2019年8月3日土曜日

ヴァイオレット・エヴァーガーデン感想文

 京都アニメーション放火事件は世間的にも大事件だったようで、ワタクシ的には再びニュースはネットニュースの見出ししか見ない日々に戻っているけど、見出しだけ見ているだけでも割と頓珍漢なことを書いてるのが分かるのもあって、こういう沢山の人が亡くなった事件を興味本位な情報として娯楽に仕立て上げる気配はナンボなんでも俗物に過ぎる気がして嫌になる。
 見だし以上は読まんでいいなと再認識して、ファンなら黙って作品観とけだろ?と一番お気に入りの「小林さんちのメイドラゴン」と京アニの美しい”絵”を楽しむのなら「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だろうナとチマチマと観直してみた。
 そして黙っておけば良いのに感想など書こうとしているのは、私もどうにも俗物だと思うけど、皆書かずにいられなかったんだろうナ。その気持ちは分かるっちゃわかる。

 ということで、今回サイトの方の「アニメ・映画など日記」の出張版でお送りいたします。オタクなスピニングリールネタを期待していた方達には申し訳ありません。暖めてる小ネタはまだあるのでまた書きますが、今回はアニメネタです。

 ニュースの見出し読んでてなんか変なこと書いているな、と思った例を出すと「京アニは作品でも人を傷つけたりしていないのに」っていうやつで「オイオイ、ソースケとヴァイオレットちゃんは人殺しまくってただろ」と突っ込んでしまった。ソースケが主人公の「フルメタル・パニックTSR」は軍事アクションロボアニメだし、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は軍に兵器として運用されていた過去を持つ少女の物語だしで、当然戦闘で人殺しまくってる。
 そういう人殺しの主人公に共感し、作品を楽しめる自分の感覚が、現実の殺人犯を赦せない感覚とあまりにかけ離れていて整合性に欠けるので、例によってその辺グチャグチャと答えのないような問いを自分に問いながら「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」鑑賞した。
 ”戦時の人殺しは英雄で平時の人殺しは大罪人”っていう割り切りだけではすまない気がどうもしている。
 フィクションと現実とを一緒にしてはいけないっていうのも、そんなに割り切っちゃ面白くなくて自分がフィクションの世界に入り込んでいけなければ何かつまんない気がしている。

 お話自体の荒筋は、戦場での殺戮のための道具として特殊な訓練を受けてきたらしい少女が、戦争が終わり上官であり、保護者であり、少女自身にとってはそれ以上の、コンラートロレンツ博士のいうところの刷り込みの対象であり、おもいっきり依存し敬愛しそれと認識せずに恋愛感情に等しい感情を持っていた”少佐”から、彼女を託された戦友が退役して起業した郵便会社の代筆部門で働くことになり、人らしい感情もろくに育ってない過酷なこれまでを生きてきた主人公が、少佐が死を目の前にして少女に言った「愛してる」の意味を知るために、人と関わり、人の思いを知り、人のことを思いやることができるようになり、愛するということも深く知ることになるという話らしいというのは、原作ありだったので放送開始前からある程度情報流れており、まあ言っちゃ何だけど、良くある”愛”だのなんだのっていって感動を売る”お涙頂戴モノ”なんだろうなという斜に構えた姿勢で観てしまった。
 にもかかわらず初見時にも結構感動して涙腺何度か緩んで、さすが京アニ分かっててもまんまと感動させられる、という感じだったけど、今回この作品を作ったであろう人達が多く亡くなっているという前提で改めて観ると、心が燃え上がっているような痛みを伴って胸にきた。

 主人公が代筆者を育てる養成学校に通って、タイプの技術も座学の成績も抜群なのに、人の心がよく分からなくて、二人一組になって互いの手紙を代筆するという課題で主人公は軍の”報告書”のような手紙を書いてしまいロッテンマイヤーさんみたいな厳しい教官におもいっきりダメ出しされて落第してしまう。
 でも、課題では組んだ相手に戦火で亡くなった両親に宛てた手紙をたのまれたけど、本当は彼女は生き残ったたった一人の家族である兄が怪我をして足が不自由になり自暴自棄になっていることに心を痛めていた。
 その兄にあてた手紙を主人公は書いて彼女の本当に伝えたかったことを兄に伝える。
 その内容はただ「お兄ちゃん生きていてくれて嬉しい。ありがとう」というものであった。
 などという美しい物語をつくった人達の何人かは、もう、生きてくれていない。という残酷な事実をどうしても連想してしまいオレは悲しかった。泣けた。
 
 そうやって、人の心を推し量り思いやることができるようになるにつれ、当然のことながら、過去人を殺めたことの罪深さを意識し、殺めてきた人達にも家族や愛する人があったであろうことに思い至らないわけにはいかず、主人公は苦しむ。
 手紙を書き始める前には、社長さんに「君は自分がしてきたことでどんどん体に火がついて燃えあがっていることをまだ知らない」と言われても意味が分からず「燃えていません」と怪訝な表情を浮かべるしかないのだが、殺戮の道具じゃなくて”人間”になってしまうと当たり前だと思うけど社長の言葉が腑に落ちて「燃えあがっているのです」と苦悩する。人の心とはなんと悲しく面倒くせぇんだろうか。そんなモン持たなきゃ楽で良いのに。
 戦時の英雄が誇らしげに生きていける、やらなきゃやられる状況でオレは国の皆を守るためにやるべきことをやったんだ、という心の整理はそれはそれでアリだとも思う。実際そういう面もあるんだろう。
 ただ、そんな簡単に割り切れる精神の強さを持った人間だけじゃないから、戦場からの帰還兵の心理的外傷の問題なんてのが実際にあるんだろう。
 「やるしか選択肢はなかったと思うけど、殺した相手にも家族や仲間はいたんだろう」って思ってしまうのもごく普通の感覚だろう。
 社長は、してきたことは消せない、でも手紙で君がしたことも事実なんだよ、と慰める。実際問題、鬼平犯科帳で誰かが言ってたと思うけど人は良いことをしながら悪いこともする生き物であり、そうやって罪の意識にさいなまれながらも、良いこともしてきたことを誇らしく思いながら生きていかなければならないし、生きているのが普通だろう。

