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2026年4月25日土曜日

結構毛だらけ

  冬が終わってるのかどうかいぶかってるうちに、いきなり暑い日が来たりして、4月には愛猫も急ぎ足で換毛期に入って毛が抜けまくった。ネコネタ連投でいってみます。

 まあ、ケモノっていうぐらいで、全身毛の生えた生き物の抜け毛の量は、ハゲ始めたオッサンのそれごときとは比較にならんって話で、メチャクチャ抜ける量が多い。居室は毎日掃除機かけるのは必須だし、遊ばせてる一階のネコ部屋も月一で掃き掃除するんだけど、1月もあると特に換毛期でなくても部屋の隅の方にモコモコと毛の塊が転がってるぐらいになってて、掃き掃除すると散らかしたネコ砂とかと合わせて紙袋いっぱいになる。

上:掃除後、下:ネコ草
 日常的に自分でもペロペロと舐めて、ザラザラの舌で手入れしているけど、そのまま飲み込むので後で吐いたりせねばならんくなるので、負担を減らすべく毎日ブラシはかけてあげている。ネコを飼い始めて初めて毛玉を吐くのを目にしたときは驚いたというかなにが起こってるのか不安にさせられた。体をわななかせつつゲコッゲコッと激しくえずいて、毛玉を吐き出す。ネットでお勉強するとわりと普通らしいと知って安心したけど、初見だと大丈夫か心配になる。で、毛玉を一緒に吐くのに草を食べるという説もあるので近所に生えてるエノコログサとか食わせると、確かに吐いた毛玉に草が混じってたりして、そういうもんなのかと納得するけど、ネコに限らず栄養的には肉だけ食ってれば大丈夫なはずの肉食獣が草を食べる理由については、毛を吐くため説の他に、寄生虫対策説、微量栄養素説、腸内環境整備説とか仮説が色々あるけどハッキリとした理由は明らかではないそうな。で、前回ちょっとふれたけど、ネコがイネ科植物とかを好んで食べる理由の味覚の面からの研究が日本獣医生命科学大学から報告されていて、ネコは甘みを感じる味覚を持たないけど、旨みを感じることはできて、鰹節の旨み成分であるイノシン酸大好きっていうように旨みのあるものが味覚的には好きで、かつ苦みや酸味も感じてそちらは嫌いで特に苦みは避けるということが知られていて、イネ科のエノコログサとかは旨みが強くて苦み酸味が少ないのでネコが好んで食べるのだろうという説明だった。なるほどなと納得する。今、我が家では年中好きなときに草を食べられるように、飼料になったりするエン麦の種が”ネコ草の種”として売られているので、食品トレーでローテーション組みながら飲み水や餌のそばに提供してあるので、れいによって飽きるのか?たまに気が向いたら食べている程度だけど、外からむしってたまに食べさせてたときには、手に持ってる草を立ち上がって奪い取ろうとするぐらいに食べたがっていたので基本好きなんだろう。ちょうど換毛期の春にはイネ科の雑草に美味しそうな若葉が生えるので毎日のようにあげていたけど、どちらかというとなければないですむ嗜好品的なものだと感じている。草食わなくても毛玉吐くときは毛玉だけで吐いていることも多いし、栄養的にはそもそも草のセルロースとか消化できないだろうしいらんのだろうと思う。旨みが強いというので、試しにネコ草モグモグと噛んでみたけど、確かにほのかな旨みを感じるような気がして苦みとかはなく意外に不快ではない味。ただ堅い繊維質なので飲み込みたくなるようなものではない。ペッと吐いておいた。

 で、話戻って、換毛期になるとブラシ掛けても掛けても追いつかないぐらい毛が抜けるんだけど、JOS師匠にいただいた手袋型の毛取りブラシが、それまで服に付いたネコの毛をとるのに主に使ってたんだけど、直接ネコにブラシをかけるのに使うと絶大な効果があると分かってから、ブラシがけがはかどりまくった。我が家では布団でも衣類でもおよそ布という布は綿100%とか表示のとおりではあり得ず、数%程度はネコ毛が含まれていると感じるぐらいで、衣替えの時とかにさすがにネコの毛にまみれた黒いフリースとかはなんぼか綺麗にすべく手袋型ブラシを使ってブラシがけしていてその威力は知ってたけど、手のひらのカーブで曲がったネコの体にも密着する表面積が稼げるのが良いのか、ブラシの短い毛足が効くのか、しばらく撫でまくるようにしてブラシを掛けてやると、面白いぐらいに毛が抜けてくれて、しかもある程度まとまってベロッとブラシから剥がせて後始末も楽。毛が引っ張られる感触が嫌なのか最初ムズかってたけど、そのうち諦めて身を任せてなすがままに。

 で、抜けた大量の毛は捨てるのもったいなくてっていうのは猫飼いあるあるらしく、愛猫家もはたまた愛犬家も色々と利用方法を模索していて、一番感心したのは動物の毛を使って巣作りをするシジュウカラとかの小鳥たちにあげるという方法で、適当にまとめてタマネギネットにでも突っ込んで鳥の目に付く場所に吊しておけば勝手に持って行ってくれるそうな。肉食獣の匂いは蛇とかの天敵を遠ざける効果があるとかなんとか。で、次にわりとポピュラーなのがフェルトのぬいぐるみ的なモノを作るというもので、もっと凝ってくると本格的にフェルト加工して帽子とか作ってる猛者もネット徘徊しててお見受けした。フェルトってアクリルフェルトとかの化繊じゃない天然繊維のものは、それ用のハリで突いて繊維同士を絡めてつくっているそうな。で、当然のことながら毛なんだから毛糸にして編み物をという人もいて、ネコ毛100%のセーターとかもネコ毛の量が確保できれば可能のようで、毛糸に紡いでくれるサービスを提供している方もネット検索すると出てきて、ブラッシングで手に入る大量の毛をもったいないと思う飼い主さんはワシの他にも普通にいるんだなと安心する。

 で、まあ毛針釣りを嗜むワシとしては当然、毛針の材料にするわな、っていうか毛針始めた貧乏学生の頃からネコの毛にはお世話になっている。下宿の共同キッチンの三角コーナーに餌あさりにくる三毛猫から3種類のボディー材を確保したりしていた。まあ、ニンフフライとか巻くのに最初は教科書にならって、ウサギの顔とかのマテリアルを購入してたんだけど、あんなもん手に入りやすい適度な長さの毛足の毛があればなんでも良くて、ネコの毛はなんの問題もなく毛針のボディー材として使える。うちのコバンさんは茶白の毛色なので茶色と白の毛が入手可能なんだけど、ブラシ掛けるときにいちいち分けてないので、混ざった薄い茶色のボディー材が手に入る。これが、近所漁港の排水から流れてくる水産加工残渣のなんかモロモロッとしたタンパク質と細菌の絡まったようなやつに、色合いも似てるし、適度な視認性も確保されていてグジャッと乱暴にコバンさんの毛を巻いただけの”コバンフライ”は、ワシのボラ釣りにおけるキラーパターンである。切られて消耗することが少なく、頻繁にボラ釣りするわけでもないので、なかなか貯めてあるコバンの毛が減っていかないけど、チマチマと使ってます。

3原色限定でも毛色のバリエーションは豊富
 で、フライのボディー材として考えると、ネコの毛は、白を染めればなんとでもなるとはいえ、基本的には色は、白、黒、茶色、の3色で、それらを混ぜた灰色、薄茶、錆色とかしかバリエーションがない。これ、実はネコに限らずほ乳類の毛は総じて例外なく白黒茶の3原色にもう一つ足すなら無色のバリエーションしかないのである。ネコの毛色には、三毛猫サビ猫は半陰半陽とかの例外を除いて雌しかいないとか、茶系のネコは雄が多いとか面白い話が多いけど、白黒茶のほ乳類の毛の3原色の話は、それ以上に面白い仮説があって、ついでなので書かせていただく。ほ乳類には前述のように毛の色が白黒茶とその混じったのしかない、っていうとトラとか黄色くない?って思うかもだけど、黄色いトラっていうのはディズニーアニメやらルアーカラーの世界のお約束で、実際には明るいめの茶色でまあ薄い黄色やオレンジに見えなくもないって感じである。ほ乳類で派手な配色っていうと白黒のコントラストで派手にしているのが関の山で、警告色のスカンクが典型。シマウマの白黒ストライプは吸血性の昆虫対策で、パンダが白黒なのはなんでか知らんけど、毛の色的には赤すらない、ネコやウマでいうところの青い毛は灰色だし、人間の金髪も赤毛も染めたのなら別だけど白と茶色の間にある。惜しいのがホッキョクグマで、白やんけ?と思うかもだけど実は実物毛針の材料として持ってるけど透明で、保温のための中空構造が光を反射して白く見えるという構造色っぽい成り立ちで、毛の色素自体が白黒茶しかなくても構造色で違う色を出すってのは可能性としてはなくもないと思うんだけど、進化の神はそういう色塗りをほ乳類にの毛にはしなかった。なぜか?っていうところに面白い説があって、ほ乳類の祖先は、恐竜時代に昼間の世界を支配する恐竜たちから隠れて夜動くモノとして恐竜時代の1億8千万年だかを暮らしたので、そもそも視覚情報である色なんてあっても色まで見分けられない夜では意味がなく、無駄なので色覚も退化したのか進化しなかったのか色盲状態で、それが恐竜が現在の鳥たちの祖先を残して死に絶えた後に、昼間の陸上世界を席巻するようになっても、多くのほ乳類が色盲に近く、毛には白黒茶の色素しか持ってない原因であるとかなんとか。実際には恐竜時代にも昼行性で小型の恐竜を狩っていたほ乳類もいたようで、反論もあるようではあるけど、概ね正しいように思う。ではなんで、ワシら人間は毛の色はともかく、色盲じゃないのか?それはまた進化の歴史を紐解くと、我らの祖先となったサルはもともと樹上生活で木の実やらを食べていたんだと思うと、木の実はご存じのように熟れると色づく。それらを見つけるために色覚を得たのが樹上生活のご先祖様で、木から下りてヒトになってもその太陽の下で生きるには便利な優れた資質を引き継いだのだと思う。で、色覚を得ると、とうぜん婚姻色やらなにやらに派手な色は使いたくなるというもので、でもサルも毛の色素は新たに獲得できなかった。サルたちどうしたか?その答が皮膚を使ってお猿のお尻はマッカッカなのだとワシャ推理しているところ。ほ乳類で例外的といって良いぐらいに派手なマンドリルは顔とお尻まわりに赤と青があしわわれている。赤青が使えるので当然紫も使える。血管の色とかを使ってるんだろうと思うんだけど、ほ乳類随一の伊達者だとワシャ思う。今調べたら青はコラーゲン繊維を使った構造色のようだ。毛の色では使えなかったけど皮膚の色では使ってる。マンドリルすげーぜ。ダーウィン先生も絶賛したとか。

 でも、恐竜の生き残りだとされている鳥たちの、千変万化、なんなら光りを吸い込むぐらいの真っ黒から、構造色の輝く青やら緑やらまで使いこなす洒落者ぶりには到底かなわず、もっというならは虫類、両生類、魚類、昆虫や軟体動物に至るまで、生物は色彩にまみれているのに、白黒茶しか持ってないほ乳類の雄として、たまには派手な色の服でも着てオシャレしとかんといかんのかなと反省し、恥ずかしさに赤面するしだいである。

2026年4月18日土曜日

猫は同じ餌に飽きる

  このことは猫飼いの間では古くから周知の事実であった。なかにはワシの中学高校の同級生の家のキンちゃんのように、アジの干物しか食べないというような偏食家もいてそのへんは猫もご多分に漏れず個性があって嗜好の多様性がみられるけど、同じ餌ばかりだと飽きるってのは、伊藤リサ先生のマンガ「おいピータン!!」で主人公と彼女が飼ってる猫のクロが餌に飽きて食べなくなるので、だんだん良い餌をあげてたら最終的にヨコワの刺身まで食べさせることになって、それにも飽きたときに、それ以上の良い餌が思いつかなくなって、最初に食べさせていたカリカリを出したら普通に食べてくれて、同じ餌だと飽きるだけだったというオチがついて、さすが伊藤リサ先生、猫マンガも描いてる猫ッ飼い、よく分かってらっしゃると感心する。

