2020年5月31日日曜日
鳥のように自由に飛んでいくのは案外大変そうだけど、ネコのように自由に生きるのは心底楽しいかも?
ネコについては川崎にいた頃から色々考えていて、そのうち考えをまとめてブログネタにしようと思っていたけど、結構複雑かつ繊細な問題もはらむので、書くとなったらそれなりに覚悟と根性が必要でなかなか踏み出せないままここまで来た。
ただ、身近にネコのいる生活を始めてみると、面倒くせえことは後回しでオイオイ書くとして、とにかく楽しい日々がやってきているので、その日々の断片など紹介するところからまずは初めてみようかなと思う。
紀伊半島に移住して、一軒家を借りたところ窓の外の屋根の上で昼寝したりしている三毛猫がいることに気がつき、釣ったアジの頭で餌付けしてみたら、いつの間にやらそのネコ(=ウニャ子)の下僕と成り下がり、ネコ様のためにセッセと魚を釣って貢ぐ日々になっている。
現在、最初の1匹であるウニャ子は子育て中で、子供が生まれて1月位経ったハズなのでそろそろ仔猫が外に出てくるかもと楽しみにしているところだけど、実はウニャ子の出産は2度目で、1回目は全く気がつかずにいて「なんか最近ウニャ子痩せて腹の皮がたるんでるな」と思ってたら、3月半ば頃のある日、突然窓から仔猫たちが侵入してきて驚くやら可愛いやらで大興奮という経験をしたのである。
ただ、そのことをネタにするなら、ウニャ子始めこのネコたちとどう付き合うか、具体的には餌だけやって増えようが減ろうが自然に任せるのか、それとも我が家のネコとしてしまってまず予防接種は受けさせるとして、避妊はどうするか?部屋飼いにするのか外猫にするのか?等々どういう方針で行くにせよ覚悟を決めねば無責任というもので、必ずしも単純に野良猫に餌をあげる行為自体がダメだとは考えていなくて、そのあたりはまた別途グチャグチャと書きたいと思っているけど、一般論じゃなく個別具体的に自分が餌をやっているネコに対して責任ある行動と、ネコ様の幸せについて考えて態度を決めねばと思っていた。
だがしかし、最近になって拍子抜けの事実が発覚。
こいつら基本的には裏のお家の飼い猫のようである。かつ餌はそのお宅と我が家と我が家のお隣の少なくとも3軒でもらってるということが判明。どうりで野良猫のわりにはウニャ子は餌にガッついてなくて偏食が激しいと思ってたけど、餌はちゃんともらってるようである。
裏のお家の崩れかけた”物置のような離れ”に出入りしていてそこがねぐらだろうなとは知っていたけど、そのお宅の表側の玄関先でウニャ子達3匹が爺様の足下にじゃれついて餌をねだってるのを見て、ワシにはあんなに懐いてないのに悔しいッ!っと思ったりもしたけど、人様のネコに勝手に避妊手術受けさせるわけにはいかんし、病気とか怪我とか緊急事態なら獣医さんのところに連れて行くのとかはやぶさかではないけど、とりあえずは無責任な立場で餌をあげてかわいがらせてもらうということに方針決定した。
世の中にはネコ嫌いや逆に”ネコは避妊して室内飼い”意外認めない偏狭な社会正義の戦士様もいて、外飼いや避妊手術を受けさせないことに批判的な意見を目にしたりもするけど、そんなもん状況によりけりで、昔っから野良猫が生きていけるぐらいの漁獲物のあまりやらアラやらが出る漁師町じゃ、放任主義的な飼い方でもワシャなんも問題ないと思ってるし、地域文化的にもソレは容認されているモノと解釈している。
ということで、お気楽な立場でワシだいたい早めのお昼を10時頃に取ることが多いのでその後ベランダで餌をあげて、暇ならそのまま遊んで一緒にひなたぼっこ。
時には部屋に入れてハリ外したルアーで遊ばせたり、夜のご近所を一緒に散歩したりと充実のネコとの”甘い生活”を楽しんでる。
以前、ネコがゴロゴロと喉を鳴らすのが聞きたい。膝の上でゴロゴロ鳴いてくれたら落涙するのもやぶさかではないと書いたけど、今では結構普通に聞いている。機嫌が良いと割と普通に喉に痰がからんでんのか?って感じのドルルルルルッ、ドルルルルルッっていう呼吸音なのかなんなのかな音が聞こえてくる。聞いててこちらも嬉しくなる。
仔猫第1期生は最初3匹いたんだけど、1匹はどこかにもらわれていったのかあるいはトビとかにやられたのか今現在雄雌2匹いて、コレが面白いことに2匹とも性格が全く違うというかオカーチャンであるウニャ子ともまた違っていて、1匹1匹の個性が面白い。
ウニャ子は最初野良猫であることを疑わなかったぐらいに人間に対して警戒心が強く、何ヶ月も餌をあげてるのに餌あげようと窓を開けるとフシャーッと威嚇してきた。それでもだんだんデレてきて、仔猫連れてくるようになったあたりから、部屋の中にも入ってくるようになったし、一時期は仔猫を寝かしつけてから遊びに来て甘えて膝の上に乗っかってゴロゴロいいながら爪を立てて股のアタリをモミモミしてから眠ったり、とすっかり懐いてきて可愛いヤツなのである。
今現在は授乳中の仔猫がいるせいか割と素っ気なくて餌だけねだりやがって!と思わなくもないけど仕方あんめぇ。
年の功なのか子供達に比べると格段に賢くて、魚を焼いていると確実に嗅ぎつけてきて”アタイにも食わせて”と窓の外でウニャウニャと鳴いている。最近軽い網戸は爪掛けて開けることができると判明。
基本ほっそりした小顔の和風美猫でとにかく偏食が激しい。カリカリあげてなかった時期にも、キスとかハゼの生の頭は食ってくれなかったし、冬にカマスばっかりあげていたら焼いたカマスにも食いが悪くなったりした。
好物はアジだったけど、それ以上にアユは大好物のようでアユ2,3匹食わせて食欲刺激してやるとカリカリも食い始めたりする。アユをあげるとワシの手を噛むぐらいの勢いで食いついてくるのでちょっと嬉しい。
子供の方は濃いめの灰色のが多分お姉さんだと思うけどハイカグラと名付けた。第1期生はマンガの登場猫の名前で行くことにしてハイカグラは「ストロベリー」から拝借。灰神楽って囲炉裏とかで炭がはぜて灰が舞う様をいうらしいけど、そんな感じの模様でなかなか渋くて綺麗な色合いで、ちょっとアメリカンショートヘアっぽい縞の出方で和風なオカーチャンとは対照的にぱっちりお目々のバタ臭い可愛らしさがある。でもカグラちゃんの寝顔はなぜかオッサン臭い。
これが、ウニャ子に輪を掛けた警戒心の強さで、だいぶ小さいころから餌あげているのにいまだに触ろうとすると逃げるか猫パンチで「気安く触らないで!」って感じの扱いを受けている。のわりに日向ぼっこしていると横で寝てたりするので単に触られるのが嫌いなだけなのかもしれない。ノミ取りブラシかけたいんだけどさせてくれないので困ったモノである。餌はえり好みなしでなんでも食べるのでその点は楽。
茶色系の雄がコバンで、名前は「それでも街は廻っている」から。コイツが雌2匹の警戒心の強さを補ってあまりあるぐらいの警戒心のなさで、ちょっとバカっぽい。でもバカな子ほど可愛いって言うぐらいで愛嬌抜群で可愛いのよ。
初めてやってきたときから好奇心旺盛で、ウニャ子があんまり遊んでくれなかったオモチャで釣れまくり。
部屋でハリ外したルアーで遊ぶのも大好きでカグラも遊ぶけど、コバンは延々とドタバタ走り回って遊んでる。
釣りして夕方暗くなって帰ってくると、玄関前で待っててくれたりしてなかなかにういヤツなんだけど、とにかく部屋に入ってこようとするので釣り具部屋とか危ないし、実は軽く猫の毛にアレルギーがあるのか遊んだ後目が痒かったりするので寝室には入れたくないんだけど、頭をグリグリとねじ込むようにして隙があると部屋に侵入しようとしてくる。可愛いけど勘弁して欲しい。
