人でも物でも永遠に一緒にはいられないと、どこかに書いた気がするけど、そうなんだけど、だからといって「はいサヨナラ」とは言いたくないあきらめの悪い性格。
脳内で薬師丸ひろ子もサヨナラは別れの言葉ではないと歌っている。
ということで、今日は昨日コケて、前回コケたとき竿をかばって腰を打った反省を生かしたつもりもないのだが、とっさに竿を持った手をついたことにより、ポッキリいってしまったパックロッドの修理などしております。割と上手くいきつつあって竿をいじれる技術は身につけておいて良かったと思うところです。
ついでにもう一本、棒のような、竿にあるまじきアクションの先代パックロッドも使いやすいように改造したりして、ガイドをナニにしようかとかあれこれいじり回しつつ、ガイドについて書きかけて放置してあった文も完成させて、「工夫」に「ガイドの案内」としてUPしました。また読んだってください。
写真のツバメたちは、駅の通路の防犯カメラの上に巣をかけたツガイがいるなと思っていたら、アッちゅう間にでっかくなって旅立ちそうになってます。同じツガイかわかりませんが、去年はコンビニの防犯用回転灯に巣をかけてました。防犯グッズが好きなツガイなのでしょうか。ツバメの子供の数が都会の方が少ないという報告を先日目にしましたが、都会でも林などが近いと餌の虫が多くて多くの子供が育つんだとか。近所に学校の敷地の林があり川もあるので比較的恵まれた子育て条件であり毎年帰ってくるのかもしれません。
いろいろと未来の話も進行中で、夏休みは9月22日から10月1日まで、キリバス諸島クリスマス島に一発勝負かけにいってきます。一人で6日投げ続けるのはしんどいので、一緒に行きたいという方がおられましたらご連絡ください。若干1名募集中(知人向けの業務連絡でツアー募集とかではないです。すいません悪しからず。)。
それから、パックロッドを急いで直しているのは、風雲児さんとメールのやりとりをしていて、「近所の川でギギが良く釣れる」という部分にバイトしてしまい。7月に仕事と絡めていってしまおうと計画しているので「出張ロッド」が必要になっているというところです。風雲児さんよろしくです。
「デカいサメ、沖縄で釣れるよ!」という情報を沖縄の釣り人さんからいただいているのですが、メールを返信しようとしても、セキュリティーにはじかれているのか上手く送信できていません。無視してるような形になっていたらすいません。基本もらったメールには迷惑メールじゃない限り返信してます。
デカいサメを釣るタックルとして1セット20キロのドラグ値をかけられるスタンダップタックルを準備していたのですが、20キロドラグは道具か体が壊れそうで正直ちょっと怖いです。ということでまだいつ釣りに行くかもしれないサメのために、もう1セット買ってしまいしました。80ポンドタックルで20ポンド(10キロ)ぐらいのドラグで適度に伸びるナイロンラインをメインラインにしたら、多少「体に優い」ような気がします。リールは男らしくセネター9/0をゲットしたりました。ナイロンライン80LBって普段はショックリーダーにするような太さで、ビミニツイストとかの練習をせねばという感じです。
会えば別れるのが運命であるように、人は会うべきモノにはどうやっても会う運命になっているような気がしてもいます。80のスズキにも会ったし、ビワコオオナマズ、ヨーロッパオオナマズ、アフリカンクララにも会ったし、テナガにもタナゴにも会った。
私はきっと、20キロオーバーのロウニンアジにも会うだろうし、ギギにも会うだろうし、デカいサメにも会うだろう。と言霊の力を期待して書いておきたい。
2014年6月29日日曜日
2014年6月21日土曜日
権威主義と民主主義
と、併記すると前者が悪で後者が正義のような字面だが、私はあまりそう思っていない。
まず民主主義の象徴である多数決が私は嫌いだ。
民主主義が必ずしも多数決で物事を決めるシステムではないと理解しているつもりだが、それでも「選挙」や物を買うというような消費に伴う「自由競争」が民主主義的なものだと感じるし、それらには多数決の要素が含まれているように感じる。
「人間が愚かである」ということを前提にすると、多数決で物事を決めると、愚かな結果となる道理である。
政治的にそういう状態を指して「衆愚政治」とかいうらしい。
人は時に賢いけど、時に愚かだと思うので、民主主義は案外上手くいくときもあれば、愚昧な結果を招くこともある。どんなシステムでも良い点悪い点があって上手く運用しなければクソだという話なのかもしれない。
運用上、割とマシなやり方が、みんなで知恵を絞ってスペシャリストを選んで、ある程度その人に任せてしまうというのがあって、それが選挙だったりするんだろうけど、まあご存じのとおり選挙は声の大きい多数派の利益代表者が選ばれがちなので、少数派の人間は虐げられがちである。
私も思想的にはマイノリティーというか自分では常識人だと思っているのだが「偏屈な変わり者」と言われがちな人なので、小学校の学級会の昔から、原発反対とかの政策的な話まで、少数派で多数決に負けて「オレのいってることの方が正しいのに」という割と確かな思いがあるのに、悔しい思いをしがちである。
「愚か者どもの愚かな決定になぜ賢い(と時に思いあがる程度の50歩100歩な愚者であることは重々承知している)私が従わねばならぬのか?」というのは私だけが感じる不条理ではないと考える。
多数決の結果に従うぐらいなら、同じように自分の思いと違っていても、信頼できる専門家の独断に従う方が心安らかである。