 でも、科学の世界では、なぜ猫が同じ餌に飽きるのか?っていう基本的なことすら明らかではなかった。それどころか、猫が餌を選ぶのに餌の臭いや味は関係なく、脂質とタンパク質の含有量で選んでいるとか、あげくの果てには、猫が偏食するのはそれを見た飼い主が「うちの猫ちゃんはグルメなの」って喜ぶから、人の反応を見てそうしているとか、一度でも猫を飼ったことがあるならっていうか、飼ってなくても人んちの猫見てるだけでも、トンチンカンな的外れなことを言ってると分かるというモノがざらにあった。およそ観察眼に欠けたセンスのない科学者共だとあきれ果てていた。伊藤リサ先生の爪の垢でも煎じて飲む用に取り寄せろ。こんなのでも論文として出ると、さもそれが正しい説のように喧伝され出すので始末が悪い。論文が出て査読が通って学術雑誌とかに掲載されたとしても、それが絶対の正解だということを意味していない。単に”そういう説がでました”っていうだけの話で、今日知ったことは明日覆る、っていう感じに新たな知見で知識や常識が更新されていくのが科学というものの本質で、典型がアルコールは少量でも害になるっていう論文が出ると、健康至上主義者がそれ見たことかと、適量の酒なんてないって騒ぎ出す。賭けても良いけど、適度な飲酒は健康上大きな利点がある。そんなもん飲んだことあれば分かるし、気持ち良さげに酔っ払ってる飲んべどもを見てても分かる。精神衛生上非常によろしい飲み物であることは自明。データ的にも老人の健康には適度な運動より適度な飲酒の方が寄与するって、これまた1つの説でしかないけど、そういう飲酒が良い影響を与えるという報告は山ほどある。なんならそういう健康至上主義的な、健康に気を使ってる人とそうでない人の寿命を調べたら、後者の方が長生きするという、頑健な肉体だから気を使わなくても良いっていう因果関係もありそうだなとは思うけど、古い時代から知られている報告もある。

 っていうなかで、やっとまともな研究結果が報告されていたので紹介しておきたい。岩手大学の研究チームが「ネコがごはんを残す理由を解明 ―同じ餌でも匂いを変えると再び食べる―」と題して研究報告を公表した。これはなるほどそうかもしれないと膝を打つ程度には信憑性がある。猫はご存じのとおり臭いには敏感で、外から帰ってきたワシの靴やら自転車のペダルやらの臭いから外界の情報を読み取っているのか、よく玄関で臭いをかいでいる。近所の雌猫が発情し始める今時期には、キン○マもうないのに、なんかソワソワとして春の臭いに興奮してるようにも思う。味が決め手となってないから、これまで味を変えたりして実験しても思うような成果が出ないとか、味とか関係なく餌を選んでるとかのトンチンカンな結果にしかならないとか、匂いが鍵ならそれも納得である。素晴らしい着眼点だと敬服する。近年の猫に関する研究では、猫の宿痾である腎臓病が血液中のタンパク質「AIM(apoptosis inhibitor of macrophage)」が正常に機能しなくなることが原因で、AIMが急性腎不全を治癒させる機能を持つことを解明したことに次ぐぐらい素晴らしい成果ではないかとおもう。3位にはネコがネコ草を食べるのは甘みを感じないので旨みでイネ科の草を好んでるという小ネタも面白い報告。AIMに関しては既に応用した治療薬の治験が始まっていて、猫の寿命を飛躍的に伸はせると期待されている。今回の猫の餌の選択には匂いが重要で、匂いを変えると再び食べる、という発見も、老化や病気で餌食いが悪くなった猫に対して適切な餌やりをできるようになるとか、猫飼いにとって猫にとって、とても意義のある研究成果だと思う。

 まあ、うちのコバンさんも、同じ餌が続くと飽きるのは間違いなくあって、カマスの時期とか連日カマスの頭とか骨周りとかだと、しばらくすると食べ残すようになってくる。チュールを塗ったくってやるとちょっと食うけど、舐め取って食わなくなるとしばらくカマスは止めてカリカリとかでお茶を濁すか、マアジを釣ってこなければいけなくなる。でも匂いを変えてやれば良いと分かっていれば、なんかそれ用のスプレーとか当然ペット業界は考えて商品化するだろうから、カマスに飽きたら”イカ臭”スプレーとか、猫大好きカツオフレーバーとか匂いを変えてやることで餌ちゃんと食べてもらえるのではないだろうか。ウチのコバンさんは元野良なのもあってか、比較的餌食いは良い方だと思うけど、贅沢に餌をもらって育った猫で特に雌猫は食が細くて困るらしいから、ペット業界におられる方はイナバの「チャオチュール」以来の大ヒット商品目指して、銭の花を咲かせるべく商品開発よろしくお願いしたい。

 ただ、同じ餌が続くと飽きて残すようになる、匂いを変えると食べる。ってのが分かると、さらにそれはなぜ?という次の疑問が湧く。イエネコは元々リビアヤマネコっていう乾燥地帯の野生猫がご先祖らしいので、その時代には虫やらネズミやらの小動物を色々食べてたので、雑食の人間が典型だけど同じ餌ばかり食べていると、栄養が偏ったり必須の栄養が不足したりするので、なるべく多くの種類の餌をとるように嗅覚による選択性が発達したとかそういう話だろうか?その時になぜ味覚ではなく嗅覚が鍵になったのか?餌の選択には口に入れないと分からない味覚より、その前段階で判別できる嗅覚が都合が良かったとかか?さらにいうなら、カマスは比較的飽きるのが早いけど、マアジともっというならアユは飽きるのが遅い。マアジでも刺身食べた後の中骨を重ねて焼いたものは飽きて残しがちで、丸ごとや頭は食いが良い。一般的な法則があるのか、単なるコバンさんの好みの問題か?以前はクモやゴキブリも好物だったけど、最近はいたぶって殺すだけで食べ残してるのを見かける。元々の食性考えれば虫の方が好きでもおかしくはないと思うけど、イエネコにはイノシン酸を感じる味覚があるらしいので、人と暮らしていくうちに魚の方が好きになったのか?疑問はつきない。

 今も胡座の上ですやすや寝ているような身近な猫に、自然の不思議や、人との関係とかで培われた謎が溢れている。猫を知ることは生き物を知ることであり、ひいては人間やこの世界を知る手がかりになるに違いないと痛感している。やはり我々はネコと和解せねばならないようでである。

2026年2月28日土曜日

大塚製薬さん、ワシ、カロリーメイト箱で送ってもらっても大丈夫です

  先日、タカノハダイを釣った。

 ワシ初めて釣った魚種だったので嬉しいっていうのに加えて、臭くて”猫またぎ”と嫌われがちなわりに、魚ッ食いな人たちに言わせると、ハズレ引かなければ充分美味しい磯魚という評価らしく。オカズ魚の確保に四苦八苦している状況で、旨い魚ならありがたい獲物と確保したのであった。

 この手の磯魚で臭いってヤツは、概ね雑食してる夏に臭くて海藻食ってる冬は臭くないってのが相場で、まあ場所にもよりけりなんだろうけど、ワシ磯臭いとか言われる魚ではアイゴが好物と言って良いぐらい好みの魚で、ちょくちょく釣れるので食べてきたけど、多少独特の香りがすることはあっても、それ含めて味のある魚だと思って”磯臭さ”と言われるニオイは大丈夫なほうである。

 で、釣り場で血抜きして、帰宅後すぐに内臓だけ処理して一晩寝かせて、ちょっとドキドキしつつお造りに。捌いている段階でたしかにいわゆる”磯臭さ”を感じるけど、たいしたことなく「こんなもん風味じゃ!」と言い切れるレベルである。そして、なんか皮ぎしにちょっと良い脂ののりがあったので、これは皮ごと食うべきだなと、皮目をフライパンで焼いて”焼きしも造り”としてみた。加熱するとニオイはキツくなる傾向があるけど、お造りだとほとんど好ましい風味の域を出ず。ちょっと美味しいはんなり脂ののった身質の良い白身。ハッキリ言って旨い。狙えるモノなら狙って釣っても良いぐらいには旨い。お隣漁港の伊勢エビ刺し網の船が停まってるあたりに、売り物にならないから捨てられていたりするけど、スカベンジャー(掃除屋)ナマジとしては鮮度が良ければいただきたいモノである。臭い個体にあたったらまた話は別なのかもだけど、冬場の臭くないのを鮮度良く持ってきて食ってしまえばご馳走である。

 これは、ナマジが臭い魚好きっていう嗜好であるってのがないとは言わないけど、ドブ臭いセイゴとか普通に食えたもんじゃないと思ってるので、そういう食えたもんじゃない臭さとは全然違う。むしろ好ましい磯の香りだと感じる。ワシだけがそう思って食ってるんじゃなく、愛猫のコバンさんもアラを焼いたのを、白身魚など年開けてからとんとご無沙汰だったので、骨を砕く咀嚼音を響かせガシュガシュとむさぼっていたので、違いの分かる猫様もまっしぐらな美味であると言えよう。

 まあ、磯魚の香りが苦手な人っているようで、そういう人は高い寿司屋でイシダイとか頼んでおいて「磯臭くてダメ」とかのたまったりするそうで、ダメなら最初から頼むなよと、突っ込みたくなる。この手の食べ慣れていない味や匂いがダメな保守的な味覚の人は一定数居るようで、よくグルメレポートとかで、ラムやマトンが「まったく臭みが無く美味しいです」とかやってるのを目にすると、ラムやマトンの脂の独特なニオイがなければ、わざわざ食う必要ねぇだろ?間違いのないところでブタでも食っておけと思うところである。魚もそうだけど動物でもそれぞれに異なったニオイ、風味というモノがあって、味と共にかそれ以上に、それは食欲を誘う部分でもある。以前もちょっと触れたけどすき焼きだの焼き肉だのの牛脂の焼けるニオイはかなり強烈だけど、あの食欲を直撃するようなニオイがなければ牛食った気がしないってなものである。苦手な食材を食べなきゃならない必要など無いので、そういう人は普段食べ慣れているモノだけ食べておけとお節介にも思う。腹が立つのはそういう保守的な味覚で、食べ慣れないものを受け付けない楽しめないだけの幼稚な味覚をもってして、本来美味しいモノを”まずい”とか言うのはやめてくれって話で飯がまずくなる。食に新たな発見も冒険も求めないのなら、栄養摂取だけしてれば良いって話で、以前にも使った罵倒の台詞「味のわからんヤツは一生カロリーメイトでも食っとけ!」って感じである。カロリーメイト、美味しいし栄養バランス考えられているし、保存性も良くて常備しておいて非常食として、本来の意味においても、不意に小腹が減ったときのオヤツの意味でも優秀。色んな味があってローテーションさせれば飽きもなかなかこないだろう。過去にはプレーンや塩味系のポテト味なんかの攻めた味も開発されていて、ポテトが最近売ってないのは残念で仕方ない。某ラノベの軍曹殿(元)は一時フルーツ味が廃盤になっていたのが復活してご機嫌になっていた。とても共感できるシーンだった。たしか高野秀行先生もカロメ大好きエピソード書いてたな。

 大塚製薬さんの攻めるチャレンジャー魂には敬意を表するところで、最近、エジプトにオロナミンCの工場を新設したとのニュースを目にして、世界市場で各種エナドリを向こうに回して勝負するその意気や良しと敬服したところ。レッド○ルだのモンス○ーエナジーだのの、我が国ではカフェイン抜かれてパンチがなくなってるらしい輩どもを蹴散らして、アフリカやアラブの人たちのションベンを黄色く染めてやって欲しい。元祖エナドリの実力を見せつけてやってくれ。ハラル認定は忘れずに。

 ついでに、経口補水液だか点滴だかにヒントを得て、国内でいち早く”スポーツドリンク”の「ポカリスエット」を発売したのも、攻める大塚製薬ならではというところだろう。テレビCMで「理由があります」と言っておいてまったく理由を説明してくれないのがスッキリしなかったけど、まあいいや。そして近年その経口補水液「OS-1」が酷暑の夏に売れているというのは時代を先ゆく企業だなと思ったりもする。

 磯魚であるタカノハダイの味わいから、脱線して完全栄養食のカロリーメイトから大塚製薬まで話が飛んだけど、栄養的に問題なければ良いというなら、某元軍曹殿のようにカロリーメイトと干し肉程度でいいっちゃいいんだろうけど、雑食のホモサピなら、たまには食べ慣れない食材や味にも挑戦しなければ、つまんない食事だよねって話。

 釣り場でも、釣れたハモやらワニエソやらを放流してるのは、さすがに料理にやや面倒くさい技術が要るので分からなくもないけど、食べたことがないからと最近お馴染みのカタボシイワシを捨ててたり、酷いとアジ釣ってて小サバすててる釣り人がいたりして、アオサギやらトビに地域猫たちやら(スカベンジャーナマジも含む)が虎視眈々と狙っている有様である。そのぐらい試しに食べてみたらいいのにと思ったり、ワシの取り分が増えるから、いつまでも冒険などせずにワシが釣る魚残しておいてくれ。と思ったりもする。

 今後、気候変動と密接に関係しつつ海水温も上昇し、海洋環境は変化していくのだろう。そうなってくると食べ慣れない魚も釣れるようになってくる。その時に食わず嫌いで美味しい魚を食べ損なうのもマヌケだけど、生息環境が違うと”毒化”したりするリスクも孕んでいる。それでも途中の過程でどれだけ犠牲が出たのか分からん「フグの卵巣のぬか漬け」などという技巧を編み出してでも日本人はというかホモサピは色んなモノを食ってきた。死なない程度の冒険はしておきたいとワシャ思うのじゃ。

