2015年1月31日土曜日

値段がつかないからといって価値がないわけではない


 ネットでちょっと前に見かけたやりとりで「金より大切なものなんて存在しねーよ!誰か反論してみろよ」という挑発に即座に「だったら金を使えないだろ。論破終わり」という返しを書き込んだやつがいて、「俺は今、本物の論破を見た!」と激賞されていて、ネットの片隅にはなかなかの賢者がいるようだなと感心させられた。

 お金があればある程度何でも買える。お金が大事だというのもある程度そうだろうと同意する。ただ、お金っていうのは、本来価値のある物、例えば食料だとかサービスなんていうものを、全部現物で保管してはおけないしサービスなんてのはそもそも保管という概念と相容れないので、そういう価値のある物と交換可能な便利なモノとして作られた道具であり手段である。道具だから本来使ってこそ意味があって、一番大切で使えなかったらネットの賢人のおっしゃるとおり意味がない。お金は手段であって、本質的にはそれ自体が目的にはならないはずである。どれだけ現金があっても使わないならただの紙切れだし、銀行口座にあればケツ拭く紙にすらならない数字でしかない。お金が沢山欲しいという場合、硬貨マニアとか特殊な物質崇拝的な心理を除けば普通は、お金がたくさんあって食うに困らない、欲しい物が沢山買える、楽しいサービスも沢山利用できる。という金を使って良い目を見たいというのが目的で決して金そのものが目的ではないと理解している。

 なぜ金の話をし始めたかというと、先週carankeさんと東京郊外の湧き水の川で、魚を釣って鳥を見て、いろいろと話したときに「こういう生き物が棲める環境があるっていうことの価値って、費用対効果とか経済的な価値では計りにくいんですよね」という話題になって2人でグチグチとコンクリートでどこでも固めたがる人達の悪口をいいつつ議論したりして、その後もいろいろ考えたからである。お金に換算する方法がないので経済的に評価しづらい、そういったものにも価値のあるものがあると、金で買えないような、かけがえのないものもあると私は信じるという話である。

 東京ぐらい経済優先で突っ走って行き過ぎたのが表立ってくると、さすがに残された貴重な自然や文化遺産は残していこうという機運は高まっていて当然で、くだんの湧き水の川も水辺の公園が良い塩梅に手を入れて人と共存する里川的「自然」に整備されていたり、水源地の一つが昔そのあたりの農村によく見られた竹林とセットで公園となっていて、河岸段丘の断面からポコポコと湧き水が湧いてくるという地理学的な知識を裏打ちする、まさにその現場を目で見て感じることができたりと、割と自治体も気合い入れてちゃんと考えて保全やら教育やら含めて力を入れている様がうかがえた。

 魚も鳥も虫も沢山いるので、釣ってても鳥見ていても、都心から電車一本でこんなに楽しめて良いのだろうかというぐらい良いところなのだが、果たしてこの良さがどれくらいの釣り人に理解されるのかは疑問である。分かる人には分かると思うのだが、ものすごい数の釣り人が東京の周辺にはいて、あやしげな爆釣情報などネットで流れると「人山」がたってえらいことになるくらいなのだが、なぜかネット検索であっさりたどり着けたこのポイントには釣り人は全然ストレスを感じない程度の少数しか来ていない。
 よくフライフィッシングにおいて、「生態系全体からのアプローチ」とか大上段に構えた大仰なキャッチフレーズを目にするが、時にそれが形骸化してなんか小難しく水生昆虫の種類やら生態やらをゴチャゴチャと知っているのがレベルが高いと勘違いしているような気配を感じることがあって、もちろんすざまじいレベルでホントに生態系全体から魚に迫って行っているフライマンもいるのでちょっと失礼かもと思うが、そういう洒落臭い知識じゃなくて生態系っていうなら、もっと虫と魚だけじゃなくて山川見て鳥も見ろよと正直思う。山に雨が降ってそれが染み込んだのが、河川に切り取られた河岸段丘の崖から染みだして湧き水の川になる。地熱で暖められた湧き水は水温安定していて冬でも暖かく、その分水中の植物ももちろん虫も年間通じて豊富で、それらを餌に魚も鳥も多いという知識をもって冬この川をポイントに選ぶというのは、大雑把ではあるけれど「これが生態系からの魚へのアプローチです!」と胸を張って言い切れるものであり、carankeさんという鳥の専門家の案内で鳥の世界も楽しんでみたりしたらもう、楽しいの楽しくないのって、まさに「金には換えられない」楽しみであった。

