2020年3月29日日曜日

気持ちよく一皮むけます



 マアジと柑橘類をほぼ毎日いただいておりますところなんだけど、あると便利な皮剥き器具が大活躍しているので、是非皆さんにもご紹介したい。

 まずは、写真右のデッカい毛抜きのような器具だけど、本来は魚の中骨抜きとして売られていて、私も当初アカカマスの中骨を抜くのに買ったんだけど、ワシ中骨ぐらい気にせず美味しくいただけてしまう人間であることが判明してしばらく放置してあった。ステンレス製のしっかりとした作りで値段も千円以上してたのでもったいないなと思ってたんだけど、これがマアジの皮剥くのに使ったら抜群に使いやすくて買って良かったと見直したところである。


 それまでは、まず3枚におろしてから指で皮を摘まんで引っぺがしていたんだけど、それだと結構お腹の辺りの美味しそうな部分が皮にひっついてしまって、もったいないので結局包丁使ってチマチマと回収したりとイマイチ効率的じゃなかったのでどうしたモノかと思っていて、アジを捌くのに頭落とした状態から皮を引っぺがしてスプーン状の金具で身をこそぎ落とすような器具が売られているのは知ってたので、とりあえず引っぺがしてみるかと試してみたら、思いのほか上手く皮が剥がれてあんばいが良い。
 右の写真のように、左手に頭落として腸を抜いたマアジを軽く握って、やおら”中骨抜き”の先端を皮と身の間に突っ込んである程度力任せに引っ張る、そうすると何故かあれほど皮にひっついてきて困った身が骨側に残って、皮はベリベリという心地よい感触を残して綺麗に剥げてくる。途中失敗しても再度つまみ直して引っ張れば大丈夫で、剥き残しができそうに思うけど、不思議なぐらいに綺麗に片面剥ける。
 片面剥けたらひっくり返して反対側も剥いて、頭腸抜き皮なし”皮剥きドレス”状態にしてから、あとは普通に三枚におろして刺身なりタタキなりナメロウなりお好きなように。
 皮剥きドレス状態からスプーンで身をこそげ落とすのも試してみたけど、特に新鮮で身が締まってると意外に難しいうえに身がグチャッとなりがちで、今のところは包丁でおろしている。おろすときにあばら骨避けてシュッとおろすのも上手にできるようになってきたけど、ワシさっきも書いたように小骨とか気にせず食べる方なので、あばら骨ごと最近は食べている。その方が歩留まりが良い。
 ちょっとコツをあげるとしたら、左手で握るときの握り方で、あんまりギュッと握ると身がグチャッとなりがちだし鮮度衛生面でもよろしくなさそうなので、軽く握って臀ビレ(裏返したら背ビレ)の棘を小指の付け根から手相で言う感情線のあたりに引っかけて、アジの身が手のひらにあまりベタッと接触しないように持つと、手のひら傷だらけになるけど良い感じにできると思います。
 いま近所漁港で釣れているマアジは20センチ弱が主体で、5,6匹捌けばオカズにゃ充分で、捌いた後包丁に脂が残るぐらいのいい脂のノリ具合で、いい加減飽きてきたと思っていても食べるとやっぱり美味しくてドンブリ飯が進むのであった。


 もういっちょは、以前にも紹介した柑橘類の皮を剥く器具で、昔は「ムッキー」の名前でダンボール買いしたハッサクのオマケとかで付いてきたんだけど、今その名前で別の商品が売られていて、こちらはその名前では呼ばれていないようだ、皮剥き用の”コトリ”とか呼ばれている。
 紀伊半島は柑橘類の栽培が盛んで、年中直売所で季節の柑橘が安く売っていて、まさに地産地消で美味しくいただいている。冬のミカンが終わってポンカン、ハッサクときて今は写真のキヨミという品種が主になっている。この地に越してきて始めて食べた柑橘だけどハッサクのような分厚い皮と大きな実にミカンのような柔らかい身が詰まってて、ミカンより酸味が効いててなかなかに美味しい(今ググったら温州ミカンとオレンジ掛け合わせて作出されたらしい)。
 皮剥きコトリの使い方は簡単、クチバシの部分を皮に差し込むと鳩胸の部分がつかえてちょうど実に届くか届かないかぐらいの深さに切れ込みが入れられて、皮を4つにパカッと割って、実を取り出して美味しくいただけるという仕組み。
 しばらく手に入らなくてペーパーナイフを深く刺さないように摘まんで皮剥きに使ってたけど、ネットフリーマーケットで出品されているのを見て無事確保。
 これ新品買おうとすると、前述のように果物屋さんがおまけに付けるような安い商品なので10枚セットとかになってて、ちょっと二の足を踏んでいた。
 単なる樹脂製のちゃちい道具なんだけど、とっても良い仕事してくれます。

 都会に住んでいると、金だしゃなんでも食べられるけかもだけど良いものは結構お高くて、田舎暮らしだと格段にお安く旬の美味しいモノが食べまくれて贅沢な食生活がおくれている。同じものを食べ続けるのが割と苦にならない人間なので安い、あるいは自分で釣ってくることができる食材を鱈腹食べていけば、とても良い塩梅なんじゃなかろうか。

