2018年3月3日土曜日

日曜大工のお父さんの復権を

 長年乗ってきたSUZUKIワゴンRを最近全く使ってないので車検通す費用ももったいなく思い廃車とすることにした。
 さまざまお世話になったね、ありがと。
 我が家では車は釣りぐらいにしか使っておらず、車はカヤックと双璧をなす高額の釣り具という認識であった。
 カヤック積んだりしてアクアライン超えていく釣りは、ずいぶん時間も手間もかけて開拓した釣り場が多い。車なしとなるとそれらを捨てざるを得なくなり、そう思うと断腸の思いである。
 なんだかんだいってワゴンR、永く乗ってて愛着もあったし。
 付随して、カヤックで攻める浅場の大型シーバスのためFマグ100個ぐらい備蓄してあるのがただの死蔵になってしまう。まあFマグには使い道またあるだろうけどね。
 雨後の内房の運河も手堅い釣れっぷりだったので、これからも美味しい釣果を収穫できる釣りだったはずで後ろ髪を引かれる。
 でも、体力的に不安があって帰り道の運転を安全に行える集中力に全く自信がない状態なので、しばらく車の運転は避けた方が賢明だろう。
 車がなければ、自転車と電車である。結構車なくてもやれるってところを示して行けたらなと思っている。

 自動車って、アクセル踏んでハンドル握るだけで、簡単に人をひき殺せるだけの大きな力が手にはいることにより、事故でも起こせば責任の取りようもないことになりかねず、心のどこかに不安を感じて運転していた。自分の体の延長線をこえた過剰に大きな力はとても制御しきれず恐ろしさを常に感じ、私は男子には珍しく、車の運転があまり好きではなかった。
 そういう有り体にいって「運転が下手」な人間は、人が制御できるぐらいの速度でゆっくりと行く自転車と、プロの運転手が運転する公共交通機関を利用するのが妥当なのではないかとも思う。街に住む限りはそれで不自由しないだろう。
 車と自転車で比較して自転車が好ましいのには、パンク修理だのブレーキワイヤー交換だの、基本的な整備程度は店に持っていかなくてもできるところ、自分で手を入れられるあたりにも大きな魅力というか安心感を感じるというところもある。

 今時の車なんて電子制御的な部分も多くて素人が修理するような余地はあんまりない。それじゃ私は道具としての愛着は感じにくいと思う。むしろ屋根に積んだカヤックから垂れた塩水で錆びて穴があいて防水テープでペタペタ取りあえず塞いだあたりに愛着は生じ得る。
 自転車はそのあたり、自分で整備するのが当たり前なので、愛着は湧きやすい。と、リールも自分で分解整備できなきゃつまらないと常々思っている人間の感じるところ。 

 私の父を思い出すとそうなんだけど、昭和の男は日曜大工で大概のことは片づける能力があった。
 パンク修理の方法や刃物の研ぎ方はじめ扱い方、簡単な木工仕事、横で見ながら身につけたものである。
 いま日曜大工って言わなくってDIY(ドゥーイットユアセルフの略だっけ?)って言うんだろうけど、なんか電気屋さんに頼んだら金が掛かることを自分でやるための方法とコジャレたインテリアとか作ってSNSとかでドヤる方法の2つに2分されるように感じていて、前者は必要性は理解するし自分もするけど大工というより電気屋だろうし、後者はケッという感じだと思っている。

 なんというか、日曜大工って必要に迫られて、有り合わせの道具使って、なんだかんだ間に合わせてしまうようなやっつけ感と即興性が味のうちで、デザインよく素材も吟味してとかやっちゃうとちょっと私の思う日曜大工とは乖離していくように思う。
 たとえば昨年、同居人からの、ゴーヤと朝顔でグリーンカーテン作りたいから、ネット吊して。という命令に、前の住人が室外機吊してた金具のナットを緩めてルアー作成用の太いステンレス線を巻き付けてナット締めて固定。2カ所でステンレス線でネットを吊した。ネットの下の方は柵にビニールひもで固定。って感じでありあわせの材料とかをつかって、見た目はアレだけど何とかしてしまうというのが日曜大工の腕の見せ所だろうと思う。材料レシピ通りに買ってきて作る料理じゃなくて冷蔵庫にある食材でなんか美味しそうなものをでっち上げるのに似てる気がする。
 
