2019年8月31日土曜日

船出

 「紀伊ハンター」っていうのを紀伊半島に移住したことだし、心機一転サイトの方の新しい名前にしようかとも思ったんだけど、場所は変わってもやることは一緒でいつものグダグダとした釣りが展開される予定なので、慣れ親しんだ「週末顛末記」からあんまり変えずに「終末顛末記」としました。
 「キイハンター」いうても若い人知らんだろうしナ。
 ということで、どうぞこれからもよろしくです。

 新たなる船出にあたって、目標としてはとりあえずは近くの釣り場の探索・開拓で、まずはメッキでもウグイでもなんでもいいので釣れる魚を釣りつつ、足を使って情報収集だと考えている。
 今回、紀伊半島移住に際して釣り情報的なものは一切検索したりしていない。
 どうせ自分で調べなきゃ分からんことだらけなので、下手な情報を入れてその情報に引っ張られて先入観で人が見逃しているような釣りモノを拾い損ねるのは避けたい。
 っていうのもあるけど、要は自分で釣り場から釣り方から構築しなきゃつまんないって話で、例えば地元の上手い人に釣り場案内でもしてもらえば釣果は倍増するんだろうけど、面白さは半減するんじゃないかと思っている。
 ワシみたいな技術面で人様に勝てない人間が、人様の情報で釣ってたら人様より良い釣りなどできやしねぇって話でもある。
 
 クロダイが思ってたよりどこにでも出没していて、これはなんとかせにゃならんなと思っているし、川崎から引きずっているシーバス不調のドツボからも脱出せねばと思っているけど、シーバスは季節が良くなればなんとかなりそうな気がしているけど、クロダイについては、ほぼ未経験の釣りモノなので多分数年はかかるんだろうなと覚悟している。
 まあゆっくり時間掛けて楽しみながら攻略していこう。

 自転車で行くような近場の釣りの他には、ちょっと体力を取り戻して、カヤックの釣りを本格的に再開してみたい。青物や根魚、カマスやらベラやらなんでも釣れるような気がしている。
 そして、4,5年のうちに、あんまり歳食うまえに、磯からのサメになんとか挑戦してみたいと思っている。そこまでやれるかどうか分からないけど、そのつもりでジョギングやら筋トレやら実釣やらで落ちた体力を取り戻したい。


 釣りのことが頭の中ほとんどを占めているけど、移住の裏課題として「お金なんかはちょっとでも楽しく幸せに生きていける」っていうのを実践してみたい。
 ぶっちゃけ当面は無職で収入がなくなったわけで、今の蓄えでなるべく永く食いつないで働かなくていい期間をできるだけ長くして釣りばっかりしていたいと思っている。
 「働いたら負け」ぐらいの心意気で行きたい。

 今回の移住の準備を通じて理解できたのは、「地方の病院があるぐらいの街は狙い目である」という事実。
 何が良いってまず物価が安い。
 物件探してて驚いたけど、想像以上に家賃が安いし、中古物件買うにしても都会の人間が想像する”家の値段”と桁が一つ違うぐらい安い。
 人が減ってて空き家が増えてるのであきらかに値崩れしている。
 ちなみにワシが借りたところ、もとは事務所兼住居で事務所スペースが床剥がしてコンクリの三和土になってていくらでも物が置けて、二階の住居スペースは3LDKでお家賃なんと月1万8千円でっセ!!
 まあ古いしあちこち壁剥がれているし雨もりするから今まさに大工サンに入ってもらってるしで、維持管理費用それなりにかかるにしても、それでも安い。首都圏のあの家賃の高さは何だったんだっていうぐらい安い。


 そして、我が町(と既に愛着わき始めている)は港町なので魚がこれまた異常なぐらい安い、今安いのはヤマトカマス、ムツッ子、小アジで夕飯と次の日の昼のオカズになるぐらいの分量のある1パックで200円しない。閉店間際になるとそれが半額シール貼られてたりして、密かに魚釣って食費浮かそうと考えてたけど、こんなもん魚買わんかっても節約にもならんぐらい安い。多分時期毎に安い魚は変わってくるだろうから飽きもせず魚食っておけば良いんだろう。
 ”魚が安い”の例外はビンナガで、人気のない関東では安いマグロという位置づけで一サク400円ぐらいだったのが、曳き縄やらの船が生で持ってくる黒潮圏のこの地では人気高いようで一サク600円台でマグロの主力として君臨している。トンボ(ビンナガ)食いたいけど、160円とかでカマス売ってるの見ると贅沢な気がしてまだ買えてない。
 何かめでたいことがあったら食おう。あぁそうしよう。


