2020年6月28日日曜日
コサバの沼に足がズブッと入ったような気がする 妄想フライボックス
浅棚で餌使って豆アジ釣ってるときには、仔サバはガーッと直線的にやってきて、刺し餌を躊躇なくパクッといくと、そのままグイィーッと浮子引っ張りこんでくれるので豆アジほど駆け引きの妙がなく釣りモノとしては豆アジの方が面白いなと感じていた。
仔サバがほぼ”前進あるのみ”な感じの泳ぎっぱなしなのに対して、豆アジは胸ビレ使って器用にその場で停止もできるし、ビューッと刺し餌に寄ってきたのに直前で急停止して、何がお気に召さないのかプイッとそっぽ向いたりもして、なかなかに熱くなれる獲物である。
そんな感じなので、仔サバなど口に入る大きさのルアーなり毛鉤なり用意したら苦もなく釣れるだろうという考えは、またこの時期紀伊半島では美味しい時期を迎えている柑橘のサンフルーツより甘くて、意外にコマセで活性上げまくっても派手目のフライには反応さえしなかったし、フライを小さくアミコマセっぽいピンクのにしても、食ってくるのに”食い込まない”感じで掛けるのが難しく、えらく難しくてそれゆえに面白くなってきた。
たかが10センチかそこらの仔サバである。だとしても真面目に釣ろうとすると結構難しくて面白い。
とりあえず前回釣行時に、こんなもんじゃろ、と用意したのが右の写真のような感じで、フライもいくつかあれば事足りるだろうってんで数も少ないしルアーのフックの箱に入れているあたりが舐めきっている。
ラインシステムをカマスの時にブレイデッドのシンキングリーダーと間違えて買ったポリリーダーたらいうフライラインの切れっ端みたいなヤツが、ランニングラインとかに繋げば低番手用のシューティングヘッドとして使えるっていう記事もあったので、古いの何故か捨てられずにとってあったダブルテーパーフローティングラインを真ん中でぶった切って真ん中にポリリーダーを接続っていうのを試してみたら、意外に普通にシューティングヘッドっぽく使えて、これは安上がりで助かった。ターンしすぎる嫌いがあるかなとも感じたのでそのへんは微妙に切り詰めるなりして調整するべきかもしれないけど、まあインチキフライマンが振るぶんにはこんなもんで良いかなって思う。
でもってフライは、賑やかしで引っ張り系の定番ウーリーバッガーとかも入れてあるけど、前回作って用意したのは黄色ミラージュの20番、胴が白にピンクのウィング20番、鮎毛鉤釣りで意外に調子よい「教授」の元ネタのプロフェッサー的配色の胴黄色の20番あたりで、アミコマセにマッチザベイト的に見た目を寄せるより、派手目のアピール力ある鉤で食わせりゃ良いだろうと思ってた。
20番がいかに小さいかというのが、写真でご理解いただけるだろうか。上の白ッポイ「全身シリコン」がカマス用に使ってた大きさで4センチぐらいあるはず。中段の黄色フラッシャブーやピンクのアミっぽいのはマアジ用に巻いてみた12番ぐらいの大きさ。
20番は2号のハリスがアイ通らなくってハリス0.5号を足して結んだけど、仔サバと同じような大きさの若アユ釣ってる毛鉤がこの大きさの鉤なのでひょっとしたら小さいのが効く場面もあるかなと用意した。
”フライで仔サバ”第1回目は大苦戦。コマセが効いて表層付近に仔サバがグルグルし始めて餌ではバンバン釣れる状況で、コリャ楽勝だろと投げ込んだ、12番黄色ミラージュが全く反応も取れず、次に12番のピンクのアミっぽいのは食うんだけど掛からず、20番の白ピンクにしても掛かり悪いのに苦労しまくるんだけど、何とか2匹釣った。
ただ、このままのやり方ではどうしようもないなと思わされる程”釣りにくい”。全然まったく最適な釣り方ができてない気がする。餌では簡単に釣れているので、餌で釣っとけというのは一つの考え方なんだけど、もうチョイでなんとかなりそうな気がするのと、コマセサビキじゃ本物の餌じゃなくても釣れてくるっていうことから、なんか打開策があるんだろうなと感じて、もう少しもがいてみることにした。
ラインを張ってハリがかりさせてしまうっていうのが、張った道糸に短いハリスのサビキ仕掛けで釣れることから、打開策にならないかと試してはみたけどイマイチ。
とりあえず一瞬口をつかうけど、掛かるところまで食い込まないのがまずいわけで、どうすれば良いのか、ハリスを伸ばしてラインを緩めてとかも試すけど、ちょっと試してみたいことがあるのでフライを変えて再挑戦してみたい。
最終的には味と臭いの魚皮サビキ的なのを巻いてあるのでそれも試したいけど、その前に、もっとアミコマセっぽいんじゃなくて”アミ”っぽいフライで勝負してみたい。
どういうことかというと、アミコマセ撒いて活性上げたならフライもそれを意識してアミコマセっぽいのが良いだろうと前回白ピンクのフライで何とか釣果を得たところ。
ただ、白ピンクのフライ以上に反応していたのがハリスの結び目で、コイツらアミコマセに反応しつつも、本来食ってる活アミだのケンミジンコだのサルパだのの動物プランクトンっぽい見た目のモノに反応してないか?という疑いを持ったのである。
コマセアミと活アミは見た目も動きもだいぶ違う。コマセアミは白っぽいピンクで動きはゆっくり沈んでいく。対して活アミはピンクの印象があるかもしれないけど、実際にはむしろ”透明”というのが見た目一番の特徴であり、しかも泳ぐ。ケンミジンコやらサルパやら他の動物プランクトンも概ねそう。プランクトンが水中を漂って生活する生き物である以上、背景に溶け込むために体色は”透明”になるのが道理である。
ピッピとフライを引っ張ってるときにむしろ結び目に勢いよく食ってくるのは、活モノの動物プランクトンっぽく見えてるからじゃなかろうか?
