2016年11月6日日曜日

読書って、こう、もっと楽しいモノじゃないの?

 ここ数日風邪なのか体調が悪い、のどが痛くダルくてしんどい。釣りにも行けずに家で大人しく本など読んだりネットをさまよったりしている。

 「感受性が高い若いうちに読書をしておくべきだ」との記事を読んだ。

 老いも若いも読書を楽しめば良いと思うので反対するモノではないが、若いうちの読書が人格形成やら教養のために必須のような書き方をされ、「読むべき」的な押しつけがましいことを書かれるとちょっと違うのではないかと思う。

 基本的に読書なんてのは楽しいからやるのであって、人格形成やら教養のためにももちろんなるのかもしれないが、今日のように書籍以外のデータ提供の媒体も多い中、それが必須かと聞かれればちょっと疑問に思う。本などほとんど読まない友人知人もいるが、彼らの人格に問題があるとも教養が無いとも特には感じない。

 自分自身、人格形成やら教養やらに読書ももちろん影響してるだろうとは思うが、人から直接学んだもののほうが大きいように思うし、テレビやらマンガやらからも影響は受けている。特にマンガは今更ながら自分をかたちづくるうえで大きかったように思う。

 まあ、読めと強制されて読むのは「読書感想文」のようで気が進まないというところで、読まなきゃならないなんて思いながら読んでもつまらんのではないかと思う。

 だいたい、じゃあ歳食って感受性が枯れたら読書する意味が無いのかと聞きたい。
 そうじゃないだろと、歳食ってみずみずしい感受性は枯れてもその分経験やら何やらをつんで、もののあわれ的な味わいが分かるようになっているかもしれない。そのときそのときに読んで面白いと感じる部分は違うけど、それがまた面白いんじゃないかと思う。

 というのは、開高先生が人生相談「風に訊け」で読者からの「巨匠の渾身の作がそこいらの学生ごときにそうそう理解できるわけがない、と言われたけど、読む意味が無いのでしょうか?」との問いに答えた答えぶりのパクりだが、当時もなるほどと得心したが今でもそのとおりだと思う。

 読書なんて暇つぶしの一種でとりあえず退屈しなければ御の字で、あんまり過度な期待をするなというモノである。
 それでも、沢山本を読んできた中で人生を変えるような一冊なんてのも確かに読んだ憶えがあって、確かに読書は良いものであるとも感じるところである。
 若いときに読んだ「人間失格」の主人公への共感、「オーパ!」に感じた驚嘆。たしかに若いときしかできない読書経験だっただろう。

 でも、それらと同等以上に素晴らしい読書体験には今でもたまに出会っている。例えば、「ザ・ロード」なんてのは父となっていておかしくないオッサンだからこそ深い感動を味わえたんだろうというモノだ。
 これからも爺さんになっても、「楽しいから」読書は続けるだろうと思う。

 「読書は楽しい」それが、本を読む唯一のよりどころだと私は思うのである。

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