 だとしても人にガソリンかけて焼くようなヤツの罪が同じように赦せるか、犯人にも「良いこともしてきたんだろうから生きて償いなさい」と言えるかと考えると、正直言って無理。
 イエス様はとにかく赦してやれと言っている。罪の無いモノだけが咎人に石を投げろと言ったらみな石を投げられなくなったという説話もある。
 誰だって生まれたての赤ちゃんでもなければ罪に汚れているはずで、直接人は殺してなくても、アンタが美味いって食ってる牛肉のためにトウモロコシが不足して飢え死にした人の死の責任がアンタに全くないかといえば、ちょっとはあるよ。そういうちょっと間接的で責任の所在が分散してしまいアイマイな罪、例えば無責任にプラスチック放出して未来の子孫を殺す罪とか、贅沢に電気使って温暖化加速させて島国沈める罪とか、集めていけば先進国に生きる現代人なんて、みんな結構間接的な人殺しだと思うんだけど、それでもオレに石投げる資格なんてあるの?って疑問がつきまとう。
 自分の罪を赦して欲しいなら、殺人犯の罪も赦さないといけないのではないだろうか。でも理屈じゃ分かるけど、なかなかそれは難しい。どうすりゃ良いのか正直良く分からん。
 私は罪深い、でもそれを恥じないで生きて、死ぬときには「これが報いか」と愕然とするような罰を受けて死にたい。罪を犯しているにもかかわらず咎人に石を投げる人間の末路はそうあるべきだと思う。私をどうか許さないでくれ。っていうのが現時点での妥協案的な正直な気持ち。何にしろ罪にまみれようが生きてかなきゃならん。罰は後払いで受けろというなら受ける。

 そうやってグダグダと生きている、死んでも誰もこまらんような(ちょっと悲しんでくれる人ぐらいはいると思う)人間がのうのうと生きて楽しんでいるのに、素晴らしい能力を持った人達が亡くなってしまったことを思うと、人の命は軽いということと、都合のいい神などいないということをつくづく思う。
 津波で死んだり、放火殺人の被害に会ったり、まったく人選適当で死ぬ人はどんなに死ぬべきじゃない重要な人でも、どんなに死んで欲しくない良い人でもあっさり死ぬ。
 事実としてはこんなに軽い人の命が、人の心の中では時に地球よりも重いなんて言われるぐらいに重い。あきらかに現代的な人間の精神における構造的欠陥じゃないかと思うぐらいである。
 メメントモリ的に、死はもっと身近で受け入れられるべき現象で良いんじゃないか?じゃないと人なんて簡単に死んじまうのに悲しくて仕方ない。

 などと、まあ夏は日本じゃお盆で先祖を思う時期だし、先の戦争で死んだ人を思わずにいられない時期でもあるので、戦争と殺人と生きることと、とかグチャグチャ考えてみました。たまには死者やその死の意味について考えるのも必要かなと。

 という感じで「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」結構重い題材を扱ってるので、せっかく美少女出てくるなら悩みなくキャッキャウフフしていて欲しい、シリアスなんて必要ないっていう我が国のアニオタどもにはイマイチ受けなかったけど、海外のオタクどもにはかなり評判良かったようで、劇場版も作られていて予定通り秋に公開になるようだ。

 我が国アニオタにはイマイチ受けなかったけど、深夜のオタク向けが多かった京アニ作品としてはわりと一般受けしそうな気がしている。
 何せ絵が美しい。ってだけでも観る価値があるぐらい素晴らしい。
 多分、実写映画の手法の応用だと思うんだけど、場面転換のシーンに人物いない風景を一瞬入れて、例えば夕日に照らされる街並みで時間の経過を印象づけたり、山を登るロープーウェイで場所説明的な役割果たしてたり、雪景色で季節を表したりっていう、ほんの一秒かそこらの作画がまさに一枚の絵画のような美しさで、他にも心理的な部分を暗喩する花に落ちる水滴とか、他にもよくわからんつなぎ的な一枚も、もちろん登場人物達が活躍するシーンもとにかく美しい作画で力入りまくってて眼福なのである。

 まだ観てない人には動画配信サービスで探せばあると思うので、深夜アニメってけっこうオタク的教養がないと楽しめない作品もあるけど、本作は誰でも楽しめると思うのでお薦めしておきます。
 亡くなった人達宛に、あなたたちが作ってくれた作品はとても素晴らしかったと、感謝を伝える手紙をヴァイオレットちゃんに代筆してもらう代わりに、自分でグチャグチャ書いたりました。
 良い作品をありがとう。感謝します。深く感謝します。

0 件のコメント:

コメントを投稿