 あと、マスヤの「ピケ8」関東じゃ売ってなかったので久しぶりに買ったらなんかパッケージに萌えキャラがドンと印刷されてて「何とち狂ったことしてるんや?マスヤ」と驚いた。マスヤは全国区では「おにぎりせんべい」作ってるところです。

 でもって、割とお店も何でもある。
 港町の街中は寂れつつあるのは確かだけど、高速道路が繋がってインターチェンジ降りたあたりの国道沿いには大型スーパー、家電量販店、ホームセンター、郊外型の飲食店などなど、いざとなったら今日買い物はネットでも済ませられるけど実店舗があるのはやっぱり便利。
 地方でも、小さな集落はもう”限界集落”って言葉があるぐらいで、生活の基盤が成り立たなくなるぐらいに店もなければ病院とかへの接続も悪くなって地方自治体は苦労しているようだ。住んでる人が居る限り健康で文化的な生活を約束するのが公的機関の役目だろうけど簡単じゃないのは想像に難くない。
 そういう状況のなかで、仕事や地縁をそのままに生活圏をかえずに、病院やら店舗やらのある地方の中核的な街に移り住むという動きは地味に存在するようで、多分これから日本に訪れる超小子高齢化の人口減の未来にも、地方の中核的な街は最後まで生き残るように感じている。
 実際問題自分も持病持ちで通院せねばならず、離島や山奥に手つかずの釣り場を求めて住むというわけにはいかなかった。
 病院があるっていうのが一つの指標になるような気がしている。

 物価安くても仕事がないから若い人が残らないってよく聞くけど、移住のサポートをしてくれた特定非営利活動法人の職員のかたに聞くと「割と普通に事務系の就職口とかありますよ」とのことだった。
 意外にも農林水産業とかの地場産業より、都会でサラリーマンしてたような移住組は普通に事務系の仕事の即戦力として重宝されるそうな。まあ聞いてしまえばそらそうだろうなという感じ。
 じゃあなんで地方には仕事がないって若い人は都会に出たがるのか?
 理由として大きいのは二つあると思ってて、一つは単なる思い込みでもう一つは”実質賃金”的なものが見えてないというのがあると思う。

 ハッキリ言って都会に行けば憧れるような希望の職に就けるかっていえばそんな甘かねえのが世の中ってもんで、都会に出ても黒い職場しか見つからず”ワーキングプア”なんて悲惨な現代の奴隷に陥ることも充分あり得る。
 都会で良い仕事に就けるような能力のある人なら地方でもそれなりに良い仕事は見つかるはずである。
 都会の方が選択肢は多いのは確かだけど、選択肢が多いのは雇う側も同じで、ボンクラ雇わなくてもいい人材が選べるっていう現実も認識しておいた方が良いように思う。
 都会にでさえすれば良い仕事が見つかるなんていうのは単なる幻想である。もっと言えば企業側が奴隷を狩るための甘い誘惑の罠でしかないンじゃなかろうか。
 そうやって若人が都会に出て行くから地方にも仕事はそれなりにあるんだそうである。
 復興で景気のいい東北ではなかなか募集かけても人が集まらないぐらいだと聞いてたけど、日本も人口減ってきてどこも人は足りてないようだ。

 もういっちょ、数字の見た目に騙されて、都会の方が給料が良いと思い込んでいるという話。
 今回自分はひとまず”単身赴任”である。同居人(元同居人か?)は今の職場居心地良いし途中で放り出すわけにもいかないのでもう少し働くとのことで、2人で同時に住む場所を探してたんだけど、家賃が文字通り桁違いで、二人で住めそうな古いけど3LDKの一軒家が1.8万円なのに、かたや2LDKの都会的で綺麗な部屋は10万円以上する。
 住居費用だけ見ても”実質賃金”は8万円の差額を勘案しなければならず、田舎と都会じゃ賃金に差があって当然で、都会で暮らすと住居手当とか多少つくにしても食費だ交通費だとなんだかんだで感覚的には月に10万円以上余分にかかる気がする。
 そこまでの賃金の差があるか?っていう話である。
 ましてや、無職で稼ぎがないのに都会にとどまるというのは、選択肢としては一応考えてはみたけど諦めざるをえなかった。