 なぜに、日曜大工の話なんてし始めたかというと、冬の間寒いと部屋にこもりがちで、へら釣りが始めたばっかりで浮子を中心にいろいろと作るものがあったり、ルアーいじったりというのが、冬の外に出るのもおっくうな時期の良い暇つぶしなので、自分の手でモノを作ることについてちょっと考えてみたのである。
 「モノ作り」なんていうと、なぜか凝り性な日本人は作務衣着て「匠」になりきって大層なモノを作りたがる気がするけど、そうじゃないいい加減な「日曜大工」仕事が、実はめちゃくちゃ面白くて実用的で、っていうのが今回書きたいことの趣旨である。


 ヘラブナ釣るのに浮子作りから入ったのは本当に大正解。
 ご存じのように私の作るへら浮子「ゆるふわ」シリーズは、羽浮子のように貼り合わせたり、カヤ浮子のように絞ったりというような難しい行程はいっさいない、バルサを削ってトップと足を突っ込んだだけの簡単設計である。
 これで浮子としての出来が悪ければ仕方ないけど、細かいところの詰めや耐久性とかは市販の良い浮子に負けるにしても、オモリを背負って浮いて、引かれればトップが沈むという基本性能において、全く問題なく使える性能を有している。
 道具もあるし材料もルアー作りに使っていたバルサにウレタン塗料に加えてトップを買うぐらいで、まったくありモノで間に合わせられている。
 自分の釣り場での課題や好みに合わせて、細かい調整や改良を加えて浮子を作って行くのは、浮子の持つ役割の理解が深まるとともに、釣りそのものへの理解も深まる。
 なので釣り方を試す度にドンドコほしい浮子を作りまくっているのだが、これまで40~50本ぐらいは作っただろうか、これを作らず買っていたらエラいことである。一本3000円とすれば10万円以上かかっていたはずで、これからも増えることを考えると作ってすませることができてホッとする。

 私の作る浮子もルアーも見た目はいまいちショボい。でも実用性は十分で実戦投入して成果を出せている。それはとても楽しいことで、「匠」の名品を作ろうとしがちな釣り人には、もっとゆるふわっといい加減に作ってもいいんですよ、と強くお勧めしたい。
 世の中には本物の「匠」が作った漆の塗りもきれいな高級浮子とかがいっぱいあるけど、私が私の釣りのために必要な機能を持たせて作った「ゆるふわ」な浮子は私にとってそういう高級浮子以上に愛着がもて、かつ自分用に作ってるだけあって使いやすい浮子になっており、もう高級浮子など買う気にならないぐらいである。

 日曜大工って、いろいろできるようになっておくと、道具と材料を使い回せるようになるし、技術も応用が利く。例えばさっき例に出したゴーヤのネットを吊すために使ったステンレス線はGTルアーの補修の為に道具入れにあったステンレス線を使ったところであり、ルアー作成の道具素材が浮子にも使えるのは書いたとおり。
 ルアーの壊れたところを接着剤で補修する技術なんかは、同居人の靴のヒールが欠けたときに応用したりしている。

