しかしながらホモサピエンスは幼少期においては程度の差こそあれど、意味もなくとにかくドングリを集めたがるものであり生来ドングリスト的資質を有している。その生態により「大事箱」に仕舞ったまま忘れかけていた大量のドングリから、成長したゾウムシの幼虫が穴を開けてウゾウゾと這い出してきてギャッとなったり、戯れに鼻に詰めて取れなくなりエラいことになったりするモノである。
大人になるということは、理由もなくドングリ一つ拾うことができなくなるということかと思うとなんだか寂しくなる私は今日で47歳。
ゆうても四十路後半のオッサンが急に童心に返った裏には損得ずくの欲望が渦巻いていた。一言で言うなら独特のやや黒くてとんがったドングリを見ての「うまそうなモンが落ちてるやんケ」という食欲直結のトキメキである。
多分このトキメキは、西日本の出身者じゃないとわからないだろう。ドングリって広義には栃の実なんかも含めるけど、基本ブナ科の木の実で、クリを除くと渋いのが当たり前で、水さらしや煮こぼしで灰汁を抜いて粉にして食べる文化は戦後あたりには既に途絶えていて、とち餅とか一部郷土料理に痕跡を残すのみになっている。
ところが、クリ以外にも渋くないドングリっていうのがあって、故郷じゃ椎の実(シイノミ)って呼んでて歴史資料館の公園裏の崖でよく採ってきて煎って食べたモノである。
売ってるクリほど甘くはないけど、素朴な甘さとネットリとした歯ごたえで、なかなかおやつとしては上等なものだったと記憶しているけど、想い出補正もかかってるんだろうなと、最初はちょっとだけ拾って持ち帰って、ギンナン食べる時みたいに封筒に入れてレンジでチンして食べてみたところ、想い出補正なしで今食べても充分おいしい。
椎の実初めて食べた同居人もおいしいと言ってたので万人向けの味だろうと思う。
おいしかったので、次回ガッチリ拾ってやろうと思うと同時に、ちょっとネットとかで椎の実についてお勉強してみた。
故郷で食べていた椎の実も今回拾った椎の実も「スダジイ」の実で、ほかにあく抜きしなくても渋くないドングリは数種類あって中でも「マテバシイ」は空気の汚染とかにも強くて街路樹にも使われているとかで、全国的にどこにでも植わってるらしい。
とりあえずドングリストとしてはこの2種をおさえておけば当面関東では困らないようなので、街に出かけたついでに大きな公園とかで拾ってみた。
スダジイも珍しくない程度には植えられているようだったけど、マテバシイは公園なら定番といって良いぐらいに植わっているし、駅までの道路沿いにも植わっていた。
ただ、ドングリが拾えるほど実を付けている木ばかりではなく、同じ公園内でも拾いやすい通路上にボロボロとこぼれているぐらいの豊作な木もあれば、全く実ってない木もあって、その辺は天候やら樹勢やらで年によっても違うようだ。
渋もなくておいしいので食べられないように皮に包まれてるんじゃなかろうかと思ったりもする。クリなんてあのイガだからね。
木自体は、上の写真のようなゴツゴツした幹で、葉っぱがギザギザしていないうえに裏がくすんだ黄色っぽいので、他の木々より葉の茂ってる下のあたりが黄色っぽく見えるので割と遠くからでもそれっぽいなと見当がつく。
マテバシイのほうは、食べると若干渋みを感じるのが関係しているのか、ドングリは普通の帽子をかぶったスタイルでやや長細く、表面が若干白っぽく粉を吹いていて帽子が鱗状になっているのが特徴だけど、代表的な渋いドングリであるコナラのドングリと似ている。
ただ、木自体はコナラと違って幹がゴツゴツしていなくて、葉っぱもギザギザしていない。ドングリじゃなくて木本体の方で確認すると間違えにくいと思う。