2025年12月13日土曜日

基本性能だけあれば良いのに何故?という工業製品全てに対する問い

左:ゴミダッシュ、右:ガバドリ
  先日、「工業製品全般、しっかりした基本性能は初期の頃にある程度完成されていて、その後は付加価値付けて売らんがためのなくてもかわまん無駄邪魔機能の追加と、飾り立てたカタログスペックぐらいしか変わってないんじゃないか。全部が全部そうじゃないにしても、そういう部分が少なからずあるなとワシャ思うんじゃ。」とリールネタで書いたけど、まさにそういう事例にぶちアタってムカついているので晒してみたい。

 本題に入る前にいくつか例示するなら、まあ車が身近な例で、最近の車の衝突予防やバックサイドビューなどの安全機能の向上はとても良い方向の進化だとは感じるけど、走って曲がって止まる機能にどれほど進化があったのか、専門家はやいやい言うだろうけど素人がドライブして楽しむのには、むしろ今時の電子制御で”走り”自体をコントロールされた踏みこむだけで最適な加速とかで走ってくれる車より、マニュアルシフトでエンジンの回転数感じながら走る車の方が良いと思うエンスー達も多いだろう。いまネトフリでまさにそういう車である”悪魔のZ”が走る楠先生の「湾岸ミッドナイト」がアニメ化されているけど、初代フェアレディZがどうしようもなく格好良くて、プリ○スがあんまり格好よろしくないのは多くの人が思うところだろう。電気的に制御する部分が増えれば増えるほど故障する箇所が増えて不都合が生じるのは、パワーウィンドウが典型。あんなもん手で回せば良いだろって話で、子供の首締めてまで付ける意味はない。チャイルドロック機能とか付けると、さらに部品数の増加により不具合生じる部位が増えて値段も上がっていく。心の底から手で回せば充分と思う。

 あとエアコンも、フィルターの自動洗浄機能なんかいらんから、パカッと開けて水が溜まるドレンパンぐらい掃除できるようにしとけよ!特殊な工具とか持ってないと開けられんから水垢とかで詰まったら外に出て排水パイプ咥えておもいクソ吹かないかんとかどんなクソ仕様やねん。左のエアコン室内機の上にハッポーの箱が乗せてあるのは、ドレンパンからあふれた水がポタポタ落ちてきたときに受けるために用意している。そのぐらいドレンパンのパイプは詰まるのに、パンに到達するまで分解するには業者呼ばねばならん。コンデンサ周りとか素人がいじって事故起こしかねない部分が触れないようになってるのなら分かる。ドレンパンって昔の冷蔵庫なら溜まった水を捨てるためにガラガラッと引き出せるようになってなかったっけ?いずれにせよ素人が触ったからといって何か不具合が生じる場所じゃない。

 さらにクソなのがパソコン周り、なんで特段困ってもないのにウィンドウズ10から11に買い替えねばならないのか?賢いAI様とかがついてサポートしてくれるってか?そんなもんワシ、ネット徘徊して買い物して、写真保存整理して、文章書いてブログやサイトに上げて、家計簿と竿とリールの管理台帳つけて、あとはたまに本の自炊して、ぐらいにしか使ってなくて、賢いAI様にお手伝いいただくほどのことはなにもしていない。10で充分間にあってるというか、95の機能でもおつりがくる。ほんと増改築しすぎて避難経路が分からなくなった従業員が迷子になるような老舗旅館みたいになってるクソ窓とはおさらばしたいけど、スマホのアンドロイドOSベースのオペレーティングシステムで動くパソコンとかも最近はあるようで、それで機能的には充分にもかかわらず、ソフトや周辺機器がクソ窓対応のがほとんどなので、スキャナーやらサイト作成ソフトやらが機能しなくなると困ってしまうのでクソ窓から逃げられない。でも11はいまのPCが壊れるまで買わん。今でもビスタとか使ってる猛者もいるらしいから粘れるだけ粘ってやる。

 洗剤はワシのガキのころの昔から驚きの白さになった試しがなく、だったら水洗いで充分だと感じるところだし、疲労がポンと飛ぶような効く薬は今も昔も何かを犠牲にせずには存在し得ない。映像の解像度が上がったところで、こちとらの目ん玉の性能が落ちてきてるので意味がねぇ。それでもちょっとずつ良くなって便利になってるのを認めるのはやぶさかではなく、電話がっていうか小っちゃいPCが胸ポケットに収まってる便利さとか子供の頃にSF作品で読んだ世界が今来ているのを実感する。だとしても、イラン機能の追加で使い慣れた道具が使いにくくなるのは耐えがたい苦痛なので、今回ワシの身に起こった事例を紹介してメーカーに反省と真に使いやすい道具の開発をお願いしたい。

 なんの話かというと、最近掃除機が壊れて買い替えた顛末。あちこちボロくなってたのをだましだまし使っていて、吸込み口の回転ブラシが壊れたりとかは吸わなくなるワケじゃなし無視して使い続けていたけど、持ち手の部分が樹脂製で経年劣化で割れ始めてたのを、力のかかる部位なので接着剤ではまったく間に合わず。結束バンドでキツく締め上げて使用していたけど、割れが大きくなって完全に分離する状態になって結束バンドで縛ったところでどうにもならずに買い換えを余儀なくされた。まあ、10年以上使って良く働いてくれたし、フィルターが時々洗う必要のあるメインのモノの前にスポンジの簡易なのがあって、かつそのスポンジの前にティッシュペーパーを挟む仕様で、フィルターで濃し取るような粉塵は定期的な水洗いが必要だけど、大まかなゴミはティッシュのフィルターで濃し取って、パコッと簡単に取り外して簡単に捨てることができる。という機能がケモノ飼ってて毎日居室の掃除機がけしないと毛でエラいことになる我が家においては、毎朝の掃除機のあと、パコって開いてポイって主に抜け毛のゴミが捨てられるのはとても使いやすい機能で、買い替えるなら同型機か後継機が良いなと思って探してみた。さすがに同型機は古すぎて見つからなかったけど、同じようにティッシュのフィルターを使う機種でメーカー違いのモノは中古で見つかったので確保。

 今まで使っていた機種はサ○ヨーの「ガバドリサイクロン」というやつで、新しく(中古だけど)買ったのはHITA○HIの「ゴミダッシュサイクロン」という機種。メーカー違うけどティッシュをフィルターにするヤツならば、年式的には新しいし、そこまで使いにくいことはないだろうと思っていた。名前もなんとかサイクロンで似てるしな。ところが・・・というヤツである。まあ、電源コードの巻き取りのゼンマイか何かが弱ってて最後の方出したり入れたりしながら押し込まないと収納しきれないのは、地味に鬱陶しいけど中古品なのでまあ目をつぶろう。

 目をつぶれないのが、肝心要のフィルターにティッシュを使うというその方式のところで、これまで使っていたガバドリのほうはスポンジフィルターの前に単純にティッシュを挟めば良い方式になってて、なんの手間も難しさもなかった。平面に平面のティッシュを挟む、何事の難しさのあるや?(いやない)ところが新しいゴミダッシュの方は、フィルター面積を大きく取りたいんだろうけど、カップ状になったところに、平面のティッシュを上手に入れてやらないといけない。まあ、最初は端っこ押さえておいて真ん中を指で押さえて窪ませてやれば良いだけだろうと思って特に気にしなかった。だがそれだと、十中八九ティッシュが吸引力に負けて破れてティッシュを受けるカゴ状の部位が毛まみれになってブラシでお掃除しなければならなくなる。クソ面倒くせぇ。色々試行錯誤した結果、ティッシュ2枚使って四角いティッシュの4辺がカゴの端近くに来るぐらいまで押し込んで、カゴとティッシュが離れているところがないように指突っ込んでセットするとたまにしか破れなくなった。メチャクチャ面倒くせぇ。立体的なカゴ状の部分に、ただの四角い平面状のティッシュを綺麗に貼り付けるように収めるとか難易度高過ぎやしないかい?「御社がこの方式でいけるという判断をした根拠はなんですか?」とHITA○HI様に問い詰めたい。ティッシュが簡易フィルターになって毎日でもポンと捨てられるという簡単さが売りの機能のハズである。こんなに面倒くさくてどうするよ?

 そして、「どうしてそうなるかな?」と疑問しか湧かないのが、吸込み口のヘッドの部分。左右上下にフレキシブルに曲がるんだけど、曲がりすぎてヘッドの角度が真っ直ぐに保てない。使っててグネングネンに曲がって使いにくいったらない。仕方ないのである程度動きを制限するように、間接部にこれまた結束バンドで縛りをかけてなんとか畳の上ぐらいはまともに扱えるようになった。畳の上以外ってなんね?というと布団の上で、ワシ冬場は愛猫と同衾しているし、夏場でも愛猫は布団の上で寝ることが多いので、敷き布団は毎日掃除機をかける。かけるんだけど、ヘッドの可動域が下方向に曲がりすぎで、布団の上でつんのめって前に進まない。なぜ、ヘッドがパイプに対して水平より下にまで曲がる必要がある。どういう場面を想定しているのか意味不明。仕方ないので持ち手を布団に近づけてパイプを水平に近くしてヘッドが前傾しにくいように角度を保って使っている。こんな使いにくいグニャグニャのヘッドで、御社がこの方式で(以下同文)。

 いい加減にしろだけど、むかつき加減に地味に拍車をかけてくるのが、ヘッドの待機時の姿勢で、ヘッドが地面にぺたっと着く形になってて邪魔。以前のガバドリの方はヘッドは立って本体に沿うように収納されるのでスッキリと壁際とかに密着させて立てかけておけた。新しいのはホント邪魔。冒頭写真で左のゴミダッシュの場所取りぶりがお分かりいただけるだろうか。

 まあワシも可能ならメイドインジャパンの製品を使いたいと思うわけで、HI○ACHIさんとか、数少ない生き残った日本の家電ブランドであり頑張って欲しいと思うけど、こんな掃除機で、大事なことはなにか?がさっぱり分かってない、実際に使ってみて、使いやすさをきちんと評価して売りに出しているとは思いにくい、ワケの分からん付加機能で客を釣るような代物を作ってるようでは、愛想が尽きかける。ティッシュを大まかなゴミの除去につかうフィルターとして利用するっていうのは、専用設計の純正フィルターとかを使う方式だと、新機種になってフィルターの互換性がなくなると詰むので、かなり使い手側からすれば便利な機能で悪くないと思う。なのになぜその便利で簡単にという目的の機能が、不便で使いにくい設計で死んでいくのか?今後もだましだまし使っていくけど、使う度に納得できない気分になるだろう。

 掃除機に求められる基本性能は、ゴミをよく吸うっていうことに集約され、その上でゴミ捨てが楽とか手入れが楽とかが、一般的に求められる機能だと思う。ヘッドのブラシが回転しようが、フィルター洗う時期を示すランプが点こうが、そんな機能はなくて良いしたいして役にたたんだろう。日本人の特徴として改良は得意だけど、新機軸の発明とかは苦手というのは昔から言われてきている。そういう目で見ると、確かに掃除機の世界で”新たな発明”と言って良い、吸引力の変わらないダイ○ンとか、自動でお掃除ルン○とか、前者はゴミを良く吸ってくれるという掃除機に求められる基本性能をもろに進化させた革新的技術だっただろうし、お掃除ロボは基本性能云々とは別方面、手間いらずの方向に特化していって新たなジャンルが開拓された革命機といって良いだろう。そういう革命的なのを日本のメーカーに求めてはいない。いないけど便利で使いやすいように改良とかは得意でしょ?それさえ見失って、使う側の一般家庭での”使いやすさ”をないがしろにしているような製品を目の当たりにしてしまうと、ワシャ一時は世界の工場だった日本の工業技術の衰退を目の当たりにするようで悲しいのである。掃除機ぐらい日本製の使わせてくれよと思うのである。また、今回あからさまにデキの良かったサンヨーの方は家電部門はハイアール(中国)に身売りしちゃってるってところに、良いモノ作ってればそれでいいってワケじゃない商売の難しさを感じるところではある。(※15日追加註:ルンバの製造元が潰れたみたいで、ほんと商売って難しいもんだと改めて思う)

 全くもって、工業製品全般、一事が万事でなんか目新しい機構がついて「我が社の新型は凄いんです」って言うのばっかりだけど、結局欲しい機能って、掃除機ではゴミを良く吸って、ゴミ捨て、メンテが楽っていう基本性能であり、他の製品でも一緒のようなことだと思う。リールは投げて巻いてにドラグぐらいの基本性能が問題なくて、丈夫でメンテが楽ならそれ以上なにがいる。車は走って曲がって止まってがしっかりできていて、プラス安全性能ぐらいか。エアコンは省エネでよく冷えてメンテが楽。パソコンはネットぶらぶらして写真整理して、表計算とワープロが使える、その程度の機能で良い。スマホのOS程度の機能で各種ソフトが今同様に使えればなんの問題もない。ほんと、無駄な機能が結局メンテナンス性の悪さや故障の増加を招いていて、各社頑張れば頑張るほど使えなくなっていってるっていうのを、どうにかして欲しいと思う。

