良い宗教の簡単で乱暴な見分け方は「求められる1人あたりの手間やお金が大きくない」なんだそうな。
葬式仏教なら、お布施はちょっとかかるけど、あとはナンマイダブとでも唱えておけば何とかなるお手軽さ。
キリスト教徒なら普通もうちょっと真面目で、日曜には教会で祈ったりする。
イスラム教徒は、毎日決まった時間にお祈りやら、断食やらでめんどくさそうだが、実際にはそれ程厳しくない宗派も多くて、そのあたりの普通のイスラム教徒達の生活とかは高野秀行先生の「イスラム飲酒紀行」を読むと雰囲気がつかめる。
ダッカでコーラン暗唱できなかったからという理由で、国の発展の助けにと国際協力できていた人間を狩りやがったような過激な思想に傾いた輩どもがイスラム教徒の主流ではないというのは意識していないと大きな間違いをしかねない。
一人一人のお布施や直接参加する行動が小さくても、沢山の信者がいたり、教団側が阿漕な儲けに走っていなかったりすれば、宗教としては成り立っていき、その中で、教義や教祖のカリスマやらからくる御利益の有る無しで違いは出るんだろうけど、まあ「良い宗教」といって良いらしい。
逆をいえば、悪い宗教とは「金と手間がかかる」ものである。
それも末期的なカルト教団とかになると、傾向が極端になり、極限られた信者しかついて来られないような教義の内容になって、特別なご利益を得るためには特別な信心が必要とされているような場合が多い。「他宗派をぶっ殺せ!」もなかなかついて行けない教義だし、「全私財をお布施として差し出せ」なんてのも良く聞く話である。多くの信者からこつこつ集めることがデキないから少ない信者にはものすごい負担を強いる構造に陥っていて、それがさらにそういったカルト化に拍車をかける。
ひるがえって考えると、日本の釣り具業界は「カルト化」しかかってるんじゃないか?と不安に思えてくる。
釣り人人口は減った。バスブームが牽引していた一時のブームを考えると、バス釣り自体が肩身の狭い思いをしているような今日の現状で、他の釣りをいくらはやらそうと、アジングだのエギングだのやってたって、そこらの近所の池にホイホイと釣りに行けたバス釣りとは自ずと収容できる人数に違いがあって、「釣りガール」含め笛吹けど踊ってないってわけでもなさそうだけど、釣り人人口減少分をおぎなうほどになっていない。
その少なくなった釣り人人口で、かつ、安い釣り具は中国韓国東南アジアから入ってくる中で、日本の釣り具業界は、「高級品志向」に舵を切っているように見受けられる。
まさに、その姿は信者の少ないカルト教団が高いお布施を払わせようとしている様に重なって見える。
釣り人が少ないので一人あたりの単価を上げようとして、結果、釣りの敷居を上げてしまってさらに釣り人の減少に拍車をかけているというカルト教団なら破滅への道を転がるパターンに陥っているのではないかと心配になってくる。
ありていに言って、そこらでシーバス釣るのに使うごときに、5万もする竿やリール買えるかよ?というところである。
メーカーお抱えの「プロ釣り師」は「道具の値段は基本的に性能に比例するので、予算の許す範囲で高いの買ってください。」と薦めてくる。
そりゃメーカーの立場に立ったらそう言うんだろう。そういう信仰だといってもいいかも。
でも、道具に必要な性能は、釣り人の使いこなす技術で制限されるし、釣り方によっても制限される。
極端な話をしたら、ドラグの使い方知らない人間が良いドラグ付いたリール使っても意味ないし、そこらでふつーにシーバス釣るぐらいなら、特殊なリールの性能など無くてもかまわない。
私なら「道具なんてのは、とりあえず投げて巻けりゃなんとかなるので、とりあえず中古でも安モンでも良いので、買って釣りに行けばいいよ」と薦めておきたい。
今時、多少安いからといって、20年以上前の設計のPENNとかよりは単体で使いにくいなんてことはないはずである。PENNで釣れるのにそれよりマシな道具で釣れないわけがない。
もちろん競技の釣りやら、道具の限界まで使うような釣りやらがあって、そういう釣りをするためのハイエンドモデルがあっても良いんだけど、そうじゃない釣りには「この辺の安いモデルで十分ですよ」という売り方をしないと、最初にそろえる道具が10万円とかだと新規参入する人がいなくなるよという話である。
シーバス始めるのに「竿とリールで10万円かかります。」というのと「最初は中古で竿1万ぐらいリール5千円ぐらいで充分行けるよ。」というのでは敷居の低さが違ってくると思うのだがどうなんだろう。
正直、釣り具業界がミスリードして自分の首を絞めているように思う。
今釣り具業界が根性入れて売らなければならないのは、新品で1万円台ぐらいの実用機や、それ以下の初心者モデルで、それを日本のメーカーは安い外国産に、ハイエンドモデルから引き継いだ使い良さとかで競り勝つ必要があるのではなかろうか。
難しくても「やっぱり日本製は安くても良いゼ」と言わせないとダメだろうと思う。
やれ船釣りだ、磯釣りだと、道具やらそろえなければならない釣りほど、釣り具業界は力を入れるけど、そういう敷居が高い釣りじゃない、のべ竿一本でデキるハゼ釣りみたいな釣りにも、当面のもうけがなくても力を入れて、釣り人を育てる必要があるのではないかと思う。
最近チョコチョコとそういう小物釣りも人気になりつつあるように感じているけど、そいいう誰でもやれる気軽な釣りが、専門的でカルトな感じの釣りより「釣り全体」を見て大事な意味を持ってきているのではないかと思う。
ここ数年、江戸前小物釣り師修行と称して小物釣りを楽しんできた現場から今そう感じる。