2015年9月12日土曜日

日本人ももちろん何を考えているのか分からない

 アメリカ人のルアーに対する創意工夫というか時に奇抜なアイデアにはずいぶん驚かせられるし、楽しませてもらっているが、なかなかどうして日本人もヤル時はヤルというのはルアー図鑑うすしお味第18弾で書いておかねばなるまい。

 何を考えているのか分からない変態系ルアーの制作元として、まずはうすしお味ではこれまでも漁具系実力派ルアーメーカーとして紹介してきたヨーズリをあげずにはいられない。
 写真のミカンの房のようなバイブレーション「ジョグラー」を今のデュエル時代しか知らない若い人がみたら、なんでこんな変なかたちにしたんだろうといぶかしみデュエルと同じメーカーが作っていたとは信じられないかもしれないが、当時の「アタックル」ブランドでブイブイとキワ物ルアーを世に問うていたヨーズリとしてはむしろおとなしい代物である。回転するオケラとかなぜオケラなのか?ボディーが回転するルアー自体は日本でもシマノのミルスピンの前例があり、古くは19世紀ぐらいのイギリスのタイセイヨウサケ用ルアーであるデボンミノーなんてのもあるが、なぜ可愛いシャベルのようなアームを付けたオケラである必要性があったのか?何を考えていたのかさっぱり分からない。田んぼの水入れ時期に土の中のオケラが慌てて出てきて水面を器用に泳いで難を逃れているのは見たことあるが、およそバス釣りするようなところでオケラが泳いでいるシーンは無さそうに思うのだが、そのへんどうなのか責任者に見解を聞きたいところ。
 当時のヨーズリ製トップウォータープラグには奇抜なものが多く、一部海外の好事家にも人気があったと聞いている。もちろん日本のB級ルアーファンにも大人気。蜘蛛とかトンボとか今見ても良いできである。トンボの羽など、繊細でよくぶっ壊れたと聞くが、トンボをモチーフとした造形物としてはアールヌーヴォーを代表するルネ・ラリック作の「蜻蛉の精」に匹敵するぐらいの逸品だと思ったり思わなかったり。


 昆虫系では、ダイワの「生きている蝉」ことリブンシケーダも、一度生産が終わってから、トップウォーターの釣りの流行の中で再度生産されることにもなった人気作である。
 横に外輪船の水車ようにペラを組み込んだメカニックな感じと、妙にリアルなクマゼミっぽいボディとのミスマッチ感がいかにも日本人の作ったルアーという感じで良い塩梅である。確か2度目の生産時にはミンミンゼミサイズのjrも発売されたんじゃなかっただろうか。うまく水車が回らないという噂もあったけど試しに投げたら、ちゃんと水車回って飛沫あげてくれたように記憶している。釣ったこと無いけど2個持っているぐらいには気に入っている。

 お次は、ハトリーズシリーズやヘドンのスミススペシャルカラーとかも有名なスミスのバサロ。バサロと聞いてスポーツ庁長官だかになられる鈴木大地の背泳ぎ金メダルを思い浮かべることができるのは我々オッサン世代。バサロもオッサンが作っていたんだろうなと思うが、普通ミノーでもクランクベイトでもプラグはだいたい横揺れするものだが、これはグネグネと縦揺れ系の動きをするルアーである。背泳ぎのバサロ泳法は水中を天井向いたままドルフィンキックのみで進む泳法で、そのドルフィンキックのイメージから命名されたのだろうが、なぜ縦に揺れなければならなかったのか、何を考えていたのかさっぱり分からない。良くこんな変態的なルアーを考えたものだと感心していたら、どうもこれ元ネタがあって古いアメリカのルアーにこういう動きのルアーがあったようだ。アメリカ人さすがや。

