2週にわたって、お金で買えない価値あるモノについて書いたわけだが、「自然環境」なんていう公共の財産じゃなくて、私個人が持っている物でお金では買えない価値あるモノとしてはどんなモノがあるだろうかと考えてみた。
私の持っている最大のお宝は、我が心と体である。他者から見れば「月給いくらで働く労働力の1人」とか、「情報を引き出せるアドバイザーの1人」とか、私でなくても代替可能な人間で、お金払って雇うという事はできるのかもしれないが、私にとっては金で買うわけにはいかない代替不能な私自身である。
「オレの替わりに釣りに行って楽しんできて!」とか言葉としてはあるかもしれないけれど、それは俺自身がやらねば意味ないことで結局金で自分自身を買うことはできない。
父母からいただいて、もっというなら先祖から連綿と引き継がれてきて、いろんな人や経験、文化に育てられたこの身体と心、売るわけにはいかないしスペアもないので買い直すこともできない。
最悪、生きてこの心と体がありさえすれば、何とかなりそうに思う。
本当は「愛」なんてのが2番目ぐらいに来るべきなのかもしれないが、なんかそちら方面は得意でないので、2つめは「男の友情」かな。
友達は少ないけど、友がピンチになったらナニもかも捨てて助けに行っても良いと思えるような友がいるということが、私にとって価値のあることだし誇らしく思う。
竹内久美子先生が著作で紹介していた説だったと思うが、男の友情、男同志の連携は、人類の歴史において、石器時代の狩りだろうが、近代の戦争だろうが、一族の存亡を決めかねない重要な要素であり、男の友情に熱いヤツらが生き残ってきたんだとかなんとか。
男というのは友を救うためには自らが犠牲となることも厭わないという感情がわりと普通にあるはずだと思うけど、どうでしょう?
さすがに友はお金では売っていない。でもお金持ちで奢りまくる人とか友達作りやすいかもしれない。だからといって貧乏人に友達ができないわけでもないので、やはり金で買えるものというカテゴリーには相応しくないように思う。でも、友達作るのが苦手な内向的な人間が、同好の趣味のサークルに入ってお金ちょっと使って得た友情なんてのを考えると、買えれば買っても良いし、それが恥ずかしいモノでもなんでもないモノだという気もする。その場合でも友情のきっかけは買えるけど、友情そのものは自分たちで作るモノだという気がする。
3つめは「想い出」かな。40過ぎて人生も折り返してターンすると、昔のことだのが懐かしく思い出されるようになって、自分が確実に老いつつあることを認識する。寂しくもあるのだが、つらい目や悲しい目に沢山あってきたはずだけど、想い出すのは楽しい幸せなことばかりで、胸が切なくなるような気持ちになる。あのとき楽しかったなァという想い出が沢山ある。自分の持っている財産のうちでもとても価値あることだと思う。
楽しかった釣りの記憶、若い日の学生生活の日々のあれこれ、しんどかった仕事でさえも後で想い出すと面白かったように感じる。
4つめは、「自分に身についた知識と技術」だろうか、今時情報化社会と呼ばれてネットでサクサクと何でもググったりウィキったりして知識も得られるご時世だが、例えばワカサギの沢山ハリが付いた仕掛けのあしらい方一つとっても、自分で仕掛けを絡めて反省して絡まないように竿スタンドへのたてかけ方とか工夫していて、そういう細かい所って結局自分にあわせて技術をカスタマイズしないといけないので、そういう自分の身についた知識と技術は結局金でも買えないので、価値が高いと思うのである。
ワカサギから揚げにするときの油の温度管理とかだって、実際にやってみないと身につかない。
5つめは「慣れ親しんだ道具」で、自分が耐破壊強度まで把握しているロッドとかラインとか、メンテの仕方も頭に入っているリールとか、自分の手の延長になるような道具って、結局その道具を長く使い込んで慣れ親しんでいくしか手に入らないと私は思っているので、そういう道具はいくら金をかけたからといってホイッと手に入るわけではないので、金では買えないと思っているのである。
カタログスペックがいくら高くたって、その性能を自分が使う状況では使わないのでは宝の持ち腐れである。
逆に私にとって価値の高いそういった慣れ親しんだ道具が、他人にとってはただの古くさい中古品であることも事実である。でも私はいくら金を積まれても売る気がないぐらい価値を認めている。
お金で買えるものは「湖そのもの」とか極端に高額なもの以外はだいたい買ったつもりである。車も持ってるしカヤックだけど船もある。正直言って欲しいモノはだいたいもう手に入れている。あとはあればより良いという程度のモノで、それは「痛まない腰」とか「釣りに行ける永い休暇」とか、お金で買えそうにないモノばかりである。
金で買えるものは便利だしお金かけた分の価値はあるけど、それ以上でも以下でもなくて。お金が全てを解決してくれるなんて全く考えられないと思うのである。