2014年11月30日日曜日

奥様ッ!ブリがお安くなってますわよ

シーバス取り込んだネットに銀杏の黄色い葉が入っていて「枯れ葉よ~」って口ずさんでしまう秋のオッサンですが、皆様いかがお過ごしでしょう。

 食欲の秋ともいいますが、最近、平日は職場でコンビニ飯が続いているので、家では魚とか食いたいと思い、魚屋チェックをしておるわけですが、今年は三陸モノとか太平洋産のブリが安い!
 写真でもちょっと分かるかもしれないけれど、巻き網モノで活き締め処理とかがされてないので若干血が身に残っていたりもするけど、まあ鮮度良ければ気にならない程度だし、何しろ2切れ300円台とかで結構脂ののったブリがゲットできるのなら文句言うほどのことではない。

 例年、もっと小さくて脂も乗ってないイナダは安く売っていて、脂がのってないと美味しくないという評価なのかなと思っていたが、今年の状況見ると結構脂乗ってても太平洋で巻き網でドカッと獲れると値段が付かないようだ。このあたり、日本海の氷見産ブランドのブリとかとの違いは、品質なのかブランド力なのか漁獲後の処理の仕方なのか値崩れなのか謎なところだけど、安くて旨いとなれば食うしか無く、さらに安い気仙沼産モウカザメ(ネズミザメ)の切り身と共に煮たり焼き物にしたりと重宝している。

 海の魚って、結局は予測不能なところがあって、今ブリが湧いているのもナニが原因なのか今一よく分からない、漁業でも資源管理の取り組みは大事なんだと思うけど、資源の予想とかが完璧にできる、理屈どおりに管理できるという幻想を抱いている人も結構いるようで、正直おめでたい人達だなと失礼ながら感じたりする。

 種親まで取り尽くしたら、次の世代が育たないとか、まあそのあたりは正しいんだろうけど、じゃあ種親残したら未来永劫利用できる資源なのかというと、それでも勝手に増えたり減ったりするのが海の魚である。
 漁師が「親の仇と魚の群れは見つけたときにとっておけ!」というのもわかる気もする。

 21世紀にもなって大規模な産業として残っている狩猟採集は漁業ぐらいである。
 予測不能な自然の魚を相手にしている限り、湧いてるヤツを獲って上手く利用するしか無く、そのためには沢山獲れてて安い魚は積極的に利用するべきだと思う。

 餌もやらずに勝手に増えている魚を獲ってくるだけという産業が儲からないのはおかしいという、乱暴な説を聞いたことがあるが、獲ってくるには船や漁具の設備もいるし燃油も炊けば人件費もかかるのが実態だが、それでも上手くやれば儲かる方法はあるのだと思いたい。

 最近、ちょくちょくニュースでも日本の漁業者は小型魚まで取り尽くすので値段の良い大型魚が育たなくて経営的に間違った獲り方をしているという論調を聞くが、値段の良い大型魚はマーケットが小さいから沢山獲れても売りようがない、適度に小さいと加工用でニーズが大きいので売れるという実態やら、そもそも魚は多くは小さいウチに他の魚に食われて死ぬ運命なので、適度に小さい魚も利用して間引いて、全体的にバランス良く利用するべきだと思うのだが、そのへん大型に育てれば値段が上がるという1面のみ強調している論者はどう考えているのだろうか?
 そもそも値段が上がるというのさえブリの安さを見ていると確実ではないように思う。

 釣りも漁業も、結局は完全には予測することができない魚という自然の生きもの相手であり、どうしても出たとこ勝負にしかならない部分はあるのだと思っている。
 それを頭の隅っこに置いておいてからじゃないと、どうも論理が机上の空論の空回りに終始するように感じる、というとお叱りを受けるだろうか。
 

2014年11月24日月曜日

プランB

 プランBって「プランB、戦略的撤退!」とか、日本のサブカル由来のネットスラングだと思ってたけど、今ググったら「次善策、次の手」という意味でアメリカ英語でも使うそうな。

 魚釣りって、魚の機嫌しだいの部分が大きいし、気象条件にも左右されることが多いから、次の手的「プランB」は是非用意しておきたいモノである。
 秋のカヤックシーバスにおいて「プランB」である橋の下パターンや灯りの下パターンの運河の釣りが手堅く面白いので、一発大物狙いで凪でないと出られないカヤックの釣りにも、ためらいなく出撃することができる。カヤック出せなくてもオカッパリで運河で釣っときゃ充分楽しいはず、と思うから悩まずアクアラインを越えられる。