という考え方に基づき、透明感を意識して2種類ほど巻いてみた。
一つめは、鮎毛鉤釣りで透明なユスリカ抜け殻を偏食している時の対策で作った「借苦(ズィーロン版)」を鮎毛鉤の玉抜きで巻いたもの。写真の様にズィーロンの繊維を適宜摘まんで捻って束ねて短い軸の22番フックからシッポを垂らす感じで巻いて、余った分を折り返して適当な長さに切ってウイングにしたという単純なもの。
ユスリカ抜け殻対策の鮎毛鉤としてはこの系統が一番簡単に作れて魚も良く釣れた。”透明感”が重要な局面なら良い仕事してくれそうに思うんだがどうだろう。
もいっちょは、単純にハリスに使うようなナイロンラインをグリグリハリに巻こうかと思ったけど、そういう用途ならユスリカ蛹の胴に透明感を出すのに使う透明なゴムの素材があったのでそれで巻いてみた。
ゴムの方が噛みごたえが良くて食い込んでくれるとかもあるかもしれん。
正直この手の透明なゴム系パターンとしてはサビキ界の名作”スキンサビキ”がもろにそうなんだけど、あえてもっと単純にシッポも何もない”結び目”にちかい小さな透明なコブというのを目指して20番で巻いてみた。
とりあえず今回考えたズィーロンアミパターンと、透明ゴム芋虫系パターンの2つでハリス色々いじったりしつつ試してみたい。
これであかんかったら、魚皮サビキ、スキンサビキという実績充分なパターンをフライパターンに落とし込んで試すのかなと思っているけど、そこまでするならサビキ釣りしとけよっていう気もする。
いずれにせよ、雨は上がって今日の夕マズメから夜にかけては天気も持ちそうなので夕涼みがてら出撃しておきたい。
さーて釣れるかな~?
2020年6月20日土曜日
3日間楽しみたかったら豆アジを1束釣ってきて料理しなさい
豆アジ大漁→天ぷら(唐揚げも可)→南蛮漬け、という必勝リレーは豆アジ料理の王道にして最高の味わい方であるというのは全国津々浦々の豆アジ愛好家の賛同をうることであろう。
だがしかし、さすがに毎回それだとちょっとだけ飽きてくるうえに、毎食のように揚げ物食ってると太る。ワシ太りにくい体質だけどそれでも帯状疱疹でちょっと痩せたのを回復して余りある肥立ちの良さで、夏場体脂肪率は下げといた方が楽なのでどうしたモノか。
週末釣り師で家族持ちなら豆アジ釣れている間は必勝リレーだけでも飽きもしなければ太りもしないんだろうけど、終末釣り師であるワシャ独居老人で隙あらば釣りに行くので豆アジが飽和状態に近い。
というわけでちょっと揚げ物系以外の食べ方も工夫してみんといかんなといくつか試してみた。
ちなみに冒頭写真のややゲロっぽい見た目のアレな丼モノは”豆アジ南蛮漬け丼”である。南蛮漬けに唐揚げじゃなくて薄衣の天ぷらを選択しているのは、天ぷらの衣が甘酢を吸ってボロボロと崩れた状態の3日目ぐらいのが、丼飯にかけてかっ込むと堪えられない旨さなので、定番は唐揚げだろうけどワシャ豆アジは天ぷら派である。天ぷらにしてウスターソースがちょっとアジフライっぽい食味で美味いってのもある。ウスターソースの絡みも当然天ぷらの衣の方が良くて相性が良い。
塩焼きと煮付けは試すまでもなくやっていたところ。束釣りで全部揚げるとか時間かかりすぎるので、半分ぐらいは油をたっぷりめに敷いたフライパンで薄塩の塩焼きにしておいて、キッチンペーパー敷いた容器にいれて冷蔵庫で”焼き干し”的に乾燥させながら保存しつつ摘まんだりネコ様の餌にしたり、その状態から煮付けにして食べたりしていた。
豆アジの素晴らしいところは、骨も柔らかく鱗も小さく気にならないので下処理なしで丸ごと調理してもいけるというところで、塩焼きも煮付けも丸ごとで美味しい。
ただ豆アジ小さいといっても味の良さでは天下一品のマアジである、生食系や干物系も美味いのは間違いない。しかし豆アジの大きさで数10匹を通常サイズのように3枚おろしにしたり、鱗とったりは面倒臭くてやってられない。
というわけでそれらを必要としない手抜き料理の開発が望まれる。
まずは生食系、一度やってみたかったのが骨ごとタタいてミンチ状にしたのに酢をかけ回して食べる”なめろう”の酢漬け的な料理で、祖母がイワシとかでやってた料理なんだけど、当時はそういう魚丸ごとの旨さとかが分かる年齢じゃなかったので「生臭くて不味そう」としか思わなかったんだけど、歳食って思い返してみるとメチャクチャ美味そうで作り方を教えてもらってなかったのが悔やまれる。
