実家に帰ったときに、血筋だと思うけどカーチャンが子供らが使った教科書とかを捨てられずダンボールに詰めて保管してあるのを、置いておいても仕方ないだろうとゴミの日に出せるように整理して紐で縛った。ただ国語の教科書だけは読み物としても楽しめるので捨てるのを保留してしまった。ここで捨てないからモノで溢れるんだとはうすうす感じるけどな。
国語の教科書は小説や詩などの世界に子供を誘う道しるべとして、その役割を充分以上に果たしていると感じている。コクト-や白秋の詩とか今でもそらんじられる。もちろんワシ谷川俊太郎先生もお気に入りに決まっている。いま地動説を題材にしたマンガのアニメ化が話題になっているが、地球が回っているということを鮮烈に知らしめる作品として「朝のリレー」はジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」とともに双璧だろうと思う。素晴らしいの一言である。
現代において優れた詩人は”作詞”しているというのがワシの持論で、今時の詩人の作品にはとんと馴染みが無いが、詩が詩として楽しまれていた時代の詩人には何人かお気に入りが存在する。どっかで書いたけどあいだみつおは大嫌いだけど金子みすゞはどうしようもなく好き。仕事仕事で忙殺されて休みの日には釣り場に居て実家になど滅多によりつきもしなかった頃には室生犀星の「小景異情」の有名な一節を心の中で呟いていた。高村光太郎の「道程」は人がやってないことに手を出したがる人間の道しるべ。草野心平の自由自在さには思わず笑う。北原白秋はゴールデンカムイとかで本人ろくでなしだと知ったが、詩は贅肉がそぎ落とされてて切れ味鋭く素晴らしいと認めざるをえない。中原中也は「よごれつちまつた悲しみに」に惹かれて読んでみたけどそれ以外はピンとこなかったけどそれだけで充分な気もする。宮澤賢治は物語はキリスト教的説教臭さが鼻についてイマイチ好かんが、詩はどれも素晴らしい声に出して読みたい日本語代表という感じ。
でもって谷川俊太郎先生の代表作といえばさっき書いた「朝のリレー」と「二十億光年の孤独」なんだろうけど、訃報記事を読むと「鉄腕アトム」の主題歌の作詞もされていたようで、”現代に於いて詩人は作詞してる”説を裏付けるようで「ほらね」って感じだ。
92歳は大往生だろうと思う、それでも感じるさみしさに僕は思わずくしゃみをした
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