 ただ、釣りにおいてはプランBも駄目で、さらに次の手、また次の手が必要な場合も出てきたりする。
 最初は志高く大物狙いの予定が、とりあえずオカズ確保できればイイやになり、さらには「何でも良いから釣れてくれ!」という血を吐くような台詞を吐くハメにもなりがちである。

 過去の記憶の中に、そういった敗走、敗走、また敗走という釣りは少なからずあるが、たぶん一番酷かったのは、就職してすぐの頃のとあるゴールデンウィーク。
 いっちょサクラマスいてコマしたろうぜと、ケン一とテント車に積んで乗り込みましたは聖地九頭竜川。雨後の濁りの中、橋桁裏の流れの緩くなっているポイント、よっしゃ来ましたとファイトするも魚が根がかってしまい、今思うと死んでても文句言えない蛮行だったと思うが、濁流へ躊躇無く飛び降りて幸い股ぐらいの深さなのでジャブジャブと根掛かり外しにいって、つり上げました60UPの立派なサイズ。
 「ニゴイやんけ!」
 ニゴイ嫌いじゃないけど命がけで獲りに行かんでも良いだろと正直思う。

 その後は、九頭竜サクラはもう時期遅いのかもしれん、木曽川サツキなら5月だしバッチリやろと転戦。サクラだろうがサツキだろうが、難しいのは一緒でこれまたかすりもせず。
 「Y川って長良川水系の有名どころがあって、雑誌で佐藤セージが40のアマゴ釣ってた。40は無理でも30くらいは俺らでもいけるんちゃうか?」とオノレの技量も把握できてない若いバカ2人は近いからという安易な理由もあってまた転戦。
 だがしかし、ケン一フライでチビアマゴ数匹、もう1人の方のヘタクソに至ってはハスルアーでウグイ1匹のみ。

 「俺らでも釣れる魚って、一体どこに行けばおるンやろ?」と途方に暮れたすえに、若いバカ2人が出した結論が、「帰って、いつもバス釣りしてた野池でギルでも釣っとこか!」というモノであった。
 ギルは釣れた。手のひらサイズの良い型のが釣れた。下手くそな釣り人にも優しく、チュボッとルアー・フライあまりえり好みもせず食ってくれるギルが結構実は好きだったりする。

 この3連休もプランB、C、D、Eぐらいまでいったった。最後のどうしようもない時は「プランZ」近所のコイ釣りだと思っていたが、そこまで行かずにオイカワが釣れてくれた。
 敗走しながらも、何とか拾える釣果は拾ってというのもなかなかに味わい深いモノである。

 大物ゲット!とか、爆釣!とか、そんなんじゃないけど、苦労して釣った小さい魚にも苦労した分の価値があると、そう思って楽しめる釣り人になったことが、若い頃と比べて成長したところかなと爺臭く思ったりもする。

 「一匹釣らな気が済まん!」という釣欲が、若い頃と比べても遜色ないレベルで胸にあることはこれまた喜ばしい限り。  

2014年11月16日日曜日

PCチェア探偵「ツチノコ」編

 NHKの「幻解!超常ファイル」という番組で先週今週とツチノコの謎に迫っていた。
 
 先週は、「横幅の広い爬虫類」という目撃証言について、良くいわれている「ヤマカガシ説」と「アオジタトカゲ説」を有力な説としてピックアップして解説していた。

 ヤマカガシ説は私もたぶん目撃情報のいくつかはこれだと昔から思っている。ヤマカガシと聞いてどういう生きものかイメージできる人なら「あんな細長いヘビのどこがツチノコなの?」と思うかもしれないが、ヤマカガシのある行動を目にしたことがあればきっと同意してくれるだろう。
 ヤマカガシは水辺でカエルや魚を食べている割とカラフルな毒蛇なんだけど、毒牙が膨れたカエルを割るためとかいう説もあって口の奥にあるので人間はかまれても毒牙が届きにくく、私の子供の頃など無毒のヘビと考えられていたので、結構つかまえて遊んでいた。その頃には「ある行動」を見たことがないので、個体差や地域差があるんだと思うけど、大学生の時に静岡出身のアユ君に「ヤマカガシには真っ黒なのがいるだよ。そいつはクチバミっていってコブラみたいに体の前半を平たくして威嚇して毒を飛ばしてくるっけ。」といわれても民間伝承の類だと思っていたのだが、東北で岩の上でひなたぼっこしているヤマカガシを接近して写真撮ろうとしたら上半身を平べったくして左右に振って威嚇してきたので、アユ君の言ってたことは本当だったんだと理解したしだいである。アユ君信じてなくてゴメンね。ついでに真っ黒なヤマカガシも実在するし、クビの後ろあたりから毒を分泌するのも今では常識となっている知識である。あんまり信じてませんでした。重ねてアユ君ゴメン。
 そのかなり幅広になった上半身?が本体、後半がシッポとか考えるとかなりツチノコっぽい。少なくとも良く知っているヘビじゃなくて別の生きものだと思うのは無理がないぐらいの異形な感じを醸し出していた。