人なつっこいというか甘えん坊で、足下にじゃれついてくるし後ろをついてくるので”猫の散歩”が可能で夜に遊び足りずにねぐらに帰ろうとしないときには近所を一回りしてねぐらの前に連れて行ったりしている。
膝の上にも良く乗ってきて、ゴロゴロいったり眠ったりと甘えん坊なんだけど、結構な大きさになってから、膝の上で寝ているウニャ子のお乳を飲んでた甘えん坊ぶりには「大丈夫かコイツ」とちょっと心配になったぐらいである。ちなみにウニャ子が起きているときにはお乳吸おうとして”クケッ!”という感じの聞いたことないような鳴き声でしばかれていた。ウニャ子もワシの股にやってたけど、前足で交互に揉むのはお乳の出を良くするための行動を原型とする”甘え”の仕草のようだ。
好物はクモ。何じゃそりゃ?と思うかもしれないけど何故かクモが好きなようで玄関前で我が家の警備担当であるアシタカ軍曹半殺しにしてて、軍曹を慌てて保護したらしばらく機嫌悪かったっていうぐらいで、1階の作業スペースで遊ばせたときは隅っこの方でなんかやってるなと思ってたら、口の周りクモの巣だらけにして部屋の隅に結構巣があったヒメグモのたぐいを一掃してしまった。
基本的に食い意地が張ってるのかもしれない。良くウニャ子が口にしている魚とか取ろうとして猫パンチで制裁を受けている。食の細いウニャ子にはとにかく機会があれば餌を食わそうとするんだけど、ウニャ子がプイッとそっぽ向くと、コバンがめざとくやってきて黙々と食ってたりする。なんでも食ってウニャ子より大きく育ったのはいいけどお腹のあたりタプタプしてて明らかに太り気味で食事制限が必要なのかもしれない。けど、うちで食わなかったら他の家で餌ねだるだろうから、とにかくカロリー消費させようとオモチャで遊ばせたり散歩したりと気にはしてる。
触られるのもまったく嫌がらないというか好きなんじゃないかという感じで、あんまり警戒心がないのもどうかと思うので、最初嫌がらせ的にひっくり返して犬のようにお腹を撫でまくったりしてたら、最近はそうすると喉を鳴らすようになってきた。困ったもんである。可愛いけど。
という感じで、猫と暮らす楽しい独居老人な日々であります。
隠居爺さん猫と遊んで良い塩梅。
2020年5月23日土曜日
大森熱もたまに再発する
小人閑居して不善をなす、っていうらしいけど、おうちで暇してると悪い病気が出たりするのよねこれがまた。
だいたい、魚が釣れていないと道具をイジリ始めるってのはお約束で、今回もしばらくの療養期間中に、買って放置していた1台と、勢いがついて思わずポチッと落札してしまったのの2台を暇に飽かせて分解清掃してしまった。
どちらも見た目はボロい個体なんだけど、いつも書いているように大森のリールが内部まで逝ってることはほとんどなくて、固着している箇所でもなければせいぜいベアリングを交換する程度で何の問題なく復活する。今回も2台ともサクッと復活。
左の青いのは「タックル5No.2」なんだけど、以前書いたように同型機のベールアームのナット固着を上手く外せず、無理矢理捻ってネジを折ってしまっているので、ベール周りの部品が取れればいいやとジャンク扱いのを安く入手したんだけど、分解清掃したら普通に復活してしまった。折れている方の個体は折れた部分にドリルで穴を掘ってネジ穴に加工できないか、自動車整備関係の仕事している友人にチョット見てもらっているところ。あかんかったらベールワイヤーレス機に改造予定。
タックル5はNo.1の大きさを小遠征の根魚釣りに使ってるけど、外蹴りで単純な構造で壊れるような要素も少なく、左手でベールを返す釣り人ならベールの返しが重いとかも関係ないし今のところ快調に使えている。ドラグはこの時代から既にフェルトのドラグパッド3階建て方式だし、ねじ込みハンドル、鋼製の芯を鋳込んだハンドル軸のギア、樹脂製スリーブの入ったラインローラー、折りたたみ可能なベールとまさしく大森仕様という感じで全然人気がないのが可哀想になってくる。兄弟機の「タックル」や「マイクロセブン(アウトスプール版)」も含め凄く良いのにみんな見る目がない。
もいっちょ、右の黒い小さめのリールは「マイクロセブンCS」でこれまたボロ個体を、どうせ分解清掃したら復活するから、と落札して予想通りあっさり復活。コイツを入手したのは我が家にある「タックルオートSS」には何故かマイクロセブンCSのスプールが付いていて、スペアスプール有りの体制がすぐに組めるからというだけの理由で、特に使うアテがあるわけでもないのに思わず反射的に入札してしまった。「大森熱」という悪い病気は、なおったと思っても魚釣りに行けずに心が弱っていたりすると再発するのです。
またこれが「マイクロセブンC」シリーズも不当に人気がなくて、同じ樹脂製のキャリアーが小さいSSの大きさだと一時期ほど高騰してはいないにしても万札ぐらいは飛んでいくのに、若干重くなるとはいえ、ラインローラーに樹脂製スリーブ入りでネジがタップネジじゃなくて金属の雌ネジとか、重い分はしっかり作られていて耐久性はあるハズでどちらかが優れてるってよりは性格の違うそれぞれ魅力的なリールのハズなのに、購入見送ったけど箱入りのC1が2千円とかにしかなってないのを見て「なんでやねん?」と突っ込まざるを得なかった。
以前スピンフィッシャーの「4200SS」について、PENNが作ったダイヤモンドリールみたいな単純軽量なスピニングと書いたけど、逆にマイクロセブンCシリーズは大森製作所が作った樹脂製4桁スピンフィッシャーみたいな、樹脂製だけど必要なところに金属で補強入れて丈夫に耐久性も持たせたスピニングなんじゃないだろうかと感じている。
いずれにせよ、今回の2台は送料は別途掛かるけど落札金額自体は500円と1100円と格安だったのである。キャリアーSSが1万円は越えてくるのに、同じ大きさのマイクロセブンCSはなんぼボロいと言っても10分の1の価値しかないとか思えないんだけど、みんなちゃんと見てる?って不思議に思う。
大森人気も一時の加熱状態は過ぎて落ち着いてきたようで、ハッキリ言ってダイヤモンドリールが安い。今でもキャリアーSSとコメットとかの小型インスプールぐらいは値段付くけど、他はそんなに値段付いてなくて、インスプールでも「マイクロ2世301」が開始価格4000円で1週目買い手が付いてなかったってぐらいで全体的に安くなってる。
ダイヤモンドリールのデキの良さとか全く変わってないはずだけど、単なる流行廃りの関係でみんな飽きたか、良さが理解できるほどスピニングリールを「分かってない」かだと思う。バカくせぇことである。
ただ、あんまり値段が安いとネットオークションに出されもせずにゴミの日に出されてしまいかねず、ダイヤモンドリールなんてベールスプリングとベアリング交換してやれば100年快適に使えるはずでありゴミにするには惜しすぎるので、そろそろ初心者マークが取れそうな「大森アナリスト」として、人気それ程なくて安いけど使えるお薦めのダイヤモンドリールを推しまくってチョットでも相応しい人の手元に相応の値段で届くように応援していきたい。
まずは、普通に使えるスピニングが欲しいという向きには「タックルオート」をお薦めする。上でも書いたけどフェルトのドラグパッド3階建て方式、ねじ込みハンドル、鋼製の芯を鋳込んだハンドル軸のギア、樹脂製スリーブの入ったラインローラー、折りたたみ可能なベールと、ザ大森方式というスピニングで、大森ご自慢のベールの返りが軽い内蹴り式なのでハンドル回してベールを返す釣り人にも快適に使える。ボールベアリングが2個に増えてワンタッチスプールになる高級版の「オートベール」も、さっき書いた外蹴り版「タックル5」他でももちろんそれぞれの使い方を考えて選べばまずこの辺は間違いないし、値段も汎用性の高いNo.1サイズなら弾数も多くて安いはず。