というような得意でもなければ好きでもない政治的な話を枕に持ってきたのは、ここしばらく香港釣行の番外編を書いていて、魚の種を同定する必要があったのだけれど、その際にいろんな人が知識を持ち寄った「民主主義」的なウィキペディアに代表されるネット情報と、日本の魚類分類の第一人者であり「権威」である中坊徹次教授編著の「日本産魚類検索 全種の同定」東海大学出版会のような図鑑を比較したときに、何となくちょっと似たようなところがあると感じたので、普段「民主主義」に虐げられている少数派の鬱憤をついでにとぶちまけたところである。
ウィキペディア大先生の便利さやらの利点を否定するのはさすがに難しい。森羅万象これでもかという多岐にわたる項目について、それぞれの知識を持った者が、自由参加で書きこんで議論しつつ最新の情報にアップデートしていく情報は、ネット上で無料公開されているというアクセスのしやすさもあって、調べ物するには非常に簡単かつ早く、今時仕事でもプライベートでも「ググる」の次ぐらいに「ウィキる」ぐらいの勢いでお世話になってる。
だがしかし、正確性という点では信頼性はイマイチである。「君の名は4-香港魚市場逍遙編-」を読んでいただければ分かると思うのだが、ウィキペディア大先生もその他のネット情報にも結構ミスがあったりする。
ウィキペディアに関しては、あまり確定的な正確さを重要視すると、最新の情報とかの検証作業に時間が取られて、情報の新しさというネットならではの利点が削られてしまうので利点と裏返しの部分があり、そういうものだと思って使うしかない。
他のネット上の情報の一般的な不確かさは、結局誰が責任持って書いているか分からない「匿名」の情報だという部分も大きな原因のような気がしている。
まあ自分も匿名で確かかどうか自信の無いような情報を発信しながらこういうのも何だけど、素人か玄人か書いた人間のレベルもよく分からない情報は、どこまで信頼できるのか見切りが難しい。
その点、その道の権威が書いた書物や論文は責任者が明確で、書いた情報が間違っていれば著者が「恥を書く」話で、気合いの入り方も違えば信憑性も違ってくるというもの。
ただ、責任持って書くということは、しっかり裏を取ってということが必要で、時間はかかる。「日本産魚類検索」も第2版が出てからしばらくたつが、最近の遺伝的な情報の解析の進捗による分類の再整理的な動きには対応し切れていない。
しかしながら、それまで魚の種の同定には、いろんな図鑑を引っ張り出してきて悪戦苦闘していた時代に「全種の同定」を高らかに謳って出版された「日本産魚類検索」の実用性の高さ、志の高さ、気合いの入りっぷりには感銘を覚えた。今でもネット情報で最新のネタは補足しつつも中古で手に入れた第1版をこれ以上ないぐらいに信頼を置いて愛用している。
結局、権威に頼るにしても、ネットの情報を取捨選択していくにしても、自分がどう判断していくかということが最終的な自分の答えを得るための、めんどくさくも楽しい過程なんだなと再認識したところである。
よく、無人島に一人で流されるときに1冊だけ本を持っていくならなにを持っていくかという議論があるけど、「日本産魚類検索」は大本命「オーパ!」の対抗ぐらいに私の中で重要な1冊である。
ちなみに大穴は、実用性を加味してエロ本を1冊。
まず民主主義の象徴である多数決が私は嫌いだ。
民主主義が必ずしも多数決で物事を決めるシステムではないと理解しているつもりだが、それでも「選挙」や物を買うというような消費に伴う「自由競争」が民主主義的なものだと感じるし、それらには多数決の要素が含まれているように感じる。
「人間が愚かである」ということを前提にすると、多数決で物事を決めると、愚かな結果となる道理である。
政治的にそういう状態を指して「衆愚政治」とかいうらしい。
人は時に賢いけど、時に愚かだと思うので、民主主義は案外上手くいくときもあれば、愚昧な結果を招くこともある。どんなシステムでも良い点悪い点があって上手く運用しなければクソだという話なのかもしれない。
運用上、割とマシなやり方が、みんなで知恵を絞ってスペシャリストを選んで、ある程度その人に任せてしまうというのがあって、それが選挙だったりするんだろうけど、まあご存じのとおり選挙は声の大きい多数派の利益代表者が選ばれがちなので、少数派の人間は虐げられがちである。
私も思想的にはマイノリティーというか自分では常識人だと思っているのだが「偏屈な変わり者」と言われがちな人なので、小学校の学級会の昔から、原発反対とかの政策的な話まで、少数派で多数決に負けて「オレのいってることの方が正しいのに」という割と確かな思いがあるのに、悔しい思いをしがちである。
「愚か者どもの愚かな決定になぜ賢い(と時に思いあがる程度の50歩100歩な愚者であることは重々承知している)私が従わねばならぬのか?」というのは私だけが感じる不条理ではないと考える。
多数決の結果に従うぐらいなら、同じように自分の思いと違っていても、信頼できる専門家の独断に従う方が心安らかである。
というような得意でもなければ好きでもない政治的な話を枕に持ってきたのは、ここしばらく香港釣行の番外編を書いていて、魚の種を同定する必要があったのだけれど、その際にいろんな人が知識を持ち寄った「民主主義」的なウィキペディアに代表されるネット情報と、日本の魚類分類の第一人者であり「権威」である中坊徹次教授編著の「日本産魚類検索 全種の同定」東海大学出版会のような図鑑を比較したときに、何となくちょっと似たようなところがあると感じたので、普段「民主主義」に虐げられている少数派の鬱憤をついでにとぶちまけたところである。