2020年3月21日土曜日

長竿の物理


 竿は短めが好きである。短い方が取り回しが楽だし、操作が正確にできる気がするので、そもそも釣り方からしてほとんどの釣りで接近戦特化型なので短い竿ですむなら短めで済ましている。延べ竿でも3m台ぐらいまでは多少重くなるグラスロッドでも釣るのに問題なく、グラスの延べ竿ぐにゃっと曲げて小物釣りとか釣り味最高なので可能ならその長さの竿を使っている。
 アジ釣りも棚が一ヒロ半ぐらいと浅かった秋には3.3mのグラスの延べ竿で釣っていた。
 ただ、長竿じゃないと届かなければ長竿にせざるを得ず、最近の船だまりでの釣りでは棚が深く5.4mの小継ぎ渓流竿を使っている。
 長い延べ竿の出番って案外少なくて、距離を稼ぐ必要あるならリール竿の出番だと思うので、ほぼ深棚の釣りにしか使ったことがない。深棚の釣りでもリール竿を使えば良いんじゃないかと試してみたけど、軽いオモリの仕掛けを遊動式の浮子で素早く沈めるのが難しかったりして、へら浮子のトップで微妙な変化をとらえる釣りにはやっぱり延べ竿があってるという気がしている。
 今使ってる5.4mの宇崎日新「抜無双54」はもともと、関東のダム湖の陸っぱりワカサギ釣りのために買った竿で、最終的には6mの棚のワカサギ釣るために7mの鮎竿も中古で買ったりしている。
 ワカサギ釣りはミャク釣りだったけど、リール竿ではさっぱり分からんような6m水深の底で食ってくるワカサギ1匹のアタリが、両手で持ってる7mの鮎竿を通してとらえることができて、長竿独特のアタリが増幅されているような感度の良さを感じたものである。鮎釣り師に言わせると2m、3mのルアーロッドの感度がどうこうは鼻で笑うような話でたいして感度の良さが出せるわけがない。9mとかの長竿だと感度良いヤツになると囮がシッポ振って泳いでるのぐらい余裕で分かる。ンだそうな。
 なんにしろ深い棚で小技を効かせた釣りを展開したければ、断然リール竿より延べ竿だナと思っている。

 ただ、今の私のアジ釣りのやり方はヘラ釣りの応用なんだけど、ヘラ釣りでは水深2~3mとかの釣り場でしか釣ったことがなく、そうなると竿は短いのがつかえるので、8尺とか10尺しか使ったことがなく、5.4mはヘラ竿でいうなら18尺の長竿になるんだけど、そんな長竿で浮子を竿先近くに持ってくる”提灯”の釣りというのは初めての経験だった。
 そうすると実に面白いことが起こるのである。何が起こったかというと、浮子が壊れまくって、仕掛けがバツバツと切れたのである。
 深棚の釣りということで、浮子の浮力大きめでオモリ重くして素早く沈めようという意図で、浮子の足は軽い竹製で製作した。ヘラ釣りの時も底釣り用の浮子はそうしてたのでコレまで特に問題はなかったンだけど、これが折れまくりで最初はたまたま竿にあたって折れたのかと思ってたけど、直してもまた折れてかつ竿にあたってる気配はない。さらには折れるのなら竹はやめてカーボンにしようと、足の素材変更したら足は折れなくなったけど今度はトップが折れる。中空のトップを本体に接続するためにポリカーボネイトの芯を突っ込んで接着してあったんだけど、ポリカーボネイトの芯がひん曲がる。仕方ないので堅いグラスの芯を使ったらだいぶマシになったけどそれでも中空のトップは芯の終わるところあたりから折れたりして、芯の長さを長くしたり、中空トップを諦めてポリカーボネイトムクのトップにしたりしている。
 何が起こっているのか?
 多分アワセの時の道糸が引かれる速度が早くて、大きめ(=重め)の浮子が慣性力で止まろうとする力と道糸に引っぱられる力で浮子がへし曲げられて折れているんじゃないかと思う。
 ルアーとかを投げるのに、遠投性を求めるのなら振り切れる範囲で長い方が、同じ振り方をした場合に竿先の速度が出るので飛距離が出るのと同じで、長竿なのでアワせたときの竿先の速度も速いのだと思う。
 よくルアーロッドで飛距離を売りにしている製品があるけど、コレまでも何度も書いてきたけど、あんなもん飛距離が欲しけりゃ竿長くすりゃいいだけで、4.5mの磯投げ竿でジグぶん投げると10フィート3mぐらいのルアーロッドとは異次元の飛距離が出る。ワシャ飛距離が必要ならそっちで投げる。でも飛距離必要な状況って遠くでナブラが立ってるときぐらいで滅多にない。
 っていうぐらいで長い竿の先っちょは速度が出ている。
 そうなってくると、浮子が壊れる以外にも仕掛けが切れたりの不具合が出てくる。常識的に考えると一番細い0.5号のナイロンハリスが切れるはずで、実際ちょくちょくアワセ切れはあるんだけど、ハリスはしょっちゅう替えるのでいつも強度は新品同様のままで、かつバリバス「SVGナイロン」は丈夫で意外に切れなくて、道糸は2回の使用で交換してはいるけどヨタってたり傷がいってたりしたんだろうか、1.5号の道糸が切れることが何度かあって道糸の太さを2号にあげたところである。1.5号ってシーバス釣るのにも使ってる6LBでっせ!アジでアワセ切れするかよって驚くけど、実際切れたのである。
 あと、予想外だったのが松葉式のウキ止めが切れる。松葉式のウキ止めは自分で適当なナイロンライン使って作ってたんだけど、今までコレが切れたことはなく、最初切れたときにはアワせたら、魚は掛かって釣れたんだけど浮子が外れて海面に浮いてるのを見て、何が起こったのか理解不能だった。けど、浮子回収したら松葉式のウキ止めの、道糸に通す輪っかの部分が切れていた。瞬間的に道糸との摩擦で切れているようだ。ならばと、フロロの2号で松葉を作ってみたら、なんとコレも切れて驚いた。現在フロロの4号で作っていて今のところ切れていないけどコレで切れるようならウキ止め自作は諦める。
 