 都会で運良く良い仕事が見つかったら稼ぐだけ稼いで、小金貯まったら早めに仕事辞めて地方に移住して、たまに働くぐらいで消費を抑えて楽しく暮らすというのは、狙ったわけじゃないけど勝ちパターンなのかもしれない。

 まずは飯は時間があるので完全自炊で安い食材で美味しく食べる。
 100円でコンビニのお握り一つも買えないっていう感覚でいるのと、100円あれば大根やらキャベツが半分ぐらい買えるっていう感覚でいるのでは全く食費に関する考え方が違ってくるぐらいで自炊の方が圧倒的に安くて良いものが食える。

 車は維持管理費もバカにならないので買わない。釣り場が近いところに移住したんだし、自転車とカヤックでやれる範囲で結構なことができそうだし、足が欲しけりゃカブでも買うかってぐらい。
 「地方じゃ車がないとやっていけない」なんていうくだらねぇその幻想をまずはぶち殺す。
 電車もあるので電車に折りたたみの自転車を組み合わせてっていうのも考えている。

 大工道具や障子張りの道具も買ったので、住処は快適に暮らせるように、時間をかけていい身分なのでその分金かけずに楽しんで改良する。

 楽勝だと思ってるんだけどどうなんだろう。
 金金うるさいアホどもをバカにするような情報を発信していきたいモノである。
 そういう情報はアホどもには届かないだろうけど、アホじゃない人が周りが金金言ってる中で自分はそんなにお金必要としてないけどやっぱり必要なんだろうか?とかいう不安を抱くときに”お金なんて少しで大丈夫”と安心できるようなことが書けたらなと思っちょります。

 こうご期待。

2019年8月18日日曜日

刀折れ矢尽きる 戦略的撤退

 東海地方の小さな町から、就職に伴い上京。以来25年がとこ転勤地方勤務も挟みつつ首都圏で働き、魚を釣り、生活し、楽しんだり、苦しんだり、なんだかんだで生きてきた。来週末には引っ越しでおさらばかと思うと、ゴミゴミした都会と、特に満員電車とやっと縁が切れてせいせいする気持ちのほかに、一抹の寂しさが胸に去来したりするのは不思議なものである。

 仕事はあんまり好きじゃなかったし得意でもなかった。いつも自分には文不相応ナ重すぎる荷だと感じてた。それは自分が難しい仕事をしてきたということじゃなくて、自分にゃ朝起きて遅刻せずに仕事に行き続けるのからして満員電車に後込みしてちゃ難しく、ましてや人様とホウレンソウでコミュニケーション取りながら上手に立ち回るとか「自分不器用なんで」ようせんかった気がする。普通のつとめ人が苦もなく当たり前にしていることがろくにできんダメサラリーマンだったうえに”無事これ名馬”の逆をいく病弱な駄馬ダバぶり。
 お恥ずかしい限りだけど、たまにはうまくいった仕事もあって、ヤってるときは泣き言やら呪詛の言葉を吐きながらの泥縄仕事だったけど、今思い出すと少し懐かしく、ちょびっとだけ満足。
 働くのは正直もういいやと思ってる。金が足らなくなったら日銭稼ぐような仕事はするだろうけど、再就職はしたくない。その日の食い扶持探してゴミ溜めに頭突っ込むような野良犬の生き方に漠然とあこがれる。不足することはあっても過剰なものを持ったりはしない清貧。には竿とリールが多すぎるけど。

 東京湾、房総、そこいらの河川やらには釣り人としての情熱をずいぶん突っこんだし、良い釣りもしたし、辛酸もナメ子さんである。
 小物も遠征の大物も良かったけど1匹を選ぶなら、カヤックで初めて釣った自前のスズキ80。
 これだけはどうしても釣っておかなければいけなかった。そういう魚だったと思うし、そう心に決めて執念燃やす獲物がいてくれて充実した釣りになったとおもう。新天地ではどんな魚が私の心に棲みつくのだろうか?楽しみである。

 海や魚にも感謝しきれないぐらいだけど、それにもまして一緒に楽しい釣りを過ごした釣り仲間には、いろんな教えや影響を受け、ともに釣り、語り、苦戦し、切磋琢磨し、釣りという同じ遊びを共有するだけで強く縁が結ばれた気がして、私のような偏屈な人間を受け入れてくれて、楽しく遊んでくれてありがとうと、ここに書いておきたい。
 現実の釣り仲間はもとより、リールネタとかでもりあがった、顔も知らないネット上の仲間もこれまた得難い知己を得たと思っています。

 ありがとう!そしてありがとう!!

