2022年8月6日土曜日

食物連鎖の制御は人間には荷が勝ちすぎている

 久米島で人為的に傷つけられたアオウミガメが多数見つかって、地元漁師が関与を認めているというニュースはなかなか衝撃的で、ヤフー様のニュースでもワシ用のお薦め話題のところではなくトップニュースの欄に出てくるぐらいで世間的にも関心が高いようだ。

 もちろん国際的な野生動物の取引についての約束であるワシントン条約(CITES)でも全種が対象となっていて、我が国でも保護の対象となっている海亀を許可なく傷つける行為はあからさまなルール違反である。そう、許可無くという但し書きをつけたことからも分かるように、小笠原や沖縄などでは捕獲頭数や体長制限を設けつつ漁獲して消費しているということは意外と知られていないかもしれない事実である。

 ただ、今回の件を事件関連の記事を追うと共に、アオウミガメの保護の状況とか背景を調べていくと、意外な事実もあって、いかに生き物と環境が複雑に絡み合ったなかで、人間がその管理を適切に行うことが難しいか、まざまざと思い知らされた感がある。

 とりあえず、植物食のアオウミガメの個体数が増えすぎてモズクの漁場をハゲさせたり網に掛かって漁がままならんという実態があることは事件を伝える記事でも紹介されており、漁師を一概に責めるのもかわいそうだという論調が目につくのにはホッとする。社会正義の戦士様やら動物保護団体に問答無用につるし上げ食らって、それに世論が誘導されて必要以上に虐められたら漁師さん正直かわいそうである。もちろん傷つけられた亀さんもかわいそうではあるけど、双方メシ食わなきゃ生きていけんのでどちらかを一方的に加害者扱いするのはよろしくないと感じる。久米島村としても海亀と漁業の共存を模索していきたい、と真っ当な声明を出していて、どうかみんなで良い知恵を絞って良い塩梅に落としてもらいたいところである。個人的には極論して漁師さんが首くくるはめになるのと海亀が当該海域で絶滅するのとどちらかを選べと言われたら、海亀にはかわいそうだけど泣いてもらうだろう。ワシャ竜宮城には招待されやんな。乙姫ゴメン。

 最初反射的に、増えすぎたんなら間引けば良いんじゃないの?とワシ単純に考えた。幸いアオウミガメは美味しい方の海亀として認識されていて、「ゴールデンカムイ」で食いしん坊のアシリパさんも、アオウミガメで幸運だったアカウミガメは臭くて食えないぞというようなことを言及していたし、古くは欧州でも”海亀のスープ”の材料として珍重され、「エバ」で貴族お抱えの腕自慢の料理人が出したその料理に登場人物が目を見張る場面があったし、古くからあるクイズにも”海亀のスープ”ってのがあるぐらいで食材として優秀なようだ。ちなみにあのクイズ高校生ぐらいのときだったか初めて聞いたとき、考えるまでもなく答が分かったんだけど、意外に周りの人間分かってなくて、この人達はお気楽に生きていけそうで良いなぁと思ったモノである。分かる人間は海亀のスープ飲んで自殺してしまう側の人間だということである。

 海亀の保護活動として、素晴らしいと思ったのが、コスタリカだったと記憶しているけど、ヒメウミガメの仲間が大挙して産卵に押しかける”アリバダ”とよばれる行動が知られる地域で、地域住民が参加しての海亀が産卵しやすい砂浜環境の保全やら密漁の監視などで産卵個体数が大幅に増えているという事例があって、その事例のキモは保護にも地元民参加してもらうけど、一定数枠を設けて卵をとって食べて良いとしている点で、もともと卵食べたり売ったりして乱獲して減っていたところを、単に保護せよと押しつけるのではなく「保護を進めて産卵個体数が増えれば、取って良い卵も増えますよ」と積極的に保護したくなる理由をくっつけて、自然と上手く回るような仕組みを工夫したのが上手だなと感心した。

