今日移動中、国道の上を悠々と大型の鳥が飛んでいた。
アオサギのように首を曲げて飛んでいるが、羽の模様がくっきりと黒い。
これって、ひょっとしてコウノトリではないのかい?と気になっていたので帰ってから調べてみた。
結果としては、コウノトリは首を伸ばして飛ぶそうで、アオサギの黒化個体が正解のようだ。
でも千葉の空をコウノトリが飛んでいるというのはまんざら無い話でもないようだ。
千葉の野田市で平成27年の夏に繁殖させたコウノトリ3羽を放鳥している。
兵庫の事例はNHKの「ダーウィンが来た!」でもやっていたので知っていたが、千葉でも放鳥やっていたというのは恥ずかしながら初耳だった。茨城飛んでったり内房にやってきたりと広範囲を飛び回っているようなので町中の国道の上を飛んでいることも案外あるのかも知れない。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくるという言い伝えには、コウノトリが目立つ高い場所に巣をかけることからの連想もあるんだろうけど、まあああいう大きな鳥が住めるぐらい餌の生物がいて水も土も空気も汚染されていない豊かな環境があるということの証明だから、そういう風に語られたんだろうなと想像できる。
そういう意味ではコウノトリほど希少ではないかも知れないが、アオサギも魚を食う大型の鳥で、魚が豊富にいなければ生きていけない鳥であり、釣り人なら愛すべき鳥だと思う。
本来カワウもそういう鳥であって、根性無く流れの緩い淵に固まりやがって食いやすい放流養殖魚で餌付けしたような状態が、彼らをして害鳥呼ばわりさせているが、本来釣り人と豊かな自然の中で魚を分け合って生きていってしかるべきお仲間である。
害鳥呼ばわりとか下品で我慢ならない。たくさん釣れればそれでいいやと、発眼卵放流や幼魚放流のようなより自然な増殖方法では無く、養殖成魚の大量放流なんていうあんまり品のよろしくないことをあちこちでやり過ぎた結果がこの始末なんだと私は感じている。
今日は運転中で写真撮っている暇が無かったので、左は昨年の佐賀のアオサギ、遠すぎてピンぼけだがデカい鳥が飛んでいくのはなかなかに雄大で気持ちの良い光景である。
サイモンアンドガーファンクル版が有名なペルーの民謡「コンドルは飛んでいく」もそんな雄大な感じのする旋律である。
あれを演奏する民族楽器のケーナは人間の大腿骨で作ることもあると聞いて、なんとも中二な楽器だなあと感心した憶えがある(当時はそういうかっこよさを表現する言葉が無かったが、「中二」という言葉でばっちりハマる)。
弦楽器部門のチャランゴという楽器がアルマジロで作ることもあるというのはあんまり中二じゃない。
サイモンアンドガーファンクル版では「If I could(もしなれるなら)」と歌われるが、私は、もしなれるなら釣りが上手くなりたいと今日切実に思っている。
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