2020年9月12日土曜日

悲しみよおはようございます


 今朝、コウタイが水槽の底に腹を上にして沈んでいた。
 2009年の5月に購入して、今年で11歳と寿命が5~10年とされるなか老齢で、ここ数年はヒレも再生しにくくなってて、老齢の淡水魚の典型だと思うけど所々破れ傘のようになってて、台風の時に血が滾ったのか暴れた後、餌を食ってくれなくなって、冒頭の写真の様に水草に頭をあずけて背中を水面に出したままジッとしているようになり、これはいよいよ最後の時を迎えようとしているんだなと覚悟はしていた。
 命ある者はいつか死ぬ、年を食ったら死ぬのは当然の摂理。そう知っていても覚悟していたつもりでも、なかなかに寂しいモノがある。
 よく犬猫の死によって飼い主の心にはその犬なり猫なりの形に穴があくと言われるけど、なるほど確かにコウタイの形の穴が開いてるような気がする。
 その穴を埋めるには新たにまたペットを飼って、似たような形で埋めてもらうのが一番だとも言われている。
 実は小型のライギョの仲間を飼育するのはこのコウタイが2代目で、先代はレインボースネークヘッドというインド産の美麗種で、そいつが死んだときもやっぱりその形に心に穴が開いて「もう魚飼うのはやめて今居るスポッテッドトーキングキャット(南米産小型ナマズ)が死んだら観賞魚飼育は終わりにしよう」と思ったのだけど、同居人の強い希望もあって再度飼育することにした。穴は良い塩梅に埋めてもらえた。

 小型のライギョの仲間の良いところは、とにかくバクバクと餌を食ってくれて物怖じせず人に良く慣れるところで、観賞魚飼育において餌やりは楽しいひとときだけど、彼らは慣れてくると人が水槽の前を通ったりすると、硝子前面に頭の先をすりつけるようにして体を左右に振りまくる”餌くれダンス”と言われる行動をとって、餌をやるのに蓋を開けようとすると蓋にジャンプして頭突きカマしてくるぐらいのがっつき具合で、餌も肉食魚用の人工飼料から、釣ってきたハゼ、夜窓に飛んできた虫、魚料理した後のアラの切れっ端、なんでもパクついて、食うと一旦沈んでモグモグと頭を動かしながら飲み込んでいくのも愛嬌があって楽しい。
 コウタイはレインボースネークヘッドと比べても食いしん坊で、かつ身体能力が高く、手に持った餌をジャンプして咥えて水中に戻るとか、まあ野生では水上の昆虫とかそうやって食ってるんだろうけど、なかなか感動的で生きたハゼとかの小魚をあげたときに見せる興奮して襲いかかる”これぞ魚食魚”という獰猛さも素晴らしかった。
 あと、掃除するのにポンプを囓るのはともかく、ワシの手もよく囓ってくれて結構痛かったのも今となっては懐かしい。
 そういう迫力ある魚食魚が、飼育下では30センチ以下ぐらいなので細身で長さのわりには”小さい”こともあって一般的な60センチ水槽で飼えてしまうのである。迫力なら大型の魚食魚の方があるだろうけど、50センチ以上とかに育つ魚には最低でも120センチ水槽が必要になってきて、なかなか一般家庭では飼育が難しい。

 水質とかにもあんまり気を使わなくて良くて、月に2回の半分換水と数年に一度の底砂と底面濾過装置のフィルターの掃除で問題なく、関西で一時帰化していたぐらいで室内なら加温無しで冬を越せるのはともかく、関東の都市部の夏の酷暑による水温上昇とそれに伴う溶存酸素量の不足も、ライギョの仲間なので上鰓器官を使った空気呼吸でプカっと息吸って平気の平左。

 買ってきたときは15センチ強だったけど、最終的には23センチぐらいになっていた。
 最初は隠れ場所として植木鉢とか入れてたけど、あまり隠れないので後年大きくなったこともあり遊泳できる面積を増やすのに、底面近くにはモノを設置せず、植物始め吊した流木やら鉢やらを水面近くから水面上に配置して、植物が茂る水辺っぽい景観にしていた。
 植物の作る影が水中を薄暗くして、その中を泳ぐコウタイの白銀の斑点がギラギラとしてなかなかに目を楽しませてくれた。

 飼育者としてできる限りのことはしてきたつもりだけど、果たしてコウタイは”幸せ”だったのだろうか?人間の感覚で他の生き物の幸せとか推りようがないので考えてもせんないことかもしれんけど、養殖されて一度も自然の世界に出ることなく、繁殖の機会もなかったのはどうなんだろう?と考えると、生き物を飼育することにつきまとう罪悪感は拭えない。
 だとしても共に暮らした月日がかけがえのないものだったという、こちらの都合だけど、その思いは揺るがないように思う。 
 11年の永きにわたって楽しませてくれてありがとう。心からの感謝を捧げる。

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