たぶん、単純に魚ワタぐらい取ってミンチにして酢をかけてしばらく放置して食う、っていうだけの単純明快な料理だったと思うので再現に挑戦してみたいと思う。
というわけで作業工程自体は簡単。ワタは胸ビレのあたりを指でブチッと千切るようにしてエラごと引き抜くようにすると簡単に取れる。
とったら2丁包丁で”チタタプ”していく、味付け兼”締まり”がいいようにチタタプの段階で塩若干ふりかけておく。
「ゴールデンカムイ」公式ではチタタプの際にはメノコマキリと銃剣が使われているが、我が家にはないので文化包丁と出刃で、チタタプ、チタタプと唱えつつネットリと粘つくぐらいまでたたいていく。
たたいたら器に盛って、酢をかけ回して完成。生姜があったらすり下ろしておきたかったけど不覚にも切らしていたので塩と酢だけでいく。
見た目は表面が酢でちょっと白く締まってる感じとか、ばあちゃんの食べてたのと似た感じにできたけど、味の方は正直期待したほどではなかった。頭も皮もぶち込んであるのでやや雑味が気になる感じで、頭と尾ビレ由来っぽい骨の舌触りも気になる。
「脳みそが美味しいのに」とアシリパさんには怒られそうだが、次回ヤるなら頭とシッポぐらいは除いたほうがいいかも。あとぶっちゃけネギと”杉本のオソマ”こと味噌ぶち込んでナメロウにしてしまった方が味が決まる気がする。”オソマ”を追加することについてはアシリパさんの賛同も得られるだろう。
生食第1弾の”ミンチにして酢漬け”は要改良な感じだったのと、正直一人でミンチ状になるまでチタタプするのは面倒くせぇ。チタタプは本来一緒に食べる仲間共同で交代しながら調理するはずで独居老人が一人でぶつぶつ呟きながらやるのは寂しいモノもあった。
ということで、翌日の第2弾は生姜も買って、前日の反省を生かして頭と尻尾は外して”せごし”を試してみる。骨は指2本級のタチウオと比べても硬くないのでそのままで問題ないだろう。
調理方法はこれまた単純。いつものように頭の後ろあたりに包丁を入れて背骨を切って、頭引っ張ってワタも抜く。鱗はとらない。
ワタ抜いたら3匹ぐらいまとめてシッポもってザクザクと切っていく。
器に盛って、生姜すりおろして、酢を掛け回してめんつゆで味付けて完成。
これはイケる。ちゃんとアジの味がするし骨も鱗も気にならない。
っていうか、酢で締めなくても骨堅くないので普通に醤油で刺身として食べても、ゴマ油とめんつゆで和えて”タタキ”にしても大丈夫っぽい気がする。
豆アジ生で食いたかったら、頭とワタ、シッポとって皮鱗骨ごとぶった切って食うで良さそう。頭とワタ取った状態から”酢締め”にしてそのまま食べても良いかも。
これで生食系は目処が立った、お次は保存食系っていうか干物。豆アジ開いてごまふった味醂干しがシッポでつながったやつとか最強だけど開くのめんどくせえ。
丸干しで、鱗もワタも取らずに釣ってきたのをそのまま塩水につけて干すだけでイケるかどうか試してみる。
結果、イケました。ワタもこの大きさなら中に入ってるコマセとかの味も気にならないかんじで、鱗も小さいと気にならない。味はもちろんアジなので美味しい。
料理というのも恥ずかしいぐらいの、塩水につけて干すだけという行程なので面倒臭くないのも非常に良い。
ただ、この時期天気が晴れたり降ったりで安定しないので、天日干しだと湿度高くてかつ気温は高くて乾燥が進まないうちに痛み始めるということが起こり得て管理が難しいので、安全確実な”冷蔵庫干し”で作っている。
10%食塩水1時間半でキッチンペーパーを敷いた冷蔵庫の棚に並べて、翌朝ひっくり返して半日後ぐらいから食べ始めている。
ちなみに下の段に並んでるのは左からフライパンで焼いたものの備蓄、真ん中のジップロックのが南蛮漬け、右のタッパーに生食用という感じ。
豆アジ料理の幅がだいぶ広がって飽きなく食べ続けることができそうだ。
干物が冷蔵庫2段で50匹ぐらい、揚げ物か生食2,3食分で50匹ぐらい、フライパンで焼いて備蓄が50匹ぐらいと150匹ぐらい釣ってきても一気に処理ができそう。特に干物は余らせたら冷凍保存も利くので豆アジガッチリ釣りまくる体制が整った気がする。
いつまで釣れるか分からんところだけど釣れる間は釣りまくりたい。
2020年6月14日日曜日
ナマジのベクター・ケースファイル 対ネコノミ戦の火ぶたは切って落とされた編
痒いッ!痒い痒い痒い!!