 今まであんまり長竿って使ってこなかったので”長い”ということから生じる物理的な特性の違いがもろに出てくるのに新鮮な驚きを感じている。理屈考えてみると、実際に起こってる現象だし納得するしかないんだけど、よく使う4.5mとそんなに違うとは思ってなかったので虚を突かれた感じである。
 と同時に、長竿で深棚から魚の引きを楽しみながらあげてくる釣り味の良さにもすっかり魅了されているところである。
 長い竿に、それほど釣りをする上での利点があるとは思っていなかったけど、長い竿を使うこと自体に、その釣趣やら使いこなす楽しさに、利点じゃないけど使う価値があるのかなと薄ボンヤリと思うところである。
 長竿もまったくもって悪くないと思う今日この頃である。
 片手で扱える軽めの6.3mも欲しくなってきて困ったものである。

2020年3月14日土曜日

猫娘推し


 テレビアニメ版第6期「ゲゲゲの鬼太郎」が安定して面白すぎて、100話近い長期にわたってこの水準ってどうなってるんだ?と驚いている。日曜朝の子供向けの時間帯の作品のハズなのにワシのようなサブカル系のオタクなオッサンが観ても、ゾッとするぐらいの恐怖の根源に迫るような回もあれば、感涙にむせぶような良い話し系もあり、考えさせられる寓話あり、文明批判あり、人間に関する洞察あり、それでいて滑稽で楽しい部分や、子供達もワシらオタクも大喜びのバトルアニメ的要素も手抜かりなしで、日本妖怪の総大将ぬらりひょんと西洋妖怪の主バックベアードが手を組んでそろそろ物語は終演に向かいつつあり俄然盛り上がってきているので、まだ観てない人はネトフリ契約するなりして家族揃ってみて欲しいところである。途中から観ても基本一話でも成立する話が多いので大丈夫。テレビ放送時ならなんと無料で視聴可能。
 その6鬼太郎の面白さを構成する重要な要素として私は猫娘の魅力が小さくないと感じている。水木先生の原作に忠実な昭和の猫娘からはだいぶ造形が変化していて、立ち位置も歴代猫娘とはまた違っていてそれぞれの期の猫娘の変化を追うだけでアニオタなら一晩酒が飲めるぐらいなんだろうけど、6期の猫娘の設定は”ツンデレお姉さん”なのである(ツンデレがなんなのか分からん人は後でちょっと説明してますので気にせず読み進めてください)。
 今期全体通してのヒロイン枠としては砂かけ婆は除くとして猫娘と人間の少女のマナちゃんがいて、3期の夢子チャンの時のように鬼太郎を巡って恋の3角関係的なバトルも繰り広げられるのかと思いきや、マナちゃんは恋愛ネタ絡んでこなくて猫娘のことを「猫姉さん」と呼んでて妹分として、6期の底に流れる題材の一つである異なるモノ同士の共存的な部分の理想的な関係として、深刻なネタも挟みつつ互いを尊重し合い助け合い傷ついた関係を修復し仲良くする様が描かれている。ちょっとユリユリしくもあり、そのあたり令和の鬼太郎ぽくていい(放送始まったの平成だけど)。
 キャラクター発表の時とか始まった当初は、鬼太郎よりずいぶん長身で今までの猫娘ともだいぶ違う性格付けに「水木作品に対する冒涜だ!」「今時ツンデレヒロインなど流行らん」という批判もネット上散見されたけど、いまや猫娘単体で特集したムック本が出るぐらいの局地的な人気を得ておりオタクどもの間では6期の正ヒロインとして確固たる評価を得ているとワシは勝手に思っている。
 その猫娘回だった第93話「まぼろしの汽車」(ここから思いっきりネタバレなのでコレから視聴予定の人はご注意を)。この回の猫娘はどこの鳳凰院凶真か暁美ほむらかっていうぐらいのループモノの時間旅行を繰り返して世界の危機を救う。世界が吸血鬼パンデミックで人類滅亡の危機にある中、頼みの鬼太郎も早い段階で吸血鬼側に堕ちており、命からがら目玉おやじと逃げのびて、目玉おやじの最後の切り札でその命と引き替えに過去に戻ることができる”まぼろしの汽車”に乗って過去に戻るのだが、鬼太郎だけ感染から助け出そうとしても、経緯は違えども鬼太郎が感染する運命に未来が収束してしまい、人類滅亡の世界線から逃れることができない、根本的な原因に戻らねばと目玉おやじと逃げ延びる結果に終わる度に、より早い時点の原因を探りに時間旅行を繰り返し、とうとう最初の吸血鬼が日本にやってくるところを突き止める。
 その日付が2月14日だと知って、猫娘は一瞬躊躇する。猫娘は鬼太郎のことが大好きでそのことを知らないのは鬼太郎だけという、6鬼太郎は平成のラノベ主人公のような鈍感野郎なわけだが、その2月14日バレンタインデーに猫娘は勇気を振り絞って鬼太郎に告白し、どうやら上手くいって無事恋仲になれたようなのである。素直に好意を表現できないツンデレ娘の猫娘自身が”奇跡的”と感じるような恋の成就だったのである。
 2月14日にやってきた吸血鬼を倒しに行ってしまうと、鬼太郎を呼び出した河川敷には行くことができない。でも一瞬の躊躇の上で腹を決めて汽車に乗って2月14日に遡って、まだ来たばかりで何も悪いことをしていない吸血鬼を問答無用で怒りを込めて容赦なく叩きのめしてしまう超男前な猫姉さんなのである。パンデミックを防ぐには初動が重要っていう実にためになるお話で、凄い時期をとらえた放送でありアニメ製作の工程から考えて偶然なんだろうけど驚きに値する。
 人類滅亡から逃れられた世界線のバレンタインデー、美しい夕焼けの河川敷には待ち合わせをすっぽかされた鬼太郎が一人たたずむ。猫娘の気も知らずに。
 なんて切ない乙女心よ!五十路を前にした鼻毛に白いモノが混じるオッサンの心の中の乙女の部分にキュンキュン来ちゃうノ!アタイ猫姉さんのこと応援するワ!!