 てな感じですが、場所変わってもやるこた一緒で魚釣りなので、来週末は引っ越し作業中なのでブログはお休み予定ですが、今後ともなにとぞよろしくお願いします。
 ただワシ仕事辞めるので、「ふるえるぞハート!金尽きるまでニート!!」っちゅうかんじでもあり、釣りに行くのは”週末”中心ってわけじゃなくなりそうで、そのあたりサイトの方も題名も一新、心機一転で新たな生活に臨みたいと思っちょります。こうご期待。

2019年8月10日土曜日

引っ越し準備中


 お引っ越しが24,25日に決まり、ここ数日荷物まとめてたんだけど、とにかく釣り具が多くてウンザリした。何とか最重要の玄関物置、釣り具部屋は終了して、これからろくに掃除などしてこなかった台所やら洗面所やらを掃除しながら片付けてイカネバの娘でスピネタしばらくやってる暇がなさそう。体力やっぱり衰えてて、日中はグタッとねてるだけで朝夕作業しているけど現時点でだいぶイキが悪い状態で、これがミミズならマハゼ食ってこないぐらいである。

 退職と転居に関わる諸手続も、煩雑で面倒臭いことはなはだしいにも程がある事この上ないったらありゃしない!!
 とりあえず永年苦汁を飲まされ続けてきた腐れ通信会社と徐々に縁を切るために、電話を携帯のみに絞って、固定回線は撤去、インターネットの回線も工事不要でWi-Fiのルーターだけ送られてくるという噂の、「BIGLOBE WiMAX 2+」と3年契約契約むすんだった。
 ネットでチョチョイとすぐ手続き終わるような書きぶりだったけど、あちこち電話しまくって支払いカードの登録だのなんだのやっぱり面倒臭く、足かけ二日、実働半日ぐらいかかった。またルーター届いたら届いたで「簡単設定」で半日がとこ苦しまされるんだろうな。まあいいや頑張ろう。
 腐れ通信会社の方は今時役所でもそんな役所仕事せんゾという素晴らしい対応振りをこれまで見せつけてくれてきているので、すんなり固定電話回線、光回線、プロバイダ契約から足抜けさせてくれると思えず、気が重くてまだ電話していない。連休明けだな。

 続いて、地上波とも決別するぞアンテナなんてもう要らねえぜと、どうせアニメはネトフリとアマプラ、GYAO!でカバーできるし、格闘技の興行もボクシングがたまにUFCの中継が無くなって解約したDAZNでしか見られないことはあるけど、だいたいGYAO!とアベマTVでカバーしていて、なんとアベマTVでは相撲も視聴可能。
 あとはNHKのNHKスペシャル、ダーウィンが来た!、サイエンスゼロ、あたりが見逃せないんだけど、これもNHKオンデマインドと契約すれば見られるっちゃみられるうえに過去の名作とかの映像もみられるようなんだけど、「見逃し・特選」どっちもコースだと月額1944円もしやがって、受信料年13600のほうが安いんでやがんの。というわけでいましばらくはアンテナのお世話になろう。
 報道とか見てないうえに、地上波はアニメとNHKの科学系番組しかみてないぐらいでNHKにはそんなに文句はなく、「NHKから国民を守る党」とか何をどう守らねばならんのか良く分からず興味もなく「ふーんそんなんに賛同する人もいるんだ」ぐらいにしか思ってないけど、NHKオンデマンドはアンテナやめてネット回線だけで済ますという選択肢が持ち得るようにもうちょっと頑張って欲しい。
 そういうことすると”アンテナ売り”の人から苦情が来るのか?アンテナ売りなんてオーケン先生の書く歌詞の中にしかいないと思ってたんだけど実在してて既得権益化してるのだろうか?