 世間では東京オリンピックのエンブレムのパクリ騒動が騒がしいが、いっちゃあなんだが、日本のルアーというか、デザインとか工業の歴史はパクリの歴史でもあったと暴言を吐いておく。いかにもメイドインジャパンというような個性を日本のルアーが獲得したのは、せいぜい90年代くらいからで、それ以前はモロパクあたりまえで、今でもちょっと売れたルアーがあれば、似たようなコンセプトをパクったような後発ルアーが続々と発売されるのをみると、日本にとってパクりは御家芸で今回の五輪エンブレムのような話は誇るべき話ではないにしても、ある意味実に「日本らしい」騒動だったと思っている。若い人はパクリといえば中国と思っているかもしれないが元々それは日本の御家芸ジャンと。
 「パクり」「模倣」著作権等の問題もあり褒められたモノではないという認識と同時に、私は模倣の過程も無しにオリジナリティーの発現など無く、ただひたすらの前人の模倣、再生産の末に、たまたまポロッと偶然に何かが降りてきてオリジナルの花が咲くものだと思っている。真にオリジナルな「何を考えているのか分からない」ぐらいのアイデアというのはそれ故に稀少で、賞賛されてしかるべきものだと思っている。それが新たな地平を切り開くような革新的なものでなく、一発で消えていったあだ花だとしても、そういったあだ花無しに革新だの進歩だのはあり得なかったと思うのである。


 というような、パクリの歴史をルアーの世界で語るうえで、まあ我々オッサンどもならコーモランという愛すべきルアーメーカーを覚えていると思うが、意外と大手でも昔はモロパクやってたのである。

 写真をみて、腹帯口紅の時代のラパラだと思うだろう。私も中古屋でそう思った。
 でもリップを見ると「RAPARA」ではなく「DAIWA」なのである。DAIWAは版権買って作ってた「フィンチュルー」→「トップケビー」、「ダンスキング」→「ピーナッツ」なんてのもあるが、おそらくこれは無許可コピーで、DAIWAはラパラのライバルのインビンシブルもコピーしていたという平等主義が今考えるとすごい。

 似たような時代だと思うが、リョービのレーベルコピー品。上に置いたのは比較のための現行のレーベルミノーだが、リョービがつぶれてジャパニーズルアーがハイテク化しても今でも、鱗の切り方も変わらず売っているオリジナルの実力には恐れ入る。







 という感じで、今日3Dコピーしたようなモロパクのルアーってそうそう無いんだけど、ちょっとデザイン変えた程度の後発品なんていうのは普通にあって、そういう後発品も含めた豊富なバリエーションの中からルアーを選べる楽しみとか、安易に否定できるものではなくてパクリも結局程度問題でケースバイケースなのかなと思ったりする。あまり杓子定規なオリジナル至上主義はかえって新たな可能性の芽を摘んでしまうのではないかと、ルアーに限らずマンガとかの表現物でも同じように感じる事が多い。
 とはいえ、思いっきりパクったものでいけしゃあしゃあと大儲けとかされると、それは違うだろうと、そういうのは恥ずかしそうにコソッとやれよと感じる。

 オリジナルとパクリの関係なんて実に微妙なもので、善悪の判断は本当は難しいものだと感じている。さんざん海外メーカーのマネをしていた日本の釣り具メーカーの製品が、今や世界に真似される時代である。日本のいろんなメーカーも真似してきてアンバサダーのABU社から明らかにシマノのカルカッタを意識した「モラム」が出たときに、当時既に日本車の丸っこい近未来的デザインがドイツ車とかでも取り入れられ初めていて、工業製品全般にそういう潮流にはあったとはいえ、「あのABUがシマノのパクリかよ!」と自分的には激震を感じたものである。
 海外メーカーをパクリまくった模倣の時代無しに、今の日本のハイテク釣り具の時代など来なかっただろうと思うと、どこまでの「パクり」が許されるのか、法的な判断はそれはそれであるのだろうけど、そういう杓子定規な世界ではない中での線引きは、もっと大らかなときもあれば、逆にもっと厳密なときもあるように思う。などと答えになっていない答えについて、答えのない問いについて考えてみたりする。 

 オリジナリティーというのはものを作る上で最も大事なものの一つであると思う、でもオリジナリティーに達するまでに膨大な模倣の過程をくぐらなければならないという矛盾もまた真実だと思うのである。

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