2014年7月27日日曜日

黒く塗れ

暑い、暑いといっても涼しくなるわけじゃないとよくいわれるが、それでもこの暑さには文句の一つも言いたくなる。

 昨日は日中クソ暑い中テナガ釣りにいったが、3時間ほどでグッタリするぐらいに疲れた。今日はちょっと買い物に出かけた以外は部屋でウダウダしている。

 マコちゃんから、遠征の報告のメールが来ていて、昨年辛酸をなめたフロリダターポン見事リベンジ成功して巨体を浅瀬で抱いている写真が添付されていた。我がことのように嬉しい。

 まあ、我がことといえば、遅めの夏休み、9月にクリスマス島遠征が控えているので、そちらでキッチリ結果を出さねばなるまいという気がしてきた。オレも負けてはおれんぞと気合いも入る。

 ボチボチと日程表、持ち物チェックリストなどを作って準備を始めているが、道具的にはもう買うモノはほとんど無くて、昨年のフロリダで履いてたデッキシューズが靴擦れ起こしたので、ボート用の靴を買うのと、100LBのショックリーダーと大型ルアー用のスプリットリングが切れていたので買い足すぐらいである。

 ルアーについては、準備はルアーを買うのではなく、大量にあるルアーの中からどれを持っていくか選択することという状況になっている。ルアーは生産されて店頭にあるときに買っておかないと入手できないこともあるので、例えばサーフェスブルGTあらため「ブルポッパー」なんかはサーフェスブル10個以上持ってるのに思わずブルポッパーも新色買っちゃってるので全部は持って行けない数になっちゃってるし、フィッシャーマンのロングペンとかよく売れたヒット商品なので中古屋で目にする機会も多く、これまた全部は持って行けないぐらいの数が「蔵」にある。
 まあ、あれこれ悩んでルアーを入れたり出したりというのがタマラン楽しい時間だというのはご理解いただけるだろうか。

 ロウニンアジ用のルアーで一番好きなカラーは黒である。スレたポイントでは黒が効くという説もまことしやかに書かれていたりするが、色は正直そんなにこだわっていない。2番目青系、3番目黄色系ぐらいで、適当にローテーションして投げているが、ぶっちゃけ釣れるときは何色でもつれる気もする。あんまり凝ったカラーリングはルアーの値段が高くなるだけでそれほど釣果に影響してないようにも思っている。光をよく反射するのでクロームカラーやアルミ貼りには意味があるとは思うが、でも鱗まで描いてあってもそれを魚がいちいち確認しているとも思えない。

 黒が好きなのは、ブラックマジック的な漆黒の闇的な中二病的な格好良さが好きなのである。
 
 黒いルアーの一部を並べてみたが、なかなかにやってくれそうな雰囲気醸し出している。
 黒くて長いロングペンが断トツの私的「これで釣りたい」ルアーである。竿先で弾くような高速連続ポッピングとか疲れる動かし方でしか釣ったことないけれど、長いボディーでバシャーっと水を切らせる感じで、竿をあおってユルユル巻いてまたあおるオッサンポッピングでも充分以上にいけるんじゃないだろうかと思っている。
 30センチを超える長いペンシルポッパーなんてロウニンアジ釣り以外ではまず使わない。ロウニンアジに向かって投げるためにあるルアーとしての本懐をとげさせたいものである。

 ノットの強度チェックも今回電車FGノットメインでいこうと考えているので再度やっておきたいし、キャスト練習や筋トレも暇を見てやっておかねばである。

 良い塩梅に盛り上がってきたが、まあとりあえずは暑くてバテてるので体調管理をしっかりとという感じである。

 忘れられない夏にしたい。

2014年7月24日木曜日

霹靂

 窓の外の景色が、一瞬真っ白になって、ほぼ同時にもの凄い音というか衝撃が胸に響くように襲ってきて空気が衝撃波で震えた。バチバチバチーッというような音が後に続き窓の外でナニかがスパークしている。
 たぶんとなりの棟の避雷針に雷が落ちた。人生で一番近距離に落ちた雷。