 職場関係以外で手続き時間掛かりそうなのは生命保険かなということで、金曜に電話したら13日の週は会社一丸となって夏休みのようで非常に素晴らしいと思うんだけど、そのせいもあってか担当になってくれた女性は、「死んでも金残さんといかん人間はいない。ややこしい病気になったら高度な医療は受けなくて死あるのみと思っている。」というリクエストに即応して年末調整で返ってくるのでガッチリ1万2千円がとこ払ってたのを、入院治療費等の一般的な病気の保障のみに絞ってチャッと小1時間で計算して4000円弱で組んでくれたので、即それで手続きに入ってくれるようにお願いした。
 退職後は若い日のワシが額に汗して貯めた小金を食い延ばしてなるべく働かずに生きていくために食費を月2万円以下に抑えたいとか考えてるのに、ワシの死んだ後の2000万のために1万円以上も出してもしょうがない。無収入だから控除もクソもないしナ。

 転出転入関係の役場手続きは2週間前からなので来週やるとして、銀行、カード、それからネットのよく使うサービスの住所変更とかも暇を見てという感じかな。
 うちの職場の用意してくれた宿舎は敷金礼金無しの代わりに原状復帰して退去が規則なので、綺麗に掃除するのとかもう既に面倒臭くてあきらめかかってて、ダスキンとか掃除サービスで安いところないか探さねばならん。それがまた面倒臭い。でも立つ鳥跡を濁さずで後から入った人に迷惑かけるわけにはいかんしな。死力を振り絞って虎の子の貯金を突き崩して段取りしよう。



 玄関整理してたら、サンダルの上に久しぶりにカマドウマちゃんがいるなと思ったら、ピクリとも動かず。餓死かゴキブリ用毒餌食ったのか死因は不明なれど死んじゃってた。
 自由とはかくも厳しくそれ故に気高いものだと感銘を受けた。死して屍拾うもののない孤高の死に合掌。屍ワシが拾って燃えるゴミとして処理させてもらいました。
 都会における小生物との正しいお別れの作法だと椎名高志先生も書いてました。
 カマドウマの気高く自由な一生に敬意を表して、ワシもたとえ飢え死にすることになろうともかまやしねぇゼ!という気概で新天地での釣りに生活にと取り組んでみたいと思っている。
 まあ、ボチボチと気負わずゆるふわにも大事かなとも思ったりして。

2019年8月3日土曜日

ヴァイオレット・エヴァーガーデン感想文

 京都アニメーション放火事件は世間的にも大事件だったようで、ワタクシ的には再びニュースはネットニュースの見出ししか見ない日々に戻っているけど、見出しだけ見ているだけでも割と頓珍漢なことを書いてるのが分かるのもあって、こういう沢山の人が亡くなった事件を興味本位な情報として娯楽に仕立て上げる気配はナンボなんでも俗物に過ぎる気がして嫌になる。
 見だし以上は読まんでいいなと再認識して、ファンなら黙って作品観とけだろ?と一番お気に入りの「小林さんちのメイドラゴン」と京アニの美しい”絵”を楽しむのなら「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だろうナとチマチマと観直してみた。
 そして黙っておけば良いのに感想など書こうとしているのは、私もどうにも俗物だと思うけど、皆書かずにいられなかったんだろうナ。その気持ちは分かるっちゃわかる。

 ということで、今回サイトの方の「アニメ・映画など日記」の出張版でお送りいたします。オタクなスピニングリールネタを期待していた方達には申し訳ありません。暖めてる小ネタはまだあるのでまた書きますが、今回はアニメネタです。

 ニュースの見出し読んでてなんか変なこと書いているな、と思った例を出すと「京アニは作品でも人を傷つけたりしていないのに」っていうやつで「オイオイ、ソースケとヴァイオレットちゃんは人殺しまくってただろ」と突っ込んでしまった。ソースケが主人公の「フルメタル・パニックTSR」は軍事アクションロボアニメだし、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は軍に兵器として運用されていた過去を持つ少女の物語だしで、当然戦闘で人殺しまくってる。
 そういう人殺しの主人公に共感し、作品を楽しめる自分の感覚が、現実の殺人犯を赦せない感覚とあまりにかけ離れていて整合性に欠けるので、例によってその辺グチャグチャと答えのないような問いを自分に問いながら「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」鑑賞した。
 ”戦時の人殺しは英雄で平時の人殺しは大罪人”っていう割り切りだけではすまない気がどうもしている。
 フィクションと現実とを一緒にしてはいけないっていうのも、そんなに割り切っちゃ面白くなくて自分がフィクションの世界に入り込んでいけなければ何かつまんない気がしている。