 戦後派の私の父世代は、高度経済成長下でお金を稼ぎつつも、今ほどモノが何でもある便利な時代じゃなかったので、何でも作ったし直した。その技術をかろうじて受け継いでいる私も日曜大工の技術は釣り具作成修理の技術とも混同しながらもなんとか保てている。
 モノがバカスカ売れて、壊れれば買い直した方が早い、仕事はあるので買い直す金を稼ぐことは簡単だ。という大量消費廃棄文化の時代には日曜大工の技術なんて全く無用の長物だっただろう。
 でも、これから迎える超小子高齢化でかつ日本じゃ景気よく稼げる業種が得意の自動車製造ぐらいに限られてきて仕事が少ない、働き手が減る分は人工知能による効率化とか外国人労働力とかで経費削減しながら対応するという社会になってくると、金が稼げる仕事があんまり回ってこないような気がする。
 そうなると、まだ直して使えるモノを再利用するなんてのは、また必要性が高くなってくる技術なのではないだろうか。エコロジー(生態学的)の観点ではなくエコノミー(経済的)という観点から、そうせざるを得なくなるのはと思い、世知辛いとともにモノを大事にするという良いことにつながるのではと思う。
 ボロッちくなった家具に、サンダーかけて表面の古い塗装をはがして、改めて好きな色に塗り直してやる。一部の部品が破損して機能しなくなった道具を、3Dプリンターで部品作ろうが、木を削って部品作ろうがとにかく動くようにして使い続ける。
 なんてのが、仕事が減って稼ぎが少なくなるなか、余暇が増えたなら、楽しく生活していくための必須の技術になるのではないだろうかと思っている。
 
 そういういい加減な部分もある「日曜大工仕事」を楽しむために必要なのは、いい加減で見てくれの悪いのを許容するというか、むしろそこを愛でることができる感性が重要になってくると思う。
 例えば、最近作ったへら用の「タモの柄」。凝り性の日本人らしく作務衣着て気合いを入れて竹の火入れから始めてしまうとすれば、なかなか作ろうという気にはならないし、作ったとしても本物の匠の作ったものと比べたら、なんぼ身びいきしてみたところで見劣りしてしまいかねない。
 そこを、実用上問題なくて簡単に作れればいいや、と私のような日曜大工派は考えて、中古で安売りしていたグラスロッドの素材を使ってロッドビルディングの技術とか応用しながら作ってみた。
 割と簡単で安上がり。かつグラスの素材の持つそこはかとない昭和感はB級ぽくはあるけど、それなりに味のある逸品に仕上がったように思う。と作った本人悦に入れる程度にはお気に入りなのである。

 見た目を過度に気にし始めてしまうと、素人の日曜大工仕事で作ったモノなんて大したモノにはならないと感じてしまう。でもその程度でも例えば釣りに使えるとかの実用性は十分得られるので、見た目気にせず、ある程度いい加減さを許容しながら楽しんでいくと、日曜大工は実に楽しく心持ちを豊かにしてくれると思うのである。
 大量生産、大量消費、大量廃棄なんて、二十一世紀にまでなってやるべきことじゃないと思うので、景気よかった時期に手放していた「日曜大工」の技術をみんなもう一度取り戻してはどうか。
 見た目なんて気にせずに、手でモノを作り出すという、人間がもっとも得意とするところの根源的な楽しみをめいっぱい楽しんでほしいとお勧めしておく。

2 件のコメント:

  1. 浮き作り、大変参考にさせていただいてます。
    「釣り具すがも」に行って、「ウキ穴開け金具」も買ってきましたが、中心に刺すのって、なかなか難しいですね。

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    1. もみじさん おはようございます

       「ゆるふわ」のコーナーを知人以外が読んでくれていると知って嬉しいです。参考になったのなら幸い。

       中心に真っ直ぐさせないのはありがちで私も苦戦してます。
       解決法としては、刺すときに器具の筒自体を回しながら刺していくと多少マシになる気がするのと、最終的には穴を広げる作業の時や足やトップを突っ込むときに強引に穴の向きを修正して大穴にしてしまって、固定するときウレタン接着剤で穴をふさぐ感じで固定してます。乾燥時に真っ直ぐにしてオモリ付けて吊したりわざと片側に傾けて吊したりもしてます。

       最終的には微妙なズレは気にしないというのがゆるふわ流奥義です。

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