 アオウミガメも食べる文化は元々あることだし、食べる利用を増やして数調整すれば良いじゃんと当然ワシ思った。じつは西表島とかでも同様の問題はおきているようで、なら沖縄全体のアオウミガメの漁獲枠をふやしゃいいじゃんと思うんだけど、ところがことはそう簡単ではなくて、保護を進める研究者によると、一部の海域で増えてるのは間違いないけど、それは限定的で、現在でもアオウミガメは絶滅の危惧を逃れてはいないとのこと、要するに埋め立てやら開発やら環境悪化やらもろもろで、海藻やら海草やらが生える浅い海の好条件の場所は限られていて、そこに当然アオウミガメも漁師も集中せざるを得ないようなのである。加えて、沖縄方面で行われている漁業被害を防ぐためのサメ類の駆除によって、成長した海亀の自然での唯一と言っていいぐらいの天敵”イタチザメ”の個体数が減ったのも、風が吹いて桶屋が儲かる的に効いてきているとか、さらには近年では海亀の食用需要は減っているとか、もろもろ複雑に要素が絡んでて、単純に漁獲枠増やして間引いたら”絶滅しました”とかに最悪なりかねないうえ、枠増やしても消化できるのかも怪しく、単純にいかないややこしさがあるようなのである。ただ、アオウミガメの食害で藻場が消えるのは保護を進める当局である環境省でも問題視しているようで将来的な個体数調整の検討を2022年2月策定の生態系回復計画原案に盛り込んだそうである。専門家交えて良い知恵しぼって欲しいと切に願う。その際に野生生物を保護しなければならない理由は何か?というのをしっかり念頭に置いて欲しい。要するにそうしないと我々人間にも桶屋の儲けみたいに巡り巡って禍が降りかかるから自分たちのためにそうするのである。動物保護団体みたいに動物の権利とかワケの分からんことを言い出すと収拾がつかんくなるのでそこは間違えて欲しくない。

 保護したら一部の場所で数が増えすぎて困るとか、ことほどさように予想もできない事が起きうるのが天然自然の生き物の常で、正直ある程度は事象が起こってその後から、実態に合わせて対応していくしかない部分があるっていうのは、魚釣ってても強く感じる。いつも口癖のように言ってるのだけど「単純な物理現象の明日の天気予報が外れるぐらいなのに、複雑怪奇に絡まった要素を読み切って魚の動向予想するなんて無理」って話である。まあそれでも必死で読もうとするし、ある程度はハメることはあるけど、基本出たとこ勝負で来た魚を釣っておけである。

 にもかかわらず、漁業の世界でも”資源管理”ってのは錦の御旗のように振りかざされ、お気楽な評論家みたいな学者先生が、ノルウェーサバを例に、大きく育った単価の高い魚を漁獲するべきだとかのたまう。

 ア・ホ・ト・チ・ガ・ウ・カ・?

 資源管理は獲りすぎて種親まで減らしたら資源が減るっていうのは間違いなくて、基本は間違ってはいないんだけど、単純に単価の高い大型魚にしてサバ(マサバ+ゴマサバ)を売れっていうのは、水産業の現場を知らない机上の理論だとワシャ思う。まずはそこまで資源の未来を正確には予想できないってのが大前提。獲らずに大きくなるの待ってたら居なくなったなんてのはありがちである。ワシも近所のゴンズイ資源大切に温存してたけどなんか釣れなくなってしまった。ノルウェーでもせっかく育てた資源がお隣の国の海域に行ってしまってなんていう失敗もあったと記憶している。逆に今年のはしりのカツオみたいにいきなり脈絡もなく獲れる時もある。マイワシがだいぶ上向いてるけどマイワシの豊漁期なんていうのにアタったらどうにもならんぐらい獲れるけど、それを自然の摂理である”魚種交代”に反してまで維持管理することはできない。

 あと、大型のサバを大量に獲れるようになったら、値崩れ起こして結局儲かんないってツッコミもあるけど。実際にはその逆で、大型に育つまでには必ず数的に減耗してしまうので利用できる資源の総量としては大幅に減る。小さいサバには小さいサバなりに加工原料としての需要等があって、今サバ獲れなくなってきてサバ缶高いけど、安いサバ缶にありつけたのは総量多い段階の小さいのもドカッと水揚げしてたからである。獲りすぎはマズいけど適度に小型のウチに利用できる量は利用して、小型も大型もそれぞれ適度に利用するのが理想と言えば理想のハズである。

