2019年12月1日日曜日

沈黙の水辺と自由の柵

 時事ネタにはあまり興味がない方だと自認している。
 既に地上波テレビ放送とは決別済みなのでニュース番組見てないし、ヤフーニュースの見出しだけみて、トップの半分ぐらいが有名人の薬物・不倫問題でしめられてるのをみるにつけ「そんなモン他人であるワシがなんで興味抱く必要があるねん」と思いつつ、その下のヤフー様がおワシ用に薦めしてきてくれる、「判明、謎の巨大エイが200キロも旅!ダイバーと研究者がタッグ組み追跡」とか「ヤマビルの体はどうなってるの? 吸った血はどこへ行くの? 解剖してお腹の中を見て見ると・・・」とかのワシ好みの記事を読みながらも、「コレってワシの趣味趣向ヤフー様にダダ漏れで監視されてて、思想誘導とかされてても気づきようがないよな」と空恐ろしくもあり、与えられた情報をのんきに消費するだけの情報収集は与えられた餌を疑いもなく食べつづけている家畜のような状態だなぁと感じて”家畜人ヤフー”というしょうもない言葉が頭に浮かんだりしております。

 というような時事ネタにうとい私めでもさすがにコレは世界的な関心事項だろうという時事ネタが最近2つほどあったので、自分の勉強がてらご紹介してみる。
 1つは世界的に使われているネオニコチノイド系の農薬がヤバいらしいっていう話で、つい先日も日本から興味深い報告があったところである、ネオニコチノイドと呼ばれている化学物質は、植物であるタバコが対昆虫用に進化の過程で作りだした毒物である「ニコチン」に似た構造やら作用機序をもつ物質で、ウィキって初めて知った不明を恥じたしだいなんだけど、最初に実用化して1990年代当初に農薬登録したのが日本の企業という「世界の皆さんスイマセン」な衝撃の事実が発覚。
 対昆虫用に特化しているので、散布作業する農家の皆さんとか作物に残留した場合の消費者とかのへの悪影響が少ない特徴などから1990年代以降は世界的に主流と言って良い農薬の一つとなっていったそうな。
 ただ”人体に直ちに被害がない”って言ったって昆虫殺しまくったら生態”系”に悪い影響あるんは当たり前やろなとは思うンだけど、かといって農薬無しで今の農業が成り立つわけもなく、まあ問題出てきたら何か考えるしかないんだろうなとも思うンだけど、実際にたぶんネオニコチノイドが犯人じゃないかと言われている”ミツバチ謎の大量死”とかが起こり始めて各国規制の対象となり始めていて、日本でも公的規制より先に農業団体で自主的に段階的な不使用を目指している、ってな状況になっている。
 そんな中で、そりゃ田畑で撒いた農薬が河川湖沼の水生昆虫殺してないわきゃないよなとは想像できるけど、それが生態系にまで影響を及ぼしているっていうのを証明するのは、何が原因か特定するには使用前使用後の昆虫の数の変化とそれを食ってる魚なり何なり高次捕食者やらの動植物の数の変化が比較できなくては無理なんだけど、ウナギやワカサギの漁業が行われていて、かつ昆虫の数も継続的に調べられていたという珍しい事例が日本にあって、「島根県の宍道湖でネオニコチノイド使用開始と同時にウナギ漁獲量が激減」という報告の論文が「ネイチャー」とともに世界で最も権威ある学術雑誌の「サイエンス」に掲載されて、世界中の関係各位が「やっぱりな」と思ったところなのである。たぶん。
 内容は読んだまんまで、ネオニコチノイド系の農薬使い始めたら、フライマンにはお馴染みの赤虫的幼虫時代に湖の底の有機物とか食べて魚の餌とかになってるオオユスリカが減少してウナギやワカサギが減少してっていうのに科学的に関係性が認められたっていうお話しで、ウナギが絶滅危惧種に指定されるぐらい減ってきた理由に護岸工事とかの河川環境とかの悪化で住処が減った的な理由があげられてるのを、ウナギのどこにでも潜り込んで、なんなら雨の日とかに陸地歩いてでも住めるところ探す、都会の川でも結構な数が居るしたたかさの印象とあまり合致しないので違和感抱いていたけど、餌が減って内水面では数が減ったというのの方が合点がいく。オオユスリカの幼虫とか稚魚期には直接的に重要な餌だろうし、成魚にとっては餌の小魚が減ったら当然風が吹いて桶屋が儲かる系。
