2014年7月19日土曜日

夏の夜の羽音

先週はヒグラシという、夏らしい虫の音をピックアップしたが、ヒグラシのカナカナと聞きなされる鳴き声が主に「もののあわれ」に関わるような好意的にとられる虫の音なら、その対極の嫌な虫の音としては、蚊の羽音がダントツの存在ではないだろうか。

 夏の夜、ただでさえ暑苦しいのに、呼気の二酸化炭素に引かれてやってくるらしいが、顔の周りをウロチョロと飛び回って、たたきつぶそうと灯りを点けるとどこかに隠れてしまい、灯りを消して寝入ろうとすると、タイミングを計ったかのように耳元でまた「プーン」と音がする。心の底からブチ殺したくなる存在で実際見つければパンと叩いてブチ殺すのであるが、まあむかつく存在である。

 なぜ、蚊はあんなに嫌な羽音をたて、なぜあんなに痒くなる刺し方をするのか、もっとおとなしく静かに飛んできて痒くならなかったら、血の一滴やそこらくれてやっても良いのにと思うかもしれない。
 逆である。蚊が「やばい存在」だから、蚊の羽音を人間は警戒し、刺されたときに反応して痒くなるように体の仕組みをつくってきたのである。
 蚊の何がやばいって病気の媒介である。これに尽きる。日本脳炎なんてのはワクチンのおかげでほぼ日本では根絶されているが、まだ世界には流行地がある。蚊の媒介する病気の横綱はなんといってもマラリアで、デング熱が古参の大関、西ナイルウィルスが新進の大関というところか。

 そのマラリア(マラリア原虫)を媒介するハマダラカを駆除する画期的な方法が開発された、と英国ロンドン大の研究チームが発表した。ネットニュースで紹介されていたので読んだ人も多かったのではなかろうか。
 遺伝子操作でメスの蚊が生まれてくるのに必要なX染色体が正常に働かなくなる遺伝子を組み込んだオスを使うという方法。メスが生まれなくなる遺伝子を持ったオスが世代交代を経て増えてオスばっかりになって絶滅するという、技術の概要だけちょっと読むと、ナニがそんなに画期的なのか、これまでの例えば南西諸島のウリミバエを根絶させた、不妊個体をバラまく作戦とナニが違うのか、イマイチすごさがわからなかったが、紙に実際に♂♀マークを書いてみて、自然環境に少数バラまいた時を想定してどうなるか考えてみると、鳥肌が立つぐらいによくできた「駆除方法」だと理解できた。

 この駆除方法の肝は、致死的な遺伝子の利用や「不妊」といった直接的にその次の世代を殺す方法ではなく、オスが増えるという、駆除のための因子が自ら増える方向に一旦進行するところにある。
 オスばかりになって繁殖できなくなるというのが何世代後になるかは環境によっても違うんだろうが、真綿で首を絞めるような「悪魔の遺伝子」を自然界でも増やしながら「駆除」が進行していき、その進行を止める方向に働くブレーキであるはずの「淘汰」が「子供にオスが増える」という要素が必ずしも繁殖に不利な要素でないことから、どうもかからなさそうなところが悪魔的だと思う。
 1匹自然界に放り込んだら、そのオスと交尾したメスが産むのはほとんどオス、オスだからといって生存に不利な点はなく、普通に育ったとして2匹の親からは2匹が育つとして、2世代目に「悪魔の子」は2匹でどちらもオス、次の世代では4匹、次の世代は8匹というのをやっていくと、将棋のマス目の数だけ倍々ゲームで米粒をもらったら81マス行く前に蔵が空っぽになった昔話のように、世代を繰り返すと等比数列的に途中から爆発的に数を増やし、「悪魔の子」が「普通の子」と同数ぐらいになったあたりで、完全に個体数が減る方向から逃れられなくなり、メスがいなくなりジ・エンド。

 ウリミバエの根絶に使った不妊個体の生産なんてのは、一人一殺方式で天然個体と同数ばらまくぐらいの勢いで大量生産していて、はっきり言って先進国で金持ちの日本で、かつ島という閉鎖環境だからできた技術で、マラリアの流行しているような、医療も不十分な国でまねできるわけがない。そういう国ではDDTとか先進国では使用禁止になった殺虫剤について、虫が媒介する伝染病被害の方が残留する殺虫剤による影響よりはるかに大きいので、DDT使おうゼという動きが実際あると聞く。
 そういう地域でも、研究機関からハマダラカの「悪魔の子」を間違いなく増えてくれる程度の数買ってきて撒くのなら十分可能だろう。

 素晴らしい技術ジャンよ、ほかの害虫にもジャンジャン応用すればいいジャン、という賞賛の声もネットニュースでは紹介されていたが、反対意見も多数紹介されていた。代表的なのは、生態系への悪影響を懸念するもの、自然界では実験室のようにいかないのではという懐疑、人工的につくり出した遺伝子を自然環境へ放つことの危うさ、の3つ。

