先日、無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?という話題を書いたすぐ後ぐらいに、「無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?というよくある質問はくだらない」という意見を目にした。
まあ、あんたがそう思うんならそうなんだろうな、あんたの中ではな。という感じだが、こういう他愛もない問いに、切り返しで面白い答えが聞けたりする妙味というのが分からない人間を私は哀れむ。
実用性のない遊びを楽しむ素養が欠けているか、まわりに面白い答えを返してくれる人がいないのだろう。
読んでる本がビジネス書とか実用書ばかりで、気の利いた答えを読んだことがないのかもしれない。
前回もらったコメントにあった「有毒植物図鑑」というのも、生き延びるために実用的だと思う反面「絶望して死ぬときにも実用的だ!」と物騒な連想をして暗い笑いを楽しんだが、この問題の答えで記憶に残るぐらいの名作は、開高先生と中島らも先生のが双璧である。私の中ではな。
開高先生は「旧約聖書」だそうである。開高先生無神論者で葬式も宗教色を廃したものだったと記憶しているので宗教的な理由ではない。あらゆる物語の原型が読み取れる、しかも2000年を越えて読み継がれるだけの「面白さ」があるというところが選定の理由だろうか。もし旧約聖書が面白くなかったら、2000年を超えてキリスト教は布教できなかっただろう。基本宗教の教え的なモノは信者獲得できるぐらいにスペクタクルやドラマに溢れた面白いモノでないとダメだと聞いたことがある。
海を割って歩いたとか、ライオンを素手で引き裂いたとか、どこの少年漫画の主人公や?というぐらいに中二病的な活躍をしてくれる登場人物続出の冒険の書。
開高先生は「一冊」縛りでは他に、旅の友の一冊として百人一首をあげていて、若い頃は「一首ごとに言葉ごとにいろいろと連想して楽しむことができる」という選定理由にもイマイチよく分からんと思っていたが、歳くって田辺聖子先生の百人一首の解説本など読むと、開高先生ぐらいの知識人だと、一首読めば、関連して想起される事項は物語を形成するぐらいに沢山あって、そういうふうに文字を追いながら連想を楽しんでいたんだろうなとなんとなく納得がいくようになって味わい深い。
その開高先生の小説を「日本語の語彙が豊富だから」という理由で、持って行ける荷物に限りがあるカヌーツーリングの友に野田知佑先生が選んでいたなんていう連想も楽しい。
らも先生は、いろいろと候補を並べて悩んだあげく結局「何も書いてない原稿用紙」という回答だったと記憶している。物書きとしての矜持が感じられる回答でこれまた味わい深い。物書きだから、本なら読むより書いた方が暇がつぶせるという意味だと思うが、オレが書くのが一番面白い、という思いもチラリと見て取れる気がする。
私はこういう面白い回答に出会ったので、無人島本問題はたしかに「くだらない」かもしれないが「つまらない」とはまったく思わないのである。
で、写真のブツであるが、キングジム社製「ポメラ」である。折りたたみのキーボードにディスプレイが付いた「電子メモ」とでもいうようなものである。らも先生に倣ったわけじゃないけれど、南の島でものを書こうと購入した。
文字読む機械としては既にキンドルを愛用していて、何十冊という本を旅の友として持って行ける性能には非常に満足しているが、移動時間や待ち時間の時間を潰すのにどうせ帰ってから書くことになる「顛末記」を書く機械があると良いなとは感じていた。
最近物忘れが激しくて、昔は釣りの記憶なんてのはその日の釣り全部後から詳細に頭の中で再生可能で、釣りから帰ってきて同居人に「まず一匹目は、最初の流れ込みのぶっつけのあたりにルアーを投げて・・・」とか語り始めて極めてウザいと嫌がられていたものだが、最近は遠征先で毎日メモしないと、写真見ても上手く記憶と繋がらない時もある。まあ忘れてしまうようなことは重要ではないということかもしれないが、寂しさを否定できない。
ということで、遠征先でもメモを書いているのが常であるが、これを帰ってから打ち直すのがけっこうめんどくさいので、始めからデータで入力できないかと考えて、最初はキンドルに打ち込める外付けのキーボードとかがないか探したが、良さそうなのが無く、かつキンドルで書名検索とかするのに慣れないタッチパネルで文字を打っていて思うのは、馴染みのATOKが漢字変換ソフトとして入っていないと使いにくくて我慢ならんといこと。
いっそ軽量小型のノートパソコンを1台買えば本も読めれば文章も書けるし他にもいろいろ便利ということで、ちょっと検討したが値段が高いうえにバッテリーでの駆動時間が短くて旅に持っていくのには電源確保が悩ましい。
ということで悩んでいろいろ調べていたら、この「ポメラ」はテキストデータの文字打ち込みだけに機能特化しているけど、ATOKが入っていて、単4電池2個で20時間駆動と電源問題もクリアー可能で、値段も安売りだと大1枚チョイで試しに買ってみようと思えるぐらいの値段。USBでパソコンに接続して打ったテキストデータのファイルを吸い出し利用。
実際に打ち込みしてみると、ちっちゃいタッチパネルではなく折り畳みとはいえキーボートが付いているのは非常に使いやすい。
最近、考えを整理して書くには、推敲するための編集作業が楽なパソコンが必須になっているのだが、ポメラを使えばその作業を旅先の膝のうえでできそうである。
キンドルとポメラで合計すれば今時の薄いノートパソコンぐらいの重量にはなると思うが、それぞれ別に使えるというのは実際には悪くない選択だと思う。キンドルは片手で操作できるのでベットのうえで寝そべってでもどこででも本読むのには便利だし、ポメラは長いフライトの時間を楽しい旅を振り返りつつ思索にふけり有意義につぶせそうな機能をシンプルに持っている感触である。
世の中には便利な機械が溢れている。便利さと引き替えにナニかを失いそうな気もするが、とりあえず試してみたい。
んー世の中これ以上便利にならなくても俺大丈夫だけどなぁ と時々思うのは、中年世代が感じる不便さへの懐古か、はたまた技術の進歩に感覚が適応できないだけなのか? わたしの場合たぶん後者かな・・・。とか書きながら、また電気製品買うはず。笑
返信削除盆休みは9月に持越しですか? こちら連日の雨で連休も流れました・・・。
(^^)/
KAZU
「発明は必要の母」と良くいいますが、なるべく新しいモノに関わり合いになりたくないと思いつつも、便利なモノは使わずにいられない。
返信削除あげく、気がつくとメガネ無しでモノが見えないのはまあ仕方ないとして、ATOKが無いと漢字が書けない、携帯のメモリーがないと知人に連絡が取れない、ネットがないと調べ物ができないという、自分の「機械人間」ぶりに薄ら寒いモノを感じたりもします。
SFの世界を今生きている感覚。