 とはいえ、内水面ではそれで減ってるのかなと腑に落ちかかるんだけど、ウナギって結構な数が川を遡上せず海で暮らす”海ウナギ”で海では昆虫が生態系で占める役割は微少なはずで、ウナギの稚魚の来遊量が激減している理由までは腑に落ちない。
 大きな気候変動的な流れの中で、人為的影響なのか自然な増減の範疇なのか不明だけど減少の時期に入ってしまってるのかなというのが、今まで漠然と抱いていた印象だったんだけど、餌生物をやっつけたら高次捕食者まで居なくなった、っていうのが内水面で明確になってくると、海でもそういうことがあるんじゃなかろうかという疑いが湧いてきて、そういう視点で見ると、1つ思い当たる変化が私の生きてきた40数年で起こっている。
 皆さんは「フナクイムシ」という生き物をご存じだろうか?
 漢字で書くと「船食虫」で海の生き物で、木材に穴を空けて木を餌にしている細長いミミズ的なニョロニョロした生き物で、実は二枚貝の仲間で貝殻の部分がミミズ状の体の先の方に木に穴を空ける”歯”のようにチョコンと付いているというけったいな生き物である。二枚貝の仲間なので実は食べると美味しいらしく東南アジアのあたりで食べるところがあるとも聞く。
 こいつが結構な食欲で海に浸かってる木材を食いまくるので、昔は海岸の桟橋とか矢板とか木材が使われてたんだけど、結構穴だらけでトムとジェリーに出てくるチーズの極端なヤツみたいになっていた。
 ただその記憶は小学生ぐらいの頃の話で思い起こせばはや40ウン年前で、その後すっかりフナクイムシが食い荒らした木材を海で見なくなったことに気がついたのは、たぶん大学生の頃に海岸で流れ着いた流木で穴だらけのが落ちていて、そういえば昔は海岸にある木という木は穴開いてたよな、でも今はコンクリやら金属やらの構造物が増えたとはいえ、流木でさえ穴が空けられていないのがほとんどだな。と気がついて、その頃には船底塗料の有機スズ系化合物が海の無脊椎動物とかに大きな悪影響を与えているという知識はあったので、そういうのが影響しているんだろかと漠然と感じていた。
 有機スズ系の船底塗料とかは規制されていき、今現在はずいぶん海の汚染もマシになっているはずなのである。それは高度経済成長期の公害が発生していた頃に比べれば種々もろもろ確実なはずなんだけど、それでも日本の海にフナクイムシが流木に穴空けまくるほどの環境は戻ってきていない。何かが何かを静かに殺している。しかもそれがシラスウナギの極端な不漁の原因なら、ここ10年かそこらで登場した原因物質が犯人なはずで、いったいそういうモノがあるのかないのか、もっと複雑に絡み合ったピタゴラスイッチで激減したのか、今現在の情報では私の中には回答はなく疑問が膨らむばかりである。
 農薬などの人工の化合物が生態系に悪影響を与えることへの警鐘は、少なくとも有名なレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の昔1960年代から鳴らされているけど、いうても人間こんなに増えたらそりゃ他の生物やらに迷惑かけてでも効率的に一所懸命食糧生産せねばオマンマの食い上げでしゃあないっちゃしゃあない部分はあると、水産業界で25年がとこ働いてきた人間は免罪符を求めたくなる。
 ただ、釣り人なら水の中からウナギがワカサギを砕く音やフナクイムシが木を囓る音が聞こえなくなった沈黙には耳をそばだて続けなれればいけないのではないかと思うのである。