ドングリとしてはマテバシイの方が大きくて、右の写真みたいに道ばたでもどこでも拾えることもあって量も集めやすいんだけど、スダジイより甘みが弱くてボソボソとした食感でちょっと栗の渋のような味もあって、単体で煎って食う場合はスダジイより落ちる気がする。ただ、栗の渋のような味は逆に野趣溢れる風味でもあるので、調理して味付けして食べるならこちらの方が個性があって良いのかも知れない。「マテバシイ 食べ方」とかで検索かけても、クッキーとかにして食べる方法が出てくる。甘さをガツンと加えてマロングラッセ風とかにしても良さそう。
でも粉に挽いたり砂糖だんだん濃くしながら煮詰めたりとか面倒くせえ。何か良い調理方法ないかなと考えていて、とりあえずピーナツ味噌のピーナツの代打とかどうだろうと考えている。殻剥くのはどうしても面倒だけど、あとは油で炒めて味噌と砂糖ドバドバにチョイと酒かみりんぐらいで調理自体はフライパンいっちょで簡単である。暇なときにでも試してみよう。
拾いに行くのに、蚊が多いので長袖と虫除けは必須だけど、特に買いそろえるような装備もなく、ビニール袋に拾うはしから詰めていって、現場で水に浮かぶ虫食いのものを選別して捨てて、帰ってきたら新聞紙の上にでも広げて干しておけば、腐るわけでもなし長期保存も可能。
食べたい分だけレンジでチンしてペンチで割ってチマチマ食べるのは、ミカンの皮むきながら食べるのと同様の口寂しさと手持ちぶさたを同時に解消する良いおやつになる。
ということで、リスのようにこの冬を越すためのドングリを暇を見つけて備蓄していっているところである。
ということで、ドングリストとして歩んでいく心づもりを決めたところなんだけど、ドングリ拾いながら公園の木々の間を歩いていると、なんだかドングリ以外にも惹かれるモノが目に入ってくる。
ドングリストのほうは方針も単純で迷う要素も少なく、間違って渋いの食べたところでベェッと吐き出してしまえば事足りるのでお気楽に始められるのだけど、キノコはなんぼ魅力的に目に映っても、写真撮るだけなら良いけど、食うとなるとちょっと簡単には踏み込めない難しさがあるようには思う。
昔から、案内してくれる詳しい人がいなければ素人はキノコ狩りに行くべきじゃないといわれている。私も東北在住時に連れていってもらって、その時にクリタケと二ガクリタケの見分け方を教えてもらおうとしたけど「成長段階や生える場所で形も色も違うので見た目じゃ分からない。基本これまで採ったことある場所でしか採らない。いちいち囓って苦いかどうかなんて調べていられない」という回答で、こりゃ素人には無理だと納得したものである。
食用のキノコと見た目で区別ができない毒菌があって、しかもそれが死に至るほどの猛毒とか初見殺しもいいところである。というか玄人でも結構死んでる。今年も既に秋のキノコシーズンで75歳の経験も知識もあっただろうジ様がニセクロハツとみられるキノコにあたって亡くなっている。
ニセクロハツってどんなキノコなんだろうと検索して勉強してみると、そもそもおいしいキノコとして親しまれてきたクロハツ自体、海外では死亡例もあるとか、日本のは別種だとか、詳しく調べればニセクロハツといわれているのもクロハツと呼ばれているのも一種じゃなさそうとか、分類自体再整理が必要な世界で、素人が手を出せるような明確な基準など全くない。生き物って自然ってそういうモンだと、確かな答えなどありはしないと思っておくほうが身のためであるとここでも思い知らされるのである。
素人は写真だけ撮るにとどめおいて食べない方がイイ、というのは安全を考えれば全くもって正しいのだろう。確かにキノコは美しかったり奇妙だったり、生態系での役割や植物との共生関係など生態的にも面白い生き物で観察して写真に収めるだけでも楽しいといえば楽しい。
右の写真の切り株を分解しつつある可憐な白いキノコはヒメシロウテナタケというらしい。極楽往生した者が乗るという蓮の台(ウテナ)になぞらえて幽玄な和名がつけられているのだろう。こういうのを見てるとしばし心はナウシカである。
