でも、科学の世界では、なぜ猫が同じ餌に飽きるのか?っていう基本的なことすら明らかではなかった。それどころか、猫が餌を選ぶのに餌の臭いや味は関係なく、脂質とタンパク質の含有量で選んでいるとか、あげくの果てには、猫が偏食するのはそれを見た飼い主が「うちの猫ちゃんはグルメなの」って喜ぶから、人の反応を見てそうしているとか、一度でも猫を飼ったことがあるならっていうか、飼ってなくても人んちの猫見てるだけでも、トンチンカンな的外れなことを言ってると分かるというモノがざらにあった。およそ観察眼に欠けたセンスのない科学者共だとあきれ果てていた。伊藤リサ先生の爪の垢でも煎じて飲む用に取り寄せろ。こんなのでも論文として出ると、さもそれが正しい説のように喧伝され出すので始末が悪い。論文が出て査読が通って学術雑誌とかに掲載されたとしても、それが絶対の正解だということを意味していない。単に”そういう説がでました”っていうだけの話で、今日知ったことは明日覆る、っていう感じに新たな知見で知識や常識が更新されていくのが科学というものの本質で、典型がアルコールは少量でも害になるっていう論文が出ると、健康至上主義者がそれ見たことかと、適量の酒なんてないって騒ぎ出す。賭けても良いけど、適度な飲酒は健康上大きな利点がある。そんなもん飲んだことあれば分かるし、気持ち良さげに酔っ払ってる飲んべどもを見てても分かる。精神衛生上非常によろしい飲み物であることは自明。データ的にも老人の健康には適度な運動より適度な飲酒の方が寄与するって、これまた1つの説でしかないけど、そういう飲酒が良い影響を与えるという報告は山ほどある。なんならそういう健康至上主義的な、健康に気を使ってる人とそうでない人の寿命を調べたら、後者の方が長生きするという、頑健な肉体だから気を使わなくても良いっていう因果関係もありそうだなとは思うけど、古い時代から知られている報告もある。
っていうなかで、やっとまともな研究結果が報告されていたので紹介しておきたい。岩手大学の研究チームが「ネコがごはんを残す理由を解明 ―同じ餌でも匂いを変えると再び食べる―」と題して研究報告を公表した。これはなるほどそうかもしれないと膝を打つ程度には信憑性がある。猫はご存じのとおり臭いには敏感で、外から帰ってきたワシの靴やら自転車のペダルやらの臭いから外界の情報を読み取っているのか、よく玄関で臭いをかいでいる。近所の雌猫が発情し始める今時期には、キン○マもうないのに、なんかソワソワとして春の臭いに興奮してるようにも思う。味が決め手となってないから、これまで味を変えたりして実験しても思うような成果が出ないとか、味とか関係なく餌を選んでるとかのトンチンカンな結果にしかならないとか、匂いが鍵ならそれも納得である。素晴らしい着眼点だと敬服する。近年の猫に関する研究では、猫の宿痾である腎臓病が血液中のタンパク質「AIM(apoptosis inhibitor of macrophage)」が正常に機能しなくなることが原因で、AIMが急性腎不全を治癒させる機能を持つことを解明したことに次ぐぐらい素晴らしい成果ではないかとおもう。3位にはネコがネコ草を食べるのは甘みを感じないので旨みでイネ科の草を好んでるという小ネタも面白い報告。AIMに関しては既に応用した治療薬の治験が始まっていて、猫の寿命を飛躍的に伸はせると期待されている。今回の猫の餌の選択には匂いが重要で、匂いを変えると再び食べる、という発見も、老化や病気で餌食いが悪くなった猫に対して適切な餌やりをできるようになるとか、猫飼いにとって猫にとって、とても意義のある研究成果だと思う。
まあ、うちのコバンさんも、同じ餌が続くと飽きるのは間違いなくあって、カマスの時期とか連日カマスの頭とか骨周りとかだと、しばらくすると食べ残すようになってくる。チュールを塗ったくってやるとちょっと食うけど、舐め取って食わなくなるとしばらくカマスは止めてカリカリとかでお茶を濁すか、マアジを釣ってこなければいけなくなる。でも匂いを変えてやれば良いと分かっていれば、なんかそれ用のスプレーとか当然ペット業界は考えて商品化するだろうから、カマスに飽きたら”イカ臭”スプレーとか、猫大好きカツオフレーバーとか匂いを変えてやることで餌ちゃんと食べてもらえるのではないだろうか。ウチのコバンさんは元野良なのもあってか、比較的餌食いは良い方だと思うけど、贅沢に餌をもらって育った猫で特に雌猫は食が細くて困るらしいから、ペット業界におられる方はイナバの「チャオチュール」以来の大ヒット商品目指して、銭の花を咲かせるべく商品開発よろしくお願いしたい。
ただ、同じ餌が続くと飽きて残すようになる、匂いを変えると食べる。ってのが分かると、さらにそれはなぜ?という次の疑問が湧く。イエネコは元々リビアヤマネコっていう乾燥地帯の野生猫がご先祖らしいので、その時代には虫やらネズミやらの小動物を色々食べてたので、雑食の人間が典型だけど同じ餌ばかり食べていると、栄養が偏ったり必須の栄養が不足したりするので、なるべく多くの種類の餌をとるように嗅覚による選択性が発達したとかそういう話だろうか?その時になぜ味覚ではなく嗅覚が鍵になったのか?餌の選択には口に入れないと分からない味覚より、その前段階で判別できる嗅覚が都合が良かったとかか?さらにいうなら、カマスは比較的飽きるのが早いけど、マアジともっというならアユは飽きるのが遅い。マアジでも刺身食べた後の中骨を重ねて焼いたものは飽きて残しがちで、丸ごとや頭は食いが良い。一般的な法則があるのか、単なるコバンさんの好みの問題か?以前はクモやゴキブリも好物だったけど、最近はいたぶって殺すだけで食べ残してるのを見かける。元々の食性考えれば虫の方が好きでもおかしくはないと思うけど、イエネコにはイノシン酸を感じる味覚があるらしいので、人と暮らしていくうちに魚の方が好きになったのか?疑問はつきない。
今も胡座の上ですやすや寝ているような身近な猫に、自然の不思議や、人との関係とかで培われた謎が溢れている。猫を知ることは生き物を知ることであり、ひいては人間やこの世界を知る手がかりになるに違いないと痛感している。やはり我々はネコと和解せねばならないようでである。


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