それから、せっかくダイヤモンドリール買うならリアドラグのマイコン系が使ってみたいという釣り人には「TB」シリーズをお薦めする。なぜなら、マイコンシリーズの終わりの方にでてきたせいもあって、スプールエッジの形状が大森独特の”なで肩”じゃなくて真っ直ぐ系に修正されていたりして、使ってて全く不満を感じなかったので自信を持ってお薦めしたい。マイコンシリーズで値段が多少付くのはオリジナルのSSかNo.1ぐらいで、その他のマイコン系は3千円も出せば買えることが多い。鱒用に人気のSSサイズのマイコン30STBでもそのぐらいで買えると思う。
そして、不当なぐらいに評価が低いマイクロセブンCシリーズだけど、これこそ買いだと思う。これまで気付けば4台も買ってしまっているけど、箱入りのC1の3900円、シェイクスピア版の「シグマプレジデント2440-040」2800円でもデキの良さ大森製作所の気合いのは入りようを考えると安いぐらいだと思うけど、C2の980円とCSの1100円とか、もうゴミスピ価格である。
キャリアーのほうが軽いっていっても、マイクロセブンCシリーズだって樹脂製で軽いはずでどれぐらい違うのか、実際測ってみた。
結果は、
①NO.1の大きさ
キャリアーNo.1:220g、マイクロ7C1:236g、タックル5No.1:250g、タックルオートNo.1:252g、マイコン301TB:274g
②SSの大きさ
タックルオートSS(スプールはマイクロセブンCSの樹脂製):187g、マイクロセブンCS:195g、タックルASS:204g
ちなみにラインも巻いたうえでの湿重量。
という感じで、確かにキャリアーの方が軽い、でも言うほど違うか?って正直思う。マイクロセブンCSの195gとか明らかに軽いリールの範疇だと思うがどうなのよ。
っていうか、大森のNo.1と同じぐらいの大きさのスピンフィッシャー430ssgとかライン巻いたら291gもあって300g級の重さだけど、竿とのバランスもあるんだろうけど特に重いと感じたことはないんだよね、ってぐらいで220gと236gの差が我慢できんほどなのかね?ってPENN使いからしたら思ってしまう。その分丈夫に作ってあるって考えたらまったく問題ない”重さ”だと思うけどナ。タックルオート自体単純でよけいな機構も付いてないんでずいぶん軽快なスピニングだと思うけど、ソレより樹脂製のCシリーズは軽いんでっセ。カリカリ音しないようにする消音化の部品も組み込んであるし、お買い得だと思うンだけどどうでっしゃろ。
って、部屋でクリクリリール回して書いてるだけでは説得力がないので、ちょっとこの夏はダイヤモンドに浮気してマイクロセブンCシリーズの実力を推し量ってみようかなとおもっちょりマス。
2020年5月16日土曜日
アシュラ男爵は語りたい
帯状疱疹のほうはおかげさまで、痛みやら熱やらは引いてほぼ平常運転なんだけど、顔は水ぶくれが引いた後のかさぶたやら染みやら赤みやら残っていて、帯状疱疹って神経系に沿って帯状にウイルスが広がるのがその名の由来で特徴らしく右顔面上部がエラい有様なのに比して、顔面左は紅顔の美少年とはいかないまでも綺麗なままで、くっきりと線引っ張ったように分かれていて、塗り薬塗るために鏡を見る度に、アシュラ男爵を思い出さずにいられない。
アシュラ男爵ってご存じかしら?昭和のオッサンなら知ってるだろうけど、知らない若い人は画像検索して欲しい。鬼才天才永井豪大先生原作の「マジンガーZ」に出てくる敵幹部で顔が縦に半分に分かれていて、片方が女性で片方が男性、しゃべるときは両方の声が聞こえてくるという、今考えると2人声優が声を揃えてしゃべらなきゃならないという面倒くせぇキャラクターなんだけど衝撃的に記憶に刷り込まれていて、体半分が雄で半分が雌に分かれた”雌雄モザイク”のクワガタやらチョウチョやらがネットニュースで紹介されていると「アシュラ男爵みたいやな」と昭和のオッサンの多くは感じるはずである。
こんなん考えつくなんて豪先生の創造力はただ事じゃないなと思ってて、同じマジンガーZの幹部仲間のブロッケン伯爵とかも、敵幹部が男爵とか伯爵とかの貴族階級制なのも今考えるとメチャクチャ荒唐無稽で素晴らしい感性がほとばしりまくってると思うけど、自分の生首抱えてるってのがまたどうやったらこんなの思いつくんだろうなとながらく思ってた。しかし、割と最近になってアシュラ男爵に仏教の三面の鬼神”阿修羅”という元ネタがあったように、ブロッケン伯爵にも元ネタがあって欧州の方に首無しの馬にまたがった首なし騎士”デュラハン”ってのの言い伝えがあってソレがどうも元ネタ臭いと思うようになった。デュラハンの存在は”このすば”とか”亜人ちゃん”とかのアニメで知った。
今ウィキってデュラハンのこと調べてみたら、今日本でも”アマビエ”が話題になってるけど”凶事を予言する系の怪異”の一種らしい。そうだとすると”このすば”のデュラハンネタは意外に伝承通りで感心した。あんなに馬鹿臭いのに基礎はちゃんとおさえている。
予言する系の怪異って世界中に伝承があるようで、例えば英国のバンシーとかがそうで「オマエは万死ーに値する!」とか泣き叫ぶそうである。
嘘です。オヤジギャグの部分は今モノの弾みで書いてしまいました。自分でもなんであんなことを書いてしまったのかと遺憾におもいます。
日本だと”アマビエ”よりは半人半牛の予言獣”件(くだん)”の方が有名だったはずで、創作物においても出番は多かったはず。最近アニメで知って原作も読んだ”虚構推理”でも件の予言能力?が重要な要素として物語が紡がれている。
対して、アマビエってアニメ第5期の”ゲゲゲの鬼太郎”では準レギュラーだったけど(おかげでアマビエのイラストとかネットで見るたびに5鬼太郎のアマビエの声が脳内再生される)、それ以外で出てくる作品みたことなくて、最近、写し絵を持ってると疫病退散に御利益有りだとかでネットじゃ話題になってるのをみて、またマイナーな妖怪が注目浴びるもんだなと興味深い。
アマビエと件の共通点は奇形的な見た目の生き物が現れて凶事を予言してすぐに死ぬ。というところで、アマビエはクチバシの生えた3本の尾を持つ人魚?、件は人頭の牛(逆もあるようだ)という姿で描かれている。
妖怪でもUFOでも未確認生物でもオカルト全般にいえることだけど、言ってることは荒唐無稽で根も葉もないホラだと即断できたとしても、その背景とかを突っ込んで考えると割と面白いっていうのはあって、そういう楽しみ方をするなら、アマビエやら件やらの凶事を予言する怪異は、凶事の前には前触れがあるっていうことを示しているのかもしれないし、あるいは人は原因不明の凶事を前に、その原因を探るときにあんまり関係ないことでも印象に残っていた珍事を関連づけてしまいがちだということかもしれない。
前者は例えば、頭部が奇形でクチバシ状で尾ビレが三叉してるような奇形魚が揚がったり牛が人面に見えるような奇形児を産んだりして死ぬような状況が、なんらかの鉱毒とかの汚染によって生じていて、水俣病の前の猫の狂い死にのような禍の先触れとして実際にあったことに尾ひれが付いて伝承化したのかもしれない。
後者は、大地震の前にはリュウグウノツカイが打ち上がるとか一見すると関係ありそうな気がするけどあんまり関係ない事象を、人間ってなにか理屈が付くと安心するので、印象深い出来事どうしが結びつけられて伝承化されたっていう可能性。