 てな具合にTHE猫娘も非常によろしいんだけど、最近もう一人なのか一匹なのかマンガ方面でこれまた素敵によろしい猫娘がいて、その名をイヅツミという。九井涼子先生の「ダンジョン飯」で主人公達の仲間に新たに加わった”黒魔術”で猫と混ざった獣人になる呪いを掛けられている少女で、これが猫好きなら気に入らずにおられようかという猫々しさ。
 しなやかな身のこなしと跳躍力、耳で目で語る豊かな表情、飽きっぽい性格と好き嫌いの感情の揺れ、やりたいようにヤる自由な行動、何も無いところを目で追う仕草、怪我してうずくまる所作、行儀の悪い食事の仕方、そして気に入らないモノは食べない偏食、すぐに爪を立て牙を剥く気の短さ、気がつくと毛があちこちに、典型的なツンデレで最初は警戒して敵意剥き出しにしてくる、でも知らないうちに懐いてきて、チョットぐらい嫌なことも嫌そうな顔しながらもつきあってくれる。
 まったくもって良く猫を知っているナと感心するし、それをマンガ表現として完璧に描き出せる九井先生の力量の素晴らしさったらないネ。マンガ家で”画力”が一番あるのは誰か?という話題にネット上ではだいたい「ベルセルク」の三浦建太郎先生や「乙嫁語り」の森薫先生あたりの凄まじい書き込み量を誇る先生方が推されてくるけど、「単純に”絵”が上手いって話じゃなくて、マンガ家の画力ってマンガ表現として、コマ割り含めて動きの感じられる画面構成やら、物語に沿った感情の表れとか、そういうのが写実的すぎないシンプルな絵で表現されているのが重要なんじゃネ?」っていうもっともな疑義が呈され、そうなってくると今のマンガ表現の基礎を築いた”マンガの神”手塚治虫先生やら、みんな大好き「ドラゴンボール」の鳥山明先生あたりが、劇画的な写実的描写ではなくいかにもマンガ的な単純な線を基調にした画風でありながら、動きが感じられ迫力のある”マンガ表現”になっているからマンガ家としての”画力”が高いんじゃないか?という意見もあり、ナルホドナと思う。ワシも鳥山明先生に一票入れる。
 ただ、鳥山先生もマンガ家としては実質引退していて、神様は天国におられるので、現役マンガ家で”画力”最強はダレだ?と問われれば、九井先生か「ヴィンランドサガ」の幸村誠先生のどちらかに一票入れるだろう。両先生とも栴檀は双葉より香しで、九井先生の初期作品の絵柄はちょっと、とり・みき先生っぽい感じもある単純な造形ながら、既に”画力”的には完成の域にあって、独特の感性もあってマンガ界隈では期待の新人として話題になってたのもさもありなんという感じだった。幸村先生の商業誌デビューは多分「プラネテス」のユーリのペンダントの話の原型になった読み切りだったはずで、「週刊モーニング」にはちばてつや賞という新人の登竜門的賞を取った作品が掲載されるんだけど、後に有名になるマンガ家の作品であっても新人の頃書いたのはショボかったりして目に留まらないような作品がほとんどにもかかわらず、幸村先生のは「凄い新人が出てきた!」と驚いたことを憶えている。物語の骨格自体は、戦に負けて騎士が姫様連れて山越えて逃げる途中で姫様氷河のクレバスに落っこちてしまい、騎士は氷河の流れ落ちる海辺に住んで姫様が若く美しいまま氷漬けで海までやってくるのを待って、ボロボロに年老いてそれを出迎える、っておとぎ話と一緒なんだけど、その骨格のまま宇宙に持ってってSFにして永遠の愛を描く物語を紡ぐ力量と壮大な世界観を描き出す”画力”に感服した。
 九井先生の「ダンジョン飯」は最初、ドラゴンクエストとかのロールプレイングゲーム(RPG)でお馴染みの、オークやらスライムやらゴーレムやらの闊歩する異世界で地下迷宮で仲間である主人公の妹を助けるために地下世界にとどまって闘うって話。なんだけど、食うモノが尽きたので魔物達を狩って料理して美味しく食べてしまうという異色のグルメマンガで、異世界モノも美食モノも群相化して迫り来るバッタの群れにも勝るぐらいの数描かれていて、異世界美食モノっていうだけでも「異世界食堂」と「異世界居酒屋「のぶ」」がネタかぶりやんケってぐらいに存在したりするけど、”魔物グルメマンガ”とはさすがは九井先生、独特の感性で独自性が高いなと笑って読んでたんだけど、これが巻を重ねて、妹を失うことになった因縁の炎竜を倒すあたりから、おちゃらけ異世界グルメマンガから本格ファンタジー冒険マンガとして覚醒しはじめた。そんな中で猫娘イヅツミは黒魔術(古代魔術)の知識がある主人公の仲間のエルフの娘を刃物で脅し自分の体にかけられた呪いを解けと迫るのだが、その要求はかなわず、炎竜と混ざってしまって魔物化している主人公の妹の呪いを解く可能性を探るために地下迷宮の深部をめざす主人公達に同行する流れになる。最初は悪態をつきまくり、魔物との戦闘にも気が乗らないと参加せず、魔物食を拒否し魔物食を探求する心優しきドワーフは心を痛めたりするんだけど、旅は道連れ世は情けという感じで、だんだんと”デレて”きて、最新巻の第8巻では女性同士ということもあって何かと親身に世話をやいてくれ正面から向き合ってくれるエルフの娘にそれなりに懐き始め、休憩時にはなにげにエルフ娘の膝を枕に寝ていたりする。
 この最初ツンツンしていたのが時間の経過と共にデレていくというのは、まさしく”泉こなた”が提唱した狭義の”ツンデレ”に合致するとても良いツンデレ具合なんである。
 エルフ娘の膝枕で寝ていると、主人公の語る妹の悲しい過去にエルフ娘は涙を流す。その涙に最初猫娘は飛び起きて「なんだよ ばっちいな」と悪態をつくのだが、泣いているエルフ娘を目にして、うわ面倒くせぇ、って顔をして、どうしてよいのか戸惑い、抱きつかれて驚き、イヤイヤな感じもあるけどエルフ娘の背中をさすってあげ、不器用ながらも優しさを示す。っていうのが下に画像引用させてもらった場面である(引用元:九井諒子「ダンジョン飯」第8巻キンドル版P81より)。