だがしかしだ、そういって素人に手を出させないようにして自分のシロ(キノコの出る場所)を荒らされないように牽制しながら、キノコ玄人達が野生のキノコの美味をそれを狩る快楽を独占しているのだとゲスの勘ぐりが心にもたげると、フンギーッ!アタイ悔しいッ!!って思ってしまうのである。
なにもややこしいキノコを狩りたいなんて分不相応なことを思っちゃいない。例えば写真だけ撮ってきたこのキノコなんて、こんな感じのキノコなんていくらでも画像は出てきて、広葉樹の林床に生えていたという状況を加味して絞ったとしても、美味しいというハタケシメジやウスムラサキシメジにも見えるし、アタリ連発のカキシメジとかにも見える。これが分かるようになるのかどうかさえ現時点ではわからないので、現時点では食っちゃ駄目ということだけは明確に分かる。
写真のなんとかテングタケっぽいのを同定しようとして白いキノコの多さと毒キノコ率の高さに半ば呆れた。ぜんぜんコイツの素性は分からんかったけど、白いキノコであり毒っぽいというのは分かる。白い毒キノコ代表のドクツルタケとか英語圏じゃ通り名が「破壊の天使」でっせ、中二臭いけど中毒症状とか読むと絶対食いたくないと実感する。毒が吸収されてから肝臓とかを破壊し始める時間差攻撃で、解毒剤とかない苦痛の中で死ぬとかどんな拷問かと。
でも、そんなややこしいキノコばかりじゃないだろと、初心者向けのキノコもあるんだろどうせ?と思っていて、割と以前から目にしてたのが「タマゴタケ」が赤い傘に黄色い柄という毒々しい見た目にもかかわらず、無毒でかつ美味しく食べられるというもの。
個性的な見た目が幸いして見間違えそうなのは、スーパーマリオブラザーズでお馴染みのベニテングタケぐらいでそれも柄の色が違うので普通間違えないし、間違えたとしても毒々しい見た目ほどは毒性強くないらしく、せいぜい「狂戦士」化して暴れるぐらいで、昔どっかの王様が面白い夢がみられるのでハマってしまい食い過ぎて死んだらしいけど普通死にゃしないらしい。狂戦士の本場北欧では野生のトナカイもベニテングダケ食ってラリるという映像を見たことがある。
タマゴタケは素人が食っちゃっても平気だろうと思う。
コイツ自体は傘もずいぶん開ききって食べ時を逃してるように見えたし、勉強する前だったので写真撮るだけにしたんだけど、結構大きい拳ぐらいは傘があるキノコで、コレって「なんとかヤマドリタケ」とかいう美味しいキノコのひとつじゃないの?という気がして知識の無い自分がちょっと悔しくて、部屋に戻ってから手元にある小学館の「フィールドガイド10きのこ」というポケット図鑑とネットでお勉強してみると、やっぱりそれっぽくて「ヤマドリタケモドキ」が、大きくて太い柄、傘の裏がヒダじゃなくて細かい穴空き状態なところ、柄に網目模様が入っているところ、茶褐色の色、人里の広葉樹林の林床に生えるという特徴から合致するんじゃないかと判断した。本家ヤマドリタケはイタリアじゃポルチーニと呼ばれる高級キノコでヤマドリタケモドキも本家ほどじゃないけど充分美味しいキノコのようで、本家がやや高い山地に出るのに対して公園やら里山にも出るので「近所のポルチーニ」と呼んでる人もいた。
浅く調べた範囲ではヤマドリタケモドキは「イグチ科」のキノコで「イグチに毒茸無し」と昔は言われていたようで、苦くて食えないというのはあるけど、死ぬような毒持ちは山の針葉樹林に生える「ドクヤマドリ」ぐらいで、イグチ類は入門向けとのことであり、早速雨が降る前にと昨日午前中にとある公園に初茸狩りに単騎出陣した。その公園にはタマゴタケの発生情報もありタマゴタケとヤマドリタケモドキ以外は写真だけにして、採れなきゃ採れないでドングリストという作戦である。