そういう観点で見ると、今回のコロナ禍って奇形の魚が水揚げされるような先触れはなさそうで、あんまりアマビエ関係ねぇじゃんって思うけど、まあ便乗して小商いしている人とか助かってる人もいるんだろうからイイってことか。
じゃあどんな怪異が今回のコロナ禍に相応しいのか?ってかんがえると、予言獣系でいこうと思うと、今回の新型コロナウイルスの元の宿主はコウモリ系らしいッテ話だから、中国人は普段から食ってたって先入観を除いて考えると、コウモリが人里に出てくるような状況になって起こる先触れって、なんだろう?って考えててふと気がついたんだけど、コウモリ自体が”不吉な先触れ”っていうのが一番自然だし、考えれば考えるほどしっくりくることに思い当たった。
コウモリは果物食べるオオコウモリや吸血性、吸蜜性のやらはまた別として、基本昆虫食のものが多くて、夜行性だという点を除くと生態的地位はツバメと似たようなモノのはずである。
にもかかわらずツバメが昔から農家にとってあからさまに縁起の良い益鳥扱いで愛でられているのに反して、コウモリはそこまで愛されておらず、むしろ不気味な印象をもって語られる場合が多いように感じる。日本では昔は縁起が良いとされていたこともあるようではあるけど近年はそいういう印象は薄い(カステラの福砂屋の商標がコウモリをあしらった意匠なのは蝙蝠の漢字の縁起の良い”福”のつくり繋がりだなとお勉強してて気がついた)。
実際に捕まえたことがある人間なら知っていると思うけど、キクガシラコウモリとか不細工かもだけどアブラコウモリとか見た目とっても愛らしいにもかかわらずである。コウモリが可愛いとかナマジの謎感性で一般的じゃないだろとか思った人はシロヘラコウモリ画像とか検索して反省しておくように。
コウモリが薄気味悪い存在であるという感覚は特に西洋では昔から普遍的にあるようで、イソップ物語でも裏切り者として悪役扱いになっている。
視覚情報に重きを置いて活動するホモサピ(人間)にとって、夜という観測しづらい時間に活動する生物に対して感じる”得体の知れない不気味さ”だけでは説明しにくいと思うけど、今回のコロナ禍でコウモリに関する情報もいろいろ知るとナルホドと納得せざるを得ない。
コウモリは各種人畜共通感染症の宿主であり、鳥より哺乳類な分なのかその媒介する種類は多いらしく、かつその生き物が空を飛んでやってくるんである。中国人が野生動物食わないようになったぐらいでコウモリとの接触が避けられるとは思えない。野生動物食の一律の禁止とか全くもってバカバカしいとしかいいようがない。もちろんコウモリの駆除とか説明する必要もない愚挙。
「空を飛んでどこにでもやってきて人と共通の病気を運びうる存在。」
そりゃ、害虫食ってくれて見た目が可愛らしくても、人間の潜在意識に恐怖心を植えつけるには充分な存在である。本当は怖いコウモリの真実。
日本より西洋でコウモリに対する恐怖心が顕著なのは、歴史的にコウモリの運んできた疫病にやられたことがあるとかが関係するんじゃなかろうか?
今回のコロナ禍に相応しい怪異はコウモリ関係だろうと思って、コウモリ関係の怪異ってなんかいたっけ?と考えるまでもなく怪異の王たる存在である”吸血鬼”が思いつく。
ワシの物心つくころにはすでに「怪物くん」とか「ドン・ドラキュラ」とかには今現在吸血鬼やヴァンパイヤというとき思い描かれる、黒いマントで牙の生えた口、棺桶で寝る典型的な姿が定着していたけど、おそらくこれは有名なブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」あたりを源流に持つんだろう。ただ、そもそも人の世の生き血をすする鬼的な怪異って世界各地で語り継がれてきただろうし、現代でもチュパカブラとか新種が登場したりしている。
そういった伝承のうち、串刺し公のヴラド・ツェペシの悪名とルーマニアの吸血鬼伝説とかを借りてブラム・ストーカー先生は小説のネタにしたんだろうけど、人的なモデルの一人が串刺し公だとして、今回コロナ禍関連で怪異ネタを暇つぶしに調べてウィキペディアとか読んで気がついたのは、吸血鬼って病気に対する知識が今よりもなかった時代の疫病への恐怖に形を与えたモノってのが根底に存在するんだなということである。まあこんなことは今更ワシが書かんでも当たり前のようで、ウィキペディア先生も「現在の吸血鬼に対する考え方は古代ルーマニアから続いているものである。古代ルーマニアは古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程を経験した。異なる宗教と文化における矛盾、外からの人々の流入により新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられている。(ウィキペディア「吸血鬼」の項より引用)」って言ってる。
そう考えると、吸血鬼が十字架やら聖水やらを恐れるのはキリスト教の「いま入信されると吸血鬼対策も万全です」って宣伝由来なんだろうけど、吸血鬼がコウモリやネズミ、あるいは霧に変身してどこにでも侵入するっていうのは、まさにコウモリやネズミが疫病の運び屋となることへの警鐘だろうし、霧になって忍び寄るなんていうのは、今現在進行形で脅威となってるけど目に見えずに飛沫感染するウイルスなんかの性質を本質的に昔の人見抜いて警戒していたんじゃなかろうか?
ほかにもニンニクが苦手とか、ニンニクの抗菌作用とかが疫病に効くというのを、あるいは滋養豊富なニンニク食って健康でいることが大事というのを経験則で知っていたンじゃないかという気がしてくる。
日光が苦手とかもろ日光消毒っぽいし、吸血鬼は主の許しがないと家には入れないとか、不特定多数との濃厚接触を避けるべしって戒めかも知れない。
吸血鬼が流れる水を渡れないって、なんのこっちゃと疑問に思ってたけど、吸血鬼の正体の一つが原因不明の疫病と考えると、なんか出血性の疫病とかでネズミが媒介するとかのがあって、村一つ全滅したけど、川を挟んだ隣の村では被害がなかったとかを見て「吸血鬼は流れる水を渡れんらしいゾ」って昔の人は思ったなんてのがありそうに思う。
こうやって、暇に任せてネットでグダグダと調べ物してみると、怪異とか妖怪とか呼ばれるモノにも、なにか元になるネタがあったんだろうなってのが見えてきて面白かったっていうのと共に、人は正体不明のモノ、目に見えないモノを極端に恐れて、実態を知ろうとし、分からなければ強引にこじつけたり勝手に名前を付けたりしてでも納得して安心したがる生き物だと痛感した。
時にそのこじつけやらは間違っているとしても、あるいは意図的に詐欺的に恣意的になされたとしても多くの人はソレを信じて安心することを選ぶ。その最たるモノが”神”だとおそれながら書かせてもらう。
その神が人を安心させ幸せにするなら人様の信仰に文句を言う筋合いではないし、敬意を払うべきだとも思っている。騙されていたって幸せならそりゃソレでアリだろうって思う、けど、そういう人の”信じたがる心”につけ込んで、アリもしない罪を人に押しつけたり、アリもしない効能を謳って金品だまし取ったり、人を不幸にしているのならそれは許されない蛮行だと思う。
そういう蛮行が、このコロナ禍の中で繰り返されている。中世の魔女狩りと、感染者の家に石を投げる行為にどれだけの違いがあるというのか?こんな愚かな生き物、オレが神でも、そら定期的に疫病でも流行らせてのさばらんようにする。そのぐらい愚かしい。
人は真実や論理的に正しいことを信じるってわけじゃないらしい。人は自分にとって都合の良いことを信じると聞く。その楽観性が不都合なことの多いこの世を生きていく処世術なのかもしれないけれど、もう少し賢くなれないのかと、21世紀になって科学技術が発達しても中世とたいして変わらん精神性の我が種族をみて思う。