 もういっちょは、香港のデモの問題。
 えらいナマジには似つかわしくない、政治的な話題だなと思われるかもしれないけど、ワシかて木の股から生まれてきたっちゅうわけやなし、香港にはアフリカンクララとかホンコンオイカワ釣りに行ったときにお世話になった釣り仲間とかも居るから、心配になって「どないなってるねン」って思わんかったら、オマエの血は何色だっ!って話で、ネットニュースの見出しだけじゃなく記事本文も気になって読んでたりする。
 デモ隊の一部が暴徒となって暴れてるっていう”公式発表”が全部嘘だとは思わないにしても、どう見ても体制側の都合の良い”大本営発表”なんだろうなっていうのは想像に難くなく、デモの激化の直接的原因になった犯罪者引き渡し協定の改正案が、ホンコンの人間を中国本土にしょっ引いていってお裁きを受けさせることができるようになるっていうのだと知ると、そんなことされたらそりゃ英国統治下時代から続く自由は大きく侵害され、中国共産党体制の思うがままに都合の悪い人物はしょっ引かれて適当な罪おっかぶされて処刑されるのはワシでも分かる。
 昔、中国共産党の偉いさんが”造反有理”(我々の革命の中にこそ真理が存在した、転じて「抵抗には理由がある」的意味で使われる)って言ったらしいけど、そのまんま今のデモの参加者の心中を表しているんじゃないだろうか。
 自由って、日本のように米国から押し売りされるような形で与えられた国に居るとあんまり実感できないけど、それを奪われている体制下では彼の国の歴史的に有名な”天安門事件”の一場面を切り取った写真で思い知らされるけど、戦車の前にたった一人で立ちはだかってでも戦って勝ち取らなければならない尊いモノだというのが想像できるとともに、今こうやって好き勝手書いててもなんにもおとがめなしっていうのがいかに恵まれてるかってのも感じる。
 中国共産党体制側としては、そんな反党的といえる自由を香港にだけ与えていたら、今の時代情報統制って言っても限度があるから「なんで香港だけあんなに自由があるんだオレたちも欲しいっ!」って今まで戦車まで出されて弾圧されてきた中国本土の人民もそのうちブチ切れるのは、東欧のプラハの春とかアラブの春とかで実質的な独裁政権が民意でコケてきた歴史的前例を見ると逃れがたい流れであり、内実戦々恐々としているんだろうと想像に難くない。
 中東情勢とか見ると春の後に混迷が続いてるように見えて体制コケたらコケたでもめるのかもしれないけど、それでも独裁的体制側の都合の良いように自由を踏みにじられ続けるぐらいならコケてしまった方がよっぽど良いと思ってしまう。
 今回の香港のデモの問題について、私の立場は明確に”造反有理”で香港住民の自由を応援したい。そして早く平和な日常が戻ることをお祈りすることぐらいしかできないけど、お祈りしつつ、ここにグチャグチャッとなんか書いて支援したつもりになっておきたい。
 
 自由ってなんだろうって、よく考える。今の生活は仕事もせずに好きなときに好きなだけ釣りに行っていいというとっても”自由”な生活なんだけど、それでも「今の蓄えが尽きるまでの当面」っていう制限があるし、そもそも体力的な制限もある。
 古代ギリシャのフィリッポス2世とその息子であるアレキサンダー大王に仕えたエウメネスを主人公とした歴史マンガ「ヒストリエ」でエウメネスの恋人が王家に輿入れすることになって、エウメネスは憤るんだけど、達観してるんだか諦念なのか諭すように、個人の自由を柵の中の範囲のようなものだと例えたうえで恋人が口にした「地平線まで続く”自由”などありえない」っていう台詞は胸に突き刺さってカエシのついた棘のように抜けない。
 私の当面の自由は、5年後に金銭的な柵がきて尽きてしまうのかもしれない。
 それでもその5年間の自由を得るために、25年そこそこ苦労して働いたのは自分なりの自由への戦いだったんだろうなと思いたい。
 今はその戦利品であるつかの間の自由を目一杯楽しむことにしたい。
 なんかよく分からんけど、自由って素晴らしいと思うよ。

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