太陽は偉大である。天照大神の例を出すまでもなく、その偉大な力は古くから神として尊ばれあがめ奉られてきたぐらいのモノで、もしも太陽が無かったら地球はたちまち凍りつくって話でワシら太陽なしでは生きていけない。地球上の生態系では熱水噴出口の化学合成細菌を生産者とするとか例外的なモノを除くと、ほとんどの生き物が植物が太陽の光を用いて光合成で得た有機物をエネルギー源として利用している。つまり巡り巡ってワシやサメ、ヒョウのような頂点捕食者(サメとヒョウと私ではなく、イーグルシャークパーンサー♪のことね)であっても、太陽が無ければエネルギーを得て活動するための糧を得ることができない。単純に生物種の生息できる温度に関係するだけでなく、その光をエネルギー源として我々生き物は恩恵を享受しているということが大きな事実としてあり、あまつさえ人類は電気エネルギーとしての利用もすれば、極論すると太陽光が引き起こしたと言える風や川の流れからも帆船や水車の昔からエネルギーを得てきて産業や生活に便利に使っている。石油、石炭も元をたどれば過去の太陽エネルギーの蓄積であり、神とあがめられて当然の存在とも言えるだろう。
そういう中で、ワシ的に太陽光の直接利用として生活から切って離せないのが、「干す」という行為で、それはもちろん洗濯物や布団を干すのも含まれるけど、食生活において干物の役割がとてもありがたいと感じているところ。太陽光を用いてその熱で水分を蒸発させ乾燥させたうえで紫外線で殺菌し、食べモノを長持ちさせるというご先祖様から連綿と引き継いできた生活の食の知恵。ありがたいことである。もちろんその主力としては”魚の干物”がワシの食生活の多くの部分を占めるものとして、主に冬期中心としたカマスであったりアジであったりの干物を、干し網が空く暇もないぐらいに作りまくって食べまくって、あちこちにお使いに出したりもしている。魚の干物つくりは、当地に越してくる以前からの手習いであり、古い小さい方の干物網はかれこれ15年以上は使い続けている歴戦の強者である。魚も干してきたが、芋なんかも干してきた。
そして、最近のマイブームは”干しキノコ”である。キノコについては
以前”キノコ狩り”にハマったときに、あれって雨のあととか条件が良いときにニョコニョコ生えてくるので、一度に食べきれないぐらいの収穫があったりした。そういうときは汚れをはらって適当に切って干して保存。煮込み料理なんかに重宝していた。紀伊半島のこの地でも温暖で雨の多い気候から考えてキノコ狩りは楽しめると期待していたけど、杉や檜の植林された山が多く、出るキノコの種類が限られるって以前に私有地であり勝手に採取して良いような場所があまり見あたらない。加えて、都会の公園の整備された遊歩道周りでのキノコ狩りと違って、こちらで本格的にやろうと思うと、急峻な山に分け入ってという形になりそうで、膝も怪しいお年頃なので、近場で私有地じゃなさげなところを軽く探索はしてみたけど、素人が種同定できそうな食菌の発生は見つけられず断念している。とはいえ、この地では製材業の副産物のおがくず利用でのキノコ栽培が結構盛んで、海産物や蜜柑、木材が表の名産物なら
裏名産が菌床栽培のキノコ達なのはすでにご紹介したところである。これが、ワシのような貧乏人が買うのは、規格外品の一袋いくらの持ってけ価格のものや、しなびかけて半額シール貼られた特価品で、いつも手に入るとは限らない。まあ正規の値段で買っても産地価格であり安いんだけど、安売りしてるときの価格でドカッと仕入れておけばなお安い。そして一気に食い切ってしまうのが難しければ、干せば良いのである。エリンギと椎茸が主なんだけど、エリンギは食感が売りなので干してどうか?と半信半疑で干してみたけど、案ずるより産むがやすしってぐらいで、シャキシャキしていた食感が水分飛んでギュッと締まってジャキジャキという新たな食感を得ていて悪くなく、かつ独特の香りが生じてきてこれはこれでありである。椎茸においてはいわずもがな、干し椎茸はなにも立派な”ドンコ”でなくても、規格外品の小っちゃいのでも香り高く、良く出汁が出て、ビタミンDも増えているはずである。どちらも素晴らしい干しキノコで間違いない。
