我が家の”生け簀”こと近所の漁港に「釣り自粛」を求める看板が立ったことは、すでに”顛末記”でご報告のとおりで、まあ文句言ってもシャアないので渋々従うわけだけど、こういう人の楽しみを制限する側の人間の思考って、緊急事態だからって今回は言うだろうし、そうじゃなくても普段から安全面を配慮してとか、なんとなく正しそうな理由を錦の御旗に、正直制限かけたところで対した意味ねぇだろって状況でも、不要不急の”遊び”のことだから生け贄にして不満持ってる人達のガス抜きにでもなればいいやぐらいの認識で”いともたやすく行われ”ためらいもない感じがする。
釣りごときに、人生のほとんどの情熱と、釣りしない人間からは想像できない時間を費やしてきた人間にとって、釣り場を奪われることがどれほどの苦痛で損失かということが全く想像できていないだろうと思う。当たり前だ、そっちが”普通”の感覚だもんナ。
そのことは仕方ないと思っている。ワシが異端であり、迫害されてもなお求め続けて何とか釣りを楽しみ続けることが自分の聖戦だと思っているぐらいで、この程度のことどうにかできずにナニが”釣り師”だと思う。
だから個別の案件として今回の近所漁港の釣り自粛については、いまさらガタガタ書くつもりもない。
ただ、日本全体として「この緊急時に楽しいことをするなんて不謹慎である」っていう雰囲気が根強くあって、ホントに第2次世界大戦時の我が国の「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」とかと相似の精神性で、あいもかわらずまったくもって気色悪いったらありゃしない。
今戦時下にも比べうるぐらいの非常事態だということは言っていいんだと思うけど、そういう非常時にこそ、我が国国民独特のいやらしい島国根性が露見してきて、「1984年」とかのSFに描かれた、気色の悪い監視社会型のディストピアが”ネットで晒す”って行為に代表されるような体制側でも何でもない一般市民の行いで顕現しつつあっておぞましいったらありゃしない。
感染者の住所氏名特定して家に石投げるとか”島国根性の因習”と認定するに相応しい陰惨な行いだと思うし、営業停止を求められてた店が営業中なのを通報するってのはまあ”正義”様の行いなんだろうけど、それが行政機関に何百件ってくるってのは、あきらかにキチガイ沙汰だと感じるんだけど、そういう市民同士の監視・対立構造はもろに戦中の”隣組”だっけ、相互監視と連帯責任で自由を奪った気色の悪い仕組みが連想されて仕方ない。これ、体制側が煽ってるって部分はなきにしもあらずかもだけど、むしろ自然発生的だよねっていうのが尚更怖い。
まあ、海外でも新型コロナウイルスが流行し始めた時に”欧米先進国”様でもアジア人差別があったみたいだし、我が国だけの話ってわけじゃないらしいのが救いようのないすくいだろうか。
新型コロナウイルス感染症対策について、ワシごときが素人考えでどうこういう知識もないし、基本専門家やら政治家やらにお任せで、個別に腹立つようなことはあるけど全体としては、諸外国の状況やら対策やら見つつ、感染防止と経済活動を天秤にかけてというか利害ぶつかる人達の間で勝手にどっかで綱引きやって、この程度の対策になるべくしてなってるんだろうから、ほぼ人ごととして「頑張ってくれ」としか思わん。まあこんなもんでしょ。
あと、医療現場の人とか生活必需品売ってる人やら運送業の人とかには当たり前だけど心底感謝する。もひとつ当たり前だけど、感染した人にはお気の毒にと思ってお見舞い申し上げるし、亡くなった方にはご冥福をお祈りする。
そういう状況の中で、遊びで外に出るのは不謹慎だ、直接生活に関係ない娯楽に関しては経済活動もナニもかも自粛するべきだ、っていうイヤーな同調圧力を掛けてくる勢力があって、ワシャ真っ向からソレについては異議申し立てする。噛みつくから覚悟しやがれ!
