って、落合が言ってた。
落合って誰や?と思うかも知れないが、SFマンガ「シドニアの騎士」に出てくるマッドサイエンティストである。この作品世界では、人工脳やクローン技術が実用化されていて、人工脳にバックアップされていた自我を、培養槽で育てたクローンに移植する方法など、不死の技術が確立されている。
その世界で、主人公ナガテのジイちゃん(実際はクロ-ン元の本人)の斉藤は、自分が歴戦の英雄であり皆に「不死」を望まれていたにもかかわらず、それを拒否し、本人の許可無く培養されていた自分のクローン個体である幼いナガテを強奪し、地下に隠れて孫として育てる。
アニメ化したときナガテ強奪エピソードで研究者に刀突きつけて脅して培養槽に案内させたときの「オレの所につれていけッ!」という台詞はカッコよくて痺れる名シーンだった。
生物の進化のメカニズムを鑑みると、一般的には斉藤が正しい。進化は生物が永遠に生きる一つの個体として存在することを否定し、多様性をもち短命で変化し続ける多くの個体たちという存在の仕方を選んだように見受けられる。
斉藤は自己のクローンを培養槽で育てることについて「そんなことでまともな人間が育つわけがない」と否定しているが、さらに言うなら遺伝的には自分と同じクローン個体であっても、新たな危機に直面して自分以上の存在に育ってくれることを期待して、あえて自身の自我を植え付けることは良しとしなかったのではないか、そういうことが理屈ではなく直感的にわかっていたから、自らの死期を悟って、自分は老衰で死ぬことと、次の世代に新たな可能性を持った新しい人間を残すことを選んだのではないかと勝手に解釈している。
でも私は、マッドサイエンティスト落合と同意見で大事なものには予備が必要と思うタイプで、スピンフィッシャー7500SSの予備を買ってしまった(買ったのは正確にはJAPAN仕様のSSJ)。ちょっとだけ違う750SSは既に2台もっていて7500SSと多くはパーツも共有できるけど、7500SS自体はクリスマス島で活躍した一台だけだったので、新古でエンブレムがはげ落ちていたらしいエラー個体が中古屋に格安で出ていたこともあり、パーツ取りなどのために一台予備を確保した。
変わり続けることが進化として正しいのなら、予備など買わずに、ダメになったら新商品を買えばいいことになる。スピンフィッシャーも既に第5世代の「V」シリーズが出ているので次壊れたらVか、7500SS壊れる頃にはさらに次の第6世代が出てて、そいつでも買うのが良いのかもしれない。
でも、私は必ずしも変わり続けるその流れに乗ることだけが正解だと思えない。
進化の議論で繁殖機会を廻る競争、捕食者と獲物、寄生生物と宿主の関係で攻める側も守る側も次々と速いスピードで変化し続けないと取り残されてしまうので、外から見ると異様なまでに達した進化の流れから逃れられなくなるということをさして、「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」という「鏡の国のアリス」の登場人物の台詞から「赤の女王仮説」なんていわれる理論があったりするのだが、今の釣り具の進化は、まさに止まれば他のメーカーにおくれをとるから「走り続けなければならない」状態に陥っているように見受けられる。
これは釣り具だけに限った話ではないように思う。家電でもパソコンでも車でも全く新しい機能がいらないぐらい充分な性能の製品が既にあるのに、次々新製品が出る。パソコンソフトなど新しいのが出る度にいらん機能が増えてジャマで不便になっているようにさえ思えるのだが、それでもオオツノジカの巨大な角や、剣歯虎の下顎突き抜く牙のように無駄に進化しているように私は思う。
でも一方で、進化という観点でみて生物の世界でも、速いスピードで変化し続けるのが必ずしも勝者の条件ではないようにも思う事例も見受けられる。
例えば、成体が幼体に若返りをおこし「永遠の命を持つ生物」というキャッチコピーのついたベニクラゲのように、「ボク進化とかもういいわ、適当にプカプカ浮いて暮らします。」という生き方もあれば、原型は4億年前に出現、ほぼ今の形になったのさえ1億5千万年前のジュラ紀とかいわれているサメの仲間のように、改良する余地無く完成されていて古い形のまま一大勢力として君臨している例もある。
格闘家の前田明が中島らも先生との対談で言っていたと記憶しているが、総合格闘技の技の進化も、打撃をかわして関節技で対応する方法が確立されると、今度は関節技対策で打撃が進歩して、というように技の進歩はグルグルと同じ所をまわるように見えてちょっとずつレベルが上がっていく螺旋のような感じで進化をすると説明していて、なるほどと思わされた。
ルアーでもなぜ今時、私がFマグ出してくるのか?圧倒的な飛距離で優位を誇った重心移動搭載型ミノーが、それが標準装備になってみんながそれを使い出すと、みんながロングキャストして狙うような釣り方ばかりになる。そこに近距離で良いのでキッチリ泳いで食わせる能力が高いFマグの生きる隙間が生じているのだと思う。ついでに重量アップさせてちょっと進化させている。まさにグルグルと螺旋状に進化している感じだ。
私は釣り具の進化について、赤の女王に付き合って走り続けるつもりはない。
サメのように進化の選択を生き延びて「使える」ことが歴史上証明されたような道具を使って、ベニクラゲのようにプカプカのんびり楽しみたい。
多様性というのは、そういう戦略もまたあり得るということも含んで「多様」なんだと思う。一つの確かな正解があると思うことだけは、気をつけて避けていきたい。
※ Googleブロガーの不具合が続いているようで、昨日から表示できない状況がつづいてますが、とりあえず「予備」的な措置はとってあるようでURL末尾を「.jp」から「.tw」に変更すると閲覧可能となりました。しばらくリンクはこちらに張っています。復旧しだい戻そうと思ってます。
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