人様におすすめされて読んだ「竜の学校は山の上」を面白いなぁちょっと初めて読むタイプのマンガだなぁ、と思って読んでいたら、最後の方のタイトルになっている話を読んで、過去にすでに読んでいることに気づいた。なにが「ちょっと初めて読むタイプ」じゃボケ!
ここ最近憶えているだけでも、阿部共実のマンガ、石田衣良の小説、川原礫のラノベを2度買っている。ラノベはシリーズもので本屋で「そういや新刊出たのまだ読んでないな」と1冊買って枕元に積んだしばらく後に、また本屋で見かけて「そういや新刊出たのまだ読んでないな」と1冊買って枕元に積んで、1冊読んで次を読もうとして手に取ったのが帯は違うけど同じ本で、ことここにいたって、初めて2冊買ったことに気がついたというお粗末。確かに2度目に見たときも「読んで」はいなかったが気付よ!という感じである。
Kindleだと同じ本を2回買おうとすると、あなたはこの本を過去に注文しています的なアドバイスが出るはずなのだが、それでもバージョン違いとかがあるのか阿部共実のマンガは2度買いしてしまったし、紙の本で読んだことあるけどKindle版は初めて買う場合には当然読むまでわからないケースが出てくる。粗筋読んだらわかりそうなものだが、石田衣良の小説は読み始めるまで気づけなかった。
ただもっと恐ろしいのは、2回読んでいることに気づきもしないケースがあったとしても、気づかないので知りようが無いということで、そういうことは無いと証明するのは「悪魔の証明」で難しいということ云々よりも、今のおよそ頼りにならない記憶力を鑑みるとありそうな気がしてならない。開高先生の「渚からくるもの」ははたして本当に初見だったのだろうか?と問うたところで、オレが知らないのに誰が知っているというのか?
内容忘れてしまって2度とも新鮮な感覚で楽しめたら、別に誰が困るという話でもないので、開き直って結構なことではないかと思うようにしているが、どうなのよそれ?
まあ、「同じ本を2度買った」という失敗はおそらく「本読み」あるあるネタだと思う。そう思わないとやってられないんだけど、どうなんだろね。
何しろ歳食ってくると記憶力はいいかげんなものに成り下がりやがる。年寄りが何度も同じ話をクドクドと繰り返すのって、いい加減にしてくれよと感じていたものだが、いざ自分が年寄りサイドに足をつっこみかけてくると、言ったか言わなかったかなんてのは憶えてるわけもなく、初めてのつもりでクドクドと言うことに自分もなるんだろうなと薄々わかってきた。
「子供叱るないつか来た道、年寄り怒るないつか行く道」とかわかったようなことを言いやがる戒めをこざかしく感じていたが、少し納得せざるを得ない。
それにしてもヨシコさん、ご飯はまだなの?
ヨシコさんって誰?ご飯ってなに?今っていつ?私は誰?誰って何?ナニってWhat?
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