帯状疱疹の跡が痒くなりはじめたときは、身もだえするほどの痒さで、これが別にアレルギー反応やら炎症やらおこしてかゆみが出ているわけじゃなくて、単に神経がいかれて”痒がっている”だけなので効果的な薬ってないらしく、寒気が来て気持ち悪くなるほどの痒みを対処療法的に保冷剤あてて時間が解決してくれるのを祈るだけという酷い目にあったけど、一定時間が経つと嘘のように痒みは失せて、現在、朝目覚める前になぜか痒くて起きてしまうのが地味に睡眠の質が落ちてしんどいけど、それ以外普段は痒みが酷いことはなく回復に向かっていてヤレヤレというところ。
ところが、ここにきて新たな”痒み”が発生で、猫たち由来のネコノミの攻撃を受けていて、これがまた初めて刺される虫って反応強く出て痒くなるっていうのもあるんだと思うけど、腫れ方とか痒さは蚊に毛が生えた程度なんだけど、なかなかしつこくて2,3日経ってもう大丈夫と思ったところがまた痒くなったりと地味にしんどい痒さ。
かつ、主に足の膝から下を集中してボコボコ刺されているので全体的にはやっぱりかなり痒い。
我が家に餌食べにくる猫様たちは日向ぼっこしていると後ろ足で首筋のあたりを良く掻き掻きしているので、ノミ持ってんなコイツらというのは明らかだったので、ノミ取りクシというのを購入して、なかなかジッとしてくれないのをなだめつすかしつしながらクシを入れると、オカーチャンのウニャ子はそれ程たかられていないんだけど、息子のコバンが10匹以上にたかられていて、しかも丁寧にノミ取りした後数日ぐらいは数減るんだけど、すぐにまたたかられている。
病院連れて行って、飲み薬か首の後ろに垂らす薬を処方してもらうと良いらしいんだけど、まあノミぐらい良いかと放置。
ネコ長時間膝の上で眠らせていたりしても、ネコノミがこちらに移るということはなかったので、ネコノミ人にはあんまり悪さしないんだなと思いっきり油断していた。
ところが、4日ほど前から朝起きると足が虫刺されで痒くて、ダ二かなんか湧いたかなと思ってたら、畳の上にゴマ粒のようなモノを発見。ひょっとしてと思っておさえようとするとピョンと跳ねた。ネコノミである。
ネコを寝室でもある居間に入れてはいないけど、廊下とかには入れていたので、とりあえず猫が落としたネコノミがたまたま居て居間に入ってきたのかなと、そいつを石けん水で溺れさせて処理して余り気にせずにいたら、次の日も起きたら新しく虫刺されが増えていて、掃除機掛けてゴミフィルターのところを確認したら1匹入ってた。
「これはヤバい!!」
と、ことここに至って危機感が生じる。家の中でネコノミが繁殖してるんじゃなかろうか?
ネットで「ネコノミ 部屋 繁殖」とかで検索掛けると、気がついたら足下で無数のネコノミがピョンピョン跳ねていたというようなオッソロシィ体験談がいくつも出てきた。
しかも駆除は結構難易度高いようだ。今時、殺虫剤もあるし最終的にはバルサンとか炊きゃ何とかなるだろ?っていうのは甘くて、バルサンが効くのは成虫と幼虫だけで、卵と蛹は殺虫剤では殺せないので、結局、バルサン炊いてまた蛹から成虫になったら炊いてというのを繰り返す必要があるらしい。
ただ、バルサン効かない耐性持ちのヤツらもいるような気配だし、一旦煙の届かないところに隠れてまた出てくるとかもあるようで、結局は元から絶たなきゃダメで、幼虫が育つことができるフケやらダ二の死骸やらが混ざった埃を徹底的に掃除して部屋を清潔に保ち、かつ成虫と卵を物理的に排除するために掃除機をかけまくるのが必須にして最大の攻撃になるようだ。ネコノミ成虫は猫にしっかりしがみついているけど、その卵は猫の毛に夜産み付けられて、寝床に落ちなければ外出先で落っことしてくることになり、どうもそうやって落ちた卵が週1回の掃除では排除しきれずに残ってて約2週間という成長期間を経てピョーンと成虫になって出てきているように思う。
しばらく、朝起きたときと夜寝る前には掃除機かけねばである。トホホ。
ただ、この初期段階での対処がメチャクチャ重要なのはコロナ禍で学んだ防疫の基礎で、落ちた卵やよしんば落ちた雌が卵産んでいても、数的には100を越えないだろう2桁までの発生だろうから、見つけたら粘着シートでひっつけて捕獲して、見つけなくっても掃除機で吸いまくって捕獲してで、うまくいけば片が付いてくれる。っていうかそうあってくれと願うばかりである。