 ただ、この楽しみは、文字通り価値がお金に換えられない類いのもので、費用対効果とか考え始めると、釣り人やバードウォッチャーが多少来たところで、まず公園整備や河川環境保護の経費が賄えるような額にはならない。ただこういった現物を見て生態系やら河川、地域の歴史やらの地理学を学ぶ機会というのは大事だというのは分かる人間には分かるはずである。現物見ないと絶対に身につかない知識とか経験とかがある。だから東京あたりの財政豊かな自治体ではそれなりにお金を付けることができる。
 ぶっちゃけ川で魚を釣ったこと無いような育ちかたした人間が、まともに川の自然を守る方法が分かるわけがない。
 いま、若い親の世代が今一そういった自然と接する機会を持ってきていないように思う。だから川はコンクリで固められまくるし、釣り場に子供が少ないようにも感じている。湧き水の川にも餌釣りで淵のアブラハヤを釣っている近所のジサマと瀬でフライでオイカワ釣ってるオッサンと青年ばかりで、竿持った子供はこれまで1人しか見ていない。
 簡単に釣れそうなデッカイ鯉とか泳ぎまくってるのに、なぜ釣ろうとしないのか、学校が柵を越えて川に降りるなと言っているのかもしれないが、そんなもんは子供は無視して暴れる権利があると私は信じる。そういう元気が今の子供にないわけではないように思えるのだが、親自身が川や池には危ないので近づくなと言われて育っているので、川に近づけたがらないのではないかと疑っている。
 近所の川の柵超えて釣りに行ってヌシみたいなデッカイ鯉釣ったことがある。という子供時代の経験はそれこそお金に換算できないデッカイ価値があると思うのだがどうだろうか。都会の川の堕落した鯉なんて逆にそのぐらいにしか存在価値がないと思うのだが。

 というように失った自然を取り戻そうという流れは都市部を中心に結構あると思う、あると思うんだけど、なんか最近コンクリ好きの勢力が盛り返してきたように思う。
 少なくとも、日本でも「生物多様性」とかいう言葉を目にするようになって、一回そっちに行きかかった流れが、またぞろ景気もちょっと良くなって公共事業も回さねばならんということで、ほっといてくれよというところまでコンクリ化しているように思う。
 直接被害食っている事例では、近所ポイントのシーバスのついていた排水脇のネット蛇篭の岬の部分が、何の不都合あったのか直線のコンクリ護岸に改修されてしまった。現象としてシーバスがまったくつかなくなってしまったが、その背景にはネット蛇篭なら隙間にハゼ系だのエビカニの類いだのがいっぱい棲めたのがいなくなって、けっこうそのあたりの生物群集におっきな影響与えている実態があるのだと推測している。
 ネット蛇篭というのは正式な名称ではなく勝手にそう呼んでいるのだが、でっかい1トン袋ぐらいの大きさの樹脂製のネットで作った篭に石を詰め込んだものを、積み上げたりして川の浸食を防いだりする護岸に使われるもので、見た目は石積み護岸のような自然な感じにはならず写真のように土嚢を積み上げたようなパッとしない見た目になるし、ルアーはネットに根掛かりまくるのだが、石積み護岸以上に生き物が隙間に棲む機能に優れているようで、割と高く評価していた。テナガエビ釣りでも良くそのまわりを狙う。積み上げるのにクレーンでどかんと積めば良いだけで、一個一個人力で石を組んでいく石積み護岸に比べればコストは小さそうだし、ルアーが根がかるのはトップでも投げとけという話でどうということでもない。見た目を気する公園整備とかには向かないだろうけど都会の川の護岸整備には結構良いんじゃないかと思っていたが、これの良さがわからんかねコンクリ屋や財政担当者は?という仕打ちとなっている。オレは見た目パッとしないが実力者のネット蛇篭を応援したい。

 東北でも復興の名の下にまたぞろコンクリ屋が勢いづいているようで、海岸やら河川やらを醜悪なコンクリの壁で覆う気満々のようである。
 一旦壊してしまえば、山でも川でも元の状態に回復するとなったら膨大なコストがかかる。そういうのはヨーロッパやら東京やらでも前例はいっぱいあるはずだけど、地方ではその価値に気づかずにコンクリで固めてしまうとcarankeさんも嘆いていた。
 「そんなのどこにでもあるでしょ?」と気にもせずに、どうってことない水辺をコンクリで固めてしまった結果が、メダカですら絶滅を心配しなければならない昨今の状況である。ボチボチ危機感を持ってもらわないと警鐘は既に鳴りまくっているという話である。
 東北沿岸部の被災地でも、地盤沈下した土地が汽水湖のようになっていると報告していたが、そういう場所に水鳥がきているのを、わざわざ金をかけて使うアテもないのにポンプアップして排水し始めているようである。
 人が使わないのなら水鳥やらに使わせてやってくれと思うし、本来そういった汽水域の低湿地は田んぼの魚というイメージの強いメダカのもう一つの本命的生息地であったはずで、上手く使えばメダカ復活の場所にもなり得るだろうに、とコンクリに固められていない水辺の価値の分かる人間なら思うはずである。メダカ一種類が復活すれば良いという話では無く、そういう環境が残されていること自体に価値があるという話が分からんかなということである。