 雷が電撃の枝を飛ばしたのが誤作動させたのか、衝撃波の振動を拾ったのか、駐車スペースの車の防犯ブザーがしばらく鳴り響いた。

 ちょうど雨がやんでいるときに帰ってきて飯食ってるときだったが、帰り道で近距離であんなの落ちてたらちょっとチビッたかもしれない。

 今時珍しくもなくなった都会のゲリラ豪雨いついては、ネットでも結構短時間の予報が出ていて帰りの時間帯は上手く豪雨を避けることができた。

 なかなか恐ろしくも、ちょっと美しく神秘的でもある夜の落雷だった。

 直撃したら余裕で死ねるというのが感覚的にも理解できた。くわばらくわばら。

2014年7月19日土曜日

夏の夜の羽音

先週はヒグラシという、夏らしい虫の音をピックアップしたが、ヒグラシのカナカナと聞きなされる鳴き声が主に「もののあわれ」に関わるような好意的にとられる虫の音なら、その対極の嫌な虫の音としては、蚊の羽音がダントツの存在ではないだろうか。

 夏の夜、ただでさえ暑苦しいのに、呼気の二酸化炭素に引かれてやってくるらしいが、顔の周りをウロチョロと飛び回って、たたきつぶそうと灯りを点けるとどこかに隠れてしまい、灯りを消して寝入ろうとすると、タイミングを計ったかのように耳元でまた「プーン」と音がする。心の底からブチ殺したくなる存在で実際見つければパンと叩いてブチ殺すのであるが、まあむかつく存在である。

 なぜ、蚊はあんなに嫌な羽音をたて、なぜあんなに痒くなる刺し方をするのか、もっとおとなしく静かに飛んできて痒くならなかったら、血の一滴やそこらくれてやっても良いのにと思うかもしれない。
 逆である。蚊が「やばい存在」だから、蚊の羽音を人間は警戒し、刺されたときに反応して痒くなるように体の仕組みをつくってきたのである。
 蚊の何がやばいって病気の媒介である。これに尽きる。日本脳炎なんてのはワクチンのおかげでほぼ日本では根絶されているが、まだ世界には流行地がある。蚊の媒介する病気の横綱はなんといってもマラリアで、デング熱が古参の大関、西ナイルウィルスが新進の大関というところか。

 そのマラリア(マラリア原虫)を媒介するハマダラカを駆除する画期的な方法が開発された、と英国ロンドン大の研究チームが発表した。ネットニュースで紹介されていたので読んだ人も多かったのではなかろうか。
 遺伝子操作でメスの蚊が生まれてくるのに必要なX染色体が正常に働かなくなる遺伝子を組み込んだオスを使うという方法。メスが生まれなくなる遺伝子を持ったオスが世代交代を経て増えてオスばっかりになって絶滅するという、技術の概要だけちょっと読むと、ナニがそんなに画期的なのか、これまでの例えば南西諸島のウリミバエを根絶させた、不妊個体をバラまく作戦とナニが違うのか、イマイチすごさがわからなかったが、紙に実際に♂♀マークを書いてみて、自然環境に少数バラまいた時を想定してどうなるか考えてみると、鳥肌が立つぐらいによくできた「駆除方法」だと理解できた。

 この駆除方法の肝は、致死的な遺伝子の利用や「不妊」といった直接的にその次の世代を殺す方法ではなく、オスが増えるという、駆除のための因子が自ら増える方向に一旦進行するところにある。
 オスばかりになって繁殖できなくなるというのが何世代後になるかは環境によっても違うんだろうが、真綿で首を絞めるような「悪魔の遺伝子」を自然界でも増やしながら「駆除」が進行していき、その進行を止める方向に働くブレーキであるはずの「淘汰」が「子供にオスが増える」という要素が必ずしも繁殖に不利な要素でないことから、どうもかからなさそうなところが悪魔的だと思う。
 1匹自然界に放り込んだら、そのオスと交尾したメスが産むのはほとんどオス、オスだからといって生存に不利な点はなく、普通に育ったとして2匹の親からは2匹が育つとして、2世代目に「悪魔の子」は2匹でどちらもオス、次の世代では4匹、次の世代は8匹というのをやっていくと、将棋のマス目の数だけ倍々ゲームで米粒をもらったら81マス行く前に蔵が空っぽになった昔話のように、世代を繰り返すと等比数列的に途中から爆発的に数を増やし、「悪魔の子」が「普通の子」と同数ぐらいになったあたりで、完全に個体数が減る方向から逃れられなくなり、メスがいなくなりジ・エンド。