ウィキペディア大先生の便利さやらの利点を否定するのはさすがに難しい。森羅万象これでもかという多岐にわたる項目について、それぞれの知識を持った者が、自由参加で書きこんで議論しつつ最新の情報にアップデートしていく情報は、ネット上で無料公開されているというアクセスのしやすさもあって、調べ物するには非常に簡単かつ早く、今時仕事でもプライベートでも「ググる」の次ぐらいに「ウィキる」ぐらいの勢いでお世話になってる。
だがしかし、正確性という点では信頼性はイマイチである。「君の名は4-香港魚市場逍遙編-」を読んでいただければ分かると思うのだが、ウィキペディア大先生もその他のネット情報にも結構ミスがあったりする。
ウィキペディアに関しては、あまり確定的な正確さを重要視すると、最新の情報とかの検証作業に時間が取られて、情報の新しさというネットならではの利点が削られてしまうので利点と裏返しの部分があり、そういうものだと思って使うしかない。
他のネット上の情報の一般的な不確かさは、結局誰が責任持って書いているか分からない「匿名」の情報だという部分も大きな原因のような気がしている。
まあ自分も匿名で確かかどうか自信の無いような情報を発信しながらこういうのも何だけど、素人か玄人か書いた人間のレベルもよく分からない情報は、どこまで信頼できるのか見切りが難しい。
その点、その道の権威が書いた書物や論文は責任者が明確で、書いた情報が間違っていれば著者が「恥を書く」話で、気合いの入り方も違えば信憑性も違ってくるというもの。
ただ、責任持って書くということは、しっかり裏を取ってということが必要で、時間はかかる。「日本産魚類検索」も第2版が出てからしばらくたつが、最近の遺伝的な情報の解析の進捗による分類の再整理的な動きには対応し切れていない。
しかしながら、それまで魚の種の同定には、いろんな図鑑を引っ張り出してきて悪戦苦闘していた時代に「全種の同定」を高らかに謳って出版された「日本産魚類検索」の実用性の高さ、志の高さ、気合いの入りっぷりには感銘を覚えた。今でもネット情報で最新のネタは補足しつつも中古で手に入れた第1版をこれ以上ないぐらいに信頼を置いて愛用している。
結局、権威に頼るにしても、ネットの情報を取捨選択していくにしても、自分がどう判断していくかということが最終的な自分の答えを得るための、めんどくさくも楽しい過程なんだなと再認識したところである。
よく、無人島に一人で流されるときに1冊だけ本を持っていくならなにを持っていくかという議論があるけど、「日本産魚類検索」は大本命「オーパ!」の対抗ぐらいに私の中で重要な1冊である。
ちなみに大穴は、実用性を加味してエロ本を1冊。
2014年6月14日土曜日
円盤との遭遇
今期、録画してみているアニメは当方的には豊作である。
土曜は「シドニアの騎士」と「ジョジョ3部」が楽しみで、結構早く目が醒めてしまうぐらいである。
シドニアやっぱりわかる層にはわかるようで、ネットでは当方のように激賞している意見を散見する。彼等とは旨い酒が飲める気がする(医者に酒止められてるけど)。いやほんとオモロイんだって。
ただ、わかる層にはわかる程度では「大勝利」的な売り上げにはならないようで、ブルーレイ・DVDの売り上げは、今売り出している一巻で7000本ぐらいになるというネットの識者の予想となっている。
今回映像フルCGで金かかってるので当てはまるのかどうか不明だが、いちおう7000本が第二期を作るかどうかの境目になるそうである。ホントかどうか良く知らんがネットでみんなそういうておるんです。
となると、シドニアは微妙なラインで、ネット上では「二期作ってくれ~」という声が上がるのだが、それに対してうるさガタから「おまえら評論家気取りのヤツはあーだこーだ言うだけで円盤買わんから良い作品でも売り上げ上がらんし、とりあえず売れる萌え豚(萌えアニメを「ブヒィーッ!」と歓喜の声を上げて歓迎視聴するアニメファンを揶揄する蔑称)の餌みたいな作品ばっかりになるんじゃ、二期作ってほしけりゃ円盤買いやがれ!」という冷静な突っ込みが入るのである。
確かにそのとおりである。原作漫画は買っているが、アニメはアニメで別物として超楽しめている。これは原作者だけでなくアニメ制作陣にも一票入れるべきではないか。それがサブカルのパトロンたるオタク野郎のつとめというモノではないかと、そんな気がするのである。
でもって始めてテレビ放映しているアニメのDVDを買ってみた。
でもお高いっ!2話入ったDVDが4500円からする。他の作品でも同様の値段で初回特典でグッズとかいっぱいつくともっと高いのもあるようだ、だいたい4500~5000円。一期12話をそろえると2万3万とか、竿買えまっセ。
ブルーレイとかだと、画質も音質も一段とよくてこだわりのオタクならブルーレイでおさえるべきなんだろうけど、こだわらないオタクである当方は、画質音質あんま気にしないでパソコンで再生するDVDという視聴環境である。テレビ放送の録画版より修正も入っているようで、さすがに画質は良いようにおもったが、でもテレビ放送版の時点ですでに当方などお腹いっぱいなぐらいに綺麗な映像だった。円盤買う理由が一票入れる意義以外に思いつかん。
世のオタク共はこんなに高価な円盤を、好きな作品ならそろえてしまっているということかと思うと、マジで昔の王侯貴族並みの太っ腹なすばらしい芸術のパトロンぶりではないだろうか。
親のスネ囓ってるニートかもしれないし、なけなしのバイト代を突っ込んでるフリーターかもしれないけど、やってることはメディチ家とか大家政子とかのような偉大なパトロン達と同じである。
大家政子さんバレエ団持ってたって聞いたときは、「金持ちってスゲー」と驚いた。
なかなか良いパトロンになるには金もかかるようである。
次も面白いアニメあったら円盤買うかどうか?