 ことここに至って、日本ではコンクリで固められていない水辺の価値は非常に高くなっているのは間違いない。
 それは、原始の姿のままの深い森の渓流やら、最近一般的にも認知を得てきた、人との共存で作られてきた里山里海的なものやらが価値があるというのと同様に、ありとあらゆるレベルでとにかくできるだけコンクリが少ない方が良いと言い切れるぐらいにすべての水辺で言えることだと思う。
 都会の川でもコンクリで天井も覆った暗渠で光も差さない釣りもできない場所よりは、コンクリの運河でも天井のコンクリが無ければ日の光でコケでも生えればハゼやイナッコがやってきてシーバスが入ってきて釣りもできるという流れができる。両岸コンクリでもその中に土手の部分があって植物が生えているか否かでまったく棲んでいる生物の多様性は変わってくる。とにかく今より悪くするな、チャンスがあったら良くしてくれ、コンクリ引っぺがせ土を盛れ、ネット蛇篭を積め、最低限放置しろと言いたい。必要性もない工事ならせんほうがマシなのは金銭面からも明白なのに、年度末予算が余ったからといって護岸工事すんなやボケと思うのである。
 安全面を考えれば、原始のままの暴れ川が良しとはできないだろうし、農業など産業との関連で効率的な整備が必要な水系もあるとは思うが、それら安全性や効率性などと同様かそれ以上に考慮しなければならず、取り得る範囲でベターな方法で保全していかなければならないのが、生態系やら生物多様性といったものだというのが、今時の良識だと断言できるのだが、じゃあそれがお金に換算するとどのくらい価値があるのよ?と聞かれると「お金じゃ計れないんです」としか説明しようがないので、金が一番大切だと思っているような本質的な間抜けを納得させるのが難しく、どうしたものかと悩むのである。
 全体的にどのくらいコンクリを引っぺがせばいいのか、その基準というか目標が分からないところも問題ではあるが、一応環境省が全国エコロジカル・ネットワーク構想なんてのも出しているので、そのへん参考にしろだし、とにかく危機的にコンクリが多すぎるのでどこでも迷わず引っぺがせな状況だと思う。

 少なくともこのブログを読んでくれている人はコンクリで固められていない水辺の価値の分かる人だと信じている。そういう人から是非、自分の釣り場の見てきた話を踏まえて、「コンクリで固めない方が良いんですよ」というのを機会ある毎にいろんな人に言ってあげて欲しい。できれば釣り仲間に引っ張り込んだりして我らの「反コンクリレジスタンス」に参加してもらえると、きっと楽しいことになると夢想するのである。
 ジョン・レノンは「国境など無いと想像してごらん」と歌ったが、私は「コンクリ護岸など無いと想像してごらん」と歌いたい。

 ”イマジン ゼア~ズ ノ~ コンクリ~”ってね!

4 件のコメント:

  1. あんとき話題にしてた水辺にまるわるエトセトラがこんな風にきっちり言語化されててびっくり。そして今週の顛末記読んだら鳥の識別(カルガモの♂♀含めて)完璧なのに二度びっくり!17種類も写真撮れてるし、さすがだなあ。なんか、こっちも負けずにやったるぞ~という気分になってきます^^

    返信削除
  2.  お褒めにあずかり恐縮です。

     鳥の見方は、現場で実際にどうやってるのかみせてもらったら、いきなりバージョンアップした感じです。
     なんか今朝、川向こうの学校敷地の崖の木でコゲラっぽい鳴き声聞こえました。木が生えてればどこでもいるんでしょうか?
     近所も川向こうは学校の森、手前は桜並木、川にはサギやカモと朝通勤時川の魚ばかりではなく鳥も見て楽しもうと思います。

     こういう楽しむための知識やちょっとした技術なんてのも金では買えない価値あるものだと思うところです。感謝。

    返信削除
  3. まるわる→まつわる
    でした。昔このタイトルで気〇沼かほくに出した原稿(ナマジ氏も書いてたよね?)がもとでデスクと名乗る方と喧嘩になったことが懐かしく思い出されます。

    ちょっと調べてみましたが、コゲラは1980年代から急速に東京都市部に分布を拡げたみたいですね。カワセミも同じような傾向にあったと思います。サイズの小ささが幸いしているのかな。

    ネット蛇篭、復興現場ですべてを蹂躙しつつあるコンクリート正規軍に対するインティファーダとして使えるかも。正規戦では最早勝てない。といってテロに走るつもりはないんだけど、石を投げ入れることくらいはしたい。巨大堤防の前面に。

    東京湾でのナマジ氏の知見、復興工事完了後の絶望的状態からニッチを回復していくために大いに参考になると思います。いっぱい教えてください!

    返信削除
  4. 「棺桶に持っていくしかない知識」がどこかで誰かの役に立てば、嬉しいことです。
    なんでも聞いてみてください。何でもは知らないけど知ってることだけ知ってます。

    カワセミは見る機会増えたなという実感はありましたが、コゲラはいるのに初めて気付いたので新鮮でした。サイズが小さいのは見た目的にもキュートで和みます。

    返信削除