最初っから採れるわきゃないなと、入り口近くでギンナンを確保。果肉剥くのに水につけて腐らせる必要があるのと手が荒れるらしいので、落ちてる時点で皮のむけ落ちてるようなギンナンを確保しつつ、遊歩道を歩いて行くと、いろんなキノコも出てたけど、予想に反して首尾良く「ヤマドリタケモドキ」とみられるキノコも見つけた。傘が開ききっているのが多かったけど、ある程度まとまって生えていて、複数箇所そういう場所を見つけて、ダンゴムシとかにあまり囓られてないのを2つほど確保して3時間ほどで撤収。
上から見た傘の大きさ見てもらえば分かるけどデカくて、とりあえず2個もあれば保存食作らない限り充分な収穫量。
念のためドクヤマドリなら切り口が青く変色するようなので傘の端とダンゴムシが囓ってた根元をちぎって移動中紙袋に入れてあるのを観察してみたけど、最終的にちょっと茶色っぽく変色したけど青くはならない。
太く表面に網目の走る柄、大きな茶褐色の傘で裏は小さい穴の管孔、でたのは広葉樹の林床。ヤマドリタケモドキの特徴には合致している。切り口は青く変色しない。でもそれが決め手になるのか、素人の知識不足で思わぬ落とし穴にハマっていないか、表面のゴミを洗い落として、濃いめの食塩水に浸して「虫出し」という段階になって、不安に駆られてネットで少し深い所まで潜って調べてみた。
ウーン難しい。とりあえずイグチに毒茸無しは昔の迷信でっていうことに最近ではなってきていて、死亡事故起こりそうな毒性の強い種が、ドクヤマドリの他にもミカワクロアシクロイグチとバライロウラベニイロガワリが少なくとも追加で、幸い前者は色が黒くて柄の網目が2重になっていることから、後者は亜高山の針葉樹林に生えてその名の通り薔薇色なのでヤマドリタケモドキとは明確に分けられそう。
ただ、人によっては中毒したり食用に適さないほど苦かったりというのもあって、ウラグロニガイグチとニセアシベニイグチ、ニガイグチモドキあたりが油断していると色がちょっと違っていたら間違えそう。これらは色意外にも柄に網目がないのでしっかりそこを見ていれば大丈夫そうだけど、ニガイグチが色の出方によってはかなり難しい。柄の上の方には網目もあって切り口も変色しないし、全体的な色の特徴もヤマドリタケモドキとかぶる場合がありそう。食用には適さないほど苦いらしいので食べて死ぬ危険性は低くて、現場でちょっとちぎって「ペロッ これはニガイグチ」とかすれば良いちゃ良いけど、油断してると鍋一杯分の食材を無駄にしてしまいそうで怖い。
あとは、いまだに分類されてない「不明種」扱いのヤマドリタケ属の茸も結構あるようで、今の図鑑やネットで知り得る知識総動員しても、同定しきれないのもあってそういう茸は毒か可食かも分かりゃしないので、何かちょっと違うと引っかかるようなのは「あやしきは採らない」で、狙ってる茸の典型的な特徴が出てるものだけを採るというのが鉄則のようである。
2種とも個性的な見た目で、アカヤマドリは赤くて傘に独特のひび割れ模様が出ている成長段階なら間違えなさそう。
ムラサキヤマドリタケは写真のがそうだと思うんだけど、独特の斑模様の傘の色に柄が紫で網目ありで、唯一似てて間違えそうなオオキノボリイグチも美味しい茸のようなので大丈夫と判断。
あんまり欲かいて何でも採りたがると罠にはまると思うので、独学でキノコをやっつけるということの難しさも加味して、しばらくはこのぐらいで経験積むんだろうなと思う。
昨夜、だし取りがてら塩茹でにしたヤマドリタケモドキを醤油仕立ての鍋にして今夜の晩餐に供する予定である。一切れ食べて苦くないのも確認してから寝てすでに起きているので大丈夫だと思うけど、それが最後の晩餐でも、いままで結構楽しく生きてきたしまあ良いかという感じである。
