昨年、クリスマス島遠征から帰ってきて、私は、「これからも愚者の南十字星を目指して、あさっての方向におもいっきり突っ込んでいきたい。」と、高らかに今後も道に迷う決意をうたい、車にカーナビを搭載せず、スマホなど持たず道案内アプリも利用せず、日々コンクリートジャングルで、あるいは人生において道に迷いながら進んでいる。
しかし、今時の位置情報関連の技術ってなにげにすざまじい。
仕事関係でちょっとGPS(グローバル・ポジショニング・システム)とか海図とかについて調べることがあったんだけど、まあGPSっていまどき、みんなそれこそ手に持って道案内アプリ利用するときに携帯端末で自分の位置が分かるのがまさにGPSのおかげだけど、もともとが軍事用の衛星からの信号を利用した位置特定のためのツールで、衛星は数が多くてほぼ地球上をカバー、衛星からはその衛星の位置情報が時間情報と共に送られてきて、地上で使う端末のほうで3つの衛星の信号を拾えば位置が4つ拾えば高度も算出できるという理屈。
驚くのが、GPS衛星に積まれている時計が毎秒100億分の4.45秒ほど少し遅く進む時計だということ。
なんで、遅く進む時計にする必要が生じるのか?
人は相対性理論を勉強すると、おそらく多くの人が「そんな難しいこと日常生活には関係無いやんけ、生きてくにはニュートン力学ぐらい知ってたらええねン」と自分の理解が至らぬことを棚に上げて自己を正当化するものだと思いたいが、まさにその相対性理論ででてくる「速く進む物体の中では時間が遅く進む」いわゆるウラシマ効果とか「重力が時間の進みを遅らせる」とかオレには理解不能な物理現象を理解して補正してやらないと、今時のGPSの誤差数mの精度は得られないようなのである。もう、相対性理論を身近なところで実際に役立てている未来の世界が今この時なのである。
海図の方も、今では世界共通の「世界測地系」の電子海図なんてのが標準になりつつあるけど、世界測地系は人工衛星レーザーとかGPSとかでのセンチメートル単位の観測で得た情報で地球を回転する楕円として仮想しているらしいんだけど、明治のころ三角測量とかで基準を測定して構築した日本測地系が世界測地系に比べて誤差が多い理由が、技術的な誤差ではなくて(日本の技術者は今も昔も精確で良い仕事する)、地上の重力は一定ではなく標高や含まれている鉱物により変化するから、測量自体の精度は高かったけど分銅が富士山のある方に引っ張られたとかなんとかいう話もでてきて、重力ってそういうモンだっけとググってみたが、重力が緯度や標高、地形や内部構造によって地球上でも違うというのはそのとおりのようだが、そもそも重力ってなんぞ?という理屈が、最終的には「なんで重力があるのかわかんないけど、すべてのモノには質力に応じた重力があって地球ぐらいデカイとそれを感じることができるぐらいの大きな力になる。」ということらしいのだが、結局最後のところはわからんのかよ?という感じである。
万有引力の存在自体はニュートン力学でもでてくるけど、じゃあその元になった重力ってなんなのよという話にになってくると、相対性理論でもHOWは分かってもWHYはわからんということのようである。人間もまだまだやな、とおもわされるところ。
でもまあ、技術はドンドン進歩していて、GPSなんてのはぶっちゃけアメリカの軍事衛星の利用を前提にしているから、中国なんかは危機感を持って独自の中華GPS構想をぶち上げたというニュースも聞いた。日本でもJAXAが「準天頂衛星システム」とかいうのに着手していて、これにより地図上の位置はもちろん高さも含めた3次元の位置情報がセンチメートル単位の精度で利用できるようになるそうである。インフラとして整備して後、これから何ができるか興味深いところだが、理屈からいって最近よく見る無人の小型ヘリに自動操縦で荷物を運ばせて、指定したポストの口に突っ込ませるなんていうこともできるのではないだろうか。まあ、コストと確実性とかのハードルがいろいろあると思うけど、「高精度の3D地図」という基盤をもとにどんなことができるのか、「アッ」と驚かされるようなアイデアに期待したい。
私は道に迷いたいと思っている。間違って行き着いた先でしょうがなく竿を出したら秘密のポイントの発見だったというような経験があるから、方向音痴な道に迷いやすい人間にもかかわらず、カーナビは自分の車に乗せる気がしない。わざと道に迷うのではなく、迷わないようにしていたにもかかわらず迷ってしまったというのが重要な気がしている。わざと迷うことを狙うとそこに自分の意志が介在して全くの不作為ではなくなってしまうような気がしている。偶然という要素が重要なのだと思っている。
でも私のささやかな抵抗もいつまで続けられるだろうか、カーナビの便利さには正直心惹かれるモノがあるし、今時はイスラエル軍が携帯電話の所有者が位置情報発信するモードにしていようがなかろうが、場所を特定する方法を開発したとか聞くと、人の身体に位置情報を発信する端末が埋め込まれて管理される嫌な未来に後一歩というような気配もしてきている。
道を歩いていてそういうインプラント型の端末から脳に直接「あなたは道を間違えています、正しいルートに戻って下さい」とかグチャグチャ言われたら、ぶち切れて自分の皮膚に刃物を突き立ててて端末ほじくり出すか、スタンガンとかぶちかまして故障させるかしてしまいそうだ。
自分の行きたい道を行きたいし、ときには道に迷いたい。
春のシーバス釣り、思いっきり迷っている状態なのも、悪くないことだと思いたい。この迷い道を抜けると素晴らしい場所にたどり着けると信じて、っていうかそうでも思わんとやっとれンのですワ。
悔しいッ!