国中が非常事態になる事態の代表といえば戦争なんだろうけど、戦時中に花を作っていた農家が「非国民」となじられて、芋だの腹に溜まるモノを作るように指導されたけど、花を作ってた農家は「心にも栄養が必要なのに」って悲しんだっていうのが実話だか創作だか忘れたけど心に残っている。全くその通りだよなと思う。
開高先生のエッセイでも市街戦とか泥沼の状況にあったベトナム戦争の時にも、攻撃が止むとどこからともなく市場には花が入荷して芳しいその花を市民達は楽しんでいた、って書きとめていたと思うけど、メシ食ってクソして死ぬだけが人生じゃなくて、美しいモノや楽しいことを享受してこその人生で、それは非常時だろうがなんだろうが、むしろそういう時こそ必要なんじゃないかと思う。
感染爆発してどうにも奈良漬けの正念場の短期決戦ならともかく、現時点の日本での新型コロナウイルス感染症についてはイタリアで起こったような極端な医療崩壊も起こしておらず、アメリカのような感染爆発もまだ起きていない。運が良いだけで今後そうなるかもしれないけど、ワクチンとか治療方法が確立するまでながけりゃ数年の間、感染数0に抑えるなんてのは経済活動0にするわけにいかないし、北センチネル諸島でもなきゃ現実的じゃないから、それまでいかに爆発的感染拡大を起こさずに医療崩壊を回避して死者や感染者数を抑えて、かつ経済的な打撃もなるべく少なく済ますっていう長期戦なんだろうと素人でも分かる。そういう長期戦では息抜きもないと人間もつわきゃない。
なにも、この疫病流行時に観客集めてお祭り騒ぎしろって言ってるんじゃない。スポーツが無観客試合になったり、コンサートツアーとかが中止になったり、夜の濃厚接待のあるお店が営業自粛を求められたりは申し訳ないけど仕方ないと思う。でも、人混みに行くわけでもなく、たいして感染の危険度もない、例えば気晴らしに出かけて人と接しないで帰ってくるようなサイクリングだの散歩だのまで自粛せにゃならんのかね?
今の状況でも楽しいことを諦めないっていうのは絶対大事。
今どきならスポーツとか音楽とか観客入れずにネット配信で有料にして儲けるってのは良いジャンって素直に思う。自宅待機で娯楽に飢えている人々の需要はあるだろうしダレも困んねえジャン。
だから、まさに私めもお金払わせてもらっているアベマTVで先日「ロードトゥワン2」という格闘技の興行がネット配信のみで無観客で行われたので、やっぱめざとい人はいるんだなと諸手を挙げて歓迎して視聴させてもらった。
ところが、実況の人もずいぶん説明に時間を掛けていたけど、無観客でさえ格闘技の興行を行うことにずいぶんと「賛否両論」あったようなのである。
そら格闘技だから、濃厚接触は発生するけど、そんなもん事前に医師の検査とかである程度の安全性は確保するんだろうし、選手審判以外の人間は防護服に身を固めた物々しい出で立ちで、別の場所でモニターしてる解説の大沢さんと実況担当の人も長机2つ使って距離を離して中継していた。
現時点で取れるべき対策を全て行った上で実施しています、という説明だったけどそこまで物々しく大仰にしなければ許されない状況なのかと強烈な違和感を感じた。
テレビドラマとかも撮影中止しているとかネットニュースの見だしで目にしてたけど、その時はドラマなんて見もしないので関心がなかったけど、よく考えたらドラマ撮影ってそんなに不特定多数が濃厚接触する現場なんか?多分違うだろ?なんかあったときに叩かれるし、何もなくても視聴者様に「ドラマなんて必要不可欠でもないだろうけしからん」って叱られるからやりたくねぇって話だろうという気がしてきた。根性ねぇな地上波TV局は。
そう思うとネットTVならではの自由さと挑戦性を遺憾なく発揮したアベマTVは立派だと褒めてつかわす。アベマTVは番組表の時間割り通りの放送は基本無料で視聴できるけど、ワシャ後からでも視聴できるプレミアム会員様であり会費払ってるけど、こういう挑戦にワシの払ろたお金が使われるっていうなら誇らしいぜ。今後も金なら払うんで頑張ってくれたまえ。
試合自体は、コロナ禍で興行がなくなって試合中止になった選手とかを引っ張ってきたりしてて、急ごしらえ感があってショボい試合もあったけど、格闘技の試合なんて過去の試合以外しばらく見られないと思ってたので”時価”的に価値のある放送だったと思うし全体的にはとても面白くて楽しめた。
