都会のコイが好きになれない。
魚に貴賤はないと思うのだが、正直どうにも駄目だ。
宿舎の前の三面護岸の川にも沢山泳いでいるのだが、見ていてあまりに野生を失いすぎているように感じる。堕落してやがる。
まずは、天敵への警戒心が薄い。
近所の三面護岸の川は水深が50センチあるかないかぐらいで、浅いと20センチぐらいしかないのに、そこをコイたちは背びれを出して泳いでいる。カワウソはもう日本にいないにしてもミンクのような魚食いの獣やミサゴのような猛禽に狙われたら、たやすく捕らわれてしまうような浅くて逃げ込む深場も障害物もない水域を平気で泳いでいる。
ミサゴは多摩川あたりにはいるそうなので、そのうち簡単に餌が手に入る狩り場としてこちらにも出張してくるかもしれない。そうなったら狩り放題でミサゴウハウハである。都会のコイは野生生物としての臆病さと慎重さを欠いていると思う。
そして、人間がくれる餌を喜んで食べる。
「釣りキチ三平」で「鯉釣りは1日1寸」といっていて、毎日撒き餌をして尺物を釣ろうと思えば10日も撒き餌して警戒心を解く必要があるということだったと思うが、都会のコイは、撒き餌する前から近所の人に餌もらって学習しているのか、橋の上からのぞき込んだりするとパクパク口を開けて寄ってきたりする。あまつさえ毛針で狙うときなどフライラインが水面をたたくと、餌が投げ込まれた音と勘違いしてかワラワラと寄ってくる。釣る前に水面をたたいて魚を寄せるなんてのは、私の知る限りアマゾンのピラニア釣りと欧州のヨーロッパオオナマズ釣りと、瀬戸内海の鯛釣りの漁法と・・・意外とある。意外とあるけど鯉釣りは違うんである。断じてそうじゃなくて鯉釣りは静謐の釣りのはずである。そして玄人好みのする難しい釣りだったはずである。あんまり簡単に人の投げた餌を食うなよと。たとえそれにハリがついていようがいまいがである。
まあ食う方も食う方だが、餌を与える方も与える方である。クマはじめ野生生物に餌を与えるのはよろしくないというのが、今時の常識というモノではないだろうか。
例外的に慣習的に野生生物に餌やりが行われているのは鳥相手ぐらいというのが私の感覚なのだが、どんなもんだろう。最近は「餌やり禁止」的な方向なのか?
鳥の場合、もともと田んぼで落ち穂を拾っていた鳥に越冬用の餌を与えている公園だとか、個人の庭で飛んでくる野鳥に餌台を設けて餌を与えるというのがあると思うけど、鳥の生活は元々鳥自体が空を飛んで人間の生活圏に入ってこれる生き物なので、人間の活動と切り離せない縁の深い性質があるように思っている。餌台を庭に設けるのと庭に実のなる木を植えるのと、あまり変わりがないように感じるし、それは自然な気がする。
それに引き替え、自然の川の魚に庭の池の魚にするように餌を与えるのは、とてもいびつに感じる。川を泳ぐ魚は自分の力で生きるべきだと強く感じる。
とはいえ、日本の川では、アユとヤマメを中心に、自力で生き延びるよりも多く釣られてしまうので、人間の手で「増殖」しているという現実もある。自然の河川の釣り堀化のようなことが現実としてある。そんな中で餌をやることだけを非難することは意味がないのかもしれない。
先日も、祭りの余興で川に金魚を放流するというのが生態系への影響から問題であるとされて魚類学者が非難のコメントを出していたが、既に30年来続けてきた行事らしくもあり、また河川の状況が前述のように「釣堀化」している中でいまさら感が強かった。
にもかかわらず、今ここにこうして、都会のコイを問題視するようなことを書いているのは、こと都会の川に限っては「釣堀化」と逆の自然が戻ってくるという状況にあり、その状況下で、いい加減川がコイだらけという現実がおかしいと感じているからである。
一度入れてしまうとコイは数十年生きる長寿の魚なので、なかなかコイ中心の状況を覆せない。でもそろそろコイはやめて、自然に増えるための産卵場所の造成などを中心に、海から上がってくるマルタやアユ、河川で増えるオイカワやフナを中心にした都会の川を目指すんです!という意識の芽生えやそのための実践が重要になってきていると思うので書いたのである。
そういう中で自然に増えた分のコイについては文句をいうつもりは全くない。それが、今の大陸産由来のコイの子孫であっても、自らの力で増殖し、生態的地位を得たならば、小うるさい学者のように、もともといた魚と遺伝的な差異があるとか何とかいうつもりもない。
一度壊れた自然が戻ってきて、それにふさわしい生物群集が自然の競争の中で形づくられたならば、元々がどうとか遺伝的にどうとか、それ以上を求める必要などあるのか、いつも小うるさい学者の説を目にするたびに強い違和感を覚える。
きっと、そういう自然な競争の中で育ったなら、都会のコイも相応に野性的に育って、釣るのも困難を伴い、それ故に楽しくなるはずである。
そうなるまでは、都会のコイに簡単に餌に食いつくと痛い目に会うということを教育するために、たまに釣っていじめてやろうと思うのであった。
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