 ウリミバエの根絶に使った不妊個体の生産なんてのは、一人一殺方式で天然個体と同数ばらまくぐらいの勢いで大量生産していて、はっきり言って先進国で金持ちの日本で、かつ島という閉鎖環境だからできた技術で、マラリアの流行しているような、医療も不十分な国でまねできるわけがない。そういう国ではDDTとか先進国では使用禁止になった殺虫剤について、虫が媒介する伝染病被害の方が残留する殺虫剤による影響よりはるかに大きいので、DDT使おうゼという動きが実際あると聞く。
 そういう地域でも、研究機関からハマダラカの「悪魔の子」を間違いなく増えてくれる程度の数買ってきて撒くのなら十分可能だろう。

 素晴らしい技術ジャンよ、ほかの害虫にもジャンジャン応用すればいいジャン、という賞賛の声もネットニュースでは紹介されていたが、反対意見も多数紹介されていた。代表的なのは、生態系への悪影響を懸念するもの、自然界では実験室のようにいかないのではという懐疑、人工的につくり出した遺伝子を自然環境へ放つことの危うさ、の3つ。

 まず最初の生態系への悪影響だが、「蚊は生態系の低次の生物で他の生き物の餌となっていたりするので生態系への大きな影響がある、蚊にだって役割があるはず。」「蚊が媒体しているマラリアがほかの動物の個体数に関係しているかもしれない、そういう動物の数が増えてしまうかも。」とかいう一見もっともな耳障りのよい意見だが、往々にして科学の進展を妨げるのはこういう耳障りのよい無責任な意見である。まず蚊の1種が絶滅したぐらいは、すぐに別の種の蚊が同じようなニッチを埋めて大きな影響は出ないだろう。そういう柔軟性が生物の多様性というものの性質の一面である、後者はマラリアと関係する動物ピンポイントでもう少し影響は出てもおかしくないが、マラリアで人死にが出るのが防げるなら我慢するべきレベルでおさまると思う。

 2つめの実験室での研究どおりにいかないのではないかという話だが、たいした費用もかからないだろうから「やる」という方針が出せるのなら、実地でやってみればいい。自然や生物はうまくできているので、絶滅するような方向に進み始めたらそうならないように上手く適応するので失敗するだろうという意見も紹介されていたが、子供がオスばかりというのは個体としては生存や子孫を残すのに不利ではない、個体としては不利にならないでコピーである子孫を残しまくるのに種としては絶滅に向かわせるという「悪魔の遺伝子」を防ぐ手立てが生物にあるのか?なさそうに思うが、あるとすれば正常な固体が周りから補充される状況とかか?

 3番目のそういう「悪魔の遺伝子」を自然界に解き放って大丈夫なのかという心配。結局この点がクリアされないためにこの技術は日の目をみないのではないかと思う。遺伝子組み換えの作物なり生物なりを利用するときに必ず議論になるが、実際にはすでに遺伝子組み換え作物は生産されている。詩人のアーサー・ビーナードがブッシュは科学より神を信じるような保守的なキリスト教徒で科学音痴だから遺伝子組み換え作物なんかを作らせると手厳しく批判していたが、いろんな問題点の指摘や切り口があるけど、最終的に決定的に遺伝子組み換え作物や生物のリスクは、やばい遺伝子を持ったクリーチャーが生まれてしまわないかという部分につきる。

 安っぽいB級SFのようなクリーチャーではなく、実際にこれまで私が想定していたのは自然界に出たときに、他の生物、既存の種に圧倒的に勝ってしまうような生物の誕生である。
 その点、今の遺伝子組み換え作物自体はリスクが低い、そもそもが畑で管理しないと生きていけない作物品種だし、持っている特性が農薬への耐性とかなので、もの凄い低い確率で想定される遺伝子の水平伝播で農薬耐性の強い雑草が生まれてきても、そもそも自然では農薬使わないので被害は畑の中だけで完結する。
 これが最近農作物だけでなく畜産や水産の世界でも遺伝子組み換えで高成長な品種とかが話題になり始めていて、ちょっと待てと声を上げておきたい。畜産でも豚などは野生化してイノシシと交配することはあり得る。実際日本の自然のイノシシには多産系の豚の遺伝子が既に組み込まれているというレポートも目にしている。遺伝子組み換えの化けモンみたいな豚とか生産し始めたらイノシシなんかわけわからんクリーチャーになってしまうかもしれない。魚はもっと危ない、養殖池なり生け簀から台風で逃げ出したなんていうのは、はじめっから想定されるリスクである。遺伝子組み換えの魚はダメ!絶対!の世界である。