 どうっスか、この台詞一つないのに目と耳が表す感情の豊かさと動きのある絵で登場人物の細かな心の動きまで描ききる”画力”の高さ!!
 マンガって本当にいいもんですね(©水野晴郎)。ってこういう素晴らしい作品を読むたびに思う。以前にもマンガ論的なのを書いているけど、マンガに限らずアニメでもなんでも、人が人の楽しみのために力一杯創りだしたものの尊さって、最も人間の素晴らしさを示すモノだと思っているので、良いものがあったらなるべく皆さんにお薦めして評価されるべき人達が正当な評価を得てどんどん素晴らしい作品が世に出でれば良いなと思ってます。って、鬼太郎とか九井先生とか既に高く評価されてるけどね。もっと知られてないけど面白い作品とかをお薦めしてくれ、というむきにはサイトの方「魚雑文」のところで地味にそういうの書いてるので是非読んでみてください。最近釣りが忙しすぎて更新滞りがちだけどボチボチと書き続けてます。

 さてもう一匹、我が家の猫娘であるウニャ子の近況などご報告を。
 ウチのウニャ子もこれまたツンデレで、やっとこさデレてきて、最近は窓の柵を越えてウチの中に入ってきます。機嫌が良いとワシの手に頭ゴンゴンぶつけて挨拶してくれます。
 そんなもん何ヶ月も餌やってたら当たり前だろ!って世の猫好きの人なら思うかもしれませんが、邪悪な本性が禍いしてか犬猫畜生には思いっきり嫌われて警戒される人間なので、ウニャ子も最初数ヶ月は餌もらいに来るくせに窓開けて餌あげようとする度に牙を剥いてフシャーッ!っと威嚇してくる始末で、今でも機嫌悪いと威嚇されるし、抱き上げようとすれば窓枠とかに爪を立てて死にものぐるいで抵抗するけど、それでもやっとお腹とかさすれるぐらいに2人?の距離が縮まったのです。具体的には窓のところの枠の外から内への10センチぐらい縮まりました。
 先日など夜中にトイレに行ったらたまたま窓の外に来ていて、もともとは夜行性の動物だったせいか妙に機嫌が良くて、せっかくフライ巻く素材とか余ってる穂先とか使って作ったのに最初に一回ガッと爪掛けただけで飽きて遊んでくれなかった自作ネコジャラシで延々と遊んでくれてワシ寝不足で辛かったですヨ、へっへっへ。
 ねこっ飼いでもあるJOSさん曰く「猫の飼い主は”主”などではなく猫の下僕である。」だそうで、猫様が遊びたいと仰ってるのに下僕が拒否することなどできないのです。
 次の目標は、機嫌が良いきに出るという喉をゴロゴロと鳴らす音を聞くことである。猫好きを公言してはばからない私なれど、恥ずかしながら前述のように猫には好かれない人生を送ってきたので未だその声をYoutubeでしか聞いたことがなく、現実に膝の上とかで聞くことができたらハラハラ落涙してウニャ子に「なんだよ ばっちいな」と嫌がられる覚悟はできております。

 ということで、料理ネタに続いて猫ネタも適宜投下して読者数増加に努めねばな、と思って書いてみたりしたんだけど、世の猫好きが求めるであろう、癒やされる猫写真やほのぼのとした話題が提供できず、あられもない交尾写真やらオタ臭さにむせかえるようなサブカルネタしかお出しできずに心苦しい限りだけどコレからもたまに猫ネタは書くつもりなので読んでいただけたなら幸いです。

2020年3月8日日曜日

狙う魚が違えども釣りの根本はいっしょ


 昔は「魚釣り」って一括りにするのはあまりに大雑把で、トローリングでジャイアントブラックマーリン釣るのと用水路でタナゴ釣るのとでは全く違うと思ってた。「魚釣り」って有名な定義のように「糸の端にバカが居て、もう一方の端に魚が居たり居なかったりすること」っていうぐらいしか共通点はなく、スポーツでいえば「球技」ぐらいの大まかなくくりで、魚釣りが趣味ですっていう人でも私のようになんでもヤる人間は少なくて、普通は熱烈なサッカーファンのイタリア人と長年選手として闘ってきたインドのクリケットプレイヤーが「球技」を共通の話題として盛り上がれるかっていうと通訳の問題はさておき非常に難しいだろうって感じで、カジキ釣りの人とタナゴ釣りの人ではやってることも感じ方も興味の対象も全然違うだろうッテ思ってた。
 でも最近、”ゆるふわヘラ道”の続きとしてマアジ釣りに熱中していると、コマセで寄せつつその中にいかに刺し餌を同調させるかあるいは逆に目立たせるかとか、コマセ螺旋にアミコマセ付けて刺し餌オキアミのアジ釣りが、まんま冬のヘラ釣り食い渋り対策のウドンセットの釣りで、2年の短い期間とはいえ、基礎からみっちり試行錯誤して身につけたヘラ釣りの技術がまんまアジ釣りに使えるので、ヘラ釣りもアジ釣りもプランクトン食性の魚を寄せ餌効かせながら、浮子で水中の様子探りながら釣るということ自体は全く一緒で、そうなると縦誘いで刺し餌を動かして口を使わせるのとか、食い渋ったら長ハリスで長待ちが効くとか、違えば違うほどいよいよ同じと思わざるを得ない。
 特に、ヘラ釣りでも思ってたけど、消し込むような大きなアタリって実は違和感感じて逃げ出してる状況なはずでイマイチで、教科書見てもそういう”良いアタリ”を出すように餌とかハリスを調整しましょう、ってなってるんだけど、ヘラでもアジでもこちらが見にくい小さなアタリは向こうも違和感感じにくい状態にあって”居食い”していることが多くて、そういうアタリを出せて拾えるようになると上顎センターばっちりで釣れてくるんである。ホントだよ。
 ヘラ釣り真面目に練習しておいて良かったと感じるのは、まさに釣りの基本である”ハリとイト”についてきっちり自分なりに試行錯誤して実践をふまえて考え直す機会を得たことだとも思っている。
 ハリはそこそこ考えていたけど、イトのほうは切れなきゃいいやぐらいに考えてたので、ハリスの細い太い、長い短い、それによる張りの違いなんかを、オモリと浮子とのバランスも含めて考えるようになって、ハゼ釣りとか小物釣りにおいても”切る札”が増えて如実に釣果につながった感触がある。

