2018年7月7日土曜日
川デ川鵜ガ魚ヲ食ラウ、ナニゴトノ不思議ナケレド
アユ釣りやヘラ釣りにおいて、放流した魚をカワウが食ってしまうので問題である、「駆除してしまえ」という乱暴な意見を目にするにつけ、色々思うところではあったけど、基本シーバス野郎で江戸前小物釣り師の私にとっては人様の釣り場の話であり、人んちの事情にエラそうにしゃしゃり出てあれこれ言うのもはばかられたので、あんまりネチネチとは書かないでいた。「鳥もいないと寂しいじゃないですか?」ぐらいのポヤンとした書きぶりでお茶を濁してきた。
でも、ヘラ釣りもアユ釣りも始めてしまって、人様の釣り場の話ではなく、自分の釣り場の話として当事者意識を持って、正々堂々と腹に据えかねていたことを書かせてもらう。
「カワウが魚食うのは昔っからそういう商売の鳥だから仕方ねえだろ!」
もっと構造的な釣り人が犯した罪をあからさまに書くなら。
「どこでも、いつでもホイホイ釣れる釣り場が欲しくて、適正量とか関係なしに成魚放流ジャブジャブして、トロくて逃げもしないような養殖魚で餌付けしてカワウが産めよ殖やせよするの手助けしたのは漁協も含めた釣り人側だろうが!テメエの撒いた種じゃねえかよ!」
ということである。いやなら成魚放流止めりゃ良いジャンよ、カワウ可哀想だけど餌足りなくて数減るに決まってるでしょ。
近年のカワウの増加はバカみたいな成魚放流の量と相関関係があるような報告があったはずである。元ネタ興味あったら検索でもして欲しい。
そりゃ、釣るときにも釣りやすいんだろうけど、障害物少ない開けた水域に、警戒心も薄れた池育ちの魚大量にぶち込めば、天然育ちのすばしっこい魚がいる障害物の多いややこしい場所じゃなくて、そっちで餌食うわナ。オレがカワウでもそうする。実際カワウそうしている。それをカワウが多くて釣りにならないって言わなきゃならないぐらいになっても、まだなお天然自然の鳥も虫も植物も動物もいる川にアホみたいな量の成魚放流の方がおかしいとは気付かないのか?川で何を見て魚釣ってるんだ?お高い高級ロッド様の曲がり具合の美しさぐらいしか目に入ってないんじゃねえのか?
アユ釣り始めるにあたって行けそうな距離の川の情報調べてたら、「漁業権を持つ内水面漁協としては「増殖義務」があり、放流は義務である」とかホームページに書いていたりしてガッカリしたけど、今の時代になにいってんだとしか思えない。河川の魚たちのもともと持っている増殖力を使って川の魚を増やすのが本筋で「ダムできちゃたので放流しないとアユいません」とか「都市近郊なので秋までに魚が釣りきられて自然繁殖無理です」とかいうときの、次善の策というか「ごまかし」で放流して増殖するという手法がとられるというのが本来で、どこもかしこもアホみたいに放流してカワウなんていう高次捕食者の生態やら生息数やらに影響あるぐらいに全国的に成魚放流だらけってのは度を越しているのは明白。
べつに「増殖の義務」を果たすために、産卵場の造成やってみたり、魚釣りきられて困るんなら禁漁期や禁漁区増やして見回りやらの強化に金使っても(ホントにやるとかなり金かかりそうではあるけど)、今時それが「増殖の義務を果たしていない」なんて表だって言えるバカはさすがにいないと思うけどな。それで魚が少なくても天然モノしかいない釣り場っていうので魅力を感じる釣り人もいれば、ぶっちゃけ放流に金使わなくて良い分入漁料は安く設定できるだろうから、そういう面でも魅力となり得るんじゃないだろうか。バカみたいに金かけて成魚放流しているから「アユの入漁料は高い」というのが常識ならそれが因習でなくて何だと言いたい。
成魚放流で追いの良い琵琶湖産鮎をガンガン入れて解禁直後から爆釣で釣り人に大人気ってのをやる川が中にはあってもまあ良いと思う。そういうのが好きな人はいるだろうし、そもそもダムで天然遡上がなくなったとか、放流でもしないとアユいなくて寂しいというのは「だったらダムつくらせてんじゃねエ」ってまでいうのはちょっと厳しい言い方かなとも思う。でも、そうやってどこでもダム作らせてどこでもアホみたいに放流して、天然遡上をメインに放流は補助的に行っているなんてのが逆に珍しいというのが、漁業権のある川の実態である。そろそろ無理が生じてまっセ、色々とね。