で、どうやって食うか?まあどうとでも食えるんだけど、まずは良い出汁がとれるので、煮込み系の料理が王道だろう。ということでお煮染め作ってみた。
材料は、自家製干し椎茸、昆布、大根、マイタケ、ネギ、ちくわ、厚揚げ、メンツユ、塩と適当に冷蔵庫にあったもの中心にぶち込む。
作り方は適当でいい、まずは干し椎茸と昆布を適当に切ったものを鍋の水で数時間かけて戻す。戻し汁はそのまま出し汁になる。
あとは火の通りにくいモノから順番に適当に切って煮ていくんだけど、大根は水から入れておいて大丈夫。
味付けは、煮ていく最初の段階でちょっと薄いかなというぐらいに濃縮タイプのメンツユを入れておいて、煮ながら味見して良い塩梅になるようにメンツユと塩を追加していって味を調える。
グツグツ煮立ったら、タオルにくるんで保冷バックにぶち込んで味を染みさせると美味しく仕上がるけど、どうせ一回で食い切らずに煮返すうちに味は染みてくるし面倒くさいので、煮えたら1回目食って、熱が取れたら冷蔵庫に入れて翌日また煮返して2日目という感じで3日ぐらいかけて食べていくと、最後の方の大根とか味が良く染みてて抜群になる。途中で具と調味料追加して食べ伸ばしてもいいし、最後残りが少なくなったら卵割り入れてゴハンにぶっかけて食うのもお下品でよろしいかと。
もいっちょは、前回に引き続き麺類いってみましょうってことで、パスタにぶち込んでみた。
冷凍していた干しエリンギと干し椎茸をジップロックにぶち込んで水入れて戻す。戻し汁がそのまま出し汁になるのは一緒。
後は具材として、安売りしてたナスと生のエリンギがあったので”追いキノコ”も投入して食感の違いとか楽しみつつ、買い置きのタマネギも賑やかし要因で投入。
パスタを茹でるのと同時進行で、フライパンで水戻しした干しキノコをベースに具材をぶち込んで煮て、メンツユで味付けする。ちょっと濃いかなってぐらいで麺に絡めるとちょうど良くなる。
漫画家のよしながふみ先生の作品で、よく登場人物がメンツユ使ってるのを読んで、みりんと酒と醤油ぐらいで作れるのになんで出来合のメンツユ使ってるんだろうって疑問に思ってたけど、濃縮タイプのメンツユ使い始めたら合点がいった。和食系の味付けはだいたいこれでいける便利さ。濃縮タイプだと常備しておいてササッと使えて便利。砂糖ぶち込めば煮魚やらすき焼き風の鍋にもできるし、一度使い始めたらもう、みりん、酒、醤油、砂糖で作る方式には戻れなくなった。逆に買わなくなったのがポン酢のたぐいで、あれはベースは酢と醤油混ぜるだけで鍋にかける必要もないので、都度作って冬とか柑橘が冷蔵庫にあれば絞るし、無ければ大根おろしだの練り辛子だの薬味でごまかしている。
で、麺が茹で上がったら具を煮てるフライパンにお湯を切って投入して混ぜる。最後香りづけにゴマ油をタラリと掛け回せば完成。まあ、なんか具をメンツユベースで煮てしまって和風のスープスパゲティーにしてしまうというのは冷蔵庫の余り物処理にも好適かと。だいたい何でもあうと思う。今回の和風キノコスパは、キノコ好きにはたまらんキノコだらけの一品に仕上がってて美味しゅうございました。
てな感じで、安いときに沢山入手して干して長持ちさせるというのは、ビンボ飯的に経済面でも利するところ多しなんだけど、干したことによって出せる味があったりして、料理の幅を広げて楽しい食事に寄与する面もこれまたありで、魚やキノコだけに限らず、乾物の利用、干して食ってしまうというのは今後も挑戦してみたいと思っている。干し柿とか好物と言って良いぐらい好きだし、切り干し大根なんていうのも独特の滋味があって良いモノだし、大根干すならタクワン漬けるか?とか興味は広がっていく。ま、ボチボチやってみます。干しキノコは基本的に切って干し網に並べて天日にまかせるだけの簡単なお仕事なので、乾物入門としては魚の干物より格段に簡単でもあり、実践に基づく自信を持って皆様にお薦めしておきます。