 三平くんがゴッツイ道具で大物を釣るのがビックゲームなら、繊細な道具を駆使して小物を釣るのも同くビックゲームで”小さなビックゲーム”なんだよって、外国からの客人をもてなした話はまったくそのとおりだなぁと、今では素直に得心する。
 結局釣りなんて、糸の先に付いてるハリに魚が食いつくような餌なりなんなりを付けて、口使わせて掛けて釣り上げる、っていう本質的な行為はおんなじで、魚の大きさなんて多少小さくても竿を柔らかくとかイトを細くとかでいくらでも増幅可能であり、どうでもいいっちゃよくて、結局どんな釣りも面白いし、自分好みの釣りをすれば良いんだろうってだけだと思う。
 こういうことを、小物しか釣ったことない釣り人が言うと、単なる負け犬の遠吠えに聞こえるので、それが嫌で他人から見てもそこそこ大きい魚を釣っておきたいと思ってた。フッフッフ、ワシゃロウニンアジ30キロオーバーもスズキ90アップも釣ってるから多少エラそうなことほざいても許されるよネ。ロウニンアジ?まあデッカいアジだったですよ、ちゃんとゼイゴもありましたよ。とか生意気言っちゃったりして。
 
 釣りメディアとか釣具屋側が流す情報を鵜呑みにしていると、この魚はこう釣らなきゃダメだ的な洗脳にハマったりするけど、そんなもん同じ魚でも場所や時間が違えば違う性格をあらわしだすぐらいで、同じ魚でもいろんな釣り方があり得る。逆に一つの釣り方でなんでも釣ってしまうっていうことも、きちんと授業料払って身につけた釣り方を持っていればできることも多いと感じていて、私はルアーの釣りをラージマウスバスで憶えたので、基本障害物や地形変化狙いの接近戦が得意で、ルアーで釣るときは渓流のイワナだろうが港湾や河川のシーバスだろうが、障害物・地形変化をピンポイントで狙う近距離戦に特化している。
 内房の運河で使ってた6.5fのランカーギアXは多分バスロッドのたぐいで、実際バス用に買った竿だったけど、内房運河で飛距離なんて全く必要ないけど、障害物の際とかにぶち込む精度は必要なのでその長さでちょうど良かった。紀伊半島の河川のシーバスに使ってる竿も7fのアグリースティックエリートで決して長竿じゃない。
 バチ抜けは結構川の真ん中でライズしたりするので8fのブリストール持ち出すけど、それ以外ではシーバスって基本岸近くのかけ上がりやら浅瀬をやってくるのが狙いやすい魚なので飛距離なんて必要ないと思っている。飛距離的には6fの竿でもやれると思うけどある程度竿でタメてバラさないようにと思うと7fぐらい欲しいなって感じ。

 あと、この地に移住してきて”違えば違うほどいよいよ同じ”だなとつくづく思ったのが、アジ科の魚食魚は種類違えど大きさが違えどルアーとかに対する反応が一緒ってこと。
 まあ同じ系統の魚で同じ餌食いにやってきてるなら一緒で当たり前なんだろうけど、カンパチの小さいのが、メッキと同じようにポッパーやらペンシルなんかに食ってくるし、ブリの子供も同じだったのは面白かった。
 メッキがギンガメッキでもロウニンメッキでもトップにパコンと出るのは親譲りだなと思ってたけど、一族郎党親類縁者まで含めて一緒のようだ。
 カンパチってやや深い根についてて、ルアーだとジギングの印象が強いけど、浅いエリアにやってきたら当たり前にトップに食ってくるんだなというのは、知識としてはミッドウェーだかでフライのポッパーで釣ったデカいカンパチ抱えてる丸橋先生の写真とか見た憶えあって知ってたけど、自分で釣ってみるとやっぱりちょっと意外で面白かった。

 陸っぱりからの青物狙いではメタルジグぶん投げるショアジギングが一般的かもしれないけれど、遠目を回ってくるなら飛距離重視でメタルジグ一択だとしても、プラグの射程距離内に回ってくるなら断然大きさがあってアピール力の強いプラグが有利で特にトップが何故か釣れると内房のカヤックでのワカシ釣った経験からも、この地で釣ったメジロの派手な出方からも確信している。
 カヤックでナブラ打ちしてたときなんて、メタルジグなんて食わんから使わんかったぐらい。小さいカタクチ食ってても、小さいメタルジグなんて食ってこずにザラパピーを水面滑らせるようにシューッと引いてくるとバコンとでたものである。
 おそらく、ブリ一家に限らずどんな魚でも、海域やら時期、天候や潮、餌の状況、魚の機嫌によっていろんな釣り方が成立したり、その時々の勝ちパターンがあったりするんだろう。
 そういう、複雑な状況を読み切って、最適な釣り方をいつも選択できるように、なーんていう理想論は机上の空論で、”絶対トップで釣れるはず”とかいう苔の一念で魂込めて釣れるまで投げ続けるのがワシには結局取り得る唯一の方法なんだろうなと思う。
 そういう中で情報収集して失敗も経験して修正かけて、自分の中の正解にたどり着いていきたいモノである。大丈夫、今までもそうやって釣ってきた。基本は一緒。
 他人がどんな釣り方でどれだけ釣ろうが、オレが釣ったわけじゃないから関係なくって、自分の釣る魚をしっかり見つめていきたい、と隣で釣られると心千々に乱れることが多いのでここに決意として書いておこう。

2020年3月1日日曜日

COVID-19ってどう読めば良いンじゃろ?コヴィッドか?