最後、メインイベントを戦った、今回の仕掛け人らしい青木選手が試合後マイクを取って「オレは死んだって良いんだ、死にたくないヤツは家にいろ、負けたくないヤツは戦うな、でも生きるってことは目の前にあることと戦うってことだろ」って覚悟を語ってて、この人正直ちょっと嫌いな選手で、独善的なモノの言い方とか考え方とか、そういう”悪役”っぷりが売りなんだけど、今回の言葉には正直感動させられた。
彼にとって格闘技がそうであるように、ワシにとっての戦いは”楽しく釣ること”だよなと凄く共感できた。
たぶん、ネットとかで「今格闘技の試合”なんか”やってるときか?感染の確率0にはできないなら不要不急のことをやるべきじゃない」とか”社会正義の戦士”様にさんざん攻撃されただろうことは想像にたやすい。
格闘技”なんか”、釣り”なんか”って口にする輩は、じゃあオマエらナニが大事でなんだったら必要だって思うんだ?経済か安全か健康か?そんなもんワシャ経済”なんか”感心ねえし、安全も健康も、最悪売れるなら売っぱらってでも「釣り」で手に入れたいモノがあるぞ。自分の大事に思うモノが一般的で共通認識を得やすいからって、少数者のやむにやまれぬ情念を一顧だにせず踏みにじって良いってもんじゃねえゾ。っていつも怒りを覚える。
今回の興行は、そういう少数者である格闘技好きのためにやってくれて本当に良かったと賞賛する。もちろん感染のリスクはある、選手一人が死ぬ覚悟があるからといって、感染した選手が死ぬまでに他の人にうつす可能性を考えれば社会的には危険を含んではいたと思う。それでもなお、可能な範囲で感染の危険を避ける対策を取って、私のような格闘技ファンに楽しく興奮する時間を提供してくれた功績は大きく、危険の小ささと楽しさや利益の大きさを比較すれば、現在の状況であればこのぐらいは認められて良いと思う。この程度のことが許されないほどまだ切羽詰まっちゃいないって思ってる。
正直、数日後どうなってるのかさえ分からん今の状況で、危険度が大きい”お楽しみ”は我慢するとして、まだそれ程危なくない遊びは楽しんでおかないと、ナニもしないうちにナニもできなくなっちゃうよって思ってる。
要するに程度問題で、アホみたいに自粛すりゃ良いってもんじゃねえでしょ。様子見ながら行けそうな所までは行ってみようよ。その時の”程度”の見極め方にアンタの品格が問われるってところだろ?
巣籠もり中に室内でできる暇つぶしを考えて、写真や動画撮ってSNSに上げてみんなで楽しむとかいう、とても正しく非の打ち所なく推奨されるようなことができる限られた”エリート陽キャ”様もいるんだろうけど、ワシらみたいな”底辺陰キャ”にゃそういうのはちょっと難しいンですわ。ワシ”釣り”取り上げられたらその場で干上がるような粘着質に執着してる依存症的な人種なんでね。やれるようにヤるしか仕方ないよね。あんまり人様に迷惑掛けすぎないようにはするけどお下品に好きなようにやらしてもらいまっさ。
安全・健康とかを至上の命題のように掲げて怪我しないように長生きするように、危険を冒さず旨いモノも食わず、ストレスも避けて生きてる人間の人生って、ナニがおもしれぇんだろう?って常々疑問に思っている。いつもそういう人間の主張を聞いたり目にしたりする度に「コイツら、安全に健康に管理されて出荷される家畜と同等だな」と心底バカにしている。家畜なら黙って与えられた飼料だけ食っとけ。人様にエラそうに同調圧力かけてくんな。
人間が本気になれるのは遊びと危険だけだそうである。絶望の中にもヒリつくような快楽が潜んでいるそうである。
危険をさけて、なにも対価を支払わず、そのくせ何かを得ようだなんて虫が良すぎるって話。
チョットぐらい不謹慎なことも楽しもうぜみんな。なにかちょっと犠牲にしてでもさ、っていうのが今回の私の言いたかったこと。異論はあるだろうけど、反論しにくい”正さ”ッポイ何かを掲げてモノを言ってくる声のデカい馬鹿にネットの隅っこででも抵抗しておく人間が居た方が良いと思って書いちょります。
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