2021年3月6日土曜日

ハルキスト立ち入り禁止令

 他人様の悪口を書くとき、全力で誹謗中傷するとき、人間はなぜこんなにも気持ち良いんだろうか?義務教育程度の物理もわかっとらんような阿呆なリールを酷評する時の気持ちよさが当ブログに貢献する度合いといったら、読んでいただいてる方にはすぐに納得いただけるだろう。

 これから久しぶりに個人名を出してあらん限りの力で誹謗中傷を試みるつもりなので、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!いざ舌戦(ゲリラ攻撃だけどな)の火ぶたは切って落とされる!!でもハルキストは読まないでね。

 まあ、相手は毎回ノーベル文学賞候補に挙げられて落っこちるぐらいの立派なお方なので、こんなネットの隅っこのお気楽ブロガーが何書いたって屁ともおもわんだろうけどそれでも書く。なぜならヤツは俺を怒らせた。

 ネットニュースで村神晴喜先生のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス=ツイッターとかフェイスブックとかで広義にはブログもネット掲示板も含まれる)への見解が紹介されていて元はどこに掲載されていたのかも分からんけど孫引きで引用させてもらうと「SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?」と問われて「大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない」とお答えあそばれている。さすがはノーベル文学賞の選に何度も落っこちた春木大先生だけのことはあるありがたい上から目線で反吐が出る。オマエ、「村上春樹」で検索かけるとワシみたいなアンチの痛いところを突く罵詈雑言が目に入るから怖くて見られへんだけの腰抜けと違うんか?

 上等な文章?なんじゃそりゃ?そんなくっだらねえことを現代日本を代表するだろう第一人者が言ってるから文学なんてモノが完全に一部のもの好きのオタクにしか興味の無い分野になり果てて、文学の新人賞である”芥川賞”がクソツマンネエこぢんまりとした私小説ばっかりになってるのもむべなるかなだ。舞城先生とかに芥川賞与えられなかった時点で文学ってのがすでに時代の感性とズレまくってて終わってるって証明だろう。「メフィスト賞」や「電撃大賞」のほうがよっぽど気がきいてるし、今時、絶滅危惧種になってる”活字”を読む層の心情に沿っている。要するにムラ紙先生の愛する文学は死に体である。そりゃノーベル文学賞を小説家でも何でもないボブ・ディランにもってかれるわけである。現代社会において優れた詩人は”詩人”として活動なんてしてなくて”作詞”してるってずっと思ってたので、あの受賞騒ぎは痛快だった。斑紙先生落っこちたのもあってザマミロと快哉を叫ばしてもらった。

 良い文章、上等な文章だけを読んで、まずい文章を読まないに越したことはない、だとよ。音楽もあげてるけど全てにおいてそういう感じで上等なモノだけを選んで人生を有意義にしていこうという”意識高い系”のお考えであらせられるとお見受けした。お賢い文系の人がよくやりがちな典型的な大失敗であると断言させてもらう。成功や正解、大事なことなんていうのは、一見失敗に見えること下らないこと馬鹿臭いこと下劣なことに往々にして混ざってて、効率的に”正しいこと”だけを拾って効率的にやろうと脇目も振らずに”上等”なことを目指すと全くつまらない結果にしか辿りつけないことが多々ある。科学技術において”結果評価”がついて回るのはある程度仕方ないと理解しているけど、我が国も景気悪くなってきて計画時点からの評価が重視されるようになってきて激しく違和感を感じている。バカの思いつきと天才の着想の違いなんて凡人には結果を見てさえ評価できないはずである。ある程度良きに計らっておかないと成功の芽を摘んでしまう。

 ネットに転がってる文章が大体において上等ではないってことには同意せざるを得ないけど、読む価値がないかっていえば全くそうは思わない。だって面白いこと書いてる人いっぱいいるし、たまにどうにも唸らされる名言を吐くヤツとかが居てそういうのはコピペ(あっちこっちに転載される)されてネット上の共通文化”ネットミーム”として共有されてたりする。お金が一番大事じゃないという論証として「お金が一番大事ならお金を使えなくなる」と切って落としたネットの賢者の聡明さには戦慄を覚えた。そういう切れ味鋭い文章がたまに落っこちてるからネットの海を漂いさまよう楽しみは止められない。でもってそういう切れ味鋭い言葉やらネットならではの生々しい表現とかの”割と上等”な文章じゃない、本当にくっだらねえ匿名者による”便所の落書き”程度の文章が読むに値しないかといえば、それはそれでそうでもないってアタイ思うのよ。くっだらねえ、バカくせえ書き込みもそれはそれでアハハと笑って一瞬憂さを忘れられるなら悪くないと思ってる。っていうか読み物なんて上等か下等かで区別したって仕方ないでしょ?面白いか面白くないか、好きか嫌いかぐらいしか考えなくて良いって。しょせん暇つぶしの道具でしかないんだからさ。文学の役目として無知蒙昧な賤民を啓発するとか大勢に感動を与えなければならないとか思ってるなら、既に読む人さえ少ない文学って道具を選んでる時点でアホやって話でしょ。ナンボ群髪先生の小説がベストセラーだからって、今日日人心に与える影響考えたらマンガアニメの方がよっぽど大きくて、今の若い人が後々まで文学を引っ張って人生に影響を与えられることなんて希有だと思うけど、鬼滅の刃の炭治郎君の影響は絶対大きいって。なにせワシらの世代もドラゴンボールやらスラムダンクやらナウシカやらからの影響は受けまくって育ってる。比較的文章読んできたはずと自負しているワシでさえ、多分人生における指標として活字媒体とマンガアニメのどちらが効いてるかって考えると、若干後者の方が大きいのかなと思わなくもない。