 新型コロナウィルス感染症えらいことになっててビビる。金曜の夜シンガポールで行われた格闘技の興行を録画でみたら、なんと無観客試合で歓声のない中でセコンドの叫びとバシッとかいう打撃音だけが響くなか淡々と試合が進んでいくのが初めて見る異様な感じで、ただ事じゃない感じがしてくる。

 こういうのって、予防的に措置をとろうとすると経済的損失が少なからずあって、でも予防は治療より金が掛からんっていうのは明白なので予防措置を慎重にとっておいて間違いじゃないンだろう。
 まああれだ、人間エラそうにしてたところで、いまだ普通の生物の範疇から逃れることなどできておらず、そらこんなけ沢山増えて都会じゃ密集して暮らしてて、あちこち移動すればそれに適応した天敵ぐらい現れて当然で、進化の中では「同じ所にとどまりたければ全力で走り続けなければならない」って話で、病原生物やらとの闘いは恒常的に今までも今現在もコレからも続いていくんだろうと思っている。人の都合で制御できるなんて考えるのはおこがましい。人間も死ぬときは死ぬんである。ババ様に聞いても「運命(さだめ)ならね、 從うしかないんだよ」って答えが帰ってくる。
 関係各位、グダグダとしたいつもの日本標準対応であるにしろ懸命に対策取ってるんだろうなとネットニュースの見だしだけみても感じてるけど、まあこのぐらい頑張ってダメなら運悪く罹患して死んだとしても世の中を恨んだりせずに天命と受け入れられる気がする。ワシゃ青き衣を着て金色の野に降り立つ救世主の登場を祈るぐらいしかできん。

 とはいえ、それはネエだろと思ったのが、マスクの買い占めと東京マラソンの参加費払い戻しが無かった件。
 マスクの買い占めの件とか、いちいちワシごときが書かんでもどれぐらいクソな行為かはダレでも分かるモノだと信じたい。その程度のことが分からん人生を送ること自体がああいう手合いに課された罰だと思うぐらいでしかやりきれん。
 東京マラソンの件は、参加申し込みの時の契約だか規約だかがどうなってるか知ったこっちゃねェけど、まあ主催者が持って次年度以降の参加費から回収してチビチビと返すとかするのが筋だろうと思う。たぶん確認すらとらないけど「ONEチャンピオンシップシンガポール大会」は無観客試合にしてチケットは払い戻したはずである。当たり前だよねって話。ワシがアベマTVに払ってるお金とかが放映権料とかでチョットでも役に立ってれば嬉しい。やっぱり金は然るべき所に払うようにしないとおかしなことになるって、こういうことからも思う。

 ONEチャンピオンシップって世界3大総合格闘技団体の一つだと思うけど、アジア中心に興行打って、ムエタイの試合をオープンフィンガーグローブで金網でやったり、良い意味でアジア的混沌な感じの地方色がでてて面白いんだけど、意外に真面目で選手が事故起こしたりすると、例えば頭から落とす投げ技とか規則で禁止技になってたり、減量も無茶な”水抜き”で脱水症状起こしたりしないように尿比重検査も実施してたりして、やってることは血まみれの殴り合いの見世物であるとしても、姿勢として真面目さが見え隠れしていて好感が持てる。

 ちなみに世界3大総合格闘技団体の上の方2つはUFCとベラトール。
 3つで一組に限らず、四天王でもなんとかの7人でも一つだけ影が薄くて思い出せなくて何だったっけな~?とモヤモヤしてたまらないことって結構あって、例えばビートルズのメンバーってジョンとポールとリンゴとダレだっけとか、七福神とかもともと外国の神様の詰め合わせなので寿老人と福禄寿はかぶってるとされて吉祥天とかに入れ替えとかもあるらしいし時代によって福助加入してたりで、恵比須大黒布袋様の3強はなじみ深いし、紅一点弁財天、武神毘沙門天ぐらいは憶えてるけどやっぱり寿老人、福禄寿あたりが”なんか長寿の神様っぽい爺さんが居たな”ぐらいであやふやである。その辺りをネタに諸星先生など「六福神」というマンガ一本書いている。いま読み直して気がついたけど妖怪ハンターシリーズでも「六福神」あたりの漁師町の話で活躍する大島と渚のコンビは大島渚監督へのオマージュなんだな。
 こういう「最後の1つは何だったっけ?」系って、昔はモヤモヤするけどどうしても思い出せなくてそのまま放置するか誰かを巻き込んでモヤモヤ仲間を増やすぐらいしかなかったんだけど、長生きはしてみるもんですな、今じゃグーグル先生なりウィキペディア先生なりに聞けば一発解明アハ体験ってなモンである。
 ということで、ワシが個人的にコレまでモヤモヤとしたまま放置してしてきた三つで一組の最後の一つをグーグル先生とかに聞きまくって忘れないようにここに書いておきたい。