まあ、一票入れたくなるぐらいのがあれば1巻ぐらいは買おうかな。
土曜は「シドニアの騎士」と「ジョジョ3部」が楽しみで、結構早く目が醒めてしまうぐらいである。
シドニアやっぱりわかる層にはわかるようで、ネットでは当方のように激賞している意見を散見する。彼等とは旨い酒が飲める気がする(医者に酒止められてるけど)。いやほんとオモロイんだって。
ただ、わかる層にはわかる程度では「大勝利」的な売り上げにはならないようで、ブルーレイ・DVDの売り上げは、今売り出している一巻で7000本ぐらいになるというネットの識者の予想となっている。
今回映像フルCGで金かかってるので当てはまるのかどうか不明だが、いちおう7000本が第二期を作るかどうかの境目になるそうである。ホントかどうか良く知らんがネットでみんなそういうておるんです。
となると、シドニアは微妙なラインで、ネット上では「二期作ってくれ~」という声が上がるのだが、それに対してうるさガタから「おまえら評論家気取りのヤツはあーだこーだ言うだけで円盤買わんから良い作品でも売り上げ上がらんし、とりあえず売れる萌え豚(萌えアニメを「ブヒィーッ!」と歓喜の声を上げて歓迎視聴するアニメファンを揶揄する蔑称)の餌みたいな作品ばっかりになるんじゃ、二期作ってほしけりゃ円盤買いやがれ!」という冷静な突っ込みが入るのである。
確かにそのとおりである。原作漫画は買っているが、アニメはアニメで別物として超楽しめている。これは原作者だけでなくアニメ制作陣にも一票入れるべきではないか。それがサブカルのパトロンたるオタク野郎のつとめというモノではないかと、そんな気がするのである。
でもって始めてテレビ放映しているアニメのDVDを買ってみた。
でもお高いっ!2話入ったDVDが4500円からする。他の作品でも同様の値段で初回特典でグッズとかいっぱいつくともっと高いのもあるようだ、だいたい4500~5000円。一期12話をそろえると2万3万とか、竿買えまっセ。
ブルーレイとかだと、画質も音質も一段とよくてこだわりのオタクならブルーレイでおさえるべきなんだろうけど、こだわらないオタクである当方は、画質音質あんま気にしないでパソコンで再生するDVDという視聴環境である。テレビ放送の録画版より修正も入っているようで、さすがに画質は良いようにおもったが、でもテレビ放送版の時点ですでに当方などお腹いっぱいなぐらいに綺麗な映像だった。円盤買う理由が一票入れる意義以外に思いつかん。
世のオタク共はこんなに高価な円盤を、好きな作品ならそろえてしまっているということかと思うと、マジで昔の王侯貴族並みの太っ腹なすばらしい芸術のパトロンぶりではないだろうか。
親のスネ囓ってるニートかもしれないし、なけなしのバイト代を突っ込んでるフリーターかもしれないけど、やってることはメディチ家とか大家政子とかのような偉大なパトロン達と同じである。
大家政子さんバレエ団持ってたって聞いたときは、「金持ちってスゲー」と驚いた。
なかなか良いパトロンになるには金もかかるようである。
次も面白いアニメあったら円盤買うかどうか?