なぜ美味しいキノコもスーパーで手に入るのに、わざわざ危険性のある野生のキノコを採って食わなければならないのかと言われれば、おっしゃるとおりなのかも知れない。
でも、何の危険も犯さない、健康に良い安全な食品を食べて健康な生活習慣を身につけ、ストレスもなく長生きするのが一番の幸せだというような価値観に正直言って、いちいち腹が立つので、なるだけ反逆してやりたいのである。
そんな家畜の安寧のような幸せを誰もが求めていると思うなよと言いたい。
狩ろうが採ろうが食いモン得るという行為は、人間に限らず従属栄養の生き物の根源的な欲求であり、我らがホモサピエンスにおいては、その行為は常に危険をはらみ、それ故に冒険的で快楽を伴ってきたはずである。
雑食で何でも食って、時に死にながらもフグやらキノコやらも食うことで地に増えてきたのが我らのはずである。
曰く、食卓に供される食品は安全性が確保されているべきである。そりゃそうかもしれんけど、それを他人に確保させてると手痛い間違いを犯すぞと説教したいのである。
カツオの刺身はアニサキスが危険なので販売をひかえるとかアホかと思ったね。そんなもんアニサキスの危険性言い始めたらサンマもスルメイカも刺身じゃ食えないし、ほとんどの海産魚が駄目だろヨ。
アニサキスぐらいで滅多に死にゃしないっていう危険性の程度を頭に入れつつ旬で安くて旨い刺身を食うなら食えばいいだけジャンよ。それが嫌なら船上凍結モノとか寄生虫の危険性がない分経費かけた流通量の少ない魚だけ食ってろって話。
自分で捌けば肝臓回りとかに入ってるアニサキスの数とか状態見て「今回は刺身は回避で焼いて食おう」とかある程度危機管理できる。それを他人に責任なすりつけようとすると食うモンなくなってつまんねえことになるって分からんのかネ。
より危険度の高い、致死性の毒を持つフグとか毒キノコが混じる可能性のあるキノコとかを食べるなら、玄人に任せるか、自力で何とかするか、そもそも食わないという判断をするか、いずれにせよ自分で考えてやってくれよと思うので、私は狩ったキノコも自分の責任で食ってみます。
アホなことばかり言ってると、人工合成した肉とかも出てきたこの時代、ものを食べることの根源的な楽しみから乖離した、わけのわからんモノばっかりを食わされることになると本気で心配している。そういうジャンクな食いモノもあって良いしぶっちゃけ好きだけど、それも食いつつ雑食でいろんなモノを食いたいと強く思うのである。
ドングストと聞くとドングリゃーとなまってみたくなるわたしです。
返信削除ナマジさん椎の実食えるんですの?西日本在住ですけど食ったことないです。
昨年はこの時期やまめ釣りに行ったついでに川岸に浮いてたオニグルミ拾いまくったのに、結局食べずじまいとなりました。狩猟、採集本能がなまってきてますねw
先日ゴムボート整備して久しぶりに海に出ました。アコウ9、ウッカリカサゴ1の釣果でした。今日はカヤックでアオリイカ釣ろうと思って鳥取来たけど、まだ波が落ちてませんでした。ライブカメラ確認しとけばよかった。
ウッカリカサゴではなくカサゴですね。浜でサーファーの女の子に見とれながら書いたので、ウッカリしてましたw
返信削除kazuさん こんにちは
返信削除アコウ9はなかなか羨ましい成果ですね。
椎の実食べる地域って限られてるのでしょうか?拾って煎って食べるだけで手間いらずなのですが、関東でもギンナン拾いしている人は多いのですが、椎の実は放置されてて拾い放題です。
オニグルミは近所でも拾えるのですが、殻砕いて実を拾い上げる作業が手間で手を出せないでいます。気仙沼あたりでは正月にクルミ餡の餅をよく食べるんですが、手間暇かかってるだけあって美味しいですね。
キノコも毒茸じゃなかったようで美味しくいただいて、元気に生きてます。キノコでウッカリすると死ぬので気をつけて楽しみたいと思います。