 ビクトリノックスとかヴェンガーとかのスイスアーミーナイフで考えると分かりやすい。いろんな機能満載のドライバーからハサミから何でもかんでもある、便利な付加機能付きの機種は、キャンプとか持っていく道具が限られているときは、一つ持っておくと便利な場面も出てくる。ただナイフと名がつくぐらいで本職はモノを切るための道具であり、実際に使って便利なのはせいぜいブレードが2枚ぐらいで1枚はマイナスドライバーとかの単純な目的に絞られたモデルである。あれもこれもできまっせって言っても、それがどうしたっていう話で、ナイフはモノが切れるという基本性能がしっかりしていればそれで良かったりする。

 これもまた、釣り具と一緒で、シンプルな基本性能の優れた丈夫でメンテもしやすいような機種は、店頭では目を引かない。実際使ってみてなにも問題を起こさなず、起こしても直しやすいという、”店頭性能”ではない本当の使いやすい性能の良さは、使っていてもそれが当たり前になって気がつきにくいものであり、高い評価を受けにくいだろう。だからなかなか良い製品というのは作られにくい。それでもワシは使っててストレスのない”実戦能力”の高い製品を使いたいと思うのである。カタログスペック、短期の使用による評価、それらでは分からない本当の性能を見極めるのは難しいとおもうけど、10年単位で”普通”に使える。そんな製品を私は買いたい。

 メーカーさんよろしくお願いします。

2025年12月6日土曜日

風邪かなと思ったら葛根湯

  葛根湯は数ある漢方薬の中でも屈指の傑作だと耳にしたことがある。

 先日、無様な釣りをしてしまったオノレへの怒りに我を忘れ、眠りにつくのも難しい有様で、ヨレヨレになって体調崩した。その怒りのまま睡眠不足で突撃してヨレヨレながら必死で釣ってそれなりに満足いく結果が得られたのは暁光ではあったけど、体はガッタガタで寒い日の長時間の釣りで、体は熱っぽく、関節も痛くなり、帰宅してこれは明日は高熱で寝込むことになるんだろうなと覚悟しつつ、夕食前と寝る前に葛根湯を飲んで寝た。

 起きたら、なんか明らかに体が軽い。だるさは残ってるけど想像していた悪化の方向と逆の軽癒という感じで、昨日の晩の時点で相当に活きが悪いヘロヘロ状態で、泳がせ釣りの活き餌にしても、ピクピクしながら海底に横たわりそうなぐらいだったのが、朝にはややヨタってるにしても、ハリぐらい背負って泳いで捕食魚を誘えそうな感じになっていた。実に良く効く薬だと感心する。

 葛根湯は、漢方では基本剤という感じらしい桂枝(桂皮)・芍薬・生姜・大棗(ナツメ)・甘草の「桂枝湯」に葛根・麻黄を加えたもので、桂皮が体を温め、芍薬は鎮痛、生姜・大棗・甘草は副作用を緩和とウィキペディア先生は言ってる。けど、生姜には体を温める効果もあるように素人ながら思う。生姜の入った葛湯ってもうその時点で暖まりそう。主薬の葛根には発汗、解熱、鎮痛作用があるとされていて、単体でも風邪や下痢のときに民間治療薬的に使われている。まあ葛湯飲んで暖まるってのも雅な民間療法だな。クズは実際には世界中でっていうか原産地の日本でも繁殖力旺盛な雑草で困ってたりするけど、新芽は天ぷらで美味しくいただけるし、根っこやらは薬にも食用にもなるッテのを知ってると、文明崩壊後の終末世界で生き抜くには鋲付き肩バッドより役に立つかも。で、麻黄には覚醒剤の原材料にもなり気管支炎に効果のある成分「エフィドリン」やら、鼻づまりに効果のある成分「プソイドエフィドリン」とかが、含まれていて、これらの薬草たちの薬効が、補い合い、時に副作用を緩和しとかしながら絶妙なバランスで、ひきはじめの風邪に卓効を示す配合になっているそうな。

 ちなみにエフィドリンを麻黄から発見。気管支喘息患者を救うとともに、エフィドリンからメタンフェタミン(覚醒剤)の単離・合成に成功したのは、日本人の長井長義博士。

 薬草の類いを利用するのは、近年チンパンジーも薬草利用するという報告があったりして、漢方薬に限らず人工合成ではない動植物から得た薬の歴史は、中国うん千年どころか、おそらく人類のご先祖様を少なくとも霊長類以上だったアウストラロピテクスぐらいまで遡った約400万年前には始まってたんだろうって話で、何百万年単で試行錯誤されてきた「人体実験(意図せずとも)」の積み重ねの成果であり。効くから今でも使われているという意味では非常に信頼できるものだと感じるし、今回実際良く効いてくれたという実感があり、なかなかに人間の叡智ってのはたいしたものだなと思いましたとさ。風邪薬としては「パブ○ン」みたいな漢方薬以外の方が一般的だけど、ワシ初期の、症状が出てないぐらいの段階の「緑内障」持ちで、抗コリン薬が使われている一般的な風邪薬は眼圧上げる恐れがあって使えないので、葛根湯のお世話になってるのである。ワシ緑内障の関係で、アレジオンとかの抗アレルギー剤は使えるけど、そうじゃない抗ヒスタミン剤系の花粉症の薬やら乗り物の酔い止め薬やらも眼圧上げる作用があるので使えない。意外に面倒くさく、花粉症の予防にアレジオンがかなり効果があるので助かっているけど、症状が強く出ても即効が期待できる抗ヒスタミン剤が使えないと、鼻にティッシュ詰めて目を保冷剤で冷やすぐらいしかデキることがなくしんどいものがある。とはいえ、緑内障の治療については「トラバタンズ」という点眼薬の1日1回で眼圧正常に保たれて症状が出ないまま進行が止められているので、人類が積み上げてきた医学・薬学のありがたさに感謝するしだいである。

 我が家にはワシの他にも、医学薬学のお世話になってるやつがいて、愛猫のコバンが、夏前ぐらいから口内炎で月1~2回程度通院している。

 猫の口内炎って、最初口から血が出てるのに気がついて、口の中見たら口内炎だから、病院で塗り薬でも出してもらってビタミン剤でも与えときゃすぐに直るだろうと思ってたら、人間の口内炎とちょっと違って、むしろ口の中の潰瘍ととらえた方がよいらしく、ネットとかでお勉強すると不安で眠れなくなるような酷いことになる病気のようで、ワシの病気は歳も歳だし、死ぬような病気になったとしても、イヤだけど納得するしかない。でも可愛い愛猫が口の中が痛くて餌も食えなくなり、毛繕いさえ嫌がって薄汚れていくとか、見ていて絶えられそうにない。餌食べやすいように砕いて与えてやるのも、毎日櫛かけてシャンプーしてやるのもやぶさかではないけど、コバンにはアジの頭とかをガリガリバリバリと旺盛な食欲で食べていて欲しい。原因が分かれば治療も可能で、免疫関係の好酸球が自己を攻撃して起こってる場合は、免疫反応とかを抑えるステロイド剤とかの抗炎症剤が良く効くらしいんだけど、そうじゃない場合は原因不明なことが多く、抗炎症剤の効きも限定的であり、最終的には歯に当たる物理的刺激が潰瘍を起こす直接的な原因となるので、抜歯が症状を抑えるということは対処療法的に知られていて、痛くて可哀相なら歯を抜くそうである。当然餌は丸呑みできるウェットフードや小粒のカリカリだけしか食べられない。考えるだけでゾッとする話である。

 そして、かかりつけの動物病院での診断結果は、好酸球も増えてないので原因不明という、目の前の世界の色が1段階トーンを暗くするような不穏なもので、体に負担のあるステロイド剤を試して効果が見られず、口腔内環境を改善する乳酸菌系やら魚油系やらのサプリメントを処方してもらい試し、処方以外でも飲み水に混ぜて、ティッシュに染ませて歯の表面を拭き取る猫用の液状歯磨きで患部に当たっている犬歯を朝と夜の2回嫌がるのを無理矢理押さえつけてキュッキュと磨く。もちろん皮膚や粘膜の病気には基本であるビタミンB群を含む猫用ビタミンサプリは餌に混ぜて食べさせる。

上から7/7、10/7、注射、10/19、11/23
 でも、悪くはならず、痛がってもいないんだけど、ちょっと良くなったかなと思ったら、またグチュグチュと血がにじんだりと、一進一退。5月ぐらいに始まって半年経っても治ってないんだけど、「ちょっとキツめの薬だけど試してみましょう」と消炎剤の注射を打ってもらったら、目に見えて良くなった。でよしコレで良くなっていくだろうと思ってたら、今度は右側に症状が出てたのが左側に小さく穴が開き始めて泣けてきた。でも体に負担があるので連続しては使えないけど注射は効くと分かったので、また注射お願いしますとリクエストしてしばらくサプリで間開けてから注射という治療方針だったのが、先生から「今薬が不足気味で注射手に入りませんでした」となんか、我が家の愛猫だけの話ではない聞き捨てならん話が出てきて驚いた。まあコバンの症状は右はほぼ治りかけ、左はちょっと怪しくなってきた程度でどちらも酷くないので、サプリメントで悪化させないように時間稼ぎ様子見でしばらくは大丈夫だろうけど”薬が不足”ってどないなっとるねん?ってネットでちょっと調べたら、ワシがしらんかっただけなのか「2020年夏頃より医薬品供給などに問題が生じてきたが、4年経過しても解決していない。」んだそうである。

 原因は複雑で、大きくは3つ、製品の品質問題と、海外依存のリスク、国内生産基盤の老朽化があるようで、品質問題に関してはワシ”ジェネリック医薬品”って、後進国の人とかが安価に薬剤を利用できるように、先発メーカーが特許技術使わせてあげてるっていうのが根本理念にあると思っていて、日本みたいな自称”先進国”に住んでいて、経済的に困窮してるならともかく普通に暮らしてるのなら、使うべきではないと思っている。なので、良く効く薬を開発販売してくれている先発メーカーに敬意を払って、薬剤師さんはジェネリック薦めてくるし、制度的にもジェネリック推しと見受けられるけど、多少の目先の金なんぞより、先発メーカーに1票入れる重要さを鑑みてジェネリック医薬品は断っている。ところが、ジェネリック医薬品、品質に問題がありまくりらしく約4割に問題があるとか、ダメだろそれって愕然とする報告に頭が痛くなった。頭痛薬が欲しい、ジェネリックじゃないヤツ。海外依存のリスクはまあ”チャイナリスク”とか代表例を目の当たりにしてたら納得だわな。政治的な問題がなくてもパンデミックとかになったら、そら自国民に優先的に薬回すよねって話で海外依存で安い薬ってのは安定確保が難しいだろうし危ねえのはそりゃそうだろ。生殺与奪の件を他国に握らせるなって柱に怒鳴られそうな話。国内生産基盤の強化って、まあ儲かりゃ設備更新してけるんだろうけど、安く入ってくる海外製品と競合すれば今時そんなに儲からんのか?じゃあ海外の薬剤関税掛けるってしたら薬価は上がってワシら病人はヒーヒー言わないかんくなるけど、安定供給確保、安全性確保にどこまでお金をかける判断になるか、薬なんていう利権渦巻く世界では、結局あちこち引っ張り合いしてなるようになっていくんだろうけど、人の生き死にに直結する話なので、たかが金儲けのために引っかき回すのならたいがいにしとけよとは思う。

 日本も円安で海外から買うにしても高くつき、じゃあ輸出するかと言えばすでに他の安い国に価格競争で勝てるほどの優位性があるとも思えず、食品も高くなったし、薬も高くなったし、いよいよ日出ずる国も日が傾きかけてるんだなと思うと寂しいかぎりである。葛湯でもすすって生き延びられるだけ精一杯生き延びたいけど、なんかしみったれた時代になってしまったと、バブル経済のころのバカ騒ぎをほのかに憶えている世代としては思う。今の時代しかしらないコロナ食らって学校の楽しい行事も潰れて、景気も悪く、夏はクソ夏でっていう若い子達に、こんな世界にしてしまってスマヌと当事者の一人として謝りたいところである。ワシら自身が招いたこの体たらく、ワシらがエラい目にあうのは自業自得と飲むしかなくとも、猫や若い子らに罪はない。当事者を代表してネットの片隅で謝っておこう。ゴメン!

2025年8月2日土曜日

大地震ってクソ暑い夏か凍える冬に来る気がするのは気のせいか?