まあ、一票入れたくなるぐらいのがあれば1巻ぐらいは買おうかな。
2014年6月7日土曜日
破られた静寂 耳の物語
ツーテンの虎ファンさんが、九州に転勤になってライギョ釣るためのフロッグをいじっているのを見るにつけ、「九州いいな~、ライギョ釣りて~」と思うと同時に、フロッグをいじりたくなって、思わずいくつも買ってしまった。
具体的に九州遠征が予定されているわけでもないが、ライギョ用の中空フロッグは虎ファンさんが「育てる」という表現を使っていたように、ウェイトを調整したりペラ付けたり、内部構造を強化したり、お尻に空気穴開けてフックホールはシーリングしたりと、釣りに行く前に手間をかけて楽しむモノであり、毛針を巻く夜が釣り師の純粋な喜びに数えられるように、フロッグ育てる夜もまた純粋に喜ばしいモノで、梅雨の雨音を聞きながらここ数日楽しんだところだ。
フロッグは各種売られているけど、非常に個人の嗜好や釣り手との相性のあるルアーで、それはまあ他のルアーでもそうだとは思うけど、手をかけるのが前提でもあり、そういう思い入れの強くあらわれる嗜好品だと思う。
私が好きなのは、今売っている中ではウィップラッシュファクトリー・ブランドで出ている「X.O.SR」。たまたま池の上の電線に引っかかっていて、同様に自分のフロッグ引っかけちまった時にとれないか揺すったらついでに落ちてきて、使ったら良く釣れて「拾ったルアーは良く釣れるの法則」を地でいくようなルアーだった。
一番好きだったザウルスの「バギーウォーカー」は廃盤だったりするが、同じく廃盤のマンズの「ザ・フロッグ」は中古屋でよくみかけたのでいくつか確保していた在庫があり、そのモチモチとした触感を楽しみつつ育ててみた。
手前のシングルフック外付けの白いまんじゅうは何だろう?と思うかもしれない。中空フロッグを使う意味はその障害物回避能力にあり、フックを外付けしたら意味なくなると普通思うだろう。
しかしどうもオープンウォーターでもフロッグが効く状況があり、形状からくる水の押し方が効くんじゃなかろうかとかいろいろ仮説はあるけど、一つ面白い仮説に、フックの音がしないのが良いんじゃないかというのがあって、それを試すための1個である。障害物が無い場所では、あのフッキングしにくい、ダブルフックをボディーに一体化したスタイルは必要なく、フックはむき出しにしないと「出るけどかからない」状態になるのは目に見えている。フックはフックホールシーラーで固めてグラグラ動いてボディーに当たったりして音を出さない仕様にしている。
ソフトな素材のフロッグではそれほど気にしなくて良いのかもしれないが、フックがルアーのボディーと当たる音、フックとスプリットリングの擦れる音は意外なぐらい大きくて、ロドリ誌上での実験企画だったと思うけど、「水中でルアーの音を聞いてみる」という極めてバカでかつ正しいプールでの実験があって、もちろん陸上の人間にさえ聞こえるバイブレーションのラトル音は水中でもうるさいぐらいに聞こえたんだけど、意外にフックの出す音が大きいと報告していた。ノンラトルのプラグでも結構騒々しいようだ。
そう思って意識すると、それってあたりまえのように感じる。タックルボックスからルアーを取り出すときにフックがガチャガチャいってるのが、水中で音を出していないわけがない。
私は特に大きなプラグをボックスから出すときの音が好きで、そのことを意識したのは田辺ノリピー大先生がアスワンハイダムかどっかにナイルパーチ釣りに行ったときの映像で、デッカいディープダイバーをガサガサカチャカチャと出してきたときの音に「うわー良い音してるな~」と思って、自分がそういうのが「お好きな人」だと認識した。
それほどデカイプラグでもないけど、実に良い音を出してくれるのが、ラパラのFマグで、軽いドームウッド製のボディーにフックが当たると、どうにもこうにも良い感じに音がするのである。それだけでどんぶり飯おかわりできるぐらい興奮する。もしかして私って変?
プラグの音としては、トップは別として真っ先に語られるのは、ラトルインかノンラトルかの違いで、その後はあまり語られないように思うが、もう少し突っ込んでいくと、重心移動の有無やそれが音を出すか出さないか(たぶんマグネット方式だと音が少ないはず)、フックがトリプルかシングルか、接続にリングを使うかPEとかを使うか、そもそもプラグが動いて音を出しやすいかそうじゃないかとか、リングとフックをフックホールシーラーなんかで固定してしまってガチャガチャしないようにするとどうなるか、なんてのは気になるところであり、ルアーのカラーごときは派手なのと地味なのと2種類あればいいやと投げやりに考えているが、音についてはもっと丁寧に考えても良いのかなと思っている。
まあ、シーバスは基本何でも食ってくる魚で、Fマグのフックがトリプルだろうがシングルだろうがあんまり関係無い感じだが、それでも夜の運河でまったく音を出していないはずのフッコスペシャルが効くのは音も動きも極端に少ないからじゃないかと思っていて、音というのは気をつけていないと文字通り目に見えない要素なので、耳を澄ませておきたいと思うのである。
耳から入る情報は時として目から入る情報以上に意味を持つ。それは魚だけでなく人間でもそうで、全盲の人はある程度コウモリのように音響反射で部屋の構造物を把握できて、消音壁に囲まれた部屋ではその感覚を無くしてしまうらしい。プロ野球の外野手が目隠しした状態で打球音だけでライトかレフトのどちらにボールが飛んだか聞き分ける映像を見たことがある。
