「黒水仙」「暗烏」「おろろ」「陰鉤」「黒竜」「赤お染」「夕映」「陰水仙」架空の名前も混ざっているけど、それぞれ伝統的な鮎毛鉤のあるいは毛鉤釣りの手法の名前である。
これらを各章の題名とした小説が、夢枕獏先生の「鮎師」である。
学生時代先輩に面白いから読んだ方が良いと薦められて「オレ鮎とか釣らんからイマイチ興味ないっス」とか答えたんだけど「鮎釣るかどうか関係なしにナマジぐらいの釣りキチガイなら多分身につまされて胸にくる部分があると思うぞ」とか言われて、なんのこっちゃ?と思いながらも読んでみたら、先輩の言ったとおりだった。
ヤマメとかでもたまに知られているけど、ホルモンの異常とかで産卵に参加せず本来の寿命を越えても生き残り成長し続けたらしい60センチを越えるような巨鮎を狙う、鮎で身を滅ぼしつつある初老の釣り師の狂気じみた執念と、その狂気にあてられて深みにはまっていく主人公の心の有り様が、まさにこれぞ頭のおかしくなっちゃってる釣り人の典型という感じで、当時自分はまだ主人公側のつもりで共感していたけど、病み上がりの体でクソ暑くてしんどいなか鮎に向かってひたすら情熱を燃やしている今の自分は、既に鮎しかなくなった男である「黒淵」の方により近づいてしまっているのかも知れない。
主人公が仕事もほっぽり出して鬼気迫る表情で川に通うのを見て妻は「鮎釣りに行くのに、少しも楽しそうに見えない」と夫の釣り友達に不安を漏らしているが、自分の限界に迫るようなギリギリの釣りをしているときには、外から見たら確かに苦しそうにしか見えないだろう。だって実際苦しいんだから。それは釣れなくてしんどいという肉体的直接的な苦痛もあれば、釣りにおける「壁」を越えられないとかいう精神的なものから、はてはオレはナニを釣るべきかどう釣るべきかなんていう哲学的な苦しさも時にあったりなかったりする。
釣りで苦しむのなんてバカにしか見えないかもしれないし、楽しく釣ることはもちろん嫌いじゃないけど、どうしても私のような釣り人は昨日釣れなかった魚を今日釣りたいとかいう健全な向上心それ以上に、人よりも釣りたいとか、大きいのが釣りたいとか、誰もやってないような方法でオレだけいい目を見たいとか、ドロドロに邪な欲望が心にベットリと染みついていて、それがために、楽しく手堅く釣っとけば良いものを、底のない沼のようなややこしい釣りの世界に足を突っ込んでしまい抜けなくなるのである。
鮎の毛鉤を巻いたりしていると、どうしても「鮎師」のいろんな場面が頭に思い出されて、読みたくて仕方がなくなり幸い「自炊」済みで検索一発でパソコンのホルダーから引っ張り出せる我が読書体制になっているので何度目の再読かわからんけど読んでみた。
鮎毛鉤釣りしてなくても抜群に面白い「釣り小説」だったけど、鮎毛鉤釣りに手を出した今読むと、もうどうしようもなく面白くてまいる。
漠先生、各種映像とかから釣りの技術が特別上手いという釣り人じゃないと失礼ながら思っているけど、釣り人の業というモノを、釣りというモノの持つ魔性の魅力を知っていて、これほどまでに書ける作家というのは他に類を見ないと思う。井伏鱒二先生やら開高先生よりその点では上だと思う。両文豪の書く釣りはもっと健全で恬淡で釣り人独特のドロドロッちさを描くときももっと軽みがある気がする。漠先生その辺容赦なく大げさなぐらいに重く書く。でもその大げさなぐらいに表現された心情が、我々頭おかしい系の釣り人の心の、ある面を正確におためごかしやごまかしなくとらえていると思う。
読んでて思い出したけど、このお話の鍵になる釣法である「陰鉤」というのがあって、これが本当にあった技術なのか、漠先生の創作なのか分からんけど、いかにもありそうな裏技的な鮎の釣り方で「ベラ」の皮を使った毛鉤?に触れるぐらいに接近する鮎を下の捻り針で掛けるという方法なんだけど、学生時代読んで早速、多分ベラってキュウセンだろうと思われる表現があったのでキュウセンの皮を干して細く切ってボディーにしたフライを巻いた記憶がある。
4半世紀たって鮎毛鉤釣りを始めるにあたって「黒水仙」もどきの「黒韮」とか巻いてるあたり、ホントに進歩がないというか、ナニも変わっていない自分のバカさ加減を頼もしく思う。気になったら試してみる。釣りにおいてそれ以外に答えを知る方法をいまだ得ず。
でも4半世紀たって鮎毛鉤釣りを始めたあとだからこそ楽しめた部分も今回の再読ではあった。