こういう世を嘆いた説教臭いことを書くようになると自分が老いたことを痛切に実感する。我ながら爺くせェけど書いちまったモンはしょうがあんめぇ。
ぼちぼちリハビリで体に負担かからない釣りから始めているので、とっとと調子上げてくっだらえねぇこと考えてる暇ないぐらいの”魚釣り全力疾走”に突入したいものである。
アシュラ男爵ってご存じかしら?昭和のオッサンなら知ってるだろうけど、知らない若い人は画像検索して欲しい。鬼才天才永井豪大先生原作の「マジンガーZ」に出てくる敵幹部で顔が縦に半分に分かれていて、片方が女性で片方が男性、しゃべるときは両方の声が聞こえてくるという、今考えると2人声優が声を揃えてしゃべらなきゃならないという面倒くせぇキャラクターなんだけど衝撃的に記憶に刷り込まれていて、体半分が雄で半分が雌に分かれた”雌雄モザイク”のクワガタやらチョウチョやらがネットニュースで紹介されていると「アシュラ男爵みたいやな」と昭和のオッサンの多くは感じるはずである。
こんなん考えつくなんて豪先生の創造力はただ事じゃないなと思ってて、同じマジンガーZの幹部仲間のブロッケン伯爵とかも、敵幹部が男爵とか伯爵とかの貴族階級制なのも今考えるとメチャクチャ荒唐無稽で素晴らしい感性がほとばしりまくってると思うけど、自分の生首抱えてるってのがまたどうやったらこんなの思いつくんだろうなとながらく思ってた。しかし、割と最近になってアシュラ男爵に仏教の三面の鬼神”阿修羅”という元ネタがあったように、ブロッケン伯爵にも元ネタがあって欧州の方に首無しの馬にまたがった首なし騎士”デュラハン”ってのの言い伝えがあってソレがどうも元ネタ臭いと思うようになった。デュラハンの存在は”このすば”とか”亜人ちゃん”とかのアニメで知った。
今ウィキってデュラハンのこと調べてみたら、今日本でも”アマビエ”が話題になってるけど”凶事を予言する系の怪異”の一種らしい。そうだとすると”このすば”のデュラハンネタは意外に伝承通りで感心した。あんなに馬鹿臭いのに基礎はちゃんとおさえている。
予言する系の怪異って世界中に伝承があるようで、例えば英国のバンシーとかがそうで「オマエは万死ーに値する!」とか泣き叫ぶそうである。
嘘です。オヤジギャグの部分は今モノの弾みで書いてしまいました。自分でもなんであんなことを書いてしまったのかと遺憾におもいます。
日本だと”アマビエ”よりは半人半牛の予言獣”件(くだん)”の方が有名だったはずで、創作物においても出番は多かったはず。最近アニメで知って原作も読んだ”虚構推理”でも件の予言能力?が重要な要素として物語が紡がれている。
対して、アマビエってアニメ第5期の”ゲゲゲの鬼太郎”では準レギュラーだったけど(おかげでアマビエのイラストとかネットで見るたびに5鬼太郎のアマビエの声が脳内再生される)、それ以外で出てくる作品みたことなくて、最近、写し絵を持ってると疫病退散に御利益有りだとかでネットじゃ話題になってるのをみて、またマイナーな妖怪が注目浴びるもんだなと興味深い。
アマビエと件の共通点は奇形的な見た目の生き物が現れて凶事を予言してすぐに死ぬ。というところで、アマビエはクチバシの生えた3本の尾を持つ人魚?、件は人頭の牛(逆もあるようだ)という姿で描かれている。
妖怪でもUFOでも未確認生物でもオカルト全般にいえることだけど、言ってることは荒唐無稽で根も葉もないホラだと即断できたとしても、その背景とかを突っ込んで考えると割と面白いっていうのはあって、そういう楽しみ方をするなら、アマビエやら件やらの凶事を予言する怪異は、凶事の前には前触れがあるっていうことを示しているのかもしれないし、あるいは人は原因不明の凶事を前に、その原因を探るときにあんまり関係ないことでも印象に残っていた珍事を関連づけてしまいがちだということかもしれない。
前者は例えば、頭部が奇形でクチバシ状で尾ビレが三叉してるような奇形魚が揚がったり牛が人面に見えるような奇形児を産んだりして死ぬような状況が、なんらかの鉱毒とかの汚染によって生じていて、水俣病の前の猫の狂い死にのような禍の先触れとして実際にあったことに尾ひれが付いて伝承化したのかもしれない。
後者は、大地震の前にはリュウグウノツカイが打ち上がるとか一見すると関係ありそうな気がするけどあんまり関係ない事象を、人間ってなにか理屈が付くと安心するので、印象深い出来事どうしが結びつけられて伝承化されたっていう可能性。
そういう観点で見ると、今回のコロナ禍って奇形の魚が水揚げされるような先触れはなさそうで、あんまりアマビエ関係ねぇじゃんって思うけど、まあ便乗して小商いしている人とか助かってる人もいるんだろうからイイってことか。
じゃあどんな怪異が今回のコロナ禍に相応しいのか?ってかんがえると、予言獣系でいこうと思うと、今回の新型コロナウイルスの元の宿主はコウモリ系らしいッテ話だから、中国人は普段から食ってたって先入観を除いて考えると、コウモリが人里に出てくるような状況になって起こる先触れって、なんだろう?って考えててふと気がついたんだけど、コウモリ自体が”不吉な先触れ”っていうのが一番自然だし、考えれば考えるほどしっくりくることに思い当たった。
コウモリは果物食べるオオコウモリや吸血性、吸蜜性のやらはまた別として、基本昆虫食のものが多くて、夜行性だという点を除くと生態的地位はツバメと似たようなモノのはずである。
にもかかわらずツバメが昔から農家にとってあからさまに縁起の良い益鳥扱いで愛でられているのに反して、コウモリはそこまで愛されておらず、むしろ不気味な印象をもって語られる場合が多いように感じる。日本では昔は縁起が良いとされていたこともあるようではあるけど近年はそいういう印象は薄い(カステラの福砂屋の商標がコウモリをあしらった意匠なのは蝙蝠の漢字の縁起の良い”福”のつくり繋がりだなとお勉強してて気がついた)。
実際に捕まえたことがある人間なら知っていると思うけど、キクガシラコウモリとか不細工かもだけどアブラコウモリとか見た目とっても愛らしいにもかかわらずである。コウモリが可愛いとかナマジの謎感性で一般的じゃないだろとか思った人はシロヘラコウモリ画像とか検索して反省しておくように。
コウモリが薄気味悪い存在であるという感覚は特に西洋では昔から普遍的にあるようで、イソップ物語でも裏切り者として悪役扱いになっている。
視覚情報に重きを置いて活動するホモサピ(人間)にとって、夜という観測しづらい時間に活動する生物に対して感じる”得体の知れない不気味さ”だけでは説明しにくいと思うけど、今回のコロナ禍でコウモリに関する情報もいろいろ知るとナルホドと納得せざるを得ない。
コウモリは各種人畜共通感染症の宿主であり、鳥より哺乳類な分なのかその媒介する種類は多いらしく、かつその生き物が空を飛んでやってくるんである。中国人が野生動物食わないようになったぐらいでコウモリとの接触が避けられるとは思えない。野生動物食の一律の禁止とか全くもってバカバカしいとしかいいようがない。もちろんコウモリの駆除とか説明する必要もない愚挙。
「空を飛んでどこにでもやってきて人と共通の病気を運びうる存在。」
そりゃ、害虫食ってくれて見た目が可愛らしくても、人間の潜在意識に恐怖心を植えつけるには充分な存在である。本当は怖いコウモリの真実。
日本より西洋でコウモリに対する恐怖心が顕著なのは、歴史的にコウモリの運んできた疫病にやられたことがあるとかが関係するんじゃなかろうか?