 お話自体の荒筋は、戦場での殺戮のための道具として特殊な訓練を受けてきたらしい少女が、戦争が終わり上官であり、保護者であり、少女自身にとってはそれ以上の、コンラートロレンツ博士のいうところの刷り込みの対象であり、おもいっきり依存し敬愛しそれと認識せずに恋愛感情に等しい感情を持っていた”少佐”から、彼女を託された戦友が退役して起業した郵便会社の代筆部門で働くことになり、人らしい感情もろくに育ってない過酷なこれまでを生きてきた主人公が、少佐が死を目の前にして少女に言った「愛してる」の意味を知るために、人と関わり、人の思いを知り、人のことを思いやることができるようになり、愛するということも深く知ることになるという話らしいというのは、原作ありだったので放送開始前からある程度情報流れており、まあ言っちゃ何だけど、良くある”愛”だのなんだのっていって感動を売る”お涙頂戴モノ”なんだろうなという斜に構えた姿勢で観てしまった。
 にもかかわらず初見時にも結構感動して涙腺何度か緩んで、さすが京アニ分かっててもまんまと感動させられる、という感じだったけど、今回この作品を作ったであろう人達が多く亡くなっているという前提で改めて観ると、心が燃え上がっているような痛みを伴って胸にきた。

 主人公が代筆者を育てる養成学校に通って、タイプの技術も座学の成績も抜群なのに、人の心がよく分からなくて、二人一組になって互いの手紙を代筆するという課題で主人公は軍の”報告書”のような手紙を書いてしまいロッテンマイヤーさんみたいな厳しい教官におもいっきりダメ出しされて落第してしまう。
 でも、課題では組んだ相手に戦火で亡くなった両親に宛てた手紙をたのまれたけど、本当は彼女は生き残ったたった一人の家族である兄が怪我をして足が不自由になり自暴自棄になっていることに心を痛めていた。
 その兄にあてた手紙を主人公は書いて彼女の本当に伝えたかったことを兄に伝える。
 その内容はただ「お兄ちゃん生きていてくれて嬉しい。ありがとう」というものであった。
 などという美しい物語をつくった人達の何人かは、もう、生きてくれていない。という残酷な事実をどうしても連想してしまいオレは悲しかった。泣けた。
 
 そうやって、人の心を推し量り思いやることができるようになるにつれ、当然のことながら、過去人を殺めたことの罪深さを意識し、殺めてきた人達にも家族や愛する人があったであろうことに思い至らないわけにはいかず、主人公は苦しむ。
 手紙を書き始める前には、社長さんに「君は自分がしてきたことでどんどん体に火がついて燃えあがっていることをまだ知らない」と言われても意味が分からず「燃えていません」と怪訝な表情を浮かべるしかないのだが、殺戮の道具じゃなくて”人間”になってしまうと当たり前だと思うけど社長の言葉が腑に落ちて「燃えあがっているのです」と苦悩する。人の心とはなんと悲しく面倒くせぇんだろうか。そんなモン持たなきゃ楽で良いのに。
 戦時の英雄が誇らしげに生きていける、やらなきゃやられる状況でオレは国の皆を守るためにやるべきことをやったんだ、という心の整理はそれはそれでアリだとも思う。実際そういう面もあるんだろう。
 ただ、そんな簡単に割り切れる精神の強さを持った人間だけじゃないから、戦場からの帰還兵の心理的外傷の問題なんてのが実際にあるんだろう。
 「やるしか選択肢はなかったと思うけど、殺した相手にも家族や仲間はいたんだろう」って思ってしまうのもごく普通の感覚だろう。
 社長は、してきたことは消せない、でも手紙で君がしたことも事実なんだよ、と慰める。実際問題、鬼平犯科帳で誰かが言ってたと思うけど人は良いことをしながら悪いこともする生き物であり、そうやって罪の意識にさいなまれながらも、良いこともしてきたことを誇らしく思いながら生きていかなければならないし、生きているのが普通だろう。