 ただ、自分が、読んできた”活字”にも大きく影響を受けているのは紛れもない事実で、小説なんて面白いか面白くないか好きか嫌いかだけだってあたりは、開高先生、らも先生の受け売りである。ワシの言葉じゃアホのタワゴトだと思われるだけかもしれないので、権威ある両先生の教えを引用して、ブラ噛み先生のお言葉に対抗するなら、開高先生は酒を例に出して、良い酒の味を知りたかったら普段から安っすい酒を飲み付けておけってなことを書いておられた。道理である。良いものを知るためには比較対象が必要であり、かつ自分好みの味を知らなければ、他人様の評価を鵜呑みにして踊らされるだけである。さすが文豪。ちなみに晩年愛飲してたのはフィンランディアっていうウォッカだけど、ホワイトリカーも悪くないって書いてた。梅酒用の酒ですら自分で飲んで味を知ってるってのは酒飲みとしてもたいしたものだと思う。らも先生はもっと極端で、よく紹介していた”人の行く裏に道あり菊の花”っていう狂歌?が象徴するように、他人様の評価の裏っかわにあるモノをこよなく愛しておられた。2つの選択肢があったとしたら”ややこしい方”を選べともおっしゃってた。その方が絶対に面白いからだそうだ。もちろんらも先生上等なものの良さもよくご存じのうえで、ダダイズムとかの時代の詩を暗唱してるぐらいの教養を持ちながら、ひたすらお言葉どおりの”ややこしい”生き方を貫いてラリって酔っ払って階段から落ちてその生き方に幕を閉じた。”上等”な人生を送るよりなんて面白く素晴らしい人生だっただろうと思う。文章っちゅうか言葉遣いは死ぬほど上手いけどね。

 でもって、そういう上等じゃないもの好きとして無視できないのがオーケン先生(大江健三郎大先生ではなく大槻ケンヂ先生)で、なにしろ不安神経症を患ってる時に、あまりに熱中しすぎるからとお医者様に”UFO”を禁止されて、古いポルノ映画の題名をもじって”UFO禁止令(「徳川セ○クス禁止令」ってのがあるのよ)”とか書いてたぐらいのサブカル好き。B級映画では本1冊書いてるし、格闘技も大好き(ちなみに開高先生もプロレス好きでらも先生も格闘技好きで知られていた)と上等じゃないもの大好きなんだけど、江戸川乱歩の特集が組まれたときNHKに案内役として呼ばれたくらいに上等なモノ(乱歩は世間の評価と違って上等じゃない部分も面白いと力説されてた)も分け隔てなく、好きなモノは好きなお方で、かつご自身のエッセイとかについては読者に「アハハと笑って読み捨てて忘れてもらって良い」ってなことを書いていて、高尚な文学じゃない楽しい読み物の、なんちゅうか上等じゃないモノの価値をキッチリと知っていて格好いいのである。本職はバンドマンとご自身力説しているぐらいで音楽活動忙しいみたいで、今放送中のアニメのエンディングの作詞も担当しておられる。最近新刊が出ないので作家オーケン先生を愛する読者としては寂しい限りだけど、お元気でおられるならそれだけで嬉しい。開高先生もらも先生もあんなに生き急いだら仕方ないとは思うけど”早死に系”だからね。まあオーケン先生の素晴らしい才能のほとばしりを感じてみたかったら、以前にもどっかで紹介したけど手っ取り早く「踊るダメ人間」でも聴いてみて欲しい。「この世を壊したって一番ダメな自分が残る」てな歌詞は上等じゃない人間には身につまされて突き刺さるものがある。上等な方々にはおわかりにならんだろうね、この良さは。ざまあ見ろってなもんである。つよい子のミロってなもんである。