これが、100匹の半分が雌で100個卵産むとかしはじめたら、2週間後以降には5000匹のネコノミを相手にしなければならなくなる。部屋中でノミがピョンピョンしてて足にビニール袋を履いて生活したとかいう体験談もあったけど、気が狂いそうである。
そうしないためには、今成虫になって出てくるヤツに卵を産ませないことと、あらたな卵や親を外から持ち込ませないということが必要だろう。
卵を産ませないためには、掃除機かけまくって捕殺しまくるのと、やつら雄も雌も血を吸うけど血を吸わないと卵は産めないようで、”血を与えない”ということで、刺されないように成虫の発生量によっては室内で虫除け塗ってでも刺されないことも重要。
そして、血が餌にもなるし成虫と卵の運び屋にもなる猫様たちには我が家への出入りを残念だけど禁止する。餌はベランダであげてベランダで遊ぶことにする。
他にも何か対策無いかと、調べてみると意外なことにノミって正の走光性があるそうで、明かりを使ったホイホイ系の罠が市販されていて早速買ったんだけど、怪しげな青い光の近未来的な見た目で無駄に格好いいんだけど、2000円近くして結構良いお値段なので自作できないかとネットで調べたら、石けん水を張った浅い容器に濡れないように光源をいれるだけでヤツらピョーンと跳んで火に入る夏の虫になるそうである。
早速、いくつか100均ショップで材料買ってきて用意してみた。ライトのケースがそのまま防水に使えて超簡単。
これ、石けん水っていうのが重要で、ノミ取りブラシで獲れたネコノミを溺死させるのに面倒でまあいいやと水で溺れさそうとしたら、表面張力で浮かんでバッタみたいに泳ぎやがって焦った。石けん水でも台所洗剤でもなんでも良いので”界面活性剤”で溺れさせる必要ありです。
ただ、この明かりの罠で獲れるのは限られた範囲の個体だろうから、これで駆除するというより、何カ所かに置いて、どこで発生が多いかとかを把握するのに使うんだろうと思っている。働いていたときの職場に入っていた業者さんが粘着罠でチャバネゴキブリの数を継続確認してて、増えてくると薬剤燻蒸するのでコップとか薬かからない棚とかにしまってねと連絡回ってきてたのを思い出す。田んぼにも害虫の発生量を調べる罠が仕掛けてあるのをたまに見る。やっぱり蛹の時に撒いても薬効かないとかあるだろうから、効かせる時期を見極めてるんだろう。
逆にこの罠で大量捕獲できてしまうようなら、かなり末期的でバルサン全部屋複数回投入とかの総力戦が必要になってくるんだろう。クモとか死んじゃうだろうし面倒くせえしイヤだなぁ。
いまのところ、罠にかかってたのはユスリカぐらいで、ネコノミ大量発生にはまだ至っていない感じではある。
成虫の発生数の確認は掃除機のフィルターのゴミを白いレジ袋にぶちまけて目視も行っている。死体の数かぞえるつもりでダ二アーススプレー掃除機に吸わせてから確認作業に入るんだけど、まだ平気でピョンピョンしてて薬にはかなり強そうな印象である。
ヤツら跳ねるけど羽がないので飛びはしないので、念のため確認作業は水を抜いた浴槽で行い、確認後のレジ袋は丸めて冷凍庫に入れて処理してからゴミの日に出している。
今のところ毎日1,2匹の確認で推移しているけど、ここ1、2週間の発生量で、まだ大量繁殖には至ってなくて早めの決着をつけられるか、泥沼化して長期戦になるかわかってくると思うので、気合い入れて1日2回と限らず掃除機かけていきたい。
ウイルスの次にはほんの数ミリの虫に泣かされて、ホント人間って弱くさい生き物だなと思う。
ノミにたからられ、ムカデに噛まれ、イノシシと対峙し、クサフグに釣り餌をかすめ取られ、紀伊半島の自然?を全力で満喫しております。
ラベル:
ベクター,
猫,
反コンクリレジスタンス
2020年6月7日日曜日
箱の中の猫は野生動物と愛玩動物の重ね合わせた状態にある
猫をどう扱うべきか、それは観測者たる個人や集団の立場や考え方、文化、慣習によって答えが異なり、また変化していくこともありうる問題で、明確な正解など存在し得ず、その時その時の飼い主始めとした当事者がより良いあるいはよりマシな扱い方を模索していくべき事項だと最初に結論づけておく。
なぜ、ブログネタに猫を登場させるとして、ワシはお気楽に可愛い猫の写真とほのぼのとした日常の場面を紹介するようなユルい”猫ブログ”を書き連ねるのを良しとせず、やめときゃいいのに、またれいによってグチャグチャとややこしいことをネチネチと書こうとするのか?