今回のコロナ禍に相応しい怪異はコウモリ関係だろうと思って、コウモリ関係の怪異ってなんかいたっけ?と考えるまでもなく怪異の王たる存在である”吸血鬼”が思いつく。
ワシの物心つくころにはすでに「怪物くん」とか「ドン・ドラキュラ」とかには今現在吸血鬼やヴァンパイヤというとき思い描かれる、黒いマントで牙の生えた口、棺桶で寝る典型的な姿が定着していたけど、おそらくこれは有名なブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」あたりを源流に持つんだろう。ただ、そもそも人の世の生き血をすする鬼的な怪異って世界各地で語り継がれてきただろうし、現代でもチュパカブラとか新種が登場したりしている。
そういった伝承のうち、串刺し公のヴラド・ツェペシの悪名とルーマニアの吸血鬼伝説とかを借りてブラム・ストーカー先生は小説のネタにしたんだろうけど、人的なモデルの一人が串刺し公だとして、今回コロナ禍関連で怪異ネタを暇つぶしに調べてウィキペディアとか読んで気がついたのは、吸血鬼って病気に対する知識が今よりもなかった時代の疫病への恐怖に形を与えたモノってのが根底に存在するんだなということである。まあこんなことは今更ワシが書かんでも当たり前のようで、ウィキペディア先生も「現在の吸血鬼に対する考え方は古代ルーマニアから続いているものである。古代ルーマニアは古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程を経験した。異なる宗教と文化における矛盾、外からの人々の流入により新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられている。(ウィキペディア「吸血鬼」の項より引用)」って言ってる。
そう考えると、吸血鬼が十字架やら聖水やらを恐れるのはキリスト教の「いま入信されると吸血鬼対策も万全です」って宣伝由来なんだろうけど、吸血鬼がコウモリやネズミ、あるいは霧に変身してどこにでも侵入するっていうのは、まさにコウモリやネズミが疫病の運び屋となることへの警鐘だろうし、霧になって忍び寄るなんていうのは、今現在進行形で脅威となってるけど目に見えずに飛沫感染するウイルスなんかの性質を本質的に昔の人見抜いて警戒していたんじゃなかろうか?
ほかにもニンニクが苦手とか、ニンニクの抗菌作用とかが疫病に効くというのを、あるいは滋養豊富なニンニク食って健康でいることが大事というのを経験則で知っていたンじゃないかという気がしてくる。
日光が苦手とかもろ日光消毒っぽいし、吸血鬼は主の許しがないと家には入れないとか、不特定多数との濃厚接触を避けるべしって戒めかも知れない。
吸血鬼が流れる水を渡れないって、なんのこっちゃと疑問に思ってたけど、吸血鬼の正体の一つが原因不明の疫病と考えると、なんか出血性の疫病とかでネズミが媒介するとかのがあって、村一つ全滅したけど、川を挟んだ隣の村では被害がなかったとかを見て「吸血鬼は流れる水を渡れんらしいゾ」って昔の人は思ったなんてのがありそうに思う。
こうやって、暇に任せてネットでグダグダと調べ物してみると、怪異とか妖怪とか呼ばれるモノにも、なにか元になるネタがあったんだろうなってのが見えてきて面白かったっていうのと共に、人は正体不明のモノ、目に見えないモノを極端に恐れて、実態を知ろうとし、分からなければ強引にこじつけたり勝手に名前を付けたりしてでも納得して安心したがる生き物だと痛感した。
時にそのこじつけやらは間違っているとしても、あるいは意図的に詐欺的に恣意的になされたとしても多くの人はソレを信じて安心することを選ぶ。その最たるモノが”神”だとおそれながら書かせてもらう。
その神が人を安心させ幸せにするなら人様の信仰に文句を言う筋合いではないし、敬意を払うべきだとも思っている。騙されていたって幸せならそりゃソレでアリだろうって思う、けど、そういう人の”信じたがる心”につけ込んで、アリもしない罪を人に押しつけたり、アリもしない効能を謳って金品だまし取ったり、人を不幸にしているのならそれは許されない蛮行だと思う。
そういう蛮行が、このコロナ禍の中で繰り返されている。中世の魔女狩りと、感染者の家に石を投げる行為にどれだけの違いがあるというのか?こんな愚かな生き物、オレが神でも、そら定期的に疫病でも流行らせてのさばらんようにする。そのぐらい愚かしい。
人は真実や論理的に正しいことを信じるってわけじゃないらしい。人は自分にとって都合の良いことを信じると聞く。その楽観性が不都合なことの多いこの世を生きていく処世術なのかもしれないけれど、もう少し賢くなれないのかと、21世紀になって科学技術が発達しても中世とたいして変わらん精神性の我が種族をみて思う。
こういう世を嘆いた説教臭いことを書くようになると自分が老いたことを痛切に実感する。我ながら爺くせェけど書いちまったモンはしょうがあんめぇ。
ぼちぼちリハビリで体に負担かからない釣りから始めているので、とっとと調子上げてくっだらえねぇこと考えてる暇ないぐらいの”魚釣り全力疾走”に突入したいものである。
2020年5月10日日曜日
退場方針
人間なんて弱い生き物である。なんか外部に蓄積した情報やらをもとに文明やら文化やらを構築しエラそうにしたところで、生物としては「コイツホントに生物っていえるのか?」って疑問に思うぐらいの、鞘(エンペロープ)に核酸(DNAかRNA)と酵素がちょろっと入ってるぐらいのウイルスに、世界規模で経済活動をズタズタにされ、そしてワシは顔面の右上部を四谷怪談かガマガエルかってぐらいにボコボコの痘痕づらにされて、痛さに泣きが入っている。
ナニが万物の霊長じゃ、生物単体としてはウイルスのような人類史始まって以来の”天敵”はおろか、戦闘能力考えると猫ぐらいの小型動物ならギリ勝てるカモだけど、大型犬ぐらいからは普通勝てない。
高校の同級生で漁師町出身でケンカ超強い友人がいたんだけど、彼でも中型の野犬に襲われたとき、噛みつこうとくり出してくるアゴを必死の後退で避けながら、そのアゴめがけて左右のフック連打でなんとかしのぎきって相手の戦意喪失で難を逃れたけど、もうチョットデカいか群れで来られたらヤバかったと言ってて、ワシなら尻まくって逃げたところを後ろから襲われてやられてたのは明白で犬とコイツにはケンカ売らんでおこうと思ったモノである。
今回ワシがやられているのは、3つあるらしいヘルペスウイルスの一つ水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスってやつで、一般的には水疱瘡(みずぼうそう)の原因ウイルスとしてしられていて、ワシも今回それが帯状疱疹を引き起こす原因だというのは初めて知った。
この新型コロナウイルス感染症が猛威を振るってる中、ウイルス拾ってくるって防疫体制がなっとらんとお叱り受けそうだけどちゃうンです。これ、日本人だとだいたい九割方持ってるらしくって、一回目の発症では水疱瘡を引き起こして、ソレが収まっても神経のところに潜伏するらしく、ストレスやら疲労やらで免疫力が弱まるとやおら出てきて帯状疱疹を発症させるというウイルスのようで、ヘルペスっていうと悪い遊びをしてもらってくる性器ヘルペスが一番知られているけど、そういうもらってくる病気じゃなくて潜在的に持ってるウイルスに隙を突かれて押さえ込めなくなって発症するもののようである。
ストレスと疲労には思い当たる節はある。頼りにしていた漁場は釣り自粛の看板が立ち、自転車であちこち走り回ってなんとか新しい釣りものを開拓するのは楽しいけど労力はかかって疲れる。シーバスとチヌがもう一つなのもストレスだしムキになってあまりやらない早朝の釣りとかで睡眠周期も崩れて、帯状疱疹が出始めた5月5日の数日前からドロッとした疲れが抜けてない感触はあった。