 まず最初の生態系への悪影響だが、「蚊は生態系の低次の生物で他の生き物の餌となっていたりするので生態系への大きな影響がある、蚊にだって役割があるはず。」「蚊が媒体しているマラリアがほかの動物の個体数に関係しているかもしれない、そういう動物の数が増えてしまうかも。」とかいう一見もっともな耳障りのよい意見だが、往々にして科学の進展を妨げるのはこういう耳障りのよい無責任な意見である。まず蚊の1種が絶滅したぐらいは、すぐに別の種の蚊が同じようなニッチを埋めて大きな影響は出ないだろう。そういう柔軟性が生物の多様性というものの性質の一面である、後者はマラリアと関係する動物ピンポイントでもう少し影響は出てもおかしくないが、マラリアで人死にが出るのが防げるなら我慢するべきレベルでおさまると思う。

 2つめの実験室での研究どおりにいかないのではないかという話だが、たいした費用もかからないだろうから「やる」という方針が出せるのなら、実地でやってみればいい。自然や生物はうまくできているので、絶滅するような方向に進み始めたらそうならないように上手く適応するので失敗するだろうという意見も紹介されていたが、子供がオスばかりというのは個体としては生存や子孫を残すのに不利ではない、個体としては不利にならないでコピーである子孫を残しまくるのに種としては絶滅に向かわせるという「悪魔の遺伝子」を防ぐ手立てが生物にあるのか?なさそうに思うが、あるとすれば正常な固体が周りから補充される状況とかか?

 3番目のそういう「悪魔の遺伝子」を自然界に解き放って大丈夫なのかという心配。結局この点がクリアされないためにこの技術は日の目をみないのではないかと思う。遺伝子組み換えの作物なり生物なりを利用するときに必ず議論になるが、実際にはすでに遺伝子組み換え作物は生産されている。詩人のアーサー・ビーナードがブッシュは科学より神を信じるような保守的なキリスト教徒で科学音痴だから遺伝子組み換え作物なんかを作らせると手厳しく批判していたが、いろんな問題点の指摘や切り口があるけど、最終的に決定的に遺伝子組み換え作物や生物のリスクは、やばい遺伝子を持ったクリーチャーが生まれてしまわないかという部分につきる。

 安っぽいB級SFのようなクリーチャーではなく、実際にこれまで私が想定していたのは自然界に出たときに、他の生物、既存の種に圧倒的に勝ってしまうような生物の誕生である。
 その点、今の遺伝子組み換え作物自体はリスクが低い、そもそもが畑で管理しないと生きていけない作物品種だし、持っている特性が農薬への耐性とかなので、もの凄い低い確率で想定される遺伝子の水平伝播で農薬耐性の強い雑草が生まれてきても、そもそも自然では農薬使わないので被害は畑の中だけで完結する。
 これが最近農作物だけでなく畜産や水産の世界でも遺伝子組み換えで高成長な品種とかが話題になり始めていて、ちょっと待てと声を上げておきたい。畜産でも豚などは野生化してイノシシと交配することはあり得る。実際日本の自然のイノシシには多産系の豚の遺伝子が既に組み込まれているというレポートも目にしている。遺伝子組み換えの化けモンみたいな豚とか生産し始めたらイノシシなんかわけわからんクリーチャーになってしまうかもしれない。魚はもっと危ない、養殖池なり生け簀から台風で逃げ出したなんていうのは、はじめっから想定されるリスクである。遺伝子組み換えの魚はダメ!絶対!の世界である。

 そういう最強クリーチャーができてしまう反対の、その種を絶滅する方向に持っていく「悪魔の遺伝子」を自然界に出して良いものなのか。ハマダラカだけがいなくなればOKと私は思う一方、少ない確率とはいえウイルスの媒介などにより遺伝子が親から子へと受け継がれるのではなく、違う生物に水平伝播するということがどうもあるらしいといわれており、そういう可能性がある限り、さらにいうなら予期しないような結果が無いともいえない限り、やっぱりこの技術はお蔵入りさせるべきだと思う。
 昆虫のような沢山子孫を残して世代交代のサイクルも早い生きものの場合、もしそういうやばい可能性が0でないのなら、下手なテッポも数打ちゃ当たるで起こってしまうと私は思う。人間が想像できる程度の最悪の事態は「まさか」なんて思っていても割と普通に起こるモノである。

 一つの種を滅ぼしてしまえるような優れた技術が「やばくない」わけがないとまずは警戒すべきだと思うし、こういうのが「やばい」と直感的に避けられるぐらいに慎重に人間は生きていくべきだと思うのだが、往々にして「まあ大丈夫だろう」と便利な技術には飛びつきがちである。途中で止めることができるならまだしも、1回使ってしまえば後戻りできないような技術は特にそうだと思う。
 個々の状況において便利だったり幸福だったり不利益を生じていない要素が、全体的には避けられない破滅に向かっているという状況は、実験室の「悪魔の子」を混ぜられたハマダラカじゃなく、我々人間に既に起こっていそうな気がそこはかとなくいつもしている。

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