ、動物番組ぐらいしか見ないのでまたアニメの話で恐縮だけど、地上波で深夜にやってるアニメでも、未成年の犯罪を助長する表現は不適切とされてしまったようで、タバコ吸うシーンとか黒く処理されている。こんな異様な表現の規制が現代日本でまかり通っているって信じられますか?
 そりゃアニメの中でも不良少年ならタバコぐらいくゆらしますよ。このあたりも行きすぎた嫌煙が現代の魔女狩りだなと感じて、自分ではタバコも吸わんのに、声高には抗議しにくいであろう喫煙者を代弁して擁護したくなる理由の一つである。ほっとくと阿呆がカロリーメイトみたいな健康に必要十分な食品以外禁止するところまで嗜好品=悪として突っ走るぞと。
 また具体的に目にしたアニメが、学生の頃から楽しんできたジョジョシリーズで承太郎がタバコ吸う例のシーンときた日にゃ、オレがポルナレフの台詞奪って「嘘だろ承太郎!」って言いたくなった。
 表現に対する制限ってホント不粋だと思う。

 それでも未成年に対する犯罪行為の結果生まれる児童ポルノの禁止というのは、さすがに私でも賛成する。今現在の「児ポ法」にも反対するつもりもない。表現の自由は守るべきだけど、表現の自由のためにという理由で犯罪を犯して良いとはならないのは自明だと思う。まあ、ロリータコンプレックスの人からすれば、大人の女性が合意のもとで出演したポルノが良くて、女児は合意があってもダメというのは不当だと主張するかも知れないかもだけど、今の社会制度は未成年は判断能力がまだ不十分なので、責任を免除するとともに保護されなければならないとされているので、私もそれはある程度妥当だと思いつつたまに疑問も感じたりするけど、不服な場合はそういう主張を訴えるなりすればいいと思う。実力行使は捕まるにしても、主張したい人を止める理由は私にはないのでご自由にだ。
 でもこれが、児童ポルノの禁止の議論の中で実写のポルノじゃなくて2次元の「絵」で表現するマンガやアニメについても児童に対する性的な表現は禁止するべきだというのを目にすると、それは違うだろと思う。
 なんでワシがちっちゃい女の子の裸に興奮するロリコン共の擁護せにゃならんのや?という気はする。タバコに関しては釣り仲間に愛煙家が結構いるので、彼らを想い描いて彼らの嗜好を尊重して闘っているつもりなんだけど、別に私はロリコンじゃないし周りにロリコンであることを公言している人もみあたらない。でもまあ、前回も書いたように深夜アニメの円盤を買って買い支えているパトロンである濃いオタク様は傾向として2次元美少女好きであり、エロい2次元美少女を必要とするロリコンの人とも重なる場合は多いと考えると、普段タダで深夜アニメ楽しませてもらってる分ぐらいの義理はあるのかなと思わなくもない。
 人の性癖なんて「変態」という言葉が陳腐に思えるぐらい多様性に富むことは、ネットの匿名の世界でいろんな人の欲望が露わに晒される状況下で明らかになっており、ロリコンぐらい別に実際に女の子にいたずらしたりしなければ、アニメやマンガぐらい自由に楽しませてやってくれよと思う。ロリータコンプレックスという言葉自体がナバコフの作品以降に生まれたのは確かなんだろうけど、ちっちゃい女の子が好きという性癖自体は源氏物語からイスラム教のムハマンドから古今東西普遍的な珍しくもない性癖であり、その持ち主をつかまえて、そのこと自体が犯罪的であるなんて虐めてくれるなよ、あんただって心の底には人にはいえないような独特の性癖の一つや二つ持ってるでしょ?
 そういう表現が犯罪を助長するとかいい始めると、じゃあ他の犯罪表現全部、同じように狩るのかって話でそれがいかにバカバカしいかを想像してもらいたい。
 禁止したっておおっぴらに売れなくなるだけで、需要があれば作る奴も裏で売る奴もいなくなりはしないので、ロリコンの人が本当に困るかといったら別にどうということはないのかもしれないけど、不合理な規制で犯罪者を作るなんてバカバカしい。
 児童ポルノの禁止とかは、とにかくアメリカ様並びでグローバルスタンダードなんだから、というならグローバルスタンダードが間違ってるんだから日本独自基準で行けば良いと思うのである。ガラパゴス化大いに結構。ガラパゴスコバネウの羽が小さいのにはガラパゴス島に適応した理由があってそうなっている。理由もなく感覚的にも受け入れがたい基準を押しつけられるのはまっぴら御免。