 ましてやノルウェー方式で各漁業者の割当量を決めて、良い値段で売れるように努力するよう仕向けろとか、耳ざわりはいいけど、じゃあ日本みたいな津々浦々いろんな規模の漁業者がいて、流通経路も様々ななかで、どうやって割り当て配分するのかってのから難しいけど、それ守ってるの誰がどうやって確認するのか?って話で、確認できないからズルして割当量ごまかしたヤツが旨い汁吸うのが目にみえてるけど先生はたしてどうするつもりで仰ってるのだろうか?サバの大規模な水揚げ現場に調査仕事で行ったことあるけど、件の学者先生に獲り放題で乱獲だと批判されてたけど、実態は加工業者と冷凍業者の処理量が上限になってて、漁師さん一回出るとしばらくお休みとかで全然獲り放題になってなくて、言われてるのと違うやんけと思ったモノである。そういや、水産の世界も構造改革とかで制度新しくなったはずだけどどうなってるんだろって?覗いてみたら個別割当量制度の対象は国が管理してるような大規模な漁業だけに絞ってて、評論家じゃなくて実際制度回す人達は当たり前だろうけど現実的で妥当な落としどころ考えてやってるんだなと安心した。

 てな具合で、保護にしろ資源管理にしろ、守れば増える、獲りすぎたら減る、ぐらいは間違ってないけど、細かく予想して計画的にっていうのは頑張るにしても限度があって、そもそも完璧にってのはどだい無理な話で、ある程度基本的な方向性を決めておいて、問題起こったらその都度軌道修正なり対応策追加なりができるよう柔軟性を持たせておくぐらいが最善手(実際昔から全体での漁獲可能量を管理する”TAC制度”では”期中改訂”とかやってたはず)で、その際に当事者が納得できないような変な机上の空論じゃなくて、地に足ついた当事者も参加しやすいような”自然とコトが上手く回るような仕組み”が大事だなと思うのである。

 我々も生態系の一員で食ったり食われたり利用したり利用されたりの中に組み込まれているので、難しいけどそれを無視して生きてはいけない。いやでも自分のこととして考えて、より良いと思える手が打てるなら重畳、何とかして最低限の妥協点すら見いだせないなら、ろくな結果にはならないということは肝に銘じておきたい。つい最近もヤフー様のお薦めしてきてくれた記事で、ネパールでトラの保護政策が上手くいって個体数が増えてきている、けどトラによる人や家畜の被害も増えてるってなのがあって、ことの難しさに唸ってしまった。

 一方先日、ネットでとあるヴィーガンの発言として「もし人間を食べる上位の存在がいたらあなたたちは食べられることを良しとするのか?」という趣旨のお言葉が紹介されていて、ほとほとあきれ果てた。コイツら結局、人間様が他の生物より一段上の上等の生き物だから他の生物の幸せとかも守らなければいけないとか本気で思ってそうでウンザリする。神様の視点でありおこがましいこと甚だしいったらありゃしない。それをこともあろうに、このウイルスっていう定義上は生き物ですらないかもしれん”天敵”に痛めつけられまくって、人間なんぞたいしたことがなくて生物としては頂点でも何でもないってのを思い知らされてるコロナ禍の真っ最中に言うかね?人間を直接パクッといく生物はなかなかお目にかかれないけど(トラに食われるならワシちょっと嬉しいかも)、それでも人を殺しうる病原性の生物とかの天敵はいくらでもいる。自分より上位の存在が居て食べられることを良しとするわきゃないし実際必死で対策取ってるのはご存じのとおり。それは人間が食べているのも含め全ての生き物、もちろんヴィーガン様が食べている植物もふくめてみんな「食われたくない生き延びたい」って、たとえ思考はせずとも確固たる”生存戦略”として持っているはずだ。じゃなきゃ生き残れん。小さい頃、兄がと畜場の手前まで連れてこられて逃げ出して走り回ってる農耕牛の話をしてくれたのを憶えている「農作業まだできるから殺さないでくれってアピールしてるんだろう」って兄は見立ててた。牛だって必死で生きたいと思ってるだろう、でもワシ牛肉も食べる機会があれば食べる必死で食べるワシが幸せに生きるために食べる。人間もしょせん食って食われて生き残りをかけてしのぎを削る生物種の一つに過ぎず、生き残るために人間のため自分のためにまず必死で生きろと神様気取りの輩どもにはコンコンと説教してやりたい気分である。牛ができることをまずやってからほざけと。大丈夫かホモサピ?

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