 新潟中越沖地震はクソ夏い時期だったし、阪神淡路や東日本の時は被災した方達が凍えてたのが気の毒で仕方なかった。能登半島地震にいたっては正月に来やがって、神などいないと強く確信を新たにするしだいであったのは記憶に新しい。

 なので、基本的に無神論者なワシは火山帯の上に住んでるような日本人の心得として、神頼みではなく”備えよつねに”のボーイスカウト精神で、リュックに非常用食料とか詰め込んだモノを神棚に乗せていた。コレに水と猫餌を突っ込んで猫用キャリーバックに愛猫を詰め込んで、有事には自転車で避難所まで爆走する予定であった。

 そしてクソ夏い7月30日の朝にそれはやってきた。アリューシャン列島でマグニチュード8を越えるような巨大な地震が生じて、日本でも太平洋側広い範囲で津波注意報が発令され、それはすぐに最大3mの津波警報に格上げされた。注意報の時点で一回避難経路とか確認するためにも練習で行っておこうかと思っていたけど、いきなり本番初舞台である。ただ、遠い震源地なので情報収集なんぼかしてから避難しても間に合いそうではあったので、とりあえずアリューシャン列島の現地情報が来てから行くかと準備しつつネットに張り付いていた。現地映像でデカい津波が来て4m以上とか言ってるので、それが最大時とは限らないので少なくともそれ以上の津波が現地で起こっていて、間違いなくその津波はこちらに向かってきているので、距離があるので減衰するにしてもちょっとシャレにならんなとそそくさと猫をキャリーバックに詰め込んで、ニャーニャー抗議の声をあげるのを無視して、近所のおばちゃんとか呑気に散歩してるので「逃げた方が良さそうですよ」と声を掛けながら小高い丘の上の避難場所に移動する。

 避難場所すぐ到達できるはずなのに、意外に焦っていたのか一回曲がり角を行き過ぎてしまった。時間的余裕があったのでよかったけど、直下型で一刻をあらそうような場面だったら死んでたかも。まあなんとか避難所にたどり着いて駐輪してから海抜40mまでてくてく歩いて登っていくと汗だくになって、6.5キロの愛猫の重みが肩に食い込んだ。

 ありがたいことに避難施設には空調が効いていて、ペット同伴組はまとめて小会議室に案内されてホッと一息。飼い主さん達と話していて、餌はワシ持ってきてるので猫用のドライフードなら融通できますよって話だけど、猫砂どうしようって猫飼い達は心配するのであった。みな自分たちぐらいはどうとでもできるけど、愛猫がこの異常事態にどうなるか不安なようで、その気持ちよく分かるって共感できるだけでもありがたい。外には土もあるのでトイレはそこでしてくれることを祈るのみである。

 で、会議室に落ち着いてしまうと不安な声で鳴き続ける猫をなだめるほかにすることはなく暇。情報は別の部屋とかにはTVがあるし、ワシもタブレットとポケットワイファイは持ってきていたので、逐次ネットニュースとかは確認できる体制。慌てて持ってきたので充電量が怪しく、自治体の施設からの盗電だけど、緊急時ということで目をつぶってもらうことにして充電させてもらう。ついでに、持ってきたモノの確認などして次回以降に活かすとともに「オレ生きて帰れたら避難所のことをブログネタにするんだ」と死亡フラグ臭いことを思う。

 まずは、非常食と水だと思ったけど、これ意外と大きな避難場所では要らないかも?水もすぐに配ってもらえたし、昼ご飯もお湯を注ぐだけでOKのアルファ米の備蓄食料がお昼頃には配布されて、自治体の備えがその辺しっかりしているならなくても良くて、とにかく体の安全だけ確保するのを優先して急いで避難しても良いのかもしれない。暖かい飯があるのに乾パンは食わんよな。逆に役に立ったのは歯ブラシとタオルの洗面セットで、飯のあと歯磨きして顔洗ってスッキリしてというのは特に夏場の汗かきがちな避難においては有用だった。その視点で足らなかったのは衣類のたぐいで、一応寒かったらかぶれるようにアルミブランケットも用意してたけど、エアコンがちょっと効きすぎるぐらいでガサガサ出してきてかぶるのははばかられて、着替え兼寒暖調整用に下着類はなんぼかあると良さげ。その他に持ってきていたのは片付け作業になったら使いそうな、マスクや軍手。電気が来なくなったときの夜間の行動のためのヘッドランプ、火が焚けるようにマッチ、怪しい水が飲めるように口で吸う簡易浄水器あたりと、あとは今回時間があったので暇つぶし用のタブレットとワイファイルーター、当然携帯を持ち込み充電アダプターも持ってきていた。後半ダレてきてからはタブレットでネットやらマンガやらは役に立った。ただこれらは電源が確保できなければ遅かれ早かれただの箱に成り下がるので、電気が復旧しないという状況では、過去事例で被災地からの映像とか見ていると順番待ちして発動発電機で充電していたけど、手巻き式とかで良いのがあったら用意しておくと良いかもしれない。以前持っていたのは試してみたら発電力が小さくて役に立たなかった。

 ちなみに配布された昼ご飯はこんな感じで、炊き込みご飯やらドライカレーやらがあって、ドライカレー食べたけど普通に美味しかった。水でも戻せるアルファー米だそうだけど、暖かい食べ物が胃に収まると人はかなり落ち着くので、可能なら暖かい食べ物は確保したいところ。この辺は個人ではどうにもならないので、自治体なりの対応を期待したい。インフラが死んできつい状況になると、自衛隊が派遣されてきて、暖かい飯とお風呂が提供されるようで、復旧作業と併せてありがたいことである。ただ東南海地震とかデカいのが来ると被災地域が大きすぎて、必ずしも津々浦々手がさしのべられるかというと難しいだろうから、避難所に持ち込むかどうかは判断だけど、乾パンやら水の備蓄はやっぱりあった方が良いだろう。まあいずれにせよ体が一番大事なので、直下型の場合、早ければ20分かからず津波が押し寄せるとかあるらしいので、とにかく着の身着のままでも良いので素早く避難しろってことだろうと思う。

 そしてやはり、手間なのが愛猫関係で、キャリーケースに餌のカリカリのほかに、キャリーケースの中だけでは狭くてしんどいだろうし、外の土でトイレさせるためには逃げられないように繋いで外に出さねばならず、ってのを想定してハーネスを購入済みで、試しに付けたことはあったけど、今回初の本格運用。意外にハーネス自体はいやがらず大人しく着用してくれたけど、不安げな雰囲気やら知らない体臭やらをまき散らす人間どもが沢山いる、知らない場所にいきなり連れてこられて、最初ほぼ固まってケースの中で不安げな鳴き声を上げ続けていた。人間は避難する理由も状況も分かってるけど、猫にしてみればなぜこんな騒々しく不穏な場所に来なければならないのか、納得いかないところであろう。とにかく頭をなでたりして落ち着かせようとするけど、人見知りもするビビりな性格でもありお水も飲んでくれないし前半心配した。10:30くらいに避難所に入って、12時過ぎに昼ご飯食べて、ってやってると多少は慣れてきたのか、単に疲れてきたのか鳴き止んで大人しくなってきて、湿らせた指も舐めてくれるようになった。そしてケージから出たがり始めたので、ハーネスにヒモを取り付けて”猫の散歩”状態で愛猫の現場確認作業に付き合ったんだけど、そこは猫なので身を低くして机の下とか通りたがるので難儀して適当なところで切り上げさせて、抱き上げてなで回したけど「オマエ、オレ騙した」って感じの不審の目をむけて腕から逃げるので、会議椅子のフカフカしたのが気に入ったようで、その上で座って大人しくなったので、ミャーミャー抗議の声をあげ続けているけどまあ良しとしておいた。

 状況は、15時半を過ぎると、東北の久慈で1.3mとやや高い津波が観測されていたけど、この地は数10センチで、それ以降は治まっていくように見え、皆さん帰り始めたので、愛猫のストレス的にも限界だろうから、ワシも撤収した。今回の被害的には震源地近くのアリューシャン列島やらのロシアでは陸上施設に被害もあったようだけど、国内は比較的人的被害は少なく、避難を急いで崖から落ちた事故で亡くなった方がいたぐらいのようだった。まあ、防災無線もメディアも「急いで命を守る行動を!」と緊迫感のある尻のタタキ方をしていたので、焦る気持ちも良く分かる。けど、急ぎつつも冷静確実にということを肝に銘じたい。結局、警報出たけど人的被害が出るような大きな津波は来なかったじゃないか、避難指示必要だったのか?って話はいつでも湧く。でも基本は厳しめの予報に基づいて行動しておいて「思ったよりたいしたことなくて良かったね」って言えるのは何ら問題はないけど、予想を逆に外して、油断してたら津波に持ってかれたって場合、死人に口なしで文句も言えないので、この手の避難の呼びかけは外れてオオカミ少年になっても良いぐらいでちょうど良いんだと思っている。急ぎつつも焦って事故が起きないような呼びかけの方法とかは報道機関も工夫して欲しいけど、結構今回の津波でも大丈夫だろうと避難していない人も多かったように感じるので、尻を精一杯叩くのは気象庁やら自治体、報道機関の正しい役目なんだろうと思う。

 ロシアの被災した方々、国内で亡くなられた方にはもちろん心よりお悔やみ申し上げるところだけど、それとは別に、陸上に被害が少なくても洋上で海水が大きく動くと当然、養殖施設等への被害が生じていて、自然相手だとある程度仕方がないとはいえ、お気の毒で胸が痛む。お見舞い申し上げるとともに、なんか良い感じの復旧支援なりを行政にはお願いしたいところである。

 我が家に戻ってくると、愛猫のワシへの信頼は脆くも崩れ去ったようで、部屋で可愛がってあげようとしても、チュールだけ食べたら下の階に行きたがるので、コバンの城である下の階に放流して「ワシのこの愛が分からんのか?」と悲しくなるけど、多分コバンも分かってくれていると思う。翌日のお昼寝の時にはいつものように股ぐらで丸くなって寝てくれた。可愛いやつめ。東南海地震とかクソデカいのが来たときに生き残れるか、それは時の運だろうと思うけど、愛猫と共に生き残れるよう今回の経験も生かして、油断なく備えておくこととしよう。生きるか死ぬかは運もあるというのはコレまでの津波災害とかで得た教訓である。やるだけのことをやって、後は運が良いことを願おう。皆様”備えよつねに”で一つよろしく。


※PENN両軸ネタの予定でしたが、津波ネタは鮮度の良いうちに提供しておきたかったので先に入れました。あしからずご了承ください。

2025年4月12日土曜日

コチの頭はワシに食わせろ

  一年近く前に恥辱にまみれた同じポイントで雪辱を果たした。恥を雪げたのはよかったけど、予想以上に獲物が大きくルアーがっぽり飲まれて流血沙汰。復活するかなとしばらく潮だまりに活かしておいたけど虫の息だったので、締めてお持ち帰り。こういうとき樹脂製の自転車カゴはサビを気にせずにすんで良い塩梅。まあ下のスポークやらに血潮混じりの海水かかってるけど、先日グリス塗り塗り整備したばかりなので大丈夫だろう。あと釣ったのは根魚クランクの道具立てでマジェンダFだったけど、ワシの道具たちはよく働くと感心する。特にマジェンダはシーバスに元々使ってたけど根魚に底物に大活躍してくれている。最新のわけ分からんルアー持ってきてもコイツにはまず勝てんだろうと思う。傑作です。

 さて、お持ち帰りにしたマゴチ、自己記録で66センチと大型、流しにギリギリの大きさで、そのままだとまな板に乗りきらないので、まずは頭を落として作業する。釣り場の魚を1匹減らしてまで持ち帰った魚であり、せっかくなので、食べられる部位は全部食べて楽しませてもらうことにする。頭が手のひらぐらいあってワニみたいな迫力がある。コチはヒラメのように5枚おろしにしていく方法もあるけど、個人的には普通に3枚におろしていけば良いように思っている。ただ、型が良いので冷蔵庫にしの字に曲げて一晩放置していたので、しの字に死後硬直しているのでストレッチしながらおろしていく。
 解体すると頭もでかいけど、胸びれ腹びれ周りの肉も美味しそうかつ量もある。加えて大型魚食魚なら内臓を食え!だとおもうけど、胃袋も肝臓もボリュームがあり、マゴチは大型に育つのは雌らしく発達しかけの卵巣もあったので、1食目は内臓を良く洗って湯がいたもののネギポン酢、と胸びれ腹びれ片方を潮汁にまわし、もう片方を塩ふって焼く。潮汁にする前に背骨やらのアラは熱湯かけてヌルを落としておき、頭は面倒なので一回兜焼き。兜焼きの時点で笑える見た目なので”睨みコチの頭”にしたけど、食べたのは下になってる鰭付き肉、鰭自体も根元は堅くて食えんかったけど先の方はパリパリしてて良い、そして、内臓は安定のネギポン酢、胃袋には消化された魚の骨と意外に小さいカニとエビが入ってた。肝臓も卵巣も胃袋も鮮度が良いと最高に旨い。ネギポンの他にも辛子醤油とかもあうと思う。そして潮汁は塩味で大根と背骨やら鰭周りにネギぶち込んで、骨からイイ出汁出まくりでゼラチンも出まくりで翌朝には煮こごってる。1食目は昼飯だったけど刺身にたどり着けなかった。でもこの時点で超旨い。
 そして、愛猫コバンさんも、久しぶりのカマス以外の魚肉に大喜びで、猫用に塩振らずに焼いた骨とかから手で身をむしって食べていただいたけど、カマスは「飽きたんだよ」って感じで残すようになってたのに、ガツガツ食ってて、わしの手に着いたゼラチン質やら脂やらのペタペタしてるのも熱心に舐めていた。
 コバンさん、ちょっとアホの子の傾向があって、デカい骨丸ごとあげると、丸ごとかみ砕こうとして、上手く食べられなくて苦戦したりする。猫なんだからザラザラの舌で骨周りの身を舐め削って食べれば良いのに、あまりそういう行動をとらない。オネーチャンのハイカグラは骨格標本かというぐらいに骨から綺麗に身を舐め取ってたけど、姉弟でも違うモノである。仕方ないのでワシが手で身をむしって提供させていただいてます。

