2024年8月17日土曜日

米騒動と帰ってきた幸袋

  前回米が高くてまずいネタでひとくさり書いたところ、その後に「南海トラフ(地震)臨時情報 注意呼びかけ」が来て、米だの水だのの買い占め騒ぎになったところもあったようで、なんか場所によっては米不足というか商品棚から米が消えてるようだ。ワシ、間の悪いことに米がちょうど切れて買い出しに行ったら、「安い銘柄の米に変えよう」と書いてたその銘柄が、前回買った高くなってたいつもの銘柄米より高かった。しばらく麺類でも食って値段落ち着くまで我慢すべきか迷ったけど、米ぐらい食いたいときに食いたいので買った。

 新米も出始めて、米の量的不足は無いはずである。不足があれば政府備蓄米の古米の出番のハズで、なんならミニマムアクセス米もそういう時の米の供給ルート確保の意味もあったはずで、米が不足するとエラいことになるというのは「平成の米騒動」でおもいしったところであり懲りていて二重三重に策は講じてあるはずで、買い占めによる一時的な品薄感はあっても米が不足するなんてことはあり得ないと思っている。

 実際に、ネット上では米農家の言として「不作でもないのに米がないなんておかしい」という意見を紹介している記事が散見される。米が数量的にあるのは間違いない。ちなみに昨年猛暑で米のデキが悪かったというのも、等級が落ちた程度で量的にはとれているらしい。なおのこと米はあるはず。あるハズの米が小売りの棚に無い、あるいは値段が高騰しているっていうのは、ハッキリ言ってバカヤロウどものせいである。多分、買い占めするような短絡的で自己中心的なバカと、これを機会に値段上がるまで流通絞ってから売り抜けて儲けてやろうというバカのせいだと推測できる。あと転売ヤーもいるのか?賢い消費者のみなさまは不安にならずにちょっと待っておけば大丈夫です。いま泡食って買いに走ったりすると値段が釣り上がるのに荷担してバカを儲けさせるだけです。冷静に対処して日本人の主食である米で泡銭を稼ごうとしやがった大馬鹿野郎の在庫米の価値を暴落させて米の恨みの鉄槌をくらわしてやりましょう。江戸の”打ち壊し”の昔から米の恨みは深いんだゼ。買い占めに走ったバカどもは、精米した米がそれほど日持ちしないということを知らないバカばかりだろうから、マズい飯食わざるをえなくなる自業自得のマヌケづら見て笑ってやりましょう。

 コロナの時のマスク買い占めとかもそうだけど、人の生命とか生活とかにかかわるよな商材を独り占めしたり、それで泡銭稼ごうとしたりする人間のあさましさって、やってる本人達なんとも思わないのかね?思わないからできるんだろうけど、心の底から軽蔑に値するよね。そういうあさましさに生まれついて育ってしまったら人生つまんねえだろうなと思うけど、やってる本人達目腐れ金稼いで存外幸せなものなんだろうか?他人の考えてることはよく分からん。

 でも、そういう浅ましい輩もいるけど、そんなヤツばかりじゃないって米買いに行って思わされることがあった。日本に来た外国人観光客が都市伝説的に言うことには「日本では財布とかパスポートを落としても戻ってくる」というのがあって、まあそういう外国人観光客をカモにするスリだのボッタくりだのも居る程度には、我が国も民度が低いわけで、そりゃ観光地ではどこでもそうでそんなもんだろうから、財布が戻ってくるかも疑わしいもんだと思ってた。

 でも落とした財布戻ってきた。少し前に落として一応交番にも届けたけど巾着型の小銭入れで連絡先が分かるようなモノも入ってないので帰ってこないだろうと思って、すでに同じ型の小銭入れを入手して使ってたんだけど、その小銭入れを見てレジのおねえさんが「同じような財布落としませんでしたか?」と聞いてくれて、落としました!と言って見せてもらったら、まさにワシの落とした小銭入れ。日本では、少なくともワシの住んでる紀伊半島の港町では財布落としても戻ってきました。届けてくれた人もレジの人もありがとうね。感謝感激。

 小銭入れなのでたいした金額入ってたわけじゃないけど、小銭入れ自体が同じタイプのを使い続けて既に3代目という愛着のある品だったので、帰ってきてくれて心底嬉しかった。小銭入れ自体は買い直してはいたんだけど、留め具の木彫りの魚とか、そういうエスニックな民芸品を扱ってる店が我が街にないので手に入らず、ネットでもそもそも何という商品名で検索かけて良いのか分からなくて買えなかったので、とにかくよかったよかった。世の中にはクソ野郎もいるけど正直者の善い人もいるっていうのは救いのある話である。

 小銭入れは、大学生の頃からオーストラリア土産のカンガルーの金玉袋のを使っている。世間一般ではいわゆる”いやげもの”扱いかもしれんけど、日本人のオーストラリア土産としては定番らしく、現地でも”SACHIBUKURO(幸袋)”の名で売られている。カンガルーの革って軽くて丈夫でサッカー選手用のスパイクなんかにも使われていたそうで、金玉袋も結構丈夫でかつ縫い目が無い革のキンチャク袋でちょっと面白い。以前友人とその話題になったときに「金玉袋なら縫い目が無いのは逆におかしいだろ?」という議論が勃発したけど、カンガルーの金玉は左右わりと独立してぶら下がっていて縫い目のところは使ってないのではないか?という推理に落ち着いた。そうすると1匹の雄カンガルーから幸袋2個作るんだろうな。どなたか真相をご存じの方おられたらタレコミよろしくお願いします(金玉と縫い目の関係が分からんオボコなお嬢様方におかれましては彼氏ができた時にでもじっくり観察してみてください)。

 ちなみに紙幣は真鍮製の札挟みに挟んでいて、札挟みの方は大学生の頃から同じモノを使い続けている。最初はたしか銀色のメッキがされてたような遠い記憶。カードは普段一番使うのを除いてカード入れにまとめている。っていうスタイルになったのは、大学構内で車上荒らしに遭って、その時の財布が小銭も札もカードもまとめて収納できるタイプで、貧乏学生だったので金銭的にも痛かったけど、カードや免許が悪用されないように紛失の届けを出したり再発行の手続きをしたりがとにかく面倒臭かったので、カードやらは別にまとめてあまり持ち歩かないことにして、そうするとかさばる財布を持つ意味がなくなるので一番単純な方式として札だけ札挟み、小銭はジーパンの小銭入れポケットということにしてたら、ジーパン以外の小銭入れポケットがないズボンの時に小銭がポケットの中でジャラジャラするし、こぼれそうで不安にもなるので、小銭入れは欲しいな思ってどっかから革巾着を見つけてきてしばらく使ってたら、そういう目的ならイイのあるよと幸袋をくれた友人がいて、そこから30年以上のつきあいという感じである。車に貴重品を置くなというのは基本だけど、よもや大学の構内でやられるとは思わず油断していた。世の中にはやっぱりクソ野郎がいるのである。

 とはいえ、今住んでる我が街にはクソ野郎は少なそうで、善い人が多いので貧乏生活楽しみながら幸せに暮らしていける。ありがたいことである。ワシャとても善い人間とは言いかねる人種だけど、善い人間になれるように努力ぐらいはせねばなと、帰ってきた幸袋を見て思うのである。

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