それはワシの敵である”社会正義の戦士”様が、さも当然のことのように猫について一見正しそうな極論を押しつけてきて、それ以外を”猫が可哀想”とかの感情論やら”命あるものに対する責任”とかご大層ないいぶりやらで、それ以外の意見を攻撃してくるので、いちいち勘にさわるのでしっかり噛みついとかねばなるまいと思うところだからである。
もちろん、そういう輩が主張するような方法が間違っているわけでもないだろうし、状況によっては良策なのかもしれないけど、そうじゃない方法もとりうるし、それは許されるべきでアンタが許せないからといって他人にソレを押しつけるナって話である。
曰く、「猫は本来肉食獣であり、かつぶしかけたご飯などで飼育するのは間違っているので、タンパク質を主体とした高品質なキャットフードを与えるべし」、
曰く、「猫は室内飼いにするべきである。猫は外飼いでは事故や病気への感染のおそれがあり寿命を縮める、野良猫など生まれた子供のうち5匹に1匹しか成猫まで育たない。また、糞尿等で衛生的な迷惑を他者にかけることも望ましくない。」
曰く、「野生化した猫が生態系に与える影響は大きく駆除が必要である。」
状況によっては、そうした方がイイってのはあることは認める。室内飼いにしろっていうのは、都会じゃグジャッと居る人間の中には猫を虐めて喜ぶようなサディストもいて、そういう輩に遭遇する確率やら交通事故に会う確率も高いので室内飼いが妥当かなと思う。駆除については小さな島嶼の天敵がいない生態系に持ち込まれたとかの場合は必要な措置かもしれない、でもどこでもそんな極端な措置が必要か?って昔から猫とは仲良く暮らしてきただろう港町で都会とは段違いに警戒心のユルい猫たちと接して暮らしてるとおおいに疑問に感じるところである。
まずは簡単なところから”猫はもともと肉食”云々から、その幻想をぶち殺しておこうか。
犬にも共通する話だけど、イエネコには炭水化物を消化する能力が備わってます。”猫飯”でもちゃんと育つはず。それは人間との共存の歴史の中で人間が狩った獲物のおこぼれにあずかってたら、人間が農耕始めて人間自体の食べ物が炭水化物が”主食”になっていくにつれおこぼれも炭水化物が増えたのでそれに適応して進化してきてるんです。ずいぶん昔から犬猫は炭水化物をちゃんと栄養にできる能力を備えてるんです。
ちょっと考えれば昔の残飯的猫飯で犬でも猫でもちゃんと育ってたのは何だったのか?ッテ話でわかるでしょって。
どこの業界でもモノ売るために適当にホント臭い嘘をいけしゃしゃあとのたまうって話。この程度のことで騙されるなよと、騙される人間はどうなろうとしらんけど、飼われてる猫がアホな下僕のせいで酷い目に遭うのは可哀想というモノ。
ちなみにワシが買ってきた安っすいカリカリタイプのキャットフードは原材料に鶏肉、魚肉が含まれてはいるモノの、多分多く使われている順番で原材料記載されているはずだから主原料はトウモロコシと大豆のようで基本牛飼うような飼料と原材料一緒でタンパク質も植物性タンパク質が主体っぽい。なんか健康的じゃん。
猫が餌を選ぶ際には味やら臭いやらよりも、タンパク質と脂質の含量を重視するって報告を読んだけど、その研究報告読んで、猫様の下僕が知りたいのはそんなことじゃない、タンパク質と脂質が普通に含まれていることはあたりまえの前提として、にもかかわらず何故ネコ様はカリカリをあまりお食べになってくださらず、人間が食ってもいいようなお魚をお好みあそばれるのか、そのへんをちゃんと研究してくれよと思ったモノである。
その研究報告のまとめ的には猫は餌を味や臭いより栄養価で選んでいるということになっていたけど、そのまとめはネコ様の下僕一同全員一致で「そんなわきゃネェだろ!」と突っ込みを入れるところだと思う。
まああれだ、人間も健康に良い食べ物と食べたい食べ物が必ずしも一致しないぐらいで、猫の健康だけを考えたら、栄養バランスが適切に考えられた高級キャットフードでも与えるのが良いのかもだけど、じゃあアンタ健康的な粗食ばっかりで脂ぎったご馳走やらジャンクなオヤツやら食わずに幸せな食生活と言えるかね?ッテ話で、健康には気をつけつつ猫が食いたがるものも食べさせてやれば良いジャン、猫もその方が幸せだよきっと、と思うのでセッセとアジだのアユだの釣ってくるのである。
写真はマアジ刺身にしたあとの頭と骨と皮をネコ様用に焼き上げている調理の場面でございます。マアジはまだ人様のおこぼれって感じが出てるけど、アユとか普通に塩味薄めに焼いておいてネコ様用と一緒のを下僕も食べさせていただいております。
次に「猫は室内飼いにしろ」だけど、最初に書いたように都会では室内飼いにせざるを得ない状況もあるんだろうなと、そこは異議を申し立てするつもりもないんだけど、猫って古今東西そうだと思うけど鎖に繋いだり檻に閉じ込めたりはせず、人間の住居と外を自由に出入りする愛玩動物(元はネズミ取り)として愛でられてきた歴史的文化的な背景があるハズで、例えばワシんちのご近所で「お宅の猫が我がウチの干物を狙って困ります」とワシが文句言ったりしたら「何言ってんだこの都会モンは、猫の方が昔っから住んでるんだ文句があるならオメエが出てけ」ってご近所トラブルになりかねん話だと思う。