釣り場でも、耳を澄ませておくに超したことはない。捕食音や逃げ惑う小魚のはねる音をとらえることができたなら、続いて、ライギョの「バフッ」とかシーバスの水面でのエラ洗い、ドラグの逆転、なんかで静寂が破られる音を聞くことができるかもしれない。
そうでなくても、風や雨の音を楽しむだけでもなかなかに良いと思うのである。
鳥や虫、カエルの声が聞こえたらなお良し。
具体的に九州遠征が予定されているわけでもないが、ライギョ用の中空フロッグは虎ファンさんが「育てる」という表現を使っていたように、ウェイトを調整したりペラ付けたり、内部構造を強化したり、お尻に空気穴開けてフックホールはシーリングしたりと、釣りに行く前に手間をかけて楽しむモノであり、毛針を巻く夜が釣り師の純粋な喜びに数えられるように、フロッグ育てる夜もまた純粋に喜ばしいモノで、梅雨の雨音を聞きながらここ数日楽しんだところだ。
フロッグは各種売られているけど、非常に個人の嗜好や釣り手との相性のあるルアーで、それはまあ他のルアーでもそうだとは思うけど、手をかけるのが前提でもあり、そういう思い入れの強くあらわれる嗜好品だと思う。
私が好きなのは、今売っている中ではウィップラッシュファクトリー・ブランドで出ている「X.O.SR」。たまたま池の上の電線に引っかかっていて、同様に自分のフロッグ引っかけちまった時にとれないか揺すったらついでに落ちてきて、使ったら良く釣れて「拾ったルアーは良く釣れるの法則」を地でいくようなルアーだった。
一番好きだったザウルスの「バギーウォーカー」は廃盤だったりするが、同じく廃盤のマンズの「ザ・フロッグ」は中古屋でよくみかけたのでいくつか確保していた在庫があり、そのモチモチとした触感を楽しみつつ育ててみた。
手前のシングルフック外付けの白いまんじゅうは何だろう?と思うかもしれない。中空フロッグを使う意味はその障害物回避能力にあり、フックを外付けしたら意味なくなると普通思うだろう。
しかしどうもオープンウォーターでもフロッグが効く状況があり、形状からくる水の押し方が効くんじゃなかろうかとかいろいろ仮説はあるけど、一つ面白い仮説に、フックの音がしないのが良いんじゃないかというのがあって、それを試すための1個である。障害物が無い場所では、あのフッキングしにくい、ダブルフックをボディーに一体化したスタイルは必要なく、フックはむき出しにしないと「出るけどかからない」状態になるのは目に見えている。フックはフックホールシーラーで固めてグラグラ動いてボディーに当たったりして音を出さない仕様にしている。
ソフトな素材のフロッグではそれほど気にしなくて良いのかもしれないが、フックがルアーのボディーと当たる音、フックとスプリットリングの擦れる音は意外なぐらい大きくて、ロドリ誌上での実験企画だったと思うけど、「水中でルアーの音を聞いてみる」という極めてバカでかつ正しいプールでの実験があって、もちろん陸上の人間にさえ聞こえるバイブレーションのラトル音は水中でもうるさいぐらいに聞こえたんだけど、意外にフックの出す音が大きいと報告していた。ノンラトルのプラグでも結構騒々しいようだ。
そう思って意識すると、それってあたりまえのように感じる。タックルボックスからルアーを取り出すときにフックがガチャガチャいってるのが、水中で音を出していないわけがない。
私は特に大きなプラグをボックスから出すときの音が好きで、そのことを意識したのは田辺ノリピー大先生がアスワンハイダムかどっかにナイルパーチ釣りに行ったときの映像で、デッカいディープダイバーをガサガサカチャカチャと出してきたときの音に「うわー良い音してるな~」と思って、自分がそういうのが「お好きな人」だと認識した。
それほどデカイプラグでもないけど、実に良い音を出してくれるのが、ラパラのFマグで、軽いドームウッド製のボディーにフックが当たると、どうにもこうにも良い感じに音がするのである。それだけでどんぶり飯おかわりできるぐらい興奮する。もしかして私って変?
プラグの音としては、トップは別として真っ先に語られるのは、ラトルインかノンラトルかの違いで、その後はあまり語られないように思うが、もう少し突っ込んでいくと、重心移動の有無やそれが音を出すか出さないか(たぶんマグネット方式だと音が少ないはず)、フックがトリプルかシングルか、接続にリングを使うかPEとかを使うか、そもそもプラグが動いて音を出しやすいかそうじゃないかとか、リングとフックをフックホールシーラーなんかで固定してしまってガチャガチャしないようにするとどうなるか、なんてのは気になるところであり、ルアーのカラーごときは派手なのと地味なのと2種類あればいいやと投げやりに考えているが、音についてはもっと丁寧に考えても良いのかなと思っている。
まあ、シーバスは基本何でも食ってくる魚で、Fマグのフックがトリプルだろうがシングルだろうがあんまり関係無い感じだが、それでも夜の運河でまったく音を出していないはずのフッコスペシャルが効くのは音も動きも極端に少ないからじゃないかと思っていて、音というのは気をつけていないと文字通り目に見えない要素なので、耳を澄ませておきたいと思うのである。
耳から入る情報は時として目から入る情報以上に意味を持つ。それは魚だけでなく人間でもそうで、全盲の人はある程度コウモリのように音響反射で部屋の構造物を把握できて、消音壁に囲まれた部屋ではその感覚を無くしてしまうらしい。プロ野球の外野手が目隠しした状態で打球音だけでライトかレフトのどちらにボールが飛んだか聞き分ける映像を見たことがある。