 ただもう一方の「アオジタトカゲ」などの足が短く胴体が太い外国産のトカゲを見間違えた説は、単に見た目が似ているだけで、日本の冬を越えられないしペットじゃなく自然にそんなモンがいるとは考えられず自分の中では却下していた説であった。でも今回番組では、外国木材の輸出の増加ピークの時期とツチノコブームの盛り上がった時期が一致しているというデータを出してきていて、一部目撃証言は木材に紛れてきた外国産トカゲの見間違えではないかと解説しており、なるほどなと思わされた。そういうことがあったとしても不思議ではないぐらいには納得している。

 今週は、ツチノコのルーツと思われる江戸時代ぐらいの文献に出てくる「ノヅチ」を取り上げて、ヘビやトカゲなどの見間違いでは説明できない、2mもジャンプするとか山の斜面をコロコロと丸くなって転がる、毛がはえているという目撃情報や言い伝えについて解析していた。
 ノヅチはもともと縄をなうために稻藁を打ち据えるための、木槌が妖怪変化した怪異で、コロコロと転がるという説と一致することを軸に、ノヅチという草木の精の神様が神話には出てくることなどから、日本人が心の中に持つ自然に対する信仰や恐れ、そこから派生した怪異伝説が、ツチノコの正体の一つであろうとしていた。
 なかなかに面白い説でそれもあるのだろうと納得したが、「毛が生えている」の答がどこにも出ていない、とパソコンの画面前で、もう一つのツチノコの正体に関する説を持っている私は突っこんでいた。

 ツチノコの、毛が生えて飛んで斜面をコロコロと転がるという目撃情報や伝承を体現する生きものを私は知っている。ツチノコ界のビックネーム山本素石さんと各地のツチノコの話を集めて廻った方に番組ではインタビューをしていたが、そのなかで各地のツチノコのイメージが千差万別であることを語る中で「ある人はツチノコはそんなに怖いモノではない。畑仕事をしているとそのあたりをコロコロと遊んでいてかわいいものだと言っていた。」と例があげられていて、自説に確信を持った。
 ツチノコの目撃情報のうち、毛が生えていて、ジャンプしてコロコロ転がるものはイタチかイイズナかそのあたりのイタチ科の小動物であるというのが今回の私の推理。

 毛が生えていて超絶身体能力が高くジャンプできるし、ピョンピョン転がるように走り回るし、ネズミをつかまえたりすると一緒になってゴロゴロ転がりまわったりもする。そして見た目は、小型だけど凶暴な肉食獣のくせして、とてもラブリー。
 今巷間に流布しているツチノコの想像図からイタチは想像できないが、毛が生えて高くジャンプして跳ねるように移動しコロコロ転がるツチノコに近い体型の生きものという目で冷静に見るとイタチの仲間が素直に思い浮かぶはずである。
 「足はどうした、足は!」と思うかも知れないが、ちょっと遠目で見るとイタチの足はあるんだか無いんだかわからないくらいに短い。ウサギのアナに潜るためにダックスフントの足が短いようにネズミの穴に潜るためにイタチの足は短い。実家で兄の友人が窓の外の柿畑を見て「なんかソーセージみたいなのがピョンピョン跳んでるけどあれなんなの?」とちょっとおびえた声で聞いてくるので見てみるとイタチがピョンピョン跳ねるように走っていた。私が「あれはイタチだよ」と教えてあげたから「イタチなんだ!」と思って済んだと思うが、教えてくれる人がいなかったら彼は「ソーセージみたいな形したヘビより短いピョンピョン飛ぶ謎の生きものがいた、毛も生えてた!」と吹聴してツチノコ伝説に拍車をかけていたかもしれない。
 イタチは田舎だと割と身近な動物で、側溝の中で激しくドブネズミを追い回して、川に飛び込んで泳いで逃げるネズミを追ってイタチも追撃して華麗に飛び込んで器用に泳ぐのをみたこともあるし、朝早く下宿のゴミ箱をあさってる猫がいるなと思っていたら、ひょっこり顔を出したのがラブリーなイタチだったというような経験もしている。かわいい方のツチノコはたぶんイタチ系だ。