主人公が、黒淵に仁義を切って彼が狙っている大鮎を狙うとなった時に、まず得意のチンチン釣りで並べた毛鉤が「青ライオン元孔雀」「赤お染」「暗烏」「八ッ橋荒巻」なんてのを読んで、それがどんな毛鉤か頭に浮かぶとともに、やっぱりその辺りの毛鉤が定番でありつつ必殺なんだろうなとか初心者がいっちょ前に思った。
播州釣針協同組合のウェブサイトの「播州毛鉤ギャラリー」にも、「青ライオン」「お染二字」「八ッ橋荒巻赤底」「清水」「新魁荒巻」が代表的な鮎毛鉤例として表示される。
そういうの見てると、やっぱり巻きたくなってくるジャン。巻きたくなったら巻けばいいジャン。ということで、今使っている和洋折衷のナマジ謹製鮎毛鉤でも鮎釣れるっちゃ釣れるんだけど、巻いてみた。
まずはスタンダードフライの代表選手がロイヤルコーチマンだとすれば、鮎毛鉤の代表選手は「青ライオン」だろうということで、「青ライオン」とその派生である「青ライオン元孔雀」を巻いたのが、左の写真。写真の撮影技術が拙くて色とかわかりにくい写真になっているうえにそもそも上手く色変えて巻けてないけどご容赦を。青ライオンってなんでそんな名前なんだろうなと最初命名の規則性が分からなかったけど、赤ライオンとかと比べていくとナニが「青」なのか分かってくる。赤い角の下の針のフトコロに掛けて緑のスレッドが巻いてあるんだけど、コレが青ライオンの「青」である。古い言葉では青は今の緑のことだというのはどっかに以前書いたとおり。ついでに「赤」も今より範囲が広い感じで「赤」と名前が付く毛鉤に使われている色が橙色(オレンジ)ということが結構あるので、「赤い鉤が今日はアタッてる」とかいう情報の「赤」が鳩の血のような赤なのか明るいカルフォルニアでもいだオレンジの色なのかは気をつけておかないといけないように思う。
ついでに鮎毛鉤の構成を説明しておくと、針のフトコロの所に巻いてあるのが「先巻き」、尻尾のように突き出している「角」、胴の「主巻き」、金や二の字を入れる「帯」、チモト近くの「元巻き」、ハックルにあたる「蓑毛」、そして「金玉」となり、角は「赤角」が多くたまに「黄角」、それに蓑毛、金玉が鮎毛鉤の標準装備で、その他の、「巻き」と「帯」のあたりの構成で名前が決まってくるようなのである。
青ライオンだと、「先巻き」が緑(青と呼ぶ)、角が赤、主巻きが明るい茶色からオレンジぐらいまで職人さんによって色々で、帯に金を真ん中に入れた黒の二の字がはいって、元巻きが毛足長めで主巻きと同じ色なら基本の「青ライオン」、孔雀なら「青ライオン元孔雀」、黒なら「青ライオン元黒」という名前になる。そんなにド派手な鉤でもなく、茶系に金が入った適度に地味派手な塩梅が良いんだろうか。
青ライオンは基本的な鮎毛鉤の構成要素がみんな入っていて巻く練習には良いんだけど、正直、帯に金入りの二の字とかめんどくさくて仕方ないというか、18番のフライフックに私の技量じゃそもそも巻けない。じゃあ写真のはどうやって巻いたんだ?というと、本来主巻きが終わったら黒い二の字用の毛を新たに巻くんだろうけど、主巻きと二の字は一つながりの毛を使って、二の字のところに来たらマジックで黒く塗ったのである。それだけ手を抜いても結構素人には手に余る。
ということで、もっと巻きやすい毛鉤はないかといろんな種類の毛鉤をみたりしていると、荒巻という技法を使った毛鉤は帯に面倒な色換えが入らないのも多く、それでいて「底」に派手な色を持ってくると良く目立つ感じになって、かつ、いかにも鮎毛鉤っぽい仕上がりになる。
代表的なのはこの「お染」。先巻きオレンジ、赤角、本来は主巻きはハリの地金に紫っぽい茶色を荒巻きして、帯は特になしで元巻きは荒巻きしていた毛をそのまま密巻き。今回黒いフライフックで巻いているので、荒巻きしている下に金のティンセルを巻いたので正しくは「金お染」なのかもしれない。
もいっちょ、荒巻系で「八ッ橋赤底荒巻」も、お染と同程度の単純な構成で巻くのが楽。
先巻きが空色で荒巻と元巻きが黒というのが八ッ橋なのかなという今のところの理解。なので、下の毛鉤は名前を付けるなら「黄角八ッ橋銀底荒巻」となるだろうか。荒巻系は、主巻きの底と荒巻の色の組み合わせ次第でいろんな印象の毛鉤が作れると思う。
例えば、以前作った「幻影底烏荒巻」は八ッ橋の派生「先黒黒角八ッ橋幻影底荒巻」とも言えるのかも?