釣り場でも、耳を澄ませておくに超したことはない。捕食音や逃げ惑う小魚のはねる音をとらえることができたなら、続いて、ライギョの「バフッ」とかシーバスの水面でのエラ洗い、ドラグの逆転、なんかで静寂が破られる音を聞くことができるかもしれない。
そうでなくても、風や雨の音を楽しむだけでもなかなかに良いと思うのである。
鳥や虫、カエルの声が聞こえたらなお良し。
2014年6月1日日曜日
気仙沼フカヒレ冤罪事件
「給食でフィッシュバーガーっていうメニューがあったんだけど、すごく美味しくて魚って言うより’肉’っていう味で、思わず給食の人に「なんて魚ですか?」って聞いちゃったんだけど、何だったと思う?」とガッコの先生である同居人が問う。
ここで外しては水産のプロの沽券にかかわる。
脳内検索モードMAXパワーでいく。
獣肉っぽい魚肉で真っ先に浮かぶのが、マグロとかの大型魚の頬肉や血合いなどだが、「給食」で使うとなるとそれでは量が確保できない。
値段は安く、関東で給食に使えるほどのロットが購入できる魚で獣肉っぽい魚。脳内検索終了。
「サメ。しかもアンタの故郷の気仙沼に水揚げされるモウカ(ネズミザメ)やろ。」
正解であった。サメって表記するといやがる子供もいるようで「フィッシュバーガー」と誤魔化しているそうだが、「こんなに美味しくて安いって、そのうちみんな気付いて流行りそう。」と同居人は言う。
脂ののりはそれほどでないけど、鶏肉のような歯ごたえのある淡泊な肉質で、衣を付けて揚げ物にすれば、脂ののりも補完できてサメバーガーはなかなかに良いメニューだと思う。気仙沼でも売り出しているが、まだメジャーブレイクしていない。これからブームがきてもおかしくない。
気仙沼で水揚げされる魚なのに、同居人が関東で給食で始めて食べたというのには、なかなかに面白い食文化の歴史がある。
気仙沼に水揚げされるサメは、元々はマグロやカジキを獲るときの副産物で、気仙沼にはサメを食べる文化はあまりなかったらしい。ところがマグロ漁業が盛んになるに従い、水揚げされるサメの量も増える。そうするとヒレはフカヒレに加工して中国に輸出するにしても、身が余る。マグロ漁で副産物的にとれるサメはヨシキリザメとネズミザメ(モウカ)が多く、ヨシキリザメはすり身原料に適しているのですり身になって練り製品に、しかしネズミザメはすり身には向かない身質。すり身原料に向く魚ってエソのように普通に食べるのには向かないこともあるが、ネズミザメは逆パターンで普通に総菜用として美味しい身質。
でも、サメって人を食うイメージもあって食べるのはいやがられる場合が多い。しかし、体内にアンモニア前駆物質が多くアンモニア発酵でアルカリ性に傾く性質から日持ちが良いため、山間部で好んで食べている地域があった。それが北関東の栃木とかで、気仙沼のネズミザメは身はそっちに流通させたのであると当方は推理している。それでもサメって聞くといやがる人もやっぱりいたのか、いつ頃からか定かではないけど北関東では「モロ」という名で売られている。食品表示の問題とか以前からある呼び名でいまも地域名として使われている。北関東の人いつも食べてる安くて美味しい「モロ」がサメとは知らない人も多いらしい。
というような感じで、ヒレはフカヒレで中国に、身は練り物になったり「モロ」として北関東に行ったり、心臓は地元で「モウカの星」として、としっかり利用されている気仙沼産のサメであるが、国際司法裁判所でボロ負け食って南氷洋から日本の調査捕鯨が撤退するので、いよいよ飯の種に困ったのか、環境保護団体が、また人ンチの食卓にイチャモンつけるような事を言い始めている。
「フカヒレを獲るためだけにサメがヒレだけ切って捨てられるという酷い漁業が行われている」んだそうだ。
フィンニングというやつで、昔、遠洋のマグロ漁船は冷凍庫に単価の安いサメの魚体を入れておくと赤字になるので単価が高いヒレだけ持って帰ってくるという実態があったのだが、今は遠洋いっても国際ルールで禁止されているそういう漁のやり方は、世界の警察アメリカ様とかが公海上でも乗り込んできて魚倉の検査をしているので既に実態が無い(ルールに参加してる国は検査して良いけどアメリカ様が多い)。
近海の延縄や流し網はサメは売れるので魚体全体で港に持ってくる。量がまとまれば値段もつくしでサメも今や立派な漁獲物で、時期によってはサメ狙いの時もあるしサメ専業の船もあるやに聞く。気仙沼の魚市場に行けば運が良ければ山のように積んだヨシキリザメなんかを見ることができるのでヒレだけ切ってということが無いのは一目瞭然。
でも、欧米の環境団体が作ったような映画では東洋系の漁業者にヒレを切られて沈んでいくサメの映像が流れる。どこの漁船か船籍もわからんような正体不明の船で、明らかなヤラセの上に東洋人蔑視である。
グローバルスタンダードのクソ野郎様には、所詮世界の東端の小さな島国の価値観などどうでも良いんだろうなと感じる。
自爆テロしているようなムジャヒディンの行いに正当性があるとまでは思わないが、グローバルスタンダード様の傲慢にムカっ腹が立つというのはよく分かる。
気仙沼の漁師が、ちゃんと漁業の許可を持ってサメ獲ってきて儲けて、市場も加工屋も儲かる、関東で美味い「モロ」食った人が喜ぶ、中国の金持ちが食ったことあんま無いから美味いんだかどうだか知らんけどフカヒレ食って喜ぶ。資源量は別に減ってるわけじゃない。誰が困っている?なにに文句をいってるんだ?というところ。
こういうクソつまらんグローバルスタンダード様のいいがかりに、唾吐いて噛み付くのがオレのジハードかなと思うので、ムカつくのにまかせて書く。