 一発目は、頭髪がヘビの三姉妹のメデューサ、ゴルゴンはマンガアニメでもお馴染みで、今回ググって調べてみたいと思ったのも、今やってるアニメでゴルゴーンが出てきて、「三姉妹の残り一人、今ならネット検索一発ですぐ分かるゼ!」と調べたのが発端である。
 調べてビックリ、ウィキペディア先生によると三姉妹はメデューサとゴルゴンとあと一人じゃなくて、髪の毛が生きたヘビの怪異三姉妹の総称がゴルゴンでステンノー、エウリュアレー、メドゥーサの三姉妹だそうな。五十路を目前に数十年来の勘違いが正されてモヤモヤも解消されてスッキリ。ちなみに末妹のメデューサだけ不死じゃないので例の鏡に写して戦う作戦でペルセウスに仕留められるお話しで有名でワシでもその名を知ってたけど、他の二人の名前は今回初めて目にした。

 お次も三姉妹で、寺沢武一先生の「コブラ」にて、古代火星文明の最終兵器のありかを示す宝の地図を示した刺青を背中に持つ美人三姉妹、お宝の地図を刺青になんか隠したら皮剥がれちまうゼというのは「ゴールデンカムイ」でもお馴染みの展開で、末妹のドミニクは皮剥がれてしまう。ドミニクとジェーンは容姿もそっくりですぐ思い出せるんだけど、ちょっと地味なもう一人がいつも思い出せずに悶絶する。ググったらキャサリンと判明。そうそうコブラがやっと監禁先から助け出したらすぐナニしてアレだから印象薄いんだ。コブラ全巻読み直したい。電子版全巻は持ってないけどこの際買うか?

 サクサク進めて次は「レッツゴー3匹」って若い人知らんだろうな、別に知らんでも全くかまわないんだけど、3人組のお笑い芸人で、持ちネタで舞台に上がるとまず「ジュンでーす」「長作でーす」ときて「三波春夫でございます」とオトしてハリセンでしばかれるというのがお約束ネタなんだけど、「三波春夫でございます」って言ってる人は名前なんていうのか長年謎に思ってた。正児さんだそうである。ちなみにレッツゴーじゃなくてレツゴーが正しいそうな。正児さんだけご存命で他の二人は鬼籍に入られている。昭和は遠くなりにけり。合掌。

 似たようなパターンで、アニメ「機動戦士ガンダム」のドム三機で連続攻撃を仕掛けてくるスリーマンセルのリーダーが「オルテガ、マッシュ、モビルスーツにジェットストリームアタックをかけるゾ」という台詞があるので部下2人は分かるんだけど、リーダーの名前が分からん。ホントどうでも良いよね、でも私気になります。黒い三連星のリーダーはガイアでした。スッキリ。

 イエス様誕生に際して東方から3賢人が現れて祝福したっていうのは、マンガアニメの界隈ではよくネタにされていて、例えばエヴァに出てくる人工知能「マギ」は3賢者の名を冠する三つの独立したコンピューターの判断を元に総合的に答えを出すシステムになってたり、探偵マンガの題名で3賢者の頭文字である「C.M.B.」ッテのもある。CMBだから、カスパールとメルキオールとバル・・バルなんだっけ?ってこれはこれまでも何度もググって調べてその度に「そうそうバルタザールだった」ってなるけど、たぶん今後も憶えられないんだろうな。歳だからね、仕方ないね。知らなくても何の不都合もないけど知ってたいのよ単純に。

 三種の神機なんていうのも、意外に憶えられない。もちろん家電版の方じゃなくて本家の方で、伊勢神宮のご神体である八咫鏡(やたのかがみ)と、ヤマトタケルノミコトが火に囲まれたときに燃える草を切り払って難を逃れたってな神話ネタで有名な草薙剣(くさなぎのつるぎ、別名は天叢雲剣)はすぐ思い出せるんだけど、もう一個が勾玉なんだけどなんて名前だっけっていつも思い出せない。ウィキってみると八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。3種の神器のうち勾玉だけ後付けで違うんじゃネって説もあるようでやっぱり影が薄いのかも。神話ではアマテラスオオミカミが岩戸隠れしたときに玉祖命(豊玉神)が作って「良いもんあるから出ておいで」ってやったようだ。

 他にも「環境3R」リユース、リサイクル、リデュース(減らす)のリデュースなんてなじみがないので憶えられんがなとか、今まさにワシがそうであるニート(NEET)のNot in Education, Employment or Training(無就学・無就労・無職業訓練)とかローマ字頭文字系略称は分かりにくいので憶える気も起こらん。
 今回の「新型コロナウイルス感染症」もWHO(WHOってダレじゃ?世界保健機関なら世保機と略してくれ)公式の「COVID-19」って言われても日本人ピンとこねえから巷間に流布しないのは明白である。「新型」っていうのがちょっと今後撲滅でもしない限り未来永劫そう呼び続けるわけにはいかんので、WHO公式の方が2019年発生ってのが分かりやすくて呼び方変えなくて良い点ではあるだろうけど、「新型」で既に巷間に流布してしまっているので、当面そのまま使うのが妥当なんだろうなと思う。何にせよ、ワシはローマ字略称はデェッ嫌レェなんでぃ、と江戸っ子っぽく思っている。以前にも書いたけど漢字の略称の方が漢字が表音文字でありつつ表意文字でもあるので、ある程度の意味が初見でも掴みやすいし憶えやすいという利点を漢字使う国なら使わなきゃ損である。

 などと「三つで一組」ネタを書いてきたところだけど、最後にこれまた「3」に関わるネタ。
 働いていた頃職場で雑談しているときに、とってもパワフルな仕事もゴリゴリこなしちゃう先輩の話題になって、「そういえばちょっと前までトライアスロンとかも出てましたもんね!」と言ったら、同僚が「ああ、あのラン・バイク・スイムとかいうやつね」とかほざきよったので、

「その順番だと溺死しますッ!」

と思いっきり突っ込ませていただいたのを憶えていたりする。