 次の2食目の夕飯にやっと刺身に到達する。腹側の身は肋骨とか鰭とか外して柵にするのが面倒だけど、その肋や鰭周りの肉が軟らかくて美味しいようにも感じた。もちろん潮汁の背骨周りの肉も食べ応え、味共に文句なし。
 マゴチといえば代表的な、刺身が美味しい白身魚という感じだけど、その評価も妥当なうま味のある刺身。脂も潮汁にはうっすら浮かぶので多少は乗ってると思うけど、脂の乗った旨さというより、白身のうま味の美味しさという感じ。ヒラメの美味しさにも通ずるモノがあるかも。かたや横になって、かたや上から押しつぶされたように平べったくなってと形は違えど、砂底とかに棲んでる魚食魚というのは共通していて、そのあたりから筋肉の質とかに共通するモノがあるとかだろうか?なんにせよいずれ劣らぬ美味しい魚なのは確か。

 3食目の昼飯は豪華で、肋骨をハズした部位をめんつゆと酒でヅケておいて焼いたモノと、引き続き刺身、潮汁。
 マゴチの腹回りは意外と骨が多くて、肋もややこしい感じに入ってるけど、綺麗に外せなかったら、肋周りの肉ごと大まかにハズしてしまい、ハズした部位を加熱調理してしまうと、骨離れは加熱すれば良くなるので、骨外しながら食べられる。
 もちろん味も非常に良く、大量の刺身で飽きてくるぐらいなので、むしろしっかり味付けて焼いたのの方がオカズとして優秀なぐらいだった。まあ、煮ても焼いても旨いさね。
 でもって、ワシが刺身を食っているときには、愛猫も刺身を食っているわけで、中骨の部分とか、肋周りとか、背骨はさすがに噛み砕けないけど、小骨は難なくボキボキ音させてかみ砕いて食っていた。元野良のワイルドさが頼もしいぜ。ワシが美味しい魚食ってるときには、コバンにも美味しい魚を食べてて欲しい。一緒に美味しいモノを食べるというのは”共に生きる”ことを強く感じさせてくれる。美味しそうにアグアグ食べてるのを見てるとこちらも幸せな気分になる。

 4食目夕餉、皮は当初焼いてコバンさんに上げようかと思っていたんだけど、肉厚で旨そうだったのでワシが食うことにした。鱗がやや剥がれにくいので、多少残っててもカリッと焼いてしまえばサクサク食えるだろうと、グリルで強火でこんがり焼き目が付くまで焼いてみる。鱗ごと揚げて鱗の食感を楽しむ松笠揚げっていう料理法があるけど、そこまで鱗主役じゃないにしても、残ってしまった鱗も食ってしまう方針。そして、一旦兜焼きにしてあった頭は、潮汁に醤油足して野菜足してアラ汁にして解体しつつ食べる。皮は想定したとおり上手くいって、パリパリした感じに焦げ目の香ばしさと鱗のシャクシャク感も悪くなく、ちょっとやる旨さ。ネギポン酢で食べたけど、マヨ醤油に七味でパリパリ摘まんだりしたら酒のアテにちょっと堪えられんかもしれん。魚の皮の旨さは、最近皮目をバーナーで炙ったりするのが流行って知られるようになってきたと思うけど、捨てるなんてもってのほかの味わい。
 頭の方は、頬肉とか意外に肉量あるけど、基本平べったい口腔の骨が多くて、肉を食うというよりはむしろ骨に着いている皮や軟骨をしゃぶるためにあると言って良いかと。あと出汁は出まくると思う。
 せっかくなのでベロベロと舐め取って綺麗にして、エラの棘のところの骨と、下あごの骨は記念に取っておくことにした。乾燥させてどっかに飾ろう。戦利品であり、飯の記録でもある。

 5食目6食目の3日目は基本的に柵にしてあった刺身と潮汁にあれば骨際の身の漬け焼き。柵を切って潮汁温め直す程度で手間はないけど、同じのばかりだと飽きるので、醤油をいつもの”たまり醤油”から普通の醤油に変えたり、白身の魚だし、おろしネギポンも試してみた。普通の醤油は普通に旨いってだけだけど、おろしネギポンは割と”味変”できていい。潮汁は煮返しているとだんだん身がグズグズとくずれて白濁してきて、それはそれで旨い。

 最終日4日目、7食目8食目は初日に柵取りしてから酒とめんつゆで”ズケ”にしてあったのを、ユッケ風ズケ丼と、漬け茶漬けで締めた。ユッケ風漬け丼は最近ズケ作るときの鉄板になってきた。不味いわけがない。黄身だけ使うので白身は飲むのがお約束。茶漬けのほうは、最初普通に刺身みたいにつくって食べて、ご飯が減ってきたら、ズケ汁を適宜薄めて沸騰させたのちに、残った漬けの切り身を入れてからご飯にかける。ズケ汁にエキス分がしみ出してイイ出汁出てる。タンパク質が凝固して灰汁みたいに浮いてくるけど、それごといきます。うまいぞ。

 という感じで、4日間にわたって1人と1匹で楽しませてもらいましたとさ。
 まあ、殺される方の魚からすれば、雑に扱われようがなにしようが一緒かもしれんけど、釣って殺す側の立場からすると、最初の方で書いたように、釣り場の魚を1匹減らすという、結構ワシ的には大ごとをやっているので、やっちまったからにはめいっぱい楽しまねば損というか嘘だと思うので、あれこれ試して美味しくいただきましたとさ。
 「「ごちそうさま」と言っておけば何でも許されるのか?」という内澤洵子先生の疑問は鋭いと思う。だとしてもやっぱり「ごちそうさまでした」と言いつつワシは魚を食うしかないんだろうなと思う。他者の命を奪ってワシャ生きている。そういうことを直接的に自分で殺して食って知る機会って、猟師さんや食肉関連職の人でなければ、釣りぐらいしかないようにも思う。
 エラの方からナイフの刃を入れて締める時に感じる、命を奪う覚悟や残酷さ。そういうのも釣りの大事な一側面かなと思ったりしております。

2025年1月11日土曜日

ネコと和解せよ

  親父みたいなヨォ酒飲みなどにゃ、ならぬつもりがなっていた。と昭和の演歌では歌われていたけど、携帯の待ち受け画面をペットの犬猫にするようなペットバカにはならぬつもりがなっていた。だってウチのコバンちゃんったら可愛いんですもん。

 カエルやら魚やらも飼ってて楽しかったけど、ネコのように自分の居室で一緒に過ごして、意思疎通らしきモノもできるとなると、一緒に暮らしていて相棒感がでてくる。ペットは所詮犬畜生であり家族とは思わないように線を引きたいけど、ある意味家族以上に重要な存在になってきている。家族はほっといてもあちらはあちらでちゃんとやってると思うけど、愛猫は近所で悪さをしてワシに拉致監禁され終身刑となった身なので、ワシが責任持って面倒を見ないとならず、元の悪い野良猫に戻ることはできるかもしれないけれど、監禁している限りにおいてはワシが世話しないと飢えたり病気したりで死にかねない。

 まあ、犬猫って人間と共に生きてきた歴史が長いのもあって、人と共に生きるのに適した生き物だなとつくづく思う。サーバルとかニシキヘビ系とかたまに脱走されてニュース沙汰になってたりするけど格好いい野生動物をペットにしたいという気持ちは分からんでもないし、動物園でもなんでもない素人が繁殖成功させたりっていう特殊能力持ちもなかにはいるので、法と金と己の信条の許す範囲で飼いたきゃ飼えば良いけど、たんなる思いつきやペットショップで売ってるのを見て気に入った程度で飼うのは止めておけと正直思う。昔、元同居人とペットショップに行って小型のフクロウの仲間が売っていて、それはとても魅力的で可愛らしく元同居人は世話はワシがきちんと見ることを大前提として飼いたがったが、「この鳥籠のフクロウがウチに来ると、森から1羽この鳥籠に連れてこられる」と言って諦めさせた。繰り返すけど法に触れないかぎり金が許せば飼うことが即悪というわけではない。でもワシの信条としてそれはよろしくないと判断した。深夜帰宅の多かった働いてた頃だったので夜遅くに帰宅したら部屋に可愛いフクロウが居てお出迎えしてくれるというのは超魅力的だったがなんとか我慢した。いくら小型とはいえ猛禽を飼育する余力は当時のワシにはなかった。面倒の少ないタフな小型のライギョがそんなワシの癒やしだった。レインボースネークヘッドとコウタイと2代続けて飼育したけど、奴らは愛嬌も野性味も備えた素晴らしいペットだった。

 犬はかなり高度に家畜化されているけど、猫は野生化して”ノネコ”の問題が生じるぐらいには野生を残しており、我が家のコバンも蜘蛛だのGだの窓の外のヤモリだのを襲う野生は健在で、以前にも書いたとおり家畜と野生の半々のシュレディンガーの猫的?な存在だとワシャ思っている。まあ、犬も犬種にもよるだろうけど野犬化することがある程度には野性的なケモノではある。ワシはコバンと過ごしているときに、その行動やらなにやらから野生のケモノの魅力も十分に感じている。まあ、悪いことはいわないので、動物飼いたいと思うなら、家畜化もされてないような野生種に手を出すのは真性のマニアで自分にその資格があると自認できるレベルでないなら止めておけ、素直に犬猫飼っておけば充分に満足できるだろうし、餌や病気の問題も対処方法とかがしっかりしていて安心である。

 ネットの片隅には賢者が居るとワシ常々思うところで、海外の面白動物ニュースとか紹介しているブログで、飼育員さんがどこかに行こうとすると鼻でヒシッと抱きとめるようにして「行かないで!」と訴える愛らしい子象の動画が紹介されていて、それを見たネットの片隅の寂しいオッサンとおぼしき1人が掲示板に、

「なんでもいい、こんな風に愛されたかったな」と書き込んだのに対する返しが秀逸だった。

「まだ遅くない、金を用意しろ
 犬を飼え、犬と共に生きろ
 猫を飼え、猫の為に生きろ
 愛を注げば、愛してもらえる」

 あまりに鋭く、感心したので有名な警句かなにかなのか?とネット検索して調べてみたけど、どうも即興のオリジナルのようである。たった4行でこれほど完璧な返しを書き込んでみせるその賢者ぶりに圧倒される。きれい事じゃなくて費用も発生するという根本のところからぶちかまして、飼う責任ということを端的に表しつつ、犬と猫の違いでしれっとユーモアも加えたのちに、愛されたいと願うなら、まずおまえが愛することから始めろと諭す。完璧な4行であるとしかいいようがない。犬と猫という2種の選択も結局はその2つしかないよなと納得である。ワシも猫の為に生きている部分もあるので大いに納得する。愛というモノがどういうものか唐変木のワシにはよく分からないけれど、コバンを思うときに胸にわき上がる暖かいモノがそれではないかとおぼろげながら思っているし、帰宅して猫部屋に入ると足下に一生懸命匂いを付けようとしてるのか顔をこすりつけてきたりするのや、あぐらでPCいじくってると膝の上ですやすや寝てくれたりするのは、ワシひょっとして愛されているのでは?と疑うに足りる日常の場面。

