○青木修「磯の作法」前・後編
筆者の青木修さんの名前は’小笠原の磯’というイメージと共に頭にこびりついいている。
私がロウニンアジ狙いの釣りを始めたばかりの15年近い昔だと思うけど、アングリング誌上に筆者が所属する「石拳」の小笠原遠征報告が掲載されていて、その中で青木氏が磯からスタンドアップファイトで40キロのイソマグロとか30キロのロウニンアジ釣ってる写真を見て度肝を抜かれた。強烈な写真だった。
ロウニンアジとか青物系の魚がどうにも制御不能なぐらいに引く魚だというのは乏しい自分の経験でも理解していたが、それを我々船上から釣る人間なら、かかったら必死のパッチで根から離すべく操船してもらうというのに、磯から釣ってる場合は自分が立っている「根」の方に寄せてきて仕留めなければならないのである。
なんというか想像ができない世界のすざまじい釣りをする人達がいるモンだなと思わされたし、ビワコオオナマズを釣らせてくれた名古屋のSさんが、「あのイソマグロの口にかかってるミノー、実は僕が作ったんです」とか話していたという釣りの世間の意外な狭さを感じさせるエピソードもあって、頭にこびりついていたのである。
そのエピソードは「知人から譲り受けたがこれまでもったいなくて使っていなかったアカメ用の大きなハンドメイドミノーをつけて投げる。」と書かれていたりして、Sさんがデカいアカメを羽交い締めにして持ち上げている年賀状とかを思い出したりもした。
ブログに書いていた記事を、57キロ!!のイソマグロを磯から自らの「磯の作法」に則りナイロンライン使用の50lbクラスのスタンドアップタックルで仕留めて20年近い小笠原通いに一区切りを付けて書籍にしたということだが、もうその小笠原通いの情熱というか、フルスイングッぷりが感動的である。
まずは時化たら磯に乗れないので、毎年初夏から秋ぐらいのシーズン中何回も遠征計画を立てて、準備して気象条件ダメなら次の遠征に切り変えてというあたりのところから半端じゃない。その上で磯に乗れても良い魚がかかるかどうかはその時々で、かかったらかかったで難しい釣りなので根ズレでブレイクとか当たり前で、何度も何度も何度も苦杯を舐めさせられる。
それでも「淡々と」と自らに言い聞かせるように書いているとおり、上手くいかなかった反省点は次に生かすように経験値として蓄積し、どうしようもなかった部分は「魚の方に運があった」と割り切って、淡々とラインシステムを組みルアーなり餌なりをキャストし、良い時合いを待ってチャンスを待ち続ける。
釣り師の理想像の一人として私の頭の中には「老人と海」のサンチャゴ老人がいるのだが、彼は長い不漁の後ついに仕留めた大物カジキがサメに無残に食い荒らされた後も、実に淡々と次の漁に向かう準備をしていて、それを当たり前と感じさせる雰囲気をまとっている。
釣りっていうのは釣れる力量があっても、最後にチョット「運」が回ってこないと結果は出せない。その回ってきた「運」をガッチリつかまえる能力を鍛え、虎視眈々と準備して「運」が回ってくるのを何度でもあきらめずに繰り返し挑戦して待ち続けられる、そういう釣り師になりたいと思う。
でも、なかなか釣れないとしんどくて、待ちきれないのよネ現実は、と思うのだが、そういう釣れない時もあるけれど、チャンスはきっとやってくるし、漫然と釣っていたのではない、知恵も力も振り絞って釣れなかった経験は後々生きてくるっていうのが、10年単位だと間違いなくあるっていうのは、私も常々書きたいところで、そういう釣りの「釣れない部分」って書く人あんまりいないから私が書くしかないと思っていたけど、この本読むと釣れなかった時のしんどさも含め淡々と書かれていて、オレごときが今さら書くこともないのかなと思ったり、まあ磯から50キロオーバーとかちょっと特殊な釣り人の話ではなくて、船から20キロぐらいで苦戦しちゃうオレぐらいの釣り人の話が持つ平凡さというか現実感も有りといえば有りかなと思うので、これからも釣れないしんどさも、釣れた至福についても書いていきたいと思いをあらたにするのであった。
久しぶりに胸躍る釣りの現場からの本を読んだ気がする。