 じゃあ「ツチノコ」が全く未知の新種の爬虫類という可能性はないのかと聞かれれば、まずは無いと思う。「悪魔の証明」で、いないことを証明することは難しいし、大型の爬虫類の新種発見が全く例がないかというと、21世紀に入っても東南アジアの密林で樹上で果物主食にしているオオトカゲが見つかったりしているので無いわけじゃないと思う。でもこれだけ人が沢山住んでいる日本で未確認生物が発見されるというのは無いんじゃなかろうか?
 未確認生物(UMA)なんていうロマンは陸上にはもうなくて、ヒマラヤのイエティも熊説で決着が付きそうな雰囲気になっているし、いるとしたら深い海の底だろうと思う。
 海の底には伝説のUMAシーサーペントの正体として、首長竜が現存していても私は驚かないだろう。あんな大型の生物がいたら、既に死体が発見されていてしかるべきだという賢しらな意見は、1970年代まで全く知られていなかった大型のサメであるメガマウスの存在が完全に打ち消す。
 それでも、爬虫類なら卵を産みにウミガメのように上陸するはずだという賢しらな少年だった日の私の認識は、「遠い海から来たCOO」を読んだ時に「その可能性があったか!」といたく納得して打ち消された。

 ナニが棲んでいるかわからない水の底に恐れを抱きながら糸を垂らす面白さ。
 UMA、一度で良いからお目にかかってみたいモノだ。

2014年11月9日日曜日

大事なものには予備が必要だ

って、落合が言ってた。

 落合って誰や?と思うかも知れないが、SFマンガ「シドニアの騎士」に出てくるマッドサイエンティストである。この作品世界では、人工脳やクローン技術が実用化されていて、人工脳にバックアップされていた自我を、培養槽で育てたクローンに移植する方法など、不死の技術が確立されている。

 その世界で、主人公ナガテのジイちゃん(実際はクロ-ン元の本人)の斉藤は、自分が歴戦の英雄であり皆に「不死」を望まれていたにもかかわらず、それを拒否し、本人の許可無く培養されていた自分のクローン個体である幼いナガテを強奪し、地下に隠れて孫として育てる。
 アニメ化したときナガテ強奪エピソードで研究者に刀突きつけて脅して培養槽に案内させたときの「オレの所につれていけッ!」という台詞はカッコよくて痺れる名シーンだった。

 生物の進化のメカニズムを鑑みると、一般的には斉藤が正しい。進化は生物が永遠に生きる一つの個体として存在することを否定し、多様性をもち短命で変化し続ける多くの個体たちという存在の仕方を選んだように見受けられる。

 斉藤は自己のクローンを培養槽で育てることについて「そんなことでまともな人間が育つわけがない」と否定しているが、さらに言うなら遺伝的には自分と同じクローン個体であっても、新たな危機に直面して自分以上の存在に育ってくれることを期待して、あえて自身の自我を植え付けることは良しとしなかったのではないか、そういうことが理屈ではなく直感的にわかっていたから、自らの死期を悟って、自分は老衰で死ぬことと、次の世代に新たな可能性を持った新しい人間を残すことを選んだのではないかと勝手に解釈している。

 でも私は、マッドサイエンティスト落合と同意見で大事なものには予備が必要と思うタイプで、スピンフィッシャー7500SSの予備を買ってしまった(買ったのは正確にはJAPAN仕様のSSJ)。ちょっとだけ違う750SSは既に2台もっていて7500SSと多くはパーツも共有できるけど、7500SS自体はクリスマス島で活躍した一台だけだったので、新古でエンブレムがはげ落ちていたらしいエラー個体が中古屋に格安で出ていたこともあり、パーツ取りなどのために一台予備を確保した。
 変わり続けることが進化として正しいのなら、予備など買わずに、ダメになったら新商品を買えばいいことになる。スピンフィッシャーも既に第5世代の「V」シリーズが出ているので次壊れたらVか、7500SS壊れる頃にはさらに次の第6世代が出てて、そいつでも買うのが良いのかもしれない。

 でも、私は必ずしも変わり続けるその流れに乗ることだけが正解だと思えない。
 進化の議論で繁殖機会を廻る競争、捕食者と獲物、寄生生物と宿主の関係で攻める側も守る側も次々と速いスピードで変化し続けないと取り残されてしまうので、外から見ると異様なまでに達した進化の流れから逃れられなくなるということをさして、「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」という「鏡の国のアリス」の登場人物の台詞から「赤の女王仮説」なんていわれる理論があったりするのだが、今の釣り具の進化は、まさに止まれば他のメーカーにおくれをとるから「走り続けなければならない」状態に陥っているように見受けられる。
 これは釣り具だけに限った話ではないように思う。家電でもパソコンでも車でも全く新しい機能がいらないぐらい充分な性能の製品が既にあるのに、次々新製品が出る。パソコンソフトなど新しいのが出る度にいらん機能が増えてジャマで不便になっているようにさえ思えるのだが、それでもオオツノジカの巨大な角や、剣歯虎の下顎突き抜く牙のように無駄に進化しているように私は思う。