高度経済成長期からのレジャーの需要増に応じて「魚が沢山釣りたい」という釣り人の切なる願いも聞いて、漁協としては沢山成魚放流してきたんだと思う。全否定するつもりもないし多くの釣り人を楽しませてくれてきたと評価もできる。でも景気もボチボチな時代に入って、鮎の友釣りとか道具がこんなにクソ高くなって技術もマニアックになった時点で口閉じられなくなって滅んだ剣歯虎のように滅びの道を歩んでいるようにしか見えない。今やってる鮎師がアユタイツ履いて川に立てなくなるぐらい足腰ヨボついて撤退したら新規参入者なんて多くないので廃れる。
そうなったときに入漁料が減って金が無いから増殖義務果たせません。では、義務が果たせねえんなら権利なんか引っぺがされる。そうなったときに、金は使ってませんが、魚の量を把握して産卵数や稚魚数が適正に増えるように産卵場造成や、産卵期の禁漁期間延長とかで対応しています。っていえるようにしておいた方が良いよと、老婆心ながら書いておく。
そういう外に出して恥ずかしくない、河川の管理者として漁協が機能していくなら、多分モノの分かった釣り人は来て普通に釣って楽しんでいくだろうし、川が酷い目に遭いそうなら声を上げてくれるんじゃないかと期待できる。
いまの、成魚放流ジャブジャブの釣れれば良いだけの釣り場を疑問も持たずに支持している釣り人層は、べつに河川が真っ直ぐになって鳥も居なくても、なんか木でも生えてて自然っぽい背景が後ろにあって、魚が釣れればそれで良いじゃないかとか思いそうでおそろしい。そうであれば川が真っ直ぐにされても声もナニも上げないだろう。
まあ普通は、ちょっとヘンだとは思ってるけど、釣り人の多さとか考えると必要悪だよね。ぐらいは思っていて欲しいんだけど鮎師の方どうだろうか?
今後10年単位で考えると釣り人の多さは解消していくだろう。だって人口減るんだから。その時に天然遡上の釣り場が残ってないと放流できなくなってくるからアユ釣りできなくなるよ、と心配しているところ。ていうか釣り人が文句も言わないようになった川はコンクリで固められる。
近所の川には漁業権もなく漁協もない、でもアユは天然遡上がある。もちろんこのアユは都道府県の内水面漁業調整規則に定められた禁漁期間とかは守る必要があるけど、誰でも自由に釣って良い。そして、鳥も動物も魚も食べて良い、なんて人間がおこがましく言うまでもなく、勝手に食っている。それをダメだとする理由は「オレの釣るはずの魚を食われては困る」という釣り人の妄言にしかない。
そういうタワゴトを言ってる釣り人は、自然の中の魚を釣るのには当然の条件として、魚は泳いでいるうちは誰のモノでもなく、鳥が食うのも含めて「自然」なことで、それを見越して、鳥とかに食われないうちに釣るか、鳥が食い落としたのを釣るか、いずれにせよ鳥が魚を食わないようにするというのは、酷く反自然的であることを認識すべきである。
ヘラ釣り始めて、自転車で行く「管理池」でカワウの食害がよくボヤかれている。でももともと砂利取った穴に水がたまった池だとしても、そこに鳥が来て虫が飛んでヘビまでいるからの楽しさってのがあって、カワウに食われて数が減る分大型に育つというのなんて、この釣り場の大きな魅力で、少なくて難しいのを何とかする面白さも含めて楽しめば良いと思っている。人工の池でも数釣れなくても面白いと思う部分はあって、カワウも絡んで複雑化した要素の中で自分がどう戦略を練っていくかってところが面白いのにと思う。カワウ目の前でヘラブナ咥えてるのを見るとムカつく気持ちは分かるけどさ、でもそういう難しくする要素も適当にあった方が面白くて、それが嫌なら魚一杯の「箱」や「公園池」に行けば良いんだし、カワウが一所懸命操業してるのぐらい見逃してやってくれよと思う。
近所の一番近い釣り場のアユも、先日カワウに見つかってしまった。それ以前からサギとは競争して釣っていて、魚は育っていきつつ数は減っていく。そんなの当たり前だと思ってるから、カワウやサギを駆除したいなんて全く思わない。「君らにはできない人間様の技術で負けずに操業するから、一緒に今年はアユの遡上量が多いのを堪能しようぜ。」ぐらいに思って、「強敵」と書いて「とも」と読んで良いぐらいの親しさを彼ら彼女らには感じて釣っている。
カワウが食う分ぐらいは「自然」なことで目くじら立てるべきでない。「自然」じゃないぐらいカワウが増えているとしても、それは釣り人自体が招いたことであり、責任をカワウになすりつけて、命を安易に奪うな。というのが今回私の書きたかったことである。
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