というか、朝飯の干物が、アジかタチウオかサメという地域で育ち、たまに「モロ」を食う関東に住んでる人間としては、自分ちの食卓をけなされた不快感が強い。
アマゾン焼き払ってつくった牧場の牛食ってるヤツに環境とか語られたくないと、低レベルな偏見と人んちの食卓批判でお返しをしておく。
アホゆーたヤツがアホなんじゃ。
ここで外しては水産のプロの沽券にかかわる。
脳内検索モードMAXパワーでいく。
獣肉っぽい魚肉で真っ先に浮かぶのが、マグロとかの大型魚の頬肉や血合いなどだが、「給食」で使うとなるとそれでは量が確保できない。
値段は安く、関東で給食に使えるほどのロットが購入できる魚で獣肉っぽい魚。脳内検索終了。
「サメ。しかもアンタの故郷の気仙沼に水揚げされるモウカ(ネズミザメ)やろ。」
正解であった。サメって表記するといやがる子供もいるようで「フィッシュバーガー」と誤魔化しているそうだが、「こんなに美味しくて安いって、そのうちみんな気付いて流行りそう。」と同居人は言う。
脂ののりはそれほどでないけど、鶏肉のような歯ごたえのある淡泊な肉質で、衣を付けて揚げ物にすれば、脂ののりも補完できてサメバーガーはなかなかに良いメニューだと思う。気仙沼でも売り出しているが、まだメジャーブレイクしていない。これからブームがきてもおかしくない。
気仙沼で水揚げされる魚なのに、同居人が関東で給食で始めて食べたというのには、なかなかに面白い食文化の歴史がある。
気仙沼に水揚げされるサメは、元々はマグロやカジキを獲るときの副産物で、気仙沼にはサメを食べる文化はあまりなかったらしい。ところがマグロ漁業が盛んになるに従い、水揚げされるサメの量も増える。そうするとヒレはフカヒレに加工して中国に輸出するにしても、身が余る。マグロ漁で副産物的にとれるサメはヨシキリザメとネズミザメ(モウカ)が多く、ヨシキリザメはすり身原料に適しているのですり身になって練り製品に、しかしネズミザメはすり身には向かない身質。すり身原料に向く魚ってエソのように普通に食べるのには向かないこともあるが、ネズミザメは逆パターンで普通に総菜用として美味しい身質。
でも、サメって人を食うイメージもあって食べるのはいやがられる場合が多い。しかし、体内にアンモニア前駆物質が多くアンモニア発酵でアルカリ性に傾く性質から日持ちが良いため、山間部で好んで食べている地域があった。それが北関東の栃木とかで、気仙沼のネズミザメは身はそっちに流通させたのであると当方は推理している。それでもサメって聞くといやがる人もやっぱりいたのか、いつ頃からか定かではないけど北関東では「モロ」という名で売られている。食品表示の問題とか以前からある呼び名でいまも地域名として使われている。北関東の人いつも食べてる安くて美味しい「モロ」がサメとは知らない人も多いらしい。
というような感じで、ヒレはフカヒレで中国に、身は練り物になったり「モロ」として北関東に行ったり、心臓は地元で「モウカの星」として、としっかり利用されている気仙沼産のサメであるが、国際司法裁判所でボロ負け食って南氷洋から日本の調査捕鯨が撤退するので、いよいよ飯の種に困ったのか、環境保護団体が、また人ンチの食卓にイチャモンつけるような事を言い始めている。
「フカヒレを獲るためだけにサメがヒレだけ切って捨てられるという酷い漁業が行われている」んだそうだ。
フィンニングというやつで、昔、遠洋のマグロ漁船は冷凍庫に単価の安いサメの魚体を入れておくと赤字になるので単価が高いヒレだけ持って帰ってくるという実態があったのだが、今は遠洋いっても国際ルールで禁止されているそういう漁のやり方は、世界の警察アメリカ様とかが公海上でも乗り込んできて魚倉の検査をしているので既に実態が無い(ルールに参加してる国は検査して良いけどアメリカ様が多い)。
近海の延縄や流し網はサメは売れるので魚体全体で港に持ってくる。量がまとまれば値段もつくしでサメも今や立派な漁獲物で、時期によってはサメ狙いの時もあるしサメ専業の船もあるやに聞く。気仙沼の魚市場に行けば運が良ければ山のように積んだヨシキリザメなんかを見ることができるのでヒレだけ切ってということが無いのは一目瞭然。
でも、欧米の環境団体が作ったような映画では東洋系の漁業者にヒレを切られて沈んでいくサメの映像が流れる。どこの漁船か船籍もわからんような正体不明の船で、明らかなヤラセの上に東洋人蔑視である。
グローバルスタンダードのクソ野郎様には、所詮世界の東端の小さな島国の価値観などどうでも良いんだろうなと感じる。
自爆テロしているようなムジャヒディンの行いに正当性があるとまでは思わないが、グローバルスタンダード様の傲慢にムカっ腹が立つというのはよく分かる。
気仙沼の漁師が、ちゃんと漁業の許可を持ってサメ獲ってきて儲けて、市場も加工屋も儲かる、関東で美味い「モロ」食った人が喜ぶ、中国の金持ちが食ったことあんま無いから美味いんだかどうだか知らんけどフカヒレ食って喜ぶ。資源量は別に減ってるわけじゃない。誰が困っている?なにに文句をいってるんだ?というところ。
こういうクソつまらんグローバルスタンダード様のいいがかりに、唾吐いて噛み付くのがオレのジハードかなと思うので、ムカつくのにまかせて書く。
というか、朝飯の干物が、アジかタチウオかサメという地域で育ち、たまに「モロ」を食う関東に住んでる人間としては、自分ちの食卓をけなされた不快感が強い。
アマゾン焼き払ってつくった牧場の牛食ってるヤツに環境とか語られたくないと、低レベルな偏見と人んちの食卓批判でお返しをしておく。
アホゆーたヤツがアホなんじゃ。
登録:
投稿 (Atom)