当方今Google帝国の従順な構成員してます。GPS使いあちこち車で走ってポイント
返信削除歩いてゲームするという・・・。Googleの無料ゲーム「イングレス」をダウンロードして
からというもの、現実の風景と座標の風景とが交錯して見えてきました。
このゲームあぶね~。爆
というのも高校の時、山岳部で登山してて「読図」というカテゴリーがありました。
インターハイとか目指す競技としての登山の採点は100点満点で、そのうち
10点くらいの配点で、一日かけて歩くコースと10か所くらいの休憩ポイントを
1/25000地図に赤鉛筆で印入れます。5mm内の誤差は許容。あとは不正解
です。今だとスマホ持ってれば楽勝ですね。わたしゃ天気図と読図満点とる
の目標にしてましたから、スマホでポチッと正確な位置出せる時代がくるなん
て・・・。スーパーレトロの技術になりましたね。読図とか。。。
ハヤカワの
「近未来小説」 のオビがな・つ・か・しーーー。。笑 Kazu
Kazuさん こんばんは
返信削除便利な道具が、便利であるが故にそれが使えなくなると非常に困るというのは、パソコン使って仕事していると常々感じるところで、「便利な道具なんぞ無くてもオレはやっていける」という技術は持っていたいと思うのですが、グとかマとかで始まる帝国の前では、一個人のささやかな抵抗など無意味なのかもしれません。
今さら人は、星をたよりに航海する時代には戻れないのだと理解していますが、せめて遊びの世界ぐらいは不便な技術を楽しみたいと思うのです。
こんばんは。
返信削除私も車にカーナビは積まない派です。指示された道とは違う方ばっかり選び続けてそのうちカーナビにブチ切れられてしまいそうだから。旅先で迷うのも旅の楽しみの一つですもんね。
といいながら地図は大好きだったりしますけど。
Kazuさん、こんばんは。
今は拡張型心筋症で登ることはできませんが、私も高校の頃は山岳部で、氷ノ山やら摩耶山で競技してました。補欠でしたけど^^
審査員が茂みの中に隠れて歩き方を見ていたりとか、何とも変わった競技でしたね。
あと、地図と言えば事前準備で地図の登山道に糸を這わせてコースの概念図(断面図)とか作りましたよね。
いやあ、懐かしいなあ。
風雲児さんこんばんは。「概念図」・・・・爆笑です。思い出しました。
削除ついでに
頑張って練習した天気図で「ノッポでは地吹雪・・・」ってレアな天気記号
出てアウト!
コース終盤、雪渓をプチボブスレーで楽しんだのこっそり見られて大減点
くらってアウトーー!
とか、記憶つながりました。
氷ノ山、今はナメコ探しにオフ車で林道登ってます。まだ、一回も採れて
ませんが、ナビも見てもナメコの場所と時期までは表示できません。笑
kazu@岡山
風雲児さんも反カーナビの同志でしたか。
返信削除普通、カーナビ積まない人間は地図見るのが得意なことが多いのですが、私は地図を読むこと自体はできるのですが、地図から目をはなしたときに頭の中に地図をうまくイメージできないタイプで、歩きで地図を見ながらなら目的地にたどり着けますが、一旦地図を置いて運転する必要がある車だとメチャクチャ迷います。短期の記憶力が弱いということかもしれません。
頭の中で人がどうやってものを考えているかというのは、チョット面白いネタなので今週末のネタにしようと思います。
私もカーナビ着けてません。ガーミンのハンディGPS受信機は持ち歩いています。車で移動するとき、事前に地図を調べて目的地付近までは難なく行けるのですが、目標の建物周辺を行きつ戻りつなかなか辿り着かないという特異技があります。
返信削除carankeさん おはようございます
返信削除ここにもお仲間が。
そういえば、助手席とかナビゲーターシートという呼称も、今の若い人にはピンとこないかもしれませんね。
私は若い頃、先輩の車のナビシートで釣り場まで爆睡しててよく怒られてました。