そういう肉体的な疲労に加え、ネットニュースの見出しだけ見ていてもウンザリする「自粛警察」の横暴とか、すでに”正義を御旗”にっていう行動ですらなくて、たんなるインネンつけての私刑でしかなくなっていて、胸くそ悪く息苦しくなるようなストレスは確実に感じていた。こういう非常時にこそ人の本性って出るんだろうけど、なんとクソ野郎の多いことか。まあ、ぜんぜん自粛してない空気読めないワシもクソ野郎なのかもしれないけどな。
ようするに、自粛自粛うるっせぇから、ジーサン年甲斐もなくムキになって、人にかける迷惑は少なめに抑えつつも、自粛なんてしてやんねェぜ、おれは疫病流行の中でも楽しく釣りすることを諦めないぜ、っていうのを体現したくてちょっと世間の流れに逆らって頑張り過ぎてしまったというところだろう。
バカはいいよね、自分の価値観が絶対でソレを他人に押しつけて平然としていられるんだから。オラ下手に気が小さくてバカとしても小物なので他人様が言うことの逆張りするには、エラい神経使うし、この行為は自分的に許されるのか?整理できるのか?とか面倒くせえ自問自答を繰り返すことになって、ストレスかかりまくりだっての。
もう少し加減して健康に留意してやるべきだったという反省やら後悔やらがないわけじゃないけど、少なくとも頑張りすぎたってことは努力が足りなかったことはなかったようで、それならいいやぐらいに思っている。なかなかちょうどいい努力量で物事を進めるなんていうのは難しく、いつも「まだ努力が足りないんじゃないか?」と不安に思うので、体が悲鳴を上げて医者からおとなしくしておけとお墨付きを得て休みが取れるというのは、ある意味心安らかである。努力に関して不足はなかったということに歪な満足感を感じている。
奇しくも先日書いたように、健康を多少損ねても釣りにおいて得たいモノがあって、そのために限界まで努力しておきたいんだけど、それはできていたようだと思う。もっと効率よい健康を損なわない理想的な努力の方法を模索する必要はあるんだろうけど、バカなのでそんな小難しいことはできないというのはうすうす知ってるので、とにかく倒れるまで走って、倒れたら休憩、休憩終わったらまた走るっていう非効率で愚かな方法しかようせん気がしている。
努力すれば欲しいものが得られるかっていえばまた別の話で、そんな甘い話じゃないんだけど、努力もせずに何かが得られるわけもなく、努力なんてのは賭場に払うショバ代みたいなもんで、それを支払わなければ博打を張ることさえできない前提条件だと思っている。努力をしても才能やらがなければ無駄とかいう意見を目にする度に、賭場にも立たずに勝負に勝てるわきゃないだろうバカじゃねぇのか?と思う。
てな感じで、気持ち的にはスッキリしているけど、病状的にはちょっとエラいことになっていてしんどい状況にある。
この病気は早期に薬を飲み始めた方が軽症で済んで予後も良いようなので、どんな風に発症してどういう治療を進めているのか、読者様方の参考になればと書きとめておきたい。
<前兆>
疲れがたまってるなというのはちょっと前から実感していて、水泡が出てくる2,3日前からは朝起きるとダルくて痰が絡む感じなので風邪気味だなと思っていたけど、今思うとこの時点でウイルスが暴れ始めていたのかもしれない。
<5月5日>
朝、頭というか目の奥に重くしつこい感じの痛みがあって目が覚める。その時点ではまだ水疱は大きくなっておらず数も少なく目尻にちょっと赤いポツポツがある程度、ただ眉毛の中にヒリ付く痛みがあって、ちょうど寝ているあいだにムカデに噛まれたときのようなヒリつきかただったので、この時点ではムカデに噛まれて、ムカデの毒って噛みついたところにしみ出した毒液を塗りつけるという嫌な攻撃方法らしいので、目が痛くて充血しているのは、その毒液が目に入ったんだろうぐらいに思って、顔を洗って目も流水で流して”ほっときゃ直る”と無視して、夏日の中、炎天下でゴカイを掘って夕方釣りに行った。
釣っている最中はアドレナリンかオステオカルシンだかが効いているからか、視線をズラしたときに目の奥がズキンと痛むことがあったけどあまり気にしていなかったけど、帰ってきてから目の痛みが激しくなって、どんな塩梅かと鏡を見ると目の充血も酷いけど、目尻の水疱が膨らんできてかつ周囲にも沢山できていて、髪の生え際や髪の中にもできている。
これはムカデじゃない、触れれば水ぶくれができる系の毒虫で網戸の隙間とかから入ってきたンだろうから、アリガタハネカクシの類とかだろうか?そいつが寝てるときに顔の上を這ったか触った場所を手でこすって毒を塗り広げたかかなと思って、皮膚科に行くべきなんだろうけど祝日で休診なのでとりあえず酷い虫刺されにはステロイド軟膏だろうと、薬局に買いに行って再度熱いシャワーで良く洗ってから薬塗って寝た。
<5月6日>
この日も目の痛さで起きてしまう最悪の目覚め。目の奥の痛みは激しくなっていて、特に眼球を動かさなくても周期的に、ズズーン、ズズーンと虫歯を思わせるような神経に響くような嫌な痛みが襲ってきて、早く連休明けて眼科が開いてくれるのを願うしかなく、対処療法的に保冷剤で目を冷やして炎症を多少なりとも抑えようとするけど気休めで、ひたすらジッと耐える。水疱は増えて成長しているしヒリヒリしているけど目の痛みに比べるとたいしたことはない。
こんな酷い症状が出る毒虫はあまり聞いたことがなく、一体何なんだろうという不安も大きいけどとにかく目が痛い。
<5月7日>
やっと連休が明けて、行きつけの眼科に飛び込む。
虫刺されだと思うンですけどという当方の説明に、先生は即答で「これ虫刺されじゃなくてヘルペスですね、帯状疱疹です。」との診断。水疱瘡のウイルスが潜んでるのがストレスやら疲れで活性化して出てくること、抗ウイルス薬を1週間ぐらい飲むと、ウイルスの暴れてるのは収まって水疱はかさぶたになっていくんだけど、かさぶたが取れて痛みが取れるには時間が掛かること、特に痛みが後遺症的に残ることもあること、を説明してもらい目の炎症を抑える目薬と水ぶくれに塗る塗り薬を処方してもらい、一旦薬局へ。
とりあえず原因がハッキリしたのと、治療方針がハッキリしたので一安心ではあるけど、思ったより重症のようで、薬局でも「帯状疱疹は目に出ると大変なんですよ、頑張ってください」と励まされてしまい、そんなにしんどいのかと嫌になる。
内科に行って経緯を説明すると、内科の先生も特に説明もなく帯状疱疹として診断進めてたのでプロからすれば一目瞭然の症状だったのだろう。
「眼科の先生から時間結構かかるって脅されたんですけどどうなんですか?」と聞いてみたら「A先生そんなこと言ってたんか」と笑いつつ、基本同じような説明をしてもらい、症状が治っても神経が傷ついてたりして”神経痛”的な痛みが後遺症的に残ることがあって、その場合は神経痛の治療に使うような”神経ブロック”とかを処方しますとのことだった、歳食ってからなると重症化しやすく予後も悪いらしい。薬は抗ウイルス薬と「目が痛くてたまらんので鎮痛剤をお願いしゃす」と泣きを入れてロキソニンも処方してもらう。
抗ウイルス薬は”バラシクロビル”というヤツでカプセルかなとおもったらずっしり重い横長の錠剤で、パッケージにはDNAの2重螺旋をブッタ切ってるようなイラストがそえられていて頼もしい感じである。ネットで検索してみたらやはりウイルスのDNA合成を阻害する薬剤とのこと。
薬局に再度寄って、しばらく籠城戦になるのだろうから食材買い込んで帰って、昼飯食って早速薬を飲んだけど、すぐに効き目が出るわきゃなくて痛みに耐えきれず1日2錠までとなっているロキソニンをもう一錠だけと2回泣きを入れて4錠飲んで、目を冷やしながら床についた。
<5月8日>
この日が一番酷かったと思う。痛みはたいして引かず、水ぶくれはふくれあがり、水ぶくれできている顔面右半分上部が全体的に腫れてきて、右目は開けようとしないと開かなくて、かつ閉じてるつもりでも締まりが悪くたまに涙がこぼれてきて涙目のルカみたいになっている。鏡を見るとちょっと人様にお見せすることがはばかられる面相になっている。ブログネタにはするつもりだったので自撮りもしてあるけど、ちょっとグロすぎるので掲載は自粛させていただきます。あと、熱も出てきてしんどい。