 だとしても人にガソリンかけて焼くようなヤツの罪が同じように赦せるか、犯人にも「良いこともしてきたんだろうから生きて償いなさい」と言えるかと考えると、正直言って無理。
 イエス様はとにかく赦してやれと言っている。罪の無いモノだけが咎人に石を投げろと言ったらみな石を投げられなくなったという説話もある。
 誰だって生まれたての赤ちゃんでもなければ罪に汚れているはずで、直接人は殺してなくても、アンタが美味いって食ってる牛肉のためにトウモロコシが不足して飢え死にした人の死の責任がアンタに全くないかといえば、ちょっとはあるよ。そういうちょっと間接的で責任の所在が分散してしまいアイマイな罪、例えば無責任にプラスチック放出して未来の子孫を殺す罪とか、贅沢に電気使って温暖化加速させて島国沈める罪とか、集めていけば先進国に生きる現代人なんて、みんな結構間接的な人殺しだと思うんだけど、それでもオレに石投げる資格なんてあるの?って疑問がつきまとう。
 自分の罪を赦して欲しいなら、殺人犯の罪も赦さないといけないのではないだろうか。でも理屈じゃ分かるけど、なかなかそれは難しい。どうすりゃ良いのか正直良く分からん。
 私は罪深い、でもそれを恥じないで生きて、死ぬときには「これが報いか」と愕然とするような罰を受けて死にたい。罪を犯しているにもかかわらず咎人に石を投げる人間の末路はそうあるべきだと思う。私をどうか許さないでくれ。っていうのが現時点での妥協案的な正直な気持ち。何にしろ罪にまみれようが生きてかなきゃならん。罰は後払いで受けろというなら受ける。

 そうやってグダグダと生きている、死んでも誰もこまらんような(ちょっと悲しんでくれる人ぐらいはいると思う)人間がのうのうと生きて楽しんでいるのに、素晴らしい能力を持った人達が亡くなってしまったことを思うと、人の命は軽いということと、都合のいい神などいないということをつくづく思う。
 津波で死んだり、放火殺人の被害に会ったり、まったく人選適当で死ぬ人はどんなに死ぬべきじゃない重要な人でも、どんなに死んで欲しくない良い人でもあっさり死ぬ。
 事実としてはこんなに軽い人の命が、人の心の中では時に地球よりも重いなんて言われるぐらいに重い。あきらかに現代的な人間の精神における構造的欠陥じゃないかと思うぐらいである。
 メメントモリ的に、死はもっと身近で受け入れられるべき現象で良いんじゃないか?じゃないと人なんて簡単に死んじまうのに悲しくて仕方ない。

 などと、まあ夏は日本じゃお盆で先祖を思う時期だし、先の戦争で死んだ人を思わずにいられない時期でもあるので、戦争と殺人と生きることと、とかグチャグチャ考えてみました。たまには死者やその死の意味について考えるのも必要かなと。

 という感じで「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」結構重い題材を扱ってるので、せっかく美少女出てくるなら悩みなくキャッキャウフフしていて欲しい、シリアスなんて必要ないっていう我が国のアニオタどもにはイマイチ受けなかったけど、海外のオタクどもにはかなり評判良かったようで、劇場版も作られていて予定通り秋に公開になるようだ。

 我が国アニオタにはイマイチ受けなかったけど、深夜のオタク向けが多かった京アニ作品としてはわりと一般受けしそうな気がしている。
 何せ絵が美しい。ってだけでも観る価値があるぐらい素晴らしい。
 多分、実写映画の手法の応用だと思うんだけど、場面転換のシーンに人物いない風景を一瞬入れて、例えば夕日に照らされる街並みで時間の経過を印象づけたり、山を登るロープーウェイで場所説明的な役割果たしてたり、雪景色で季節を表したりっていう、ほんの一秒かそこらの作画がまさに一枚の絵画のような美しさで、他にも心理的な部分を暗喩する花に落ちる水滴とか、他にもよくわからんつなぎ的な一枚も、もちろん登場人物達が活躍するシーンもとにかく美しい作画で力入りまくってて眼福なのである。

 まだ観てない人には動画配信サービスで探せばあると思うので、深夜アニメってけっこうオタク的教養がないと楽しめない作品もあるけど、本作は誰でも楽しめると思うのでお薦めしておきます。
 亡くなった人達宛に、あなたたちが作ってくれた作品はとても素晴らしかったと、感謝を伝える手紙をヴァイオレットちゃんに代筆してもらう代わりに、自分でグチャグチャ書いたりました。
 良い作品をありがとう。感謝します。深く感謝します。