 というわけで、お偉い人にクソ馬鹿にされたので、ご本人が否定するネットの片隅で力一杯に馬鹿にし返しておいた。野郎が間違ってノーベル文学賞とか取ってもワシャ絶対ヤツの書いた本など読んでやらねェと誓いを新たにするのであった。ノーベル文学賞はコーマック・マッカーシー先生にでもあげてほしいものだ。人類への貢献度っていうことなら宮崎駿先生にあげても良いかもしれん。文学じゃネェだろって?ノーベル賞は今更部門新設できないので無理くり既存の分野に入れるのはありがちだし、そろそろマンガアニメ分野からも一人ぐらいでるでしょ?などと予言めいたことを書いておく。

6 件のコメント:

  1. あのリールを譲って頂いた浜酔釣人です。 全力の呼吸で賛同させて頂きます‼️

    もはや、文学やら漫画やら音楽やらと
    お互いに、否定や非難する意味が全くないです。
    多様性が突き進み、各々の尊重が一番大切 なはずです。

    何冊もの、春樹氏著を読みましたが
    あの、ゆるふわプチダークファンタジー
    が心地良い人の気持ちもわかります、

    最近は、どれを読んでも同じに感じるので
    やめてますが、、

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  2. 「各々の尊重が一番大切」全くそのとおりですね。
    自分の行いが春樹氏を尊重しないものであり、いただけない言動であったと、なかば知りつつ書いたとはいえ反省ちょっとだけしています。
    ただ、あれだけの影響力のある人が、みんなが楽しくやってることについて小馬鹿にしたような書き方をしたのはナンボ何でも配慮が足りないと思ったので怒りにまかせて書いてしまいました。
    私と小鳥と鈴と、みんな違ってみんな良いはずで、春樹作品も好きな人にとっては素晴らしいモノであろうことは分かっちゃいるんですが怒りで目が攻撃色に赤く染まるのを止められなかったです。

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  3. わかります、私の反応は何言っちゃってんの?

    🍸✨🍸のマスターやって居たときに、酔っぱらい
    の戯れ言を真剣に聞いたふりして、人物観察を
    十分にしてたでしょ⁉️ 思い出してしまい、毒吐いて
    しまったのかな?

    100歩譲って、リアルの出会いと会話が減るなか
    、いろいろな文書にも積極的にチャレンジして
    欲しい‼️ と言って欲しかったです。

    聞くところによると、書いた作品に何回も
    手を入れて文書を織り込み、磨き、削るそうです。

    物書きが、素人の文書を読む必要もありませんが
    評定する必要もないでしょう。

    だって、ほとんどの読者が、LINEで絵文字を使い
    Twitterでコミュニケーションをしてと思っているからです。

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  4. 誰かに「わかります」と言ってもらえるとホッとします。

    言いぶりは上から目線でムカつくモノですが、思ったことを忖度なく世に問うのは文筆家としての正しいあり方なのかもしれませんね。

    私も自分がネットの隅でゴチャゴチャと書くことの意義的なモノをあらためて考えることができたように思います。

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  5. お疲れ様です。ここだけですが、インタビューした記者が不勉強で、そのような発言をした可能性もあったかと、おまけに編集長も分からないで、そのまま記事にしてしまった可能性もあると感じました。
    誰がやっても大変です。
    ノーベル賞が取れないのも、翻訳者が英語、日本語共に堪能でも日本で10代を過ごしていないと、春樹さんのニュアンスは、わからないと思います。
    また、いろいろな記事を楽しみしております。よろしくお願いいたします‼️

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    1.  えーっと、なんていうんだろう。忖度せずに書いちゃうと、やっぱりハルキストの人は春樹先生に忖度して擁護しちゃうんだな、というのが書き込み読ませていただいた率直な感想です。
       「可能性もあったかと」なんていうのは希望的な憶測で何の根拠もない話で、そうまでして擁護せにゃならんものかなと外から見てると思います。
       ノーベル賞が翻訳の関係で取りにくいなんていうのは、選考委員の母国語(英語とは限らない)以外の言語をつかう作家には共通でこれまでの受賞者一覧を見ても使用言語によってそんなに不利があるかな?って感じます。日本人も取ってますよね。
       とまあ、好きな作家については”あばたもえくぼ”で盲目的に祭り上げている様が世のハルキストさんたちに感じられるので、天邪鬼の務めとしてはちょっとおちょくりたくもなったりします。
       不愉快な書きぶり、お叱りいただいても当然かと思いますし、お詫び申し上げるところですが、お気楽ブロガーの務めとしては適当に空気読んで流すのも失礼かなと書かせてもらいました。
       平にご容赦を。

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