 そういう最強クリーチャーができてしまう反対の、その種を絶滅する方向に持っていく「悪魔の遺伝子」を自然界に出して良いものなのか。ハマダラカだけがいなくなればOKと私は思う一方、少ない確率とはいえウイルスの媒介などにより遺伝子が親から子へと受け継がれるのではなく、違う生物に水平伝播するということがどうもあるらしいといわれており、そういう可能性がある限り、さらにいうなら予期しないような結果が無いともいえない限り、やっぱりこの技術はお蔵入りさせるべきだと思う。
 昆虫のような沢山子孫を残して世代交代のサイクルも早い生きものの場合、もしそういうやばい可能性が0でないのなら、下手なテッポも数打ちゃ当たるで起こってしまうと私は思う。人間が想像できる程度の最悪の事態は「まさか」なんて思っていても割と普通に起こるモノである。

 一つの種を滅ぼしてしまえるような優れた技術が「やばくない」わけがないとまずは警戒すべきだと思うし、こういうのが「やばい」と直感的に避けられるぐらいに慎重に人間は生きていくべきだと思うのだが、往々にして「まあ大丈夫だろう」と便利な技術には飛びつきがちである。途中で止めることができるならまだしも、1回使ってしまえば後戻りできないような技術は特にそうだと思う。
 個々の状況において便利だったり幸福だったり不利益を生じていない要素が、全体的には避けられない破滅に向かっているという状況は、実験室の「悪魔の子」を混ぜられたハマダラカじゃなく、我々人間に既に起こっていそうな気がそこはかとなくいつもしている。

2014年7月13日日曜日

蜩の鳴く頃に

我が家の近所には学校があって、敷地内にけっこう大きな林がある。
 割と街中なのだが、ヘビがいるという話も聞いたぐらいで、春にはホーホケキョとウグイスが鳴いていたりするのだが、昨日、暑い中テナガを堪能して帰ってきてシャワー浴びて夕方麦茶飲んでいたら、「カナカナカナカナ~」とヒグラシの声が聞こえてきた。

 ツクツクホウシやアブラゼミは毎年聞いているが、近所でヒグラシは初めてのような気がする。
 「日本人に郷愁という感情を植え付けたのは実はヒグラシなのではないか」と誰かが書いていたと記憶しているが、さもありなんと思うぐらいのもの悲しげな鳴き声で、夕方に鳴くこともあり楽しかった夏の一日が終わる切なさを感じずにはいられない。

 漢字1文字で書くと「蜩」だが、こういう難読漢字ってオタクなら知っているというものが結構ある。蜩くんという超能力バトルモノの登場人物がいて、彼の能力は「代謝加速」でもの凄いスピードで動くことができる設定。セミの短い命の暗喩かなと思う。
 サイボーグ009の「加速装置」と似たような超能力だが、もう少しリアルに寄せた設定で、加速中も通常の物理法則が適用されて、運動する物体のエネルギー量は速度の2乗に比例するので、加速中のパンチとかの破壊力はデカイけど、自分の体へのダメージも大きく諸刃の剣になるという描写になるほどなと思わされた。SF要素のある作品はそういう科学考証も味わい深い部分である。

 別の漢字だがジャンプ長寿連載漫画「こち亀」のオリンピックのある年だけ登場する両さんの同僚である「日暮」さんは今ウィキったら既に11回登場したとかで笑える。何回かはリアルタイムでジャンプで読んでいたが、2回目登場時には「そういえば4年前に、そんなネタあった、あった!」とウケた記憶がある。
 なにげに日暮さんも超能力者で犯罪予知かなんかの能力がある設定だけど、長い時間を寝て過ごせるというのは、「加速能力」の逆の「減速能力」という時間操作系の超能力者とも考えられる。

 釣りやっていると、瞬間的なアタリにアワセが遅れたときなど、誰でも「もっと早く反応できたらな」と思うぐらいで「加速能力」はあったら便利だと思う。
 しかしながら実は釣りには逆に「減速能力」があれば、非常に便利かもしれないなと思ったりもするのである。
 ようするに、潮が引くのをまって渡るポイントとかライズ待ちとかで、今か今かとイライラしながら待つ気の短い多くの釣り人なら、「自分の時間を減速させる=まわりの時間が早く進む」能力があれば、まわりの時間を録画したTV番組の宣伝を早送りですっ飛ばすのと同様のことができるということである。
 自分の都合で時間を早くしたり遅くしたりというのは、所詮、超能力モノの作品中だけの絵空事だと思うかも知れないが、実はまわりの時間がゆっくり流れて自分が早く動ける「加速能力」も、周りの時間がアッちゅう間に流れて自分があまり動かない「減速能力」も現実にある程度持ち得る能力だと私は思っている。