中には猫の糞害とかに憤慨しているであろうびっしりペットボトル並べたお宅とかも見受けるけど、基本世界中田舎じゃ猫は放し飼いで自由に生きてて、もっというと人間と生きてるのに半分ぐらい野生動物で、そのあたりが特殊で野良犬というのがほぼいなくなった日本ではかなり特殊な性格を持った愛玩動物であり、そのことが前提条件として考慮されていないと、猫は全て室内飼いにすべきなんていうアホな話がでてくるんである。
犬もそうだけど猫は人間との生活に利点なり魅力を感じて、人間と生きることを選んで進化してきたような生き物で、犬が犬種によっては大型であり人間に危害を加えかねないから鎖に繋がれてしまうのは今の日本じゃもうしょうがないと思うけど、猫については何というか鎖で繋がなくても柵に押し込めなくても一緒にいてくれるというある種の信頼関係に近い関係性が魅力の一つだと思うので、猫を外敵から守るために囲う必要がある場合は仕方ないとして、そうでなければ外に出る自由を楽しませてやりたいと思うのが私の意見である。半分野生のしなやかに美しく魅力的な生き物が自分に懐いて一緒に生きていける。なんて素晴らしいことなんだろうと実感している。
でもって、室内飼い派の言うことにゃ、外に出すと早死にするってことと、外に出すと人様に迷惑掛けるって2点が良く出てくる論点で、外に出すと早死に云々はいつもワシ書いてるけど安全健康に管理されて楽しいことも知らずに長生きしたってしょうがないだろって話で、そりゃ外に出れば交通事故やらケンカで怪我やらもあるだろう、でも外の世界には危険があってもソレを補って余りある魅力もあるハズで、そうじゃなきゃ猫も外に出ていかないって話。このへんは健康に長生きすることを至上の命題にしているような家畜的人間の意見とは相容れないだろうから議論はするだけ無駄かもしれん。
野良猫の生存率が低いとか、野生動物だとすりゃ当たり前な話で産まれた仔猫が全部育ってたら猫だらけになって、それをやっちゃったのが”多頭飼育崩壊”ってヤツなんだろう。そういう意味で避妊とか可哀想には思うけど、責任持って生まれた仔猫の面倒なり里親捜しなりをやり切れるのでなければ必要なことかなと思う。現実的な落としどころってあるよねって話。
で、最近は野良猫を保健所連れてって殺処分っていうのは可哀想なので、避妊手術を受けさせて一代だけその地域にいて良いよっていう扱いにする”地域猫”っていう取り組みが増えてきているようだ。川崎でも見かけたけど、近所の漁港の人なつっこい猫も避妊手術済みを示す耳の先端の切り込みが入っていて、ワシも含め釣り人や近所の人が勝手に餌をやって勝手に可愛がっている。現実的な落としどころとして、殺処分よりは受け入れやすいし猫捨てたりする不心得者がいなくなるとも思えないので、実質なし崩し的に地域にみんなで可愛がってる猫がいるっていう、猫好きには悪くない状況になるのかなと期待している。
外に出すと人様に迷惑掛けるってのは、干物やら狙われるのやゴミを荒らされるのは干す場所や網を掛ける工夫とかでなんとかなりそうに思うけど、糞尿の問題が確かにやっかいで、昨今田舎町でも道路は舗装されているし猫が用足して砂掛けるのに適した場所って少ないようで、昔なら庭で糞するような猫がいたら一回ドヤシつけたりすれば他の場所で用を足すようになったんだろうけど、最近じゃ良い砂場は限られていて、公園の砂場とか猫にとってはちょうど良い便所にしか見えないはずである。
臭いとかもあれだけど、猫糞に汚染された砂場からは人畜共通の寄生虫症であるトキソプラズマ感染症っていう妊婦さんがかかるとヤバいやつに罹る危険性もあって、これは昔っから許されてきたから我慢しろって話では当然ない。だからといって今現時点で外にいる猫を一掃しろとかできもしないし、して欲しくもない。
じゃあどうするか?いろんな人がいろんなところで知恵を出しているので私が知り得た事例を二つ紹介しておきたい。
一つは、猫の島として有名な某島で猫が糞するのに適した場所がないから人の家の庭とかでしちゃうんだから、だったら猫が糞するのに適した場所を作ってしまおう、ってなって屋根付きで海砂を敷いた猫トイレを設置、近所の有志で気がついた人が掃除ということで対処しているそうな。まあこの島はネコ様が大事な観光資源でもあることから住民が積極的に対策に参加して一つの解決策を得たというところだろう。
もういっちょは、以前住んでいた川崎のご近所の公園の砂場。さすが川崎市、人も多いんで税収はありまっせナ感じで、砂場に使わないときに掛けるカバーを設置。子供達が遊ぶ時に何故カバーがあるのか、理由を説明すれば公衆衛生の教育的にもよろしいんじゃなかろうかと。
猫との共存に価値を見いだせない猫嫌いの人間からすれば、なぜ畜生のために人間様がこんなに手間やら税金をかけなきゃならんのか?って思うところだろうけど、”共存”ってほとんどこういうことですよと言っておきたい。
