2025年2月8日土曜日

未来は観測するまで確定しない

  天気予報が外れて、時化の中大苦戦とかありがちで、今時の高性能なコンピューターの能力をもって、様々なデータを取り込んで、長い時間の中で開発・改良されてきた演算方法を駆使して予想したところで、明日の天気さえ確実には予知できない。

 椎名誠先生って、ご自身が飾らない謙虚な物腰なのでその印象はあんまりないかもだけど、すごい勉強家で、ものすごい読書家なのは有名かもだけど、いろんなことを興味を持って調べていたりして、SFモノとか著書にも影響は見て取れるけど、その椎名先生が紹介していた科学ネタで、SFに良く出てくる技術で、案外テレポーテーションや時間移動は一部実現してるぐらいで簡単だけど、未来予知はほぼ不可能と言って良いぐらいに難しいって紹介していた。たしかに量子テレポーテーションとかは実験室段階では確認されているぐらいで、まあ量子が実際に移動するわけじゃないのでテレポーテーションといって想像する技術とはちょっとちがうけど、情報が瞬時に伝わるってのを突き詰めていけば、物体も情報に還元してしまえば送れそうにも思う。時間移動については、ドラえもんに頼まなくても今は次の瞬間昔になって、昔の未来に我々は存在しえる。これもまたタイムマシーン的なモノとは印象が異なるが、冷凍あるいは冬眠状態で未来に目覚めるっていうのは実現化しそうな技術だし、高速で飛んでったロケットとかの中では時間がユックリ進むので帰ってくると相対的に未来に戻って?くるっていう「ウラシマ効果」でも未来に行くことはできそうで、逆に過去に戻るのはアインシュタインが「計算したら無限に等しいエネルギーが必要になるので無理」とかいってたように思う。でも未来に行くのならできそうな技術である。

 これが、未来予知となると、そもそも物質の大元である量子とかの極小の世界では、量子の状態は観測するまで確定しないってのがあるようで、目に見えるような大きさを持った物質は一般的なニュートン力学的な物理法則に従うけど、量子レベルになるとちょっとわけ分からん挙動になるというのが今の定説である。有名な”シュレディンガーの猫”の思考実験みたいに、箱の中で原子が放射線を放出したか放出していないかは確定していないので、放射線が放出されると殺される仕組みの箱の中の猫は観測するまで生きている状態と死んだ状態とが重ね合わせて存在している。ってわけ分からん話で、未来というのは五分五分の状態に限らず7:3とか0.1:99.9とかもあるんだろうけど確率的に不確定な状態にあって、観測するとそれが結果に収束するんだそうである。ほんまかいな?って話だけどどうもそうらしい。明日の降水確率30%というのは、まあ実際にその確率で不確定な状態にあるってワケじゃなくて、今の技術水準でめいっぱい予想したらそのぐらいの曖昧な結果しか出ないって話だろうけど、突き詰めていって、コンピューターが量子コンピューターとかの出現で桁違いの処理速度になり、地球上のすべての気象に関連する物理的な粒子や要素を観測する体制を構築してその値をぶち込んだところで、予報としてはやっぱり明日の降水確率は30%とか、確率的な答えにしかたどりつけない道理である。まあそこまで行ったら立派だけどな。

