2014年9月22日月曜日

死を目前にして見るという走馬燈になるべくたくさんの楽しい釣りのシーンがでてくるように

 同居人の母方の祖母が先日亡くなり、私も昨日通夜に参列お別れをしてきた。終電で東北からとんぼ返りで帰ってきて疲れたけど、出発前にお別れをすることができてよかった。

 94歳まで長生きし、子や孫、曾孫に恵まれた、幸せな人生だったのだと思う。思って、あんまり悲しんだりするのもちょっと違うようにも思うのだが、やっぱりどうしても寂しい。

 同居人のお母さんの実家は、川沿いのリンゴ畑を挟んだ山道のそばの大きな昔風の家で、お爺さんがご在命のころは前の川の「入漁券」を売っていたこともあり、釣りの行きしな帰りしな、「お茶ッコ飲まいん(飲んでいきなさい)」と、掘りごたつによばれて漬け物食べたり、オニヤンマも周回コースにしている庭に面した廊下で風に吹かれながら昼寝したり。
 いつも楽しい休みの日にしか行っていないということをさっ引いても、良い思い出しかない場所である。

 その、玄関はいってすぐの部屋の掘りごたつ(夏には布団はかかっていないので「堀座卓」か?)にいつもいて、にこにこと我々客人を迎えてくれて、あれこれ世話を焼いてくれたのが、故人の思い出。

 なぜか、孫である同居人やその兄弟にも「ばあちゃん」ではなく「かあちゃん」と呼ばれて慕われていた。

 かあちゃんは掘りごたつの奥の席にいつもいるもんだと漠然と感じていたが、もういない。

 いつも優しくしてくれてありがとう。心からご冥福をお祈りします。

 今日の夕方部屋を出発。日付変更線を行ったり来たり、遙か遠くキリバス共和国クリスマス島まで、20キロUPのロウニンアジを求めて行ってきます。

 腰は痛みはなくて「違和感」程度に収まって、道具も何とか最終的に収まって、後は行って結果を出すだけ。

 勝負は終わってみないとわからない。未来予想は不可能。

 そんなの関係ないじゃんよ、今は完全勝利を確信して行くじゃんよ!

 昔、部屋のパソコンのスクリーンセーバーは釣った魚が数秒単位の切り替えで次々現れる設定になっていたが、それをみて同居人が「あんたが死ぬ間際にみる走馬燈みたい」と言っていた。

 いまわの際に脳内スクリーンにドアップで表示されるような、とびきりの1匹を釣るじゃんよ!

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