飯は食欲は落ちているけど食えなくはないので、病気の時は鶏卵で栄養補給だろうという昭和脳なので米炊いて卵ご飯か味噌汁でチャッと済ます。作業するのも結構しんどいので手は抜く。
基本布団に横になってるんだけど、眠れれば良いんだけど24時間寝てるわけにはいかず暇になってくる、タブレットでネット動画やマンガは目を使うので長時間はしんどく、聞くだけで済む落語が暇つぶすのには良かった。活字データになってる書籍を読み上げてくれるアプリケーションソフトとかあるようなので使いたかったけど、設定とか上手くいかずに断念。集中力がないので難しいことはようせん。
<5月9日>
相変わらず顔面は四谷怪談状態だし熱っぽくだるいんだけど、目の痛みがチョット治まってきてずいぶん楽になった。薬効いてきたのかなと期待する。寝るか動画見て過ごす。
冷凍してあったアジの干物焼いて食ったら、ウニャ子に臭いでバレたようでカリカリあげたら「なんでアタイにはアジじゃないのニャ!!」とばかりに激しくウニャウニャ抗議してきてカリカリ食ってくれなかった。しばらく釣りにはいけんので我慢してくれ。
<5月10日>
明らかに良くなってきて、水ぶくれはしぼんでかさぶたっぽくなってきてるし、熱も引いた感じで、目の痛みも治まっている。せっかくなので忘れないうちにとブログをしたためる。この調子で快方に向かってくれることを切に願う。
という感じで、なんとか峠は越した気がする。
大変な目に遭ってるけど、お医者さん始め現代医学のありがたさが身に染みた。当たり前なのかもだけど、すぐに診断して適切な処置を出せる本職の仕事にあらためて敬意を覚えるところである。
コロナ禍の中で、医療従事者に対する差別やら誹謗中傷やらがあるとか聞くと「オマエら病気になっても医者にもかからず苦しみやがれ」って思うよネ。
まあ、医療従事者はそういうクソ野郎どもも差別せず救おうとするんだろうけどね。尊いことである。
2020年5月2日土曜日
おあげさんの実力
人類史を紐解いてみると、農耕が果たした役割は非常に大きいことは論を待たないだろう。狩猟採取生活のころの方が、単位時間当たりの労働に対するタンパク質獲得量は多かったので良いもの食ってたって説も読んだことあるけど、タネをまいて計画的に生産できて、特に備蓄が可能な穀物を生産するようになって、人間は「もしもの時に蓄えておこう」という保険を掛けることができるようになって、蓄えるとソレを奪われないようにせにゃならんとか、余った分は売り買いできるとか、おとなしく獲れるモノを獲ってみんなで食ってりゃ幸せだったかも知れないのに、持つ者と持たざる者の差が生まれ争いも生まれた。現代でも世界経済を牛耳る存在に石油メジャーと呼ばれる企業群と並んで穀物メジャーなんてのがあるぐらいで、農業で計画的に生産して備蓄できる食糧の重要度は様々な意味で高い。
などという小難しい枕から入ったけど、要するに釣りっていうのはプロの漁師が経済活動として営んだとしても、この21世紀において未だ引き継がれている純然たる狩猟採取活動の一種で、計画・安定なんてハナから期待するなという感じの出たとこ勝負であり、資源管理して持続的にっていうのは理想だし方向としては間違ってないんだろうけど、捕らぬタヌキのように漁獲物をアテにしているとスカくらってオマンマ食いあげるって話で、コロナ禍で”生け簀”とまで呼んでアテにしていた釣り場が実質封鎖になって、あっさりオマンマ食いあげてしまったワシがいかにして糊口をしのいだかっちゅうお話しじゃ。貧乏で食うモンねえって時には役に立つと思うので心して読むのじゃ。
貧乏飯の経験は学生時代にたんまりと積んでいて、今も昔も基本は一緒である。まずは貧乏人は米を食えで、米炊いて自炊が基本であることは揺るがない。スパゲッティーやらうどんやら乾麺も安いけど米の方がなんでもオカズにしてしまえる万能性があって堅いのでまず米を炊く。
そして安い野菜と、安い蛋白源をオカズに調理して食うんだけど、これがいま安い野菜の代表格キャベツと大根始め生鮮野菜が高騰しまくってて生け簀の封鎖と共に痛手だった。こういうときは値段安くて安定の”もやし”の連投でしのぐしかないとして、安い蛋白源とはなにか?と問われれば、それは昔っから変わらず鶏卵と各種大豆製品である。
鶏卵ヘタするとワシが学生じゃったウン十年前と同じように1パック100円セールで売ってたりする恐ろしい価格の優等生。そのうえ美味いし栄養は”完全食品”とまで讃えられるほどだし、調理は単純に白飯の上にパカッと割って醤油かけて卵ご飯という簡単なモノから、卵白だけ泡立ててメレンゲにしてケーキを焼くとかの応用編まで多種多様な使い方ができる優秀さで、昼飯は特に食う獲物がなければ卵ご飯でいいやという感じじゃ。
そして大豆製品、これまでワシャ大豆製品と言えば豆腐で麻婆豆腐、冷や奴、厚揚げをレンチンして鰹節とめんつゆかけて”即席揚げ出し豆腐”とかで堪能してきた。1丁50円から100円程度で食いでがあって腹持ちよくて味も良い。納豆もいい。
でも最近見直したのが、なんかカスカスの腹持ち悪そうな雑魚キャラだ思っていた”油揚げ”が、なかなかにヤると言うことに気付かされて、何とかシロギスが釣れ始めてオカズ事情が改善されてきたけど、ソレまで一時期アゲ連投でしのがせてもらった。
まずは、定番の味噌汁だけど、野菜の味噌汁に油揚げが入るだけで油っこさが付加されて格段に”オカズ値”が上昇する。
ワシャ食通でも何でもないんで、飯なんぞ白飯に味噌汁で腹がふくれればとりあえず満足じゃ。
で、この油揚げが割と汁気を吸って味付けが決まる、ッテことに気がついて色々とやってみた。
簡単なのはフライパンでジュジュッと焼いてからめんつゆ掛け回してご飯に乗っけて冒頭の”油揚げ丼”なんだけど、これはちょっと惜しい気がする物足りなさがある。良い線行ってるんだけどもう一歩で化ける気配があるなと、化けさせてみた現時点でのワシの考えた油揚げ最強料理が”他人丼キツネ版”なのじゃ。ありがちな料理なので正式な料理名あるかもしれんな。
親子丼の鶏肉をというかカツ丼のカツを油揚げに変換したもので、油揚げが汁を吸ってかつ適度に全体に油っ気がでて、卵と絡んで味も腹持ちも満足のいく一品に仕上がったと自負している。
作る手順としては、フライパンにメンツユ適当に薄めて砂糖ぶち込んでお好きな味のタレを作って、その中に切ったタマネギと油揚げをぶち込んで煮立てる、写真のは日持ちしないもやしも余ってたのぶち込んでもやし入り版になっている。
適度に火が通ったら卵を割り入れてグチャッと適当にかき混ぜて良い塩梅に火が通るチョイ手前で火を止めて蓋をして卵を好みの状態に固めて、あとは丼飯にぶちかまして食う。うまいゾ。
これ油揚げをクソ安い鶏皮でやっても”廉価版親子丼”って感じで美味かった。ただ鶏皮は年寄りには脂っ気が多すぎてちょっとお腹下した。若い頃のようには鳥獣肉の脂が消化できなくなってきているようで寂しい。トンカツ屋でヒレカツ食ってるようなオッサンを密かに軽蔑してたけど、ひょっとしたらワシもうロースのトンカツはよう食わんかもしれん。
貧乏飯っていっても、米と卵と大豆製品が買える程度の貧乏なら十分楽しめると思ってて、魚の供給が長期間途絶するようならシリーズ化して、他にもあまた学生時代に開発した貧乏飯レシピとかあるので紹介しようかと思ったけど、ありがたいことに紀伊半島は魚が多くてそこそこ釣るものはあるようなので、また不漁になったらその時に披露することとしたい。
今ワシの月の食費は1万円台前半から1万5千円ちょいぐらいの間で落ち着いてきていて、魚釣って食ってるってこともあるけど、この程度の食費でも割と美味しいモノ腹一杯食べてます。
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