猫を外から完全に排除するなんてことは、猫は外に出してあげたいと思う人間もいて、むしろ猫はそういうモノだと長く認識されてきていて、サザエさんちのタマも外猫だっていう文化的背景の中、そもそもそうしようという話がまとまるわけはないし、実際にヤるのも技術的にも難しく、嫌な人もそれでも”共存”せねばならない状況に追い込まれるし、そのために税金やらの負担がかかってくる。お互いに利益がありそうな美しい言葉である”共存”の実態は双方がなんとか我慢できる落としどころを探るってのが多くの場合の現実だと思う。
猫なんて日本じゃ仏教伝来と共に糊だの膠だの使われてる経典がネズミに囓られるのを防ぐために船に乗ってやってきたってぐらいに昔からの付き合いなのに、それでも共存していくには難しい問題を含んでたりするんである。
でも、ワシはネコ様と共存していきたいと思っているので、みんなでいい手を考えて楽しく下僕になりましょう。
3つめ、「野生化した猫が生態系に与える影響は大きく駆除が必要である。」って話は、まあ有名な灯台守の飼ってた猫が絶滅させたスティーブンイワサザイの事例をみても、天敵が少なくて逃げる能力を退化させたような生き物が多い島嶼の生態系等であれば、猫の影響って、飛べない鳥ぐらいは絶滅させかねないから、まあ猫可哀想だけど仕方ないかもとは思う。猫の半分野生である部分が固有の生態系からすれば外来種が侵入したときと同じような影響をおよぼす可能性があるってことで、野生化した猫に限らず外飼いの猫にも多かれ少かれそういう要素はあるはずである。最近そういう研究報告が出てナニを今更って感じたところ。
日本だといま”野猫”を駆除しようって話が出ているのが奄美大島と沖縄本島で、確かに沖縄本島には必要がないから能力省略して飛べなくなったヤンバルクイナとかいるので、在来種への悪影響はあるっちゃあるんだろうけど、でも正直いまさら猫についていうかね?っていう気がする。仏教伝来以来の付き合いだし猫が原因で絶滅するような固有種ならもう既に絶滅してるんじゃないのか?って正直思うけどどうなんだろう。ちょっと微妙な線上のような気がしている。
あからさまにおかしいだろってのか、でました野生生物の保護のためならなんでもする国豪州、野生化した猫が鳥とか食ってるから猫を外に出すのは禁止して、毒餌とかバラ撒いて野猫を駆除しようっていうのがすでに始まってるような報道を目にして、キチガイだなコイツら?とあきれ果てた。
たしかにオーストラリアの固有種って変わってるし、大型の哺乳類の捕食者って少ない印象だけど、それでもタスマニアタイガーとかタスマニアデビルとかがいたし、それらが大陸本土からいなくなったのはより強力な哺乳類の捕食者である人間とそのお供の犬だったディンゴがやってきたからであり、そもそも哺乳類の捕食者が種類少ないってだけで毒蛇、ワニ、オオトカゲ、猛禽と捕食者自体にはことかかず、今更猫ごときが多少食ったところでどうにかなるかよっていうか、オーストラリアにも猫が入ってからさんざん年月経ってるだろって話であからさまに間違ってるとしか思えない。
なんというか生物多様性至上主義っていう宗教の信者って感じで、教義のためには人間の古くからの友人であるはずの猫さえ殺すっていう狂信ッぷりがなんともおっかねェ。
外来種の駆除とか報道で目にする度に、そんなに生物多様性って大事かねって思う(大事だけどネ)、今さら一種二種追加で滅ぼしたところでどうってことねえんじゃないの?それより命を奪うことに何か正当性のあるような理屈つけてごまかして罪の意識もなくやってしまうような行為の方が恐ろしい過ちなんじゃないかという気がしてならない。
生物の多様性の重要さとか無視して突っ走ってきた反動なのかもしれないけど、いきすぎた純血主義的な気色の悪い潔癖さが鼻につく昨今である。もう少し生物のあるいは生態系の柔軟性を受け入れて、良い塩梅の程度の見極めっていうのが必要なんじゃなかろうか。
生物多様性が大事、固有種守りましょうっていうのも分かる。分かるんだけど、じゃあそのために人間やその古くからの友である猫を殺しましょうなんていうのはどう考えてもおかしいと思うヨ。
まあワシャ人間なんて多少死んでも良いぐらいに思ったりもするけど、猫様を殺すなんて恐ろしいことはやってはならねえと思うだ。猫様を殺すと七代たたるだ。
などとここ数年、川崎にいた頃から書こうと思っていた猫についてのよしなしことを、現時点で私はこう考えますっていう内容で、今後「やっぱワシがまちごうてたゴメン」と前言撤回するかもしれないし、異論も反論もあるかと思うし、実際にはその地域毎に異なる状況があって一律には考えられなくてその都度関係各位猫様も含めてどうしていくか落としどころを考えて、状況変わればまた考える性格の問題だと思うけど、なんか驚くような変な方向に世間が進んでいる気もするので、天邪鬼の務めとして、また猫の下僕の務めとして書いてみたところでございます。
読んでいただいた皆様には最後に秘蔵の”猫の鈴カステラ”画像をサービスしちゃいます。
いやン恥ずかしいッ!(byコバン)
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