 という中で、主に物理条件を考えておけば良いだけの天気予報すらめちゃくちゃ難しいのに、明日の魚のご機嫌がそうやすやすと我々釣り人に読めるかよ?って話で、それでも釣り人は明日の魚のご機嫌を読もうと血眼になる。まあ、ある程度季節的な動きとか、日周的な動きとかあって、直近の釣れ具合とか餌生物の動向、それこそ明日の天気予報とかも加味しながら、なんとか”パターン”的なものを読んで良い釣りにつなげようとする。それはある程度ハマってくれて努力が報われることもあれば、ちょっとした要素でまったくハズれて途方に暮れることも多い。簡単な例を出すなら、イルカやら青物やらの捕食者に追い散らされて全く食ってこない日もあれば、逆に追い込まれて接岸して爆釣に繋がるときもある。イルカの明日のご機嫌など読みようがあるか?ッて話だけど、まだそれ単体なら今日イルカがワシワシ魚食ってた海域では餌が豊富なんだろうから明日も来る可能性あるな、とか読みはなんぼか立てられる。だとしてもイルカの他に餌がどこに行くか、潮の動きはどうか、天候や風向きはどうか、対象魚自身の”気分”はどうか?そして何より釣り人の動向はどうかと、複雑な要素が絡み合うと、ある程度の予想は立てるけど、結局は博打でしかなく、これまでも折に触れて書いてきたけど、最終的には釣り場に立って確かめるより明日釣れるかどうか?その結果を確定させる方法などないのである。

 って言うぐらいに生物の絡む”未来予知”は難しいにもかかわらず、世の中の多くの人が、日本の漁業は資源管理ができてなくて獲りすぎで魚が居なくなっているって、アホな現場を知らん机上の空論を振りかざしてエラそうにのたまう学者先生の分かりやすい”たわ言”を信じて、水産資源がさも管理さえすれば、予定どおりに漁獲し続けられるような妄想を抱いているように見受けられる。何度も書いてきたけど幻想に過ぎない。まずはその幻想をブチ殺せ!

 とりあえず、資源管理のために北欧型の個別割当制度にするっていったって、企業ベースで漁業者数が限られているあちらさんと、大企業の事業ベースからジ様の生きがい的なモノまで多種多様な形態で漁業が営まれている日本とでは、仕組みの根本から違ってくるだろうことは自明で、北欧信者はどの分野でもいるけど噴飯物である(ワシもABUやラパラを信仰してるけどな)。制度作ってルールを決めただけでみんな大人しく言うこと聞いてくれるなら苦労しないって話もこれありで、ちゃんとルールを守ってるか調査する体制だけでもエラいコストがかかるのもこれまた自明。海保にでもやらせろ、って思うかもだけど漁業関係だけでも罰金額やら刑罰上げてもレジャー感覚で密漁しやがる輩の対応とかヤクザのしのぎに闇バイトとかの組織的な密漁対応まであって、それだけでも手一杯ぽくて、そんな地道に帳面と現物突きあわせてやらなきゃならんようなややこしい仕事、片手間でできるわきゃない。県や警察もおなじようなもの。

 かてて加えて、生物の動向、その未来を予想する困難さよ。資源管理の考え方自体は間違ってないと思うし、重要な考え方だと思う。ただ、予想精度は控えめに言って大雑把で不確定要素を多くはらんでおり、丁寧に情報を収集しつつ改訂作業しながらやったとしても「種親まで獲りすぎたら次の世代が減る」という大原則は確かだとしても、なかなか数量的な管理まで上手にするのは難しい。そして、管理したところで天然資源である水産資源は自然に増減するものであり、まあ端的に言えば魚種交代とかいわれてよく知られている現象に逆らってまで、資源を豊富な状態で保つことは不可能だと断言する。サンマが減ったのは外国漁船を含め獲りすぎたせいというのは、まずいま魚種交代でサンマが減ってマイワシが増えてる局面だというのを考えると、ほぼ嘘っぱちでサンマは獲ってなくても自然に減っていったはずである。乱獲が追い打ちしている可能性までは否定しないけど、どのみち獲らなくても減っていくのを指くわえて獲らずにいるほど漁師も余裕があるわけない。とれるときに親の敵と魚の群れはとっておかねばならんというのが大昔からの鉄則である。スルメイカとかあんなもん資源管理の対象となったと聞いたときは冗談かと思ったぐらいで、海洋環境の変化でアホみたいに湧くこともあれば激減することもあるような単年度で発生して増減するのが基本の生物資源である。獲りすぎていなくなったというよりもっと根源的な問題である気候変動による海水温上昇とかが効いてるはずというのは、まあなかなか確定的には証拠揃えて言いにくいんだろうけど、それなりに証拠もあるだろうし水産関係各位アホな学者先生除けば分かってると思う。

