まず、一番手っ取り早く現実的で身も蓋もない回答としては、「それが世の中で一番一般的な能力を測るための”物差し”だから」というのがある。ようするに企業にしろ個人業主にしろ公的機関にしろ、理不尽な命令にも従って粛々と学んでそれを出力できる人材が欲しいわけで、その指標として詰め込み式の教育の出力としての試験結果を出せる人間を”使えるだろう”と判断して採用の重要な基準にする。ってのが一番一般的だからその仕組みに乗っかって無駄と思うような知識でも試験終わるまでは憶えておけ、それがイヤならそういう一般的な評価軸では測れない”認めるに値する能力”が自分にあることを、他人にハッキリ分かる形で示せ。そっちの方が明らかに難しいンだから、特別な能力が自分に無いと自覚してるなら黙って受験勉強しておけ。というものである。ある程度”めはし”の効くお子さんなら渋々勉学に励んでくれることだろう。自分は特別だと思い込んでる馬鹿が変な方に突っ走ってもそれはそれでやむなしで死にゃしないので身の程を思い知れば落ち着くところに落ち着くだろうし、行けるところまで行ってしまうようならそれはそれで僥倖。
もうちょっと真面目に答えるなら「ググるにもある程度体系的な基礎知識が必要、義務教育レベルの知識ぐらい頭に入れておけ」ってのがある。ググる時に限らず、基礎知識なんてのは生きてく上で必要な場面は山ほどあって、仏教伝来が西暦何年かを知ってることにたいして意味は無いんだろうけど、えらい昔にやってきたっていう背景とこれまでの日本での他の信仰との関係なんかがある程度分かってれば、葬式は仏教方式でやっとけば無難か、それとも今時なら無宗教な家族葬でもありかなんてのの判断材料にもなる。細かく仏教の宗派の変遷なんかも押さえていれば、怪しい”仏教系”新興宗教の正体をググって調べるなんてのにしてもアタリがつけやすい。ウクライナ情勢とか気になって世界史の基礎知識があったら、当然中国共産党の動きは気になって”台湾有事”なんてのが心配になるとき、地理の知識で台湾と沖縄は近いと知っていればググってどのぐらい近いのか調べてみることもできる。値上げラッシュの秋に家計簿つけてどの項目から削減するべきか、数学のパーセントの知識すらなければ、支出における割合が大きい削るべき項目がハッキリしない(ハッキリしたところで削れるか否かはまた別問題。例:我が家の釣り具経費)。生物・化学・物理の基礎知識が無いから”摂取カロリー量を減らし、消費カロリー量を増やす”以外のダイエット方法なんかに騙される。基礎知識があればそれを元に正しく自分に合ったダイエット方法もググって調べられるというもの。数学なら複雑な方程式の解き方を憶えてなくてもこれまで生きてきて不自由したことないけど、”y=xの2乗”っていうグラフを描いたときの”パラボラ”な曲線の急激な立ち上がり方は頭にないと、トンチ話で将棋の81マスの一マス目に米一粒、二マス目に米二粒、三マス目に米四粒と倍々ゲームで増やして褒美をくれという条件を飲んで蔵の米を根こそぎ持っていかれた庄屋様と同じような目に遭わされる。高利貸ししかりネズミ講しかり。生きていくには常に瞬間瞬間に様々な判断を強いられるけど、その時にいちいちググってたら時間がいくらあっても足りないはずで冒険家の石川直樹さんが著書「全ての装備を知恵に置き換えること」で、知識で道具の代替方法を使ったり、原理を知ってその場で作り出したりすることで装備を減らし軽くすることができるというようなことを書いていたと思うけど、人生においてまったく同じようなことが言えると思ってて、基礎的な知識があっていちいち調べなくても良い、あるいは頭の中で関連づけて応用して使えるレベルの知識があるというのは、便利な道具を持っていることに時に勝るぐらい価値があるのである。基礎がないとその上に専門的・応用的な知識は積み上がらない。だからだいたい世界共通でホモサピがこれまでに得てきた知識体系の基礎的な部分は教えるような仕組みが設けられているのである。時代と共に要求される知識も変化しているけど、概ね”このぐらい知っとけよ”というのが義務教育レベルの知識として教科書に載せられているのである。というのが2つめの模範解答でこっちのほうがやや真面目な回答か。
でもって、お嬢ちゃんに小うるさいジジイのお説教として「ネット検索ぐらいでなんでも分かると思うなよ」っていうのは言っておきたい。まあ、馬鹿ならあたえられる知識を疑問になど思わず家畜のように詰めこんで社会に出荷されるだけだろうし、質問の文脈からしてもググっても分からん高度な情報もあることは頭にある賢い子のようなので、分かってそうではあるけど老婆心ながらということで赦してちょうだい。