 そんなアホなと思うかも知れないが、加速能力の端的な例として、さきほども「素早いアワセ」を出したが、アタリがあってアワセるまでの反応速度は、初心者とベテランとでは桁が一つ違うぐらいに差がある。常々、アワセのタイミングについては「素人はとにかくなるべく早く、玄人はとにかく落ち着いてゆっくり」が大事だと思っている。昔、毛鉤に食いついたヤマメが吐き出すまでの時間は0.2秒という有名な実験結果があって、当時は人間が目で見て反応するまでには0.8秒(自動車教習所で習う)かかるので、実際にはラインの弛みとかの分も遅れるので1秒程度はかかる。よって、ヤマメの反射速度に人間が勝つことはできず、アワセが素早く決まっている達人はヤマメの行動を予測したり泳ぎ上がってくる姿を見つけてアワセていると解説されていた。

 当時はそういうモノかと納得しかかっていたが、早撃ちのガンマンがリボルバーの劇鉄を手で押し込むようにしてぶっ放して点灯した電球を0.1秒台とかで打ち抜いているのとかを知って、もっというなら自分が明らかにヤマメ釣りでもアワせが早すぎてすっぽ抜けを繰り返しているようにしか思えない状況が生じるにつれて、どうも納得できないと感じざるを得なかった。定説に反して人はヤマメが毛鉤を吐き出すより早く反応デキる、それは間違いないがまだ説明されていないだけと思っていたら、割と近年になってそのメカニズムがスポーツ科学的な研究で解明された。

 簡単に説明すると、反復練習などにより、大脳が認識してから反応するという通常の反応経路ではなく、小脳経由で反射的に反応するショートカットした回路が形成されることがあると明らかになり、今までの通説では説明できなかった反応速度もそれで充分説明できるとのこと。やっぱりそうだったんだと納得したしだいである。
 10年20年と早いアワセを修練してきた釣り人は、明らかに素人とは異なる時間の中でアワセをキメられる「加速能力」を手に入れているのである。
 アドレナリン出まくっていると、脳内の「思考や知覚が加速する」というのも良く耳にする話で、事故とか起こしたときに周りの景色がゆっくり動くように見えるというし、魚がドカンと出たシーンをあとから思い出すと食って右向いたか左向いたかまでスローモーションで見えていたなんて経験は、ベテランの釣り人なら結構あったりするンじゃなかろうか。

 「減速能力」の方は、釣り人はもっと簡単に手にできる。ようするにじれったい時間をつぶす能力だと考えればいいので、今からの釣りをイメージトレーニングしても良いし、鳥でも眺めてても良い。でも、じれったい時間を感覚的に早く過ぎるようにしたいのなら、まあ「楽しいときはあっという間に過ぎる」というぐらいで、楽しいことをすれば良いんだけど、釣り場に意識は置きながらも楽しくできることといえばある程度限られていて、釣り仲間と与太話しながら待つなんていうのが理想だが、最近の私は電子書籍キンドルに面白いマンガ詰め込んで釣り場の待ち時間に読んでいることが多く、キンドルが私の「減速装置」となっている。

 楽しくてアッというまに時が過ぎてしまうという点を考えれば、魚釣りそのものが最強の「減速装置」なのかもしれない。
 思い返すと少年の頃の夏休みもいつもアッという間に終わったものだ。

2014年7月5日土曜日

ハイシープミクロ、カーボネックス、アカエム

「すまない、軟式庭球経験者以外は帰ってくれないか!」
 という感じですが、まあバドミントン経験者も前2つは分かるのかな。
 軟式庭球なんて呼称もすでに「ソフトテニス」になって久しく今は昔の話だけど、中学、高校、大学と10年くらいやっていたスポーツなのでたまに懐かしく思い出したりする。

 写真はサメ釣り用にPENNセネター9/0に巻こうと思っている80LBナイロン1000mのボビンだが、このド太い蛍光黄色のラインのたたずまいを見て、ゴーセン「ハイシープミクロ」を思い出してしまって、懐かしくなってしまったのである。