 イマイチ腑に落ちてない人も居るだろうから、水産資源の動向が全く読めんという端的な事例を紹介しておきたい。絶滅が危惧されていて大いにそのことが話題にもなったニホンウナギ。その幼魚であるシラスウナギが今年とんでもなく捕れている。ワシ実は昨年からお歳をめされて辞められる方の許可枠を引き継ぐ形で、ウナギ稚魚漁業従事者の許可を得て操業している。無職と言ってるけど、物価高のおり生活も切り詰めつつ、実はそういうアルバイトはしているのである。昨年参入して許可手続き料約3千円と道具も自作したりして安く上げて3千円ぐらいと初期投資約6千円でスタートして、1匹200円の海のダイヤを大漁して、いい加減買い換え時の冷蔵庫を中古で良いから購入するのを当面の目標として頑張った。しかしながら新規参入でそうそうはじめっから上手くいくはずもなく、初年度は6千円弱と経費とトントンぐらいに終わった。まあ大損せにゃ上出来でこれから稼いでいけばいいと迎えた二年目の今漁期。紀伊半島は1月はあんまり捕れなくて2月ぐらいから本格的な来遊を迎えるので正月明けに1回試しに行ってまだ来てないのを確認して、2月から始めようと思っていたけど、本格的な漁期を前にシラス捕りの師匠である漁師さんから衝撃的な情報を耳にして落胆した。1月から九州四国でメチャクチャ捕れていて、価格が暴落して去年の1割の1匹20円まで単価が下がって、まだ下がりそうで今漁期はもう店じまいだとのこと。最低限今年から値上がりした許可手続き料ぐらいは回収しようと思っていたけど、今現在10円台に突入していて最終的には5円ぐらいまで下がるとの読みも、漁期途中での終了の指示もあり得るんじゃないかという話もささやかれる情勢でかなり厳しい。まあ、数が捕れればなんぼかでも銭にはなるし、なにより稼げもしないのに寒い中馬鹿臭くてカイてる(当地ではシラスは「カク」と言う)人も少ないので、練習して道具の改良とか進めるにはちょうど良い。というわけで雨降った日に行ったら、まあ上手に捕る人に比べたらものの数じゃないにしても、去年とは比べものにならないぐらい捕れて単純に面白かった。冒頭写真のバケツの中の糸くずみたいなのがシラスウナギです。

 ウナギの稚魚が捕れなくなって、資源量が減っていると評価されて、河川環境の悪化やらネオニコチノイド系の農薬との関連がとりざたされたりもしたけど、正直ナニが原因か分からないというのと共に、ワシ的には違和感を感じていた。ナニが違和感の原因かというと、ウナギって耳石のカルシウム、ストロンチウム比だかでどこで育ったか分かるようで、ウナギ印象に反して海に結構棲んでてむしろそっちが主体という説もある。河川がコンクリで固められても海は消波ブロックの隙間とかいくらでもあるだろうし、ネオニコチノイド系の農薬が海のプランクトン組成とかウナギの稚魚の餌に打撃をあたえてるとかいう話は、知らんだけであるのかもだけど、ちょっと想像しにくい。というなかで、なんか分からんけど捕れるときはアホほど捕れるという水産資源の特性そのままの結果が、いま近所の海でシラスウナギにおいて起こっている。誰がこんなことを予想できたというのか?

 水産資源を獲りすぎないようにするのはもちろん大事。と同時に我々の知能や知識がおよびもつかない要因でそれらは増えたり減ったりするので、それを完璧に読んで、あまつさえ管理しきれるなんて考えてはいけない。それは傲岸不遜というものである。それを踏まえつつ、少しずつでも情報や考え方を更新していきながら、真摯に向き合う必要があると思っている。

 そしてワシの思考は、最終的には明日釣れるかどうかを確定させるためには、やっぱり明日釣りに行くしかないという結論に収束していくのである。

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