 という、規制なんてケッとばせフリーダム最高!!おかわり自由は基本的人権!!と表現の自由を含め自由を賛美してきた我が人生だけど、ちょっとその認識に亀裂が入る出来事があった。
 深夜アニメの円盤買った人のための特典映像なんだと思うけど「これって著作権とか無視して違法に上げてる映像か?」と思いつつもネットでチラッと見てしまったら、地上波放映時には自主規制がかかってて絶対描かれない乳首様が写ってらっしゃってこれが思いのほかエロかった。
 なんというか、ネットで世界中のエロ映像にアクセス可能で大事な部分おっぴろげた無修正画像だろうとそんなには興奮しなくなった寂しい40代が、たかが2次元の絵のオッパイにドキッとさせられた。
 普段隠されているからこそ、それが現れたときのありがたさが増すというのを明確に意識させられた。世阿弥の「秘すれば花なり」というのはこういうことかと勝手に変な解釈で納得してしまうぐらいに。
 深夜アニメの円盤買う人って収集欲か買い支えるための「お布施」と意識して買ってるんだと思ってたけど、円盤では地上波では「不自然な光」や「黒塗り」とかで処理されていた規制のかかった部分が無修正になるのが、意外とホントに特典として魅力で買っているのかもしれないと思わされた。乳首出るぐらいでそんなに違うかよと嘗めてました正直。
 規制もエロ方面に関しては、楽しみを増やすのに役立つこともあるんだとちょっと認識を改めるとともに、マンガ「地獄先生ぬ~べ~」の作画担当岡野剛先生が、世界各国で翻訳された際に、国ごとに規制基準が違ってて日本版では乳首とあそこにジャンプの海賊マークで修正入っているのに追加しての修正とかがあったのに対し「その国の規制ギリギリのところが一番おいしいんです。各国基準で規制おおいに結構」的なことを書いていたのを思い出した。プロはわかってらっしゃる。

 自由っていっても、不自由からの脱却とかがないと実感することは難しく、結局抵抗になる何かがあってはじめて感じることができるものであり、アホウ共のくっだらねええ主張と闘うことができなければ、言論の自由も表現の自由も自分の胸に感じることなんてできないんだなと、つらつらと書いてて再認識したしだいである。
 こうやって好き放題書ける世界というのは、きっとまだ祝福されているのだろう。



※ 文章中報道各社の自主規制において不適切とされる単語いわゆる放送禁止用語を使用していますが、今回言論と表現の自由を守るためあえて使用しているものであり、ご指摘等いただいても訂正も謝罪もいたしませんのであらかじめご了承ください。報道各社様にお付き合いせにゃならんよな義理もねぇしテメエの基準で好きに書きます。オメコ!!

2 件のコメント:

  1. 魚影の群れは確か緒形拳と名取裕子主演で映画化されてて中学生になったかどうかの頃テレビで見てエッチなシーンだけが鮮明に記憶にあります。
    思い描かれているタバコ飲みの筆頭?として喫煙シーンの自主規制とかは確かにそら恐ろしく感じる。この流れでは、今後及び過去の名作も含め映画なんかでもシブいバーとかで飲むシーンすら無くなってしまうのか、とか考えるとちょっとニヒルに笑えたりする。 名作「カクテル」なんかはどこまでどうやってモザイクいれるんやろな?

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  2. おはようさん

     思い描く愛煙家筆頭にそう感じてもらえるなら闘いがいも有るというものです。

     「焚書」っていう本を焼くことを表すための言葉が作られているぐらいに、表現物を貶める行為は禁忌扱いされてきたはずなのに、幼稚な正義感や行き過ぎの健全性を御旗にズカズカとその領域に攻め込んでくるヤツが居て、そいつらの意見が実際に反映されてしまうような今の社会の合意形成の仕組みって、ホントにそら恐ろしい感じがする。まさかそれは無いだろうということがうかうかしていると現実になってしまうというのが既に起こっていて、まさか過去の名作映画まで規制はされんだろうと思うモノの一抹の不安は感じずにいられないところ。

     最近、マンガなんかだと過去の名作とか最後に「現在では差別的表現とされる表現を使っているけど、当時は普通に使われていて作者も差別する意図は無いので作者の表したかったことを尊重して修正してません、あしからず」的な注釈が付いていることがある。
     出版社にも表現の自由を守るために闘っている同志がいると、ちっちゃいことかも知れないけど頼もしく感じたりしてます。

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