 ぶっちゃけ、ワシ孤独には強い方というか逆に一人の時間がないとイヤなぐらいで、独居老人でも寂しいと感じるような感性があるとは思えないぐらいである。某ボッチがロックするアニメで主人公が、ボッチと”一人が好きな人”は違うと言ってて秀逸だったけど、まあワシ一人が好きな方である。でも猫飼って思ったのは、意外にオレもぬくもりを求める心って持ってたんだなってことで、想像していた以上に癒やされる。よく独身OLが猫飼い始めたら婚期逃すと言われているけど、クソみたいな男に引っかかるぐらいなら猫の方が断然魅力的だというのはよく分かる。で、愛されたことがないような孤独なオッサンが大量生産されることとなる。少子化対策本気で考えるなら独身者には猫を飼わせるな。
 っていうのはこじつけでしかないけど、現実に猫を飼わせてもらえない雰囲気になってる人たちが居て、どういう人たちかというと独居老人で、保護団体の主催するような犬猫の譲渡会に行くと、いつ死ぬか分からん独居老人に犬猫の命はあずけられません、って断られるらしい。いやいやいや独居老人にこそ必要でしょ?生きがいとして相棒としての存在が。そら飼い主死んで気づかれずに殉死してても可愛そうだし、死ぬ前に発見できても引き取り手のある子犬子猫じゃないと次の飼い主が見つからないってことだろうと思うけど、繰り返すけど犬猫って文字通り犬畜生でっせ、人の幸せのために多少犠牲にしても仕方ないことにしとこうよそれは。あるいは年寄りには老犬老猫を任せるとか上手に運用してよってワシャ思う。この問題も先の4行なら解決する。金を用意すればいいのじゃ!オゼゼさえ払えばペットショップは喜んで可愛い子犬子猫を売ってくれるだろう。っていうのが動物の福祉に反するとかいって欧米”先進国”ではペットショップで生体を売るのを禁止してたりするけど、正直アホかと思うね。すべての動物が幸せに暮らせるようにするまえに、すべての人間を幸せに暮らせるようにしてやれよって毎回毎回書かせるなって話。
 じーちゃんばーちゃんに先立たれて、予算も人手も限られるような保護施設で残りの一生を送るような犬猫がかわいそう、ってそうかもしれんけど、じゃあじーちゃんばーちゃんに愛されて暮らした時間は意味なかったのか?違うだろ幸せだっただろってワシャ思いたい。その幸せな時間があれば生まれてきた甲斐があったかどうか?とかまでなんて、当事者である犬猫にしか分からんだろ?当事者でもそんなのわからんか?とにかく、おまえには決めつけられたくないってワシなら思う。なんかこのへん、健康で大過なく長生きするのが至上目的になってるバカどもと同じ悪臭がただよってきて鼻が曲がるのよね。そりゃ生きてりゃ良いことも悪いこともあるだろ?テメーの価値観で他者の幸せを決めようとするな。もっと言うなら犬猫の寿命は10年から長くて20年、今時のじーさんばーさん死にそうなヨボヨボでもそのぐらい生きてもおかしくないって。逆に若けりゃ死なないってわけじゃなし、人はみなダモクレスの剣の下。

 今後我が国が超少子高齢化社会に突入するっていうことは、独居老人いっぱい出てくるわけで、そういう人たちが幸せに暮らすために、犬猫は超優秀な存在だと思う。まあワシ犬は飼ったことないけど猫ならナニが良いかお薦めポイントを列記できるので愛猫自慢がてら書かせてもらいたい。
 
 まず猫のナニが良いかといえば、足が可愛い。もちろん犬猫の可愛さの記号として肉球マークがよく使われるぐらいで肉球も良い。良いけど猫の前足(お手々)そのものが可愛いということに、愛猫家の皆様なら大いに賛同していただけるだろう。
 ウチのコバンさんは茶白の毛色で、お手々が手袋みたいに白い。まだ野良猫時代に、窓を開けると塀と一階の屋根をポンポンと跳んで、窓のサッシにその白くて大きなお手々をかけて、部屋に遊びに来る。その白い、子猫にしては大きなお手々に、今思うと”ズキュウウウン”と胸を貫かれていたのだと思う。あまりに可愛らしいので写真にも残した。今よりずいぶん小さな子猫だったけど前足の大きさを見ると、その後最大時7キロを軽く超える”デカ猫コバン”に育つその片鱗が見て取れる。
 コバンさん、猫にしては珍しい方かもだけどどこ触っても大丈夫な”お触りオッケー”な猫であり。可愛いお手々をワシの老いて節くれた手で包んでネッチョリとなで回したりして堪能させてもらっている。

 そして声が可愛い。監禁当初、出かけたりなんだりで1Fの猫部屋に放流して戸を閉めると、悲しげな甘えた声でワシを呼ぶように鳴くのには「ああっ釣りなど行かずにおまえをズッとなでくりまわしていたいっ!」と思わされたモノだが、釣りに行かねばワシもコバンも魚が食えないので、後ろ髪引かれる思いで釣り場に向かったモノである。まあ、案外平気みたいで、帰ってきてお迎えしてくれる日もあれば、寝床の段ボールやらソファーのうえで「なんや、帰ってきたんか?」と眠りを妨げられて不機嫌そうにあくびしているときもある。キーッあたいのことなんてどうでも良いのね、悔しい!でも可愛いの。
 そして、居室で一緒に居て、下の猫部屋で遊びたくなったときには、ニャーと鳴いて催促してくる。確認のために「下に行きたいんか?」と問うとさらに一所懸命なかんじで「ンニャ~」と鳴く、そのときの意思を伝えようとする必死な感じの表情も愛おしい。「そうかそうか下で遊ぶんやな」と戸を開けると、トトトッと階段を降りていくときもあれば、隣の部屋に走って行って追いかけっこに誘ってくれる時もある。ジイさん、膝も悪いのに階段駆け下りたり、猫部屋で洗濯機の裏やダンボ-ル箱の中に逃げ込むコバンさんを追いかけて大ハッスル。実にイイ。充実の猫生活。

 そして、いつまでも書いてるわけにいかないので最後にお薦めするポイントが、「お尻」である。よく、犬だとコーギーやシバのお尻のかわいらしさが絶賛されているが、猫の尻も良いものです。尻尾ピンと立てて元気に歩く後ろ姿のお尻の穴まで丸見えの可愛らしさは犬にも負けんですよ。しかも、ウチのコバンさんはダイエットして絞って6.5キロのデカ猫であり、尻というか太ももの肉付きもよく、丸くなって寝てる姿とか、ダイナマイトセクシーボディーに悩殺されてしまうぐらいである。そして、そのダイナマイトボディーに育ったことに自分では気がついてなくて、小さい頃からのお気に入りの段ボール箱にムチムチボディーを納めようとして”ムチ壊し”てしまっているのもいとおかし。
 まあ、寝姿みてるだけで猫好きなら白飯おかわりできるってもんだけど、これがまた同衾するとまたよろしくて、寒い時期だと布団に入ってきたら、股ぐらに落ち着くか、脇に頭を突っ込んだり腕枕させていただいたりという形になるんだけど、脇に来たときにはムチムチの太ももから腰お尻にかけて、モミモミなでなでしていると気持ちよくて、グッドスリープな感じに良い眠りにつけるのである。
 今のところ同じ布団で寝ても”過ち”は犯していないけど、冒頭写真がまさにその現場なんだけど、コタツとかであぐらの上でくつろぐときに、コバンさんワシの股間を一所懸命揉んでくれるのである。ワシ、コバンを愛してはいるし世の中多様性が重視される時代になったけど、種を超え、めくるめく同性愛の世界に踏み込む勇気は今のところない昭和の男なのであった。元々はオカーチャンのお乳を揉んで乳の出を良くする行為から来てて、甘えたりリラックスするときに、柔らかいモノを揉む習性が猫にはあるそうである。ワシの股間が柔らかいというのは忸怩たるモノがあるが、コバンが甘えるのに適した柔らかさであるというならフニャ○○のそしりも甘んじて受けておこう。可愛いからゆるす。

 という感じで、港町に一人こもって釣りの世界の深淵を覗くような深いところまで潜っていこうというキチガイじみたきつめの妄執は、猫一匹でなんか良い塩梅にゆるくて楽しい釣り生活にその質を変え、お気楽で楽しい暮らしになっている気がする。
 コバンよ、いつも安定して可愛くてありがとう。おまえの可愛さがあれば、少々ボウズ食らったってへっちゃらさ。

 これからも共に生きていこうね。

2024年5月6日月曜日

あ~気持ちいい~!

 今日はアマゾンプライムビデオで、東京ドームでやるボクシング世界戦4連発。

 ワシ的には”足立区から来た”元k-1王者武居由樹選手のボクシング転向後8勝全KOだけど早すぎると言う声もあった世界挑戦がメインで、リングアナが紹介するのに息がよく続くなというぐらいのベルトと称号をもつモンスター井上選手が、言っちゃなんだけど日本人ボクシングファンは見たくもないメキシカンボクサーのルイス・ネリが闘うメインカードは”公開処刑したってくれ井上!”って感じでまあクイッとひねってくれるのをゆったり鑑賞させてもらえばいいと思ってた。

 武居選手は、序盤から独特の間合いでチャンピオンにペースを作らせず最後ちょっとピンチだったけど、逃げ切って戴冠。メッチャ気持ちいい。

 そしてワシ的には消化試合の井上VSネリ、日本の格闘技ファンがやってるの初めて見たけど、4万の観衆がネリにブーイング。アマプラボクシングの解説は軽量級だとワシの好きな長谷川、山中コンビなんだけど、ネリの何が嫌われてるかっていえば山中選手の最後2試合の相手だったけど、一回目はドーピング疑惑、二回目は計量オーバーというクソな野郎で昔もムカつくと書いたぐらいである。

 解説の山中さん、ブーイング起こって実況の人に話振られて、直接謝罪もあったようで、なんとも言えない感情が無いわけじゃないけど、今日は井上対ネリということに集中して解説する的な回答だったけど、ちょっと声が詰まってた。そりゃ4万の観衆が自分のボクシング人生にケチ付けた野郎に怒ってくれているんである。意気に感じるよね。

 で、武居戦までは観戦に集中したかったので、じゃましないように下で遊ばせてた愛猫も部屋に戻して、ゆっくりネコの毛並みでも楽しみながら見るかと、井上VSネリ戦観始めたら、1ラウンドいきなりプロ無敗日本人初パウンドフォーパウンド選出元バンタム級4団体統一世界王者現スーパーバンタム級4団体統一世界王者のモンスター井上尚弥選手、おそらくアマから通じてでも人生初らしいダウンくらって多分世界配信してるから世界中のPCの前で観てたボクシングファンひっくり返ったと思う。まだ1分以上あってよくしのいだという感じだったけど、ひょっとしてこれはまたも日本人にトラウマをネリの野郎が植えつけるのか?!と泡食って、変な声でて膝で丸くなってた愛猫もビビってるけど許せコバンそれどころじゃない!

 しかし、これがモンスターのモンスターたるところで、2ラウンドにキッチリダウン取り返してからは、ほぼ一方的にジャブ当てまくってボディーもフックも入り始めて公開処刑モード突入で一安心。6ラウンドコーナーに詰めてえげつないの2発入れてカウントいらずで試合終了。千両役者やのぅ。何回も最後のトドメ観てるけど気持ち良いったらアリャしない。コバンようるさくしてスマン。

 スポーツライターの山際淳司氏だったかが、軽量級の多い日本人ボクサーがメキシコから呼んだチャンピオンに返り討ちにされまくったので、国歌吹奏でメキシコ国歌のチャンカチャンチャンチャーンって感じのほがらかな旋律を聴くと嫌な気分になるって書いてたように記憶してるけど、もうちょっとでワシもメキシコ国歌嫌いになるところだった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

 まあ、終わりよければ全て良し!メキシコ国歌も嫌いじゃないゼ!!

2024年3月30日土曜日

たまには魚と豆以外のタンパク質を-ナマジのビンボ飯モツ鍋編-

 ワシ、紀伊半島に移住してからこちら、主な蛋白源は釣ってくる魚であり、マアジが安定生産できるようになってからは、基本「アジ釣っときゃおかずにゃ困んねぇ」状態である。マアジの旨さと言ったら”アジの語源は味が良いから”説を支持するぐらいのもんで、生食系でも干しても焼いても煮ても揚げてもなにやっても旨い。さすがに毎日のように食ってると多少飽きてくるけど、それでも旨いので毎日のように食っても苦にならないといえば苦にならない。

 とはいえ、時化続きで底濁りで釣りにならんとか、シーバス日和でアジ釣ってる暇がないとかだと、わが家の主力オカズのアジも在庫が切れる。釣友達にはちょくちょく「でかい冷凍ストッカーでも買って干物とか冷凍保存しておけばいいのに」と言われるが、そんなもん買って冷凍在庫抱えはじめると、常時先に在庫が悪くなる前にそちらを食わねばならない状況が生じ、いつも味の落ちた冷凍物を食べなければならない。まっぴらゴメンである。自転車で5分の近所の漁港でピチピチの活魚が泳いでるのに、何が悲しくて冷凍物を食わねばならん。近所に”生け簀”があるぐらいのつもりで魚食いたいなら食べるだけ釣ってくれば良い。っていうのが理想だけど、そこまでの腕もない故、先ほど書いたとおり生鮮やら干物の在庫が切れる時もある。そういう時はこれまでも書いたように、概ね大豆製品と鶏卵に頼っている。納豆一パックが50gから45gにしれっと小さくなり(おかめ納豆は50gのままでエラい!)、鶏卵の値段が上がったとはいえ、それでもまだまだ価格の優等生達であり、物価高のご時世頼りになる存在である。