 でも一方で、進化という観点でみて生物の世界でも、速いスピードで変化し続けるのが必ずしも勝者の条件ではないようにも思う事例も見受けられる。
 例えば、成体が幼体に若返りをおこし「永遠の命を持つ生物」というキャッチコピーのついたベニクラゲのように、「ボク進化とかもういいわ、適当にプカプカ浮いて暮らします。」という生き方もあれば、原型は4億年前に出現、ほぼ今の形になったのさえ1億5千万年前のジュラ紀とかいわれているサメの仲間のように、改良する余地無く完成されていて古い形のまま一大勢力として君臨している例もある。

 格闘家の前田明が中島らも先生との対談で言っていたと記憶しているが、総合格闘技の技の進化も、打撃をかわして関節技で対応する方法が確立されると、今度は関節技対策で打撃が進歩して、というように技の進歩はグルグルと同じ所をまわるように見えてちょっとずつレベルが上がっていく螺旋のような感じで進化をすると説明していて、なるほどと思わされた。
 ルアーでもなぜ今時、私がFマグ出してくるのか?圧倒的な飛距離で優位を誇った重心移動搭載型ミノーが、それが標準装備になってみんながそれを使い出すと、みんながロングキャストして狙うような釣り方ばかりになる。そこに近距離で良いのでキッチリ泳いで食わせる能力が高いFマグの生きる隙間が生じているのだと思う。ついでに重量アップさせてちょっと進化させている。まさにグルグルと螺旋状に進化している感じだ。

 私は釣り具の進化について、赤の女王に付き合って走り続けるつもりはない。
 サメのように進化の選択を生き延びて「使える」ことが歴史上証明されたような道具を使って、ベニクラゲのようにプカプカのんびり楽しみたい。

 多様性というのは、そういう戦略もまたあり得るということも含んで「多様」なんだと思う。一つの確かな正解があると思うことだけは、気をつけて避けていきたい。

※ Googleブロガーの不具合が続いているようで、昨日から表示できない状況がつづいてますが、とりあえず「予備」的な措置はとってあるようでURL末尾を「.jp」から「.tw」に変更すると閲覧可能となりました。しばらくリンクはこちらに張っています。復旧しだい戻そうと思ってます。

2014年11月2日日曜日

祭りだ!祭りだ!シーバス祭りでいっ!

という感じの好釣である。

 この秋、春シーズンの大苦戦をおぎなってお釣りがくる感じで釣れている。

 去年はイワシ祭りに遭遇したが、今年はシーバス祭りだった。釣りってのはこういうこともあるから、やめらんネェんである。リリースして次のキャストでもうヒットとかもあって、Y君と二人して堪能してきた。

 シーバス、釣れない時は釣れないもので、バッチリ条件読んだはずが、あたりもかすりもしないときもあれば、かけてもかけてもバラしまくる日もあり、釣れない日には「どうやって釣れば良いんだろう?」と釣り方忘れた状態に陥るが、釣れるときは適当にルアー投げて巻いてればそれだけで釣れるんである。高度な技術もいらんし、ルアーだって昨日調子よかったのは私がフラットラップでY君アスリートというド定番で別に特別なものを使っていたわけじゃない。

 こういう他人の好釣情報読んで、始めて間もない釣り人とか「そんなオイシイ状況に出会ったことがない」とか、苦々しく感じる人もいるかもしれない。
 そういう人には、是非一度、乗り合いでもチャーターでも良いのでシーバスボートに乗ってみて欲しいと提案する。
 特にこの時期10月11月は、まだそれほど寒くないので快適な気候で釣りができるうえに、とにかく数を釣らせてくれる。プロの船頭さんは、毎日のデータの積み上げで、かなりの確率で簡単に釣れるようなポイントに連れていってくれる。釣れれば楽しくなる。いろんな意味で。

 それで、シーバスボート気にいって毎年通うようになっても楽しいし、私のようにポイント探しから自分でやりたいと思い始めたなら、塩辛い水を舐め、底の見えない深い海に沈むことになると思うけど、その分の深い深い楽しみが待っていることは保証します。

 とにもかくにもシーバス野郎なら、スカをおそれず釣り場に向かおう。良いこともあり悪いときもあるけれど、すべてはそこから始まります。