 ハイシープミクロはテニスのラケットに張るガットの銘柄で、私が軟式庭球部員だったころの一番ポピュラーなガットだったと思う。
 ガットという呼び方は、英語だったかで腸の意味で、その昔はテニスラケットのガットは羊の腸から作られていたらしい。それでガットと呼ばれて、1商品名に「シープ」が入ってくるのである。
 ナイロンなど化学繊維が出てくる前には、鯨ヒゲでもガットは作られていて「鯨キン」ガットと呼ばれていたと記憶していたが、鯨キンの漢字を調べようとして、実は鯨ヒゲではなく鯨の頭かスジの繊維で作っていたらしいと初めて知った。漢字は「鯨筋」。
 私の中学生時代には商品はもう無くなっていたけど、兄にもらったラケットには鯨筋ガットが張ってあって、玉を打つとポンポンと独特の響く良い音がしたのを憶えている。

 テニスのガットはバラ売りだと、ラケット一本分をフライのリーダーのようにクルクルと巻いて、プラスチックのパッケージに入って売られていた。ただ、大きなスポーツ店にいくと、ハイシープミクロあたりはデカいボビンで用意されていて、量り売りでやや安かったように記憶している。
 そのデカいボビンにガットが巻かれている様を、今回買った80LBの太いナイロンラインを見て思いだしたのである。それぐらい80LBは太い。テニスのガットはやや大げさかもしれないが、バドのガットくらいの太さは本当にある。

 ハイシープミクロあたりのガットはモノフィラ(単繊維)じゃなくて、ナイロンモノフィラのコアをブレイデッドのナイロンで包んだ構造をしており、今思うとモノフィラのナイロンだと伸びが大きくてイマイチなのを、ブレイデッドと複合させることで低伸度のガットに仕上げていたのだと思う。

 同じような、単繊維をブレイデッドで包んだ構造のハリスが一時期デュエルから出ていて、ブランドはデュエルだけど製造はゴーセンではないかと、軟庭モノの私は思ったものである。

 カーボネックスは同世代の軟庭モノとバドモノなら懐かしい名前ではないだろうか。新潟の優良スポーツ用具メーカー「ヨネックス」のラケットで、たぶん今でもあるんだろうなと思ってググったら、残念ながらソフテニ用のラケットには既に「カーボネックス」の名前は無くなっているけど、バド用ラケットでは健在。最近は自転車のフレームも「カーボネックス」で出してるようある。

 私はロッドの素材がグラスからカーボンに移行する時代にも立ち会ったが、軟庭のラケットが木製からカーボンに移行する時代にも立ち会った。
 グラスの竿を知っている人間が、キンキンのカーボン素材にイマイチなじめなくて、グラスを混ぜてマイルドにしたフェンウィックのHMGブランクスを気に入ったように、木製のラケットを知っている人間としては、出始めた当時の100%カーボンのラケットにはなじめず、カーボンの芯材を木で挟んだカーボネックスはしっくりきた。
 テニスのラケットは軽すぎてもボールをはじき返すパワーが不足すると私は感じていたので、それなりに重さが欲しかったのである。
 カーボネックスはその点、芯のカーボンの反発力は生かしつつ、木製同様の重量感があって木製から買い換えた人間にも使いやすかった。出始めた当初はカーボンラケットというと軽さを重視して作りがちでイマイチだったが、大学生のころには仲間が使っているカーボン製のラケットを借りてみると、重量も適度に与えつつ、カーボンならではのフレームの形状の工夫で振り抜きも良くなっていたりとかなり進化していて、これなら木製にこだわる必要は無いと感じるぐらいであった。

 結局、カーボンというと、軽いのと高反発ということが素材的には売りなので、それを前面に出すと軽くてキンキンのロッドやラケットになるけど、ロッドが必ずしも高弾性が万能ではなくて、わざわざ低弾性のカーボンを採用する竿もあるように、ラケットも軽いだけじゃ使いにくいので、使いやすいように適度な重量バランスを持たせて設計するのが当たり前の結果ということである。

 ロッドもラケットも単純にスペックでは計れない、「使いやすさ」というのが重要だと、ロッドについてはいつも書いてるが、しつこくまた書いてしまうのである。

 ちなみに「アカエム」というのはボールのブランド名で、今も昔もこれはあんまり変わらず単なる「ゴムマリ」のようで安心する。それでもカラーボールとかがあるのを見ると、柔道の道着や卓球の球と同じように、時代が巡ったのだなと感慨深い。