 まあ贅沢言わなければそれで済む。済むんだけどたまには贅沢してみたいのよワシも。ということで贅沢な飯と言えば”お肉”な昭和脳なジ様であるワシ、たまには肉でも食うかと考えるんだけど、まあ肉ってお安くはない。都会じゃ魚の方が高いけど、港町だと圧倒的に魚の方が安い。アジなんか一パック200円とかで買える。贅沢して鶏肉買っても良いんだけど、貧乏人なら安い鶏胸肉よりさらに安い内臓肉のほうが贅沢するときの謎の罪悪感にさいなまれずに済む。昔は牛内臓肉とかも安くて、それこそ大阪弁で捨てるモノという意味で”ホルモン”って呼ばれたぐらいだったけど、今じゃ牛や豚のホルモンはB級グルメの主役級の人気でおいそれとは手が出ない価格になっている。関東では関西ほどは人気が無いのか、ハチノス(牛の第二胃)とかガツ(豚の胃)とかなら、たまに行く武蔵小山の中古釣具屋の近くに安く売ってる肉屋があったので、買いだめして煮込んで楽しんでたりしてたけど、港町のこの地じゃ馴染みが薄いのか売ってるのもあまりみかけない。

 しかし、そんな貧乏人の強い味方が以前にも書いたけど鶏内臓肉鳥皮である。100g100円以下とクソ安い上に旨い。今回はこのクソ安い鶏モツのモツ鍋を紹介しつつ。クソ安いということについてまつわるアレコレについて書いてみたい。

 なんのことかというと、ワシの嫌いな”動物愛護団体の人達”が「アニマルウェルフェア(動物の福祉)」とか動物の権利とか小うるせえことを言い始めて、やれ豚を狭いところに閉じ込めて飼うなとか、雌鳥を卵を産む機械のように扱うなとか、うるせぇ黙っとけって感じでワシも黙っちゃいられない。

 先日も「 【ニューヨーク時事(通信)】ストレスの少ない環境で家畜を育てる「アニマルウェルフェア(動物福祉)」を巡り、米西部カリフォルニア州の法規制が畜産業界に波紋を広げている。」とかネットニュースになってて、ただでさえ物価高騰と格差社会で貧乏人がしんどそうな米国で、畜生の幸せのためにさらに食糧の値段上げてどうするって話で、守る順番を間違えるなって説教してやりたくなる老害なワシ。別に金持ちがそう思って、そういう動物福祉に配慮した畜産物を買う分には別にどうでも良い。好きにしろって話である。それを”勝手な正義”を他人に強要して、貧乏人の安い食糧を買う選択肢を奪うなって話である。オマエがそう思うんならそうなんだろうけど、オマエの中だけの話であって他人を巻き込むな。その結果人が飢えて、産業動物である豚が死ぬまでに多少快適に暮らせることを確保することに意味があるのか?著しくバランスと優先順位がおかしいだろ?

 基本犬畜生は犬畜生であって、線引きとしては”人間の方が大事”っていうところでキッチリ引いておかないとマズいって。ワシも愛猫家だから猫の幸せを願ってやまないけど、そこの線引きはしておくべきだと思う。核戦争が起こって「シェルターに猫を入れる余裕はありません」って言われたら、それはそうだろうなと納得する。納得した上でワシはコバンとシェルターの外で生き残る方法を考える。ネコの命より人間の命の方が大事っていうのはその通りだと思う。そのこととワシの感情が「コバンを見殺しにするぐらいなら共に死ぬ」ってぐらいに溺愛してしまっているっていうことは併存している。そういうワシの精神の自由は、個人の責任の範囲の中での自由だからほっておいてほしい。ワシは他の愛猫家の方に同じように考えることを強いたりしない。猫にとって何が幸せかっていうのは、自分の幸せが何か、50年からかかってやっとこさ分かってきたワシには難問ではあるにしてもだ。

 犬畜生であり産業動物である家畜家禽の健康や快適な生活は、もちろん配慮はされるべきである。あるけどそれは健康や快適さが肉の歩留まりや質を確保するためとかに必要であるからというのを第一にして配慮すべきで、採算性や効率化を達成するために削れるモノなら削るのが畜産家の企業努力の1つの方向性であり、安い畜産物を享受する貧乏人としては、多少家畜家禽に狭苦しい思いをさせたとしても、365日休みなく糞尿やら羽毛やらにまみれて働き、安く食糧を提供してくれる畜産農家を支持する。いつも書くけど鶏卵が風邪引いた時に精を付けるときぐらいしか食べられなくなったら嫌じゃん。日常的に気軽に安くて美味しい卵かけご飯とかが食べられる幸せって、雌鳥をケージに押し込めて不幸にしてもワシ譲りたくない。見ず知らずのニワトリの幸せなんて知っちゃこっちゃないぜワシが幸せになりたい。ぶっちゃけ死ぬほど酷い環境で飼育されたら死んでしまうので売り物にならず、家畜家禽はどうやったってある程度は大切にされるのでほっときゃいい話だと思っている。むしろ人間の方が今の社会では、ぶっ壊れたら新しい人を雇えば良い程度の家畜以下の”部品”扱いされていて”社畜”とか揶揄されるよりまだ酷い実態もあるように感じる。部品扱いされる人間の幸せをさらに削ってまで、家畜扱い程度は確保されている家畜たちの福祉を求めることのなんと歪なことか。

 ほんと、動物の福祉とか言い出す輩の気持ち悪さは鼻につく。「上げ馬神事」が動物虐待だとかで中止に追いこまれている。しらんがな。ヤツらは競馬とかももちろん槍玉にあげていて、競馬で鞭を入れる回数とかにまで口出ししてきてるらしいと聞いてウンザリする。競馬がなくなったらそもそもサラブレッドの存在価値がなくなってサラブレッド生きていけなくなっちゃうじゃん。動物を娯楽の対象として消費するのはどうかというのは、放流した魚釣ってる釣り人としても複雑な感情はあるっちゃある。サラブレッドっていう品種が無くなっても馬としてはいなくなりはしないだろうし、人間が無理くりねじ曲げたような歪な品種を維持する意味はと問われると、正直答えに窮する。ぶっちゃけダックスフントとかもうウサギの穴にもぐらなくても良いンだから脚伸ばしてやれよと思わなくもない。そういう品種の血統を保つために、おそらく品種の基準から外れたような子供は間引かれてるんだろうとか、近親交配で病弱になってるのは避けられないだろうとか思うと、奇形みたいな品種をありがたがるなよ、ってワシの股ぐらでまどろむ雑種の愛猫を撫でながら思う。でも、その品種の形作られた背景、例えば牧羊犬のボーダーコリーの賢さや、水鳥を回収(リトリーブ)する狩猟犬であるレトリバー系とかの水遊びではしゃぐ姿とかを見ると、いろんな特徴をもつ品種があって保たれていることの価値もまた認めざるを得ない。このへんはもう、個人個人の趣味やセンスの問題で、どこまで許容するかなんて変わってくるんだろう。ワシも線引きは単なる好みでしかない。イエネコの巨大品種メインクーンとか飼ってみたい憧れがあるし、犬でも狩猟犬系は格好いいと思わずにいられないけど、正直奇形みたいなミニチュアダックスフントやスコティッシュフォールドとか見ていてやや不快ですらある。でも、そんなこと言い始めたら金魚の世界なんてデメキンとかランチュウとか”THE奇形”でっせ、って話でペットの場合はそれもありって思う人があながち間違ってるとも思えない。まあそういうこと含めて個人のセンスの問題で特に酷いとかの場合を除いて、他人の趣味にはとやかく言わないのが正しいのかなと思う。おもっきりとやかく書いてしまってるけどな。気を悪くした人がいたらゴメン。

 ただ米国の事例を始め、うかうかしてると食うもんなくなりそうな主張をしている愛護の輩どもの意見が力を持つ程度に、人が他の生き物の命を奪っている、その”命の軽さ”から遠ざかってしまっている現代なので、ジジイは心配で書かずにおれんのである。ドイツの現政権は支持母体の一つが動物愛護団体らしく、オオカミが保護の成果もあって増えつつあるのは良いことなんだろうけど、そうなると当然放牧している家畜が被害に会うなんていう問題が生じる。でもドイツじゃ今オオカミの捕獲とかの許可は出ないらしい。オオカミは生態系の秩序を左右する高位捕食者だからその保護は意義が大きく重要なんだろう。だろうけど、増えて被害が生じるなら数の調整やらなんらかの対策も必要だろうけど、それを許さない盲信。さすがナチスを産んだお国柄、振り子がどっちかに振れるときはおもいっきり振れて猪突盲信、というとドイツだけを侮辱しているようで申し訳ないので、我が国も今だ”大本営発表”で情報操作されて”隣組”で相互監視して異分子をつるし上げていやな”空気”を醸成していた国民性からまったく変わってないということを恥ずかしながら指摘しておこう。マスゴミの情報誘導に引っ張られて流行に流され、しょうもない個人の失敗をSNSでつるし上げる。第二次世界大戦時の国民性と何が違ってる。っていうワシも昨年のクマ騒動のおり、適当に数減らすしかないじゃんって思ったけど、carankeさんに「マスコミの煽りを受けてクマ駆除の方向に行きすぎないか心配」と言われて、ワシも”空気”に流されつつあったことを認識し恥じたしだいである。野生動物とは適切な距離感が重要であって、化け物扱い敵認定して闇雲に恐れて排除しようとするべきではないだろう。冷静に論理的にと思っていても、情報やら空気感やらに影響されないなんてなかなかあり得ないということを含みおいて、物事は考えなければならないと肝に銘じた。自分なりの真理、絶対的な正義、そんなもんはない。そうあなたやワシが思うモノは自分に都合の良い誰かの意見なり多数者の意識、それらの借り物に毛が生えた程度と思っておくべきだろう。そういう、人の意見に流されがちなのが枢軸国だけじゃないのは連合国側の米国でも同じなのを見れば明らかなので、西も東もグローバルスタンダードもイスラム社会も”共感性”を武器の一つとして生き残ってきたというホモサピならそこから逃れられないのだろう。”みんな違ってみんなダメ”。だからこそ天邪鬼は必要であると、ワシのようなひねくれ者の意見も必要なんだとワシャ思うんじゃ。空気感に流されかかってるところで、冷や水浴びて冷静になって一旦立ち止まって考える。その冷や水になれるよう天邪鬼としての務めを果たしていきたい。

 っていう永い枕を一区切りつけて、本題のビンボ飯的モツ鍋の紹介に移っていきたい。いうても簡単である。材料は鶏モツ(今回はレバーとハツ)、鳥皮、ニラ、キャベツ、めんつゆ、ラー油というところ。モツ鍋の旨さの要素として牛モツの脂の甘さがあるので、脂っこさのある鳥皮は安いけどその代役を果たしてくれる。内臓料理といえば、ミソとか濃いめの味付けで癖を殺して臭みを誤魔化しというのが一般的で”ドテ煮”とかまさにそういう料理だけど、モツ鍋では味付けはアッサリとした醤油出汁っていうのに、博多の食い道楽どもの非凡なセンスを感じる。匂い消しにニラはぶち込むにしても、今時の処理のしっかりした鮮度良く流通する内臓肉であれば、そこまで癖も臭みもないので、内臓肉本来の野趣溢れる風味として楽しめる味付けになっている。

 2年と少し暮らしたけど、博多はメシが旨い。食の名物も博多ラーメンから鶏の水炊き、アラ(クエ)鍋、明太子といったメジャーどころから、ややマイナーな柔らかい博多うどんにはゴボ天乗せるのがワシ好きだったし、意外に目の前で揚げてくれる安い天麩羅屋というのも博多流でお気に入りだった、寿司屋も回ってるのも回ってないのも魚自体が美味しい土地柄なのでレベルが高かった。魚と言えば刺身食べるときに醤油が甘くて最初慣れなかったけど、慣れてくると名物料理のマサバの刺身に胡麻がかかってる”胡麻サバ”には甘い九州の醤油じゃないと物足りなくなってくる。飲んべえの多い九州を代表する繁華街でもあるので名物の屋台も楽しいし、焼き鳥やら居酒屋やら街中華やらも総じてレベルが高い。ああ「ハルピン」の中華飯が懐かしい。

 調理は材料切って、お好みの濃さに水で薄めためんつゆを沸騰させたらぶち込んで、モツに良く火が通ったらラー油を垂らして完成。とアホぐらい簡単である。料理というほどのものでもないけど、鶏モツはあらかじめハツの中の血の固まりとかは洗い流しておくのが良いかな。ニラだけだとクドすぎるところをキャベツがバランスを取り、キャベツ自体も出汁を吸って美味しく、鶏モツは血の臭いを感じさる良い感じの肉肉しさで、鳥皮の脂のコクも箸を進める。ワシ飯のオカズにしてバクバク食ってるけど、飲みながら食べても悪くないだろうと思う。安っすい材料だけど腹一杯に肉料理を楽しめる。

 こんなに安くて美味しいのは、養鶏屋さんの企業努力と鶏の犠牲があるからにほかならない。ワシはワシの幸せのために安い畜産物を支持する。豚も鶏も皆ゴメン。