他に巻きやすそうで釣れそうなのが、先巻きの代わりに金玉がついていて、黒い主巻きに帯に二の字という「熊」系統がある。黒に縞模様という単純だけど虫っぽい配色はやっぱり効くのか、赤熊、白熊、茶熊、金熊あたりは定番のようだ。
二の字巻くの結構難しいんだけど、二の字の部分だけ二色束ねて巻くというなんちゃって二の字で結構それらしく巻けるので、練習がてらいくつか巻いてみた。上は「黄角金熊」で下の緑の二の字のは命名法通りなら「青熊」のはずなんだけど、何故か特別に「清水」と呼ばれている。このへんの名前の由来とか調べるとまた面白いかも。ちなみに金玉作る技術を持っていないので金のティンセル先巻きで許して欲しい。
もいっちょ、「三光」系も巻く色自体は単一なので巻きやすそうだなと巻いてみた。頭の金玉と、帯のところ、先巻きのところに金玉か金巻きが入る。写真はどちらも「青三光」で、七面鳥とガチョウの羽の違いをちょっとみてみた。ガチョウの方が毛足が長い。途中に入れる金玉をビーズにしてみたら割と簡単で良い感じ。ビーズいろんな色に変えても良いかもしれない。重さも変えられる。
調子にのって、色目の多い「新魁荒巻」に挑戦。底巻きが金の上に逆巻きの赤糸、その上に黒と緑の毛を荒巻から元巻きへという感じで、簑毛にも薄茶に緑のを追加という手間が多い毛鉤なんだけど、技術的にはそれほど難しくはない。難しいのは短い間で色を、つまりは毛を換えて巻かなければならない二の字とかで、色たくさん使ってても針の長さいっぱい重ねて巻いて良いなら時間はかかっても難しくはないと実感した。
これぐらい、基礎的な技法を憶えたら、フライタイイングの知識と合わせてかなりいろんな毛鉤が巻けると思い楽しくなってくる。
気づけば、100本入りで頼もしく思っていたマルトのフックもそろそろ底が見え始めた。
100本なんて1日5本巻いてるだけで20日で使い切るしたいした本数じゃない。
そう思うと、マルトのフックの安さはとてもありがたいモノだと実感する。
アユ釣ってるぶんには刺さりも強度も何の問題もなく実に実用的なフックで、すでに追加発注かけた。色変えて巻くのには軸が長い方が向いていると思うのでロングシャンクのタイプも試しにと注文した。
今年は年頭に「釣りと猫のことだけ考える」と誓ったが、猫はボチボチとしても、釣りの方は本当にそればっかり考えている感じで、そうすれば自ずと健康面やらも上向いてくるはずと考えていたが、ここまで釣りのことばかり考えていて良いのか?体調よりも釣り優先させ気味だったりもして、釣りのことで身を滅ぼしてしまうような気がしてきてちょっと怖い。
まあ、仕事も家族も友人も、健康も金も信頼も誇りも失って、ただの釣りしか持たない痩せた猫になったとしても、それはそれで本望かなと思わなくもない今日この頃である。
釣りさえちゃんとできていれば、なんだってかまわないサ。オレたちゃそういう人種だろ?
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