まあ、皆さんご存じのとおり、ネットに転がってる情報は玉石混交でしょうもないデマやら稚拙な誤りも含まれていて、調べるにしてもある程度の知識や技術が必要とされる。でもって、どうでもいいような情報に溢れてて本当に知りたい情報にたどり着くには苦労する。それでもパソコンの前に座ってサクサククリッとするだけで、様々な情報に触れることができるのは大きなメリットで、まあネットの情報も上手に使っていかないといかん、というのは常々感じるところだけど、現状においていまだ、細かくマニアックな情報を手に入れたければ”有識者”に直接聞いてしまうのに勝る方法はやはりないと思っている。例えば、ワシあんまり詳しくはないフライフィッシングの技術的、戦略的な疑問が生じたら、ネットなんてまったくあてにせず、ケン一なりJOS師匠なり、キッチリ実地で経験積んで知識も蓄えてる専門家に聞く。道具売らんがためにワケの分からんタワゴト並べてるような輩やその信者より、キッチリ釣り場で研鑽積んできてる釣り人でかつワシのレベルと嗜好も分かってる釣り人の知識・助言が真に役に立つのは言うまでもないことである。そういう”専門家”の知識を拝借できるというのは、素晴らしい特権である。釣りに限らず、鳥のことなら、昆虫のことなら、とかいう感じで、教え導いてくれそうな友人達がいるのはありがたいことこのうえない。
逆にワシ、魚と水辺環境のことは、それこそ大学では水産系コースで学んだ学士様なわけで、魚類生理学も魚類行動学も魚類分類学も体系的に講義で一通り大枠は学んでて得意分野だったし講義以外でも趣味で”勉強”し続けている、海洋物理学やら漁業資源管理論やらもそれなりに真面目に講義聴いてて今でもネット検索の助けを借りれば、なんとなく正しい知識を引き出せる程度の知識は持っている。というわけで、釣った魚の名前が分からん?とかいう時にはワシの知識は便利に使ってもらっている。ネットでも写真投稿すれば同定してくれるサービスなんかもあるけど、さすがに「リリースしてしまって写真もないんだけど、ホウボウ系じゃないんだけどヒレが脚みたいになってて口が下の方に付いてる魚がキス釣ってて釣れたんだけどなんて魚?」「メッキ釣っててバラした魚が見たことない魚で、メッキみたいに銀ピカだけどもっと細くて口が大きかった」とかの情報だけで、正解引っ張り出すのはそれなりに難易度が高いのではなかろうか。前者はツバメコノシロもしくはナントカアゴナシ、後者はイケカツオもしくはミナミイケカツオと回答して画像検索してもらったところ、どちらも第一候補で正解だったようで「めっちゃスッキリした」とお喜びいただいた。ちなみにワシが前述の両種を推定したのはツバコノについては特徴が特殊なのでそれしか思いつかないけど、イケカツオはメッキ釣ってて自分でも釣ったことあるので、メッキと混じって黒潮に乗って回遊してくるという知見からの推定。なんの情報もなく、独自でネット検索でツバメコノシロだのイケカツオだのの地味な魚にたどり着くのは難しくても、種名と近い仲間が予想されていてその画像を引っ張り出して確認するという方法なら、正解にたどりつける。やっぱりネットで検索するにも前情報として知識はあったほうが上手くいく。典型的だったのが、どこが作ったのか不明だった謎スピニング「スーパースターNo.2」で、ワシかなりネットの深い所まで潜ったつもりでいたんだけど、ダイワ製というところまではたどりつけなかった。ところが、識者に「初期ダイワ製だと思いますよ」とタレコミいただいて、当時「Jorgensen」ブランドとかでダイワ製のがあったという情報を持って、あらためてネットに潜ってみたら、細かい部品の一致した機種が出てきて、ナルホドこれは初期ダイワ製なんだ!っていう確信的情報までたどりつくことができた。
要するに分かって絞ってググるとたどりつける。って話で、繰り返しになるけど絞るための基礎知識として、ググれば分かる程度の情報でも頭に入ってると色々と捗りまっせ。ということなんである。
というのとはまた別に、人生においてなんの役にも立たないように思えた知識が意外に味わい深かったりして、と人生終盤になってくると思ったりもして、義務教育じゃなくて高校の授業だけど、漢文なんて今時なんの役に立つって話だけど、李白や杜甫のエピソードだけでも知ってると知らん人生より”幸せ”なのかなと思ったりもするので、まあ何が役に立つのか必要なのか?なんてよく分からんので、進学だの就職だのに使える”道具”なのは間違いないので、とりあえず義務教育レベルの知識は若くて頭にぶち込めるときにぶち込んでおいて損はないよとジイさん思うのである。
しょーもない初歩的なことを聞いてくる輩用に”ググレカス(ggrks)”って罵倒の言葉があって(最近使われなくなってきてるけど)、今回ググってて英語圏でも似たような言い回しがあって「Google is your friend.」っていうらしい、ってな知識もなんの役にも立たんけど、それを知ること自体にも喜びがあったりしてこれまた味わい深いなと思いましたとさ。
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