2022年3月31日木曜日

今頃あの世に流れる悠魂川をカヌーで下っているのかも

 形あるモノ全ていつか壊れる。命はいつか失われる。なのに人は人が死ぬと少なからず衝撃を受ける。

  作家でカヌーイストの野田知佑先生の訃報が・・・

 先日、野田先生の著書で知った”フルライフ”についてひとくさり書いたばかりだったっていうぐらい、自分のモノの考え方や生き方に影響を与えている作家の一人で、84歳とご高齢で、まあ最近では大往生って言えるほどじゃないのかもだけど、平均寿命ぐらいは生きたんだろうから、そんなに悲しむなよって思うけど、やっぱり悲しいものは悲しい。

 ケン一ともCWニコル先生が亡くなったという話題になったときに、自分らが影響受けてきた作家先生とか、自分らの親世代なんだからそろそろみんな亡くなってくよな、とボヤいていた記憶があるけど、自分の肉体的遺伝子的な親が両親であるなら、自分の精神的、情報的な”親”は両親や教師を始め直接教えを受けた人達と併せて、読んできた小説、エッセイ、マンガ、見てきた映画、アニメその他モロモロの作者であるわけで、なかでも野田先生は、川や海で遊ぶ自分にとって極めて重大な影響を与えてくれた”親”であると言える。ならばこの悲しみもむべなるかな。

 高度経済成長期にあって、金持ちになったけど、川やら海やら埋めてコンクリで固めて、人も管理されて息苦しくなってた日本の状況に対して、断固として「それは違うだろう」と異を唱え、流れを遮る構造物一つないユーコン川とかをカヌーで下る素晴らしさを讃え紹介し、ひるがえって日本の川の目も当てられない現状と、他人のすることにいちいち口出ししてくる小役人や小役人的な社会を痛烈に批判していた。

 著書で書くだけではなく、長良川河口堰建設の反対運動では、開高先生らとともに中心的な役割を果たしておられた。当時高校生だったワシとケン一もケン一が雑誌の懸賞で当てたカヤックをケン一のおねーさんに車で運んでもらって、交代で漕いで「長良川河口堰建設反対カヌーイストミーティング」に参加している。ワシ先生にサインを救命胴衣に書いてもらった。今思うと「ユーコンとか寒い川で”沈”してカヤックから離れてしまったら浮けたところで助けも呼べないのに、死ぬのは結局一緒で意味がない」と当時も批判の声があったけどライジャケを着けない(後年丸くなって着用してた)という個人の自由を尊重し反骨精神溢れる先生に対して失礼な書きにくい素材に書かせてしまったなと反省している。

 以前、地元の川が汚されていくのを釣り人なら指をくわえて見てるんじゃない!っていうことを書いた。もちろんこの土建国家、長く政権第一党の座にある党の本部が「砂防会館」なんていう建物に入ってるような野蛮な国で、声を上げたところでそれが社会をすぐに変えられるかというと、そんなに甘くはない。実際、長良川河口堰もすでに新興工業国に負け始めてて大きな建設理由だった工業用水の需要も先細りが見えてたし、治水面は上流のダムならともかく河口で流れを遮るものがなぜ治水に利するのか誰も説明し切れてなかったように思うけど、それでも長良川河口堰は建設されて運用されている(いらんようになったのなら取っ払えよと今でも思うのでそう書いておこう)。それでもワシとケン一は指をくわえて見ているわけにはいかなかったし、10代のガキでも大人に手伝ってもらったけど、やれることはやったとガキの頃の自分たちを評価してやれる。

 結局、なにも変わらなかったんなら結果の伴わない努力で無意味じゃないのか、と賢い方々は言われるのだろう。「ベネフィットが伴わなければコストやリソースを割く価値がない(リソースにコストは含まれるのでは?と疑問に思われるかもですがワザとその手のバカっぽく書いてます)」とか上滑りして本質をなにもとらえてない短絡的なものの考え方なんぞクソ食らえである。うるせぇぞテメエみたいなクソ製造器はてめえのケツの穴でもしゃぶってろ!そして口からクソは吐くな!という感じである。

 なにも変わってないわきゃないのである。野田先生のような、作家として影響力、発言力のある方々が闘ってくれたから、アホみたいな公共事業に対する風当たりは間違いなく強くなったはずで”宍道湖・中海淡水化事業中止”とかがそういった流れの中で出てきた成果だったはずだ。堰作るだけ作って閉めなかったっていうのは建設業者には金が既に行ってるわけで”金をばらまく”っていう”クソみたいな公共事業”における本命の目的は果たされているわけで、馬鹿臭いけど政治的な決着としてはありっちゃありだなと思う。全く無意味な効果0の状況に金使ってて無駄だけど、運用してたら効果?は悪影響大でマイナスの設備に使われるよりマシ。

 ワシ、無職で経済力・権力とは縁がないし、発言力もたかだか日に100人かそこらの読者しかいない、しがないお気楽ブロガーであり限られているけど、それでも1人でも誰かの心に届けることができるならと、ゲリラ活動的に「反コンクリレジスタンス」の活動は続けていく所存であります。それが野田先生の”子”である読者の務めかなとおもっちょります。愚者は愚直にできることを力一杯やってみるよ先生!

 野田先生のご冥福を心よりお祈りいたします。先生ありがとう。

2 件のコメント:

  1. 初めまして。いつも楽しく拝読しています。
    野田知佑氏、河のむこうへ行ってしまわれたんですね。日本の川を旅するを読み返しては漂泊の想いやまずバイクにテント積んでフラフラと走り回っていた二十歳前後の頃を思いだしました。渓流釣りに行けば驚く様な山奥にも砂防ダムがあり、下流では取水堰に水と一緒に土砂も堆積し、河口一帯の砂浜が後退。テトラポットとコンクリ護岸しかなくなると養浜事業とかで溜まった砂を上流からダンプで河口までせっせと運搬・・・。過去にコンクリートから人へとの流れがあり大雨が降るたびそれ見たことかと声高に揶揄する人もいるけど自分は間違ってはいないと思っています。

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    1. コメントありがとうございます。
      「コンクリートから人への流れ」は津波に流されてしまいました。
      って諦めずに抵抗しておきたく存じます。
      あの津波で学んだのは、人が死んだら戻ってこないってのはどうにもならん、ということと原発事故ると100年単位で後始末が面倒ってことで、それ以外は意外に”復興”できるということだったと私は思っています。

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